長々と続けている北米P4も旅行した日から3周遅れを超えて4周目に突入でっせ。フフフ・・・。
セスナT-37Bツイート(1日ぶり2機目・384機目)
どんどん見ていきますよ~。
これはツイッタラーが乗る練習機ことアメリカ空軍の初等練習機です。あとは特になし。
コンベアTF-102Aデルタダガー(1日ぶり2機目・385機目)
なんだかF-102のパチもんというか、デッサンの狂ったF-102というか、そんな見た目の機体。まあ型番を見ての通りなんですが、F-102の複座練習機型なのです。
無尾翼デルタ翼機は従来の構造の戦闘機と比べて特に離着陸の飛行特性が変わって操縦が難しいということで、その習熟のために造られました。
戦闘機の複座練習機にしては珍しく座席が左右に並んでいるサイドバイサイド配置になっています。なので、コックピット周りは設計し直されて、頭でっかちになってしまいました。空気取り入れ口の形状も変わっています。
パイロット達はこのコックピットをタブ(tub; 風呂桶、たらい)と呼んでました。
ノースアメリカンT-2Cバックアイ(2日ぶり2機目・386機目)
こっちはアメリカ海軍の練習機です。練習機らしいこじんまりとした見た目が好きです。海軍の練習機なので、空母での離着艦訓練が出来るのが強みです。
C型はエンジンをGE製J85に替えたもの。従来のJ47と同性能ながら燃費が良くなったとかで。
ちなみにバックアイはbuckeyeと書き、「セイヨウトチノキ」を意味します。なんの脈略もない名前ですし経緯も分からんですが、樹木を飛行機の名前にするのは異例なこと。なんかしら理由があるんでしょうけど。
綴り的に「後ろの目」という意味じゃないですが、おそらくダブルミーニング的にその意味(後ろの目で背後を取らせない)も入ってるんだと思います。
フォーランド ナットT.Mk.1(2日ぶり2機目・387機目)
軽量戦闘機として開発されたけど重戦闘機化が進んでいた当時は相手にされず、でも練習機としては適しているのでそっちを俺の生きる道と決めた飛行機です。
腹でも下したかのような緑色をしてますが、これはイギリスの試験飛行部隊の塗装なんだそうな。
ノースアメリカンT-28Cトロージャン(1949年・388機目)
意外にも今回の旅行では見るの初めて、アメリカ海軍の初等練習機です。もとは空軍が導入したものですけども。
エンジンにR-1820というWWII中の戦闘機用のエンジンを載せてるので、練習機にしてはやけに馬力が高いのです。で、C型は海軍向けの機体で、空母着艦用のフックが追加されています。
余談ですが、T-28のオイルクーラーの空気取り入れ口は機首の斜め左下に付いています。普通なら胴体の真下に付けるもんですが、T-28の場合エンジンの真下に前脚を配置してしまったので、やむを得ずというところでしょう。
よってT-28って実は左右非対称なのです。
ロッキードF-94Cスターファイア(1949年・389機目)
アメリカを爆撃してくるであろうソ連の爆撃機を叩き落とすために開発されたアメリカ空軍の全天候型迎撃戦闘機3兄弟(F-89、F-94、F-86D/L)の次男坊。でも一番最初に就役しました。
元々F-94が開発される計画はありませんでした。しかし、長男のF-89の開発が延び延びになったことから、F-89が形になるまでのツナギとして手っ取り早く配備できる全天候型戦闘機として急遽開発されたものなのでした。
F-89は1948年の初飛行しときながら本格的な配備が始まるまで6年掛かっています。現代ならいざしらず当時のジェット戦闘機としては激遅でした。
1949年にソ連が原爆の実験に成功したということでマジで焦っていたこともあり、とりあえずすぐにでも配備できるような機体が求められていました。そこで当時ロッキードが生産していた複座練習機T-33を流用しました。大雑把に言うと、T-33の機首にレーダーと火器管制装置(FCS)と武装を追加したような感じです。あとはアメリカ空軍の機体としては初めてアフターバーナーを搭載してます。ブースト掛けてチョッパヤで迎撃に行く必要がありましたからね。
