静岡航空資料館の続き。まだエンジンの展示が続きます。これは日本ジェットエンジンJO-1型ターボジェットエンジン。軸流圧縮式です。第二次世界大戦に敗戦後日本の航空産業はGHQによりその一切を1952(昭和27)年に一部解除されるまで禁止されていたわけですが、その2年後に製作された研究用のジェットエンジンです。大宮富士工業という会社が通産省からの助成を受けて1953(昭和28)年に開発開始、1954(昭和29)年に完成させました。第二次世界大戦時に製作されたネ20型につづく国産ジェットエンジンとしてはJ3型が挙げられることが多いですが、その前段階としてJO-1型があったのです。ただし出力が低いことから飛行させるまではいかず、地上で試運転することしかできなかったそうな。日本ジェットエンジン社というのは、通産省の指導により石川島播磨、富士重工等4社が共同出資して設立した国策企業です。その後はJ3エンジンを開発したりや通産省が国産エンジン開発の梯子を外したりするんですが、それは脱線してしまうので無し。
初めはこれを国産練習機のT-1に載せるつもりだったらしいです。ジェットエンジンの種類もそんなに知っているわけではないのでなんともですが、この頃の日本は手癖が悪かったのでどこかの欧米製エンジンのパクリなのかな?と疑ってはしまいます。
このエンジンもよく現存しているなと思います。以前は神田の交通博物館にありました。全く覚えていないが・・・。
続いてエンジン部品の展示。これは写真にも載っていますが空冷レシプロエンジンのシリンダーです。エンジンはライカミングO-320-E2D。右の大きいひだひだのやつがシリンダーで、左の円柱形のやつがバルブ、その手前のバネがバルブスプリングです。
これはR-2800ダブルワスプのピストン部。
ジェットエンジンのタービンに付いているタービン翼です。超高温にさらされる部分なので耐熱鋼が使用されるほか、超高速回転で遠心力も非常に強いことから強度も求められます。冷却用の空気孔が無数に空いているのに注目です。ここに融解した火山灰が付着してエンジンが全て停止してしまった事故も起きています(ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故)
実はまだエンジンがあるがちょっと毛色が違います。なんとバルターHWK109-509A-2R型ロケットモーターです。いわゆるバルター機関。ドイツ空軍の断末魔その3、メッサーシュミットMe163戦闘機用のロケットモーターです。詳しい作動原理は各自調べておいてください(手抜き)その物珍しさから連合国が片っ端から接収していったんですが、なぜか日本にも1基現存しています。かつては旧交通科学博物館に展示されていたものです。これはそこでも見た覚えがありますね。
リアクションモーターズXLR11-RM-5型ロケットモーターです。これは1947(昭和22)年10月、史上初めて水平飛行で音速の壁を突破した超音速野郎ベルX-1搭載のエンジンです。なんと実物です。実機に搭載していた個体なのかは謎ですが、よく日本に残っているな。ちなみになんでロケットモーターだったかというと、プロペラでは問題外、ジェットエンジンもまだ力不足、ということで消去法的にロケットモーターが選ばれたのでした。当時はまだ超音速時のジェットエンジンの空気取入口の衝撃波や造波抵抗問題を認識していなかったのですが、偶然にもロケットモーターを選んだことでその問題を回避してしまいました。めでたしめでたし。
プロペラです。下のプロペラほど古いです。順番に書いていくと、このとおり。なお全て実物の模様。⑥マコーレイ式プロペラ(1950年)⑤メタルエアスクリュー社式プロペラ(年代不明)④ハミルトンスタンダート式プロペラ(1934年)③リード式プロペラ(1932年)②ルバッスール式プロペラ(1921年)①ライト式プロペラ(1911年)
どれもプロペラ軸と翅が直結した固定ピッチプロペラです。前々回のイスパノスイザエンジンで書いたプロペラ固定金具と合致するものも中にはあるのに注目です。ちなみにかつての静岡県の航空産業といえば楽器製造のヤマハが製作していた航空機用プロペラがまず挙げられると思います。1921(大正10)年、木製楽器の製造技術に着目した陸軍がプロペラ生産をヤマハに発注したのが始まりで、そのうち金属製プロペラも作るようになりました。戦後はプロペラの工作機械の技術を転用してオートバイの生産を始め、ヤマハ発動機として独立していったという、医者がF1レーサーになったみたいな話です。
こちらも上から・・・ライト式プロペラ(1911年)甲式3型プロペラ(1930年)ユンカース式プロペラ(1930年)ハーツェル式プロペラ(1950年)YS11用可変ピッチプロペラ(1962年)
