カナダ航空宇宙博物館の続きです。引き続きブッシュプレーンを見ていきますよ。これはユンカース W 34f/fi (Junkers W 34f/fi) です。1926年初飛行。ドイツ製ですね。定員8名(うち乗務員2名)の軽旅客機で、安定した飛行性能と高い頑丈さがブッシュプレーンに適しており、1930年代のブッシュプレーンの最高峰と評価の高い機体です。ただし全金属製の機体とドイツの重い関税のため機体価格が高く、カナダに輸入されたのは9機だけでした。この個体は1931年製で、翌年カナディアン航空に納品。何度か所有者を変えたあと、最終的にカナディアン航空創業者婦人のもとに行き着きました。1962年に当館へ寄贈されています。このときブリティッシュコロンビア州から当館まで自力で最終飛行してやってきています。博物館入りするために自力飛行してやってくるというのは、こっちでは珍しいことではないですね。たぶん陸上輸送のほうがお金がかかりそう、というのもあります。
当時のユンカース機らしいコルゲートの入った全金属製ボディです。このボディを見たのは初めてだったかも?ちょっと感動しますよね。ブッシュプレーンのはずですが低翼機です。たぶん最初からブッシュプレーンとして開発されていなかったからだと思いますが・・・。ちなみに機体の周りには小道具が置かれていて、ブッシュプレーンとはなんぞやという演出に機体ともども使われています。
ユンカースで運ぶんだろう物資ですね。この時代に段ボール箱は無いので、当然木箱です。こういうのもあって当時材木の需要は高かったわけです。
サムソン・モデルMというトラクターです。物資をここまで運んできたのかな?
機体は何をされているかと言うと、フロートの横についている車輪を外しているご様子です。そして、その横にあるスキー板へ履き替えようとしているみたいです。車輪を浮かして取り外すためにホイストで機体を吊り上げています。
エンジンのある機体前部が重心近くなので、そこを持ち上げるほうが良いということでしょう。
車輪を取り替えているパイロットのジョー(仮名)です。一人でも交換作業ができるのが汎用性の高さに繋がっているのだ、という展示なんでしょうかの。
横に置いてあるスキー板です。これを履けば雪原で離着陸できるのです。というか冬季だとカナダ北部の辺境の湖は全面結氷するでしょうから、離着水できないんだと思います。
何年もの間ず~っと機体の横で「車輪が外れない・・・」と困って固まっているジョーくん(仮名)。飛び立てる日は来るのか。いや来ない。
フェアチャイルドFC-2W-2 (Fairchild FC-2W-2) です。1926年初飛行。アメリカのフェアチャイルド社が航空測量用に開発した7名乗りの多用途機です。カナダ北部の遠隔地での運用にも適していて、1920~1930年代のカナダ開拓に重宝されました。カナダ空軍でも写真調査と連絡用に使われていました。この個体は1928年製で、1940年代初めまで航空測量に使われていました。引退後はブローカーの手により保管され、その会社の創業者によって当館に寄贈されて今に至ります。塗装はカナディアン・トランスコンチネンタル航空の形態ですが、この個体の経歴には無いはずです。
主翼は根本で折りたたむことができます。これにより小さな納屋に格納するなどが可能です。北極圏での運用では、翼を畳んで防氷シートで覆うことがあったそうな。
スティンソンSRリライアント (Stinson SR Reliant) です。1933年初飛行。アメリカのスティンソン社で開発された4~5名乗りの多用途機。190機くらい生産されたんだそうな。カナダでの運用実績はあまり無いそうで・・・。この個体は1933年製でウィリアム・リアの個人所有でした。ちなみにこの人がビジネスジェットのリアジェットの創設者となります。胴体の後ろ側にジェットエンジンを搭載しているからリアジェット・・・ではなくて、人名が由来なんですよね。英語の綴りを見ればすぐ分かる話なんですが、勘違いしやすいです。その後1953年にI・I・ハンドバーグに購入されるまで幾人もの所有者の間を渡り歩き、ハンドバーグによりカナダの登録番号を得ました。これがカナダの登録番号を持った2機目のリライアントです。1963年にノースランド航空が購入してこの時に内外装を色々改造されたようです。最後は1983年にアキーラ航空機修理社がこの機を復元して、博物館に売却したそうな。
樹体に加えて小道具が置かれていて、情景展示になっています。整備中のご様子。エンジンカウルは外された状態です。
機体に積み込む貨物もあります。
1930年代になると機体も金属化されているようです。後年の改造によるものかもしれませんけど・・・。
デ・ハビランド・カナダDHC-2ビーバー (De Havilland Canada DHC-2 Beaver) です。1947年初飛行。ご存知、カナダの産んだ名作です。カナダで開発されたブッシュプレーンとしては初めての全金属製です。比較的重いペイロードでも発揮される短距離離着陸性能と陸上、水上、雪上で運用可能な汎用性の高さが魅力です。1968年まで長期間製造され、製造数は1,600機以上と大ヒットでした。そのうち大半はアメリカ軍の発注でしたが。今も現役機が多数飛んでいますね。この個体は1,600機いるビーバーの中で最初に製造された初号機です。カナダでこういう初号機が博物館で保存されている例は意外と無いんですよね。初めてかもしれないです。
機体は水上機形態で展示されています。フロートの後ろには水上タキシング中に方向を変えられるように舵が付いています。
フロートの脚と胴体はこんな感じで繋がっています。意外と細いなっていう。
尾輪の接続穴。
尾部。このくらいの小型機が好きですね。矩形断面の胴体は貨物を積むのに適していそうなのです。ビーバーに乗ったことはないですが、撮影では何度も見かけている機体なので、ここで初号機に会うことができて嬉しかったです。
というところで今日はここまで。
その49へ→
当時のユンカース機らしいコルゲートの入った全金属製ボディです。このボディを見たのは初めてだったかも?ちょっと感動しますよね。ブッシュプレーンのはずですが低翼機です。たぶん最初からブッシュプレーンとして開発されていなかったからだと思いますが・・・。ちなみに機体の周りには小道具が置かれていて、ブッシュプレーンとはなんぞやという演出に機体ともども使われています。
ユンカースで運ぶんだろう物資ですね。この時代に段ボール箱は無いので、当然木箱です。こういうのもあって当時材木の需要は高かったわけです。
サムソン・モデルMというトラクターです。物資をここまで運んできたのかな?
