静浜基地航空祭を満喫して焼津駅に戻ってきたわけですが、もう一箇所寄り道していきます。ただしその前に続々と駅へやってくるしずてつジャストラインの航空祭シャトルバスを見物します。
写真はふそうエアロスターK。
日野レインボーRJ(岡部)。ライトリムも車体色に塗られたやつ。
いすゞエルガLV234(丸子)。ホイールが無塗装ですね。
日野ブルーリボンシティ(小鹿)。
エルガ(西久保)。マゼンタの退色が著しい・・・。
エルガミオ(岡部)。これはシャトルバスじゃなくて普通の路線バス運用です。
日野ブルーリボンII(唐瀬)。緑の復刻塗装です!この色をまともに撮影できたのはこれが始めてじゃないかな?
更に赤い復刻塗装のブルーリボンII(唐瀬)も続けて来ました!もう満足ですね~。
ところでしずてつのフルカラーLED表示機はシャッター速度速めでもLEDが切れませんね。これは1/500秒なんですが、従来のオレンジLEDでは切れてもフルカラーだと大丈夫なようです。
ただLED表示器も供給メーカーが複数あるようで、フルカラーならどれも大丈夫なのかはちょっと分からないです。
日野ポンチョ。しずてつが受託運行する焼津市自主運行バスです。これは「ゆりかもめ」系統。
これでバス撮影はおしまい。寄り道を再開します。
余談ですが、道中焼津黒潮温泉の看板を見かけました。なんだか観光チックな名前だなぁ、最近出てきた温泉かもねぇ、と。実際、1983年に初めて湧出した温泉だそうです。
はい着きました。焼津駅から歩いて5分くらいのところの小石川公園に置かれているC50形96号機蒸気機関車です。ここにこれがあるのはつい数年前まで知らなかったのですが、焼津駅に用事もないので今まで行っていなかったところ今回用事ができたので寄ることが出来ました。
C50形は1929年から154機が生産された蒸気機関車です。8620形の改良型として設計されましたが、あんまりうまく行かなかったようで評判もイマイチだった模様。
この96号機は1929年12月4日に熱田の日本車輌製造で製造され、最初は米原に配属されました。その後は稲沢、名古屋、美濃太田と東海地区を転々として最後は豊橋で1971年12月に廃車になりました。
米原時代は急行列車の牽引機として走っていましたが、豊橋での晩年は構内の入換機として使われていたのではないかと思います。
ここへは廃車直後に置かれるようになったと思います。特段焼津に縁のある機関車ではないですが、それでも比較的近所で働いていた機関車ですね。
正面から。ヘッドライトのレンズが欠損しています。ただそれでも全体的にはきれいな状態を維持していると思います。この日見聞した時もボランティアと思しきおばちゃんがキャブの中を清掃していたので、習慣的に清掃などが行われているのでしょう。ありがたいことです。
96号機はデフが無い状態で保存されています。やはり最後は入換機として使われていたんだと思います。
上記の通り8620形の改良型として開発されたので、大まかには8620形と似た形状をしています。曲面を描いた前部ランボードはこの時代の機関車らしくて良いですね。
シリンダー部とか。
8620形から大きく設計が変えられた部分は先輪だそうですが、そんなこと当時は知らなかったんであまり詳しくは撮影していないです。
テンダー側。リベット留めなのが良い。
焼津市がどういった理由で保存蒸機としてC50形を選んだのか知りませんが、C50形は全国でも6機しか残っていない上に梅小路にも収蔵されていない貴重な型式ですので、いい選択をしてくれたなと思います。
非公式側から。こちらからの方が柱が入り込まずスッキリと撮れます。片持ち式の屋根だと撮影しやすいのでうれしいですよね。
キャブ内。部品欠損はありますが、まあまあ良好だと思います。火室には例に漏れず石が放り込まれていました・・・。
天井が水色に塗られていますけど、これは何だか嘘っぽいな・・・。
見聞は以上です。ここに保存されるようになって長いですが、きれいな状態を維持してもらっているようでなによりでした。
駅に戻りました。駅前にはこんな記念碑もありました。鉄道開通100周年を記念したものですが、これは新橋~横浜の開通から数えて100年を記念したものですね。
右側の動輪のオブジェはC57形146号機の第2動輪です。東海道の宿場町でもなく海路中心の漁村だった焼津が東海道線の開通で輸送形態が一変したんですから、当時の鉄道の与えた影響は大きかったでしょうね。
この後は電車に乗って帰りました。
なんだかんだ航空祭が面白かったのでこの年はその後、浜松基地と岐阜基地の航空祭にも足を運びましたが、それはまた別の機会に。
これでおしまいです。