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【1/200】ボーイング767-300ER DHL【ギャラリー】

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キット:ハセガワ 1/200日本航空 ボーイング767-300ER w/ウイングレット仕 様:DHL (G-DHLE)[製作記はこちら]
ハセガワのプラモデルに海外のDRAW製デカールを組み合わせて作りました。DHLは仕事でたまに使うので、そういう縁で作りました。窓埋めが大変でした。

黄色い胴体に大きいDHLの文字が空港でもよく目立つと思います。実機は見たことないんですけどね。貨物機なので通常客室になる空間も貨物室になっています。ここは大きい貨物扉をぶち抜いて(Hの文字のあたり)そこから出し入れしています。

今どき防眩塗装も珍しいのだ。




以上767-300ER DHLでした。

【告知】こみっく★トレジャー35(1月19日4号館エ27b)頒布内容とメロブ通販のお知らせ

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先日お知らせした通り、弊サークル「黒鉄重工」はこみっく★トレジャー35にサークル参加(初参加)することになりました。


配置場所は1月19日(日)4号館エ27bです。正確にはこみっくトレジャー内の交通・旅行系オンリーイベント「のりものだもの」の中のスペースに配置されています。会場は大阪の「インテックス大阪」です。黒鉄重工の関西初進出です。一応、東方紅楼夢で行ったことはあるので全く知らない場所ではないです。といっても久々ですが。


そいでは、頒布内容のお知らせです。といっても、コミケが終わってすぐなので頒布物はその時とほとんど同じです。

新刊「アメリカ飯備忘録~アメリカ旅行で食べた料理の数々」頒布価格未定昨年5月のアメリカ旅行で食べた料理をつらつらと載せていく予定です。コピー本です。目下製作中なので頁数、頒布価格不明。決まったらまた告知します。先述の通りコミケ直後なのですが何も新刊作らないでイベントに臨むのもどうかと思うので、こういうのを出そうと思います。料理本なんて初めてだし当時もそのつもりで写真撮影していたわけでないので、多少不安がありますがどうにか形にします。

新刊「荒野の大陸横断鉄道~アメリカ大陸横断鉄道開通150周年~」頒布価格1,000円一応まだ新刊扱いにさせてください(汗C97新刊で、アメリカの大陸横断鉄道に関する内容です。B5サイズ、モノクロ印刷、52頁(表紙含む)です。ちょうど150年前の1869年5月10日にオマハ~サクラメント間にアメリカで最初の大陸横断鉄道が開通しました。アメリカ史の中でも大きな転換点となっているこの大陸横断鉄道開通の鉄道建設の構想や計画から開通までの流れについて概説しています。

さらに、鉄道の開通式が行われたユタ州プロモントリー峠は現在は国定史跡に登録されている歴史的重要性の高い場所なのですが、そうなるまでには紆余曲折がありました。開通から現在までのプロモントリー峠の移り変わりにも突っ込んでいます。ここがこの薄い本のウリですかね。最後は、2019年5月10日に行われた記念すべき150周年祭に我々が実際に現地に赴いて見てきた様子を書いてあります。計画構想時から遡れば、実に180年分の歴史をこの一冊にまとめてあります。表紙にもそういう意味を込めています(上が1869年、下が2019年)。
鉄道分野以外にもアメリカ史等にも少し明るくないとキツい部分もありまして(主に南北戦争)、調べるのはしんどかったです。いま出せるだけの力は発揮できたと思います。どうぞ現地でお手にとって見てください。


既刊「北アメリカの路線バス車両 2014年~2016年」頒布価格2,000円
C96新刊です。北米のバス車両に焦点を当てました。大別して路線バス、高速/観光バス、スクールバスに分けることが出来ますが、今回は路線バスについてまとめました。例によって、カナダ在住時に撮りためたバスの写真を体系的にまとめたものです。
内容は、B5判、68頁(表紙含)、フルカラー印刷です。




既刊「VIA鉄道のステンレス車両」頒布価格1,300円
C95新刊です。カナダの国営旅客鉄道「VIA鉄道」で活躍している1950年代製の初期のステンレス製車両に焦点を当てました。
製造から60年以上経過しながら未だに第一線で活躍する化石のような客車の各車種の解説、列車ごとの編成例や経歴などを収録しています。
内容はB5判、40頁(表紙含)、フルカラー印刷です。

新刊+既刊コンボ 頒布価格2,500円
新刊「荒野の大陸横断鉄道~アメリカ大陸横断鉄道開通150周年~」と既刊「北アメリカの路線バス車両 2014年~2016年」を同時に購入すると値引き価格で頒布します。よければこちらもご検討くださいまし。

頒布内容は以上です。

次に通販のお知らせ。同人誌なんかを売っている「メロンブックス」で黒鉄重工の同人誌販売を委託しました。当日C97会場にて、同人誌を回収してメロンが委託販売するっていう営業が来たものですから、せっかくなので当日売れ残った分を数部ずつ委託してみました。会場に行けそうにないという人はこちらからお買い求めくださいまし。リンクは下記から。
荒野の大陸横断鉄道~アメリカ大陸横断鉄道開通150周年~(黒鉄重工)の通販・購入はメロンブックス荒野の大陸横断鉄道~アメリカ大陸横断鉄道開通150周年~はサークル名:黒鉄重工の作品です。荒野の大陸横断鉄道~アメリカ大陸横断鉄道開通150周年~の通販、予約は業界最速のメロンブックスにお任せください。サンプルで荒野の大陸横断鉄道~アメリカ大陸横断鉄道開通150周年~の試し読み可能!作品の詳細紹介も。お得な特典情報もお見逃しなく!
荒野の大陸横断鉄道~アメリカ大陸横断鉄道開通150周年~(黒鉄重工)の通販・購入はメロンブックス荒野の大陸横断鉄道~アメリカ大陸横断鉄道開通150周年~(黒鉄重工)の通販・購入はメロンブックス
VIA鉄道のステンレス客車(黒鉄重工)の通販・購入はメロンブックスVIA鉄道のステンレス客車はサークル名:黒鉄重工の作品です。VIA鉄道のステンレス客車の通販、予約は業界最速のメロンブックスにお任せください。サンプルでVIA鉄道のステンレス客車の試し読み可能!作品の詳細紹介も。お得な特典情報もお見逃しなく!
VIA鉄道のステンレス客車(黒鉄重工)の通販・購入はメロンブックスVIA鉄道のステンレス客車(黒鉄重工)の通販・購入はメロンブックス
北アメリカの路線バス車両2014年~2016年(黒鉄重工)の通販・購入はメロンブックス北アメリカの路線バス車両2014年~2016年はサークル名:黒鉄重工の作品です。北アメリカの路線バス車両2014年~2016年の通販、予約は業界最速のメロンブックスにお任せください。サンプルで北アメリカの路線バス車両2014年~2016年の試し読み可能!作品の詳細紹介も。お得な特典情報もお見逃しなく!
北アメリカの路線バス車両2014年~2016年(黒鉄重工)の通販・購入はメロンブックス北アメリカの路線バス車両2014年~2016年(黒鉄重工)の通販・購入はメロンブックス



告知は以上です。それでは当日インテックスでお会いしましょう。

京都鉄道博物館を見て回る その5【2017/8/16】

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2017年8月16日(水)13時15分京都府京都市下京区 京都鉄道博物館本館京都鉄道博物館の見物にやってきた話です。本館の主な展示は見ましたんで、次に本館の端にある車両工場の館へ。車両工場のピット線みたいな造りをしていて車両部品などを展示していますが、ここの真骨頂は現役の鉄道車両を引き込み線を介して呼び込んで博物館内で特別展示出来るというものです。普段目にすることのできない事業用車や引退間近の機関車、果てはDMVまで、本線上を走れる車両なら何でも呼んできているという具合です。面白い展示の仕方です。大宮の鉄道博物館にも同じような展示線があるんですけど、あれは完成したての頃に何度か使ったきり放置されているような状態だったと思います。というか最近展示線があったあたりが増築されたんで、今はもう撤去されてるかもしれません(最近行ってない)そこでEF58の青大将を見ることが出来たんで、私にとっては良かったことだったんですけども。今思えば屋根がなかったのがまずかったかもね。
閑話休題。で、この時に特別展示されていたのがJR貨物のEF210形310号機です。東海道線の貨物列車ではおなじみのEF210形ですが、この300番台は山陽本線の急勾配区間(セノハチというのだ)を登る貨物列車を後ろから押し上げる補助機関車です。側面の黄帯が見分ける点だぞ。

補助機関車としての専用装備は連結器に集中していて、走行装置なんかは普通のEF210形と同じです。台車はEF66なんかと比べるとだいぶすっきりしたのねと。
EF210の後ろにはコキ107形1828号が連結されています。コンテナ貨物列車とはなんぞや、という展示に使われています。1828号ってもうそんなに造っていたのと思ったら今は既に2,000台以上使われているんだそうな。そりゃコキ50000いなくなるわな。

コキ107に積まれている2つのコンテナ。これは49A形コンテナ(49A-38069)。31ftコンテナで、この長さはちょうど10tトラックの荷台と同じ容積を持ちます。つまり、長距離トラック輸送の転換を狙ったコンテナなわけです。昨今はトラック運転手不足から来るモーダルシフトが起きているので、このコンテナは需要が旺盛だそうです。側面は跳ね上げ式のいわゆるウィングコンテナで、妻面は観音開きになっているのもウィングトラックの代替を狙っているのが読み取れまする。

もう1つはおなじみの19D形コンテナです(19D-49755)。JR貨物では標準の12ftコンテナです。最近生産された個体っぽく、JRFマークの付いていないやつです。これは扉が開けられていて積載時の様子が展示されています。積み込まれているのは月桂冠の日本酒です。12ftコンテナは基本的に側に扉を付けています。妻面に付けたほうが積み下ろし時に荷役場にトラックをたくさん付けられるのでは?となんとなく考えていましたが、こういうパレット積みだと側から積み下ろしする方がフォークリフトが動かしやすいのだなと気づく。ちゃんと考えられているのだな。

