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北米project 4 ~Is the order a warbird? その17【2016/03/04~10】

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前回に引き続きメトロリンクの列車の撮影。
インランド・エンパイア・オレンジ・カウンティ線 857レ オーシャンサイド行きです。
客車はロテム車*1(SCAX649)+ボンバルディア車*2+ロテム車*3+MPI MP36PH-3C形SCAX894号機。



ヒュンダイロテム・バイレベルカー。2010~2013年にかけて導入された新型客車です。制御客車57両、客車80両を購入して、前任だったボンバルディア製のバイレベルコーチ客車の大半を置き換えました。
事の発端は2005年1月に発生したグレンデール列車事故で、線路に放置された自動車とメトロリンクの列車が衝突、脱線しました。そこに停まっていたユニオンパシフィック鉄道の貨物列車とさらに対向のメトロリンクの列車とが衝突するという多重事故が発生。乗客11人が死亡する惨事になりました。
そこで安全性の高い車両を・・・ということでボンバルディア、川崎重工、そしてヒュンダイロテムが入札してロテムが受注を獲得しました。

そういう経緯があって、衝突時の安全性が高い車両に設計されています。制御客車(cab control car)の前面はまるでディーゼル機関車のようです。運転台は高い位置にあり、ボンネットは衝撃吸収構造になっています。アメリカの制御客車にしてはかなりイケてるデザインです。



中間客車SCAX251。
客室は1階、中2階、2階の3段構造。ボンバルディア車と同じになっています。ボンバルディア車と共通運用する以上、構造を両者で合わせておく必要はあるでしょうね。
一方車体は普通の箱型車体で外観は大きく異なります。外板はステンレス製。コルゲート無しなのは珍しいですね。
中間客車にも衝撃吸収構造が装備されています。日本のステンレス車のそれと似たようなものなんじゃないかなと思います。



駅に停車中。2階建て車両というのは定員増加の意味が大きいですが、同時に1階に乗降扉を設置することでプラットホームとの段差を無くす効果もあるんですね。
アメリカの鉄道はホームが低いですから、通常の平屋建ての客車だとデッキにあるステップ(もはや階段)をえっちらおっちらと登ることになるのですが、2階建てだと1階部分がうまい具合に低床車両にもなっているわけです。



ホームが低いので台車もよく観察できます。通勤客車にありがちな外側ディスクブレーキの台車。構造も簡素そうです。とはいえ空気ばねを装備しているのには少し驚き。



機関車のMP36形。通勤列車ではおなじみのやつ。塗装はアメリカにしては地味ね。



次の列車まで1時間位あるので、その間に朝ご飯を食べます。間に貨物列車が来るかもしれない・・・とは思いましたが、たぶん昼飯を食べる余裕は無さそうなので(そしてそれは当たった)、朝飯は食べておかねば。
駅から歩いて10分くらいのところにある(でもものぐさなぼくは車で行った)IHOP(アイホップ)というファミレスチェーン。メニューがだいたい朝食向けという珍しいファミレスでして、パンケーキが有名。
私はどんなメニューにしたか忘れましたが、パンケーキ、ハムのソテー、ハッシュドポテト、目玉焼き、コーヒーのセットにしました。コーヒーはお代わりできた、たしか。
ちなみに今旅行でこれが一番豪勢な朝食です・・・。後は落ちるだけ(泣)



アメリカで一度こういうコテコテのパンケーキを食べてみたかったんです。ジャムとホイップとカスタードなんてもう最高にジャンキーですね。素晴らしい。
このまま次の列車までだらだらとします。



再びウェストコロナ駅。91線 753レ ユニオン行きが来ました。
先頭SCAX671の客車4両にEMD F59PH形SCAX863号機でした。なぜか制御客車が後ろにも連結されていました。



ディーゼル機関車。
ひとつ前の客車が制御客車なのが分かると思います。

これで朝練は終了。引き上げます。
通勤鉄道は地域差が大きいので面白いです。また他のところも見てみたいですな。



戻り際に路線バスがいたので撮影。
リバーサイド・トランジット・エージェンシー Riverside Transit Agency の1系統リバーサイド大学行き。原色の赤と青がハデハデのバス。
車種はGilling "BRT Plus"(CNG車)です。流線型、連続窓、屋根カバーというバスをどこのメーカーも作っていますが、ここ最近の流行なんでしょうかね。

今日はここまで。次回から魔の航空博物館編です。


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カナダの航空祭コモックスエアショーを堪能する その11【2015/08/15】

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スノーバーズの展示飛行の次は、ヒストリックフライト財団のB-25Dとイエローサンダー・ハーバードチームのハーバード(T-6)2機の展示飛行です。
時刻は14時前。エアショーも後半戦です。



まずはB-25Dミッチェル(N88972)が離陸します。この機体には「グルンピー Grumpy」という名前もつけられています。日本語だと「不機嫌号」になるんですが、何か他の意味があるのかしら。
1943年10月カンサスシティにあるノースアメリカンの工場で製造された後、アメリカ陸軍に納品されました。その後、1944年1月にカナダ空軍に移管されて1962年2月まで現役でした。その後なんやかんやあって今も動態保存されています。
塗装はイギリス空軍第98飛行隊のKL161の塗装だそうで。よく見るとラウンデルが蛇の目ですな。



操縦士が窓からカナダとアメリカの国旗を掲げる粋な演出。



続いてハーバードMk.IV(C-FVYF)がタキシング。
前も書きましたが、ハーバードというのはアメリカ軍の練習機ノースアメリカンT-6のイギリスでの呼称です。
ハーバードMk.IVは戦後に再生・生産されたノースアメリカンT-6Gに相当する機体です。ノースアメリカン以外でもライセンス生産されていたようで、このC-FVYFはカナダ自動車・鋳造社 Canadian Car & Foundryで1952年2月に製造されました。
カナダ空軍に納品されて、1967年6月まで現役だったそうな。



2機目のハーバード。こっちはハーバードMk.II(CF-PST)。Mk.IIは戦時中のモデルAT-6に相当する型式です。
Mk.IIとMk.IVの違いは天蓋の窓枠でして、Mk.IVの方が窓枠が少なくなっています。他の見た目の違いはよく分からん。
1943年ノースアメリカンで製造されてカナダ空軍に納品された機体です。退役は1960年9月。カナダなのにラウンデルがイギリスと同じ蛇の目ですが、現在のような楓のマークが制定されたのは1946年からなので、戦時中の再現だとこれが正しいです。



3機が滑走路の端まで行くとウェストジェットが着陸してきました。これが滑走路を出てからの離陸になるでしょう。
機材はB737-700 (C-GMWJ)でした。垂直尾翼のロゴマークがチェック柄になっている特別塗装機でした。こいつはラッキー。



ウェストジェットの着陸後、まずハーバードが離陸。編隊離陸でした。



続いてミッチェルも離陸。
自分はこの手の古典機の飛行は今までに単発の単座/複座機しか見たこと無いので、双発の爆撃機がこうして飛ぶのを初めて目の当たりにしました。月並みですが「よく飛ぶなぁ」と。そりゃ飛ぶように設計されてるんですから物理的には飛ぶんですが、70年以上前の機体を飛ぶように復元してその状態を維持することには敬意が湧いてきますね。



