2016年3月7日(月)13時53分
アリゾナ州ツーソン ピマ航空宇宙博物館
14時前になりました。まあ屋外展示の半分は見たかなという感じです。でもまだ半分残ってるよ。
敷地の片隅に迷い込んできたのですが、そこはヘリコプターの広場でした。ヘリだけが一箇所に集められているのです。順番に見ていきますよ。
シコルスキーUH-19Bチカソー(1949年・401機目)
きかんしゃトーマスのハロルドの元ネタとして私に知られているヘリコプターです。民間型はS-55という名前。
ヘリコプターとしては黎明期の機体で、機首に載せている星型レシプロエンジンがコックピットをぶち抜くプロペラシャフトをぶん回して屋根の回転翼を動かすという豪快な駆動方法をとっています。おかげで胴体に広い空間が出来たので人間10名くらいを乗せることができました。
ベルOH-58Aカイオワ(1952年・402機目)
カービー将軍がメイトリクスの住む山小屋を訪れた時に乗っていたヘリコプターとして私に知られるアメリカ陸軍の観測ヘリコプターですね(厳密にはカービー将軍が乗っていたのはOH-58の民間型モデル206だが)
元々YOH-4観測ヘリとして競争試作されたものでしたがヒューズのYOH-6(→OH-6カイオワ)に敗れてお蔵入りになったヘリ。
せっかく作ったのでベルはボディを民間用に改良したものをモデル206として民間市場で売り出したらバカ売れしました。
しかもOH-6が調達打ち切りになったので代替の観測ヘリを再度入札が行われ、その際にモデル206がOH-58として制式採用されました。見事な敗者復活であります。
ベルUH-1Hヒューイ(4時間ぶり5機目・403機目)
御存知汎用ヘリコプター。もう説明不要でいいでしょ(手抜き)
これは赤十字のマークが付いているんで、戦傷者の輸送に使っていたんでしょう。
カマンOH-43Dハスキー(1947年・404機目)
初めて見るヘリコプターです。観測、消防、救難なんかに使われた小型ヘリです。これの特徴は交差反転式ローターを採用していることでしょう。翼が外されているんで実感は湧きにくいですが実物は初めて見ました。
機体上部にローターの基部が2本立っているのが分かると思います。あれが2つとも回転することで飛ぶのです。2つのローターがそれぞれ反対方向に回転するところがミソで、これによってトルクを相殺するので安定性が高いのです。なので単一ローター式のヘリには必ずあるテールローターが無いのです。
2つのローター基部はお互いがとても近い距離に置かれていますが、もちろんお互いの回転翼はぶつからないように同調されています。ちなみに片側2枚ペラです。
これはアメリカ海兵隊が使用していた観測型です。ちなみにエンジンは星型レシプロエンジンとターボシャフトエンジンの2種類がありますがOH-43Dは前者です。
カマンHH-43Fハスキー(15秒ぶり2機目・405機目)
隣にもう1機いました。こっちはアメリカ空軍の救難型。さらにエンジンはターボシャフトです。エンジン換装に合わせて機体もやや大型化している模様。
シコルスキーHH-52Aシーガード(1959年・406機目)
アメリカ沿岸警備隊が使用していた救難ヘリです。メーカーの型番はS-62。
機体底面が舟艇型をしていて、水上への離着水が可能な機体になっています。小型S-61シーキングのような外観をしています。
自衛隊でも使っていました。
シコルスキーHH-3Fペリカン(1959年・407機目)
S-61シーキングから発展したヘリです。大雑把に言うとS-61を大型化したかんじ。メーカー型番もS-61Rなので、シーキングの派生型ということです。
これも沿岸警備隊が使っていたやつです。なので離着水できるようになっています。
パイアセッキCH-21Cワークホース(1日ぶり2機目・408機目)
腰の曲がった胴体から付けられたフライングバナナのあだ名のほうが有名なタンデムローター式ヘリコプター。
中がどんな様子なのか知りませんが、飛行中もこの逆への字の姿勢なので変な体勢で座ったりとかならないだろうかと心配になります。