空中の足場に登って車両の屋根を見る通路もあるのです。これは49Aの上側。なるほどウィングコンテナなのだ。

EF210の屋根。めちゃくちゃ真新しいのだけれど、もしかしてまだ運用入り前だったのかしら。

続いて車両工場の館の常設展示。これはみんな大好きネジ式連結器と緩衝器。鎖の中央部分がねじになっていて長さを調節できるからネジ式連結器なのだ。日本では明治・大正期の鉄道車両のアイコンのひとつです。1925(大正14)年に自動連結器に交換されているので絶滅しています。ヨーロッパでは今更交換しようにも交換できないので今もこっちが主流です。

奥が自動連結器、手前が密着連結器。自動連結器はアメリカで生まれました。日本の発明品じゃありません。我が国のオリジナルです。連結器同士を接触させるだけで自動で連結できるから自動連結器。連結を外す時はテコを動かして錠を解放してやれば外れるのだ。映画でよく列車強盗が拳銃で解放テコを撃って連結器を外すシーンがありますね?連結作業が楽だし安全だしで日本では上述の1925(大正14)年にネジ式連結器から一斉交換されました。
密着連結器は、自動連結器の簡便性はそのままに連結器同士の隙間を無くして密着させたもの。だから密着連結器。自動連結器には連結器同士に遊びがあるので発進時などに衝撃のある時があり乗り心地が悪いので、密着させるのだ。隙間なく密着させているので、ついでにブレーキ用の空気管も通しています。JRの電車は全てこの連結器です。気動車も最近製造されたやつはだいたいこれですね。
あとは電気連結器やジャンパ連結器の展示もほしいなー。

次は集電装置。よくパンタグラフというけれどもあれは集電装置のいち形態に過ぎないのだ、というのが分かる展示。これは路面電車用のトロリーポールです。先端はU字状の溝の滑車になっていて、そこに空中を走る架線に接触させて集電するというもの。そもそも外れやすいという欠点があり、それゆえ高速化や長編成化には向かないので、鉄道用は今では主流から完全に外れていてほぼ絶滅しています。一方トロリーバスでは未だにこれがほとんどです。

第三軌条方式というやつ。車輪を乗せる線路とは別に集電用の3本目のレールを使うから第三軌条方式。このレールに電流が流れていて、それを電車の台車に取り付けられた集電靴で集電するのだ。架線を張るよりも建設費が安くなるのが利点。地下鉄ではトンネル断面を小さく出来るので特に有利。ただし線路のすぐそばに集電レールがあるので誤って感電してしまう危険がありますね。なのでこれも基本的に今では古い方式で、昔に建設された地下鉄の銀座線や御堂筋線なんかで使われているに留まります。今更トンネル掘り返して架線を張るわけにもいかんので。ヨーロッパやアメリカでも古い路線では今も現役です。

ビューゲル(左)とZ型パンタグラフ(右)。ビューゲルはトロリーポールの発展型。架線との接触が点だったトロリーポールと比べて、横幅を持たせることで面で接触できるようになったのだ。でも高速走行すると離線してしまうこともしばしばで、結局トロリーポールよりはマシ程度に過ぎませんでした。低速走行の路面電車ではよく見られるものでした。Z型パンタグラフは、ビューゲル本体の上部を折り曲げたやつ。途中で折れているので本体が上下に揺れた時に、揺れ動く長さが短く済むのと、比較的追従性が良いので離線の恐れがビューゲルよりも若干減るのです。それでもビューゲルよりはマシ程度でしたので、これも専ら路面電車用でした。

集電装置の完成形のパンタグラフ。由来は写図器から。架線と接触する摺板を押し上げる力が強いので追従性が良くて離線しないのが魅力。
これは最初に登場した菱形とよばれるやつ。中でもこれはPS15という種類。PS14よりも枠を狭くして軽量化と追従性向上を図ったものです。EF58等に搭載。
後に登場する下枠交差型やシングルアーム型と比べると大型で部品点数も多いので、日本では近年の新造車両にはまず搭載されていません。長い目で見れば菱形は絶滅してしまうかもしれませぬ。


下枠交差型パンタグラフ。下側の枠を交差させることで台座と折りたたんだ時の専有面積を減らして小型化を狙ったもの。他に軽量化、追従性向上も達成。
日本では0系新幹線が最初の採用例です。軽量化が目的だったようですが、パンタグラフからの騒音を防ぐ防音カバーを付ける際にも下枠交差型の小型さが役に立った模様。
他には、当時実用化されて間もない鉄道車両用冷房装置を屋根に積みまくってた私鉄でも省面積化のために採用が相次ぎました。特に関西私鉄で顕著でしたね。

これはPS22。JRの電気機関車に搭載されているのが代表的。

シングルアーム型パンタグラフ。形状的にはもうパンタグラフじゃないんだけどね。
さっきも書きましたが、Z型パンタグラフの発展型で、菱形とはなんというか、系譜が異なります。
なんと言っても部品点数が少ない点が挙げられ、これは省面積化、軽量化、騒音低減や経済性に有利なのです。いい事尽くめなのでわざわざ菱形からこれに交換する例も多数。

これはたぶん700系新幹線用のWPS205(説明が書いてなかった)。騒音絶対なくすマンなので、枠に付随するイコライザー類は全部枠内に収めてしまって、台座のばねも覆いをつけてしまい、摺板の左右から伸びているホーンは穴を開けています。騒音源を徹底的に潰しているのです。


500系新幹線用のWPS204。翼型パンタグラフという500系にしか採用例のない特殊なやつです。翼型という名前の由来がよくわからんですが、断面形状から来ている・・・?
2つの筒状の構造体で上下伸縮することで架線に追従するもので、通常のパンタグラフのように関節を持っていません。パンタグラフの面影がないですが、もう集電装置=パンタグラフみたいな感じなんですねー。
これも新幹線用なので騒音絶対殺すマンです。特徴は筒の表面に凹凸が付いていて、これが渦流生成器(横文字で言うところのボーテックスジェネレーター)の役割をします。意図的に乱流を発生させて風切り音を減らすのが目的なのです。フクロウが音を立てずに飛ぶところから着想を得たのは有名な話。後にWPS205のようなシングルアーム型でも同じ性能でしかも安価に使用できるようになったので、翼型は500系だけで途絶えてしまいました。

次は台車。これはTR11。ナハ22000系やオハ31系でおなじみ、明治・大正のボギー台車の代表的型式。典型的イコライザーがステキ。
当時議論されていた狭軌から標準軌への改軌論の影響で、車軸が標準軌へ対応できるよう長かったのが特徴。この角度からだと分からんですが・・・。


住友が製造していたFS345。いかにも私鉄っぽい風貌ですがその通りで阪急2000系が履いていました。ミンデンドイツ式の軸バネを持っています。くわしくはググって(手抜き)

TR23。TR11含むTR10系で使っていた形鋼材が調達できなくなったので起こされた新型式。
ペンシルバニア形軸バネ式台車というやつ。見た目にはイコライザーが無くなったのが特徴ですな。

KS50。汽車会社製の日本初の空気バネ台車の試作型。京阪電車の1700系の中の1台で実用試験をして、それの量産型になったのがKS51となり、特急車の1810系に採用されたのです。圧力計がついているのが試作っぽさを出しています。
KS50は空気バネ台車といっても枕バネじゃなくて軸バネが空気バネになっているのが特徴です。ですが試験結果、軸バネより枕バネを空気ばねにしたほうがイイネということが分かり、量産型のKS51ではそれが反映されています。
当時は「台車の京阪」と呼ばれるほど台車の技術開発に精力的な京阪らしい台車なのです。
脱線しますが、川崎のefWINGは画期的な台車ですが、京阪は特に関与しなかったのは時流の変化でしょうかな。


最後に車輪。D51蒸気機関車の動輪とみんな大好き松葉スポーク車輪。
松葉スポークは明治期の貨車、客車の車輪の特徴です。スポークが2又になっているのが松葉に見えるからですね~。


おまけ。
この時車内公開されていた583系の中に入りました。すげー混んでる。
外観は国鉄時代ですが車内はJRの引退時のまんまですね。


半分は寝台、半分は座席という、プルマン寝台あるある展示。
着席禁止なのは、大宮の鉄道博物館の教訓を活かしているんだろなぁと。
この座席見るとサイコロの旅を思い出していやだなぁ(本家の方じゃない自分たちがやった方)

というところで今日はここまで。
その6へ→

京都鉄道博物館を見て回る その6【2017/8/16】

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本館の1階を全て見終えたので、次は扇形車庫の館・・・つまり旧梅小路蒸気機関車館の区画へ移ります。本館2階の連絡通路から移動できます。途中では扇形車庫を上から眺めることが出来ます。何度見ても壮観です。

新しく建てた蒸気機関車の検修庫には、官営幌内鉄道の義経号が入っていました。蒸気機関車ではこれを一番に見たかったのですが、ガラス越しとは残念です。また来よう。

遊覧鉄道のスチーム号も運転しています。今日の機関車は8620形8630号機でした。大正期の機関車ですが、蒸気機関車時代の末期まで残ったり九州で動態保存機が走っていたりで、えらく物持ちが良いなという印象です。見た目のバランスも美しいので好きな機関車です。Nゲージにあまり恵まれていないのが玉に瑕。

休憩室になっている50系客車オハフ50形68号。たぶん休憩室に丁度よいからと特に深い理由もなく選ばれて連れてこられたと思うんですけど、今や基調な50系となっています。塗り直されてつやつやになっていますね。

