アメリカ空軍の横田基地を出国して日本国の拝島市へ帰国しました。帰りは基地からの距離が拝島駅よりも近い牛浜駅へと戻ってきました。拝島駅の混雑を避ける人々で賑わっているので、どっちも同じような混雑だ。
今日は1日中横田基地に入り浸って航空機を観察するはずが、展示機の半分以上が欠席してしまったので昼時には見終えてしまいました。静岡への帰りは20時なので、午後が丸々空いてしまいました。
というわけなので、暇つぶしに青梅線沿線にある青梅鉄道公園へ行ってみることにしましょう。我ながら良い考えだ。牛浜駅から青梅線のE233系に乗ります。
青梅駅に着きました。なんだかレトロチックに改装された?
駅前に停車していた都営バス青梅支所のいすゞエルガLV290 (B731)。
線路を潜って山を登ります。
着きました。6年ぶり2度目の訪問です。変わってないなー。入館料はたったの100円で、儲ける気がないというか、それだけで車両や施設や従業員を維持できるの?という疑問が・・・。恐らくここの収入だけではやっていけていないと思いますが。もっと取ってもいいと思うんだけどな。
中も変わってないなー。青梅鉄道公園は鉄道開業90周年を記念して1962年に建てられた博物館なわけですが、やたらやる気に満ちていたのか、明治大正期の古典蒸気機関車が多く保存されている貴重な場所です。当時はまだ古典機の調達も比較的容易だったのもありましょう。では順番に見ていきますか。
こちら110号機です。1871(明治4)年製で、新橋~横浜開業時に用意された10機の蒸気機関車のうちの1機です。なので1号機関車の同期ですね。この時は10号機でした。最後は入換機として1918(大正7)年まで使われていました。よくぞ残っていましたね。
運転室は前方の風防と屋根があるだけで左右と後方はがらんどう。本当かいなと思いますがこれで正解らしい。製造はイギリスのヨークシャー社で、日本に存在した同社製の機関車は後にも先にもこれ1機だけ。最初に用意された10機の機関車は複数社に発注していたんですが(今後の発注先を選定する設計競技の側面が強いと思われ)、ヨークシャーは評価が低く以降に繋がることがありませんでした。低評価の機関車が45年以上も使われていたのにはちょっと不可解な点が残りますが・・・。
110号は反対側の外板が切開されていて、中が丸見え。青梅にやってくる前、大宮工場で教材用にこうなったそうです。よりによってこれか、という感じですが、小さくて手頃だったのかしらん。
水槽を貫通してボイラーの中まで見えまっせ。水色に塗られている部分は、この中には水が入ることを示しています。
配管だって切開しまっせ。
蒸気ドームだって。蒸気ドームから先は過熱管の無い飽和式なのだという点に注目。飽和式機関車の切開展示はたぶん他にいないのでは?知らんけど。
シリンダー部。ちょっと角度が悪かった。蒸気の噴出孔を撮れていなかったね。
みんな大好きねじ式連結器。
古典鉄道ファンには周知の事実ですが、ちなみに110号は執筆時現在は青梅には居ません。2019年9月に突如何処かへ搬出されていってしまいました。一応鉄道記念物なので解体は無いだろうということで色々憶測が生まれましたが、鉄道の最初の開業区間の終点横浜(桜木町)に今春移転展示されることになってます。その際に切開された部分は塞いで復元されるそうなんで、この切開展示はもう見れません。そう言われると少し名残惜しい。移転展示に際して、レプリカのマッチ箱客車も製作する気合の入れようなので、公開されたら見に行きたいものですね。古典鉄道ファンには明るい話題です。
5500形5540号機。いわゆるピーコックというやつです。ネルソンと似ているけどこっちの方が先に登場していて、ネルソンよりもやや小型。1897(明治30)年バイヤーピーコック製で、1961(昭和36)年まで使用されていました。青梅鉄道公園が開園する前年のことであり、ここに保存されたのも廃車時と博物館建設時がうまく重なった縁からでしょう。
先台車。これの車輪配置は4-4-0アメリカンなんですが、同じ4-4-0でもアメリカの機関車とはずいぶん姿が違うのだなぁと。
反対側。ピーコックの場合、鉄道院の機体よりも東武鉄道の所属だった機体のほうが多く保存されています。あそこはピーコックの特異点で、全部で4機くらい現存しているはずです。1機くらい動態保存したっていいんだよ?