会場上空で編隊を組みます。






ミッチェルを先頭にしたデルタ編隊で会場をフライパス。
うーむ、贅沢な異機種編隊だ。



編隊もきちんとしていますね。



今度は左からフライパス。



再び右から。



最後はミッチェル単独で飛行。いいっすねぇ。



いいアングルだ。光線と望遠が残念だけど。

今日はここまで。


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カナダの航空祭コモックスエアショーを堪能する その12【2015/08/15】

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B-25DミッチェルとT-6ハーバードの展示飛行の続きです。
が、ミッチェルは一足先に着陸。ハーバード2機は引き続き飛行を続けます。



鈍重なミッチェルに合わせる必要がなくなったのか、ハーバードはスモークを出しながらさっきよりも高速で飛行を始めました。



けっこう密集して飛びます。
ちなみに先頭がハーバードMk.IV、後を追うのがハーバードMk.IIです。Mk.IVの方が天蓋の窓枠が少ないのが分かると思います。






腹見せ。



脚見せ。



複数機が飛行していると画になりますね~。



これを最後に着陸しました。

短めですが今日はここまで。


その13へ→

久しぶりの静浜基地航空祭へ その1【2016/09/25】

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家から一番近い航空自衛隊の航空祭は静浜基地で開催されているものです。すぐそこなので小さい頃に連れられて行ったこともあります。
カナダに行っている間にすっかり飛行機にも興味を持ってしまったため、久しぶりに静浜基地航空祭に行ってみようかなと思った次第なのでした。

基地までは焼津駅から出ているシャトルバスに乗っていきます。カナダのエアショーではバンバン自動車で乗り付けに行けたのに(それでも駐車場からはシャトルバスだが)
とはいえ実はこのシャトルバスも今回の楽しみのひとつでした。シャトルバスはしずてつジャストラインが受託して運行するのですが、東は西久保営業所から西は浜岡営業所まで各地からバスが動員されてくるのです。もしかしたら珍しいバスの1台や2台見られるかもしれないと期待していたのです。
でまあ、そしたらいきなり復刻塗装(赤)の日野ブルーリボンII(唐瀬)が停まっていました。これは幸先がいいな。



ちょうど乗るバスがこれになりそうです。



専用の行先表示器もゲットです。




着きました。まだ開会まで時間がありますし、せっかくなのでバスを見ていきましょう。帰りはソッコーで撤退するのでそんな時間無いですから。



ほらほらまたすぐ来たよ~。しずてつの現役車両の中でも最も変わっているもののひとつ、ふそうエアロスターMP618(浜岡)です。
路線バス用のエアロスターですが、フロントマスクだけは観光バス用のエアロバスのものになっています。塗装も観光/高速バス用の塗装です。一説では相良特急の予備車として導入されたワンロマ車とかなんとか。



後ろから見る分には普通のエアロスターなんですが・・・。
今は岡部と相良、浜岡に数台ずつ配置されているので、お目にかかる機会も少ないです。稀に中部国道線や競輪シャトルバスで静岡市内に顔をだすこともあるそうですが。
バスに興味を持ったときから見てみたかったバスなので、ようやく見れたことに感激です。



いすゞキュービック+富士重7E(岡部)
旧型のバスもたくさんやってきます。



いすゞエルガ(浜岡)ダイドー広告。
場所柄、岡部以西のバスが多い感じですかね。



エルガ(鳥坂)



エアロスターK(岡部)



エルガ(鳥坂)LuLuCa広告。



キュービック+7E(浜岡)
西に行くほどボロが多い。



さらに浜岡の7Eが2台。

ここら辺で切り上げることにしました。地上展示機も見ないといけないしね。

今日はここまで。


その2へ→

久しぶりの静浜基地航空祭へ その2【2016/09/25】

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バスを見終えたので航空祭のメイン会場に向かいます。駐機場には富士T-7練習機がずらずらと並んでいます。
静浜基地は航空機パイロットを養成する基地ですので、基地に配備されている機体は練習機ばかりです。



T-7は初等訓練に使用される機体で、すなわち訓練生が最初に操縦する実機となります。航空自衛隊のあらゆるパイロットは全員これに乗ることになります。またそのうち半分は静浜で訓練することになります。ちなみにもう半分は山口県にある防府北基地です。
外観は先代のT-3とほとんど全部同じ。で、T-3は丸っきりアメリカのT-34をパクッt・・・もとい参考にしているのでT-34と酷似。よって未だに1948年初飛行のT-34みたいな飛行機が飛んでいるということです。21世紀に初飛行した飛行機の割には見た目が古めかしいのです。22世紀になっても同じ形の別の機種が飛んでそう。



会場中央は地上展示機軍団が滑走路を背景に居座っています。この配置、来場者が離着陸を見られる空間が減るからやめちまってもっと隅っこで展示して、空いた空間分もっと近くで見せてやればいいのに・・・。
このヘリコプターはボーイング・バートルCH-47JAチヌーク。回転翼を2つ備えた輸送用の機体ですね。
陸上自衛隊と航空自衛隊の2軍が採用しているのですが、塗装が微妙に違うので分かりやすいです。この地味目の迷彩塗装は陸自の機体です。



回転翼の断面。ちゃんと揚力を生む形状になっているんですね~。



ゴジラと戦争でもする気か!?という見た目のこのヘリコプターはマクドネル・ダグラスAH-64Dアパッチ・ロングボウ。空から戦車なんかを一方的にぶっ潰すヘリ。でも対空兵器は苦手なので航空優勢を確保した上での攻撃が必要。弱い者いじめみたいだね。



胴体の横に羽がついていて、そこにミサイルやロケット弾なんかを吊り下げることができるようになっています。



機首の先端には照準装置と操縦士用の暗視装置が付いています。
コックピットの下には30mm機関砲があります。ゴジラには全く効かない模様。



正面から。攻撃ヘリは前面投影面積が小さいと聞いていた割には幅がある。
メインローターの上に乗っている風船みたいなやつはこのアパッチの真骨頂、ロングボウ火器管制レーダーです。
ちなみに陸上自衛隊のAH-64Dの調達は62機のところ13機だけに留まっていて、大失敗やらかしています・・・。自衛隊の装備調達のお粗末さは今に始まったことじゃないですが、まあアレよね。税金使う以上、いい加減な買い物しないでよね。
そういう事情もあるんで、AH-64Dが見られるのは比較的珍しいとは思います。



これも陸自のヘリコプター、ベルUH-1Jヒューイ。初期型はベトナム戦争時代から飛んでいる古参ヘリですね。
J型は1991年以降に生産された比較的新しいもの。なんだかザクのツノみたいなものが付いているのでたぶん隊長機なのでしょう。実際にはワイヤーカッターだそうですが。



ここからは空自の機体。レイセオン・ビーチT-400練習機です。
見た目の通りビーチクラフトのビジネスジェット、400型を流用しています。練習機というと戦闘機パイロットを養成するものを思い浮かべますが、これは輸送機なんかのパイロット訓練生のための機体です。
なお400型の原型機はその昔三菱がアメリカで開発・販売をしていたビジネスジェットMU-300ダイヤモンドなのでした。ただMU-300は星のめぐり合わせと三菱の大誤算が重なって鳴かず飛ばずなほど売れなかったので、この機種をビーチクラフトに移管したのを最後に三菱はアメリカから撤退してしまいましたとさ。
そんな機体が巡り巡って日本の自衛隊に採用されたというのは三菱にとっては本懐なんでしょうかね?