当時の全天候型戦闘機は操縦士の他にレーダーとFCSを操作する操作員が必要だったので(機種によっては現用機もですが)、複座のT-33はちょうどよい機体だったのです。
F-94はF-89の初飛行の8ヶ月後の1949年に初飛行、その翌年に最初の量産型F-89A(とマイナーチェンジのF-94B)が配備されてますから、驚きの早さなのです。ただし急ごしらえだけあって未洗練な部分もあり。特に武装は機関銃4門だけで、爆撃機相手には力不足だと思われてました。
そこで、機銃を降ろして代わりにより強力なロケット弾と改良されたFCSを装備したこのC型が1951年から生産され始めました。
初期のA/B型からは大部分が設計し直されていて、事実上の新型機です。初めはYF-97という新しい型番が振られていましたしね。
この間もF-89の開発は大炎上してましたから、めでたくF-94が初の全天候型戦闘機としてアメリカ本土防衛の任を担うのです。
A/B型から大きく変わった箇所は機首でして、新型FCSと強力ネズミことマイティマウス ロケット弾を搭載したからです。
ロケット弾は黒いレドームのすぐ後ろに装填されています。飛行中は空気抵抗を出さないために蓋が閉じられていて、攻撃する時にその蓋がカシャッと開いて強力ネズミが発射されるのです。なんともステキなギミックだとは思いませんこと?
機首のロケット弾24発だけでは威力不足だと心配したので、後期生産分にはダメ押しとばかりに12発入ロケットランチャーを両主翼に1つずつ装備。
搭載の仕方がアレで、主翼前縁にぶっ刺しているのがなんとも。機首のロケットランチャーといい、誰か止めて差し上げなかったのか。
ノースロップF-89Jスコーピオン(1日ぶり2機目・390機目)
アメリカ空軍全天候型戦闘機3兄弟の長男。初飛行は3機の中で一番先でありながら、その後の炎上でまともに実戦配備されたのは一番最後になったやつ。そのアレさは昨日見た時に説明したんでそっちを読んでね(手抜き)
F-89にも機関銃を装備した前期型とロケット弾装備の後期型の2種類が有りにけり。F-94の時と同じで、ソ連が原爆抱えた爆撃機で攻めてくることを想定して切羽詰ったんだと思います。
ちなみに機関銃装備の前期型はアイダホ州のよく知らん小さな公園に1機だけ(B型)しか現存していません。しかも、公園の野外で細い柱の上に絶妙なバランス感覚で車輪を置いて宙に浮いた状態で展示されています。いいのか、それで?
さらに余談ですが、その公園には蒸気機関車と戦車もそれぞれ離れたところにぽつんと置かれていて、なんだかよく分からんなぁというところです。
で、後期型はD型から始まりまして、機関銃を降ろしてロケット弾を装備の他に、C型までで問題になってた主翼の強度不足の解消とか、生産途中からファルコン誘導ミサイルの実装とかありました。
さらにミサイル搭載型のD型を改修したのが、J型という空対空ミサイルの極地ジーニー核ミサイルを装備できるようにした型式です。
左翼の下に置いてあるのがそれですね。模型でしょうけど。
マーティンB-57Eキャンベラ(1日ぶり2機目・391機目)
WWII後のアメリカ軍機には珍しい外国製の機体で、イギリスが開発した爆撃機をアメリカのマーティンがライセンス生産したもの。アメリカさんは運動性の優れた高速爆撃機が気に入った御様子。
以降のアメリカ空軍の戦略爆撃機は高速爆撃機に傾倒していくんですが、このB-57に触発されたような気がしないでもなく。
E型は標的曳航装置を備えた練習機型だそうな。爆撃能力を持っているのかは知らぬ。
ホーカー ハンターF.58(1951年・392機目)
イギリス製のジェット機ですね。アメリカでは運用していなかったので、どっか別の国から運び込んできたやつです。アメリカでヨーロッパ製のWWII後の機体を見られるのは珍しいので、まあ見といて損はないでしょう。
