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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その7 【2015/06/24~26】

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2015年6月25日(木) 10時55分
ワシントン州エバレット フライング・ヘリテージ・コレクション館内
FHC編の2回目。4機目はイギリス空軍のホーカー・ハリケーンMk. XIIA。
スピットファイアと並ぶ第二次世界大戦時のイギリスの主力戦闘機のひとつなんですが、スピットファイアと比べるといまいち影が薄い。というのも性能が平凡だったらしい。スピットと同じマーリンエンジン積んでるくせに。バトル・オブ・ブリテンの時もスピットファイアは戦闘機の、ハリケーンは爆撃機の迎撃を担当していたとのことですが、要はドイツ戦闘機じゃ性能低くて相手にならないからノロマの爆撃機を相手にしてたってことじゃんね。

この機体Mk.XIIA、つまりMk.12Aはカナダ自動車鋳造社製でエンジンはアメリカでライセンス生産されたパッカード・マーリンXXIX(29)を搭載。Mk. X以降の機体はカナダ製と見て問題無いです。ただしMk. Iにはカナダ製もいるのでそこだけ注意。
製造日は不明ながらおそらく1941年製、元々は艦上戦闘機型のシーハリケーンとして製造され1942年1月22日にカナダ空軍に配備されるも実戦は経験せず。
空軍が艦上戦闘機?怪しいと思ったんですが、シーハリケーンは元々商船にカタパルトを付けただけの船CAMシップで運用するための機体だったようで。ドイツの通商破壊対策に急遽改造されたCAMシップですが、これ空母じゃないので、シーハリケーンは一度発艦すると着艦ができなくなってしまい、機体は近くの陸地の基地に着陸するかそれかもう海上に不時着して機体を放棄、乗員は救助(必ず救助されるとは言ってない)という使い方をしていたそうな。なんじゃそりゃ。
これじゃイカンでしょ、ってことになって今度は商船に飛行甲板を乗っけた軽空母というべきMACシップを改造していったそうな。ただし日本の商船改造空母「飛鷹」などのように改造後は軍に徴用されるということはなく、あくまで商船として運用されていた模様。

話を戻して、それでもMACシップなどを運用していたのは海軍のはずですから、海軍型として造ったけどいらないらしいから空軍に回しとくわって感じだったのかも知れません。艦上戦闘機を陸上戦闘機として使う分には問題無いですからね。でもやっぱり不都合があったのか後に艦上戦闘機の機能を削いで普通のハリケーンMk. XIIAに改造されました。
その後着陸に失敗して損傷し、そのまま廃棄。それからイギリスで復元されて2006年3月15日にフライアブルになるまでになりました。



横から。なんだか無難、無難、アンド無難といった印象を受けるのは気のせいかしら。
ハリケーンの特徴としては胴体後部が羽布張り、つまり外板が鋼管の骨組みと布で出来ているのです。胴体前半の外板はなめらかな表面なのに対して後半部分は横にスジが通っていてカクカクしているというのが分かるでしょうか。これが羽布張りの部分です。こんなナリしてずいぶんと古い技術を使っているのね・・・。後期型のこのMk. XIIAはまだいい方で、初期型は主翼一部も羽布張りでした。なお初飛行は1935年11月。これの半年前にドイツのBf109が初飛行しているんですから、古いと言われても仕方ないよね。
あと、主翼が厚いのね。主翼が厚いというのは揚力を稼ぐのには都合がいいんですが、その分抵抗が大きいんで高速性は犠牲になります。主翼を薄くすればその逆です。ここら辺は設計者のさじ加減ですね。でもこれ、同時期の戦闘機の中でも厚い方でしょう。他の戦闘機はなんとも思いませんでしたがこれだけは「厚いよなぁ」って感じさせますし・・・。
それでも必要なときに必要な数を揃えられるという面では優秀でした。何せ造るのが簡単。イギリス最多戦闘機はこれですし、大戦序盤では中々数の揃わないスピットファイアに代わりイギリスを守っていたのです。



