第12走者:JR嵯峨野線普通亀岡行(221系)京都10:42→嵯峨嵐山10:59今朝ぶりの京都駅に戻ってきました。ここからは山陰本線に乗り換えます。
嵯峨嵐山駅で降りてみると、嵯峨野観光鉄道の列車が停まっていました。DE10形1104号機とどこの馬の骨とも知れない客車。一度は乗ってみたいけれども混んでるからなぁ・・・。
嵯峨野観光鉄道にも鉄道むすめのスタンプラリーが設置されているので、ここで下車します。名物のD51形51号機もいます。煙突から蒸気溜めまでを一体化した覆いで覆ったナメクジと呼ばれとるやつです。51号機という機番は狙って確保したんだと思いますけど、よく欲しいと思った時に残っていましたね。
19世紀ホールという建物にも何機か保存機があるのでみてみませう。
C58形48号機。中型SLですね。「つばめ」ヘッドマーク付き。
D51形603号機。
これはSLのカットモデルという珍しい個体です。ただし切断されたボイラーは断面がそのまま残されていて、ボイラー構造を知る良い資料であったりします。
C56形98号機。タンク機のC12に炭水車を追加して航続距離を伸ばした機関車です。こっちは「はと」ヘッドマーク付き。
若鷹号。経歴を遡ると1921(大正10)年にコッペルで製造された阿波鉄道向けの4形となります。阿波鉄道が国有化されて4形も鉄道省に移籍すると入換機として使われましたがそのうち廃車に。解体はされずに車庫でホコリを被ってましたが、車両改造の実習用教材としてあちこちいじられて今の形態になっています。運転台をイチから起こして水槽もサイドタンク式に作り直されたので、当時のコッペルにしては垢抜けてると思います。
人車軌道客車のレプリカ。陸蒸気や馬が客車を引っ張るのではなく人間が押して運行する簡易的な鉄道です。敏三(仮名)が客車を押している様子が再現されています。どこの鉄道のレプリカなのかは分からないです。ちなみに京都市には人車軌道無かったです。
という具合に、19世紀製のSLは1台もないのでした。SLは19世紀に発明されたから、というのが由来だそうです。
そいでは、2箇所目は嵯峨野観光鉄道の嵯峨ほづきでした。嵯峨野観光鉄道はタブレット通票を使っているのね。
19世紀ホールからは徒歩で嵐電嵐山駅へ。ここもチェックポイントです。
3箇所目は京福電鉄の福王子ひかるでした。厳密には彼女は鉄道むすめじゃない自社キャラクターです。京福電鉄の「福」は福井県のことで現在のえちぜん鉄道の路線なんですが、散々やらかしてしまい最終的に福井の鉄道運営からは撤退しています。なので最近はもっぱら嵐電という名前で売り出してますね。
嵐山駅からは嵐電に乗ります。これはモボ105のパト電。
第13走者:京福電鉄嵐山本線四条大宮行(モボ100形)嵐山→嵐電天神川第14走者:京都市営地下鉄東西線浜大津行(800系)太秦天神川→烏丸御池第15走者:京都市営地下鉄烏丸線竹田行(3220系)烏丸御池→京都電車は2両編成で、先頭はこの紫色のモボ100。くどいと思うけどなぁ、続けるんだなぁ。嵐山駅からこのようにして本日3度目の京都駅を目指します。この乗車で東西線は完乗です。
京都駅に着いたらJR奈良線乗り場へ。103系はまだまだ元気。
第16走者:JR奈良線みやこ路快速奈良行(221系)京都12:33→奈良13:18奈良線のみやこ路快速の乗って奈良まで。東福寺の殺人的混雑も東福寺に停まらない快速なら楽ちん。奈良も今日みたいな感じに乗り換えで立ち寄ることはあるんですけど、降りて辺りを散策したりすることってこの10年間ほぼ皆無ですので、どこかの機会で・・・と思ってます。が、執筆時点でも奈良観光とかそういうのはやれてないです。京都ほど外国人で混んでるってこともなさそうだから良いと思うんだけどね。
第17走者:JR桜井線・和歌山線和歌山行(105系)奈良11:39→和歌山14:36奈良からは桜井線と和歌山線を直通で乗り継いで一気に和歌山まで。3時間の持久戦です。3時間と言うとアレですからね、同じ鈍行で静岡から東京か名古屋まで行けてしまえますからね。これはもうロングシートだろうがクロスシートだろうが関係ないです。きつい。
105系もじきに消えてしまいそうと思っていましたが、その後新車に置き換えられてしまうことが決まりました。思っていたよりも早かった。常磐緩行線の103系を流用した車両が好きでした。
奈良~高田の桜井線を完乗し、和歌山線の五条駅で列車交換。この光景も2019年までだよ。
良さそうな駅。
ローカル線らしいだらだら加減で順調に南下。橋本駅まで来ました。ここまで来れば和歌山駅までもうひと踏ん張りです。
