2015年7月14日(火)15時6分
ブリティッシュコロンビア州ヨーホー国立公園 フィールド
ナチュラルブリッジを後にした我々は、近くにあるフィールド Fieldという村に立ち寄りました。何で寄ろうとしたのかもう覚えちゃいないんですが、とにかく寄り道したんです。
で、村の奥まで行くと、カナディアンパシフィック鉄道(CP)の東方面行き貨物列車が停まっているのが見えたのです。近くに車を停めてから降りて撮影します。
中々それっぽい画を撮るのは難しいなぁ・・・。
カナディアンロッキーで最初に降り立った町、北部にあるジャスパーを走る鉄道はカナディアンナショナル鉄道ですが、南部のレイクルイーズとバンフを走るのはCPとなっています。
運んでいるのはコールポーター、つまり運炭列車です。貨車は無蓋車に見えますがアレで実際はホッパー車だそうです。
牽引機は、GE AC4400CW形CP9777号機+GE AC4400CW形 UP6419(ex-SP374)号機。2機ともエンジンはかかっています。
本務機のCP機はともかく補機のユニオンパシフィックの機関車がアレですが、これは少し後で。
列車が見える丘(命名俺)の横には給水塔がありました。
CPが1930年に建造したもので、高さは21mでした。ディーゼル機関車導入に伴い1952年に引退してこちらに(恐らく移築)保存されました。
中心の太い柱には穴が空いていますが、これは周りに生息しているキツツキが空けたものだとか。
ここでようやく、フィールドの村が蒸気機関車時代には鉄道の町として機能していたんだなということに思い至りました。
フィールドとレイクルイーズの間にはキッキングホース峠という峠があり、この峠を当初44‰の急勾配で越えていたためここはCP屈指の難所でした。
フィールドは急勾配を登る列車を後ろから押し上げる後補機の機関区として機能していたと推察されます。貨物列車の停まっている線路の周りがやけに空地なんで、昔はもっと賑わってたんだろうなぁと。山越えのための拠点となった機関区は日本にも神奈川の山北機関区や群馬の横川機関区などがあり、それと同じような感じでしょう。
後に44‰勾配の路線はこれから向かう「スパイラルトンネル」というより勾配の緩いループ線に置き換えられ、現在は列車のすれ違いのための信号所程度の役割にまで衰退していると思われます。村の主産業も観光客向けのB&B経営が主流に見えました。村の雰囲気は良かったので泊まってみてもいいかなと思いました。
ちなみにフィールドの由来はスパイラルトンネル建設に際し資金提供をしたアメリカ人投資家サイリス・ウェスト・フィールドからだとか。
さて移動するわけですが、本来この後はタカカウ滝へ向かうつもりでした。スパイラルトンネルはどうも列車が通っている時に見ないと面白くないと言われているのです。じゃあ最初にタカカウ滝に行ってその後ついでにトンネルを見に行こうという予定でした。
ところが、村からトランスカナダハイウェイへ通じる道路にかかる踏切を渡る直前、西方面行きの貨物列車が道路を塞ぎました。ダブルスタックを160両くらい繋いだ長い長い貨物列車がノロノロと通り過ぎるもんですから、踏切が開くのに5分以上かかりました。なるほどこれは迷惑なものだと思いましたね。特に都市部でこんな時間足止めされちゃ堪りませんね。
そして「あーやっと踏切開いたね、じゃあ滝へ急ごう」となるんですが、私は「フィールドに停まっていたコールポーターは今の貨物列車が過ぎるのを待っていて、この後すぐに発車するのではないか?」と勘ぐりました。
それが当たりなら2つのいいことがあります。1つは、コールポーターを間近で撮影できること。もう1つはこの後スパイラルトンネルを通過する貨物列車を見られること。特に後者は重要です。
そういうわけなんで、車を停めて少しの間待機してみることにしました。そして数分後、その勘は的中したのでした。
フィールドで見たCP9777号機+UP6419号機が見事通過していきました。撮影地点を練る時間がなかったので、写真としてはちょっとダメですが。全然コールポーターだって分からない・・・。
例の補機、UP6419号機。機体にも書かれていますが、これは元サザンパシフィック鉄道(SP)のSP374号機なのです。KATOからも鉄道模型が発売されるような有名な鉄道のひとつでした。
