2018年2月10日(土)11時45分シンガポール ブキティマキングアルバートパーク駅で地下鉄を降りて外に出て、数分歩くと見えてくるのがこのトラス橋です。
歩道橋から撮影。これはマレー鉄道の廃線跡です。マレー鉄道はマレーシアを縦断する鉄道で、所有も運行もマレーシアのマレー鉄道公社が受け持っています。名実ともにマレーシアの鉄道が外国のシンガポールに乗り入れているわけです。このいびつな形はシンガポールがマレーシア共々かつてはイギリスの植民地で、第二次世界大戦後はシンガポールがマレーシアから独立したという経緯から成り立っています。シンガポールへはマレーシア発着の長距離国際列車が乗り入れていたんだそうですが、2011年6月にシンガポール内の線路は廃線となってしまいました。現在の終点はマレーシアとシンガポールの国境付近まで後退しています。この鉄橋はその遺構というわけです。
旧シンガポール駅方面(鉄橋の写真から見て左側)には、旧ブキ・ティマ駅 (Bukit Timah) が残っています。
ここです。
駅の敷地内の線路と路盤もそのまま残されています。一面一線のホームを有します。他に、2本の行き違い線もあります。
駅舎も一応残っています。旧ブキ・ティマ駅には出入国管理機能が無かったので乗客の乗降は不可能で、シンガポールの独立以後は旅客駅としての機能は無くなったと思われます。
南国の小駅。日本では感じられない雰囲気で。
お気づきの方もいるかも知れませんが、マレー鉄道は標準軌ではありません。1,067mm狭軌かと思いきや、実際は1,000mm軌間でした。
ウィキペディアによれば、旅客駅廃止後も信号場として機能していたようです。それを示すものがここに。これ、タブレットキャッチャーですね。通票閉塞だったとは。
駅名標。左に行くと昔の終点シンガポール駅、右に行くと現在の終点で国境にあるウッドランズ駅です。
ところで記事を書いていて気が付きましたが、ブキ・ティマということは、第二次世界大戦にシンガポールに侵攻してきた日本軍が占領したブキテマ高地がこの辺にあるのではと。地図を見てみたらすぐ近くにブキ・ティマ丘陵があって、そこがいわゆるブキテマ高地なのですな。ただ戦争の痕跡はほとんど残っていないそうです。
駅舎は金網に囲まれていて、進入することが出来ません。
駅舎の他に構内の転轍機を操作する小屋がありにけり。
よく見るやつですね。最後まで集中制御化されていなかったのかも。
ここは待合室だったところかしら。
こっちはご丁寧に駅長室と書いてあります。
旧シンガポール駅方面へ続く廃線跡。線路は剥がされて、自転車道になっています。
今まで平気で鉄道用地内に入っていましたが、ここは廃線跡あるあるの、遊歩道/自転車道への転用がされているのでした。ちょうど工事中のようで、まだ完了していない区間もある模様。
鉄橋の部分は線路が残されていて往時の雰囲気を感じられるのは高得点です。
左右のトラスがズレているので、なんだか変な錯覚が・・・。
幾何学的であるのだ。
木の枕木だしバラストは玉砂利になっているし、なんというかマレー鉄道は晩年のシンガポール内への投資は消極的だったのかなと。
反対側へ渡ったところで、最初に来た道路のところへ戻ってきました。では次の場所へ移動します。
というところで今日はここまで。
その6へ→
歩道橋から撮影。これはマレー鉄道の廃線跡です。マレー鉄道はマレーシアを縦断する鉄道で、所有も運行もマレーシアのマレー鉄道公社が受け持っています。名実ともにマレーシアの鉄道が外国のシンガポールに乗り入れているわけです。このいびつな形はシンガポールがマレーシア共々かつてはイギリスの植民地で、第二次世界大戦後はシンガポールがマレーシアから独立したという経緯から成り立っています。シンガポールへはマレーシア発着の長距離国際列車が乗り入れていたんだそうですが、2011年6月にシンガポール内の線路は廃線となってしまいました。現在の終点はマレーシアとシンガポールの国境付近まで後退しています。この鉄橋はその遺構というわけです。
旧シンガポール駅方面(鉄橋の写真から見て左側)には、旧ブキ・ティマ駅 (Bukit Timah) が残っています。
ここです。
駅の敷地内の線路と路盤もそのまま残されています。一面一線のホームを有します。他に、2本の行き違い線もあります。
駅舎も一応残っています。旧ブキ・ティマ駅には出入国管理機能が無かったので乗客の乗降は不可能で、シンガポールの独立以後は旅客駅としての機能は無くなったと思われます。
南国の小駅。日本では感じられない雰囲気で。
お気づきの方もいるかも知れませんが、マレー鉄道は標準軌ではありません。1,067mm狭軌かと思いきや、実際は1,000mm軌間でした。
ウィキペディアによれば、旅客駅廃止後も信号場として機能していたようです。それを示すものがここに。これ、タブレットキャッチャーですね。通票閉塞だったとは。
駅名標。左に行くと昔の終点シンガポール駅、右に行くと現在の終点で国境にあるウッドランズ駅です。
ところで記事を書いていて気が付きましたが、ブキ・ティマということは、第二次世界大戦にシンガポールに侵攻してきた日本軍が占領したブキテマ高地がこの辺にあるのではと。地図を見てみたらすぐ近くにブキ・ティマ丘陵があって、そこがいわゆるブキテマ高地なのですな。ただ戦争の痕跡はほとんど残っていないそうです。
駅舎は金網に囲まれていて、進入することが出来ません。
駅舎の他に構内の転轍機を操作する小屋がありにけり。
よく見るやつですね。最後まで集中制御化されていなかったのかも。
ここは待合室だったところかしら。
こっちはご丁寧に駅長室と書いてあります。
旧シンガポール駅方面へ続く廃線跡。線路は剥がされて、自転車道になっています。
今まで平気で鉄道用地内に入っていましたが、ここは廃線跡あるあるの、遊歩道/自転車道への転用がされているのでした。ちょうど工事中のようで、まだ完了していない区間もある模様。
鉄橋の部分は線路が残されていて往時の雰囲気を感じられるのは高得点です。
左右のトラスがズレているので、なんだか変な錯覚が・・・。
幾何学的であるのだ。
木の枕木だしバラストは玉砂利になっているし、なんというかマレー鉄道は晩年のシンガポール内への投資は消極的だったのかなと。
反対側へ渡ったところで、最初に来た道路のところへ戻ってきました。では次の場所へ移動します。
というところで今日はここまで。
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