親の顔より見た練習機ことノースアメリカンT-6Fテキサン。第二次世界大戦時から生産されていたアメリカの練習機で、航空自衛隊発足時にアメリカから供与されたもの。
さすがにこれはとっくに退役したやつですが、静浜基地でこうして保存されています。退役したのは1965年だそうなので、既に50年以上保存されていることになります。空自さんは退役した飛行機を保存しているという場合が多いです。



ビーチクラフトT-34メンター。航空自衛隊初期の初等練習機として採用。富士重工でもライセンス生産していたようで。
やはりここで保存されています。



今のT-34をパクっt・・・もとい参考にして開発した国産機(笑)ということになっている富士T-3。
T-34と外観がほぼ全く同じ機体になっているのが特徴。よくビーチクラフトから怒られなかったなこれ・・・。



またCH-47。ただしこっちは航空自衛隊の機体。迷彩柄がなんとなくおもちゃっぽい方が空自です。



時間となって航空祭開幕。わーパチパチ。
開幕は静浜所属のT-7による展示飛行でした。



デルタ形態で会場をフライパス。う~ん真っ黒。

今日はここまで。


その3へ→

久しぶりの静浜基地航空祭へ その3【2016/09/25】

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静浜基地の航空祭が開幕したわけですが、まだ地上展示機を全て見ていないので最初のうちに済ませてしまいます。
T-7は派手な機動をしないので上空を通過するところを抑えれば大丈夫です。



駐機場の端っこに1機だけぽつんと置かれていたノースアメリカンF-86Fセイバー。これも静態保存機です。
前回のT-6やT-34みたいに普段は格納庫内で保管というわけではなく、露天で常設展示されているようです。そのせいで外観はくたびれています。
実はこの辺りにはF-86Fの他にもT-1、F-86D、T-33が露天展示されていたんだそうです。しかし、2016年3月にF-86Fを残して解体されてしまったようです・・・。T-1は国産機であったわけですがこれも解体しちゃったんですね。このF-86の余生も最早それほど長くないのかもしれません。



T-7が足を出しながらデルタ編隊でフライパス。



展示ではないですが駐車場に停まっていた静浜のトラック。車種はいすゞフォワードでしょうか?



こっちのトラックは日野レンジャー。



さらに三菱ふそうキャンター。古いモデルですね~。



日産NV150AD。この車で黒色ってのはあまり見かけないですね。



陸上自衛隊の装甲車展示の一角。ずらずらと並んでいます。



96式装輪装甲車。隊員を運ぶための兵員輸送車です。



87式偵察警戒車。
敵勢力下であえて小規模な戦闘をして敵の規模や反撃なんかの情報を集めてくる威力偵察に使われるやつですね。なのでパッと見は戦車にも見えなくもない。
ところで装甲車のくせにやけに窓の大きい風防を付けていて「装甲車でその風防は死ぬだろ」って思ったんですが、あれは公道走行時に装着する外付けの風防だったのでした。ワイパーも付いてるけどあれは手動なんだろうな。



82式指揮通信車。自衛隊初の装輪装甲車だそうな。
ちなみにこれらは富士教導団からやってきました。普通に公道を走れる大きさだったはずなので、これで高速道路をかっ飛ばしてきたんだろうなぁ。

今日はここまで。


その4へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その18【2016/03/04~10】

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2016年3月5日(土)9時50分
カリフォルニア州チノ ヤンクス航空博物館
朝練で鉄道を撮影した後は、いよいよ今日の本丸その1に討ち入りします。その名もヤンクス航空博物館 Yanks Air Museum!
チノ飛行場の敷地内にあって、この後行く本丸その2ことプレーンズ・オブ・フェーム(POF)の隣りにある博物館です。
飛行場と言っても空港ではないのでもっぱら個人の所有機とかPOFの持っている古典機が飛んだりする空港です。なのでここまで来れる公共交通は無いし、周辺を見渡しても無さそうです。レンタカーを借りてくるのが無難でしょう。

木製の複葉機から超音速ジェット機までだいたいすべての時代の機体を展示してあります。機体は戦闘機のような比較的小型のものがほとんどです。みんな知ってるチョー有名な機体は少ししかいないものの、逆にこんなものがいるのか!と驚くこと請け合いのチョーレアな機体もちらほらいます。
ちなみにこの博物館、ありえねーペースで収蔵品を増やしていて、私が訪れた時は2016年3月で今は2017年7月なわけですが、いまここのサイトを覗いてみるとこの1年ちょっとの間で「あれ?こんなのあの時は見なかったぞ?」という機体が何機かいました。たぶん修復中や非公開の機体も数に入れているからというのもあるんでしょうけど。
さすがに手狭になっているそうで、別館を建てるつもりでいるらしい。その資金源はどこからやってくるんだ・・・?
私が見た感じではどうもジャンクヤードから漁ってきた残骸を修復しているような感じでした。なので増えているのは戦後の機体ばかりだったと思います。



ゲートガード的に建物の入口に置かれているC-47。
特に説明はなかったのでもしかするとDC-3なのかもしれませんが、十中八九C-47でしょう。



後ろから。
C-47は輸送機だったわけですが、床面が後ろに傾いているので荷物は積み下ろしが大変だっただろうし人間が乗るにも後ろに少し倒れながら座るわけで、今の視点で考えると中々不便そうです。

屋外にはこれだけだったので(あとは柵の向こうに飛行機の残骸が山のように積まれていた)館内に入って受付で入館料を支払います。



入ると最初に目に入ってくるのは第二次世界大戦より前の大昔の機体。これだけで30機ほど置かれています。前菜からやたら多いな・・・。
軍用機は少な目なのがここの特徴。なので取っ掛かりも何もなく・・・。なのでここは軽く済ませてしまいます。



一番手はこいつ、ライトフライヤー。1903年12月17日初飛行。御存知ライト兄弟の作り出した飛行機です。
一般的には世界で初めて飛行した航空機という認識ですがこれは曖昧なものでして、細かい説明付けをするとなると結構ややこしいです。これ以前にも気球、飛行船、グライダーなんかで飛行はしていますからね。
ヤンクスでは「史上初の空気より重い動力付き有人航空機」と書いています。空気より重いってのは、空気より軽い航空機であるところの飛行船という先例があるからですね・・・。
他の多くの航空博物館に展示してあるのと同様にこれもレプリカです。本物もちゃんと現存していて、これはスミソニアン大先生が抑えています。

ちなみに今の視点は機体を左後ろから見ている状態です。プロペラがついている方が実は後ろ側なのですね・・・。



エンジンは兄弟のお手製。自転車屋がよく造ったもんだと思います。でも動力を自転車のチェーンで伝達するという辺りは自転車屋っぽくてなんだかいいですね。



エンジン単体。中身もちゃんと造ってあるのかな?
4気筒のシリンダーとでかい弾み車が目に入りますね。



おっさんの胸像。誰やねんこいつ・・・と思って像の下にある銘板を見てみると、ゲゲッ!ドゥーリットルやんけ!
ジミー・ドゥーリットルといえば日本人には1942年の東京本土への空襲作戦「ドゥーリットル空襲」がまず挙げられますが、この人他にも色々な肩書を持っています。
史上初めて飛行機でアメリカ横断を成し遂げ、マサチューセッツ工科大学で航空関連の危険予測の分野で博士号を取得し、同年には水上機のエアレース「シュナイダー・トロフィー」で優勝するなどなど。
東京を空襲しただけの人じゃないんですよこの人。この胸像にも愛国者だとか国の英雄だとか書かれています。



じゃあ順番に見ていきましょう。エアロンカC-2。1929年初飛行。
アメリカ陸軍の技術者ジョン・ドーズの開発した飛行機。三角形の胴体が特徴的。
同型機は何機か残っているんですが、耐空証明を取っているのはこれだけらしいです。



飛行機と一緒になんでだか自動車も何台か置かれていました。
マックスウェルっていう聞いたこと無い会社の車です。1904年から20年で消え去ったのでそらそうや。車種は多分フェアトン Phaeton。



アメリカンイーグルA-1(1927年)
訓練用の複葉機で、3人乗り。3人目は誰が乗るんだ?