SPは1996年にユニオンパシフィック鉄道(UP)に買収されて消滅してしまいましたが、現在でもSP塗装の機関車が残存しているということのようです。
これはブラッディノーズ塗装と呼ばれるもので、ボンネットの部分が赤く塗装されてることから付けられたあだ名です。"bloody nose"とは「血の出ている鼻」(≒鼻血)という意味です。日本の「ムーミン」とか「牛乳パック」とかそんなノリでファンが付けた名前だと思います。
本来はもっと鮮やかな赤なんですが、買収から20年近く放置されているみたいなのですっかり退色してしまっています。
とはいえ、ロードナンバーの改番とボンネットのSPの文字がUPの黄色で塗りつぶされたこと以外は原型を保っているのは貴重だと思います。現在SP塗装機がいくつ残っているのかは知りませんが、少数派で間違いはないでしょう。
再びそれっぽく撮ろうとするも、上手く行かず。
撮り終えたらケツまで通り過ぎるのを待たずにすぐに車を出します。この後貨物列車が通り過ぎるスパイラルトンネルへ先回りするためです。
着きました。ここが「スパイラルトンネル Spiral Tunnel」、その見晴台なのだ。
わざわざ見晴台を用意してくれているので、見るのは簡単です。
ここどすえ。
順序が逆になってるけど、正向きにするとおかしな表示になるんでこれでええんやで。
これがスパイラルトンネルだっ!!と写真だけ見てもよく分からないものですな。
樹木がすっかり生い茂ってしまって上側の坑口とそこから伸びる線路くらいしか見えません。確かに列車が通ってないとおもろないな・・・。
そこでよく分かる解説!列車はまだ現れないのでその間解説板を使って説明しよう。
まずYou are hereと書かれているのが今いる見晴台。黒い線が線路で下へ伸びるのがフィールド(西)方面、上へ伸びるのがレイクルイーズ(東)方面です。灰色の線はトランスカナダハイウェイです。
見ての通り、キッキングホース峠をよっこいしょと越えるのにループ線を、それもハイウェイを挟んで2箇所で採用しています。
ちなみにこのキッキングホース峠がカナダの分水嶺なんだそうです。ここから東へ流れる水は遠く大西洋(正確にはその手前のハドソン湾らしいが)まで注ぐというのですから気が遠くなります。
フィールドからやって来た列車は、最初の下部隧道 Lower tunnelを抜けると一旦フィールドの方へと戻ります。そうするとすぐに2つ目の上部隧道 Upper tunnelを抜けて、またレイクルイーズの方へ向かって針路を戻すのです。この図から見るとちょうどN字に進んでいるのです。
そもそもループ線とは急激な高低差のある地形に線路を敷く時に建設された設備で、線路を螺旋状に敷くことで急勾配を緩和しているのです。鉄道というのは急勾配に弱い乗り物で、特殊装備のない普通の電車列車が登れる勾配は40~50‰あたりが限界らしいです。客車列車や重量のある長大貨物列車だとその限度はさらに下がります。たぶん勾配20~30‰で難所と呼ばれるはず。
現在は機関車や電車のパワーも上がりましたし、長大トンネルを掘ったり橋を架けたりして地形をぶち抜いて線路を敷けるので、近年建設された鉄道ではこういう設備はまず見られないです。
で、カナディアンパシフィックのこのスパイラルトンネルは1909年開通、距離は18.5km、勾配は22‰なんだそうな。
さてここで時間を2015年3月末に戻してみよう。この時私はバンクーバーで初めてバンクーバーに到達したCPの大陸横断列車の牽引機CP374号蒸気機関車を見たんですが、この機体がバンクーバーに着いたのは1887年。計算が合わないんですねぇ。
実はスパイラルトンネルが建設される以前に旧線と呼べる線路が建設されていたのです。それは「ビッグヒル Big Hill」と呼ばれる路線です。CPは当初、22‰勾配の線路を敷設するつもりでいましたが、費用も時間もかかってしまうためループ線なしで勾配44‰(45‰説あり)をほぼ直線のような経路で駆け下りることとしました。
蒸気機関車時代に44‰というのはかなりヤバイ数字だと思われます。簡単に比較できるもんでもないですが例えば蒸気機関車時代の御殿場線(旧東海道本線)では、山北→御殿場間の勾配25‰が難所と言われていました。そう考えるとムチャやったんだなぁと感じます。