尾翼の付け根辺りのアップ。
布と言っても布目は塗料の厚塗りで埋めているので一見すると布だと分からないですが、まあ布です。他の博物館で羽布張りの資料を触ったんですが、障子の紙を丈夫にしたくらいの感じで、割と簡単に穴を開けれそうな感じでした。
機体には、フライアブル機の証とでも言うべきレジ番号が書かれています。このハリケーンはNX54FHです。ただ、歴史考証的には邪魔なものに他ならないので、普通はこれのようにとても小さい文字でしかも水平尾翼の下という目立たない位置に書かれます。
あとは、Fw190では埋められていた整備器具の差し込み穴がハリケーンには残っていて、注意書きも書かれています。この考証の差というのはレストア業者によりけりということでしょうかね。



5機目、再びドイツ空軍でフォッケウルフFw190D-13ドーラ。前回見たFw190A-5とは別の機体ですよ。
Fw190はおおまかに3つのサブタイプがあります。ひとつは空冷エンジン搭載の戦闘機型であるA型、もうひとつはA型から派生した戦闘爆撃機型のF/G型、で最後が空冷エンジンを液冷エンジンに換装して(!)高高度性能を確保した後期戦闘機型であるD型です。
Fw190は第一級の性能を持つ戦闘機でした。ですがそれは「高度6000m以下でなら」という但し書きが付きます。高高度性能の優れる連合軍の戦闘機が出てくると対抗するのが難しくなってきます。
「じゃあ高高度に対応したエンジンに載せ換えればええやん」って感じに改造されて1944年8月からD-9型が量産されることになります。それでも高高度性能は満足行くものではなく、結局はジェット戦闘機Me262の実用化を待たねばなりませんでした。ドーラという名前はサブタイプのDから取られています。なおサブタイプの数字は9から始まります。試作機は1と2で、3~8は何故かすっ飛ばされたようです。このD-13型はエンジンにユモ213Fを、武装に20mm機関砲4門を搭載したものです。D-13型としては唯一の現存機だそうな。
で、そのエンジン換装なんですが、A型のBMW801空冷エンジンからユモ213液冷エンジンに換装したんです。空冷エンジンの形状は前面投影面積が大きいけど奥行きが薄い、液冷エンジンの形状はその逆と対照的なわけです。空冷エンジンを載せるように設計されたFw190に液冷エンジンを載せてしまったので、機首部の形状が別物みたいに変わってしまいました。特に長さが120cmくらい伸びてしまい、なんかもうえらく不格好に・・・。
こんなに鼻の長い戦闘機もそういないでしょうし、あんまりにアレなんで長鼻とかデブとか豚とか言われてたらしい。ツラいンゴね。



前から。
お前のような液冷エンジン機がいるか!ってスタイルしてますね。普通は上のハリケーンみたいな形を想像するんですが・・・。エンジンカウルが付いている戦闘機は空冷エンジンだよって前に説明しましたが、これは例外ですw
このエンジンカウルのようなものの内側には実はラジエーターとオイルクーラーが収まっています。豚みたいな見た目の割には、胴体下面に装着していた他の液冷エンジン機と比べて空気抵抗を抑えることが出来て効率的だったそうな。
D-13のプロペラスピナーにはちゃんとグルグル目玉の塗装がされていますね。敵パイロットの目を回して墜落させちゃるというものではなく、敵味方識別用のマーカーです。日本軍機の主翼前縁の黄帯、連合軍機の主翼の白黒の縞模様と同様です。あとプロペラ太いなぁこれ。
機関砲は主翼と胴体に2門ずつ・・・って思ったら博物館の資料には3門と書いてありにけり、おや・・・?胴体の機関砲は1門だけなのかな?
主翼の機関砲の外側についている穴はガンカメラらしい。この時代にガンカメラなんてあったのね。よく分からないのでスルー。

