書く前は4回くらいで終わると思ってたFHC編だけどようやく半分過ぎたくらいですよ。今回は箸休めに陸戦兵器を見ていきましょう。
17台目はサンダース大学付属高校アメリカ陸軍の偉大なる凡作ことM4A1シャーマン中戦車。アメリカ戦車といえばこれ。
他国の後塵を拝していたアメリカ戦車の水準を一気に第一線にまで持ち上げた戦車です。量産開始は1942年からで、意外と遅い。第二次世界大戦序盤まではウサギさんチームのアレことM3リー中戦車で凌いでいました。
アメリカの工業力を端的に表した兵器のひとつと言え、様々な工場で同時に生産されました。なお生産数は約5万両。比較にドイツのティーガーが1300両、ソ連のT-34が8万両でごわす。ついでに日本の九七式中戦車(チハたん)が2100両(悲
また、各工場の長所を活かすため車体の製造法(鋳造/溶接)やエンジンの種類(星型エンジン/ディーゼルエンジン/ガソリンエンジンなど)がそれぞれ異なっているのが特徴。こうなると部品があべこべで現場での運用に支障が出そうですが、機体構成は同一とし部品にも互換性を持たせることで、信頼性を高めています。たぶん前線ではニコイチとか普通にやっていたと思います。
このように生産性と信頼性はピカイチだったんですが、性能はそこそこといったところで、1対1ではパンターやティーガーなんかにはまるで歯が立ちませんでした。ただ、戦車道ならともかくこれは戦争なので、ティーガー1両に対しシャーマン5両で食い破るというアメリカらしいマッチョな物量作戦で押し切りました。戦いは数だよ兄貴。
アメリカはやっぱり飛行機が強い国なんだなとか思ったり。
これはM4A1という最も早く量産・実戦投入されたタイプ。なのですが、1945年まで生産は続けられています。
M4のサブタイプは色々あるんですが、その付け方は他の戦車と異なっています。普通なら、例えばドイツのIV号戦車なら最初の量産型のA型、それを改良したB型、それをまた改良したC型・・・という風に仕様変更ごとに1つずつ増えていきます。
ところがM4は多数のサブタイプが並行して造られていました。各工場での製造法や搭載エンジンの違いごとに細かくサブタイプが付けられてたんですね、はい。さすがアメリカ。
で、M4A1はどういう奴なのかというと、車体は鋳造、エンジンは航空機用星型エンジンというもの。鋳造車体のM4はこのM4A1だけなのですよ。あとは現存するM4の大半がイージーエイトことM4A3E8なのも相まって、なかなかレアだと思いますよ。なので、これ見たさにここに来たってのはあります。
丸っこい鋳造車体が可愛くて、私の中で行われた「好きなM4ランキング」堂々の1位を獲得しています。ちなみに2位がファイアフライ、3位がイージーエイトで、以下同率。
後部。この車高の高さは戦車としては不利なのですが(ただシャーマンだけ特別背が高いわけでもないのだが)、私個人としては好きな形状。正面から見た時のスタイルは美しいです。
戦車といえばスコップ、ロープ、予備履帯などといった付属品を車体に取り付けていることが多いのですが、この個体にはそれを再現してあってそれっぽいです。屋外展示とかだと付属品がついてない場合が多いんでこれは嬉しい。
この個体はプレスドスチール製で1943年アメリカ陸軍に配備、米本土での訓練用に使われますが、1945年初頭にオランダ陸軍へリース、退役後はマニアに取得されました。
2011~2012年にアメリカ陸軍第7機甲師団第31戦車隊の塗装に復元されました。リアの7△31△はそういうことなのね。
18台目、カメさんチームドイツ陸軍のヘッツァー駆逐戦車。通称へったん。超重戦車マウスを持ち上げたことは一部ではあまりに有名。
