FHC編も今日でオシマイですよ!長かったですね、本当に!
というわけで、27機目はアメリカ陸軍のデブことリパブリックP-47D「サンダーボルト」。初飛行1941年5月。総生産数約15,600機。
見た目はトロそうですが第二次世界大戦時最強の戦闘機のひとつに挙げられるほど性能は良いです。零戦じゃ相手にならないでしょうなぁ。
その秘密は、アメリカの至宝R-2800ダブルワスプエンジンを搭載し、単発単座戦闘機のくせに排気タービン(ターボチャージャー)を搭載していたことでエンジンの高出力化と高高度性能を確保していたこと。
当時ターボチャージャーを実用化し大量投入していたのはアメリカだけで、他の国はスーパーチャージャー(機械式過給器)を装備していました。エンジン出力の一部を拝借して過給器を動かすスーパーチャージャーと異なり、ターボチャージャーはエンジン排気を利用してタービンを動かし過給器を動かすのでメカニカルロスが少なく、より効率的です。
このターボチャージャー、現在の自動車エンジンに積まれているのと比べると巨大なサイズでした。単発戦闘機に積もうとは思わない大きさなので普通はB-17のような爆撃機か双発戦闘機P-38のような大型機に装備されていました。ところがこれを単発戦闘機に載せちゃおうと思いつくのはアメリカらしいマッチョな考えだと思います。
放熱のためにB-17やP-38ではターボチャージャーは機外にむき出しに配置されていたんですが、P-47の場合は機内に埋め込んでしまいました。なので放熱のためのエアダクト、さらにエンジン排気を伝えるためのダクトも機内に流れています。これがP-47デブ化の原因です。
反対側から。威圧感がすごいですね、こいつは。プロペラもデカイし。零戦が小魚に見えるよ。
ただし厚みがあるのは縦方向なのでデブなのは横から見た時で、上から見ると意外に細い体つきをしています。人間を限られた一面からしか見ないのは良くない、ということですかね。
固定武装は12.7mm機銃8門というマッチョなもの。米軍機は12.7mmの多連装装備が好きですが、これは弾をばら撒いて命中率を上げる、それと機銃が一部ジャムっても大丈夫なような冗長性確保が目的・・・だったはず。20~30mmを好んでいた枢軸国側とは対照的ですが、少なくとも紙装甲の日本機相手なら12.7mmでも余裕だったでしょうね。ドイツ機は知らん。
あとは爆弾やロケット弾もたくさん搭載でき、対地攻撃にも使ってました。主翼下にハードポイントがたくさんついてますでしょう?リパブリックの戦闘爆撃機の伝統はここから始まっていたのですな。
このP-47は1945年6月にアメリカ陸軍に納入され、1950年代にブラジル空軍へ売却。1980年代にアメリカへ返還されて1998年にFHCが取得。
第9空軍第150戦闘飛行隊指揮官だったシアトル出身のパイロット、ラルフ・C・ジェンキンス大佐搭乗機の塗装に塗られています。
ちなみに彼が乗ったP-47には「タラハシー・ラッシー」という固有の愛称が付けられていました。タラハシーの少女という意味です、犬の名前じゃないよ。タラハシーはフロリダ州の都市で、彼の妻シエロの出身地だそうな。
どうもアメリカ人はこの手の妻か母親にちなんだ名前をつけることが間々ありますな。
28機目、三菱 零式艦上戦闘機二二型。P-47を見た後だと本当に小魚・・・。
ところで、二二型は初めて見ましたなぁ。というか残骸含めて日本機を4機も持ってるってFHCすごい。日本顔負け・・・。
サブタイプから見て二一型の派生型に見えますが、実は三二型の系列。ややこしい・・・。
そも三二型は、エンジンを五二型でもお馴染みの栄二一型に換装して、主翼長さを短縮したタイプ。アメリカ機よろしく主翼形状が角ばっているアレです。速度やロール性能向上を狙ったとか。
ところが主翼設計変更に伴う燃料タンク容積減少により(エンジン出力増加による燃費悪化とも)航続距離が短縮されてしまいました。そこで二一型と同様の主翼に再設計することでこれを解消したというのが二二型です。
この再設計、たぶん場当たり的に行われたと思われ、三二型も二二型も型式番号は同じA6M3になってます。外観も性能も全然違うのに・・・。FHCでの表記ではA6M3-22と書かれとりました。
あとこれ、二一型との違いが分からないんで、「これ実は二一型なんやで」って言われても信じてしまいますな。エンジンは異なりますが、んなところ見ても分からないし、推力式単排気管は五二型以降に付けられるし。
正面から。何やら整備中だったので撮影する気がなかったのかろくな写真撮ってなかったですね。うーん・・・再履修。
この零戦はニューギニアで撃墜されたものを普段はどんな仕事をしているのか知りたいアイツらことウォーバードハンターが1990年代に発見しました。
撃墜機でその後も長期間放置されてたということで損傷が激しかったらしく新造部品が多いらしいです。エンジンも別物。それでもロシア人の手により無事フライアブルにまで復元されました。
ちなみに復元時に複座型に改造されています。複座改造機は確かにいましたけど(上野で展示されてる)、なんでそんなことしたんだ?