スワローTP(1928年)
商用飛行機・・・の訓練機です。Training PlaneだからTP。



トーマス・ピジョン ピジョン飛行艇(1920年)
飛行艇のことを羽の付いたカヌーとよく言いますが(?)、これはまさしくカヌーサイズの飛行艇ですね。胴体で離着水するので立派な飛行艇です。
博物館もこれの素性があまり分かっていないようで、復元もなんだかまだ途中という感じです。
左にあるエンジンはこれのものでしょう。胴体と上翼の間に取り付けてたそうですが見る限り博物館でも分かっていないのかしら?



カーチスJN-4Dジェニー(1918年)
第一次世界大戦のアメリカ代表。ただまあ練習機ですが。
当時としては膨大な数6000機も造られたんで戦争が終わると余るようになってしまいまい、それらは民間に払い下げられるようになりました。
それらは民間の練習機や航空郵便と色々と使われたそうです。



トーマス・モース S-4Cスカウト(1918年)
何も知らないんで素通りしてしまいますが、これがアメリカ軍初の戦闘機です。でも結局練習機に使われたようで・・・?



セスナ モデルAW(1928年)
小型飛行機の代名詞的存在のセスナが送り出した最初の飛行機がこのモデルAWです。AWはモデルAの派生型で、ワーナー・スカラブエンジンを載せた機体とのこと。
4人乗りで密閉式の操縦室を持っていますね。



フリート モデル7B(1930年)
これも練習機。カナダでも使っていたそうで。
現存機はこれとカナダにもう1機あるだけだそうで、中々貴重。



カーチス・ライトCW-1ジュニア(1931年)
プロペラが後ろ側に付いた推進式の機体。胴体がやったら細いですね。



ステアマン4-Dジュニア・スピードメール(1930年)
名前通り航空郵便に使われた機体。荷室は600ポンド分あります。
なかなか流線型な形状をしていていいですね。エンジンカウルはNACAカウルだそうで、速そうでもあります。

といったところで今日はここまで。


その19へ→

カナダの航空祭コモックスエアショーを堪能する その13【2015/08/15】

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2015年8月15日(土)14時22分
展示飛行の合間にセントラルマウンテン航空のBeech 1900D (C-FCMN)が着陸。



すると今度は軽飛行機とそれに牽引されるグライダーが離陸していきました。



牽引する軽飛行機のパイパーPA-25 (C-GFTP)。



牽引されるグライダー、H-101サルト(Salto; 宙返り)。グライダーにもレジC-GJNDが登録されるんですね。
これはマンフレッド・レディウスの操る曲技飛行用のグライダーで、高い高度から展示飛行しながら滑空して地上へ着陸していくものです。まずは飛行機で上空まで引っ張ってもらい、それから曲技を披露します。
そこまで行くには少し時間がかかるので・・・。



コルモラント登場!
第422輸送/救難飛行隊のCH-149コルモラント(149908)の展示飛行が始まりました。
救難機の黄色がとても目立ちます。



さらに俺もいるぞとばかりに飛んできたCC-155バッファロー(115462)もやってきました。第442飛行隊コンビでの展示です。
まずは機体を左右に振りながら進入。



そしたら機を左へ傾けて。



腹を見せながら通過。



脚を出しながら低高度で進入。ああ、どこぞの某航空自衛隊ではこんな飛び方してくれないぞ・・・(向こうにも低く飛べない事情はあるんでしょうが



あぁ、これはいいですねぇ(恍惚



後追い。カーゴランプ部は飛行機とは思えぬ四角四面とした形状です。これでもいいんだ。
高翼配置の主翼やT字の尾翼、機首とエンジンポッドに備えられた主脚なんていうのは後のDHC-7やDHC-8に繋がる形状です。



今度は会場奥からこちらへ向かって左旋回。
ちょっと望遠が足りないですが画角は最高ですね。さっきから写真映えする飛び方してくれます。



正面を撮影。

まだ途中ですが今日はここまで。


その14へ→

カナダの航空祭コモックスエアショーを堪能する その14【2015/08/15】

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前回に引き続きカナダ空軍CC-115 (DHC-5)の飛行展示。今度は再び主脚を展開して着陸態勢に入りました。
ありゃ、まだ展示を始めて5分程度しか経っていませんが、もうおしまいか。



はい着陸~・・・とこのまま引っ込むと思って油断したら再加速してまた離陸していきました!カメラは一旦しまってしまったのでこの間の記録はなし・・・。
どうやらCC-115の短距離離着陸性能(STOL)を披露したかったようです。しかしほんの数百mで離陸してしまいましたので、確かにそのSTOLは優秀です。



再び戻ってくる頃には雲の切れ間から太陽が見え、機体が陽の光を浴びる激V写真が!
こういうのを撮りたかったんだ!ああもう満足です・・・!



CC-115のパイロット、調子に乗って今度は前脚だけ浮かせながら滑走路を走るという曲芸を披露。
着陸する時には後ろ脚から地面に付くのでこういう姿勢になりますが、それを継続して維持するというのは素人考えでも普通じゃないと思うわけです。
で、そのまままた離陸していきました。機体もパイロットも中々に変態だな。



今度はヘリコプターのCH-149コルモラントが展示飛行を始めます。



CC-115みたいな変態機動はしませんが、機体から縄伝いに隊員を降下させました。救難救助の場面を演じているんですね。この手のヘリコプターではおなじみの展示です。
隊員と比べると分かるように、結構大型のヘリコプターなんですよ。



着地。



もう一人着地。ちなみにヘリの高度は60~80mくらいだったと思います。



回収地点は降下地点とは別の場所で。正面に来てくれました。



隊員を回収します。上るのも大変だよな。



これで展示は終わりなので帰投します。帰投と言っても基地はここです。



CC-115も今度こそ着陸して第442飛行隊の展示飛行は終了です。


[CC-115 DHC-5 Buffalo Engine Start-Up and Takeoff]

今日のおまけはCC-115のエンジン始動から離陸までの動画。

今日はここまで。


その15へ→

久しぶりの静浜基地航空祭へ その4【2016/09/25】

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引き続き地上展示を見ていきます。
1 1/2t救急車。
なんだかすんごい古そうな見た目をしていますが、73式中型トラックを原型にした野戦救急車です。40年以上前のトラックだったらそりゃ古いわ。色もめちゃくちゃ退色しているし。