蒸気機関車がずらずらと並び圧巻であります。

C51形239号機。アメリカのアルコ社から輸入した8900形の改良型というかそれを国産化したもの。こう見えてバリバリの大正期の機関車。8900形は車輪配置4-6-2、いわゆるパシフィック形で、広い火室を動輪の後ろにある従輪で支持するという構造。鉄道院は元々4-6-0テンホイーラー形を発注していたのだけれども、これが想定外に良好だった、ということでしょうかね。以降の幹線用蒸気機関車は軒並みパシフィックですし。

8900形からC51形への改良点として動輪直径を1,600mmから1,750mmに拡大したことです。この直径は以降の幹線用制式蒸気機関車の標準となりC62形まで続くのです。日本形蒸気機関車の基礎を築いたという意味では意義深い機関車なのです。

唐突ですがDE10形1118号機。梅小路の入換機でしょうね。

御存知C62形2号機。これは動態保存機で、スチーム号で動くことがあります。今書いたように動輪直径はC51と同じなので、足回りの規模に大きい違いは無いのです(従輪が4輪化してるけど)。なのでこれの巨大さとか威圧感はボイラーの太さと長さからなのだろうと。

C53形45号機。正面の見た目がなんか独特なやつ。鉄道省製制式蒸気機関車で唯一の3シリンダー機ですね。増加する輸送量や重量級の鋼製客車の前にC51形では出力不足ということで、3シリンダーを採用して出力増強を図ったものです。いきなり3シリンダー機を自力で作るのも無理な話なので、研究目的でアルコからC52形を6機輸入してそれを模倣して国産化したものです。ちなみにC52形はアメロコの臭いを全身から放っていて好きなのですが、残念ながら1機残らず解体されています。研究用だから特に残す意義も無かったんやろなぁ。南無。

3シリンダーのうち2つは普通の蒸気機関車と同じで左右についていますが、3つ目はと言うとその間、中央にあります。C52から色々いじくった設計が色々とダメだったようで、いい話は聞きません。大人しくC52をコピーしておけば・・・?ちなみに設計は東京大学を出たばっかりの島秀雄だったそうな。・・・戦闘機の話なので直接は関係ないんですけど、三菱の堀越二郎も川崎の土井武夫も東大出のエリートでした。一方でP-51の設計者エドガー・シュムード、スピットファイアの設計者レジナルド・ジョセフ・ミッチェルは独学でした。ハインケルだったかカプローニだったか、設計に必要なのはセンスだ、と言っていたような。だからなんだという話でしか無いですが、何だか考えさせられるなぁ、というのを思い出しただけです。

C59形164号機。島秀雄のC53がアレだったので、2シリンダーでなおかつC53よりも強力な牽引力を持つ蒸気機関車として1941年に開発された機体。C51から歩んできた鉄道省制式パシフィック機の最終形です。性能や整備性は良好だった模様。東海道・山陽筋の優等列車用なのですが、戦後になるとその路線は電化されて蒸気機関車は九州へ追い出されることに。なので九州での活躍が目立つ機関車です。いくつかは軸重を減らして地方路線へ走れるよう改造したC60というのがいますが、梅小路にはいません。仙台に1機だけ現存しています。まだ見に行ったことはない。1960年代からのいわゆるSLブームが来る頃にはほとんど姿を消していたので、保存機にもあまり恵まれていない運が低いやつです。

れんこんの輪切りみたいなボックス動輪が後期のパシフィックの特徴です。

D52形468号機。D51を上回る日本最強の牽引力を持つ1943年登場の貨物用蒸気機関車です。戦時中の粗悪な製造で欠陥機扱いされることもありますが、素地は良かったので粗悪な部分を直せばまともに戻ったようで。御殿場線での活躍が有名で、現存機の大半は御殿場線沿線かその周辺に集中しています。山北駅に保存されている70号機は圧縮空気による自走が可能な動態保存機です。見に行きました。

貨物機なので動輪は4軸。2-8-2ミカドですな。

というところで今日はここまで。

その7へ→

ビクトリアの要塞跡地を見学する その1【2016/3/16】

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2016年3月16日。長大な北米project 4も書き終えて、ようやくカナダ編の時計の針を進めることが出来ました。その翌週に訪れたのは、ビクトリアの西部にあるコルウッド (Colwood)という地区にあるフォート・ロッドヒル (Fort Rodd Hill)・・・つまりロッドヒル要塞というカナダの国定公園。訪れた時はあまり理解せずに行ったので中に入って驚きましたが、ここは沿岸部に建てられた軍事要塞の跡地です。どういう要塞なのかはこの後説明していきます。が、あまり深入りするとまた執筆が長引きそうなので、ここでは軽めに済ませます。 もう少し掘り下げるのは同人誌でやろうかなぁと思います。まあいつ書けるようになるのか今の所未定なんですけども。
ロッドヒル要塞へは、路線バスのBCトランジットに乗ってColwood Exchange - Westshore Rec Ctrで下車します。ビクトリアのダウンタウンからだと#50系統、#61系統のバスに乗ればよいかと。そこからは歩いて行きます。私は自転車に乗って行きましたが。


要塞の入り口には対空砲が鎮座しています。アハトアハトかしら・・・いや違いました。これはアメリカ製のM1 90mm高射砲です。最大射程高度は3万ftで、発射間隔は22発/分。1950年代にカナダ陸軍が使用していたものです。この要塞では使っていませんでしたが、ビクトリア・エスクイモルトでは実際に使われていたようで、これはそこのお古でしょう。



足ですね。


砲の向きや角度を調整する的なハンドル。


ここに兵士が座るのだ。高射砲は複数台をまとめて1ユニットとして運用していたはずで、しかもそのユニットは1つの射撃管制の下で指揮されていたはずなので、高射砲は管制に指示されたように砲を調整していたんだと思います。自分勝手には撃てないのよ。


諸元が表示される的な表示盤だと思います。


これ、引き金ですかねぇ(適当)


とりあえず色々な角度から写真を撮っていました。

ロッドヒル要塞は、この位置にあります。要塞の北側は湾があり、その入口はちょっとした海峡になっています。この湾の東側はカナダ海軍の太平洋側の基地、エスクイモルト基地になっています。そのさらに東側にはビクトリアのダウンタウンがあります。という地勢からして、この要塞は海軍基地およびビクトリア防衛のために建てられたのだということが読み解けるわけです。ロッドヒル要塞は1897年に竣工して1956年まで使用されていました。この要塞1箇所だけで防衛できるのか?という話ですが、ここらへん一帯には大小の砲台陣地が点在していました。その一部は今も跡地として残っています。そのうちの1箇所は後日訪れます。で、その中で一番規模の大きいのがロッドヒル要塞なわけです。

地図です。今は地図の下側にある赤い屋根の受付の建物にいます。そこからまずは地図右側の塀で囲まれた砲台陣地へ行きます。そしてだんだん左側へと進んでいく感じですね。

コンクリートで出来た塀にある門を通って砲台陣地内へ。物々しいのですよ。

塀の高さがめちゃ高いです。陸からの侵入対策でしょうけども。塀の真ん中あたりに空いている縦長の穴は、そこから銃を出してやってくる敵を撃ち殺すためのものです。日本の城の塀によくあるアレと同じです。

門の脇にある守衛室。

中は普通に事務所みたいに使われていたようです。

家具も残されています。

守衛室裏側。謎の出っ張りがありますけど、なんだこれ。

守衛室から砲台までの道は開けた草地になっています。こういうところはなんというかカナダらしい雰囲気を出しています。日本だったら草木が生い茂っている印象しかないですよ。
というところで今日はここまで。

その2へ→

ビクトリアの要塞跡地を見学する その2【2016/3/16】

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ロッドヒル要塞(フォート・ロッドヒル)の砲台陣地の中を歩いています。一番奥まで歩くと、砲台陣地が見えてきました。真ん中に大砲が1門あって、その周りにコンクリートの防御壁が囲んであるという構造。さらに地下には弾薬庫等の部屋があります。要塞って感じですね。なおここの陣地にある大砲はこの1門だけ。大層な設備の割に攻撃力が弱くないっすか、と思わんでもない。

大砲のところ。この大砲は、普段は地面にあるんですが、射撃時は腕を介してガションと防御壁の上にせり上がるという超かっこいいギミックが仕込まれているのです。今は腕が展開されている状態ですね。なのでこの階段と足場も観光地化された際に後付されたものです。白く塗られた壁の地面にあるへこみは、砲弾や装薬を収納しておくためのもの。

展開の機構の図。この防御壁は海岸線の盛土の稜線に高さを合わせて造られているので、海上から見た場合にはただの丘にしか見えないんですが、その裏にはこの陣地があり、いざという時はこの大砲を上に上げて稜線から射撃するのです。素敵やん。

腕の部分はなんかハリボテに置き換えられています。オリジナルは消失してしまったか?

大砲の先を見る。今は木が生長してしまって視界が遮られていますが、現役時はさすがに刈払されていたんだと思います。

これは6インチ砲なので、つまり155mm砲です。巡洋艦の主砲級ですね。ただ長さが短いんで射程距離が無さそう。実際、この陣地は旧式だったようで。後で見る他の陣地はこれよりも近代化された設備です。陣地の地形が稜線沿いになっているのにも注目してください。ここの説明書きには敵艦からの砲撃時に大砲とその要員をこの稜線と防御壁が保護する機能がある・・・とありますが、艦砲射撃って射程を最大化するために山なりに打つもんなので砲弾は上から降ってくるはずで、それだとこの構造はあんま役に立たないんじゃないかと思います。19世紀の艦砲射撃は人に拳銃を撃つみたいに直線に撃っていたのかしらん。

大砲はダミーじゃろと思ったんですが、なんか刻印が彫られていて戸惑う。本物?落書き?