29機目、アメリカ海軍のデブことグラマンF6F-5「ヘルキャット」。初飛行1942年6月。総生産数約12,200機。
直訳すると地獄ネコですが、本当のところは性悪女とかあばずれとかです。ネコ縛りとはいえ変な名前つけるよなぁ。三菱チンピラ艦上戦闘機みたいなもんですよ。嫌でしょう、そんなの。
F4F直径の後継機で、F4Fをそのままでかくしたような感じです。
エンジンはP-47も装備しているR-2800。ただしF6Fにはターボチャージャーではなくスーパーチャージャーを装備しています。なので過給器のサイズや配管周りにはそんなに困らないと思うんで、そんなにデブになること無いはずですけど・・・。
そもそもR-2800がでかいからと思いましたが、F4Uコルセアも同じエンジンを積んでいて、なおかつコルセアは胴体を限界まで絞っているのであのくらいの細さにまでいけるはずなんですよ。なんでこんなにデブになったのかはよく知らんです。ただしこれもP-47と同じで縦にデブなので上から見ると、いやん意外とスリムだわとなるのです。
コックピット辺り。硬そうなんだよなぁ。
撃墜マーク5個が書かれていて、エースパイロットということに。零戦のライバルと言われることもありますが、基本的に零戦が一方的にやられてたのでライバルと呼ぶには恐れ多い気がします、はい。
脚周り。
海軍機の特徴として主脚は前後方向に収納する形を採っています。これは、空母に格納する際に主翼は折り畳んで省スペース化を図れるように、少しでも多くの面積を折りたたむためです。機構としては複雑になってしまうので、主翼にそういった制限のない空軍/陸軍機はより単純な左右方向に収納する形を採用しています。ただしP-40はなぜか前後方向に収納してるんだよなぁ・・・。
余談ですが前任者のF4Fの主脚は、胴体に直接主脚を収納するという他では見られない方法でした。個人的にあの脚はかなりかわいいと思います。
後ろから。
この機体の出自はよくわからないです。F6F、アメリカだと人気無いんであまり調べてないのかも。あとは、アイスランド経由で大西洋横断をしたことがあるようです。
30機目、スケールド・コンポジッツ スペースシップワン。ただしレプリカ。実物大模型だったかなぁ、確か。
2004年6月に民間機として史上初めて宇宙空間に到達した機体です。大気圏外とされている高度100kmまで到達しただけで、あとは落ちただけ、地球周回をしたわけではないです。それでも航空宇宙史にその名を残しました。宇宙開発が国家主導で行われてきた中で、初めて民間機が宇宙へ飛んだというのがミソなのですな。
元々は、「一番最初に宇宙飛行をした民間団体に1000万ドルあげちゃうよ」という懸賞をその名もX懸賞財団という団体が設けたのが始まりでした。変わった財団もあるもんだ。
無人ロケットを打ち上げればいいわけではなく、乗員1名+2名(もしくはそれ相当の死重)を乗せて高度100kmまで到達、その後2週間以内に同一の機体でもう1回高度100kmを突破するというものでした。
スペースシップワンはその懸賞を獲得するために造られた機体で、初めは母機「ホワイトナイト」に吊り下げられて離陸し、空中で母機から切り離されロケットモーターで上昇、上昇後はグライダーのように滑空していくという方法を採っています。
で、2004年6月21日に高度100kmに到達。その後少し間を置いて、9月29日と10月4日にそれぞれ高度100kmを突破、X懸賞を手に入れたのでした。10月の飛行では高度112kmまで到達したんだそうです。
とにかく変わったデザインなのが特徴で、主翼端からブームが伸びてそこから水平尾翼と垂直尾翼が目立ちます。SFの世界な感じです。
この機体は前述のとおり6機造られたレプリカのうちの1機です。X懸賞財団が子供への教育目的のために造らせたとか。なお本物はスミソニアンが抑えています。
ちなみに垂直尾翼に書かれている文字、スペースシップワンの下に書かれているのはポール・アレンの文字で、なるほどこの計画に出資してた経緯でこのレプリカを取得したのか。それでもさすがに天下のスミソニアンには敵わず(?)本物は無理だったらしい。