なんかカバーが掛けられていました。おしゃれですね。



荷台。4~5人の患者を運べそうです。設計が古いというのもあるんでしょうが、乗っていてあまりいい気分では無さそうです。



またT-7が航過。これは富士山を象ったものだそうです。他では見ない編隊なので静浜独自のものなのでしょう。



ハンv・・・もとい高機動車。陸自の装備品展示ではおなじみですね。



軽装甲機動車。陸自ではなく静浜基地(つまり空自)の車両。だからなのか知りませんが、これもめっちゃ色褪せてる・・・。



オートバイ(偵察用)。それがこれの正式名称だそうだ。なにせ持ち出しが楽なのかは分かりませんがこれも装備品展示でおなじみ。
バイクでの偵察は敵に見つかる可能性もあるし被弾することもありうるので中々危険な任務・・・ということで、これひとつ操るのにも色々な技能を習得する必要があるんだそうです。



第11飛行教育団の兵舎の前には退役したT-3がゲートガードのように保存されていました。
そういえば基地内には資料館みたいなものがあるそうですが、この時は見学できたんですかね?だったら惜しいことをしましたね。
これで地上展示は全て見終えました。



T-7の展示飛行はと言うと最後にVの字の編隊で航過していきました。
傘を象っていて、日本を守る傘をイメージしているとかなんとか。



エシュロン編隊で進入、その後編隊解除して右に旋回します。



右旋回しながら降下して、そのまま着陸態勢に入ります。



こんな感じで7機とも着陸しました。これで開幕の展示飛行は終了。



格納庫の脇で吊るされていた大量のてるてる坊主たち。こういうの、前にもここかどこかで見たような記憶があるので自衛隊では恒例行事なのかもしれません。



T-7の次はT-4練習機の展示飛行です。浜松の機体でしょう。しかしう~む、真っ黒。



会場奥へ向かって旋回するので背中は見えますが遠いのでどうしても機体が小さくしか写りません。超望遠レンズのある機材ならともかくこれでは・・・。
おかしい、カナダのエアショーではあんなに撮れたのに・・・。



会場上空を真っ直ぐに航過して旋回してまた航過・・・というのを数度繰り返して帰投していきました。う~む・・・。



次は百里基地第501飛行隊のRF-4ファントムIIの展示飛行です。
静浜基地は滑走路の距離が短いのでジェット戦闘機が離着陸できないのです(小型のプロペラ練習機よりも大型のジェット戦闘機の方が重かったりする分滑走距離が長いのだ・・・
なので静浜のT-7以外の展示飛行は他の基地から飛来(フェリー)してきて基地上空で展示飛行してまた基地に帰投するという方法を採っています。一応ジェット練習機のT-4は静浜でも離着陸できるらしいですが、最寄りが近所の浜松なので地上展示でもしない限りわざわざ着陸してくることも少ないようです。



RF-4E。機体の番号は分からん。
RF-4は戦闘機であるF-4を偵察型に設計したもの。偵察; Reconnaissanceなので型式番号にRの頭文字が付きます。
機体に大きいカメラを載せていて、敵地を上空から撮影して味方にその情報を持ち帰るという任務なんかが主です。敵ん中に入り込むので何せ速さが命・・・というわけで偵察機にはその時代の高速機が偵察機に転用されたり新しく開発されたりしていたのでした。
軍用機のルーツは敵地の偵察にあるので黎明期から偵察機があったのですが、上記のような任務は安全安心の人工衛星クンで事足りてしまった感もあるので最近はそういう感じの偵察機は減ってる感じですね。代わりに電子偵察機とか無人偵察機とかそういうのがはびこっている感じ。

で、RF-4Eは最初から偵察機として設計された方の機体です。写真じゃ分っかんねぇですが、機首の辺りにカメラが3台くらいありにけり。なおカメラはフィルム式。



また会場の奥で旋回・・・。遠い。なんていうか自衛隊=サン、魅せるのがあまりお上手ではない?
何と言っても自衛隊は飛行高度が高いです。たぶん安全上あまり低高度は飛べないんだと思うんで仕方ないことなんですが。
ところでこのRF-4E、最近話題の洋上迷彩機ですね。F-2みたいに青い迷彩塗装をしているやつです。珍しいんですが、いや~この写真じゃ。



こっちはRF-4EJ。機体の番号は知らん。
こっちはRF-4Eに加えてJが付いていますが、これは元々戦闘機型だったF-4EJを偵察型に改造したもの。
なので機首にはカメラが無く代わりに胴体下に偵察ポッドを付けているのですが、拡大してみるとなんだか偵察ポッドのような影があるな・・・程度にわかりました。う~ん。
それにしてもターボジェットの音はやはりやかましいですね。



こっちの塗装は従来から存在する緑と茶色の迷彩でした。



最後に2機編隊で会場を飛行して帰投していきました。

今日はここまで。


その5へ→

久しぶりの静浜基地航空祭へ その5【2016/09/25】

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RF-4の飛行展示の次は、F-15Jイーグルが飛来してきました。小松基地からやってきました。
F-15は御存知航空自衛隊の主力戦闘機です。あとの説明は今回はいいですよね。北米P4でするだろうし。



うーん真っ黒。
まあこれはカメラの設定をオートにしたのが祟ったと思いますが。



RF-4と同じような、会場奥を旋回する機動をしてまた帰投していきました。



今度はC-130が飛来。小牧基地第401飛行隊のC-130Hかな?これは輸送機ですね。
片方は緑色の迷彩の機体でした。



会場上空を2回航過して帰っていきました。
・・・いい絵が撮れないのでもうあんまりやる気無いんですね。
これで午前の飛行展示は終了してお昼休みです。この間にお昼ごはんを食べたり地上展示機を見たりして楽しんでね、ということのようです。



会場中央には静浜基地の超秘密兵器、T-7 Jr.軍団ががが。見せちゃっていいんですか!?こんな兵器アメリカ空軍でも持ってないと思うのぜ。
ホンダDioがベースと聞きましたが、さすがに原付のエンジンでは馬力が足りないようで飛行できずに地上を走ることしか出来ません。とはいえ既に量産もされていますし、補助輪も付いていることから初等練習機のための練習機として使っている可能性が高いです。そーらはーとーべーないーけどー(ry
とはいえ下手な展示飛行よりも舌を巻くハンドルさばきだと思います。今回見なかったけど・・・。

余談になりますが先代のT-3 Jr.もかつていましたがT-3と同時期に退役したらしいです。先に述べたようにT-3とT-7はほっとんど同じ機体形状なので、ガワを流用しているのかなと思いましたが、新規に作り直しているように見えました。これって隊員の手作り(かつ隊員の自腹を切っているだろう)なので、上手く作るもんだなと感心します。
さらに余談ですが、どういうわけかハセガワから他の数多の立体化に恵まれない航空機を差し置いてT-3ジュニアがプラモデル化されています。地元だからかな・・・。



地上展示は開場直後に見終えてしまって午後の飛行展示まで暇なので、会場の片隅に置かれている車両を見ていきます。
防衛省所有と思われる(6桁の自衛隊ナンバーでなく普通のナンバーなので)バスですが、あんまり見覚えのないやつです。
前輪の後ろに何か書いてあったので後で写真を拡大してみたら富士重工のバスでした。1990年代の17Mボディかなぁと思います。シャーシは知りませぬ。



