京都鉄道博物館の続きです。本館入口の脇には電気機関車が2機並んでいる区画があります。この区画にあるのはすべて新規収蔵組です。
緑色の電気機関車EF81形103号機。寝台特急「トワイライトエクスプレス」の牽引機でした。時々「日本海」も牽いてましたね。国鉄時代の交直流電気機関車の決定版でございます。好きですね~。EF81の丸車の保存車は当時はここが唯一でしたので、これも無事保存されるようになってよかったです。
後ろには「トワイライトエクスプレス」の客車もありにけり。帯の高さが揃っていないけど、重量の関係ですかね?
台車のDT138。EF65よりもスッキリ簡素化してるようなかんじ。
「トワイライトエクスプレス」の食堂車スシ24形1号。形式上24系客車一門のひとつとなっていますが、485系電車の食堂車を無理やり編入したもの。なので屋根の高さが他より低いのよ。ただ、この食堂車「ダイナープレヤデス」で供される料理は同じような列車の「北斗星」や「カシオペア」よりも上質だったともっぱらの噂でしたが、ついに自分の舌で確かめることは出来ませんでした。
左がスロネフ25、右がスシ24。このようにでこぼこなのでした。
札幌行トワイライトエクスプレスのケツに連結されていたスロネフ25形501号。客車列車の最後尾の客車というのは古来より特別な位置です。アメリカでは展望車やビジネスカーといった特別な車両が連結されてきました。日本でも展望車が連結されてましたね。5部屋6名分の定員しかなく、特に車端部はロイヤルスイートルームで、展望車の最後尾からの車窓の移ろいを独占できたのでした。共有空間のある展望車よりも、アメリカのビジネスカーに近い思想の客車ですね。
EF58形150号機。見た目は近代的に見えますが、その実は先輪付きのデッキ付き電気機関車のそれで、本質的には旧型の機関車なのでした。それでも見た目はかっこいいし花形運用にもよく就いていたので人気が高いです。150号機はJR西日本で最後まで現役に留まっていたEF58です。現存機唯一の原型小窓という個体です。
EF58の後ろにはブルートレインがいます。24系オロネ24形4号で、A寝台車でした。車両はなんとJR東日本の青森車です。あれ、自分のところには残っていなかったのか・・・と思ったら、末期では客車はJR東しか運用していなかったのですね。知らなんだ。
A寝台なので2段プルマン寝台です。
座席状態。腰掛けは深いけど脚は伸ばせそうにないかなぁ、という印象。靴を脱いで向かいの席に脚の乗せるのが吉か。どうせ2人しか座らないしね。
どこかの駅から持ってきたと思われる洗面台。ちなみにホーム上屋は云十年前に京都駅の建て替えをした時に廃材となったのものを交通科学博物館に移築したものを再移築しています。だから洗面台も京都駅のものなのかな?
平坦線区用直流電気機関車の決定版と言えるEF65形1号機。15年間くらい製造され続けていたので、時期により外観や番台が異なります。これは機番の通り初期に製造された0番台で、貨物専用機です。後の製造分にはブルートレイン牽引用の機体も登場しますが、最初は貨物用だったのです。でまあ1号機ですが、こんなのどこにあったんだ?走っているところも見たこと無いし?という謎機体だったのですが、調べると1987年に廃車になったあとに長いこと機関区にしまい込まれていたのですね。それで博物館建設時に日の目を見ることになったと。ブルトレ牽引機の500番台や1000番台と比較すると0番台は地味な印象の中において、保存されたことの意義は大きいことと思います。
京都駅ホームの上屋。
上屋の手前を線路が横切っています。この門の向こうは現役のJRの線路とつながっています。
線路の先には建物と門扉。ここは現役の車両を展示するための展示棟で、実際にJR西日本やJR貨物の現役車両が期間限定で展示されています。今日もJR貨物の電気機関車が展示されていますがそれは後ほど。結構な頻度で活用していて、たまに見に行きたいなぁと思わせるレアな車両もやって来ます。同じような展示線はJR東日本の鉄道博物館でも設置されているのですが、初めの数回使われただけであとは音沙汰なしであそこはやる気がありません。
というところでプロムナードの展示車は見終えましたので本館へ入りましょう。今日はここまで。
その3へ→
緑色の電気機関車EF81形103号機。寝台特急「トワイライトエクスプレス」の牽引機でした。時々「日本海」も牽いてましたね。国鉄時代の交直流電気機関車の決定版でございます。好きですね~。EF81の丸車の保存車は当時はここが唯一でしたので、これも無事保存されるようになってよかったです。
後ろには「トワイライトエクスプレス」の客車もありにけり。帯の高さが揃っていないけど、重量の関係ですかね?