ヨーロッパ機は今の所関心の範囲外なのであんまり詳しく書きませんが(手抜き)、F.58はイギリス向けF.6のスイス空軍仕様です。
コンベアB-58Aハスラー(1956年・393機目)
当時は軽くスルーしてしまいましたが、なかなか面白い機体だしよく見ると結構かっこいい。
今見たB-57にインスパイアされたのかは知りませんが、世界初のマッハ2で飛行できる超音速戦略爆撃機です。その目的はその高速でもってソ連の防空網を力ずくで突破してモスクワに核爆弾を落として火の海にすること。それだけ。火の海にした後のことは・・・。
B-52みたいなWWIIの爆撃機の延長みたいなノロマな機体だとソ連の濃密な対空ミサイル網に撃墜されてしまうので、だったらチョッパヤな速度で振り切ってしまえばよいという脳みそが筋肉で出来てるやつが思いつきそうな考えを具現化した飛行機です。
ハニカム構造の機体とかデルタ翼とかエリアルールとか懸架したターボジェット4発とか、新基軸が多く採用されています。デルタ翼なんかはコンベアの得意技とするところですね。
特に特徴的なのは爆弾を全て機外の兵装ポッドに搭載するというもの。胴体の下に抱えているデカい増槽みたいなのがそれ。なのでB-58には機内爆弾倉というのがありませぬ。機外ポッドだと搭載能力は大きく落ちるんですが、これも機体を小型化して高速性に寄与するためです。
モスクワを火の海にすることに特化した割り切った爆撃機だったので、汎用性は低い機体でした。
なので火の海にする任務をICBMやSLBMみたいな弾道ミサイルに奪われるとあっという間に使いみちの無い機体になってしまいました。通常爆撃するには搭載量も低空での安定性も航続距離も無いし、ていうか維持コストも高いし・・・。みたいな理由もあって、10年程度で退役してしまいました。
後にこれの拡大発展型みたいなXB-70が登場するんですけど結局似たような運命を辿っていったので、高速戦略爆撃機は登場した時代がちょっと合わんかったのかなと。まあ合致する時代も無かったんですけども。
見た目はかっこいいんですよねぇ。
ポッドはよく見ると2段構造になっているのが分かります。内側のポッドの下半分をより大きなポッドが包み込んでいるような形になっています。外側のものは燃料タンクで、どうにかこうにかして航続距離を稼ごうと苦心した様子が感じ取れます。
まずはその燃料タンクを投棄して、そうすると現れるのが爆弾ポッドです。
爆弾ポッドも水爆とか原爆とか通常爆弾とか、他に爆弾以外にも偵察カメラポッドも付けられたみたいで、機外ポッドに応じて柔軟な任務に対応できるという、ストライクガンダムみたいな機体なのでした。
なおハスラー(hustler)は「博打打ち、詐欺師」という意味でして、博打打ちは確かにそういう機体だよなと。
ところでスズキに同名の軽自動車がありますが、まあその、あんまりいいイメージの名前じゃないんですよ、アレって・・・。誰か修ちゃんを止めて差し上げる人はいなかったのかしら。
瀋陽J-6A (MiG-19PF)(1日ぶり2機目・394機目)
中国製の戦闘機なんですが、見ての通りでソ連のMiG-19PFのライセンス生産機です。J-6の初飛行は1958年。中国以外にもあちこち輸出されまして、これはエジプト空軍仕様の塗装です。なんでまた、という感じですがエジプトから贈呈されたのかな?
MiG-19ってこんなにお尻が下がってる機体じゃなかったと思うけど、中国仕様なんかな?
ダグラスWB-66Dデストロイヤー(1954年・395機目)
えっ誰君は・・・と困惑するくらい知らない機体なんですが。
アメリカ空軍の双発の軽爆撃機として登場しました。軽爆撃機ごときでデストロイヤーとか言われましても針小棒大といいますかその。
アメリカ海軍のA-3スカイウォーリアから派生した機体なんだそうな。言われてみればそれっぽい面影が・・・?
