飛行格納庫内を進んでいきます。屋根付きのドンガラの空間なのでいろいろな展示をできるのは記念艦の中でも空母だけですね。
セスナL-19バードドッグ(1949年・481機目)この手の観測機や連絡機は今までの博物館で何機も見てきたのですが、L-19はこれが初めてでした。いかにもセスナ機という感じの機体です。L-19はアメリカ陸軍の機体で、なんでここにあるのかというと、これがUSSミッドウェイに着艦したという逸話が残っているからです。
1975年4月30日、ベトナム戦争の最中のこと、サイゴンが北ベトナムの手に陥落して南ベトナムが消滅した日のこと。数千人のベトナム人難民がヘリコプターに乗って沖合のアメリカ空母へ避難してきたのです。その数、UH-1ヒューイが45機、CH-47チヌークが3機。空母に収容しきれないので、載せきれない分のヘリは海中破棄した時の写真は有名。そんな大混雑した飛行甲板にこのL-19がUSSミッドウェイの上空に飛来してきました。中にはパイロットとその妻と子供5人が乗っていて、これを着艦させるために大急ぎで飛行甲板を片付けて無事着艦できたというお話なのです。USSミッドウェイで最も有名な着艦劇という逸話として残っているのです。
飛行機がたくさん展示されている区画へ来ました。第二次世界大戦期のレシプロ機が主です。
チャンス・ヴォートF4U-4コルセア(2日ぶり4機目・482機目)アメリカ海軍の艦上戦闘機ですが、空母では使いづらかったので海兵隊に押し付けられたやつ。
長い機首とか逆ガル翼とか大きいプロペラとか、割と変な見た目をしているんですけど、飛んでいるところを見るとすごくかっこいいなと思えます。
横から見るとこの通り。パイロットの目線だと、地面にいる時は前方視界が全く効かないのです。尾輪式の単発レシプロ機は多かれ少なかれこの体勢だと前方視界が効かないですが、F4Uは悪すぎたみたいで狭くて距離のない空母の飛行甲板でははじめはムリでした。なので空母運用のない海兵隊に機体が回されることになったのです。
設計者の意見だけで纏められた飛行機だろうなーという。現場のことなんて知るかという感じ。
主翼の反っている部分はフラップが細かく分割されているのだ。
つよい。プラモデル作りたい。
脚は後ろに向かって折りたたむ構造です。ただしホイールは折りたたみながら向きを90度変えて主翼の中にすっぽり収まるようにします。手間がかかるし構造が複雑なので強度をもたせるのにも気を使います。前後方向じゃなくて左右方向に折り畳むのが楽なんですが、F4Uは主翼折り畳み機構があるので、前後方向に折り畳んだほうが主翼を折り畳める面積が増えてお得なのです。
F-8Jのコックピットだけ。座ることができるぞ。
E-2の機首。これも乗ることができるぞ。
イースタンTBM-3Eアベンジャー(2日ぶり4機目・483機目)アメリカ海軍の雷撃機ですね。横にいるおっちゃんと比べてみると分かりますが、クソでかいやつです。単発機としてはかなり大型だと思うぞ。たぶんもう何回も書いていることと思いますが、TBMはもともとグラマンが開発製造していたTBFが原型。しかしグラマンは意外と生産能力が低くて、F6F戦闘機の生産で手一杯になってしまいました。そこで、自動車メーカーのゼネラルモーターズの航空機部局「イースタン航空機」でライセンス生産することにしました。イースタンはこの頃同じグラマンのF4F戦闘機の生産も請け負っていました。他にも軍用車や戦車の部品なんかも造っていたので、さすがはGMの大量生産能力です。
うしろ。
クソデカイ機体になったのは太くて長い魚雷を機内の爆弾倉に収めるという設計を採ったから。爆弾も積めるぞ。
爆弾倉。爆弾倉に魚雷を収めればそれだけ空気抵抗が減るわけですが、これはTBF/TBMの前任者のTBDデバステーターの航続距離が短すぎて使えないことからの反動じゃないかなぁと思いますががが。
ノースアメリカンSNJテキサン(2日ぶり6機目・484機目)ありとあらゆる航空博物館に出現する練習機T-6の海軍版。あとはいまさら特に書くことないです。
というところで今日はここまで。
