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北米project 4 ~Is the order a warbird? その53【2016/03/04~10】

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オレンジエンパイア鉄道博物館を後にした私は、レンタカーを運転して次の博物館へ。その名はマーチフィールド航空博物館。そう、また飛行機の博物館だ・・・。
オレンジエンパイアからは車で20分くらいで行ける近い距離なのではしごすることも可能。ただし公共交通機関で直接乗り付けることは出来ない。周りは住宅街が広がっているがマイカー前提の生活環境なので交通機関僻地だ。
一応、博物館から2km歩いた先にバス停があって、そこからバスに乗るとメトロリンクという近郊通勤鉄道の駅にたどり着けるので、行けん事はないという感じ。やろうとは思わんからその先は各自調べてくれちょ。

なお、オレンジエンパイア撤収が12時過ぎと存外時間を食ったので、昼飯を食べる時間を昨日に続きまたしても失うことに。



2016年3月6日(日)13時17分
カリフォルニア州リバーサイド マーチフィールド航空博物館 入り口
着いたぞ!でも既に13時回ってるぞ!この後の予定的に16時には出ないとまずいから(ここ伏線だぞ)2時間半で全部見て回れってか。無茶だろ・・・。

さて、マーチフィールド航空博物館 March Field Air Museum とは、先刻承知の通り航空博物館です。航空博物館と言ってもその中身は色々なのだ、というのは長々とこの旅行記に付き合ってくださってる読者諸氏にはご理解のことと思いますが、ここは静態保存されている主に米空軍の第二次大戦後の航空機を屋外の展示場にやたらめったら展示しまくっている系博物館です。
その数は100機くらいはいるんじゃないか(まだ数えてない、これから執筆しながら数える)っていう物量戦で、まともに見ようと思うとその日の開館時間をすべて使い切ってしまうでしょう。その数もそうですが、こんだけの種類の軍用機をアメリカ一国で開発してきたんか・・・という意味でもひっくり返る場所です。まあ翌日、そのさらに上を行くピマってところに行ってもう1回すっ転ぶんですけど、どっちにしろ半端ねぇって。



ちらっと左を見てみるとおびただしい数の飛行機が見え隠れしてやべーぞ。戦闘機、練習機、輸送機、爆撃機、なんでもござれ。
ちなみに、博物館の奥というか左というか、東側には米空軍のマーチ空軍予備役基地 March Air Reserve Base がありにけり。一応、第4空軍の司令基地なのだ。輸送機の離着陸なんかも見れますぞ。



あれが博物館の本館。ちっちゃい格納庫の流用っぽい風貌をしています。建物内にも少数ですが機体が展示されています。その多くは第二次大戦とそれ以前に活躍した機体たちで、カリフォルニアの熱と乾燥にやられないよう大事大事にされています。



ゲートガード的に置かれている2機の戦闘機から見ていきましょう。2機とも館内の屋外展示場でまた出てくるのでここでは軽く触れておくだけにしましょう。
マクドネル・ダグラスRF-4CファントムII(1958年・191機目)
御存知ファントムおじいちゃん。偵察型なので機首にカメラが追加搭載されております。カメラ自体は外されていましたが・・・。
たぶんそのうちどっかで出てくると思いますが(適当)、RF-101の後継機として造られたもの。光学カメラ以外にも側方監視レーダー、赤外線監視システム、レーザー偵察システムなんかを積んでいます。第二次大戦の頃の偵察機とは色々違っているんだね。



リパブリックF-105Dサンダーチーフ(1955年・192機目)
出た!センチュリーシリーズだ!センチュリーシリーズもF-100~F-106までなんだかんだ大半の機種を見てきましたが、F-105はこの機体が初めて。でかいね・・・。
一応、戦闘機という括りで開発されてんですが、機内に設けた爆弾倉の中に核爆弾を抱え込んで敵地を火の海にすることを主眼にして開発された機体です。それ、爆撃機っていうんちゃうんか。ただし結局核爆撃することは一度もありませんでした。あってたまるか。
ベトナム戦争ではアメリカ空軍の事実上の主力機としてあっちゃこっちゃ爆撃していました。おかげで損耗率は総生産数の約半数の400機近くに達しており、えげつねぇ数字を叩き出しています。
F-105というと敵レーダー陣地を叩き潰すワイルドウィーゼル任務なんかが知られていますが、あれ用の機体は少数で、ほとんどの機体はこのD型です。



ジミー・ドゥーリットル(1896~1993・1日ぶり2体目)
またあんたか。よっぽど人気なんだなぁこの人。石板に彫られてる15の数字は、彼の指揮した第15空軍のことです。