現在は宇宙旅行向けのスペースシップツーを開発運用しているようですが、どうもなかなか実用化できていないようです。
ていうか、ネーミングセンスが壊滅的に安直なんだよなぁ。前任機がスペースシップワンだったんだから、その次はスペースシップニャンにするくらいのジョークを見せて欲しい。
あとそれと、正面からの写真一枚も撮ってなかったのでこれしかないです。いい加減スギぃ!(一応、ハンガーを見渡した写真に前から写った宇宙船犬がいるけど
31機目、スケールド・コンポジッツ ホワイトナイト。スペースシップワンの母機だった機体です。
これもスペースシップワン同様双ブーム双垂直尾翼で、これの設計者はこういうデザインが好きなのかしらん。
スペースシップワンはレプリカでしたが、ホワイトナイトは本物です。ポール・アレン繋がりということなんでしょうな。思ったよりデカくないなという印象ですね。
32台目、Flak37。ここにもあったか。
特にさっき見たのと同タイプなようなので解説省略(手抜き
33台目、アメリカ陸軍M1A1エイブラムズ訓練用砲塔。名前通りアメリカの主力戦車M1A1の訓練用砲塔です。
戦車の砲塔というのはよく知りませんが、車体に埋め込む部分も含めて高さはこんなもんなのか。この中に車長、装填手、砲手の3人が乗り込むんだそうな。
34台目、Flak37。またお前か!ポールおじさんはFlakマニアか何かか?
この個体は何やら防盾っぽいのが付いてます。それ以外は今までと同じっぽいのでやはり省略(手抜き
以降、見たことも聞いたこともないシリーズが続きます。
35台目、ドイツ陸軍Sd. Kfz.7 8トンハーフトラック。
ドイツ機甲部隊の電撃戦を影で支えていた車両の一つ。見ての通り兵員輸送車(乗員11名+運転手)でもありますが、本来のところで言えば牽引車なんだそうな。これの隣においてある88mm砲だとか100mm砲、150mm砲も運んでいました。対空砲を積んだ自走砲だとかV-2ロケットの発射制御車だとか派生型も色々生み出されたようです。
駆動輪は無限軌道とすることで不整地走破能力を高めています。戦車が走れるところはほとんど走れたようです。後部には折りたたみ式の幌が装備されていて、悪天候時に威力を発揮します。
ふ~ん、よう知らんわ、としか・・・。
36台目、ドイツ陸軍Sd. kfz.2 ケッテンクラート。
バイクと履帯車両を組み合わせた感じの小型車両。「ケッテン Ketten」は無限軌道、「クラート Krad」はクラフトラート Kraftradの省略形で二輪車と言う意味で、2つ合わせると無限軌道バイクとでもいうところかしら。
兵員、軽野砲、通信ケーブルなど軽量物の牽引に使われていました。履帯なのでやはり走破性は高いです。変わったところではトーイングカーのように地上にいる飛行機の移動にも利用されました。
8300両以上が生産されたらしく、結構な数がいたようです。トラクターとして使うのに適していたので戦後も約500両が新規生産されたり他にも既存車から改造されました。
これがラスト、37台目はアメリカ陸軍M55 203mm自走榴弾砲。
1950年代前半に開発された自走榴弾砲。最大射程は約17km。
パットン中戦車の車体をベースに設計されていますが、エンジンを後部から前部へ配置変更していたりしているのであまり面影は感じません。
装甲厚は最大25mmで、小火器程度なら防御可能なほか、放射性物質にもある程度耐えられた模様。
陸軍の他に海兵隊でも運用され、ベトナム戦争で実戦投入されたようです。
出自に関しては不明。まだレストアしてないようで、くたびれてますね。
はい、これで全て見終わりました。あとはMiG-29があるんですけど、デカイんでいつもは公開してないみたいです。残念。
ええ、書くのに時間かかりましたねぇ・・・。滞在時間はものの90分間だったんですけどねぇ。
ここも夏にエアショーを開催して珠玉のコレクションを飛行させているので、また行ってみたいです。
はい、今日はここまで。次の襲撃先に向かいますよ。
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