プレーンズ・オブ・フェーム(POF)のつづき。動態保存機の飛行展示イベントは早々に終えたので、館内に収蔵されている機体を片っ端から見ていくことにします。
ほとんどの機体は格納庫の中に置かれています。格納庫は複数ありますので、手近なところから順番に見ていきましょう。
まずは、フリードキン復元格納庫 Friedkin restoration hangar から。ここでPOFの機体の整備や復元を行っています。POFの最前線ですかね。
初っ端からパッとしないやつだな。一番手前にいたのがこれだったから仕方ない。
パイパー601Pエアロスター(1967年・90機目)と言います。バスみたいな名前しやがって。
普通の軽飛行機なわけですが、この博物館の機体なのかちと疑問。どこかのオーナーがここに整備を委託したとかそんなところじゃないでしょうか?
次も知らないやつだ・・・。セバスキーAT-12ガーズマン(1934年・91機目)というのだそうな。・・・と、ここでセバスキーの名前を聞いて「もしかしてP-35の系列機かしら?」と気付いてよく見たらその通りなのでした。
セバスキー社の開発した戦闘機P-35(愛称は無い)を複座練習機用に再設計したもの。型番がATなので高等練習機(Advanced Trainer)ですね。
日本じゃP-35なんてどれだけ認知されてるか知ったもんじゃありませんが(私も知らなかった)、アメリカ陸軍初の全金属製、単葉、密閉式操縦席、引込脚といった新機軸をふんだんに盛り込んだ意欲作で当時としても先進的な機体なのでした。それでもアメリカの第二次大戦参戦時には旧式でしたので、後方のフィリピン送りになっていたところを零戦にけちょんけちょんにやられてた模様。
その練習機型であるAT-12ですが、アメリカ陸軍は初め採用するつもりはありませんでした。本当はスウェーデンに52機を輸出するつもりだったものを、1940年6月のイギリスを除くアメリカ製航空機の禁輸措置が命じられたため、最初に輸出した2機を除いて売れなくなってしまいました。残りの50機は既に生産済みだったようで、どういう経緯か知りませんがアメリカ陸軍航空軍に押し付けられて運用されたそうです。
ちなみにセバスキーという会社は1939年にリパブリック社に改名、後にP-47サンダーボルトを生み出すことになります。そう言われると機体形状が何となくP-47に通ずるところがあります。
復元格納庫にいるということで、これも動態保存機で飛行ができます。
また知らないやつじゃん。ヤコブレフYak-52TW(1976年・92機目)です。
ソ連機はよく知らないので、これも第二次大戦時の機体なんだろうなぁと思っていましたが、初飛行40年前の機体でしたか。見た目によらないもんですね。
ソ連や東側諸国向けの練習機として造られましたがその割にエンジンが強力なので曲技飛行にも使われているらしい。これもその口でしょうか。
生産は今も続けられているロングセラーです。
整備しているおっちゃんに「零戦はどこでござるか?」と聞いたら、「それよりバルを見せてやんよ」と奥に案内されました。バルって誰やねんと思いながら奥へ進むとこいつがいました。
初めは合点が行きませんでしたが、ほどなくして「これ九九艦爆じゃん」って気づきました。現存機、いたんだ。
愛知 D3A2九九式艦上爆撃機二二型(1938年・93機目)です。
日本海軍の航空隊で運用されていた艦上爆撃機ですね。みんな知ってるだろうから残りの説明はパス(手抜き
九九艦爆といえば、映画「トラトラトラ」の撮影用に別の機体を改造して仕立てたやつが有名なんですが、そいつじゃなくてこれは本物です(POFはその改造機も持っているのだが今回は邂逅できず
来歴はハッキリしたことは言えませんが、他の日本機同様ジャングルの残骸から回収して復元したものだそうです。
格納庫の奥底に仕舞われているので復元作業は中断しているんじゃないでしょうか。復元完了までの道のりもまだまだかかりそうです。POFだと恐らく動態復元すると思うので、いつの日かチノの空を飛ぶ日が来るのを待っています。
いいもの見れたので今度こそ零戦をと聞いたら「この中のあそこにあるよ」と言われました。
ん?室内は入った時一通り見回したけど零戦なんてなかったよ?と思いつつあそこに行ってみる。
!?