お前いつの車だよと突っ込まれること請け合いの古そうな消防車。
当日見ていた時は何者か皆目見当がつきませんでしたが、グーグルの画像検索というのは便利なもので、すぐに同形状の消防車が見つかりました。
MB-1型という化学消防車だそうです。生産は1963年から。そりゃ古めかしい図体だわ。ちなみに製造は電車を造ってることで知られる東急車輛製造(現・総合車両製作所)。あそこ、鉄道車両以外にも色々造っていたんですよ(今の総合車両はどうなのか知らん
電車を設計する人が消防車の設計をするってことは無いと思うんですけど、そういえば電車っぽいツラに見えなくもないです。



いすゞフォワードのトラック。特にこれといった型式名は無いです。不整地走行用にシャーシが嵩上げされているのが自衛隊車の特徴です。
その後ろにある背の低い車は航空機を引っ張って移動させるためのトーイングトラクターです。そのさらに後ろにあるのがなんとか式トラック(投げやり



トヨタ ハイラックスあたりを改造したんじゃないか?と思うR-2型消防車。現場で消火作業を指揮する指揮車両とのこと。
シャーシとボンネットだけ残してあとは特殊ボディを装荷するという手法はアメリカのカタウェイ(cutaway)と似ていて興味深いです。



トヨタ ハイエースの救急車。自衛隊の表記がある以外はごく普通の救急車のようですね。



73式小型トラックまたは1/2tトラックもしくは三菱パジェロ。



トヨタ ウィッシュ。さすがに何でもかんでもオリーブドラブに塗るわけではないんですね。



ウィッシュの後ろに居座る消防車。消防車というよりは水を運搬する水槽車なのですが。
見どころは何と言ってもいすゞ謹製ボンネット付きのキャブでして・・・。古すぎて車種はちょっとわからないです。
基地内でしか使わないのでしょうが、こんなものが今も使われているんですね。
しかし自衛隊も意地悪でして、これを奥の方に置いたもんですから全体をきれいに写すことは出来ませんでした。



トヨタ ダイナ・ルートバン。
トラックのダイナをバンにした格好の車です。キャブはダイナですが、後ろのバンの荷室はハイエースの車体を流用しています。なので、キャブと荷室で屋根の高さが異なってちぐはぐしているというおかしな車になっています。どうにか高さを揃えられなかったのかこれ・・・。



日産バネット。といってもマツダ ボンゴのOEMなのですが。
ボンゴは黒塗りの高級車に追突した車種として一部で有名ですかね(あれはトラックでなくバンだったが
ナンバーが「004」ってこれ完全に基地内専用車ということで?




特殊車両揃い踏み。車種も用途もバラバラですが決まっていますね。かっこいい。



なんだかテキサンの周りに人が集めっているけどなんだろう?
まさかテキサンブームが急にやって来たわけないし、もしかするとこれを零戦だと見間違えた誰かが軍靴の音ガーと騒いでいるのかも(シロウトは騙せる



前に行ってみるとなんかロコドルと思しき女の子たちがテキサンの前にいました。
JA大井川のご当地アイドル「茶果菜」御一行だそうで、なんでも今日がデビューとかなんとか。農業全然関係ないやん、コンクリート畑やで、ここ。



あんまりに暇なので格納庫の休憩所で昼寝をしているうちに午後の展示の時間になりました。
一番手は静岡県警のヘリコプターアグスタA109E (JA13PC) 「ふじ3号」でした。警察ヘリは機体固有の愛称もあります。






戦闘機のように大きな旋回が必要ないですから終始会場の間近で展示してくれたのが撮りやすくてよかったです。

今日はここまで。


その6へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その19【2016/03/04~10】

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ヤンクス航空博物館編の2回目。引き続き黎明期~黄金期(1903~1939頃)の機体を見ていきます。
ちなみにヤンクスには展示棟がいくつかあるんですが、今いるここは伝説の格納庫(Legends hangar)と言うのです。

で、この機体はカーチスC-1ロビン(1928年)
用途としては輸送機。C-1型はカーチス・チェレンジャーエンジンを搭載した3人乗り機のC型の馬力を増強した機体です。
当時ある偉業により人気の機体だったセントルイス魂号ことスピリット・オブ・セントルイス(長いので以下スピセン号)に似せて設計したとのことですが、あんまり似てないかなぁという気もします。
スピセン号の果たした偉業というのは、1927年5月20~21日の間にアメリカのニューヨークからフランスのパリまで、史上初めて単独かつ無着陸で大西洋を横断したというものです。この時のパイロットがチャールズ・リンドバーグでした。脱線する前にこの話はこのくらいにしておきます。この機体とはあまり関係ない話だし。
全部で700機造られたそうで、当時の民間機としては多めなような気も。完全に主観ですけど。

ロビンの有名な話は1929年、デイル・ジャクソンとフォレスト・オバリンが420時間(およそ17.5日間)に渡って無着陸の周回飛行を続けたことです。よくそれだけの時間エンジンを連続で回せたものですね。機内燃料だけでこれほど持続するわけないので、空中給油を行いながらの飛行でした。空中給油としてはかなり初期の実例のはず。



ブルナー・ウィンクル バードBK(1929年)
普通の複葉機に見えますが、下翼が小さく上翼が広い面積であるというのが特徴です。上翼の面積は下翼の2倍あるとのこと。
これにより飛行時の安定性が高く、低速性能や短距離離着陸能力も良好だったそうです。そのせいか、女性パイロットに多く好まれました。この時から女性も飛行機を操縦する時代だったのですな。



ライアンB-1ブロアム(1929年)
上記で説明したスピセン号とやけに形が似ているなと思ったら、それもそのはず、姉妹機だそうです。スピセン号の量産型といったところでしょうか。
1927年にリンドバーグが大西洋横断飛行を成功させると彼は全米のヒーローとなりました。人気は相当なものだったようです。なので彼が乗っていたスピセン号と同じ飛行機を欲しがる人が出てくるのも必然と言えましょう。
ただし、スピセン号はライアン社が彼の大西洋横断のためだけに造った特注のワンオフ機でした。とにかく燃料を積めるだけ積むためにコックピットも一部塞いでしまいました。そのためスピセン号にはコックピットの風防がありません(つまり前が見えないわけだ)。あるのは右側にあるドアの窓と胴体の天窓だけです。
スピセン号の量産化にあたっては新たに風防を取り付けて前方視界を良くするなどの設計変更がされています。なんだかガンダムの量産型みたいですね。現実にもこういうものがあったのかと。
最終的にB-1は全部で142機が生産されたそうです。ちなみに本家スピセン号も現存していて、歴史的機体ということでやはりスミソニアンが抑えています。



フォード モデルT
御存知大量生産時代を切り開いたフォード車謹製の自動車。ちなみにモデルTは生産開始当初からベルトコンベア式の流れ作業ではなく、1907~1913年あたりまでは従来の製造方法・・・1箇所に置かれたシャーシに各工程の工員がそれぞれの車に移動して組立てていました。動いていたのは車じゃなくて工員だったんですね。
モデルTのボディには種類がいくつかあるんですが、これは2人乗りのクーペレットですかねぇ?ラナバウトかもしれませんが。何せ自動車は解説板が無いのでよく分からんのです。



カーチス スタンダードJ-1(1917年)
同じカーチスのJN4ジェニーと似ている飛行機。第一次世界大戦中、ジェニーの補充用に1917年から1,600機が造られましたが戦争終結によりいらない子になってしまい、民間へ放出。改良を施して旅客機として余生を送るものの1926年に改正されたと思われる航空商法で木造飛行機は禁止されてしまい、ここでもいらない子になってしまいました。次の新天地を探すことは出来ず、ほとんどがスクラップにされてしまったようです。
幸薄い飛行機だな・・・。