ただし、F-105みたいな大型の戦闘爆撃機が登場すると軽爆撃機の任務はそれで賄えるようになったため、B-66は10年足らずで爆撃機から降ろされることに。
それでも電子戦機や気象偵察機として再就職してもう10年くらい働くことが出来ました。これもWナンバーなんで気象偵察機ですね。
ミコヤン・グレビッチMiG-17F(1日ぶり4機目・396機目)
MiG-15とよく似ているやつ。これはソ連製だそうで。
北ベトナム空軍の塗装してます。MiG-17は北ベトナムの初期の主力機でしたね。
ミコヤン・グレビッチLim-5P (MiG-17PF)(1分ぶり5機目・397機目)
LimナンバーなのでMiG-17のポーランド生産型ですね。口の中にでかい口内炎みたいな黄色い膨らみがありますが、これはイズムルートレーダーです。MiG-17では初めて見たかな。
レーダーと言っても射撃用の測距レーダーで、F-86のそれと同程度だったとかそうじゃないとか。
ミコヤン・グレビッチMiG-21PF(1日ぶり3機目・398機目)
ご存知ソ連の超音速ジェット機。MiG-21はやたらとサブタイプがあって覚えようとすると一苦労なのですが、PF型はレーダーを強化して全天候型戦闘機となった型式です。PFあたりから風防の後ろの背骨が大きくなり始めた気がします。機首のショックコーンも、そこにレーダーを入れたのででかくなってます。
ダグラスYEA-3Aスカイウォーリア(1952年・399機目)
今見たB-66の原型になったアメリカ海軍の艦上攻撃機。
空軍の戦略爆撃機により存在価値を無くそうとしていた海軍の空母艦隊にどうにかかく爆撃能力を持たせようとして開発したものです。その行動原理には空軍との予算獲得合戦があるんですが、まあそれは置いといて。
まだ1950年代初めだと核爆弾も大型なので、それを搭載する機体も大型に。搭載能力は4.5t、行動半径3700kmを要求されたので、軽爆撃機くらいの大きさになりました。これを空母で離着艦させるってのよくやったなおい、と思います。カタパルトと大型格納庫を持つアメリカの空母でしか運用できないお大臣様専用機ですね。
このYEA-3Aは、電子戦用の試作機ですね。A-3の後継機のA-5が登場すると爆撃任務からは外れて、電子戦機か空中給油機に転職して1991年まで使用されました。結構長生きだったのよ。
ミコヤン・グレビッチMiG-29ファルクラム(1977年・400機目)
400機目になりましたよ・・・。500機も夢ではなくなってきましたね、ウフフ・・・。
ミグの戦闘機ですね。F-15やF-16といった格闘戦に強い戦闘機に影響されてスホーイのSu-27と共に開発されました。MiG-23やMiG-25からずいぶんと垢抜けた外観になりましたが、同じような形状のSu-27と比べるとまだ野暮ったさが残るところがミグらしいというか。
初めはMiG-29とSu-27とで棲み分けて運用するつもりだったらしいですが、局地的な運用しか出来ないMiG-29よりも汎用性の高いSu-27を集中的に配備したほうがよくね?という運用思想の変化から、当のソ連/ロシアからはしごを外された不遇の子。
後ろから。双発機双尾翼なんですよね。野暮ったいところ含めて好きですよ。
逆に人気の高いSu-27は実機を見たことがないんでイマイチイメージが湧きにくく、今の所あんまり興味がありませぬ。
MiG-29も多くの国に輸出されてますんで、そこら中で見ることが出来にけり。
これもどっかの国の輸出型を持ってきたんだろうと思ってましたが、どうもソ連用のMiG-29(サブタイプ無しの無印)、ファルクラムAと呼ばれとるやつみたいです。どうやって持ってきたんだろう・・・?