こうしてみると固定ピッチ2枚翅プロペラは飾ったときの見栄えが良いですな。
静岡空港に併設する航空博物館の構想も持っているのだそうです。興味深いことですが、やはり実現することは簡単ではないようです。
小さい部屋にはこれまた模型。これは二宮忠八(1866~1936年)が考案した飛行機の模型。曰く、ライト兄弟よりも先に飛行の原理を発見した人物です。右のが模型のカラス型飛行器で、ゴム動力でプロペラを回して飛びます。日本で初めてプロペラ飛行を成功させたものです。カラス型の成功を受けて次は人間が乗る玉虫型飛行器を開発しはじめました。まずはこのような縮尺模型を作成し、次いで実物大を作る予定でした。しかし資金難とエンジン調達に苦労して開発が遅れているうちにアメリカの片田舎の自転車屋兄弟が有人飛行に成功してしまい、それを聞いた二宮は製作中の飛行機を打ち壊して、以後開発から離れたそうな。つら・・・。
ドルニエDoXですね。エンジンを12発搭載しても高度500mまでしか上昇できずしかも故障続きなので実用化出来ませんでした。
ボーイング727です。
再び展示場へ。これはロッキードT-33シューティングスターです。T-6テキサンと並ぶ御存知航空博物館の常連です。どこにでもいます。これがいないと始まらないぜ、という部分はあります。コックピットより前が収蔵されています。これは静岡理工科大学の持ち物だそうな。いずれはコックピットの中を覗けたり座れたりするんじゃなかろうか。
カットモデルなので胴体の断面が見れるのはそれはそれで貴重。意外と複雑な形状をしているあの空気取入口の奥はこうなっているのだ。
正面から見ると意外とスマート。機首の上下方向をもっと絞っていればかっこよかったのになぁと思います。
LET L-23スーパーブラニックという全金製グライダーです。LETというのはチェコスロバキアのメーカーです。20kg分の手荷物置き場があり、T字尾翼と軽量化のためにフラップを無くしているのが特徴なんだとか。これは日本航空協会のもの。
コックピット。
三田式3型改1B白鴎という鋼管羽布張りグライダー。1955(昭和30)年に三田航空クラブが慶應義塾大学航空部OB会に寄贈した三田式1型の改良型だそうな。全部で37機製作されたようで、全国の大学や飛行クラブで使われていた模様。しかし1985(昭和60)年に主翼強度不足が発覚して耐空性改善通報が通達されたことで飛行できなくなってしまいました。
横から。
飛行機の車輪ですね。飛行中は必要ない邪魔な重量物ですけど、飛行機には欠かすことの出来ない部品です。
これはボーイング707の主脚の車輪。
エアバスA320の主脚の車輪。
こっちは同前脚の車輪。
というところで今日はここまで。
最終回へ→
初めはこれを国産練習機のT-1に載せるつもりだったらしいです。ジェットエンジンの種類もそんなに知っているわけではないのでなんともですが、この頃の日本は手癖が悪かったのでどこかの欧米製エンジンのパクリなのかな?と疑ってはしまいます。
このエンジンもよく現存しているなと思います。以前は神田の交通博物館にありました。全く覚えていないが・・・。
続いてエンジン部品の展示。これは写真にも載っていますが空冷レシプロエンジンのシリンダーです。エンジンはライカミングO-320-E2D。右の大きいひだひだのやつがシリンダーで、左の円柱形のやつがバルブ、その手前のバネがバルブスプリングです。
これはR-2800ダブルワスプのピストン部。
ジェットエンジンのタービンに付いているタービン翼です。超高温にさらされる部分なので耐熱鋼が使用されるほか、超高速回転で遠心力も非常に強いことから強度も求められます。冷却用の空気孔が無数に空いているのに注目です。ここに融解した火山灰が付着してエンジンが全て停止してしまった事故も起きています(ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故)
実はまだエンジンがあるがちょっと毛色が違います。なんとバルターHWK109-509A-2R型ロケットモーターです。いわゆるバルター機関。ドイツ空軍の断末魔その3、メッサーシュミットMe163戦闘機用のロケットモーターです。詳しい作動原理は各自調べておいてください(手抜き)その物珍しさから連合国が片っ端から接収していったんですが、なぜか日本にも1基現存しています。かつては旧交通科学博物館に展示されていたものです。これはそこでも見た覚えがありますね。