台車のDT138。EF65よりもスッキリ簡素化してるようなかんじ。
「トワイライトエクスプレス」の食堂車スシ24形1号。形式上24系客車一門のひとつとなっていますが、485系電車の食堂車を無理やり編入したもの。なので屋根の高さが他より低いのよ。ただ、この食堂車「ダイナープレヤデス」で供される料理は同じような列車の「北斗星」や「カシオペア」よりも上質だったともっぱらの噂でしたが、ついに自分の舌で確かめることは出来ませんでした。
左がスロネフ25、右がスシ24。このようにでこぼこなのでした。
札幌行トワイライトエクスプレスのケツに連結されていたスロネフ25形501号。客車列車の最後尾の客車というのは古来より特別な位置です。アメリカでは展望車やビジネスカーといった特別な車両が連結されてきました。日本でも展望車が連結されてましたね。5部屋6名分の定員しかなく、特に車端部はロイヤルスイートルームで、展望車の最後尾からの車窓の移ろいを独占できたのでした。共有空間のある展望車よりも、アメリカのビジネスカーに近い思想の客車ですね。
EF58形150号機。見た目は近代的に見えますが、その実は先輪付きのデッキ付き電気機関車のそれで、本質的には旧型の機関車なのでした。それでも見た目はかっこいいし花形運用にもよく就いていたので人気が高いです。150号機はJR西日本で最後まで現役に留まっていたEF58です。現存機唯一の原型小窓という個体です。
EF58の後ろにはブルートレインがいます。24系オロネ24形4号で、A寝台車でした。車両はなんとJR東日本の青森車です。あれ、自分のところには残っていなかったのか・・・と思ったら、末期では客車はJR東しか運用していなかったのですね。知らなんだ。
A寝台なので2段プルマン寝台です。
座席状態。腰掛けは深いけど脚は伸ばせそうにないかなぁ、という印象。靴を脱いで向かいの席に脚の乗せるのが吉か。どうせ2人しか座らないしね。
どこかの駅から持ってきたと思われる洗面台。ちなみにホーム上屋は云十年前に京都駅の建て替えをした時に廃材となったのものを交通科学博物館に移築したものを再移築しています。だから洗面台も京都駅のものなのかな?
平坦線区用直流電気機関車の決定版と言えるEF65形1号機。15年間くらい製造され続けていたので、時期により外観や番台が異なります。これは機番の通り初期に製造された0番台で、貨物専用機です。後の製造分にはブルートレイン牽引用の機体も登場しますが、最初は貨物用だったのです。でまあ1号機ですが、こんなのどこにあったんだ?走っているところも見たこと無いし?という謎機体だったのですが、調べると1987年に廃車になったあとに長いこと機関区にしまい込まれていたのですね。それで博物館建設時に日の目を見ることになったと。ブルトレ牽引機の500番台や1000番台と比較すると0番台は地味な印象の中において、保存されたことの意義は大きいことと思います。
京都駅ホームの上屋。
上屋の手前を線路が横切っています。この門の向こうは現役のJRの線路とつながっています。
線路の先には建物と門扉。ここは現役の車両を展示するための展示棟で、実際にJR西日本やJR貨物の現役車両が期間限定で展示されています。今日もJR貨物の電気機関車が展示されていますがそれは後ほど。結構な頻度で活用していて、たまに見に行きたいなぁと思わせるレアな車両もやって来ます。同じような展示線はJR東日本の鉄道博物館でも設置されているのですが、初めの数回使われただけであとは音沙汰なしであそこはやる気がありません。
というところでプロムナードの展示車は見終えましたので本館へ入りましょう。今日はここまで。
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