ファルクラム(fulcrum)は支点という意味で、これは例によって意味不明なNATOコードネームです。ソ連はソ連でラーストチカ(燕)という名前があるようですが、ラーストチカの方がかっこいいですね。
余談ですが、マブラヴオルタネイティヴに出てくるMiG-29(戦術機の方)はドツボのデザインで、リアルロボット系の量産機では最高峰じゃないかとか思ってます。あれはかっこいい。
といったところで今日はここまで。
その80へ→
セスナT-37Bツイート(1日ぶり2機目・384機目)
どんどん見ていきますよ~。
これはツイッタラーが乗る練習機ことアメリカ空軍の初等練習機です。あとは特になし。
コンベアTF-102Aデルタダガー(1日ぶり2機目・385機目)
なんだかF-102のパチもんというか、デッサンの狂ったF-102というか、そんな見た目の機体。まあ型番を見ての通りなんですが、F-102の複座練習機型なのです。
無尾翼デルタ翼機は従来の構造の戦闘機と比べて特に離着陸の飛行特性が変わって操縦が難しいということで、その習熟のために造られました。
戦闘機の複座練習機にしては珍しく座席が左右に並んでいるサイドバイサイド配置になっています。なので、コックピット周りは設計し直されて、頭でっかちになってしまいました。空気取り入れ口の形状も変わっています。
パイロット達はこのコックピットをタブ(tub; 風呂桶、たらい)と呼んでました。
ノースアメリカンT-2Cバックアイ(2日ぶり2機目・386機目)
こっちはアメリカ海軍の練習機です。練習機らしいこじんまりとした見た目が好きです。海軍の練習機なので、空母での離着艦訓練が出来るのが強みです。
C型はエンジンをGE製J85に替えたもの。従来のJ47と同性能ながら燃費が良くなったとかで。
ちなみにバックアイはbuckeyeと書き、「セイヨウトチノキ」を意味します。なんの脈略もない名前ですし経緯も分からんですが、樹木を飛行機の名前にするのは異例なこと。なんかしら理由があるんでしょうけど。
綴り的に「後ろの目」という意味じゃないですが、おそらくダブルミーニング的にその意味(後ろの目で背後を取らせない)も入ってるんだと思います。
フォーランド ナットT.Mk.1(2日ぶり2機目・387機目)
軽量戦闘機として開発されたけど重戦闘機化が進んでいた当時は相手にされず、でも練習機としては適しているのでそっちを俺の生きる道と決めた飛行機です。
腹でも下したかのような緑色をしてますが、これはイギリスの試験飛行部隊の塗装なんだそうな。
ノースアメリカンT-28Cトロージャン(1949年・388機目)
意外にも今回の旅行では見るの初めて、アメリカ海軍の初等練習機です。もとは空軍が導入したものですけども。
エンジンにR-1820というWWII中の戦闘機用のエンジンを載せてるので、練習機にしてはやけに馬力が高いのです。で、C型は海軍向けの機体で、空母着艦用のフックが追加されています。
余談ですが、T-28のオイルクーラーの空気取り入れ口は機首の斜め左下に付いています。普通なら胴体の真下に付けるもんですが、T-28の場合エンジンの真下に前脚を配置してしまったので、やむを得ずというところでしょう。
よってT-28って実は左右非対称なのです。
ロッキードF-94Cスターファイア(1949年・389機目)
アメリカを爆撃してくるであろうソ連の爆撃機を叩き落とすために開発されたアメリカ空軍の全天候型迎撃戦闘機3兄弟(F-89、F-94、F-86D/L)の次男坊。でも一番最初に就役しました。
元々F-94が開発される計画はありませんでした。しかし、長男のF-89の開発が延び延びになったことから、F-89が形になるまでのツナギとして手っ取り早く配備できる全天候型戦闘機として急遽開発されたものなのでした。
F-89は1948年の初飛行しときながら本格的な配備が始まるまで6年掛かっています。現代ならいざしらず当時のジェット戦闘機としては激遅でした。