リアクションモーターズXLR11-RM-5型ロケットモーターです。これは1947(昭和22)年10月、史上初めて水平飛行で音速の壁を突破した超音速野郎ベルX-1搭載のエンジンです。なんと実物です。実機に搭載していた個体なのかは謎ですが、よく日本に残っているな。ちなみになんでロケットモーターだったかというと、プロペラでは問題外、ジェットエンジンもまだ力不足、ということで消去法的にロケットモーターが選ばれたのでした。当時はまだ超音速時のジェットエンジンの空気取入口の衝撃波や造波抵抗問題を認識していなかったのですが、偶然にもロケットモーターを選んだことでその問題を回避してしまいました。めでたしめでたし。
プロペラです。下のプロペラほど古いです。順番に書いていくと、このとおり。なお全て実物の模様。⑥マコーレイ式プロペラ(1950年)⑤メタルエアスクリュー社式プロペラ(年代不明)④ハミルトンスタンダート式プロペラ(1934年)③リード式プロペラ(1932年)②ルバッスール式プロペラ(1921年)①ライト式プロペラ(1911年)
どれもプロペラ軸と翅が直結した固定ピッチプロペラです。前々回のイスパノスイザエンジンで書いたプロペラ固定金具と合致するものも中にはあるのに注目です。ちなみにかつての静岡県の航空産業といえば楽器製造のヤマハが製作していた航空機用プロペラがまず挙げられると思います。1921(大正10)年、木製楽器の製造技術に着目した陸軍がプロペラ生産をヤマハに発注したのが始まりで、そのうち金属製プロペラも作るようになりました。戦後はプロペラの工作機械の技術を転用してオートバイの生産を始め、ヤマハ発動機として独立していったという、医者がF1レーサーになったみたいな話です。
こちらも上から・・・ライト式プロペラ(1911年)甲式3型プロペラ(1930年)ユンカース式プロペラ(1930年)ハーツェル式プロペラ(1950年)YS11用可変ピッチプロペラ(1962年)
こうしてみると固定ピッチ2枚翅プロペラは飾ったときの見栄えが良いですな。
静岡空港に併設する航空博物館の構想も持っているのだそうです。興味深いことですが、やはり実現することは簡単ではないようです。
小さい部屋にはこれまた模型。これは二宮忠八(1866~1936年)が考案した飛行機の模型。曰く、ライト兄弟よりも先に飛行の原理を発見した人物です。右のが模型のカラス型飛行器で、ゴム動力でプロペラを回して飛びます。日本で初めてプロペラ飛行を成功させたものです。カラス型の成功を受けて次は人間が乗る玉虫型飛行器を開発しはじめました。まずはこのような縮尺模型を作成し、次いで実物大を作る予定でした。しかし資金難とエンジン調達に苦労して開発が遅れているうちにアメリカの片田舎の自転車屋兄弟が有人飛行に成功してしまい、それを聞いた二宮は製作中の飛行機を打ち壊して、以後開発から離れたそうな。つら・・・。
ドルニエDoXですね。エンジンを12発搭載しても高度500mまでしか上昇できずしかも故障続きなので実用化出来ませんでした。
ボーイング727です。
再び展示場へ。これはロッキードT-33シューティングスターです。T-6テキサンと並ぶ御存知航空博物館の常連です。どこにでもいます。これがいないと始まらないぜ、という部分はあります。コックピットより前が収蔵されています。これは静岡理工科大学の持ち物だそうな。いずれはコックピットの中を覗けたり座れたりするんじゃなかろうか。
カットモデルなので胴体の断面が見れるのはそれはそれで貴重。意外と複雑な形状をしているあの空気取入口の奥はこうなっているのだ。
正面から見ると意外とスマート。機首の上下方向をもっと絞っていればかっこよかったのになぁと思います。
LET L-23スーパーブラニックという全金製グライダーです。LETというのはチェコスロバキアのメーカーです。20kg分の手荷物置き場があり、T字尾翼と軽量化のためにフラップを無くしているのが特徴なんだとか。これは日本航空協会のもの。
コックピット。
三田式3型改1B白鴎という鋼管羽布張りグライダー。1955(昭和30)年に三田航空クラブが慶應義塾大学航空部OB会に寄贈した三田式1型の改良型だそうな。全部で37機製作されたようで、全国の大学や飛行クラブで使われていた模様。しかし1985(昭和60)年に主翼強度不足が発覚して耐空性改善通報が通達されたことで飛行できなくなってしまいました。
横から。
飛行機の車輪ですね。飛行中は必要ない邪魔な重量物ですけど、飛行機には欠かすことの出来ない部品です。
これはボーイング707の主脚の車輪。
エアバスA320の主脚の車輪。
こっちは同前脚の車輪。
というところで今日はここまで。
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