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北米project 4 ~Is the order a warbird? その51【2016/03/04~10】

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オレンジエンパイア鉄道博物館の路面電車の館の続きです。
これはロサンゼルス鉄道K-4形#1559(1925年自社製)
LARが自社工場で製造した路面電車です。LARは車両の修理・改造能力に自信ニキで、それは前回も見た自社製の事業用車を見れば一目瞭然です。
このK形はセントルイス車輌に外注して製造したH形をコピーして造ったもの。83台も造ったそうですが、よくメーカーから怒られなかったな・・・。
ただし、コピー元のH形が鋼製車だったのに対してK形は木造車でした。これはLARの匠が木造車両の製造に特化していたからです。ただし外版には鉄板を貼っているので厳密には半鋼製車体といったところでしょうか。
#1559は1955年に引退して、1958年に博物館が引き取りました。これも息をするように動態保存されているようで。
LARの木造車は1955年を境に大絶滅しているんで、この年に何かあって大量廃車になったんでしょうね。調べませんけど。



反対側から。



説明書きをメモし忘れたので正体不明の路面電車。
サンフランシスコのマーケット・ストリート鉄道で走っていた路面電車と思われ。サンフランシスコと言えばケーブルカーですが、路面電車も一部で走っていたのです。
短い車体に3室構造でして、両端が開放式の車内、中央が密閉式です。トゥーンタウンで走っていた路面電車みたいだなと。



柱の飾りがおしゃれ。



ロサンゼルス鉄道H-3形#1423(1924年セントルイス車輌製)
上記のK形のコピー元になった路面電車。ボギー台車の電車としては初めての鋼製車体です。多客時には2両編成の総括制御もできるんだそうで。これだけで250台が造られたというので、LARの規模は相当デカかったのだなと。
#1423はH-3形の中でもデラックス版の改造を受けていて、車内は全て密閉式(在来車は上記マーケット・ストリート鉄道のように開放/密閉/開放の3室構造だったそうな)、木の座席は革張りのクッションが追加されました。これは1928年の運賃値上げからの客離れへの対策だったようです。



ロサンゼルス鉄道F-4形#1160(1923年自社製)
一見、1920年代の新造車と同じ外観をしていますが、実は旧型車の車体更新車。こういうのアメリカでもやってたのね。
起源は1899年アメリカン車輌製のロサンゼルス交通(Los Angeles Traction)#154で、後にパシフィック電鉄に移籍して#811に改番。そこで使われなくなったものを引き取って#1160に改造されたそうな。



ロサンゼルス鉄道H-3形#1450(1924年セントルイス車輌製)
こちらはH-3形のデラックスじゃない未更新車です。
更新工事により外観は前面窓が5枚→3枚に減り、乗降口の後ろの窓が開放式→密閉式になっています。特に室内の開放/密閉/開放の3室構造は「カリフォルニア式 (California style)」と呼ばれるこの地域では普及したものでした。



ロサンゼルス鉄道「デスカンソ」霊柩電車(1909年自社製)
全体的な造作は他の路面電車と同じですが、塗装を始め細かいところが異なる電車。初めは何者か分かりませんでしたが、最初に言ってしまうと遺体を運ぶための霊柩車です。そうやって見ると車体の造りが厳かな感じになっています。
新造時は「パライソ Paraiso」という名前で、スペイン語で楽園や天国という意味でした。後に「デスカンソ Descanso」に改名しました。これはスペイン語で「休息」の意味です。これは当時の道路がまだ未舗装ばかりで馬車の霊柩車だと揺れが激しいため、揺れの少ない電車で遺体を運ぶことで故人に最後の休息を・・・という意味のようです。
$25でチャーターでき、遺体の収められた棺の他に遺族や参列者が乗車する客室もありました。ところが次第に自動車に取って代わられるようになって1924年に引退しました。
その後もLARで保管されていたようですが、1940年に売りに出されて、カリフォルニア州カホンパス峠でクラブハウスとして使われました。カホンパスはアメリカの超有名な鉄道撮影地で、列車の観察用に誂えられたそうな。
霊柩車で列車を鑑賞するのもアレだと思いますが、おかげで今日まで現存することになったんですから馬鹿にできないものです。
クラブハウスは1967年まで使われて、その後OERMが取得しました。



車内はクロスシートです。座席は2種類あってこちらは参列者用の客室でしょう。



反対側にはソファーが並んでいます。こちら側に棺を乗せる部屋があるのでこの客室は遺族用でしょう。



車体側面。ニス塗りの窓枠とステンドグラスが特別な車両だということを語っています。青灰色は当時厳かな色合いという認識だったのでしょうか。
ここまではなんだか少し変わった電車だなとしか思っていませんでした。



反対側の先頭。乗降扉の隣に観音扉がありますが、これが棺を収める部屋です。
これを見てようやく霊柩電車だと分かったのですが、このような電車があるものなんですね。



こんな風になっとります。



ロサンゼルス鉄道BG形#525(1906年セントルイス車輌製)
LARで最後まで走っていた木造路面電車です。最終運行は1955年3月27日電気鉄道協会による貸切電車でした。これ、鉄オタの集団だと思われ。



ロサンゼルス鉄道#9225操重車(1912年自社製)
路面電車にもだってクレーン車くらい持っています。しかも自走できるのが強み。ちゃんとトロリーポールも付いています。これはクレーンを動かす電気供給も兼ねています。
クレーンの吊り上げ荷重は最大5tです。事故車両の救援用ではなく、レールの吊り上げ等保線で活躍しました。
1963年の廃線までずっと現役を続けていました。なので廃車時の状態も良く、博物館で今も現役です。



これがクレーンです。クレーンは片側にだけ付いていますが、電車は両運転台なのでクレーン側にも運転台が付いています。電気供給のためのポールもクレーンにも付いています。



#1201。
というところで路面電車は以上です。
ずいぶん見たなというところですが、収蔵リストを見てみるとまだ抜けている車両がちらほら。ここはただの車庫ですが、これとは別に整備車庫もあるので、どこかの車庫にまだ隠し持っているんでしょう。
全部で数十台の路面電車を所有しているわけですが、これのほとんどはLARが路線縮小や廃線になった時期の約10年の間に放出されたものをかき集めてきたわけですから、よく一度にこれだけ集めたなと思います。事業用車も保存しているところは抜かりないですよね。しかも動態保存されているものも多いわけで、完全に参りましたと・・・。
狭くて見にくいのが難点ですが、一見の価値有りだと思います。

今日はここまで。
次は動態保存列車に乗って締めます。


その52へ→

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