製造時期は不明ですが1945年3月に第26戦闘航空団に配属、その2ヶ月後に連合軍に鹵獲されアメリカのインディアナ州で性能評価試験に供されます。試験後は大学や個人の手を渡り歩いて2001年に復元、2007年にFHCが購入とのこと。唯一のD-13型の現存機なので、万一の損失を考慮して飛行させるつもりはないとのこと。
というかD-9型を入れてもD型の現存機は4機しかなく、大戦後期に登場した機体でありながらその数は少ないです。D型の総生産数は700~800機らしいんでそう考えると妥当なのかな。あとはまあ敗戦国の宿命かしらん。



後ろから。
機首の長さが前に伸びたFw190Dですが、実は胴体も後ろ側に伸びています。
飛行機は揚力さえあれば飛べるというものでもなく、主翼を重心にやじろべえのようにバランスを取る必要があります。左右はともかく前後、つまり胴体の重量バランスを取ってやらんといかんのです。なのでエンジンという重量物が胴体の先っちょにあるレシプロ戦闘機は主翼が胴体の前側にあります。対してジェット戦闘機はエンジンが胴体の中央辺りにあるので主翼がレシプロ機よりも後ろ側にあります。
以上を踏まえて、Fw190Aよりも機首の長さが伸びたD型はバランスが崩れてしまうのです。A型のサイズで最適化するよう設計されているので当たり前です。じゃあどうしようかなとなると「後ろにも伸ばしてバランス取りゃええやん」となるわけです。でまあFw190の場合、延長の仕方が雑というかなんというかって感じで・・・。



比較用に前回のFw190A-5の写真を載せておきましょう。改めて見ると、なんかもう別物やん・・・。
どこを延長したかというと、またひとつ上に戻ってもらって、胴体後部と垂直尾翼の付け根あたりの間。なんか伸びてるなぁっていうのが分かるでしょうか。この伸ばした部分、再設計したのではなく延長用のパーツをはめ込んでくっつけただけで元の機体の構造や外観はいじっていないという簡単さというか豪快さ。
A-5型の胴体上面から垂直尾翼までのラインがなだらかな曲線を描いているのに対し、D-13型の方は間にストンと直線のラインがあるのが分かるでしょうか。もっと言うと胴体の白い部分、ここが延長用パーツをくっつけたところです。
プラモデルじゃないんだから・・・というくらいの雑さです、はい。当時はもう連合軍に押され気味だったのでもはや設計に時間をかけること出来なかったんでしょうかね?
それと、胴体の他に垂直尾翼も拡大されているんですってよ。確かに気持ち大きくなっている気がします。



続いて6機目、赤軍(ソ連)のポリカルポフI-16 Type 24「ラタ Rata」。ひと目でわかる、こいつはイロモノだ!
存在はなんかプラモデルで見たような覚えがあって知っていましたが、まさかこんなところで見られるとは。いやぁかわいいですな。
初飛行は1933年12月。引込脚、単葉機、モノコック構造と当時としては意欲的で、特に引込脚はI-16が初めて採用した機構です。
んなことが霞んでしまうくらいにインパクトの大きいのが何と言っても胴体の短さでしょう。I-16以前にも死に急いでいるレース機ことジービーというよく似た飛行機がいますが、ポリカルポフがこれを参考にしたって話は聞きませんね。どちらも速さを求めるならどうしようってことで「胴体を短くして重量を軽くしたほうがいいんじゃね?」という同じ結論に達したのかも。
スペイン戦争や冬戦争、日本で有名なところで言うとノモンハン事件など戦間期から第二次世界大戦序盤まで活躍。性能は悪くなく、特に高速性はその寸詰まりの胴体のおかげで他国の戦闘機に優っていたんですが、この時期の航空機の進化の早さは目覚ましくあっという間に陳腐化してしまいまいました。ノモンハン事件なんかだと日本軍のやられ役ですし・・・。
この機体は1940年製でフィンランドとの冬戦争に投入されてフィンランドの砲撃(対空砲なのか駐機中にゲリラにやられたのかは分かりませぬ)にやられたそうな。1991年に残骸が発見され、当時と同じ製造所で復元。最初はニュージーランドのアルパイン戦闘機コレクションが保有ていたのを1998年にFHCが購入したそうな。このアルパイン、6機のI-16と3機のI-153(I-16の兄弟機)を初め他にも色々復元したそうで、なるほど金持ちかという。



