近江鉄道彦根駅を降りてこの日彦根駅構内で開催されている「ガチャコンまつり2018」へやって来ました。鉄道会社がよくやつ車庫公開イベントで、現役の電車はもちろん近江鉄道が保存している歴史的な電気機関車も見ることができます。この電気機関車が目当てなのだ。これらの電気機関車は「近江鉄道ミュージアム」の収蔵品の一部として保存されていて、ガチャコンまつりでなくても月に1日程度の頻度で一般公開されていたものです。ところがこのガチャコンまつりの後、近江鉄道は近江鉄道ミュージアムを2018(平成30)年12月に閉館(その後現在は八日市駅に移転)。所蔵していた電気機関車も基本的に解体される方針となりました。日本の電気機関車黎明期の機体がいくつも現存する貴重な場所でしたが、民間企業単体で保存するには厳しかったのかもしれませんし、企業が私有する形での保存が必ずしも安泰でないことを示す例になりました。話が逸れました。ガチャコンまつりに戻りましょう。
ED14形4号機と3号機。輸入箱型電気機関車の趣が深くていいですね。ED14形は1926(大正15)年に鉄道省が4機を輸入したアメリカ・ゼネラル・エレクトリック製の直流電気機関車です。東海道本線、中央本線、飯田線などを転々として最終的に1966(昭和41)年に4機全てが近江鉄道に譲渡されました。貨物列車廃止後も近江鉄道には4機全てが現存していましたが、閉館後は逆に全て解体され消滅した運命を辿りました。
ED14形3号機です。黄色い台枠に水色の車体は近江鉄道の標準塗装です。貴重な輸入電気機関車の生き残りですが、長年の現役生活のうちに所々改造されていて、新造時の原型は喪失しています。分かりやすいのは窓の改造です。前面窓は本来は幅がもっと狭くて縦長の長方形をしていました。片側4つある側窓も窓サッシが本来十字形だったものが、中央2つの窓は横のサッシがなくなり両端の2つは十字形サッシ自体がなくなってしまいました。両端の窓はサッシが無くなったのでスッキリしましたが電気機関車にしては妙に大きい窓に見えるようになりました。
ED14形4号機。当時の鉄道省は欧米先進国の各メーカーから2機ずつ電気機関車を輸入してゆくゆくは国産化のための品定めあるいは技術習得をしていたみたいですが、このED14形は4機を購入、さらに同じゼネラル・エレクトリックからED11形2機を先行して購入しています。合計6機、通常の3倍の数を買ったわけですが、よほどゼネラル・エレクトリック製が優秀だったのでしょうか?この4号機だけは塗装が鉄道省時代のぶどう色に塗り直されています。たぶん色の塗り直しだけで車体の形態などは復元されず近江鉄道末期のままだと思いますが。
2つの台車の距離はかなり近くて、車体長さは台車のそれにきっちり合わせたものになっています。なので現代から見れば小さい車体ですが結構密度感のある印象を与えます。側窓は左から2つ目の窓は原型をとどめているみたいですね。
ED14形は、アメリカ製電気機関車では珍しい板台枠台車を装着している点が目を見張ります。アメリカ製台車といえば一般的にはでかいイコライザを付けた物です。もうひとつ、この角度からだとデッキの影で見えないですが、機関車の連結器が台車に直結しているのも珍しいです。台車の動きに合わせて連結器も首を振る、Nゲージで言うところの台車マウントカプラーなわけです。この点はだいたい同時期に輸入されてかつ現存する同社製ED11形と比較した時に明確に異なる点です。板台枠台車も台車マウント連結器も結局日本では根付かなかったので、日本の鉄道車両史の特異点のひとつといえるかもしれません。
ED14形を反対側から。
ED14形2号機です。
2号機を反対側から。意外と目立つような個体差は見受けられないですかね。窓のサッシの数くらいなものです。
さっき説明した台車マウントカプラーです。連結器が車体からではなく台車から生えているのが分かるかと思います。
ロコ1100形1101号機です。これは1930(昭和5)年に阪和電気鉄道(現JR阪和線)が自社線と省線の間の入換用機として導入した30t電気機関車です。これは東洋電機/日本車両製。1951(昭和26)年に近江鉄道に譲渡されて、今よりも構内の広かった彦根駅で入換作業などに従事していたみたいです。ミュージアム閉館に際して引き取りては現れず、解体された模様です。阪和電鉄の現存車両は秩父鉄道三峰口駅に電気機関車が1機いましたが、それも2019(令和元)年に解体されてしまったため、阪和電鉄由来の車両は絶滅したことになります。
車体は可愛らしい凸型をしています。運転室扉をキャブの妻面に付けていて、そのためボンネットは向かって見て右側に片寄っています。
これも板台枠台車ですな。ED14形と比べるとリベット多めでごつい感じ。ちなみにこの機体は古めかしい直接制御式だったそうな。
