2018年7月8日。長野県南牧村に「野辺山SLランド」という小さな遊園地のような場所があります。名前の通り蒸気機関車を売りにした施設なのですが、そこで使われている蒸気機関車は台湾糖業鉄道の軽便規格の機関車で、日本では珍しい物でした。しかし、2018(平成30)8月末をもって閉園することが決まりました。今まで存在は認知していたものの、野辺山の方に用事がなかったことと電車で行くにも駅から微妙に離れているので行けていませんでした。閉園直前に訪ねるのは私のポリシーには合わないんですが、それにしたって行ってみたいので友人たちと一緒に最初で最後の野辺山SLランドへ行ってきました。自家用車を乗り合わせて行ってきたので、野辺山へ行くまでの間にある保存車両を見ていくこともしました。写真はJR身延駅前のしょうにん通りです。
最初に立ち寄ったのは、山梨県富士川町の利根川公園です。ここには山梨交通電車線で活躍していたモハ7形8号が静態保存されています。山梨交通電車線は1930(昭和5)年~1962(昭和37)年の間、甲府駅前~甲斐青柳で運行されていた鉄道路線です。通称ボロ電。身延線が富士川左岸に路線を伸ばしていたのに対してボロ電は富士川右岸を走っていました。この8号が保存されている利根川公園は、電車線の路線跡のすぐ横にあるので縁のある土地に保存されていることになります。
この前面。どこか他所の会社で見たことありますね。7号は山梨交通が廃止された後に上田丸子電鉄へ譲渡され、そこからさらに江ノ島電鉄へ渡っていきました。そして江ノ電時代に車体の大幅な改造が行われて、3扉化と同時に前照灯と尾灯を前面腰部へ取り付けました。この灯具配置は当時の江ノ電の電車の特徴と言えるものです。この灯具と3枚窓と行先板の取り付け方という各パーツによりかなり江ノ電色の強い印象となっています。3枚窓は原型から変わっていないんですけどね。8号は江ノ電で廃車になった後に当地へやって来て保存されたわけですが、その時に原型への復元はされていないということです。車体は大改造されているので復元するのは大変なんですね。車番の801号も江ノ電時代のままです。
8号は1948(昭和23)年汽車製造製です。連結器は密着自動連結器で、連結棒部分はあまり見たことのない形状ですね。
台車は汽車製造謹製の板台枠台車です。
連結面側。8号は元々単車でしたが江ノ電で改造された時に2両編成に組成されました。ですが乗務員扉の撤去はされなかったみたいです。こちら側の前面のほうが比較的原型を留めているかもしれないです。ちなみに、側扉は原型は片側2扉だったのを江ノ電で3扉に改造されています。扉を原型に戻すのは一苦労でしょうね。
集電装置はパンタグラフ。PT52型らしく、これも江ノ電時代の物。
大昔の電車ですが屋根付きで保存されているので状態は良好に見えます。所有や管理は自治体が担当しているようです。
公園前の道路には山梨県名物の警察官人形が佇んでいます。これを見たのは初めてです。人形の造形はリアルタイプで、経年劣化の影響でやけにリアルです。
こんな感じで路肩に突っ立っています。初見でこの道を走る人は一瞬ビックリするでしょうね。ただし最初だけで2回目以降は平気になってしまいますな。
利根川公園からはこれにて撤収です。
次にやって来たのは、南アルプス市役所若草支所(旧若草町)です。ここには鉄道省ED16形15号機が静態保存されています。いや、この記事の執筆時点では過去形で、2022(令和4)年4月に解体されて現存しません。ED16形は老朽化によるものという説明がされていますが、ここの跡地に建設された施設の用地を確保するためにお払い箱にされたんだと邪推しています。というのも、いうほど老朽化しているとは思えなかったのです。今更何を言っても・・・ですが。車両の周りに写真のようにのぼりや横断幕がでかでか覆ってあるような状態なので、訪問時から扱いは良くなかったのかもしれませんね。
横断幕が邪魔なので反対側に立ってみても、こっち側は立ち木が邪魔です。なんだかなぁ、という違和感を覚えたものです。さてED16形は、1931(昭和6)年に18機が製造された直流電気機関車です。初めての国産電気機関車EF52形を縮めたような形態となっています。中央本線、上越線といった直流電化された勾配線区のある路線で運用されました。晩年は南武線・青梅線での貨物輸送が代表的です。最後の機体が廃車になったのは1984(昭和59)年で、50年以上活躍を続けた長寿機でした。この15号機は1978(昭和53)年10月に廃車されています。その後の詳細の経緯は簡単に調べたところでは出てこなかったですが、廃車直後に当地へ移動されてきたのだと思います。SLブーム華やかし時期に電気機関車を保存したのは珍しい事例でしょう。旧若草町は中央本線と接しない自治体でしたが、地元に縁のある車両を選定したというのもグッドでした。
車体は見ただけでは腐食や目立つ部品の欠損などが無く、良い状態のように思えました。塗装が色褪せているのと薄い苔が生えたようにわずかに緑色に変色したような状態でした。その点では見た目はあまり良くなかったでしょう。
残念ながら車体ともども手入れはされていないようですが、台車も良好な状態を維持しているように見えました。やはり戦前製の鋼鉄は良質で丈夫ということでしょうか?