これもヘリコプター黎明期の機体です。ベトナム戦争の初期あたりまで現役だったそうな。
パイアセッキHUP-3 (H-25A)レトリバー(1948年・409機目)
H-21がアメリカ陸軍向けの機体だったのに対してHUPはアメリカ海軍向けに開発されたタンデムローター式ヘリコプターです。空母や戦艦に着艦できるようにH-21より小型に造られています。初期型は対潜ヘリコプターとして使われましたがこの3型は救難救助に使われた模様。
この機体のマーキングは1961年に厚木基地に配備されていた時のものだそうで、もしかすると日本にいた個体なのかもしれません。
ベルHTL-7 (TH-13N)スー(2日ぶり2機目・410機目)
ベルの民間用ヘリコプターのベストセラー、モデル47の軍用型でアメリカ海軍向けの練習機です。
モデル47は骨組みだけのテールブームと巨大なバブル型の風防が特徴的なやつなんですが、風防は小型化してテールブームにも外板が貼ってあるので、あの頼りない外観は鳴りを潜めています。
シコルスキーH-5Gドラゴンフライ(1943年・411機目)
シコルスキーの前作R-4を上回る搭載能力や速度を求めて開発されたR-5が原型のヘリコプター。WWIIの真っ最中に初飛行をしている古いヘリコプターで、そんな状況でも新概念兵器を開発できるアメリカの国力よ・・・という感じ。ただし配備されたのは終戦間際で、実戦投入は朝鮮戦争まで後になります。
G型は、民間用のS-51を徴用した機体。S-51は4人乗りの輸送型ヘリです。
シコルスキーHO3S-1ドラゴンフライ(10秒ぶり2機目・412機目)
また隣に同型機が並んでいました。型番がだいぶ違っていますがこれは海軍式の命名規則なのです。型番が違うだけで、中身はH-5Gと同じ4人乗りの輸送ヘリです。
これはアメリカ沿岸警備隊が使っていました。
シコルスキーMH-53MペイブロウIV(1967年・413機目)
西側最大の輸送ヘリコプターのCH-53を原型にした戦闘地帯で撃墜されたパイロットを救助するためのアメリカ空軍向けの戦闘捜索救難ヘリです。クソデケェなという印象。
もともとCH-53系統のHH-53という戦闘捜索救難機がいました。余裕のある大きさは使い勝手が良かったですが全天候型能力が欠けていたので暗視装置やセンサーなんかを追加搭載してそれを補ったMH-53Jが開発されたのでした。で、捜索装備を強化したのがM型です。
MH-53Mは全て退役してしまいましたが、原型になったCH-53はまだアメリカで現役です。
ミルMi-24Dハインド(1969年・414機目)
敵メカっぽい姿がこの上なく魅力的なソ連の攻撃ヘリコプターです。ハインドというのはNATOコードネーム。造ったのはミグじゃないよ。見るのは初めて。
アメリカの攻撃ヘリコプターAH-1をパクって開発されたんですが、どこかで何かを間違えたのか、攻撃ヘリと輸送ヘリを折衷した機体に仕上がりました。なので攻撃ヘリと言いつつ胴体には大きな兵員室があります。
ここに武装した兵士8名を乗せて、機体の機銃で辺りを一掃した後に兵士を降ろして展開させるというもの。なので攻撃ヘリとは言ってもアメリカのものとは思想が全く異なっているのです。なので強襲ヘリコプターと分類されることもありにけり。
結果的には中途半端な機体になってしまったそうですが、ソ連お得意の物量で2,300機以上生産し、東側諸国にばら撒き、西側にとっても驚異っちゃ驚異って具合だったそうな。
この個体は東ドイツから持ち込んできたものだそうな。
シコルスキーCH-37Bモハーベ(1953年・415機目)
登場当時世界最大だった重輸送ヘリコプター。完全武装の兵士26名とか、墜落した航空機とか、重いものも楽に運べるのだ。
星型レシプロエンジンを2発載せているのですが、載せ方が独特なものになっています。胴体の兵員室を広く取るためにエンジンは機外に搭載。その場所は降着装置を収納するポッドなのです。あのバカでかいポッドですね。星型エンジンなのでどうしても直径が太くなってしまうのですよ。
