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京都鉄道博物館を見て回る その4【2017/8/16】

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京都鉄道博物館の本館の続き。これはご存知500系521形1号。説明不要でしょう。掛け値なしにかっこいいですよね。実はまだ乗ったことがないのだけど。

京都鉄道博物館といえば、段差や隙間を徹底的に無くした設計がされていることですね。こんな感じに、車体形状的にどうしても床との隙間が出てしまう500系でも床に張り出しを設けて脚を挟むことのないようにしています。車両の床下、特に台車は車両観察に置いて重要な要素ですので、できればプラットホームと同じ高さまで嵩上げした床は無い方が嬉しいでが、これもバリアフリーやチーム事情がありましょう。

ガラス柵も車体形状に合わせて隙間がないようになっていて、見事。ここまでされるともう言うことはないなと。ちなみにガラスのそばにある黒い丸は、なんかセンサーの穴だそうです。

断面はかまぼこ型なのだ。窓側席は圧迫感があったとか別にそんなのなかったとか。実際に乗って確かめないとね。

昼夜兼用の寝台電車583系と電車特急の代表格489系。ああ、この2台が並んでいるのはいいな。

座席と寝台を転換可能なプルマン寝台を備えていて昼間は座席特急、夜間は寝台特急として24時間休む間なく走らされることを企図された583系クハネ581形35号。が、この設計思想は色々うまく行かず、後に続く車両は現れませんでした。特に昼間の座席特急は、ボックスシートが評判良くなかったようですね。個人的には、特急運用を念頭に入れてるだけあって座り心地は良かったし足元も広かったので、後ろ向きの座席がどうしても出てくること以外は良かったですけどね、そこがダメだったんでしょうね。この個体は最後は急行「きたぐに」に使われていたものです。何回か乗りましたね。現状、まともな583系の保存車はこれだけ。あとは九州に一応いますけどね。それと台湾に何故か中間電動車ユニットがあります。東日本のやつはどうなるんでしょうねぇ。大した期待してないですけど。

489系クハ489形1号。交直流特急型電車485系一門のひとつ。485系に急勾配の碓氷峠を長編成で通過できるように設計した系列です。ボンネットの先頭形状が特徴で、晩年は主に急行「能登」の運用に入り最後のボンネット型特急として人気を集めていました。現在保存されている485系の大半はこのボンネット型先頭車です。485系は全国を縦横無尽に走り回った割に保存に恵まれてませんゆえ。

鉄道院の有蓋貨車のワム3500形ワム7055号。製造初年は1917(大正6)年で実は100年前の設計の貨車なのだ。製造数は12,000台弱。しゅごい。最後は1970年代まで北海道で残っていましたが実は北海道には現存車なし。この個体はJR西日本の研修施設に残っていたのを引っ張ってきたらしい。

カーリターダーという貨車の減速装置。線路の両側にある制動板で車輪を締め付けることで減速させるのだ。貨車操車場のハンプヤードの下り坂にあった装備。貨車を1台ずつ切り離して方面別の線路に仕分ける時にいちいち入換機関車で仕分けていてはいつまで経っても終わらないので、ハンプの頂上で貨車を切り離しました。あとは下り坂で位置エネルギー閣下の力で貨車を自走させて仕分けるのです。その時速度が出すぎないようにカーリターダーを使いました。

油圧式ですかねぇ?アメリカのヤードではまだカーリターダーが使われてるはず。

車掌車のヨ5000形ヨ5008号。貨物列車にも車掌が乗務していた時代がありました。その車掌が乗るための車で、貨物列車の最後尾に連結されていました。今も鉄道車両の甲種輸送時に連結される時もあるので一応車掌車は現役ですね。ヨ5000形は最高速度を従来型の75km/hから85km/hの高速貨物に対応できるように開発されたものです。日本初のコンテナ高速貨物列車「たから」に充当されました。塗装は専用の淡緑色に塗られて専用のテールマークも付けられて、大した力の入れようでした。
これは元々JR貨物の宇都宮貨物ターミナルの新幹線高架下に保存されていた18台の貨車の1台。JR貨物はこれらの保存車を活用して博物館を建てるつもりでしたが、流れてしまって保存車は散り散りになって大半は那珂川清流鉄道保存会に譲渡されました。

151系特急「こだま」の前頭部モックアップ。485系のボンネット車とは見た時の印象が微妙に異なるんですけど、両者で形状違うんですかね?