1949年にソ連が原爆の実験に成功したということでマジで焦っていたこともあり、とりあえずすぐにでも配備できるような機体が求められていました。そこで当時ロッキードが生産していた複座練習機T-33を流用しました。大雑把に言うと、T-33の機首にレーダーと火器管制装置(FCS)と武装を追加したような感じです。あとはアメリカ空軍の機体としては初めてアフターバーナーを搭載してます。ブースト掛けてチョッパヤで迎撃に行く必要がありましたからね。
当時の全天候型戦闘機は操縦士の他にレーダーとFCSを操作する操作員が必要だったので(機種によっては現用機もですが)、複座のT-33はちょうどよい機体だったのです。
F-94はF-89の初飛行の8ヶ月後の1949年に初飛行、その翌年に最初の量産型F-89A(とマイナーチェンジのF-94B)が配備されてますから、驚きの早さなのです。ただし急ごしらえだけあって未洗練な部分もあり。特に武装は機関銃4門だけで、爆撃機相手には力不足だと思われてました。
そこで、機銃を降ろして代わりにより強力なロケット弾と改良されたFCSを装備したこのC型が1951年から生産され始めました。
初期のA/B型からは大部分が設計し直されていて、事実上の新型機です。初めはYF-97という新しい型番が振られていましたしね。
この間もF-89の開発は大炎上してましたから、めでたくF-94が初の全天候型戦闘機としてアメリカ本土防衛の任を担うのです。
A/B型から大きく変わった箇所は機首でして、新型FCSと強力ネズミことマイティマウス ロケット弾を搭載したからです。
ロケット弾は黒いレドームのすぐ後ろに装填されています。飛行中は空気抵抗を出さないために蓋が閉じられていて、攻撃する時にその蓋がカシャッと開いて強力ネズミが発射されるのです。なんともステキなギミックだとは思いませんこと?
機首のロケット弾24発だけでは威力不足だと心配したので、後期生産分にはダメ押しとばかりに12発入ロケットランチャーを両主翼に1つずつ装備。
搭載の仕方がアレで、主翼前縁にぶっ刺しているのがなんとも。機首のロケットランチャーといい、誰か止めて差し上げなかったのか。
ノースロップF-89Jスコーピオン(1日ぶり2機目・390機目)
アメリカ空軍全天候型戦闘機3兄弟の長男。初飛行は3機の中で一番先でありながら、その後の炎上でまともに実戦配備されたのは一番最後になったやつ。そのアレさは昨日見た時に説明したんでそっちを読んでね(手抜き)
F-89にも機関銃を装備した前期型とロケット弾装備の後期型の2種類が有りにけり。F-94の時と同じで、ソ連が原爆抱えた爆撃機で攻めてくることを想定して切羽詰ったんだと思います。
ちなみに機関銃装備の前期型はアイダホ州のよく知らん小さな公園に1機だけ(B型)しか現存していません。しかも、公園の野外で細い柱の上に絶妙なバランス感覚で車輪を置いて宙に浮いた状態で展示されています。いいのか、それで?
さらに余談ですが、その公園には蒸気機関車と戦車もそれぞれ離れたところにぽつんと置かれていて、なんだかよく分からんなぁというところです。
で、後期型はD型から始まりまして、機関銃を降ろしてロケット弾を装備の他に、C型までで問題になってた主翼の強度不足の解消とか、生産途中からファルコン誘導ミサイルの実装とかありました。
さらにミサイル搭載型のD型を改修したのが、J型という空対空ミサイルの極地ジーニー核ミサイルを装備できるようにした型式です。
左翼の下に置いてあるのがそれですね。模型でしょうけど。
マーティンB-57Eキャンベラ(1日ぶり2機目・391機目)
WWII後のアメリカ軍機には珍しい外国製の機体で、イギリスが開発した爆撃機をアメリカのマーティンがライセンス生産したもの。アメリカさんは運動性の優れた高速爆撃機が気に入った御様子。
以降のアメリカ空軍の戦略爆撃機は高速爆撃機に傾倒していくんですが、このB-57に触発されたような気がしないでもなく。
E型は標的曳航装置を備えた練習機型だそうな。爆撃能力を持っているのかは知らぬ。
ホーカー ハンターF.58(1951年・392機目)
