ロッドヒル要塞(フォート・ロッドヒル)の砲台陣地の中を歩いています。一番奥まで歩くと、砲台陣地が見えてきました。真ん中に大砲が1門あって、その周りにコンクリートの防御壁が囲んであるという構造。さらに地下には弾薬庫等の部屋があります。要塞って感じですね。なおここの陣地にある大砲はこの1門だけ。大層な設備の割に攻撃力が弱くないっすか、と思わんでもない。
大砲のところ。この大砲は、普段は地面にあるんですが、射撃時は腕を介してガションと防御壁の上にせり上がるという超かっこいいギミックが仕込まれているのです。今は腕が展開されている状態ですね。なのでこの階段と足場も観光地化された際に後付されたものです。白く塗られた壁の地面にあるへこみは、砲弾や装薬を収納しておくためのもの。
展開の機構の図。この防御壁は海岸線の盛土の稜線に高さを合わせて造られているので、海上から見た場合にはただの丘にしか見えないんですが、その裏にはこの陣地があり、いざという時はこの大砲を上に上げて稜線から射撃するのです。素敵やん。
腕の部分はなんかハリボテに置き換えられています。オリジナルは消失してしまったか?
大砲の先を見る。今は木が生長してしまって視界が遮られていますが、現役時はさすがに刈払されていたんだと思います。
これは6インチ砲なので、つまり155mm砲です。巡洋艦の主砲級ですね。ただ長さが短いんで射程距離が無さそう。実際、この陣地は旧式だったようで。後で見る他の陣地はこれよりも近代化された設備です。陣地の地形が稜線沿いになっているのにも注目してください。ここの説明書きには敵艦からの砲撃時に大砲とその要員をこの稜線と防御壁が保護する機能がある・・・とありますが、艦砲射撃って射程を最大化するために山なりに打つもんなので砲弾は上から降ってくるはずで、それだとこの構造はあんま役に立たないんじゃないかと思います。19世紀の艦砲射撃は人に拳銃を撃つみたいに直線に撃っていたのかしらん。
大砲はダミーじゃろと思ったんですが、なんか刻印が彫られていて戸惑う。本物?落書き?
陣地の脇には地下へ続く階段が。ダンジョン感があってステキ。
階段を降りたところ。壁はレンガ積みになっています。窓の上辺はアーチ状になっているのがささやかなおしゃれか。レンガはイギリス積みとフランドル積みの混在になっていて、なんだか不思議な感じ。右側の部屋はランプ小屋、左側は兵士の待機部屋でした。壁に書かれている数字は要塞内の番地を示している気もしますが、1896というと単にこの陣地の竣工年かもしれません。
地下にはこういう小部屋がいくつかありにけり。これは道具の物置部屋。
弾薬庫の展示もあり。こっちは砲弾です。こんなにこしらえて、戦争でもする気かしら。砲弾の違いは特に説明されていませんでしたが、たぶん黒い弾は胡椒入り、黄色い弾はからし入りの弾丸だと思います(名推理)
弾薬庫へ入る前にある中間の部屋。こっちは装薬を置いておく部屋です。装薬はつまるところ火薬なものですから、扱いには厳格な手順が必要でした。壁の貼り紙はそのマニュアルを複写したもの。左側の壁にある格子は、その中に明かりを収めてありました。明かりには火を使っていたようなので、格子の中に入れる辺りさすが火の元の管理はしっかりしていたんですね。
その貼り紙。部屋の真ん中に仕切りがあって、その右側(ひとつ上の写真でいうと手前側)で普段着ている軍服や靴を脱いで、そしたら仕切りを越えて左側(ひとつ上の写真でいうと奥側)に移って弾薬庫用の服と靴を着用するというものです。
ガラーンとしてます。装薬の展示は無かったですが、説明書きから見るに布袋なんかに詰められていたと思われ。
地上に出る。これは弾薬を湿気させないための換気扇でしょうな。その左側に移っている曲がった鉄の棒は、先端に輪っかが付いています。地下の弾薬を地上に持ち出すための巻き上げ機だったかも。
陣地の端にある小屋。中には探照灯が入っていて、夜間の射撃時に使いました。これは2号探照灯小屋で、1902年建築。要塞の探照灯小屋は他にもう3基あって、そのうち1号探照灯小屋は現存しています。残りの2基は対岸のエスクイモルト基地にあるので見学不可。現存も未確認。1号と2号は役割が異なっていて、それは照射範囲の違いです。ここにある2号は照射幅は広いが照射距離が短く、別の場所にある1号は照射幅は狭いが照射距離が長いという特性を持っています。ちなみにエスクイモルト基地の2基は両方とも2号寄りの特性持ちです。
中はがらんどう。さすがに探照灯は残っていないか。でも窓が小さくない・・・?
