館内の見学を終えたら、再び屋外展示を見に行きます。最初とは別の場所です。もちろんこのデカブツを見るため。
「こんなの飛行機じゃないわ!羽の付いたカヌーよ!!」
「だったら漕げばいいだろ!!」
この羽の付いたカヌー飛行機、名前は「二式飛行艇」、通称「二式大艇」と呼ばれている海軍の大型飛行艇です。
羽の付いたカヌーと呼ぶには畏れ多い、当時の飛行艇としては脅威の高性能を誇る日本軍の傑作機のひとつでした。戦後しばらくもこれに敵う飛行艇は存在しなかったとかなんとか(まあ他国は日本ほど高性能な飛行艇が必要じゃなかったというのが実際のところなんでしょうけど)。
日本軍機には珍しい四発機。強力な火星エンジンを搭載したことで最高速度は465km/h。攻撃力も20mm旋回機銃5門と高く、敵機を撃墜したことも。その上防弾装備もばっちり。
他にも航続距離7153km、爆装として250kg爆弾8発、24時間飛べる、ベッド、トイレ、冷蔵庫付きなど。恐るべし飛行艇じゃ。
この426号機は、戦後アメリカ軍が性能試験を行うため接収し、本国で試験運用されました。その時、米軍士官が「日本は戦争には負けたが、飛行艇では世界に勝った!」との言葉を送ったとか。まあ賞賛しときながら日本の航空産業を解体していくスタイルなのがお笑いですが。ジョークのつもりか?
試験終了後しばらくしてスクラップになるところを船の科学館の笹川良一初代館長が船の科学館での受け入れを表明。1979(昭和54)年7月に二式大艇は日本に帰還し船の科学館にて展示されました。
その後2004(平成16)年4月、船の科学館から海上自衛隊鹿屋航空基地資料館に移され今に至ります。
現存する二式大艇は世界でもここだけ。これほどまでのデカブツをよくアメリカから帰還させ、今に至るまで保存してくれたことには本当に頭が下がります。保存状態も、屋外展示のどの機体よりも良いです。
この後見るUS-1飛行艇と合わせて日本の航空機史を知る上で重要な史料だと思うので、今後も大切にされることを願ってやみません。
今回の旅行で一番の楽しみだった二式大艇の見学。見ることが出来て本当に良かったです。
さらに史料館の裏側にある展示コーナーへ。またもや魚雷が。ハイパーズたちにはたまらない場所ですね。
上が八九式魚雷、下が九二式魚雷。共に艦艇用ですがいわゆる酸素魚雷ではないですね。これにはハイパーズもがっかり。吹雪にでも持たせよう(提案
これはなんの魚雷だか分からなかったですが、米軍の短魚雷なのかな?
零戦二一型のプロペラと栄一二型発動機。漁師が網を引き揚げたら偶然一緒に巻き込んでいた模様。水没するとっていうか不時着水するとプロペラって簡単に曲がるもんなんですね。
艦上攻撃機天山一一型のプロペラ。これも漁業網に引っかかったもの。\テーンザーン/
局地戦闘機紫電改の誉二一型発動機。ダイビングかなんかをしている時に見つけたらしい。半分ほど脱落していますな。
そしてその奥にはUS-1A救難飛行艇が。対潜飛行艇PS-1を救難機用に仕様変更したもの。
先ほどの二式大艇を開発した川西飛行機の後進、新明和工業が開発した飛行艇です。そのためか、全体的に二式大艇に似た外観をしています。
これも二式大艇譲りの長い航続距離と、荒れた外洋でも着水できる能力、さらに二式大艇には無かった陸上への着陸能力など高性能に仕上がっている様子。
現在はそれをさらに向上させたUS-2に移行してますね。最近はインドへの輸出が内々定したみたいな話もありましたね。
P-2J。前々回も見た対潜哨戒機。この4783号機はラストナンバーで、除籍前は鹿屋基地所属機だったもの。
これで鹿屋基地編はおしまい。楽しかったです。
鹿屋基地近くのコンビニで昼飯を調達します。昨日ホテルの料理を食べきれなかった反省から、おにぎりだけという軽いお昼にしました。
そして次に訪れたのは、鹿屋市役所の近くにある「鹿屋市鉄道記念館」。国鉄大隅線のなんやかんやを伝えるために建てられた記念館です。
入口にはED76形48号機の動輪が。48号機は鹿児島国体でお召し列車に指定された機体です。
記念館の目玉はこのキハ20形441号車。大隅線で最期を迎えた車です。
いつもは車内に入れるのですが、ちょうどこの日は休館日でしたので外から眺めるだけ。記念館にも入れませんでした。また来ます。
腕木式信号機。動いているところは見たことないです。
保線用モーターカー。なんかクレーンみたいなのが付いていますね。
保存車両は屋根付きで定期的な補修もされているようで、状態は良いです。前照灯がブタ鼻じゃない原型のものなのがひそかなポイントですね。
ちなみにこの記念館は旧鹿屋駅の跡地に建てられています。
駐車場の裏には駅名標が。鹿屋の他にも大隅線各駅の駅名標が立っています。
これでこの日の訪問先は全て消化。鹿児島市内にあるホテルへと向かいます。