イギリス製のジェット機ですね。アメリカでは運用していなかったので、どっか別の国から運び込んできたやつです。アメリカでヨーロッパ製のWWII後の機体を見られるのは珍しいので、まあ見といて損はないでしょう。
ヨーロッパ機は今の所関心の範囲外なのであんまり詳しく書きませんが(手抜き)、F.58はイギリス向けF.6のスイス空軍仕様です。
コンベアB-58Aハスラー(1956年・393機目)
当時は軽くスルーしてしまいましたが、なかなか面白い機体だしよく見ると結構かっこいい。
今見たB-57にインスパイアされたのかは知りませんが、世界初のマッハ2で飛行できる超音速戦略爆撃機です。その目的はその高速でもってソ連の防空網を力ずくで突破してモスクワに核爆弾を落として火の海にすること。それだけ。火の海にした後のことは・・・。
B-52みたいなWWIIの爆撃機の延長みたいなノロマな機体だとソ連の濃密な対空ミサイル網に撃墜されてしまうので、だったらチョッパヤな速度で振り切ってしまえばよいという脳みそが筋肉で出来てるやつが思いつきそうな考えを具現化した飛行機です。
ハニカム構造の機体とかデルタ翼とかエリアルールとか懸架したターボジェット4発とか、新基軸が多く採用されています。デルタ翼なんかはコンベアの得意技とするところですね。
特に特徴的なのは爆弾を全て機外の兵装ポッドに搭載するというもの。胴体の下に抱えているデカい増槽みたいなのがそれ。なのでB-58には機内爆弾倉というのがありませぬ。機外ポッドだと搭載能力は大きく落ちるんですが、これも機体を小型化して高速性に寄与するためです。
モスクワを火の海にすることに特化した割り切った爆撃機だったので、汎用性は低い機体でした。
なので火の海にする任務をICBMやSLBMみたいな弾道ミサイルに奪われるとあっという間に使いみちの無い機体になってしまいました。通常爆撃するには搭載量も低空での安定性も航続距離も無いし、ていうか維持コストも高いし・・・。みたいな理由もあって、10年程度で退役してしまいました。
後にこれの拡大発展型みたいなXB-70が登場するんですけど結局似たような運命を辿っていったので、高速戦略爆撃機は登場した時代がちょっと合わんかったのかなと。まあ合致する時代も無かったんですけども。
見た目はかっこいいんですよねぇ。
ポッドはよく見ると2段構造になっているのが分かります。内側のポッドの下半分をより大きなポッドが包み込んでいるような形になっています。外側のものは燃料タンクで、どうにかこうにかして航続距離を稼ごうと苦心した様子が感じ取れます。
まずはその燃料タンクを投棄して、そうすると現れるのが爆弾ポッドです。
爆弾ポッドも水爆とか原爆とか通常爆弾とか、他に爆弾以外にも偵察カメラポッドも付けられたみたいで、機外ポッドに応じて柔軟な任務に対応できるという、ストライクガンダムみたいな機体なのでした。
なおハスラー(hustler)は「博打打ち、詐欺師」という意味でして、博打打ちは確かにそういう機体だよなと。
ところでスズキに同名の軽自動車がありますが、まあその、あんまりいいイメージの名前じゃないんですよ、アレって・・・。誰か修ちゃんを止めて差し上げる人はいなかったのかしら。
瀋陽J-6A (MiG-19PF)(1日ぶり2機目・394機目)
中国製の戦闘機なんですが、見ての通りでソ連のMiG-19PFのライセンス生産機です。J-6の初飛行は1958年。中国以外にもあちこち輸出されまして、これはエジプト空軍仕様の塗装です。なんでまた、という感じですがエジプトから贈呈されたのかな?
MiG-19ってこんなにお尻が下がってる機体じゃなかったと思うけど、中国仕様なんかな?
ダグラスWB-66Dデストロイヤー(1954年・395機目)
えっ誰君は・・・と困惑するくらい知らない機体なんですが。
アメリカ空軍の双発の軽爆撃機として登場しました。軽爆撃機ごときでデストロイヤーとか言われましても針小棒大といいますかその。
アメリカ海軍のA-3スカイウォーリアから派生した機体なんだそうな。言われてみればそれっぽい面影が・・・?