陣地の脇には地下へ続く階段が。ダンジョン感があってステキ。

階段を降りたところ。壁はレンガ積みになっています。窓の上辺はアーチ状になっているのがささやかなおしゃれか。レンガはイギリス積みとフランドル積みの混在になっていて、なんだか不思議な感じ。右側の部屋はランプ小屋、左側は兵士の待機部屋でした。壁に書かれている数字は要塞内の番地を示している気もしますが、1896というと単にこの陣地の竣工年かもしれません。

地下にはこういう小部屋がいくつかありにけり。これは道具の物置部屋。

弾薬庫の展示もあり。こっちは砲弾です。こんなにこしらえて、戦争でもする気かしら。砲弾の違いは特に説明されていませんでしたが、たぶん黒い弾は胡椒入り、黄色い弾はからし入りの弾丸だと思います(名推理)

弾薬庫へ入る前にある中間の部屋。こっちは装薬を置いておく部屋です。装薬はつまるところ火薬なものですから、扱いには厳格な手順が必要でした。壁の貼り紙はそのマニュアルを複写したもの。左側の壁にある格子は、その中に明かりを収めてありました。明かりには火を使っていたようなので、格子の中に入れる辺りさすが火の元の管理はしっかりしていたんですね。

その貼り紙。部屋の真ん中に仕切りがあって、その右側(ひとつ上の写真でいうと手前側)で普段着ている軍服や靴を脱いで、そしたら仕切りを越えて左側(ひとつ上の写真でいうと奥側)に移って弾薬庫用の服と靴を着用するというものです。


ガラーンとしてます。装薬の展示は無かったですが、説明書きから見るに布袋なんかに詰められていたと思われ。

地上に出る。これは弾薬を湿気させないための換気扇でしょうな。その左側に移っている曲がった鉄の棒は、先端に輪っかが付いています。地下の弾薬を地上に持ち出すための巻き上げ機だったかも。

陣地の端にある小屋。中には探照灯が入っていて、夜間の射撃時に使いました。これは2号探照灯小屋で、1902年建築。要塞の探照灯小屋は他にもう3基あって、そのうち1号探照灯小屋は現存しています。残りの2基は対岸のエスクイモルト基地にあるので見学不可。現存も未確認。1号と2号は役割が異なっていて、それは照射範囲の違いです。ここにある2号は照射幅は広いが照射距離が短く、別の場所にある1号は照射幅は狭いが照射距離が長いという特性を持っています。ちなみにエスクイモルト基地の2基は両方とも2号寄りの特性持ちです。


中はがらんどう。さすがに探照灯は残っていないか。でも窓が小さくない・・・?
探照灯の照射範囲の図。

ここにも小さな大砲が入りそうな窪みがありにけり。ただしこれは大砲ではなくて射撃管制する指揮官が入り込むところ。でもその割には壁に砲弾入れがあるし、謎の3本の柱は大砲の土台っぽいし、昔は砲台があったのを転用したのかもしれませぬ。
というところで今日はここまで。

その3へ→

京都鉄道博物館を見て回る その7【2017/8/16】

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引き続き京都鉄道博物館の梅小路蒸気機関車館の辺りを歩いていきます。C58形1号機とD50形140号機。

D50形140号機。9600形の後継機として1923年に開発された貨物機。主にイギリスを範にしてきた日本機としては珍しくアメリカ流の設計が取り入れられてるとか何とか。1960年代までにほとんど廃車になってしまったので保存機に恵まれず、わずかに2機だけ。地方線用に軸重低減改造したD60形というのがいますが、これも3機だけ。

C58形1号機。地方線で未だ闊歩している8620形と9600形の置き換え用として1938年に開発された中型貨客機。なおC58は十分な数を生産できず、8620と9600は蒸気機関車時代末期まで活躍を強いられた模様。比較的丁度よい大きさだからなのか、動態保存機が秩父鉄道とJR釜石線に存在してます。お召列車用の装飾がされていますが、1号機はそういう経験は無いようです。謎です。


C55形1号機。C51の後継機として開発された島秀雄のC54がアレすぎてたった20機足らずで生産終了になってしまったので、それに代わる機体として1935年から62機生産されたパシフィック機。綺麗にまとまっているので外観がスッキリしていまして、パシフィックの中では結構好きだったり。

パシフィック機としては最後にスポーク動輪を履いていた機体となりにけり。

う~ん良きかな。

1070形1080号機。鉄道省制式機が居並ぶ中で少数派のイギリス機。いわゆるネルソンと呼ばれる古典機です。車輪配置は4-4-0Tアメリカンですが、アメリカ製の同配置機とは似ても似つかない外観です。ネルソンは元々テンダー機ですが1070形はタンク機に改造されました。

こういう横並びが見れるのはやっぱり良いですよ。意外とアメリカではこういうところ少ないんじゃないかな?

B20形10号機。本来なら車籍を持たないような小型入換機ながら、突如としてうっかり制式機の仲間入りしてしまったやつ。専用線で使うような規格品の産業用機関車っぽい見た目で、鉄道省っぽくないです。よくこれが残ったなという。

C62形1号機。御存知銀河鉄道999のアレ。貨物機D52のボイラーを流用して、足回りは旅客用に新しく造ったのを合体させたもの。D51の次に認知度が高いんじゃないかと。本線走行の話が浮いては沈むを繰り返してますよね。

D51形1号機。御存知デゴイチです。説明不要でしょう(手抜き)傑作機と言えるかと言うと微妙だけど、日本中で親しまれた名機ではあろう、というのがまともな評価じゃないかな。

C11、9600、D51。

9600形9633号機。御存知キューロク。1913年に開発された貨物機。8620形とほぼ同期で、最初期の日本独自設計の機体です。小型ながら高馬力を出すので特に地方路線で重宝されて、結局蒸気機関車時代の最末期まで使い倒されました。使い勝手が良かったのもあるかもしれませんが、どちらかと言うと9600と同じ特性を持つ直系の後継機がいなかったのが要因な気がします。

C11形64号機。テレビ露出が一番多い形式ですね(新橋の292号機)中型で扱いやすいので大井川鉄道を始め全国各地で動態保存されています。よって説明不要(手抜き)

C61形2号機。D51のボイラーを流用して改造した旅客機。車輪配置は4-6-4ハドソン。従輪が増えて伝統のパシフィックを脱した形ですが、これ火室の大型化じゃなくて軸重低減が目的ですよね、きっと。これは動態保存機なので、時々スチーム号を押したり引っ張ったりしています。

松葉スポーク車輪の森。4つ置いてありますが、どれもスポークの形状が少しずつ違うのだ。私はやはりオーソドックスな右から2つ目の車輪が好きかな。

これはキハ58の車輪。差動装置がくっついたまま。

扇形車庫の梅小路の看板が降ろされたり建て替えられたりされなかったのは良かったです。

梅小路も見終えたのであとは落ち穂拾いです。

その8へ→

京都鉄道博物館を見て回る その8【2017/8/16】

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2017年8月16日(水)16時2分京都府京都市下京区 京都鉄道博物館本館 車両は一通り見終えたので落ち穂拾いします。とりあえず2階の吹き抜けに上がります。吹き抜けの上からは500系、583系、489系が見えます。この時間になると人もまばらになってきて、幾分か撮りやすくなりました。


上の展示物を少し見てみる。これは乗車券の裁断機。

これも乗車券の裁断機。こっちは小さい方。

コンテナの展示。うぐいす色の19Dコンテナの中にパレット積みの貨物が載っているところを展示しています。コンテナは2014年総合車両製作所和歌山事業所の製作です。銘板にそう書いてあった。
で、他の展示を見ていると、スチーム号の運転が終わったから機関車を車庫に返すやでという放送が流れてきたんで、そっちへ行くことに。

再び梅小路の方へ行くと、8620の8630号機が転車台に乗るところでした。

転車台の上で方向転換します。回る回るよ。

一度別線に入って、今日使った石炭を補給します。

補給を済ませたら再度転車台へ。

ぐるぐる。

車庫へと入っていきました。お疲れさまでした。

本館へ戻ると、この3人組の並びを人が入らない状態で撮影できました。こういう写真を撮りたい時はやはり閉館前だね。

その他展示物。これは日立製の回転変流機。変電所から来る交流電流を直流に変換する装置です。

第一大堰川橋梁のトラス格点。

233号機。うーん、好き。

EF58とEF81。人がいないとそれはそれで寂しい(←わがまま

最後に二条駅の中を見学します。ここは改装前から変わりませんね。鉄道模型の展示も今まで通り。これは御存知150形。最近ワールド工芸がNゲージのキットを出しました。近い内に買うつもり。

2120形。いわゆるB6で、こっちの方が通りが良いです。タンク機だから小さいと侮るなかれ、実機を近くで見ると結構デカい。C11と同じくらいあるんで普通に中型機でしょう。

アメリカ代表、サザンパシフィック鉄道AC-12形。おいおい機関車の向きが逆だよいい加減な展示だなー、・・・ではなく、これで正解。トンネルの多い区間を走るための蒸気機関車です。通常の機関車の向きだと、煤煙がトンネル内を走っていると拡散されずに機関士が窒息してしまうので、だったら運転室を煙突よりも前に持ってきてしまおうという発想からこういう形に。なお2年後にこれの実機を見ることになりますが、それをブログに書くのはまだまだ先の話・・・。

カナダ代表、カナディアンパシフィック鉄道ロイヤルハドソン。イギリスの国王と女王がカナダを行幸した際の牽引機に指定された、つまりはお召機関車。当該機以外にも同型機は全部その様に呼ばれるようになりました。なお1年前に実機を見ているんですが、それをブログに書くのはまだまだ先の話・・・・・・。

アメリカからもう1機、サザンパシフィックGS4形。アメリカ西海岸の平地用の旅客用機関車。アメリカ機にしては派手かなと。こいつは動態保存されています。しゅごい。
他の国の機関車もありましたけど、ブログではこんなところで。ビッグボーイが飾られていなかったのは遺憾。