では館内に入りましょう。入館料は大人$10です。
まずは建物内の機体を見ましょうか。



ベルP-59Aエアラコメット(1日ぶり2機目・通算193機目)
わっ!これがあるんか!とひっくり返った戦闘機。第二次世界大戦中に開発されたアメリカ初のジェット戦闘機なのです。初飛行は1942年10月で結構早い段階で実用化へ向けて進んでいたわけです。なお日本。
ところがP-59はジェットエンジンに恵まれませんでした。これに搭載されたゼネラルエレクトリックJ-31ターボジェットエンジンは低出力で性能不十分でした。P-59はこれを2基搭載しているんですがそれでも当時の最新鋭レシプロ戦闘機に速度で及びませんでしたジェット機だからってプロペラ機より強いわけじゃないのよ、というのが極初期のジェット戦闘機の特徴だったりします。
そういうわけなので機体は失敗作となってしまったのですが、どういうわけかアメリカ陸軍航空軍はこれを制式採用して量産化。全部で60機くらいが造られてしまいました。たぶん見栄を張って採用したんじゃないでしょうかね。こうして晴れて「アメリカ初のジェット戦闘機」の称号を得たのでした。
でもこれを初のジェット戦闘機とするのは後になってみたら恥ずかしくなってしまったので、P-59は影に追いやり、後に出てきたロッキードP-80を「アメリカで初めて大量生産されたジェット戦闘機」と妙に苦しい称号と共に宣伝し始めたのです。



ジェット戦闘機はレシプロ戦闘機みたいにエンジンを機首に配置しなくて済むので、機首に機銃をガン積みできます。アメリカ軍の戦闘機は主翼内に機銃を配置するのが好きですが、好きでやってるわけじゃなく機首に空間ができればそこに武装をねじ込むのだ、ということでしょうかね。
アメリカ初のジェット戦闘機であるP-59の段階でそれは採用されていて、向かって右側に大きく飛び出てる37mm機関砲*1、左側には12.7mm機銃*3で固めています。37mm砲はベル社の前作、P-39でも採用されてたんで、好きなんですねぇ。なんか配置の仕方がテキトーに見えますが、何かしら意味があるんでしょう。でも銃口が機体から飛び出してるのは、空力とか整流とかあんま考えてなさそうだな、これ。



P-59最大の特徴はエンジンの配置でしょう。重量物であるエンジンを動態の機体中心位置に持ってくることで重心位置を安定させるという発想は現在の戦闘機でも採用されているまさに正解の配置で、当時でも10年は先を進んでいたと思います。同世代機であるドイツのMe262やイギリスのミーティアが主翼上にエンジンを配置するレシプロ機の延長上のような配置と比べると先進的だったことが分かります。まあそれでも肝心のエンジンがダメだったのでアレでしたが。
この発想の源流はベル社の前作P-39エアラコブラなんだと思います。あれはレシプロ機ですが、エンジンをミッドシップ配置にした独特な機体なのです。



スチンソンL-5センチネル(1日ぶり3機目・通算194機目)
基地間連絡、地上偵察、着弾観測、救急搬送、補給などに使われた連絡機です。これで3機目です。意外と残っとるのかしらん。
宙吊りで展示されていて、なるほど下方視界が良いのだなと。



ベル社のアレな戦闘機ことベルP-39Qエアラコブラ(1日ぶり3機目・通算195機目)
単発プロペラ機でありながらエンジンを胴体中央のコックピット後ろに配置するミッドシップ機。重量物を重心位置に置くことで機動性が良くなるのです。さらにガランドウになった機首には大型機関砲を装備することで攻撃力も上げました。
このように発想は良かったんですが、いろいろ致命的な欠陥も多く・・・。特に高高度性能の不足は深刻でした。ただしこれは機体のせいではなくて、満足な過給器(排気タービンを搭載予定だった)を付けてもらえなかったところが大きく、この点は気の毒です。P-59のJ31エンジンと言い、エンジンに恵まれない会社だな・・・。
アメリカはもちろんレンドリースで貸与されたイギリスでも使い物にならんと判断されて失敗作になるところでしたが、同じく貸与されたソ連では大活躍した模様。高火力を生かしてドイツ戦車を上から叩いていたようです。近接航空支援(CAS)みたいなことをやっていたのです。これだと低高度の任務になるので高高度性能がダメでも問題化しませんね。



機首の37mm砲はプロペラ軸の中心上に装備。マン真ん中に取り付けることで狙いがつけやすいのだ。ちなみにプロペラは、エンジンからコックピットの下を通るプロペラシャフトを介して回しています。
エンジンの空気取り入れ口が主翼前縁の根元部分に配置されているのにも注目です。P-40やスピットファイアみたいに余計な突起が無いので空力的に良いのです。



エンジンが胴体と主翼が交差するところに置いてあるので、宙吊りだと見えないですね。P-39一番の特徴なのに。
Q型はほとんどソ連に貸与されたんですが、これはアメリカ陸軍に配備されたもの。ニューギニアのジャングルから回収して復元したものだそう。
となると同じくジャングルから回収されて復元されたゼロ戦のように、資料性はあんま無いのかも。降着装置とか、実は外板の覆いだけで中身は無いんじゃないかというようにも見えます。



シュワイザーTG-2(1938年・196機目)
シュワイザーという聞いたこと無いメーカーが作ったSGS2-8という機体を軍用版にしたグライダーです。シュワイザーは現存するメーカーで、グライダーとヘリコプターを製造する会社です。特に創業時からグライダーで有名だそうな。
全く知らなかった機体ですが、グライダーの初等練習機で座席はタンデム複座になっています。これで修行を積んだグライダーパイロットはゆくゆくは例の使い捨て空挺グライダーCG-4を操縦するのです。

というところで今日はここまで。次回は奥に写ってる黒い怪鳥を見てみましょう。ついでに、その奥の複葉戦闘機は撮り忘れてました(泣)


その54へ→

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