主翼の桁が見える状態で展示されています。美しいものです。前も書いたような気がしますが、工芸品みたいですねぇ。



艦内の壁に貼ってあった能書き。
すべての飛行機は耐空性があり、かつ原型の状態です。
耐空性(airworthy)があるというのはつまりは飛行ができるという意味ですが、これは機械的・物理的に飛行ができるのと同時に法的な検査・修理も合格していて法律的にも問題ない状態のことです。
原型を維持しつつというのがミソで、耐空性を取得するために原型を崩して復元した機体が間々あります。ただ、ヤンクスでも細かい部分はFAA基準を満たすために変更している場合があるそうで。それでもここの機体の復元や維持に対しての熱意が伝わってくる一文です。



スティアマンYPT-9Bクラウドボーイ(1930年)
これも練習機。アメリカ陸軍が使っていたんだそうな。
民間型の6-L型もあったようで。



ワコーUEC(1932年)
ワコー(WACO)という会社はこの時期の飛行機を見ているとよく出てくる単語なんですが、Weaver Aircraft Companyの略だとは知りませんでした。
4~5人乗りの輸送機スタンダードキャビンシリーズのうちのひとつで、派生型がやたらあるようなので他にもどこかでみたことがあるような外観をしています。
UECは210馬力のコンチネンタルR-670エンジンを積んだやつです。



テイラーJ-2カブ(1928年)
庶民のための飛行機という発想の元設計された飛行機。その発想は当たって売上は良好だったのですが最後には経営難に陥ってしまい、製造・販売権をパイパー社に譲渡します。J-2は最初に開発されたE-2カブの改良型で、テイラー社時代から製造されていたものです。
ちなみにパイパーに渡った後J-2は設計に改良が加えられてJ-3として新たに販売されるようになりました。これがバカ売れしまして、20,000機も製造されました。二輪車の方のカブといい、その名の付いた乗り物はよく売れますね。



コマンド・アイレ3C3(1928年)
さっきから聞いたこともない航空機メーカーばかり出てくるけどなんなんだと思っていたんですが、この頃はメーカーが乱立していた時代でしてアメリカには180社以上もの会社があったようで・・・。中には個人商店みたいなメーカーまであったようで。
ただ1929年に起こった世界恐慌を乗り越えることが出来ずバッタバッタと死んでいったり買収されたりした会社も数知れず。コマンド・アイレもそれのひとつでした。
3C3はこの時期の典型的な構造の飛行機ですが、機体の前半分を金属製にしているのが特徴とのことでした。機体の制御も従来のワイヤーやケーブルではなくプッシュプルチューブとベルクランクだったのも特筆すべきところだとか。



クレイダー・レイズナーC-2(KR-31)チャレンジャー(1927年)
あまり書くことがないのでパス(ひどい



トラベルエア 2000(1928年)
鋼管羽布張りの飛行機。説明ではやたら持ち上げられていたので何かしら有名な機体なのかもしれません。
なんだか旅行代理店みたいな名前のトラベルエアも前に何処かで聞いたような会社ですが、これも世界恐慌で参ってしまいカーチス・ライト社に買収されました。



モス航空機DH-60ジプシーモス(1929年)
モスという名前といいDHという型式名といいそもそも形状といい、これイギリスのデ・ハビランドか?それともアメリカのパクリ飛行機か?結局よく分からなかったですがモスをライセンス生産していた会社がモス航空機なのかな?というところで自分の中では落ち着きました。
デ・ハビランドの複葉機DH.60モス(タイガーモスよりも前の機体)とまんま同じ機体です。主翼を折りたたんでいますが、これも本家モスも持っている機能です。個人でも買えるような値段だったので軽飛行機としてはバカ売れしたそうな。ジプシーモスはモスの派生型のひとつで、デ・ハビランド ジプシーエンジンを積んでいたことに由来します。
ところでモスとは「蛾」(moth; ちなみにモスバーガーのモスはmosなんで別に蛾バーガーとかいう意味ではない)の意味なのですが、当時のイギリスでは蛾のイメージってどんな感じだったのかしら。後に出てくるモスキート(蚊)といい、今の我々の感覚だと絶対売れない名前だよなぁ。



エアロンカ モデルKスカウト(1937年)
前身のC-3のバスタブみたいな胴体よりはマシに見えるって書いてあるからどんなもんだと調べてみたら結構ダサいデザインでちょっとビックリ・・・。
ヒットしたようで生産ペースは日産3機でした。これが多いのか少ないのかよく分からんのがアレですが。



ポーターフィールド モデル35-70フライアバウト(1937年)
これも特に書くことないっす。



パッカードの自動車。車種まではちょっと言い当てる自信ないですね・・・。902あたりでしょうか?

黎明期~黄金期の機体は以上です。何機か掲載漏れがあるような気がしますがこの時代は個人的に関心が薄いのでまあ良しとしてしまいます。
次回からは第二次世界大戦以降の機体です。


その20へ→

カナダの航空祭コモックスエアショーを堪能する その15【2015/08/15】

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ウェストジェットのB737-700 (C-GMWJ) WC338便エドモントン行きが離陸していきます。さっきも見た垂直尾翼がチェック柄の特別塗装機です。



737が離陸すると既に準備を整えていたマンフレッド・レディウスのグライダーが展示飛行の開始です。
はじめはお昼頃に行う計画だったのですが空模様が悪かったため延び延びに。あんまり悪い状態が続くと中止かも・・・とまで行く事態でしたが、スノーバーズの辺りから天候が回復、青空も見えてきたので無事に披露することができるようになった格好です。よかったよかった。
今回のエアショーで一番意表を突かれたのはこれでしょう。グライダーと侮っていましたが、エアロバティック機さながらの変態機動を見せてくれます。
初めは高い高度から段々低空へ降りてきます。最初見つけるのに手間取りました。



グライダーで宙返り機動なんてできるんだ・・・。
観客からも歓声が聞こえてきます。



地上の方では次の演者であるYak-18T(白いの)とYak-55(赤いの)が離陸準備をしていました。



スモークが出ているので航跡が分かりやすいです。
翼端の低圧部から発生する飛行機雲なのかなと最初は思いましたが、どうも翼端に発煙器が付いているようでした。



段々下に降りてきました。
この飛行、位置エネルギーと運動エネルギーの変換とエネルギーの損失の操り方が上手いんじゃないかしら。自分もエネルギー保存の法則みたいなのは理解していないんで上手いこと説明できないですが、結構計算された機動だと思いますよ。



迎え角を取って高度を上げ続けるものの運動エネルギーを使い果たして失速。ですが今度は運動エネルギーを変換して得た位置エネルギーを使って再加速・・・みたいな感じですかねぇ?多分違っていると思う。



宙返り。これで何度目だろう?



また迎え角を取って上昇からの失速・降下。
グライダーで高度を上げるなんて芸当できると思っていなかったんで、まあすごいよなぁ。



カメラでもグライダーを大きく写せる高度まで降りてきました。もうすぐ地上です。
スモークは片側は切れてしまったようで・・・。







なんだか逆さを向いたまま着陸してきましたけど。この直後は視界から消えてしまったんで分かりませんが、体制立て直したんだよな・・・?



