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北米project 4 ~Is the order a warbird? その83【2016/03/04~10】

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グラマンF-11Aタイガー(2日ぶり2機目・452機目)
アメリカ海軍の地味な艦上戦闘機。これも就役したと思ったら4年でF-8に取って代わられて最終的に10年くらいで退役してしまったはず。この頃の艦上戦闘機って10年で代替わりしてしまう、代謝の激しいジャンルだったのだなぁ。
2線級に格落ちした後は、訓練機になったりここの機体のように海軍の曲技飛行隊のブルーエンジェルスに使われたりしとりました。



マクドネルF2H-2Pバンシー(1947年・453機目)
F9Fっぽいけど違う機体で、このF2Hの方が早くに就役しました。
カナダ海軍にも輸出されとりまして、私にとってはそっちの方が馴染み深い機体です。

これは写真偵察型の2P型と書かれてますが、カメラの窓がないし機種に機関銃が付いてるし、本当は戦闘機型の2型なんじゃないの?と思いますが、不明ということにしておきます(無責任)



ボーイングB-17Gフライングフォートレス(1日ぶり3機目・454機目)
なんか第390爆撃航空群記念館(390th Memorial Museum)という建物があったので、時間がねぇ!と思いながらも入ってみます。すると中にはB-17がドカンと置かれていました。B-17専用の建物かよ・・・。やっぱり米国においてB-17は、機体性能から見てもその戦歴から見ても、数あるWWII期の軍用機の中でも特別な存在なのだなと思いますよ。

第390爆撃航空群は、第8空軍麾下の爆撃機飛行隊で、第568~第570の4つの飛行隊を指揮していました。
ヨーロッパ戦線に駆り出され、301回の出撃でドイツの飛行機工場、橋梁、製油所など、重要目標や産業のハブなどを徹底的に潰してきたんだそうな。

ここのB-17Gは当然第390爆撃航空群の塗装に塗られているわけですが、当時所属していた機体が保存されているということも考えにくく、どこか別の所の機体を塗り替えた可能性もありにけり。・・・これも不明ってことで(適当)
航空群の記念館なので、機体以外にも様々な資料が展示されているのですが、時間がないのでパスしました。すまんの・・・。



ノースアメリカンRA-5Cビジランティ(1958年・455機目)
アメリカ海軍の超音速艦上攻撃機。高速機を得意とするノースアメリカンらしく、最高でマッハ2を出すことが出来ます。
デカい機体なのですがよく空母で運用できたな・・・。こんなにデカくて超音速飛行できるということは、つまるところ核攻撃機なわけです。ただし爆撃機のような爆弾倉は無く、機体尾部に付けた核爆弾を入れたポッドを目標上空で切り離します。つまりケツから核爆弾を落として自分は超音速でずらかるという攻撃の仕方なのでした。
ところが、実戦配備される頃にはソ連が打ち上げた人工衛星スプートニクによるスプートニク・ショックが起きていました。これの影響はあらゆる方面へ波及していったんですが、軍事面でいうとこれすなわちソ連が核弾頭を積んだ大陸間弾道ミサイルでアメリカを攻撃できることを意味しました。
そうなると従来の各爆撃機でわざわざソ連本土まで赴いて核爆撃する手法は一気に時代遅れになってしまいました。アメリカが爆撃機でえっちらおっちら核爆弾を運んでいる間、ソ連はICBMであっという間にアメリカを攻撃できるのですから。しかもICBMの迎撃は極めて難しいと言われてますし。

そんなわけで、軍用機には稀によくある「生まれたときには時代遅れ」にこれもなってしまいました。単能機ですので他の用途の使い道があまりなく、結局直線番長を活かした偵察機として生きる道を見出すことに。
これもRナンバーですので偵察型です。写真偵察機によくある機首に備えられたカメラではなく、胴体下面にカメラや電子偵察機器を収めたカヌー型の出っ張りを追加で取り付けました。



ダグラスF3D-2Tスカイナイト(1948年・456機目)
これもアメリカ海軍の制式艦上戦闘機なんですけどドマイナーなやつですね。私は当然知りませんでした。
レーダー搭載の全天候型戦闘機で、時期が時期なのでレーダー操作要員を同乗させた複座型です。ただし同時期の空軍機と違って横並びの座席です。
F3D-2T(TF-10B)は、電子戦の訓練をするための練習機です。


さてここにきて私は気付きました。ここには中島の隼が保存されているはずなのにまだ見れていないぞと。
屋外に置いているということはなさそうだけど、さっきまでいた館内にもいなかったな。
館内、館内・・・あっ。そういえばスルーしてたけど他にも建物があったなと。あ、やばい、と思って館内地図を開いてみると、まだ見てない別館が3棟もあるじゃないですか!隼はここだ!
しかし時間がありません。屋外展示をギリギリどうにか見ることだけは出来るという時間配分でしたので、そこに加えて館内展示が置い寄せてくると完全にタイムオーバーです。
どうするか・・・。



