エアロコマンダー680F「東風号」です。あ、これは旧交通科学博物館で見た覚えがありますよ!閉館後にどこに行ったんだろうと気になっていましたが、ここに移動していたんですね。双発プロペラ小型ビジネス機の680F型は、500型の改良型です。ターボチャージャーと燃料噴射装置付きのライカミングIGSO-540型を搭載しています。このため従来機と比べて高速性と高高度性能に優れていましたが、機内は与圧されていなかったので、高度1万ftを超えると酸素マスクが必要だったとかで。
東風号を見たことのある方は御存知でしょうが、これは朝日新聞が所有していた取材用の社用機です。朝日新聞は昔から航空機に関心が高いです。戦前の神風号とかは有名です。
機体は解体された状態で搬入したようです。ちゃんと展示するためには再組み立てしないとならないですが、なかなかそうもいかないようです。お金もそうですが機材も必要だとかで。どうにかして組み立てたいんだろうなというのは話していて感じました。
解体すれば車両で運べる大きさだったのはよかったですかね。
東風号のプロペラですね。
可変ピッチプロペラの機能を示すためのデモ装置のようです。旧交通科学博物館にあったようですけど、覚えていないな・・・。
ここからは分野がガラッと変わって、航空管制に関する機械です。これは精密進入レーダー(PAR)ターミナルレーダーの監視装置で、航空保安大学校で使用されていたもの。
精密進入レーダー(PAR)の画面。方位と高度の2種類のレーダーから成っていて、飛行機の操縦士から見て滑走路が見えない時に、地上の管制官がこれを使って機体を滑走路まで誘導するものです。この時機体の操縦士は管制官の指示に一方的に従うことになります。現代では計器着陸装置(ILS)が普及しているのでこれを使う空港は少ないんだそうな。
ふふふ、ここに座ったら「なんて事だ、もう助からないゾ♡」と言ってみたいものだ・・・。
ターミナルレーダー管制の画面。航空機のトランスポンダーが発する機体識別、便名、距離、方位、高度、対地速度がこの画面上に表示されます。
これは飛行場の管制塔を模した実習機材です。これも航空保安大学校にあったものです。
飛行場の模型。これを挟んでこちら側には管制官役の学生、向こう側には操縦士役の学生が座って、周辺の航空機の交通整理と無線通信の実習を行うものです。
この白板はおそらく大学の実習で使われたものかな?正直良く分からん。
御存知セスナ172M (JA3767)です。もう登録抹消されているようですが、前所有者はホンダだった模様。
学生が機体構造やエンジン構造を学ぶための教材として使われています。引退した航空機の余生の送り方としてよくあるやつですね。
親の顔より見たことのある軽飛行機なので、特にまあ、、、。
というところで静岡航空資料館の見学は終了です。小さい資料館で展示も不完全な部分がありましたが、収蔵品やそれの展示への向き合い方はしっかりしたものだと思いましたし、勉強になることもありました。最初にも書きましたがここを訪れるのにハードルが高いのが難点ですが、それを克服できるという人は一度行ってみるといいと思います。
資料館退館後、静岡空港の東側にある「だいだらぼっち広場」へ行きました。天気はこの通りドン曇りですが、せっかく来たので飛行機を撮影していきます。
フジドリームエアラインズ(FDA)JH184便出雲発静岡行が着陸してきました。機材はエンブラエルE175 (JA09FJ; ゴールド) です。
うーん、曇り・・・。
続いてエアソウルの仁川発静岡行のエアバスA321-200 (HL8280) が着陸してきました。便名は控えていなかったので分からんちん。
静岡線にA321は過剰供給じゃないの?と思っていましたが、エアソウルはA321しか持っていないんですね。エアソウルは仁川と日本の地方空港を結ぶ近距離国際線を主軸にしているLCCで、この頃は調子が良かったです。でもしばらくすると日韓関係がまた悪化して搭乗率も下がってしまって、採算の悪い路線はソッコーで運休・撤退していきました・・・。静岡線も当然同年9月に運休しました。弊ブログでエアソウルが出てくるのも今の所これが最後です。
ANA NH1264便那覇発静岡行のボーイングB737-800 (JA73AN)です。静岡に来るANA便は那覇→静岡→新千歳あるいはその逆という運用で、実質的には那覇発静岡経由新千歳行あるいはその逆、という見方もできます。那覇~新千歳を通しで乗る人はいるんだろうか?修行僧が好きそうな気がしますが・・・。
これ以降は時間が空くのでこれにて静岡空港からは撤収。
ついでに大井川鐵道へ。金谷~新金谷の間に架かる大代川橋梁で21001系を撮影しました。
ついでについでに新金谷駅の裏の公園から車両区を見ていきます。