左から100形、ED14形1号機、ED31形3号機。
ED14形1号機です。それにしても同形式の保存対象車両が複数ある場合、大抵は1台だけ残してあとは解体なのですが、ED14形は4機全て保存されたというのは当時の近江鉄道の担当者たちの並々ならぬ思いがあったのでしょうか。
こちらはED31形3号機。これだけは他の機関車よりも塗装が綺麗でした。元々は1923(大正12)年に伊那電気鉄道(現JR飯田線)が6機(デキ1~デキ6)導入した電気機関車です。製造は芝浦製作所/石川島播磨です。これも凸型機関車ですが、やたら長いボンネットと開口部の小さい窓のおかげで特異な平べったいシルエットをしています。戦車や装甲車みたいな雰囲気を出していて、あんまりかっこよくはないかな・・・。なんやかんやあって1950年代後半に6機のうち1号機~5号機の5機が近江鉄道へ譲渡されました。残りの6号機は上信電鉄へ譲渡されて現存しますが、現役時代に原型とは似ても似つかぬ箱型車体へ魔改造されています。2000年代に全機が引退状態になってミュージアムの収蔵品となっていました。今回ここへ来るちょっと前の2017(平成29)年に3機が解体されています。残る3号機と4号機も解体の運命だったみたいですが、既の所でそれぞれ引き取り手が現れて解体の危機から救われました。今回の閉館に際して生き残ることのデキた2機です。3号機は、これを製造した芝浦製作所が現在の東芝という縁から東芝が2020(令和2)年に引き取り、府中工場にて他の電気機関車と共に保存されとります。府中工場はここぞという時に手を差し伸べてくれるやね。
ED31形4号機。こちらはびわこ学院大学の大学生がクラウドファンディングを立ち上げて輸送費と移送先の土台と線路の建設費を賄ったことで解体を免れました。これが選定されたのは、国産電気機関車の初期の機体で日本のものづくりにおいて価値が高いだからだそうな。ED31形2機だけ現存するという片寄った形になりましたけど、先に機関車保存に名乗りを上げたのはこの大学生チームみたいですし、後手になった東芝は自社製のED31形以外に選択肢はないですし、仕方ない面はあるかもしれないです。残りのED14形とロコ1100形もこの先も保存されるに値する機関車だったので、残せなかったのはちょっと残念でした。
国産機という扱いですが、一部の部品は輸入品のようです。台車はイギリスのドーマンロング製です。輸入から国産への過渡期の機関車という方が正確でしょうな。
思うにボンネットの根本の背が高いのがかっこ悪い要因だと思います。
謎パンタグラフ。
というところで今日はここまで。次回は機関車以外の展示物です。
その11へ→
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飯田線各駅停車 94の駅で楽しむガイドブック
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ED14形4号機と3号機。輸入箱型電気機関車の趣が深くていいですね。ED14形は1926(大正15)年に鉄道省が4機を輸入したアメリカ・ゼネラル・エレクトリック製の直流電気機関車です。東海道本線、中央本線、飯田線などを転々として最終的に1966(昭和41)年に4機全てが近江鉄道に譲渡されました。貨物列車廃止後も近江鉄道には4機全てが現存していましたが、閉館後は逆に全て解体され消滅した運命を辿りました。
ED14形3号機です。黄色い台枠に水色の車体は近江鉄道の標準塗装です。貴重な輸入電気機関車の生き残りですが、長年の現役生活のうちに所々改造されていて、新造時の原型は喪失しています。分かりやすいのは窓の改造です。前面窓は本来は幅がもっと狭くて縦長の長方形をしていました。片側4つある側窓も窓サッシが本来十字形だったものが、中央2つの窓は横のサッシがなくなり両端の2つは十字形サッシ自体がなくなってしまいました。両端の窓はサッシが無くなったのでスッキリしましたが電気機関車にしては妙に大きい窓に見えるようになりました。
ED14形4号機。当時の鉄道省は欧米先進国の各メーカーから2機ずつ電気機関車を輸入してゆくゆくは国産化のための品定めあるいは技術習得をしていたみたいですが、このED14形は4機を購入、さらに同じゼネラル・エレクトリックからED11形2機を先行して購入しています。合計6機、通常の3倍の数を買ったわけですが、よほどゼネラル・エレクトリック製が優秀だったのでしょうか?この4号機だけは塗装が鉄道省時代のぶどう色に塗り直されています。たぶん色の塗り直しだけで車体の形態などは復元されず近江鉄道末期のままだと思いますが。