無理やり全部見る!
こうなったら力づくです。パワープレイです。足早にまずは隼のいる格納庫に行きます。1機にかけられる時間はもはや10秒もありません。砂漠にあるピマはこれっきり2度と行かないなとはじめは思っていましたが、ここにきてそうもいかないなここも再履修だなと思い始めてきました。

つーわけでまずこいつがイースタンFM-2ワイルドキャット(2日ぶり2機目・457機目)
グラマンのF4Fをゼネラルモーターズの子会社のイースタンが製造したものですね。
外板が汚れていることに注目です。こういう機体はたまに見られるものなのですが、この場合、単に放置されて汚れているだけの場合と原型を高い状態で留めている場合の2択であることが多いです。で、今回の場合は後者であるようなのです。
つまりこのFM、機体は勿論のこと、その塗装まで大戦時のオリジナルを保っている、極めて資料性の高い個体であるということです。
アメリカは航空機の保存が盛んな国であることは違いないですが、動態保存機や1970年代辺りまでのレストア機を始め、外観や機体構造を弄り倒されてしまって資料性を損なってしまっている機体があります。塗装だって再塗装されている機体が多いわけです。塗装までオリジナルだとしたら、アメリカにおいてもかなり貴重な個体となるはずです、このFM。ちょっと感動です。ほぼ素通りしてしまったのが悔やまれます、ホント。
なんでこんな極上の資料が下手にレストアされず今まで残っているかというと、そのヒントは五大湖のひとつミシガン湖にありにけり。この機体、ミシガン湖に墜落したものを引き揚げられた機体なのです。

ここまで来たら脱線するしかないのでしますが、なんでミシガン湖にFMが墜落するのかというと、そこがアメリカ海軍の飛行練習場だったからで、訓練中に誤って墜落してしまったからですね。
WWII中、海軍は空母艦載機のパイロット養成のためにミシガン湖に練習用空母USSウルバリンとUSSセーブルを持ち込んでそこで訓練を行っていました。え、湖で空母を浮かせるんですか?とにわかに信じられないですが、ミシガン湖はクソデカいんで空母を浮かせるくらい訳ないんですね。湖は運河を介して外海に繋がっていますし持ち込むのも造作も無いことでした。
なんでミシガン湖で訓練してたかといえば、Uボートの魚雷も爆撃機の爆弾も心配する必要が無かったからですね。贅沢な訓練をなされていたんですね、とは思います。

で、空母への離着艦の訓練機としてFM(F4F)が使われていたのです。乗るのは初心者の訓練生が空母への離着艦という難しい操縦をするわけですから、それはもう何機も湖に墜落(不時着水)していたそうな。
墜落した機体は回収されず放置されていたそうですが(贅沢だな・・・)、この個体はそういう湖に墜落した機体を引き揚げてきたのです。湖というのがミソで、比較的浅瀬、低い水温、そして何より淡水であることが機体の保護に寄与しました。この個体は2000年代に引き揚げられたそうですが、65年水の中に浸かっていたとは思えん状態だというのは実物を見れば一目瞭然です。
この個体以外にも複数が引き揚げられているようで、中でもシカゴオヘア空港内に展示されているF4Fが有名です。

さて機体の観察に戻りますが、機首だけ塗装がきれいになっています。これは機首部だけは損傷していたんで部品を新造して格好を良くした、というところでしょう。他に一部のパネル、主脚、経年劣化してしまった羽布張りの動翼部も作り直されていますね。
逆にそれ以外の胴体や主翼は原型のままと思われます。現存率高っいすね・・・。よほどきれいな着水をしたんでしょうか?他に、引き揚げられた複数の機体から部品を寄せ集めたニコイチ機の可能性もありますが、そこらへんは不明ということにしておきます。

いいものを見れました(一瞬だったけど)。F4F好きは一見の価値ありかと。



ベルP-39Nエアラコブラ(1日ぶり4機目・458機目)
ミッドシップエンジン戦闘機。色々とアレな戦闘機ですがロマンがあるし私は好きです。



中島キ43-II一式戦闘機隼II型(1942年・459機目)
キ43、一式戦闘機、隼II型、オスカーと、4種類も名前のあるややこしい戦闘機。いましたね。
WWIIを通じて日本陸軍の主力戦闘機だった機体。どこぞの海軍航空隊と違って後継機の開発は出来てたんだけど、数が揃わなかったもので・・・。
I型の改良型で、プロペラ枚数の増加、主翼長さの短縮、光像式照準器搭載などのマイナーチェンジがなされた型式です。