もうちょい横から見ます。うわぁ短っ。
コックピットのキャノピー、ちょっと小さ過ぎなんじゃ・・・。首回せるかいこれ?コックピットも狭いし脱出しづらそうね。なお胴体は木製だそうで、あと垂直尾翼はたぶん羽布張りなのかな?というふうに先進技術の固まりとはイマイチいかなかった模様。
胴体こそ短いですが主翼や尾翼は割りと常識的な大きさになっていますかね。
エンジンカウルの横から出ている穴はエンジンの排気管で、どうも排気を推力として利用していたみたい。零戦五二型と同じですな。



正面から。
エンジンカウルが特徴的な形をしています。正面のエンジン冷却口は普通なら開口部が全周に空いているんですが、I-16は半分が塞がれている格好に。これは寒冷地でのエンジンの過冷却を防止するためのものです。さらにシャッターが付いていて空気の流入量を調整できたとか。こいつカウルフラップが無いなぁと思ってたんですが、これがカウルフラップの役割を持っていたんだなぁと。
カウル下側の四角い穴はオイルクーラーかしら?上の三角の穴かもしれない。
世界初という引込脚にも面白いところがあって、車輪からワイヤーが伸びてるんですね。あー、ワイヤーを引っ張って脚をしまうのか、これ・・・。え、油圧は?



7機目、ドイツ空軍Bf109E-3。ドイツ空軍戦闘機の本命の方。戦闘機としては史上最多の3万機超えが生産されました。開発はバイエルン社だけど生産は途中からメッサーシュミット社に変わったのでMe109と呼ばれる場合もありにけり。
ところで、こいつ・・・。



げっ、首なしだ!ドイツの至宝DB601エンジンが外されとるやんけ。そういえば工房で何かいじってたっけな・・・DB601だったのかな?
これもフライアブルなわけでだから何か整備していたんでしょうけど、配管類は現用品に置き換えられてるんでしょうねこれ。まあ動態保存だし多少はね?



特徴的な主脚。脚自体は普通なんですが、取り付け位置がだいぶ異なります。他の機体は通常主翼側に取り付けるもんなんですが、Bf109は胴体側に取り付けていて、脚の展開する方向が左右逆になっているというのが分かると思います。
どうも機体を一撃離脱バカに仕上げるために主翼を薄く設計してしまい、結果主脚を持ち上げる油圧装置を胴体にしか配置できなかったからとか。あとは胴体に降着装置を付けるとその分主翼の構造を簡略化、つまり軽量化できるようになるので、これも速度向上に繋がるのです。ただ代償として離着陸時の操縦がえらく難しくなってしまい、よく事故ってたそうな。
ちなみにスピットファイアの主脚も同様の原因で同様の配置になっています。



8機目、イギリス空軍アブロ・ランカスターB.I (FE)のノーズ。
アメリカ爆撃機の印象が強すぎてなんだか影の薄い他国の爆撃機ですが、ランカスターはイギリス重爆の傑作機です。
性能は悪くないけどなんかイマイチだったアブロ・マンチェスターから発展した機体で、イギリスの至宝マーリンエンジンを贅沢に4発搭載しているのです。
この時代の爆撃機といえばやたら窓が多いことですが、一番手前は航法士か爆撃手の窓、その上に自衛用の機銃、その後ろに操縦室と3段構えになっています。
このB.I型通称FE型は1945年にビルマから日本本土を爆撃するための機体。FEとは極東 Far Eastの意味なのです。まあ実戦には間に合わなかったようです。
使い道がなくなった後は新型エンジンのテストベッドになって、それも終わった後は首だけ残されたそうな。首はイギリスの博物館で保存されていたものの閉鎖されてしまい、売りにかけられていたものをFHCが購入したとのこと。



後ろ側から中に見られるようになってます。が、覗けるだけで機内には入れなかった・・・はず。よう分からんです。

今日はここまで。


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