2つの台車の距離はかなり近くて、車体長さは台車のそれにきっちり合わせたものになっています。なので現代から見れば小さい車体ですが結構密度感のある印象を与えます。側窓は左から2つ目の窓は原型をとどめているみたいですね。
ED14形は、アメリカ製電気機関車では珍しい板台枠台車を装着している点が目を見張ります。アメリカ製台車といえば一般的にはでかいイコライザを付けた物です。もうひとつ、この角度からだとデッキの影で見えないですが、機関車の連結器が台車に直結しているのも珍しいです。台車の動きに合わせて連結器も首を振る、Nゲージで言うところの台車マウントカプラーなわけです。この点はだいたい同時期に輸入されてかつ現存する同社製ED11形と比較した時に明確に異なる点です。板台枠台車も台車マウント連結器も結局日本では根付かなかったので、日本の鉄道車両史の特異点のひとつといえるかもしれません。
ED14形を反対側から。
ED14形2号機です。
2号機を反対側から。意外と目立つような個体差は見受けられないですかね。窓のサッシの数くらいなものです。
さっき説明した台車マウントカプラーです。連結器が車体からではなく台車から生えているのが分かるかと思います。
ロコ1100形1101号機です。これは1930(昭和5)年に阪和電気鉄道(現JR阪和線)が自社線と省線の間の入換用機として導入した30t電気機関車です。これは東洋電機/日本車両製。1951(昭和26)年に近江鉄道に譲渡されて、今よりも構内の広かった彦根駅で入換作業などに従事していたみたいです。ミュージアム閉館に際して引き取りては現れず、解体された模様です。阪和電鉄の現存車両は秩父鉄道三峰口駅に電気機関車が1機いましたが、それも2019(令和元)年に解体されてしまったため、阪和電鉄由来の車両は絶滅したことになります。
車体は可愛らしい凸型をしています。運転室扉をキャブの妻面に付けていて、そのためボンネットは向かって見て右側に片寄っています。
これも板台枠台車ですな。ED14形と比べるとリベット多めでごつい感じ。ちなみにこの機体は古めかしい直接制御式だったそうな。
左から100形、ED14形1号機、ED31形3号機。
ED14形1号機です。それにしても同形式の保存対象車両が複数ある場合、大抵は1台だけ残してあとは解体なのですが、ED14形は4機全て保存されたというのは当時の近江鉄道の担当者たちの並々ならぬ思いがあったのでしょうか。
こちらはED31形3号機。これだけは他の機関車よりも塗装が綺麗でした。元々は1923(大正12)年に伊那電気鉄道(現JR飯田線)が6機(デキ1~デキ6)導入した電気機関車です。製造は芝浦製作所/石川島播磨です。これも凸型機関車ですが、やたら長いボンネットと開口部の小さい窓のおかげで特異な平べったいシルエットをしています。戦車や装甲車みたいな雰囲気を出していて、あんまりかっこよくはないかな・・・。なんやかんやあって1950年代後半に6機のうち1号機~5号機の5機が近江鉄道へ譲渡されました。残りの6号機は上信電鉄へ譲渡されて現存しますが、現役時代に原型とは似ても似つかぬ箱型車体へ魔改造されています。2000年代に全機が引退状態になってミュージアムの収蔵品となっていました。今回ここへ来るちょっと前の2017(平成29)年に3機が解体されています。残る3号機と4号機も解体の運命だったみたいですが、既の所でそれぞれ引き取り手が現れて解体の危機から救われました。今回の閉館に際して生き残ることのデキた2機です。3号機は、これを製造した芝浦製作所が現在の東芝という縁から東芝が2020(令和2)年に引き取り、府中工場にて他の電気機関車と共に保存されとります。府中工場はここぞという時に手を差し伸べてくれるやね。
ED31形4号機。こちらはびわこ学院大学の大学生がクラウドファンディングを立ち上げて輸送費と移送先の土台と線路の建設費を賄ったことで解体を免れました。これが選定されたのは、国産電気機関車の初期の機体で日本のものづくりにおいて価値が高いだからだそうな。ED31形2機だけ現存するという片寄った形になりましたけど、先に機関車保存に名乗りを上げたのはこの大学生チームみたいですし、後手になった東芝は自社製のED31形以外に選択肢はないですし、仕方ない面はあるかもしれないです。残りのED14形とロコ1100形もこの先も保存されるに値する機関車だったので、残せなかったのはちょっと残念でした。
国産機という扱いですが、一部の部品は輸入品のようです。台車はイギリスのドーマンロング製です。輸入から国産への過渡期の機関車という方が正確でしょうな。
思うにボンネットの根本の背が高いのがかっこ悪い要因だと思います。
謎パンタグラフ。
というところで今日はここまで。次回は機関車以外の展示物です。
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