その101へ→
セスナL-19バードドッグ(1949年・481機目)この手の観測機や連絡機は今までの博物館で何機も見てきたのですが、L-19はこれが初めてでした。いかにもセスナ機という感じの機体です。L-19はアメリカ陸軍の機体で、なんでここにあるのかというと、これがUSSミッドウェイに着艦したという逸話が残っているからです。
1975年4月30日、ベトナム戦争の最中のこと、サイゴンが北ベトナムの手に陥落して南ベトナムが消滅した日のこと。数千人のベトナム人難民がヘリコプターに乗って沖合のアメリカ空母へ避難してきたのです。その数、UH-1ヒューイが45機、CH-47チヌークが3機。空母に収容しきれないので、載せきれない分のヘリは海中破棄した時の写真は有名。そんな大混雑した飛行甲板にこのL-19がUSSミッドウェイの上空に飛来してきました。中にはパイロットとその妻と子供5人が乗っていて、これを着艦させるために大急ぎで飛行甲板を片付けて無事着艦できたというお話なのです。USSミッドウェイで最も有名な着艦劇という逸話として残っているのです。
飛行機がたくさん展示されている区画へ来ました。第二次世界大戦期のレシプロ機が主です。
チャンス・ヴォートF4U-4コルセア(2日ぶり4機目・482機目)アメリカ海軍の艦上戦闘機ですが、空母では使いづらかったので海兵隊に押し付けられたやつ。
長い機首とか逆ガル翼とか大きいプロペラとか、割と変な見た目をしているんですけど、飛んでいるところを見るとすごくかっこいいなと思えます。
横から見るとこの通り。パイロットの目線だと、地面にいる時は前方視界が全く効かないのです。尾輪式の単発レシプロ機は多かれ少なかれこの体勢だと前方視界が効かないですが、F4Uは悪すぎたみたいで狭くて距離のない空母の飛行甲板でははじめはムリでした。なので空母運用のない海兵隊に機体が回されることになったのです。
設計者の意見だけで纏められた飛行機だろうなーという。現場のことなんて知るかという感じ。
主翼の反っている部分はフラップが細かく分割されているのだ。
つよい。プラモデル作りたい。
脚は後ろに向かって折りたたむ構造です。ただしホイールは折りたたみながら向きを90度変えて主翼の中にすっぽり収まるようにします。手間がかかるし構造が複雑なので強度をもたせるのにも気を使います。前後方向じゃなくて左右方向に折り畳むのが楽なんですが、F4Uは主翼折り畳み機構があるので、前後方向に折り畳んだほうが主翼を折り畳める面積が増えてお得なのです。
F-8Jのコックピットだけ。座ることができるぞ。
E-2の機首。これも乗ることができるぞ。
イースタンTBM-3Eアベンジャー(2日ぶり4機目・483機目)アメリカ海軍の雷撃機ですね。横にいるおっちゃんと比べてみると分かりますが、クソでかいやつです。単発機としてはかなり大型だと思うぞ。たぶんもう何回も書いていることと思いますが、TBMはもともとグラマンが開発製造していたTBFが原型。しかしグラマンは意外と生産能力が低くて、F6F戦闘機の生産で手一杯になってしまいました。そこで、自動車メーカーのゼネラルモーターズの航空機部局「イースタン航空機」でライセンス生産することにしました。イースタンはこの頃同じグラマンのF4F戦闘機の生産も請け負っていました。他にも軍用車や戦車の部品なんかも造っていたので、さすがはGMの大量生産能力です。
うしろ。
クソデカイ機体になったのは太くて長い魚雷を機内の爆弾倉に収めるという設計を採ったから。爆弾も積めるぞ。
爆弾倉。爆弾倉に魚雷を収めればそれだけ空気抵抗が減るわけですが、これはTBF/TBMの前任者のTBDデバステーターの航続距離が短すぎて使えないことからの反動じゃないかなぁと思いますががが。
ノースアメリカンSNJテキサン(2日ぶり6機目・484機目)ありとあらゆる航空博物館に出現する練習機T-6の海軍版。あとはいまさら特に書くことないです。
というところで今日はここまで。
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