1943年11月にIII号突撃砲の生産工場が連合軍に爆撃されたため急遽開発された駆逐戦車。本当はIII突を生産させるつもりだったものの生産を打診されたBMM社にIII突を造る能力はなかったため、BMM社が製造していた38(t)軽戦車をベースにしたもの。1944年3月に試作車が完成し、以降約2800両が量産されました。
戦車砲は75mm砲で、車体は傾斜装甲を採用、おかげで車内は超狭かったらしい。シャーシや足回りは75mm砲搭載のために再設計しているので、38(t)とは似て非なる者。ガルパン劇中で38(t)からヘッツァーに改造していたけどあれは本当にムリヤリなのだ。まあツッコむだけ野暮なんだけど。
生産性と稼働率は良かったものの性能と運用性はどうもいまいちだったらしい。熟練搭乗員なら距離1000mから初撃命中出来たというけど、この頃それだけの射撃手はどれだけ残ってたんだかという感じであります。
後ろから。お尻もかわいい。へったん∩(・ω・)∩ばんじゃーい。
駆逐戦車なので旋回砲塔は付いていません。砲塔を無くした分軽くなった重量を大型の戦車砲に回して火力を上げるという方法を採っています。
この個体は戦後にチェコスロバキアで造られたもの(いわゆるST-Iか?)で、バラバラだったパーツを組み合わせて造り上げたらしい。
19台目、イギリス陸軍の17ポンド対戦車砲Mk.I (Aust.)。文字通り戦車をぶっ潰すための大砲。初速・貫徹力に重きを置いた設計になっている、対戦車道の主力兵装のひとつです。
2ポンド砲と6ポンド砲で戦争を始めたイギリスでしたが、ドイツ戦車の硬さに歯が立たず、イギリスの兵器選定委員会は800ヤード(約730m)先から120~150mm厚の正面装甲を破壊できる初速2700ft(約820m)/秒の17ポンド弾を発射するための対戦車砲の取得を決定、1942年から製造が始まりました。
イギリス最強の対戦車砲で、上記のM4戦車の派生型のひとつシャーマン・ファイアフライにも搭載されたのは有名ですな。
後ろから。射撃時には後ろ脚を展開するんですね。
対戦車砲は射角をほぼ水平にして射撃するので仰角を取るための余裕は無いです。これは高さを抑えることで敵戦車からの低視認性にも繋がります。
この個体はイギリスではなくオーストラリア製。オーストラリアでは128門製造され、一部は朝鮮戦争で実戦投入されました。これがそれのひとつなのかは分かりませぬ。
20台目、ドイツ軍88mm Flak37対空砲。あ、アハトアハトだぁ!
日本ではたぶんあまり知られてないと思うけど、欧米じゃ有名らしいよ。連合軍の爆撃機を撃墜するための対空砲です。他にも、写真では水平状態で展示されていますが、これ水平射撃も可能で対戦車砲としても使われていました。とあるオーストリア兵は「88は対空砲だとか対戦車砲だとかそんなチャチなもんじゃねぇ、対全兵器(原文はanti-everythingなんだけど上手い訳が・・・)だぜ」と証言しており、連合国は相当ビビッてたそうな。
発射間隔は15発/分で、これを大量に配置してバカスカ撃って爆撃機を落としていました。高高度を飛ぶ爆撃機相手に狙って当てられるようなものではないので、数撃ちゃ当たる戦法ですね。それでも射撃管制レーダーを駆使したことで、命中率はイギリスよりもかなり高かったそうです。確か対空砲4~6門合わせた1ユニットで3000発くらい撃ってようやく1機。イギリスはこれの数倍以上弾を消費するんですから、どちらも途方も無い数字よの。
21台目、ドイツ軍150cmサーチライト&24kW発電機。日本語だと探照灯(海軍)とか照空灯(陸軍)とかいうやつです。150cmというと戦艦「大和」に搭載してあったのと同じ大きさです。
上記の88mm対空砲の支援装備のひとつで、サーチライト、可搬式発電機、聴音機、運搬用トラック3台、要員13名から成る「サーチライト部隊」により運用されていました。さらに1ユニット対空砲4基の部隊に対してサーチライト9基を運用していたとのこと。