というところで今日はここまで。
その3へ→
嵯峨嵐山駅で降りてみると、嵯峨野観光鉄道の列車が停まっていました。DE10形1104号機とどこの馬の骨とも知れない客車。一度は乗ってみたいけれども混んでるからなぁ・・・。
嵯峨野観光鉄道にも鉄道むすめのスタンプラリーが設置されているので、ここで下車します。名物のD51形51号機もいます。煙突から蒸気溜めまでを一体化した覆いで覆ったナメクジと呼ばれとるやつです。51号機という機番は狙って確保したんだと思いますけど、よく欲しいと思った時に残っていましたね。
19世紀ホールという建物にも何機か保存機があるのでみてみませう。
C58形48号機。中型SLですね。「つばめ」ヘッドマーク付き。
D51形603号機。
これはSLのカットモデルという珍しい個体です。ただし切断されたボイラーは断面がそのまま残されていて、ボイラー構造を知る良い資料であったりします。
C56形98号機。タンク機のC12に炭水車を追加して航続距離を伸ばした機関車です。こっちは「はと」ヘッドマーク付き。
若鷹号。経歴を遡ると1921(大正10)年にコッペルで製造された阿波鉄道向けの4形となります。阿波鉄道が国有化されて4形も鉄道省に移籍すると入換機として使われましたがそのうち廃車に。解体はされずに車庫でホコリを被ってましたが、車両改造の実習用教材としてあちこちいじられて今の形態になっています。運転台をイチから起こして水槽もサイドタンク式に作り直されたので、当時のコッペルにしては垢抜けてると思います。
人車軌道客車のレプリカ。陸蒸気や馬が客車を引っ張るのではなく人間が押して運行する簡易的な鉄道です。敏三(仮名)が客車を押している様子が再現されています。どこの鉄道のレプリカなのかは分からないです。ちなみに京都市には人車軌道無かったです。
という具合に、19世紀製のSLは1台もないのでした。SLは19世紀に発明されたから、というのが由来だそうです。
そいでは、2箇所目は嵯峨野観光鉄道の嵯峨ほづきでした。嵯峨野観光鉄道はタブレット通票を使っているのね。
19世紀ホールからは徒歩で嵐電嵐山駅へ。ここもチェックポイントです。
3箇所目は京福電鉄の福王子ひかるでした。厳密には彼女は鉄道むすめじゃない自社キャラクターです。京福電鉄の「福」は福井県のことで現在のえちぜん鉄道の路線なんですが、散々やらかしてしまい最終的に福井の鉄道運営からは撤退しています。なので最近はもっぱら嵐電という名前で売り出してますね。
嵐山駅からは嵐電に乗ります。これはモボ105のパト電。
第13走者:京福電鉄嵐山本線四条大宮行(モボ100形)嵐山→嵐電天神川第14走者:京都市営地下鉄東西線浜大津行(800系)太秦天神川→烏丸御池第15走者:京都市営地下鉄烏丸線竹田行(3220系)烏丸御池→京都電車は2両編成で、先頭はこの紫色のモボ100。くどいと思うけどなぁ、続けるんだなぁ。嵐山駅からこのようにして本日3度目の京都駅を目指します。この乗車で東西線は完乗です。
京都駅に着いたらJR奈良線乗り場へ。103系はまだまだ元気。
第16走者:JR奈良線みやこ路快速奈良行(221系)京都12:33→奈良13:18奈良線のみやこ路快速の乗って奈良まで。東福寺の殺人的混雑も東福寺に停まらない快速なら楽ちん。奈良も今日みたいな感じに乗り換えで立ち寄ることはあるんですけど、降りて辺りを散策したりすることってこの10年間ほぼ皆無ですので、どこかの機会で・・・と思ってます。が、執筆時点でも奈良観光とかそういうのはやれてないです。京都ほど外国人で混んでるってこともなさそうだから良いと思うんだけどね。
第17走者:JR桜井線・和歌山線和歌山行(105系)奈良11:39→和歌山14:36奈良からは桜井線と和歌山線を直通で乗り継いで一気に和歌山まで。3時間の持久戦です。3時間と言うとアレですからね、同じ鈍行で静岡から東京か名古屋まで行けてしまえますからね。これはもうロングシートだろうがクロスシートだろうが関係ないです。きつい。
105系もじきに消えてしまいそうと思っていましたが、その後新車に置き換えられてしまうことが決まりました。思っていたよりも早かった。常磐緩行線の103系を流用した車両が好きでした。
奈良~高田の桜井線を完乗し、和歌山線の五条駅で列車交換。この光景も2019年までだよ。
良さそうな駅。
ローカル線らしいだらだら加減で順調に南下。橋本駅まで来ました。ここまで来れば和歌山駅までもうひと踏ん張りです。
というところで今日はここまで。
その3へ→