ただし、F-105みたいな大型の戦闘爆撃機が登場すると軽爆撃機の任務はそれで賄えるようになったため、B-66は10年足らずで爆撃機から降ろされることに。
それでも電子戦機や気象偵察機として再就職してもう10年くらい働くことが出来ました。これもWナンバーなんで気象偵察機ですね。
ミコヤン・グレビッチMiG-17F(1日ぶり4機目・396機目)
MiG-15とよく似ているやつ。これはソ連製だそうで。
北ベトナム空軍の塗装してます。MiG-17は北ベトナムの初期の主力機でしたね。
ミコヤン・グレビッチLim-5P (MiG-17PF)(1分ぶり5機目・397機目)
LimナンバーなのでMiG-17のポーランド生産型ですね。口の中にでかい口内炎みたいな黄色い膨らみがありますが、これはイズムルートレーダーです。MiG-17では初めて見たかな。
レーダーと言っても射撃用の測距レーダーで、F-86のそれと同程度だったとかそうじゃないとか。
ミコヤン・グレビッチMiG-21PF(1日ぶり3機目・398機目)
ご存知ソ連の超音速ジェット機。MiG-21はやたらとサブタイプがあって覚えようとすると一苦労なのですが、PF型はレーダーを強化して全天候型戦闘機となった型式です。PFあたりから風防の後ろの背骨が大きくなり始めた気がします。機首のショックコーンも、そこにレーダーを入れたのででかくなってます。
ダグラスYEA-3Aスカイウォーリア(1952年・399機目)
今見たB-66の原型になったアメリカ海軍の艦上攻撃機。
空軍の戦略爆撃機により存在価値を無くそうとしていた海軍の空母艦隊にどうにかかく爆撃能力を持たせようとして開発したものです。その行動原理には空軍との予算獲得合戦があるんですが、まあそれは置いといて。
まだ1950年代初めだと核爆弾も大型なので、それを搭載する機体も大型に。搭載能力は4.5t、行動半径3700kmを要求されたので、軽爆撃機くらいの大きさになりました。これを空母で離着艦させるってのよくやったなおい、と思います。カタパルトと大型格納庫を持つアメリカの空母でしか運用できないお大臣様専用機ですね。
このYEA-3Aは、電子戦用の試作機ですね。A-3の後継機のA-5が登場すると爆撃任務からは外れて、電子戦機か空中給油機に転職して1991年まで使用されました。結構長生きだったのよ。
ミコヤン・グレビッチMiG-29ファルクラム(1977年・400機目)
400機目になりましたよ・・・。500機も夢ではなくなってきましたね、ウフフ・・・。
ミグの戦闘機ですね。F-15やF-16といった格闘戦に強い戦闘機に影響されてスホーイのSu-27と共に開発されました。MiG-23やMiG-25からずいぶんと垢抜けた外観になりましたが、同じような形状のSu-27と比べるとまだ野暮ったさが残るところがミグらしいというか。
初めはMiG-29とSu-27とで棲み分けて運用するつもりだったらしいですが、局地的な運用しか出来ないMiG-29よりも汎用性の高いSu-27を集中的に配備したほうがよくね?という運用思想の変化から、当のソ連/ロシアからはしごを外された不遇の子。
後ろから。双発機双尾翼なんですよね。野暮ったいところ含めて好きですよ。
逆に人気の高いSu-27は実機を見たことがないんでイマイチイメージが湧きにくく、今の所あんまり興味がありませぬ。
MiG-29も多くの国に輸出されてますんで、そこら中で見ることが出来にけり。
これもどっかの国の輸出型を持ってきたんだろうと思ってましたが、どうもソ連用のMiG-29(サブタイプ無しの無印)、ファルクラムAと呼ばれとるやつみたいです。どうやって持ってきたんだろう・・・?
ファルクラム(fulcrum)は支点という意味で、これは例によって意味不明なNATOコードネームです。ソ連はソ連でラーストチカ(燕)という名前があるようですが、ラーストチカの方がかっこいいですね。
余談ですが、マブラヴオルタネイティヴに出てくるMiG-29(戦術機の方)はドツボのデザインで、リアルロボット系の量産機では最高峰じゃないかとか思ってます。あれはかっこいい。
といったところで今日はここまで。
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