あ、もしかしてコレっすか・・・?
奥に見覚えのある零戦のエンジンとプロペラもあるし、これですね・・・。いやまさか、分解整備中とはね。トホホ・・・。
まあ、前に所沢で同じ個体を見たからいいんだけどさ。
別のところには尾部とエンジンカウルが。形状からしてやっぱり零戦でしょう(94機目)。しかし、塗装も全て剥がして大掛かりな整備ですね。これたぶん、5月のエアショーまでやってたんじゃないかな?
ついでなんで脱線すると、POFの零戦は、世界で唯一オリジナルのエンジンで飛行する個体であることが売りです。他の飛行可能機は全て原型とは異なるエンジンで飛んでいます。
じゃあとても状態の良い機体なんだね、と思われがちなんですが実際は真逆です。飛行可能な状態を維持するため原型を削いでいる部分があります。
例えばこの地が出た外板は復元に当たりほぼ全面に渡って新しく作り直されていると見て間違いないでしょう。他の詳しい相違点は、まあ他のサイトや書籍に任せるとして(丸投げ
それでもいい加減な復元では全く無いので、雰囲気を楽しむには十分です。かくいう私もこの手合いなので、あまり気にしたことはないです(
なので、復元した機体とされますが、実際のところはよく出来たレプリカと言ったところでしょうか。であるのに、なぜレプリカ扱いされないのかと言うと、なんやかんやこの個体は現役時に日本海軍の戦闘機であったという得難い来歴を持っていて、それがこれをレプリカ以上の価値にしているのです。形の見えにくいものですがやはり説得力があるのです。
また脱線が過ぎてしまった。続きやりますよ。午前中も見たノースアメリカンB-25Jミッチェル(累計95機目・B-25単体2時間半ぶり2機目)ですね。
カーキ色のイメージしか無いんですが、無塗装のB-25っていたんですね。
この個体はPOFで1964年からずっと運用されている古株で、航空写真撮影に使われたり、テレビや映画の被写体になったりしたとか。なのでファニーの写真号(Photo Fanny)という愛称が付けられてます。もちろん博物館入り後に付けられた名前ですが。
このファニーというのは女性の名前なんですが、他に女性のケツとかアソコとかの意味もありにけり。ノーズアートにはファニーちゃん(仮名・30代)の絵が描かれていますが、お尻が強調されてました。
復元の最中のベルYP-59Aエアラコメット(1942年・96機目)
あまり知られてないですが、実はアメリカ軍で初めて制式採用されたジェット戦闘機なのです。栄誉ある肩書なのに知名度低いのは、アメリカ軍的には無かったことにしたい機体だから・・・。
採用したのはいいんですが性能が低くて使いもんにならなかったため、実戦配備されること無く生涯を終えました。それでもうっかり66機造っちゃったのが恥ずかしいのであまり表立って言われないんです、コイツ。
それでも見所のある構造をしているので憎めないヤツ。そこら辺はまた今度話しましょう。
ちなみにその後採用されたのがロッキードF-80シューティングスターで、こちらは1,700機くらい大量生産されました。なのでF-80には「アメリカで初めて本格的に量産されて実戦配備されたジェット戦闘機」という回りくどい言い回しの肩書を持っています。
この通り復元中で、復元が完了した暁には飛行もするつもり。そうなれば唯一の飛行可能なP-59になる予定。
近年は初期のジェット戦闘機の動態保存も行われていて、F-86やMiG-15が飛んでいる写真を見かけます。
大したものだよねほんと。
格納庫は見終えたので外に出て別の格納庫へ移動。その途中で外に置かれていたグラマンOV-1Aモホーク(1959年・97機目)
全く知らなかった機体ですが、アメリカ陸軍用の飛行機です。ベトナム戦争世代の機体で、地上部隊との連携を取るための偵察や観測が主な役割。簡単な武装も出来ます。短距離離着陸性能も高いので前線での運用もバッチリ。
POFの中では若い機体だと思われ。これも動態保存されています。
今日はここまで。次回は別の格納庫へ行きます。
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