夜間爆撃してくるイギリス空軍を見つけるために聴音機と光学照準器で目標の位置を見つけ追跡しサーチライトで照らして対空砲で叩き落とすという算段のようです。
光度は9.7億カンデラで、これは高度1.3万~1.5万ftで7300m先を照らせるというもの。消費電力は77ボルトで200アンペアなので15kW/h。多いのか少ないのか分からないですけど。
ドイツ軍は昼夜問わずレーダーを使って対空砲を運用していたはずなんですが、レーダーのカバーできない地域はこういうのを使っていたのかもしれませんね。
こっちが発電機。8気筒51馬力エンジンで、1500rpmで直流200A150Vを発電していました。
22台目、プラウダ高校ソ連軍のT-34/85。第二次世界大戦時の傑作戦車のひとつです。これも有名どころですね。
接地圧の少ない幅広の履帯(見きれいているシャーマンと較べてみよう)、強力な76mm戦車砲(後に85mm砲搭載車も出現)、車体の装甲を斜めに取り付けることで見かけ上の装甲厚を増す傾斜装甲と、走攻守に優れたバランスの良い戦車です。生産性もずば抜けて高く、1945年までに約5.7万両、最終的には約8.4万両が造られました。戦車としては史上最多です。今でも軍で現役の車両があるとかないとか。
ただ、それを動かす人間に対しては配慮が疎かだったり、生産性を上げるために質を妥協するなど、工業製品としては今ひとつといったところだったらしい。その点はシャーマンには及びませんな。
あとは正面に設けられたハッチが特徴的ですかね。他の戦車ではあまり見ない構造だと思います確か。こんなん弱点になるに決まってんやんって思うんですがどうなんですかこれ。ちなみにハッチが開いているのはT-34の展示ではおなじみの方法らしい。
横から。これはT-34/85なので85mm砲を搭載したタイプ。ケレン味があって好きです。
ティーガーやパンターといった例のドイツ戦車への対抗策として造られましたが、それでも敵わなかった模様。なので物量で押し切りました。
この個体は第二次世界大戦末期に生産されたもの。復元に際し足回りの走行ギアはチェコスロバキア製のVT-34戦車回収車に置き換えられています。アメリカでT-34が見られるところは少ないのでなかなか貴重。私があとアメリカで知っているところは今営業しているのかしてないのかよく分からないアバディーンくらいです。逆に欧州ではそこら中にあるとか。
白一色の冬季迷彩に塗られています。ガルパンでも出てきた塗装ですな。ロシア語はさっぱりなので砲塔になんて書いてあるのかは知りません。
後ろから。
目を引くのが燃料タンクと思しきタンクですが、これ本当に燃料タンクです。なんて危ないことを、と思うんですが、実はT-34のエンジンはディーゼルエンジンなのです。これの燃料は軽油なので被弾しても燃えにくいのです。まあそれでも機外燃料なんて怖いと思いますけど。
T-34は航続距離が長いのが特徴ですが、それはこの燃料搭載量の多さとディーゼルエンジンの燃費の良さから来ています。
それから、同世代の戦車は極一部を除いて揃い揃ってガソリンエンジンを採用していて、T-34のディーゼルエンジンはかなり先進的と言っていいです。その後の戦車設計の手本になったとかいうT-34ショックというのは伊達ではないのだなぁ。ちなみに、私の知る限りディーゼルエンジンを搭載したその極一部の戦車はあのチハたんとはっきゅんです。目の付け所は良かったんだねぇ。なお工業力。
以上です。ガルパンに出てきた戦車ばかりで行った当時は盛り上がりましたね。
はい、今日はここまで。
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