くりはら田園鉄道公園に併設されているくりでんミュージアムの検修庫に来ました。検修庫にはKD10形(KD12)が保存されています。表の公園に保存されているKD11と合わせて2両編成を組んで朝の通学ラッシュ専用に使われていた模様。たぶん平日朝だけの運用でしょうから、近所の鉄道オタク以外が乗ったり撮ったりするのは大変だったろうなぁ。KD10形は名鉄のキハ10形のうち2台を払い下げてもらったので、現存率100%です。くりはら田園鉄道の車両は現存率の高い車両が多くて、KD95形も100%、ED20形も少し前まで100%でした(今は66.666...%)。まあ母数が少ないんでアレですが、KD10とKD95は一箇所に複数台を保存しているという点で特筆されることと思います。普通、1台でも残れば御の字ですからね。余談ですがこの初期LE-Carは今は全て現役を退いていますが、意外と各社の車両がだいたい現存していて、結構恵まれています。
KD10形を始めとした初期LE-Carの特徴の台車FU-30。これは付随台車のFU-30T。台車なので、昔の燐寸箱客車のように台枠に固定されていたわけではないです。ただし乗り心地は良いとは言えず、横揺れが頻発していたそうです。
よく見えないけどエンジンの日産ディーゼルPE6H型。本来路線バス用のエンジンを流用した形です。
この気の抜けた顔が好き。塗装は名鉄時代と同じですぞ。
工作台ですね。溶接の時に顔に被るやつとボール盤がありにけり。後で知ることになりますが、ここの隠れた目玉はこういう工作機械だと思います。
車内にも入れます。初期LE-Carに乗るのは初めてのことです。ロングシートなので結構鉄道臭いですが、車体構体はまるっきり路線バスのそれだとわかります。側窓はもう完全にバスの流用ですがな。
ピット線には潜ることが出来るぞ。
なるほどねぇ。
奥は研修設備ですが、その前に左側にある出口へ。
車両係員詰所です。それって誰ぞやと思いましたがそうも運転手っぽいです。
時計はちゃんと時刻合わせしてあって、さすがっすね。正面の事務机が部長の席かな。
個人ロッカーがあるのは良い会社(うちにはない)。しかしいつの時代のやつだ。
気動車のブレーキハンドルと鍵を閉まっておくための箱。栗原電鉄時代からの物。末期は気動車5台、入換機1台が在籍していたということね。
鉄道車庫見学をすると必ず見る、御存知安全綱領。その左の事故防止の目標は見たことないです。社内目標かな。
表に出ます。「安 全 確 保」のイカス看板のある方が詰所です。その横にあるのがKD95の保存されている機関車庫です。機関車庫の基礎の高さが高いことに注目です。これは、軽便鉄道時代には十分だった高さが1,067mm狭軌に改軌した際に車両も大型化しようとしたら天井にぶつけることが分かったので、上モノはそのままに基礎の高さを上げて高さを確保したという経緯から。うまいこと考えましたね。
木造有蓋車のダルマ。来歴は1922(大正11)年製で西武鉄道の払い下げです。軽便の栗原鉄道時代に使っていたものの1955(昭和30)年の改軌で使えなくなってしまったので、ダルマにして倉庫として使っていたのが現存しているということです。
ワ101、ワ102の2台だということですが、どっちがどっちか分からん。貴重な大正時代製の貨車だということで、屋根付きで保存されていることは特筆されます。ここは他よりも貨車の扱いが良いと思います。やっぱり貨物輸送の歴史が深いからかしら。
修復途中なのか、原型を残して資料性を保たせているのか、ちょっと聞き忘れてしまいましたが、私の想像では後者ですかね。とはいえ製造時から残っている部材はどの程度の割合があるのか・・・というのは考慮する必要があるでしょう。倉庫時代に補修された部分もあるかもしれません。
倉庫時代に後付されただろう部品。塗装がすっかり剥げ落ちてしまった看板です。「油置場」と書かれているところまではわかりました。そうなるその右の赤い箱状の枠は消火器入れでしょうかね。
検修庫の裏側。外板は資料館整備時に補修されているみたいです。合わせて耐震補強っぽいのもやってるかも。というところで今日はここまで。
その12へ→
KD10形を始めとした初期LE-Carの特徴の台車FU-30。これは付随台車のFU-30T。台車なので、昔の燐寸箱客車のように台枠に固定されていたわけではないです。ただし乗り心地は良いとは言えず、横揺れが頻発していたそうです。
よく見えないけどエンジンの日産ディーゼルPE6H型。本来路線バス用のエンジンを流用した形です。
この気の抜けた顔が好き。塗装は名鉄時代と同じですぞ。
工作台ですね。溶接の時に顔に被るやつとボール盤がありにけり。後で知ることになりますが、ここの隠れた目玉はこういう工作機械だと思います。
車内にも入れます。初期LE-Carに乗るのは初めてのことです。ロングシートなので結構鉄道臭いですが、車体構体はまるっきり路線バスのそれだとわかります。側窓はもう完全にバスの流用ですがな。
ピット線には潜ることが出来るぞ。
なるほどねぇ。
奥は研修設備ですが、その前に左側にある出口へ。
車両係員詰所です。それって誰ぞやと思いましたがそうも運転手っぽいです。
時計はちゃんと時刻合わせしてあって、さすがっすね。正面の事務机が部長の席かな。
個人ロッカーがあるのは良い会社(うちにはない)。しかしいつの時代のやつだ。
気動車のブレーキハンドルと鍵を閉まっておくための箱。栗原電鉄時代からの物。末期は気動車5台、入換機1台が在籍していたということね。
鉄道車庫見学をすると必ず見る、御存知安全綱領。その左の事故防止の目標は見たことないです。社内目標かな。
表に出ます。「安 全 確 保」のイカス看板のある方が詰所です。その横にあるのがKD95の保存されている機関車庫です。機関車庫の基礎の高さが高いことに注目です。これは、軽便鉄道時代には十分だった高さが1,067mm狭軌に改軌した際に車両も大型化しようとしたら天井にぶつけることが分かったので、上モノはそのままに基礎の高さを上げて高さを確保したという経緯から。うまいこと考えましたね。
木造有蓋車のダルマ。来歴は1922(大正11)年製で西武鉄道の払い下げです。軽便の栗原鉄道時代に使っていたものの1955(昭和30)年の改軌で使えなくなってしまったので、ダルマにして倉庫として使っていたのが現存しているということです。
ワ101、ワ102の2台だということですが、どっちがどっちか分からん。貴重な大正時代製の貨車だということで、屋根付きで保存されていることは特筆されます。ここは他よりも貨車の扱いが良いと思います。やっぱり貨物輸送の歴史が深いからかしら。
修復途中なのか、原型を残して資料性を保たせているのか、ちょっと聞き忘れてしまいましたが、私の想像では後者ですかね。とはいえ製造時から残っている部材はどの程度の割合があるのか・・・というのは考慮する必要があるでしょう。倉庫時代に補修された部分もあるかもしれません。
倉庫時代に後付されただろう部品。塗装がすっかり剥げ落ちてしまった看板です。「油置場」と書かれているところまではわかりました。そうなるその右の赤い箱状の枠は消火器入れでしょうかね。
検修庫の裏側。外板は資料館整備時に補修されているみたいです。合わせて耐震補強っぽいのもやってるかも。というところで今日はここまで。
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