キャブ。まあ、輸入時の原型は留めていないでしょう。
うしろ。
というところで今日はここまで。
その6へ→
今日は1日中横田基地に入り浸って航空機を観察するはずが、展示機の半分以上が欠席してしまったので昼時には見終えてしまいました。静岡への帰りは20時なので、午後が丸々空いてしまいました。
というわけなので、暇つぶしに青梅線沿線にある青梅鉄道公園へ行ってみることにしましょう。我ながら良い考えだ。牛浜駅から青梅線のE233系に乗ります。
青梅駅に着きました。なんだかレトロチックに改装された?
駅前に停車していた都営バス青梅支所のいすゞエルガLV290 (B731)。
線路を潜って山を登ります。
着きました。6年ぶり2度目の訪問です。変わってないなー。入館料はたったの100円で、儲ける気がないというか、それだけで車両や施設や従業員を維持できるの?という疑問が・・・。恐らくここの収入だけではやっていけていないと思いますが。もっと取ってもいいと思うんだけどな。
中も変わってないなー。青梅鉄道公園は鉄道開業90周年を記念して1962年に建てられた博物館なわけですが、やたらやる気に満ちていたのか、明治大正期の古典蒸気機関車が多く保存されている貴重な場所です。当時はまだ古典機の調達も比較的容易だったのもありましょう。では順番に見ていきますか。
こちら110号機です。1871(明治4)年製で、新橋~横浜開業時に用意された10機の蒸気機関車のうちの1機です。なので1号機関車の同期ですね。この時は10号機でした。最後は入換機として1918(大正7)年まで使われていました。よくぞ残っていましたね。
運転室は前方の風防と屋根があるだけで左右と後方はがらんどう。本当かいなと思いますがこれで正解らしい。製造はイギリスのヨークシャー社で、日本に存在した同社製の機関車は後にも先にもこれ1機だけ。最初に用意された10機の機関車は複数社に発注していたんですが(今後の発注先を選定する設計競技の側面が強いと思われ)、ヨークシャーは評価が低く以降に繋がることがありませんでした。低評価の機関車が45年以上も使われていたのにはちょっと不可解な点が残りますが・・・。
110号は反対側の外板が切開されていて、中が丸見え。青梅にやってくる前、大宮工場で教材用にこうなったそうです。よりによってこれか、という感じですが、小さくて手頃だったのかしらん。
水槽を貫通してボイラーの中まで見えまっせ。水色に塗られている部分は、この中には水が入ることを示しています。
配管だって切開しまっせ。
蒸気ドームだって。蒸気ドームから先は過熱管の無い飽和式なのだという点に注目。飽和式機関車の切開展示はたぶん他にいないのでは?知らんけど。
シリンダー部。ちょっと角度が悪かった。蒸気の噴出孔を撮れていなかったね。
みんな大好きねじ式連結器。
古典鉄道ファンには周知の事実ですが、ちなみに110号は執筆時現在は青梅には居ません。2019年9月に突如何処かへ搬出されていってしまいました。一応鉄道記念物なので解体は無いだろうということで色々憶測が生まれましたが、鉄道の最初の開業区間の終点横浜(桜木町)に今春移転展示されることになってます。その際に切開された部分は塞いで復元されるそうなんで、この切開展示はもう見れません。そう言われると少し名残惜しい。移転展示に際して、レプリカのマッチ箱客車も製作する気合の入れようなので、公開されたら見に行きたいものですね。古典鉄道ファンには明るい話題です。
5500形5540号機。いわゆるピーコックというやつです。ネルソンと似ているけどこっちの方が先に登場していて、ネルソンよりもやや小型。1897(明治30)年バイヤーピーコック製で、1961(昭和36)年まで使用されていました。青梅鉄道公園が開園する前年のことであり、ここに保存されたのも廃車時と博物館建設時がうまく重なった縁からでしょう。
先台車。これの車輪配置は4-4-0アメリカンなんですが、同じ4-4-0でもアメリカの機関車とはずいぶん姿が違うのだなぁと。
反対側。ピーコックの場合、鉄道院の機体よりも東武鉄道の所属だった機体のほうが多く保存されています。あそこはピーコックの特異点で、全部で4機くらい現存しているはずです。1機くらい動態保存したっていいんだよ?
キャブ。まあ、輸入時の原型は留めていないでしょう。
うしろ。
というところで今日はここまで。
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