機体は何をされているかと言うと、フロートの横についている車輪を外しているご様子です。そして、その横にあるスキー板へ履き替えようとしているみたいです。車輪を浮かして取り外すためにホイストで機体を吊り上げています。
エンジンのある機体前部が重心近くなので、そこを持ち上げるほうが良いということでしょう。
車輪を取り替えているパイロットのジョー(仮名)です。一人でも交換作業ができるのが汎用性の高さに繋がっているのだ、という展示なんでしょうかの。
横に置いてあるスキー板です。これを履けば雪原で離着陸できるのです。というか冬季だとカナダ北部の辺境の湖は全面結氷するでしょうから、離着水できないんだと思います。
何年もの間ず~っと機体の横で「車輪が外れない・・・」と困って固まっているジョーくん(仮名)。飛び立てる日は来るのか。いや来ない。
フェアチャイルドFC-2W-2 (Fairchild FC-2W-2) です。1926年初飛行。アメリカのフェアチャイルド社が航空測量用に開発した7名乗りの多用途機です。カナダ北部の遠隔地での運用にも適していて、1920~1930年代のカナダ開拓に重宝されました。カナダ空軍でも写真調査と連絡用に使われていました。この個体は1928年製で、1940年代初めまで航空測量に使われていました。引退後はブローカーの手により保管され、その会社の創業者によって当館に寄贈されて今に至ります。塗装はカナディアン・トランスコンチネンタル航空の形態ですが、この個体の経歴には無いはずです。
主翼は根本で折りたたむことができます。これにより小さな納屋に格納するなどが可能です。北極圏での運用では、翼を畳んで防氷シートで覆うことがあったそうな。
スティンソンSRリライアント (Stinson SR Reliant) です。1933年初飛行。アメリカのスティンソン社で開発された4~5名乗りの多用途機。190機くらい生産されたんだそうな。カナダでの運用実績はあまり無いそうで・・・。この個体は1933年製でウィリアム・リアの個人所有でした。ちなみにこの人がビジネスジェットのリアジェットの創設者となります。胴体の後ろ側にジェットエンジンを搭載しているからリアジェット・・・ではなくて、人名が由来なんですよね。英語の綴りを見ればすぐ分かる話なんですが、勘違いしやすいです。その後1953年にI・I・ハンドバーグに購入されるまで幾人もの所有者の間を渡り歩き、ハンドバーグによりカナダの登録番号を得ました。これがカナダの登録番号を持った2機目のリライアントです。1963年にノースランド航空が購入してこの時に内外装を色々改造されたようです。最後は1983年にアキーラ航空機修理社がこの機を復元して、博物館に売却したそうな。
樹体に加えて小道具が置かれていて、情景展示になっています。整備中のご様子。エンジンカウルは外された状態です。
機体に積み込む貨物もあります。
1930年代になると機体も金属化されているようです。後年の改造によるものかもしれませんけど・・・。
デ・ハビランド・カナダDHC-2ビーバー (De Havilland Canada DHC-2 Beaver) です。1947年初飛行。ご存知、カナダの産んだ名作です。カナダで開発されたブッシュプレーンとしては初めての全金属製です。比較的重いペイロードでも発揮される短距離離着陸性能と陸上、水上、雪上で運用可能な汎用性の高さが魅力です。1968年まで長期間製造され、製造数は1,600機以上と大ヒットでした。そのうち大半はアメリカ軍の発注でしたが。今も現役機が多数飛んでいますね。この個体は1,600機いるビーバーの中で最初に製造された初号機です。カナダでこういう初号機が博物館で保存されている例は意外と無いんですよね。初めてかもしれないです。
機体は水上機形態で展示されています。フロートの後ろには水上タキシング中に方向を変えられるように舵が付いています。
フロートの脚と胴体はこんな感じで繋がっています。意外と細いなっていう。
尾輪の接続穴。
尾部。このくらいの小型機が好きですね。矩形断面の胴体は貨物を積むのに適していそうなのです。ビーバーに乗ったことはないですが、撮影では何度も見かけている機体なので、ここで初号機に会うことができて嬉しかったです。
というところで今日はここまで。
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