零戦と紫電改に次いで保存機に恵まれている日本機ではありますが、なんで隼がこんなところに、と思ってしまいますが、枢軸国側の極東のヘッポコ島国の代表として展示されているのかもしれませぬ。
今までにシアトルのボーイングフィールドでIII型を、同じくシアトルのエバレットでI型の保存機を見ていますので、これで隼の全型式を拝んだことになります。やったぜ。



ベルP-63Eキングコブラ(2日ぶり2機目・460機目)
色々アレで問題作だったP-39をなぜかパワーアップして再登場させたやつ。実は形状が似ているだけでP-39とは別物の機体。
試作機で付けていた排気タービンを量産型では外してしまったため高高度性能がだめになってしまったP-39の反省から、P-63では2段2速式過給器を付けて高高度性能を改善しました。
それでもP-47やP-51には敵わんかったので、結局生産分の殆どをソ連ヘレンドリースして対地攻撃機として使いました。ほぼソ連専用機。



ノースアメリカンP-51Dムスタング(2日ぶり3機目・461機目)
御存知最優秀戦闘機。単一の能力(航続距離とか旋回性能とか)だとP-51よりも上の機体はいますが、あらゆる性能において平均以上の能力を出すアベレージヒッターである点がミソです。



チャンス・ヴォートF4U-4コルセア(2日ぶり3機目・462機目)
アメリカ海軍の艦上戦闘機ですね。今回は意外と見る回数が少ないです。ほとんど低翼配置みたいな格好してますが中翼配置らしいよ?
逆ガル翼なのが特徴的な機体。フラップがちょうど主翼の反っている部分にあるので、フラップが片側3枚に分割されているところに注目。贅沢だねぇ。



エンジン直径とほぼ同じ太さの絞り込まれた胴体。これとアメリカ海軍のデブことF6Fは同じエンジンを使っているのだよ、と言われてもにわかに信じられませぬ。
胴体を細くすることで空気抵抗を低減できますが、代償として胴体が前後に長くなってしまったので、コックピットから前がめちゃ長くなってしまい、着陸時姿勢では前方視界なんで絶対見せないぞという機体になりました。ちょっとばかし設計士の意見ばかり通して、パイロットのことを軽視していたのではとは思います。

4型はエンジンを初期型の1型よりも強力なライトR2800-42Wに換装した型。生産が始まったのは大戦末期だったのでWWII中に活躍した機体は少なさそうですが、大戦後も生産されていたので、朝鮮戦争でも使われていました。

この機体は1945年8月に生産された機体、ということでもうアメリカの勝ちは決まっていたか既にもう勝っていた時期です。配備先も訓練部隊でした。
1956年に退役して個人に渡った後、1979年に博物館入りしました。



ミコヤン・グレビッチMiG-15bis(4時間ぶり6機目・463機目)
ここらへんは朝鮮戦争エリアっぽいです。
御存知ミグ戦闘機。bis型は初期型から改良されたやつですね。
朝鮮戦争なので北朝鮮のマーキングが描かれています。



ノースアメリカンF-86Eセイバー(20分ぶり6機目・464機目)
朝鮮戦争の有名な機体。「こりゃたまらん!!」とばかりに鏡面仕上げになっていますが、実際のところはここまできれいじゃなかったはず。
水平尾翼が一枚板になって丸ごと可動するようになった全遊動水平安定板を初めて採用したのがE型でござい。あとは前縁スラットもE型までの特徴でござい。



ダグラスA-24Bバンシー(1940年・465機目)
胴体だけの飛行機。アメリカ陸軍の急降下攻撃機ですが、こいつは元を辿るとアメリカ海軍の艦上急降下爆撃機SBDドーントレスの陸軍版です。
なにせ当時の陸軍航空隊は爆撃機至上主義でしたんで、地上部隊を支援できるような航空機はひとつも持っていませんでした。航空隊も陸軍の一部なのに・・・。そんなわけで急遽海軍のSBDを導入したわけでした。

しかしA-24はウスノロであり敵戦闘機にとって的でしかありませんでした。そんな専用の地上攻撃機を用意するよりも戦闘機に対地攻撃能力を持たせたほうがお得なのではと考え始め、それが形になったのがA-36(後のP-51)とかP-47とかなんです。
そんなわけなんで、A-24はそんなに活躍できないまま消えていきました。南無。

この機体は由緒正しいA-24で、退役後に主翼を取っ払われて映画撮影の小道具に使われたのだそうな。


というところで今日はここまで。
次回で長い長いピマ航空宇宙博物館編も完結です。


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