反対側から。やはり車体が苔っぽいですね。少し調べた感じだと、機体を引き受けた当初の旧若草町時代には当然自治体にも担当部署があって、地元の保存会の手入れもされていたみたいです。それがこういう放置状態になったのは、保存会の消滅と自治体合併に伴う部署の統廃合による機関車の所管が宙に浮いたという、割とお決まりの結果じゃないかと推測しています。保存会に関しては、機体の譲渡直後に結成されたとすると今日までに40年近く経過しています。これもおそらく保存会人員の世代交代や跡継ぎに失敗したのかもしれないです(これも確証無し)。この課題はこれからも全国の保存車両の保存会で起きるはずです。
ナンバープレートと製造銘板はどうやら本物っぽいですが。
ED16形15号機が解体されてしまったのは残念です。どう動いていれば解体を回避することができたのか、それを考えて今まだ残っている保存車両を少しでも長く生き延びさせることがこの機関車のためにもなるんだと思います。
南アルプス市からはこれで撤収して次へ行きます。
3箇所目は、韮崎市にある韮崎中央公園です。広い公園で、球場やライブスチーム(ミニSLや)なんかも備えています。そしてここには複数の車両が保存されています。
C12形5号機蒸気機関車です。閑散線区用のタンク機関車です。1932(昭和8)年2月汽車製造製。新製配置は宇都宮機関区で、北海道の複数の機関区を転勤した後、1969(昭和44)年5月甲府機関区に転属して、翌年4月に廃車されました。廃車後は甲府城で静態保存されて、ある日韮崎中央公園へ移設されたそうな。
露天保存ですがきれいな外観です。手入れされているみたいです。
後部前照灯には破損防止用と思われる網が付けられています。前部前照灯には網が付いていないですが、レンズが原型ではないからでしょうか?
公園にはライブスチームの設備があります。春から秋の日曜日に運転しています。
今日はちょうど運転日でした。小さくても動くSLは見てても乗っていても楽しいものです。
韮崎中央公園にはもう1箇所保存車両が置かれています。しかも5台も。
EF15形198号機とトラ70000形4台、ヨ5000形が連結された状態で静態保存されています。
EF15形は1947(昭和22)年から202機が製造された直流電気機関車です。同時期に製造されたEF58形とは兄弟形式で、EF15は貨物用、EF58は旅客用と棲み分けされていました。この198号機は、1958(昭和33)年10月東洋電機/汽車製造製です。直流電化区間各地の機関区を転々として、甲府や八王子の機関区にも所属していた時期がありました。1986(昭和61)年に廃車になりました。EF15形としては現役最後の1機でした。車体の塗装は、色褪せているというよりそもそもぶどう色で塗られていないらしく、パンタグラフも同様に塗られていることから考証にやや難ありといったところです。重厚的なデッキ付き箱型電気機関車のスタイルは素晴らしいのですが。
同一形式が一箇所になんと3台も保存されている珍しい例のトラ70000形。それぞれ72379号、74778号、75013号です。
これらの保存車には足場が置かれていて、足場越しに機関車の室内をのぞけたり貨車の荷台に立ち入ることができます。
最後にヨ5000形14041号。このように電気機関車、複数台の貨車、そして車掌車が連なっていることで貨物列車の様子が頭に浮かび上がってきます。これらを譲り受けた当時の担当者は、保存車両を車両単一で見ることをせずに1本の列車として保存したかったのだろうと考えられます。広い視野だと思います。
車掌車の車内。劣化は進んでいますが原型度は高いかもしれません。
韮崎中央公園を後にして、野辺山方面へ向かいます。
というところで今日はここまで。
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