投炭練習機。火室に石炭を投げ入れるにも色々な技術や熟練が必要なのじゃ、というお話。

最後に二条駅駅舎をば。これで以上。結局閉館間際まで居てしまったな。
またそのうち行きたくなると思います。またその時まで。
話はもうちょいだけ続くんじゃ。

その9へ→

【1/72】中島九七式艦上攻撃機 製作【エアフィックス】

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エアフィックスが数年前に発売した九七艦攻を組み立てます。外国メーカーの出す日本機ってどんな感じなのだろうという具合で。あとは、初期の日本海軍空母艦載機のうち零戦と九九艦爆は製作済みで、残る九七艦攻だけ欠けていたというのもありにけり。

ランナーはこう。主翼が大きいのはさすが攻撃機ね、というかんじ。1/72ながら動翼部は別パーツ化されていて、手が込んでいます。彫刻はカッチリしていて最近のエアフィックスらしいです。良い。

細かい部品。武装は魚雷と爆弾が一通り揃っていて、使わなかったものは他の機体に流用しよう。

主翼を組み立ててみる。今回は飛行姿勢で作ることにしました。フラップは下げ位置にして離陸中の瞬間で飾ります。

人形も付いています。人形付きだと飛行姿勢で作りたくなるもの。顔つきが平たい顔族っぽくないですけどもね。

胴体も組み立て。まあ普通。

3人乗りだから風防の枠が多い。死にそう。それでも零戦よりは枠が大きいから比較的楽です。中島の飛行機は優秀。三菱も見習え。

人形を塗る。単色で塗って少しエナメル塗料で影をつけてやる感じ。あんまり効果なかったけど、下手くそなだけだ。

機体は迷彩塗装にしてみる。灰色はエアブラシで吹いて、その上の緑色のまだら模様は筆塗りにしてみる。薄めた緑色で数回に分けて塗ってみました。縁にぼかし効果が出て良いらしいですが、思ってたほどの効果はなかったかな。


デカール貼ってトップコート吹いて組み立てて完成。

迷彩の柄は果たしてこれでいいのか、なんか浮いているような。

スタンドはバンダイの1/144用のものです。胴体に穴を開けてそこに刺しています。組み立てはしっかりしていて不満は特にありませんでした。良いキットです。
完成品はギャラリーにて。
<使用塗料>機体色:N61明灰白色機体迷彩:H36ダークグリーン機内:C126コックピット色エンジン:N18黒鉄色排気管:N76焼鉄色プロペラ、魚雷:N8シルバータイヤ:N77タイヤブラック
人形肌:N44薄茶色人形服:H37ウッドブラウン人形靴、帽子:H47レッドブラウン人形ベルト:H36ダークグリーン人形バックル:N8シルバー

【1/72】愛知B5N2九七式艦上攻撃機一二型 日本海軍翔鶴搭載機【ギャラリー】

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キット:エアフィックス 中島B5N2九七式艦上攻撃機(ケイト)
仕 様:大日本帝国海軍空母翔鶴搭載機(1941年12月7日真珠湾攻撃)[製作記はこちら]
エアフィックスの九七艦攻です。出来は良いもので、海外メーカー製の日本機も舐められないと思いました。キットとしての出来の話なので、形状や考証がどうなのかはよく知りませんが。

組み立てや塗装は全て組立図通り。迷彩に若干の違和感や不安を覚えます。

戦闘機の零戦と比べると主翼が大きく、こりゃ運動性悪そうだと。攻撃機なんだなと。

今回は人形と脚を畳んだ状態の部品が付いていたので、飛行姿勢で組み立てました。スタンドはバンダイのガンプラ用のを使いました。なので、機体の角度を自由に動かすことが出来るのだ。

飛行姿勢だと撮影の幅が広がるのは面白いですなぁ。腕が下手くそなのはともかく。

フラップ下げ位置なので、情景的には空母から離陸しているところです。真珠湾を火の海にするぞー。










以上、中島九七式艦上攻撃機でした。

ビクトリアの要塞跡地を見学する その3【2016/3/16】

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ロッドヒル要塞の砲台陣地の続き。盛土の上に立ってみる。もちろん立ち入りできるところです。

あれが大砲です。ちょうど人間がいるので対比できます。建設当時(1897年)としては大きい大砲だったかもしれませんが、やっぱり頼りないかなぁ。

射撃管制区画。

探照灯小屋は海上からの視認性低下のために盛土に半分埋まっています。使わない時は窓の蓋を閉めているんだろうなと。

全体をば。手前と奥で地面に高低差があります。砲台の部分は深く掘り下げる必要があった?

盛土の向かいに建てられてる小屋(一番上の写真に小さく写っているやつ)。特に説明が無かったので用途不明。詰め所?

中はもぬけの殻。




少し高いところから見る。ロッドヒル要塞の見ているのは南側で、水平線の向こうは太平洋ではなくセイリッシュ海という水道で、アメリカ合衆国ワシントン州のオリンピック国立公園やポートエンジェルスという町があります。両者の距離は約30kmなので、目と鼻の先です。この要塞の対米戦は十分想定されていたことだと思います。
余談ですがセイリッシュ海  (Sailish Sea) と入力しようとしたら「セイリッシュ海における人間の足の発見」というのが予測変換の候補に出てきました。こんなん予測変換どういう需要があるんだと初めてGoogle 日本語入力に疑念を抱きました。ここで書くのは完全に蛇足なので(足だけに)、気になった人は調べてみてください。

砲台陣地の塀。窓が並んでいます。もうね、日本の城の塀にしか見えないのよ。

この窓の用途はまさに日本の狭間、銃眼と同じもの。この窓から銃を撃って塀で防御しつつ攻撃するのです。ここはそれを体験するところになっていて、お誂え向きに台と銃の模型が置かれています。

塀の内側から外側へ向かって窓が窄まっていく構造も同じ。内側からは銃の照準範囲が広くなり、外側からは弾丸が侵入しにくいというもの。映画だと、敵兵に塀のそばまで肉薄された後、そこの窓から手榴弾を投げ込まれて守備兵が爆発四散するやつです。

影になっていて分かりにくいですが、これは水槽です。

地形と半ば一体化しています。これでこの砲台陣地はおしまい。

次の区画に移動中見つけた大砲。今の砲台陣地の大砲よりもでかい。でもこれは模型でありますなぁ。

一方、台車は本物だと思います。この台車を魅せるための大砲の模型・・・?

大砲を前から。

弾丸も置いてあります。本物っぽいような?
今日はここまで。

その4へ→

ビクトリアの沿岸要塞跡地を見学する その4【2016/3/16】

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前々回で言及した1号探照灯を見に林の中を歩いていると・・・!!シカでした。

野生の鹿はビクトリアでも普通に生息しているっぽいですが、中々リスやカナダガンみたいにホイホイ会えるわけではありません。私も鹿を見たのはこれで2回目で、これが最後でした。子鹿っぽいけど、親はどうしたのかしら。ちなみにこのへんで一番強い生物は熊ですね。熊と鉢合わせしていたら走馬灯が走ってたでしょう。

道を歩き切ると海岸に出ました。少し高い位置にいるな。奥には橋が架かっていて、その先に細長い陸地が続いています。まあこれは典型的な砂州ですね。(先端形状を考えると砂嘴かもしれないけど・・・)砂州の右側はほとんど潟湖みたいになっています。ここには後で行きますので片隅に覚えておいてください。

地図でいうとここらへん。
で、ありました。1号探照灯小屋です。さっき見た2号よりも幾分か立派です。

内部は金網で塞がれています。探照灯もありません。1号は照射距離が長くて照射幅が狭い特性でしたので、探照灯を向けられる角度が広くできるような小屋の設計になっているのが分かります。

窓には引き戸式のシャッターがありにけり。かっこいい。

遠くから見る。上記の地図で、この小屋がどこにあるか分かるかな?しかしこれ、かなり波打ち際にあるので、海が荒れてるときはキツかったろうな。流木もめちゃくちゃ溜まってるし。あとは、小屋の場所の高さが低くやないかという心配がありますが。海上からやってくる敵を探す場合、より高い位置からの方が水平線を遠くまで見通せるので、発見が早くなります。こんな低い位置じゃなぁ・・・と。
要塞の方に戻って次の砲台陣地へ。

第2の砲台陣地は「ベルモント砲台陣地」。お、なんかさっきのよりめちゃくちゃ近代化されてっぞ。逆光なのが超辛いけど。

ベルモント陣地は、1900年竣工ですが、その後1945年に増築しています。当時何があったかって、第二次世界大戦ですね。

まずは上に登ってみる。あっちにはフィスガード灯台が見えます。この後行きますので覚えておいてください。

なんか軽巡洋艦の14センチ砲みたいなやつが。まあ見た目が似ているだけで実態は全然違います。これはイギリス製の12ポンド速射砲 (12-pounder quick-fire gun) で、元は駆逐艦の主砲や大型艦の副砲です。このように沿岸砲に使われた例も多数あり。QF 12 pounder 12 cwt gun とも言う。口径は76.2mm。発射間隔12~15発/分。戦艦三笠に積まれていた小型副砲というと分かる人もいるかも知れませんね。こんな大砲で遠距離砲撃できるわけないんですが、この陣地の目的は、エスクイモルト基地に襲撃する水雷艇の排除でした。水雷艇は小型で高速なので、水雷艇の動きに付いていけ大量に射撃できる大砲が求められていたのです。が、第二次世界大戦時になると性能不足が隠せなくなってきたため、増築の際に新型砲に置き換えられる形で撤去された模様。なのでこの大砲はどこから持ってきたの?という話になりますが、そこには言及されていませんでした。

で、その新型砲がこの連装6ポンド速射砲 (Twin-barrel 6-pounder gun)。これもイギリス製。QF 6-pounder 10 cwt gunとも言う。水雷艇よりもさらに高速な魚雷艇の登場で12ポンド砲では対応できなくなったので開発されたやつです。当時の魚雷艇と言うとアメリカのPTボートやドイツのSボートなんかがありにけり。発射間隔72発/分と性能向上しています。さすが連装砲。この個体は世界中で現存する最後の6ポンド速射砲だそうな。本当だったらすごいね。