うまく考えたもんだと思いましたが、これ以降はターボシャフトエンジンが普及し始めるので、これがレシプロエンジン搭載ヘリコプターとしては末期の機体になりました。CH-37自体も10年程度しか活躍しなかったそうで。
シコルスキーCH-54Aタルヘ(1962年・416機目)
部品が欠損してるまま展示してんじゃないの?という感じですが、これで完品のヘリコプターです、はい。悪い冗談みたいですが。
輸送ヘリコプターなんですが、これは物を吊り下げて移動させるための空中クレーンとしての役割を期待されて開発されたクレーンヘリコプターです。コックピットより後ろがガランドウで骨組みとローターだけになっていて、そこにものを吊り下げられます。
戦車とか墜落した飛行機とか、そういう重量物を運び出すのに使われていた他にも、機体に合わせた大きさのコンテナを運ぶことも出来ました。
ニッチながらも確実に需要のある機体だったのでそこそこ成功しました。直接の後継機は無いんですが、今はCH-47がその役割を一部引き継いでいると言えますし、放出された民間機はクレーンヘリとして独占的な立場にいるようです。
これでヘリコプター軍団は終了。これのさらに奥には宇宙館みたいな宇宙船関連の展示の建物があったんですが、今回はパスさせてもらいました。時間が推しまくっているので宇宙まで見ている暇はなかったです。実機が展示されているのかも怪しいですし。
ノースロップF-5Bフリーダムファイター(2日ぶり3機目・417機目)
ノースロップの軽量戦闘機です。400機以上も見てまだ3機目なのか・・・?と思いましたが、F-5は基本的にアメリカでは運用されていない機体だったのでそりゃそうか、と思いました。今まで見た2機はどちらも海外で運用されていた機体を持ってきたものでしたしね。
で、これは複座型のB型なんですが、機首の機関砲が無いので本当はT-38なんじゃないかと思いました。でも主翼前縁付根のLERXは付いているんで、間違いなくF-5なのだよなぁと。と思って調べてみたらB型には機関砲が初めから付いていないそうで。じゃあ間違いなくF-5Bなんだなと。
ダッソー・ドルニエ アルファジェットA(1973年・418機目)
これもアメリカでは珍しい欧州ジェット機です。
形状的に分かるかもしれませんが高等練習機でして、フランスのダッソーとドイツのドルニエで共同開発された機体です。同時期にイギリス製のBAEホークが開発されてたんで競合してしまい、しかもホークの方が売れたんで、ちょっと影が薄いです。
高等練習機と言っても、いまや純粋な練習機としてだけで設計されるほど開発に余裕もないので、軽攻撃機としても使えるように設計されています。極東の島国の4番目の練習機は攻撃能力も付与すると政治的にアレだったんで純練習機として設計されたんでしょうけど。
で、A型はドイツ空軍が運用している攻撃型です。ドイツには飛行訓練ができるだけの領空を持っていないので、飛行訓練はもっぱらアメリカに遠征してアメリカの練習機を借りて行っています。よって自国の練習機が要らんのです。
ノースアメリカンF-86Lセイバードッグ(1日ぶり2機目・419機目)
全天候型戦闘機3兄弟の末っ子。これもノースロップの問題児F-89の穴埋めに開発されたもの。
パイロットの他に火器管制オペレーターが必須で複座機が前提だった当時の全天候型戦闘機に於いて、どこかで何かを根本的に間違えた結果、操縦も火器管制(FCS)も1人でこなさなければならないワンオペ戦闘機として仕上がってしまったヤツです。
今までのFCSではとんでもないブラック戦闘機になってしまうので、ヒューズにこれ用に新たなFCSを開発させてしまいました。ヒューズすっげー。
前にも書きましたが、L型はD型の改良型で、SAGEレーダーネットワークとのデータリンクが出来るようになったものです。
というところで今日はここまで。
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