「はつかり、がっかり、事故ばっかり」の文句でおなじみのキハ80系キハ81形3号。国鉄初の気動車特急として登場したけどすぐにエンジンから火を吹いてダメな子扱いされてしまいました。かわいそうに。151系が少し前に登場していて車体や内装はそれを踏襲しているんですが、ボンネット部の形状は全然違います。キハ81の方がだいぶ無骨。

「ひかり」の新幹線として私に親しまれている100系122形5003号。のぞみは300系、こだまは0系というのが幼き日からの私の構図なのです。JR西日本の100系だと二階建車を4両繋いだ「グランドひかり」なわけですが、静岡には停車していなかった記憶なので、馴染みがないです。100系の先頭車は本来無電動車でしたが、グランドひかりの二階建車4両連結に際し中間電動車が不足したので、この122形5000番台で制御電動車化したというもの。先頭の電動機冷却のための空気取入口が連結器覆いとスカートの間にあるのが外観上の特徴。この制御電動車は短編成化の時にも有利に働いたので、100系の中でも最後まで残りました。最後にこの色に復元されてから新大阪駅まで見に行きましたねぇ。なつい。


唐突に現れる昔懐かし昭和コーナーに置かれているダイハツ・ミゼットMPA。地味に左ハンドル車でなんじゃこりゃと思いましたが、沖縄仕様なんだそうな。なるほど、当時はまだアメリカ統治下か。大阪の交通科学博物館には鉄道車両の他に自動車や航空機や内燃機関といった交通に関わるものも一緒に展示されてたんですが、閉館に伴い公開を止めました。これは数少ない、交通科学博物館から引き続き展示されているものですね。自動車の行方は存じませぬが、航空機とそのエンジン関連は意外なことに静岡空港の近くにある静岡航空資料館に移設しています。これは次の年に見学してきましたので、後々ご紹介します。いつになるかは約束できませぬが。

無煙化の象徴、DD51形755号機ディーゼル機関車。蒸気機関車を追いやるために造られたので登場当初はそれはもうオタクから嫌われていたようです。今では貴重な本線用ディーゼル機関車として人気の的。時代も移り変わるし、オタクなんてそんなもん。まだ細々と活躍していますが、JR貨物の機体はそろそろ絶滅しそう。関西圏ではこの寝台特急「出雲」の牽引機だったのが有名でしたかね。

DD51は機体の下に潜り込めるのだ。気分はピット線の中に入り込んだ整備士なのだ。推進軸が丸見えだぜ。さすが、機関車だけあって全軸駆動のAWDなんですね。

軸重を減らすための中間付随台車。

私にとってはブルートレインの牽引機として馴染みの深かったEF66形35号機電気機関車。これもね、楔形の先頭形状とか縦型のライトケースとか、かっこいいですよね。

これも足回りがよく見えるのだ。これといいDD51といい、機関車ってクッソ重いわけですが、車体内に格納されている機械類やエンジンはあるんでしょうかね?よその保存機(特に個人所有や公園保存のもの)では重すぎるゆえに移設が出来ず、中をがらんどうにして保存されていることがしばしばあるんですね。

これはねえ、いいですねぇ。360度から見れるのもいいです。


主電動機と車軸を合わせた駆動装置の展示。主電動機はMT56です。

車輪はすごくものものしいのだ。

101系のモックアップ。新性能通勤電車の先駆けです。電車の構造とはなんぞや?という展示のために使われています。画期的な電車ですが保存車は大宮に1台だけです。まあ通勤電車への扱いなんてそんなものよ。
これで本館の常設展示車両は回り切りました。では次は特別展示車を見に行きますか。

その5へ→

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