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Channel: 黒鉄重工
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陸上自衛隊の訓練展示を見学する 最終回 【2014/07/06】

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帰りましょう帰りましょう。
帰りの送迎バスは白無垢ブルーリボンII。



その後は自動車で富士宮までワープ。「むめさん」という食堂で遅めのお昼とします。



富士宮やきそば。おいしいです。同じ県内でもほとんど食べることはないです。はい。
あとはお好み焼きも食べました。こちらも美味。



腹ごしらえを済ませた後は、同じ富士宮市内にある若獅子神社へ。
ここには第二次世界大戦時に日本帝国陸軍が使用していた九七式中戦車チハが保存・展示されています。



チハたん!
チハは第二次大戦時の陸軍を代表する戦車で、大戦末期まで陸軍の主力を務めました。それだけ性能がすごかったわけではなくて、日本軍お得意の後継機開発の遅れによるものなわけですが。
九七式中戦車は、九五式軽戦車の補助と歩兵部隊の支援目的で開発されました。「チハ」の由来は「中戦車」の「チ」と「いろはにほへと」の「ハ」、つまり3番目に制式化された中戦車という意味。
装甲は25mm、主砲は57mm砲を装備。エンジンは当時先進的だったディーゼルエンジンを搭載。
就役時には世界水準の戦車でしたが、武装強化が出来なかったりそのせいですぐに陳腐化してしまったり戦車の充足率が足りなかったりで、まあアレだった模様。
当地に保存されているチハはサイパン島に投入された戦車第9連隊所属の車両で、戦後約30年間土中に放置されていましたが1985(昭和50)年に日本へ帰還しました。



チハが保存されている若獅子神社ですが、大平洋戦争時の陸軍少年戦車兵とその教官600余名の英霊を祀っている神社で、神社の敷地も元は陸軍少年戦車兵学校だったものです。
「若獅子」の由来は、少年戦車兵の愛称から来ています。



砲塔。砲塔の上を囲っている無線アンテナが無いのであっさりとした印象。
ちなみに帰還戦車はもう一両いて、それは靖国神社にて保存されています。



修復された遊就館の車両と違い、こちらは土中から発見された時と同じ状態のままで錆びた車体が剥き出しです(クリア塗料は塗られているようですけど)。
白い丸で囲われたところは弾痕です。これもそのまま。



破壊された履帯と転輪。
きちんと修復してあげるのが一番なんでしょうけど、やっぱりこれはこれでクルものがありますね。戦争いけない。



良い物を見させていただきました。



拝殿。神社としては小さな規模です。



若獅子の塔。



最後に、神社の入口の道には戦車兵学校の正門だったものが。



なんと表札も残っていました。貴重な旧陸軍の遺産です。


これで撤退し、帰宅しました。
おしまいです。

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