探照灯の照射範囲の図。
ここにも小さな大砲が入りそうな窪みがありにけり。ただしこれは大砲ではなくて射撃管制する指揮官が入り込むところ。でもその割には壁に砲弾入れがあるし、謎の3本の柱は大砲の土台っぽいし、昔は砲台があったのを転用したのかもしれませぬ。
というところで今日はここまで。
その3へ→
大砲のところ。この大砲は、普段は地面にあるんですが、射撃時は腕を介してガションと防御壁の上にせり上がるという超かっこいいギミックが仕込まれているのです。今は腕が展開されている状態ですね。なのでこの階段と足場も観光地化された際に後付されたものです。白く塗られた壁の地面にあるへこみは、砲弾や装薬を収納しておくためのもの。
展開の機構の図。この防御壁は海岸線の盛土の稜線に高さを合わせて造られているので、海上から見た場合にはただの丘にしか見えないんですが、その裏にはこの陣地があり、いざという時はこの大砲を上に上げて稜線から射撃するのです。素敵やん。
腕の部分はなんかハリボテに置き換えられています。オリジナルは消失してしまったか?
大砲の先を見る。今は木が生長してしまって視界が遮られていますが、現役時はさすがに刈払されていたんだと思います。
これは6インチ砲なので、つまり155mm砲です。巡洋艦の主砲級ですね。ただ長さが短いんで射程距離が無さそう。実際、この陣地は旧式だったようで。後で見る他の陣地はこれよりも近代化された設備です。陣地の地形が稜線沿いになっているのにも注目してください。ここの説明書きには敵艦からの砲撃時に大砲とその要員をこの稜線と防御壁が保護する機能がある・・・とありますが、艦砲射撃って射程を最大化するために山なりに打つもんなので砲弾は上から降ってくるはずで、それだとこの構造はあんま役に立たないんじゃないかと思います。19世紀の艦砲射撃は人に拳銃を撃つみたいに直線に撃っていたのかしらん。
大砲はダミーじゃろと思ったんですが、なんか刻印が彫られていて戸惑う。本物?落書き?
陣地の脇には地下へ続く階段が。ダンジョン感があってステキ。
階段を降りたところ。壁はレンガ積みになっています。窓の上辺はアーチ状になっているのがささやかなおしゃれか。レンガはイギリス積みとフランドル積みの混在になっていて、なんだか不思議な感じ。右側の部屋はランプ小屋、左側は兵士の待機部屋でした。壁に書かれている数字は要塞内の番地を示している気もしますが、1896というと単にこの陣地の竣工年かもしれません。
地下にはこういう小部屋がいくつかありにけり。これは道具の物置部屋。
弾薬庫の展示もあり。こっちは砲弾です。こんなにこしらえて、戦争でもする気かしら。砲弾の違いは特に説明されていませんでしたが、たぶん黒い弾は胡椒入り、黄色い弾はからし入りの弾丸だと思います(名推理)
弾薬庫へ入る前にある中間の部屋。こっちは装薬を置いておく部屋です。装薬はつまるところ火薬なものですから、扱いには厳格な手順が必要でした。壁の貼り紙はそのマニュアルを複写したもの。左側の壁にある格子は、その中に明かりを収めてありました。明かりには火を使っていたようなので、格子の中に入れる辺りさすが火の元の管理はしっかりしていたんですね。
その貼り紙。部屋の真ん中に仕切りがあって、その右側(ひとつ上の写真でいうと手前側)で普段着ている軍服や靴を脱いで、そしたら仕切りを越えて左側(ひとつ上の写真でいうと奥側)に移って弾薬庫用の服と靴を着用するというものです。
ガラーンとしてます。装薬の展示は無かったですが、説明書きから見るに布袋なんかに詰められていたと思われ。
地上に出る。これは弾薬を湿気させないための換気扇でしょうな。その左側に移っている曲がった鉄の棒は、先端に輪っかが付いています。地下の弾薬を地上に持ち出すための巻き上げ機だったかも。
陣地の端にある小屋。中には探照灯が入っていて、夜間の射撃時に使いました。これは2号探照灯小屋で、1902年建築。要塞の探照灯小屋は他にもう3基あって、そのうち1号探照灯小屋は現存しています。残りの2基は対岸のエスクイモルト基地にあるので見学不可。現存も未確認。1号と2号は役割が異なっていて、それは照射範囲の違いです。ここにある2号は照射幅は広いが照射距離が短く、別の場所にある1号は照射幅は狭いが照射距離が長いという特性を持っています。ちなみにエスクイモルト基地の2基は両方とも2号寄りの特性持ちです。
中はがらんどう。さすがに探照灯は残っていないか。でも窓が小さくない・・・?
探照灯の照射範囲の図。
ここにも小さな大砲が入りそうな窪みがありにけり。ただしこれは大砲ではなくて射撃管制する指揮官が入り込むところ。でもその割には壁に砲弾入れがあるし、謎の3本の柱は大砲の土台っぽいし、昔は砲台があったのを転用したのかもしれませぬ。
というところで今日はここまで。
その3へ→