E31形のE32号機とE33号機が並んでいました。
もうひとついでに大代側線へ行ってみると、3000系の片方だけ留置されていました。噂では倉庫に使っているとか。
側線の観察を終えたところで帰路へつきました。おしまい。
東風号を見たことのある方は御存知でしょうが、これは朝日新聞が所有していた取材用の社用機です。朝日新聞は昔から航空機に関心が高いです。戦前の神風号とかは有名です。
機体は解体された状態で搬入したようです。ちゃんと展示するためには再組み立てしないとならないですが、なかなかそうもいかないようです。お金もそうですが機材も必要だとかで。どうにかして組み立てたいんだろうなというのは話していて感じました。
解体すれば車両で運べる大きさだったのはよかったですかね。
東風号のプロペラですね。
可変ピッチプロペラの機能を示すためのデモ装置のようです。旧交通科学博物館にあったようですけど、覚えていないな・・・。
ここからは分野がガラッと変わって、航空管制に関する機械です。これは精密進入レーダー(PAR)ターミナルレーダーの監視装置で、航空保安大学校で使用されていたもの。
精密進入レーダー(PAR)の画面。方位と高度の2種類のレーダーから成っていて、飛行機の操縦士から見て滑走路が見えない時に、地上の管制官がこれを使って機体を滑走路まで誘導するものです。この時機体の操縦士は管制官の指示に一方的に従うことになります。現代では計器着陸装置(ILS)が普及しているのでこれを使う空港は少ないんだそうな。
ふふふ、ここに座ったら「なんて事だ、もう助からないゾ♡」と言ってみたいものだ・・・。
ターミナルレーダー管制の画面。航空機のトランスポンダーが発する機体識別、便名、距離、方位、高度、対地速度がこの画面上に表示されます。
これは飛行場の管制塔を模した実習機材です。これも航空保安大学校にあったものです。
飛行場の模型。これを挟んでこちら側には管制官役の学生、向こう側には操縦士役の学生が座って、周辺の航空機の交通整理と無線通信の実習を行うものです。
この白板はおそらく大学の実習で使われたものかな?正直良く分からん。
御存知セスナ172M (JA3767)です。もう登録抹消されているようですが、前所有者はホンダだった模様。
学生が機体構造やエンジン構造を学ぶための教材として使われています。引退した航空機の余生の送り方としてよくあるやつですね。
親の顔より見たことのある軽飛行機なので、特にまあ、、、。
というところで静岡航空資料館の見学は終了です。小さい資料館で展示も不完全な部分がありましたが、収蔵品やそれの展示への向き合い方はしっかりしたものだと思いましたし、勉強になることもありました。最初にも書きましたがここを訪れるのにハードルが高いのが難点ですが、それを克服できるという人は一度行ってみるといいと思います。
資料館退館後、静岡空港の東側にある「だいだらぼっち広場」へ行きました。天気はこの通りドン曇りですが、せっかく来たので飛行機を撮影していきます。
フジドリームエアラインズ(FDA)JH184便出雲発静岡行が着陸してきました。機材はエンブラエルE175 (JA09FJ; ゴールド) です。
うーん、曇り・・・。
続いてエアソウルの仁川発静岡行のエアバスA321-200 (HL8280) が着陸してきました。便名は控えていなかったので分からんちん。
静岡線にA321は過剰供給じゃないの?と思っていましたが、エアソウルはA321しか持っていないんですね。エアソウルは仁川と日本の地方空港を結ぶ近距離国際線を主軸にしているLCCで、この頃は調子が良かったです。でもしばらくすると日韓関係がまた悪化して搭乗率も下がってしまって、採算の悪い路線はソッコーで運休・撤退していきました・・・。静岡線も当然同年9月に運休しました。弊ブログでエアソウルが出てくるのも今の所これが最後です。
ANA NH1264便那覇発静岡行のボーイングB737-800 (JA73AN)です。静岡に来るANA便は那覇→静岡→新千歳あるいはその逆という運用で、実質的には那覇発静岡経由新千歳行あるいはその逆、という見方もできます。那覇~新千歳を通しで乗る人はいるんだろうか?修行僧が好きそうな気がしますが・・・。
これ以降は時間が空くのでこれにて静岡空港からは撤収。
ついでに大井川鐵道へ。金谷~新金谷の間に架かる大代川橋梁で21001系を撮影しました。
ついでについでに新金谷駅の裏の公園から車両区を見ていきます。
E31形のE32号機とE33号機が並んでいました。
もうひとついでに大代側線へ行ってみると、3000系の片方だけ留置されていました。噂では倉庫に使っているとか。
側線の観察を終えたところで帰路へつきました。おしまい。