まあ山登りは機関車たくさん連結して力づくで登ってしまえば済ませられますが、問題は山下りでして、下り坂で速度を出し過ぎると止まれなくなる恐れがあるんですな。鉄の車輪と鉄のレールだと摩擦力が弱いんで減速しにくいのです。
なのでビッグヒルを下る旅客列車は最高速度13km/h、貨物列車に至っては10km/hにまで速度を落として運転していました。それでも万が一制御できずに暴走列車と化してしまうということがあるので、ビッグヒルには3箇所の安全側線がありました。
この安全側線は分岐すると上り勾配になっていて、ちょうど箱根ターンパイクにある緊急待避所のような感じになっていました。見た感じ他の安全側線同様、本線を速度超過で冒進して惨事を起こすよりは安全側線で脱線させといた方がマシというパッシブセーフティな考えのようです。
話は逸れますが、小田急本厚木駅にある安全側線は、高架の上にあって側線の終端の先は柵があるだけでそのさらに先は高架下に落下なので、安全側線に進入した方が大惨事になりそうな気がします。
山下り前の念入りなブレーキテストや当時最強の牽引力(それと恐らく粘着力も)を要求されて製作された軸配置2-8-0蒸気機関車の投入などの対策を行っていたにも関わらず、事故は起きるわ列車の編成は長くなるわで、こりゃいよいよマズいということになってきました。
そしてついに1906年に新線「スパイラルトンネル」の建設が始まり、先に述べたとおり1909年に開通しました。ループ線の経路策定時は雪崩の少ない経路を選ぶよう苦心したそうです。
ビッグヒルはスパイラルトンネル開通後25年経った1934年に廃線となりました。廃線跡の一部は遊歩道になっているようですが、気が付かなかったので行きませんでした。
話が大脱線してしまいましたが、さっき撮った貨物列車が来ましたよ!
列車は下部ループ線の坑口に侵入しようとしているところです。列車の行く先に坑門があるのが分かると思います。
そして隧道を抜けて上側の坑口から列車が出てきました。引いて撮ってるんで機関車はもう点みたいな小ささですが...。
そのまま写真の右側へ向かって進んでいきます。
下部隧道の全長は891m、高低差は15mです。
背後にある上部隧道の全長は991m、高低差は17mです。この見晴台からは下部隧道しか見られませんが、上部隧道が見られる見晴台もあるにはあるらしいです。
列車の先頭は森の中へと消えていきます。この後一旦折り返してきます。
なお速度は大変ノロノロとしたものです。それでも数十km/hは出てるはずなんでビッグヒルと比べたら大変な進歩だと思います。列車の長さも増やせただろうし。
コールポーターホッパー車の群れ。先頭が隠れてもまだケツが見えないんですけどぉ・・・。これ全長1000m以上あるよなぁ。
これだけの長さをよく本務機2機+後補機1機で登れるなと思いますけど、よく見たら空荷でした。それでもすごいと思うけど。
やっとケツが見えました。後補機にAC4400CW形CP8532号機が列車を押し上げていました。
機関車は全てAC4400CW形で、それの力を全て合わせると13200馬力になるので、はえーすごいなぁーとなります。
列車のケツが隧道に入ると今度は折り返してきた列車の先頭が目の前を横切りました。
ただし木が生い茂っているので写真みたいにろくに見えません。機関車が赤いので視認しやすいのはありがたいですがこれでは・・・。音はよく聞こえるんですけどね。
もうちょい木を伐採して見やすくしてほしいもんですけど、自然保護区内でそんなこと許されないんでしょうか?
程なくして列車のケツが下部隧道を抜けました。
目の前をコールポーターが走ってます。わかりづらいですけど。
先頭は今頃上部隧道のループ線を回っている頃だと思います。
列車が全て通り過ぎたらこの場を立ち去り、次の目的地のタカカウ滝へと向かいました。
スパイラルトンネルは確かに列車の動きが見えないとどのような構造なのか掴みにくいと思うので、運悪く列車に遭遇できなかったらつまらない観光地だと思います。列車は1日25~30本程度走っているとのことなのでうまく列車を掴んでみましょう。
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