これは増築時に建てられた射撃管制塔。遠くを見通せるように高い建物になっています。さすが、戦時中に建てられたとあって戦争する気満々ですね。

詰め所ですね。増築時の建造物だそうな。

一番右側の入口の部屋。ここは謎ですが物置きですかね。

左の入口へ入ってみる。半地下構造です。

弾薬庫でした。

鉄製の箱に弾丸と薬莢が入っているのだ。

一度外に出て表の階段で次に2階に上がります。この部屋は砲兵の使う道具を入れておく部屋。大砲の砲身も置いてありにけり。

吹き抜け付きの廊下になっています。吹き抜けのところには巻き上げ機があって、1階の弾薬を上まで持ち上げるのでしょう。

ここは要員の詰め所。ここだけやけにきれいですが、内張りを張り替えたかな?中ではビデオ上映していました。内容は最早覚えておらん・・・。
というところで今日はここまで。

その5へ→

京都鉄道博物館を見て回る その9【2017/8/16】

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2017年8月16日(水)17時24分京都府京都市下京区 梅小路公園京都鉄道博物館を見学し終えました。10時に入館して、結局閉園間際まで居てしまいました。まともに見学しようとするとやはりこのくらいの時間がかかるのだな。京都鉄道博物館の隣には梅小路公園があるんですが、ここには京都市電の路面電車が何台も保存されています。屋外保存なので夕方になっても見に行けますので、行ってみましょう。
これは西口にゲートガードみたいに置かれている2000形2001号。今は観光案内所になっています。一部の2000形は伊予鉄道に譲渡されています。調べてみてそういえばそうだったなと思い出しました。前照灯の数と位置が変わっているので、気づきにくい・・・。

市民の憩いの場的な都市公園です。

東へ向かって歩いていると、軌道が出てきました。ああ、これが例の市電の動態保存車の走る線路か。線路を辿っていけばこの軌道の主に出会えるはず。

いました。狭軌1形27号ですね。明治村の路面電車でおなじみのやつです。これは動態保存車で、今見た軌道を走るんですが、架線集電ではなくて電池に充電した電気で走ります。利点としては地上設備費が抑えられるというところですかね。色々言われてますが、チーム事情というのもありましょう。本日の運転は終了しているので、動いているところはまた来ましょう。

続いては市電広場。4台の路面電車が静態保存されていて、売店に使われています。屋根付きなのは得点。

700形703号。電車グッズ売り場になっています。ちなみに中は資料的価値を損なう改装は行われていない様子で、原状復帰させるのはそう難しくないだろうという印象でした。座席などは外されていましたが、恐らく別の場所に保管されているでしょう。

800形890号。800形の最終号車です。これは空き家でした。テナントが見つからんのでしょう。

1600形1605号。京都市電と言うとこの顔つきかなぁと思います。ただしこれも空き家。

500形505号。これは軽食屋になっています。いまは季節柄かき氷が主力商品。ヘッドマーク風の営業中がおしゃれ。

東口のゲートガード兼観光案内所は900形935号。路面電車を見ながら公園を横断しました。これで今日の目的は達成できたのですが、今日の帰りは夜行バスなのでまだまだ時間があるのです。どうしたもんかなと思案しながら博物館を回っていたんですが、模型屋のボークスがあったのを思い出したので時間つぶしに行くことに。梅小路公園から歩いていくとちとキツイので(博物館を練り歩いた後)、バスで行きます。店の目の前に停まるバスはないので少し歩きましたが。

着きました。ここ、京都の店舗は本社機能もあるのね。で、玄関には飛行機のプロペラがありにけり。すげーね。この太いペラと回転軸のぐるぐる目はドイツのFw190のプロペラですね。VDM 9-12153.13という型番だそうな。ドイツ機のプロペラと言えば木製なんですが、これはアルミ合金製です。アルミ製もあるにはあるんだね。

これもドイツのBf109のプロペラのレプリカ。ペラだけでもこの太さはドイツ製だなと分かるので結構特徴的なんですよ。強力なエンジン出力を効率よく推進力に換えてやるにはペラの枚数を増やすかペラの表面積を増やすかでした。ドイツ機は後者を選択したのでこんな太いプロペラになりました。木製を選んだのは軽量化のためです。ちなみに連合軍は前者を選択しています。分かりやすいのはイギリスのスピットファイアで、最初のMk.Iは木製2枚翅固定ピッチプロペラだったのが、最終型のMk.24では金属製5枚翅可変ピッチプロペラまで増えてます。さらに海軍のシーファイアは3枚翅*2の二重反転プロペラのやつもいます。果たして同じ戦闘機と呼んでいいものか・・・。

謎の木製プロペラ。不明です。

さらに航空エンジンも置いてあります。これマーリンですよ。日本でこんな形でマーリン見ることになるとは。すげーな。イギリスのロールスロイスが開発した液冷エンジン「マーリン」をアメリカの自動車メーカー パッカードがライセンス生産したもの。正確にはV-1650という型番で、パッカード・マーリンと呼ばれることもありにけり。搭載機はスピットファイアMk.XVI、P-51B/Cマスタング、P-51Dマスタング、ランカスターと傑作機ばかり。

反対側から。ああ、いいですねぇ。スーパーチャージャーも付いているのも得点高いですよ。

配管とか排気管とか。

隣にはマーリンと同時代に生産された空冷エンジンのライトR-1820サイクロン。星型9気筒で、B-17やらSBDやらDC-3やらに搭載されたやつです。これを基にした複列14気筒や複列18気筒のエンジンもあるんで、この時代のアメリカ空冷エンジンの礎みたいなやつです。

放熱フィン1枚1枚がきれいですね。もしかしてレプリカなんじゃないかと疑いたくなりますが。
エンジン見学はこの辺にして店舗へ入店。色々置いてありましたがプラモデルを物色していくつか購入しました。海外製キットをたくさん置いてある店舗は良いです。

いよいよやることがなくなりました。プラモデルを買って荷物も増えたのであんまり動きたくもないです。なんの気無しに大宮あたりまで出てきてラーメンを夕食にします。京龍という店だったかな。うまかった。

同年同月同日20時4分京都府京都市下京区 嵐電四条大宮駅グーグルマップを見ながらなんかないかと探していると、嵐山や渡月橋が目に入る。渡月橋は夜でも明るいから暇つぶしにいいかもと思い、ここに行くことに。ちょうど嵐電の四条大宮駅の近くにいたので、嵐電のモボ611形に乗っていきます。

2日振り2度目の嵐山駅に着きました。少数派のモボ501がいますね。

暗くなるとこういうふうに電飾されるのか。なかなか良いもんだ。時刻はもう20時半なのに駅前の土産屋は盛況で、さすが京都は日が暮れると閉まるそこらへんの観光地と格がダンチだ。
というところで今日はここまで。

最終回へ→

京都鉄道博物館を見て回る 最終回【2017/8/16】

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2017年8月16日(水)20時36分京都府京都市右京区 渡月橋
この時間の渡月橋、もっと人気が無くてしんみりしていると思ったら激パだった。想像していたのと違う。どうして。

めちゃくちゃ人いるよ。ちなみにここに着く直前まで山で大文字が燃えてたらしい。うーむ、見てみたかった。で、それが終わった直後なので見終えた群衆が一斉に移動しているんじゃないかと。

橋を渡っているとなんか川の上で光っているものを見つける。

なるほど、灯篭流しか。今日は8月16日なわけですが、ちょうどこの日が年に一度の灯篭流しの日だったのです。第二次世界大戦の戦没者の供養が目的で始まったので、この日になったのね。そりゃ混むわな・・・。年に一度の行事に鉢合わせたのはラッキーでしたが。

右岸に渡りました。人減らないなぁ。

川岸で受付して自分で灯籠を流すスタイル。

彼の世感ある。見に来てよかったね。

言わば此の世と彼の世の境かしらね。


少しの間灯篭流しを見物したら離脱して歩いてJR嵯峨野駅へ。ホームは中々に混んでいます。嵯峨野線には103系を走らせたほうが良いのでは・・・?

2017年8月16日(水)20時36分京都府京都市下京区 JR京都駅
JR嵯峨野線でJR京都駅へ。山陰線ホームを降りたら北陸方面の特急「サンダーバード」683系更新車が停車中でした。まだ当面は活躍すると思って油断しているので、まだまともな写真は撮ったことがないのです。

まだ小一時間時間があったので、酒もまだだったし駅の中のバーで少し飲む。カナダへの郷愁を誘うフィッシュ・アンド・チップスを注文してみましたが、カナダのものには程遠い代物でした。まあこんなものかと、少し残念。

京都駅八条口に出て、帰りの夜行バスを待ちます。それまでの間はバスの見物をば。近鉄バス(日野セレガ#2061)の「クリスタルライナー」甲府行き。

近鉄バス(ふそうエアロキング#7402)の「よかっぺ号」水戸行き。便名のセンスが破壊的。

ウィラー(Willer Express西日本)(ふそうエアロエース)のディズニーランド(R)行き。

アルピコ交通(日野セレガ)の長野行き。

阪急バス(日野セレガ)の富山行き。

ウィラーのディズニーランド(R)行き。さっきのとは違う便だよ。これは大阪さやま交通(ふそうエアロエース)の運行。

京都観光バス(ふそうエアロエース#82F06-736C)の京都止まり。

ほい来ました。しずてつジャストライン(ふそうエアロクイーン)の「京都大阪ライナー」静岡・清水行きです。なんと阪急バスから移籍してきたエアロクイーンが来ましたね。京都大阪ライナーはしずてつと阪急の共同運行でしたが、阪急がこれから手を引いたのでその際に移籍してきた車両です。行先表示の行灯に阪急の面影が・・・。移籍の中古車と言っても中はちゃんとした独立3列席だから問題なし。

草津SAで休憩。他のバスもみんなここで休憩を取るので、似たような夜行バスが集結。

平成コミュニティバス(ふそうエアロエース)の「VIPライナー」102号新宿・王子行き。

広栄交通バス(ふそうエアロエース)の「ブルーライナー」大宮行き。

ウィラーの日野セレガとふそうエアロエース。

JRバス関東(ふそうエアロキング#D654-03504)の「青春エコドリーム号」。エアロキングも記録できる内に記録しておかないと。

京成バス(ふそうエアロクイーン#H651)の「K★スターライナー」横浜・東京・千葉行。

一通り撮影し終えたので車内に戻ります。この後はちゃんと睡眠でき、翌朝静岡駅を降りました。
というわけで、一連の関西遠征のお話でした。おしまい。

ビクトリアの沿岸要塞跡地を見学する その5【2016/3/16】

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ロッドヒル要塞内のベルモント陣地の見学の続き。再び砲台のところへ登ります。

建築時に装備された12ポンド速射砲 (12-pounder quick-fire gun) です。前回も書いたように後の増築時には撤去されたようなので、これはどこからか持ってきたものだと思われます。陣地には左右に1門ずつ装備されていましたが、復元されているのは右側の砲台だけ。

大砲の防盾の裏側。どうも部品の欠損が見受けられる感じ。分かるところでは砲弾を砲身に装填した後に閉める蓋とか。他にもありそう。

照準器の台はありますけど肝心の本体がないっすね。

砲台のハンドルとか土台とか。

のぞき窓からの眺め。だいたい5人くらいで運用していたようです。

次いで、増築時に設置された連装6ポンド速射砲 (Twin-barrel 6-pounder gun) 。大砲本体の割に防盾が大きいな。

射撃管制塔との並び。管制塔も増築時に建設されたもの。この2つはユニットで運用されたのです。

防盾の裏側はこんな感じ。12ポンド砲よりも必要な要員は多そうで、これが防盾がデカい理由か。

砲台の向き調整のハンドル。のぞき窓と椅子が2つずつあるので2人で動かしていたと思われ。右のハンドルが砲台、左のハンドルが大砲の調節に使うものかな?(分からん)

反対側にもハンドルがありにけり。連装砲の角度は両者で独立して調節できたのか、それとも別系統の調節ハンドルか・・・?(分からん)Hビームの上に乗っている黒いのが椅子ですね。一番左の人は何する人なんだろ(分からん)自国の兵器大好きイギリス人のことだから、調べればネット上でもなにか見つけらるかもしれませんが、今回は省略します(手抜き)

射撃管制塔。内部は非公開でした。かなしい。二階建て構造になっています。使わない時は窓に蓋できるようになっていますね。高さが分からんのでなんとも言えませんが、どのくらい向こうまで見れたのかしら。対岸のポートエンジェルスくらいまでは見通せたのかな?(分からん)

増築した感ムンムンな雰囲気を出していて好き。

左側の12ポンド砲の土台の跡。増築した建物によって潰されてしまいました。

謎空間が。

うーん謎。12ポンド砲時代に使われていた射撃指揮所?(分からん)

というところで今日はここまで。

その6へ→

ビクトリアの沿岸要塞跡地を見学する その6【2016/3/16】

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ベルモント陣地の脇からの海岸沿いの小道を歩いていると小屋が出てきました。これは探照灯小屋ですが、最初に見た2つを含む4つの探照灯小屋とは別の時期に建てられたものです。この小屋は第二次世界大戦時に建てられた17棟の小屋のひとつ。19世紀に建てられた4棟の探照灯小屋はこの時に置き換えられて役目を終えました(だから探照灯本体は残っていなかったのだ)。この小屋は6号探照灯小屋で、1940年に建築。6号が最初の4棟からの続番なのか気になりましたが不明。エスクイモルト湾の入り口を見張っていました。外観は板小屋にみえますが、実は迷彩塗装で、実際はバリバリのコンクリート造り。さっき見た1号探照灯小屋と同じような造りと見て良いでしょう。

位置関係はこのようなかんじ。

砂浜の上に建てられていて、海が荒れていたときに流れ着いた流木が打ち上げられています。こんなところで大丈夫だったのかな・・・。

正面の円弧状の部分がシャッターになっていてそこが開くと探照灯がお目見えします。そのシャッターの部分には四角い窓がありますが、あれも迷彩で描かれたダミーです。結構凝っているのよ。描いた人結構楽しんでやってたんじゃないかな。小屋の前には舟がありますね。これ、満潮時は舟を使って出入りしていたということですかね。

そして!ここの小屋には探照灯御本尊が鎮座しています!直径60inch (152.4cm) あります。やはりでかいな。銘板はかすれてて読めなかったけど、ゼネラル・エレクトリック製であるのは確認できました。


振り返ってみるとベルモント陣地が見えます。離れてみるとこう見えるのか。管制塔の高さは30mくらいなのかなぁ。だとすると、x=3570√30でx≒19.5kmくらいですかね。妥当なんじゃないかなぁ(適当)

道沿いに置かれている物体。まあ、奥のは機雷でしょう。手前のは・・・?

金属製の網ですね。これは、対魚雷対潜水艇網です。この網を海中に展開することで放たれた魚雷や侵入しようとする潜水艇を網に引っ掛けて防御するためのものです。

もう一度ここの地形を確認してみましょう。この入り江状の地形の内側にエスクイモルト海軍基地がありまして、艦艇の出入りは入り江の入り口の狭い水道部しかありません。ここだけ守備すればよいので守る側にとってはやりやすいですね。日本の海軍基地も大なり小なり似たような地形をしています。で、その防御網はこの入り江の入口に直線状に東西に渡って展開されました。一定距離ごとにブイが浮かんでいて、ブイから網が垂らされる格好でした。ただ網を広げただけでは今度は自分たちの艦艇が出入りできませんから、必要に応じてこの網の門を開閉できるようになっていました。防御網は両岸から延びていって、先端は移動式の舟に繋がっていました。2艘の舟は普段は連結して門が閉まっている状態になっていますが、友軍の艦艇が出入りする時は舟が離れて門が開いた状態になるのです。
ちなみに日本海軍はさほど特殊潜航艇の使用に熱心でなかったので、対日戦装備としては疑問が残るところ。この防御網、恐らくは有名なところでイタリア海軍のアレクサンドリア港攻撃の戦訓を活かした格好になっていると思います。イタリア海軍の特殊潜航艇が港内に侵入して、イギリス海軍の戦艦に魚雷か機雷かを放って沈没させたやつですね。ここ以外での実例は調べていないのでなんとも・・・ですが。


これは機雷ですなぁ・・・と思いましたが、たぶん網を海中に垂らすためのブイですかね、うーん。

海岸から陸地の方に戻ります。これは探照灯を動かすための発電室でござい。海岸から見て大きな岩の後ろにあります。もちろん、敵の火砲から防御するためのもので、軍事設備でありますな~。ただまあ、長年の経年によるものか、土被りもややあるような気がして、半分埋もれているような格好に。1902年~1956年の間、運用されていました。つまりベルモント陣地の運用開始直後からロッドヒル要塞そのものが廃止されるまでの間ということですね。

建物は1898年竣工?

奥の鉄柵の先の円筒状の白い物は燃料タンクです。その手前の地面の白いマンホールみたいなやつは排気濾過装置です。排気と一緒に出る煤煙で敵に気取られないようにするためのもの。中は水タンクになっているようなんですが、構造がよくわからない。塗装ブースを排気ホースの先に水を入れたバケツを用意しておくことがありますけど、あれと同じことかな?奥にももう一つあるんですが、土嚢で覆われてますね・・・。でも左の窓からはみ出ている鉄管は発電機本体の排気管ですから、ディーゼル機関換装後の晩年は使われていなかったと思われ。

タンクはいくつも並んでいます。800ガロンが16槽。ガロンは明記されていませんが英ガロンだと思いますが・・・。中には入れず。

これが発電室の中。発電機も保存されているのは高得点です。竣工から1940年までは25馬力の焼玉エンジン (ホーンスビー・アクロイド式機関: Hornsby-Akroyd oil engine) を2基使ってたそうな。恥ずかしながら焼玉エンジンはほとんど知らないわけですが、ポンポン船のあの音だよな、くらいにしか親しみがなく・・・。日本でも現存例あんまりなさそうだなぁ。で、第二次世界大戦の時期にウェスティングハウス製のガードナー・ディーゼル機関3基に置き換わったそうな。CAR-S0103という型番のような文字が書かれてましたが、詳細不明。

次、食堂。1900年築。いわゆる酒保でしょうかね。1930年代に食堂として使われました。他にも物置き、既婚者の住居、事務所などなんにでも使われていた模様。奥の部屋は室温が低く一定なのでビールセラーとして使ってました。

食堂ですね~。顔ハメ看板もあり。顔を取られてしまった兵士カワイソスと思うのは自分だけか。

あれはたぶん野営キャンプ。ここは基本的に後方の基地ですから、兵士の訓練地として使われていたというのはありそう。今は普通に民間人が宿泊できる観光用のキャンプハウスになっているんだと思います。


組立工小屋。組立工の作業小屋です。なんでこんなところに。

こんなふうに道具が置いてあります。鍛冶仕事もやってたみたい。

見晴らしの良い丘の上にある建物は砲台司令部です。いわゆるコマンドポスト。各砲台を指揮するための場所で、この要塞の指揮系統の頂点です。見晴らしが良いと言っても周りは樹木に覆われています。これは司令部を周りから隠匿するためなのでこれで正解。現役時ここの位置は割と機密だったそうな。

海さえ見えればそれでいいっしょ、な具合で窓の天地はとても狭い。なお今は木が生長しまくって前が見えん。

これは距離計を置いていた台。側面になんか書いてありますが、かすれていて読めん。もうひとつ通信室があって、そこで各砲台陣地へ電話で通信してました。

司令部の裏に建つ、軍事基地にそぐわないお家。1897年築。砲手長 (Master gunner) とその家族の住む家だったそうな。でも下士官が住んでいた時期もあったそうな。ここに下士官が住めるの?その後も第二次世界大戦時には将校の家になり、戦後には既婚者の家となり、また砲手長の家になりましたとさ。これも中には入れず。
というところで今日はここまで。

その7へ→

【1/16】フォード・モデルT 製作【リンドバーグ】

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静岡ホビーショーでの中古プラモデルの即売会で入手したフォード・モデルTのキットを作ります。モデルTあるいはT型は自動車史に欠かすことの出来ない1台とあって、主に海外メーカーからいくつもキット化されています(国内メーカーはさっぱり)。今回はアメリカのリンドバーグ社のキットを作ります。モデルTは現用車と比べるといささか小型ですが、これの縮尺は1/16なので十分な迫力があると思います。

これの初版は1960年代の超ベテランプラモデルです。ちなみに今回のキットは2001年発売だそうなので、発売から20年近く経っています。1枚で成形されたシャーシとフェンダーがドカンと目に入ります。モデルTの実車の部品構成はよく知りませんが、これは1960年代のキットなのだと思っていたよりも細かく再現されているなぁと。特にエンジン付きなのは高得点。

タイヤはゴムだし、メッキ部品は金メッキになってます。銅線のような金属線は、クラクションの部品です。

説明書は年季が入っていますなぁ。

シャーシと走り装置の部品を仮組みします。必要最低限にして十分な点数と再現度じゃないかなぁと。推進軸、バネ、変速機などが別部品化されていて立体感があります。現用車は一体化されることが多いですから、これはこの年代の自動車のプラモデル特有でしょうな。シャーシと走り装置の部品はつや消し黒で塗装します。

トランクの部品。このピンは組み立てには不要なものですが、金型抜き取り時の取られ防止・・・?

上回りも組み立ててみる。ボンネットの立て付けがやや悪いですが、キャビンなんかはいいですねぇ!

ボディは黒で塗ります。クリア塗装してコンパウンドで磨きます。形状が単純だから磨くのも楽ちん。靴摺りは銀色に塗ります。

運転室やエンジンを艤装していきます。

車輪やら風防やらを艤装。めちゃかっこいい!ホイールの赤がいいアクセントになるなぁ。風防は金メッキされた枠に透明の風防部品をハメます。枠がメッキなのでセメントが使えません。瞬間接着剤は白化が怖いので、セメダインのハイグレード模型用を使って白化を予防しました。

屋根がないのでキャビンもよく見える。

シャーシはこんな感じ。エンジンの色は緑にしました。
古いキットでしたがいい意味で大味だったので、部品の摺合せは難しくなかったです。外観の雰囲気は良いですし、大きい縮尺なのでハッタリもあります。満足できるキットでした。
完成品はギャラリーにて。

<使用塗料>ボディ:N2ブラック靴摺り:N8シルバーシャーシ:N12つや消しブラックホイール:N3レッド座席:N55ミッドナイトブルーキャビン床:H79サンディイエロー幌:N85セールカラーエンジン:H26デイトナグリーン:H36ダークグリーン=7:3

【1/16】フォード・モデルT 1910年式【ギャラリー】

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キット:リンドバーグ 1/16 1910 フォード・モデルT仕 様:1910年式ツーリング型[製作記はこちら]
リンドバーグの古典キットから作りました。素直に素組しましたが、それでも鑑賞に耐えうる良キットだと思います。

誰もが認める名車でありますから、一度はプラモデルを作ってみたいと思っていたのです。良いキットと巡り会えました。




屋根はないので雨が降るような時は後ろの幌を展開します。これ別にオープンカーだったわけではなく、当時の車は開放型のキャビンが普通でした。少し後に現用車のような密閉型キャビンが登場します。登場当時は全天候型と呼ばれとりました。




シャーシの裏。エンジンが見えるのが良い。

運転席。
以上フォード・モデルTでした。

平日朝のホームライナー撮影【2017/8/24】

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平日に休みが取れることになったので、早起きして平日朝に東海道線を走るホームライナーを撮影しに行くことにしました。あまり遠出だと超早起きになって嫌なので、近場の用宗駅付近に陣取りました。

2017年8月24日。東海道本線JR用宗駅から安倍川駅方面へ歩いて最初の踏切の脇から撮影することにしました。この日は特に何か珍しい列車が来るわけでもなし、ただの普段の記録です。できるうちにしておかないとね。まずは313系2500番台+211系5000番台普通沼津行き。

EF210形126号機の貨物列車。福山通運のコンテナで統一されていて素晴らしい。

313系2600番台+211系5000番台普通興津行き。

1本目の373系+373系「ホームライナー静岡」2号は下り列車と被って撃沈。くそうくそう。

下り列車の撮影は・・・望遠が足りない。

313系2500番台+211系5000番台普通熱海行き。211系先頭の列車が来ない・・・。

と思っていたら程なくして来ました。211系5000番台+211系5000番台普通富士行き。

もう1本、211系5000番台+211系5000番台普通三島行き。

313系2500番台+313系2350番台+211系5000番台普通熱海行き。平日朝名物、8両編成です。あれ、こんな編成だっけ?運用変わった?

最後に2本目の373系「ホームライナー静岡」4号を撮影。こっちは無事に済んだ。373系を2本連結して走るのはほぼホームライナーだけになってしまいましたから、また撮影してみたいものです。
これで撮影終了。帰りました。おしまい。

横田でプチアメリカ旅行 その1【2017/9/16】

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2017年9月16日。東京にあるアメリカ空軍横田基地へ行ってきました。ここは日本の中のアメリカ合衆国なのでホイホイと入れる施設ではないのですが、年に1日だけ日本国民も入場できるフレンドシップデーだったか友好祭だったかなるものがあります。それに行ったわけです。基地内はアメリカですから、これすなわち海外旅行。なのでパスポートか住民票付運転免許証あたりが入場の際に必要になります。パスポートを持っている場合はそれを持っていくのが楽です。私もパスポートを準備して行きました。まあ入場に必要な書類や注意点に関しては詳しくはググってくれたまへ。
まずは、静岡駅初電の「こだま」700号で東京駅へ。

そこから中央線と青梅線を乗り継いで拝島駅で降ります。通ったことはあるけど降りたのは初めてかな。拝島駅から横田基地までは歩いていきます。今日の拝島駅は横田基地へ行く人達で溢れていますから、人の波に乗ってついていけばいいのです(他力本願寺

ぞろぞろと大名行列を歩いていきます。中々たどり着かない。道中では沿道の民家や店舗が横田基地目当ての人に貸駐車場屋を開いていて、いい値段で駐車場を貸していました。

沿道では日本の警察も目を見張っています。パトカーの上にお立ち台を立ててその上で交通整理をしている警官が。なるほどあれがDJポリスか。初めて見たな、というかハロウィンの渋谷くらいにしかいないと思ってたんで、一生会うことがないと思っていました。

入り口に来ました。ゲートの雰囲気は以前に入ったことのあるデイビスモンサン基地に似ているなぁ、共通設計なのかなぁとか。

基地の門です。みんな同じ方向を見ていますが、この日は航空自衛隊のブルーインパルスが飛行している日なのです。なんでこの日にこんなところで、、、と忘れていたんですが、調べたら八王子市制100周年記念行事の一環だったそうな。横田基地関係なかった。

入国成功。標識類は全部アメリカのもので、日本語が見当たらない。アメリカの土地なんだなぁ。

ブルーインパルスが飛んでますね。ここは別に八王子市ではないので演目と演目の間だと思いますが、ビシッと機体の編成を揃えていますね。

まあ、今日の目当てはこっちなのだ。うーむ人だらけだ。

ロッキード・マーティンのC-130Jハーキュリーズ。ベトナム戦争あたりから現役を続けているC-130輸送機の最新型。書いていて思い出しましたが、今年の横田基地は戦略爆撃機やら戦闘機やらが大量に展示される予定なのでした。特にB-1Bは例の北米P4でもモスボールされた姿しか見ていなかったこともあって、ワタシ的には目玉展示でした。しかし、当日の数日前に北朝鮮が飛翔体(事実上の弾道ミサイル)をぶっ放しやがり、朝鮮半島の緊張度が高まってしまいました。横田基地に展示される予定だった爆撃機や戦闘機、空中給油機は全てキャンセルされて他所の基地に待機となってしまいましたとさ・・・。この時はかなりガッカリして北の国にも恨み節を飛ばしましたが、それでもまあ行ってみるか・・・ということになったのでした。

輸送機の機内見学の行列。すげー並んでる。きびしい。

周りの人がまばらで悲しいことになっているビーチクラフトC-12Jヒューロン。軽輸送機なわけですが見た目の通りでビジネスプロペラ機を軍用に流用したもの。これはビーチクラフト1900C

ベルUH-1Nイロコイ(ツインヒューイ)。おなじみの汎用ヘリコプターですが、大抵茶色と緑色の迷彩ばかりで空軍の灰色塗装は見慣れていないのでちょっと新鮮。ちなみにN型は双発エンジンを積んだ出力向上型です。積載能力も上がって機体も少し大きくなったらしい。

輸送機の見学はなんだか進みが早いので、これなら行けそうと思い並んでみることに。

輸送機に飲み込まれていく日本人。くじらみたいだ。御存知の通り、C-130は胴体の後部を貨物室との出入り口にして素早い荷物の積み下ろし、車両を直接積み下ろしできるようにする方式を確立した輸送機です。

C-130って横から見ると胴体尾部と垂直尾翼の付け根が細すぎて折れやしないのかと心配になったんですが、後ろから見ると胴体が横に太いのでちゃんと大丈夫そうなんだな。

空力性能が戦闘機ほど求められてない輸送機はリベットの頭が出ているんだよなぁ、とか。

乗車率90%くらいの貨物室。まだまだ詰められるぞ。機内は普通の自動車くらいしか積めなさそうで、戦車や装甲車は難しそう。
というところで今日はここまで。

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