牽引機も着陸。ていうか今まで上にいたんだ。



なんだか安っぽいというかホームビルド機みたいな形状。



着陸したグライダーは手押しでこっちまで戻ってきました。
今までのグライダーの観念を覆す飛行を見せてくれました。良かったです。

今日はここまで。


その16へ→

カナダの航空祭コモックスエアショーを堪能する その16【2015/08/15】

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次の展示飛行は「ヤク・デュオ」というところです。
使用機体はヤコブレフYak-55とYak-18Tです。どちらも旧ソ連時代のヤコブレフ設計局(通称ヤク)で開発された機体です。パイロットは親子なんだとか。
ヤクの赤い方がYak-55M (N30DA)。1981年に初飛行したエアロバティック用の機体です。胴体から脚に至るまで細いのが目を引きます。当初は構造的欠陥もありましたが後に克服し、現在では曲技飛行選手権で優勝するパイロット達も使用する機体として親しまれています。
ヤコブレフは独ソ戦時にはソ連戦闘機の代名詞的存在でしたが、戦後は政治的なアレコレで軍用機の仕事を干されてしまいました(逆に今までパッとしなかったミグ設計局が戦後急に躍進したのも政治的アレコレが理由ですぞ)。それでも旅客機やスポーツ機などに活路を見出し、それもあってか現在も存続しているメーカーです。



ヤクの白い方ことYak-18T (N416RG)。1946年に初飛行した練習機です。東側を代表するタンデム複座練習機なのです。多分みんなもう忘れている午前中に見た中国のCJ-6もYak-18が原型になっています。

ただし!最終生産型であるところのこのT型はもはや別機種と言えるほどの設計変更を加えられています。まず定員からしてタンデム2名→並列2列の4名に倍増していまして・・・。「お前そんなに設計変えてるんだったらもう型式変えろよ選手権」があったら優勝候補だと思います。ちな初飛行は1967年。

会場右手へ向けてタキシングしていって、その後離陸・・・。



ヤク・デュオの見どころはキレッキレに攻めたエアロバティックでしょうか。
まずは両機が地上スレスレの高度で交差!ちょっと未来予測が外れて被写体が左にずれた写真ですが・・・。



両機の間はほぼ機体1機分の間隔しか無いんじゃないでしょうか?阿吽の呼吸というやつですかね。いきなりすごいものを見せてもらいました。



Yak-55が真上へ向けて上昇しますがやがて運動エネルギーを失って失速。ちょうど今宙に浮いているような感じです。



落下し始めの瞬間。逆さまになりながら落ちていこうとしています。



次の瞬間、機首が下向きになったのを見計らって再加速。体勢を立て直しました。











コークスクリューと似ている機動。月並みですがよく目を回しませんね。鍛えられているんでしょう。











2機並んでの宙返り。これも中々互いの距離が近いですねぇ。







互いに背中を合わせながらの飛行。







互いの距離が近いこともあって撮影もしやすかったですね。







いいカットです。



これで以上です。
2機ならではの飛行がかっこよかったですかね。連続的な動きの機動が多かったので写真も多めになってしまいました。


[27 July 2013 Bud/Ross Granley Yak Duo Airshow Boundary Bay]

動画も貼っておきます。

今日はここまで。


その17へ→

【HGIBO】ランドマン・ロディ 製作

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今回は機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズより、みんなだいすきランドマン・ロディをこさえました。
鉄血のMSはデザインや設定、劇中の動きに至るまで結構好きです。量産型機もいい味を出していますしね。量産型への好感度が高いのは00以来ですかね。

まずはHGマン・ロディのキットを用意します。
ただしこれではランドマン・ロディは作れませぬ。マン・ロディから脚部を改造したというのがランドマン・ロディなので、脚部の形状が全く異なっているのです。
ランドマン・ロディは劇中で脇役ながらよく活躍したので一部で人気があったのですが、ガンプラ化されないままだったので困っていたところに・・・。



このMSオプションセット9が出てきました!
本来これはいわゆる武器セットみたいなものですが、第8弾と第9弾に関しては劇中に登場したけど改めてキットを出すまででもないマイナー機体を再現するための部品が詰まったやつです。
その中に今回のランドマン・ロディ用の脚が入っておるのです。これで特に改造をせずともランドマン・ロディが作れるようになったのでござります(ただし塗り替える必要はある)。これはもうバンダイからの救済措置といってよく、私みたいな素組みモデラーは大変助かりました。この武器セットはHGUCなど他のシリーズでも展開してほしいものです。



キット自体は素組なのでこちらで手を入れた点をば。
銃は銃口とマズルブレーキをドリルで開口しました。マズルブレーキの方はドリルで両端に穴を開けて、残った中央部分をカッターで削りながら形状を整形しました。



ふんどしも真ん中を切断して左右独立可動化。



腕関節はハメ殺しで下腕に目立つ合わせ目が出るため、後ハメ加工をしました。
まず関節側は丸ピンを切断してしまいます。逆に四角い方のピンは残しておきます。下腕側は、四角いピンがハマるように肉を削っておきます。
そうすると下腕に関節がスポンとハマるようになるという算段です。



頭部の機関砲(?)は、銃口のモールドがありますが成形品の抜けの関係で円形ではありません。
さすがに見た目がよろしくないので加工します。



機関砲の部分をドリルで開口して、そこにウェーブのOボルトの銃口みたいな形状の部品を差し込みます。



頭頂部に銃口があって目立つので、加工した時の見栄えの変化はそこそこありますね。



足裏とふんどしの裏は肉抜きされていてかつ目立つものなのでパテで埋めてしまいます。



で、塗装して、えーはい、完成です。塗装の記録はつい忘れてしまうのだ・・・。
劇中の塗装とは配色と色味を変えています。飛行機の練習機みたいな感じで塗りました。
ただオレンジの塗装で塗料の希釈をミスって色が乗らない事態に・・・。結局塗り直しましたとさ。後にザクを作った時も同じミスをしてしまい、こりゃどうも・・・。
どちらもアクリジョンを使って起きた失敗だったのですが、どうも薄め液の希釈がシビアです。ラッカーだったら「このくらいでええやろドバー」ってやっても問題ないんですが・・・。ちょっと気をつけないといけないなぁと気付かされました次第です。

デカールはベルテクスのコーションデカール。胸の鉄華団マークはデカールを自作して用意しました。ギャラルホルンマークも合わせて大きさと数をそれなりに用意したんですが、その直後バンダイから純正の鉄血デカールが発売されると知ってズッコケたのはここだけの話。
テレビ放送が終了してしばらくしてからデカール販売というのは間が悪いどころの話じゃないと思うんですけど、バンダイもそこんところどう考えているんでしょうかね。



いつものように背中はデカールなし。数字のデカールを貼り忘れていたなとここで気づくが既にお寿司。
それと、脇の後ろに小さいスラスターノズルを追加で取り付けてあります。ウェーブのUバーニアだったかな?キット自体にノズルの形状が既にあるんですが、やはり抜けの関係上形状が悪い、でもドリルで開口して挿げ替えるほどでもないから上からノズルを貼り付けて良しにしました。

使った塗料は下記の通り。
白:Mr.カラー 灰色9号
オレンジ:アクリジョン 蛍光オレンジ
武器:アクリジョン ジャーマングレー
バーニア、リアクター:Mr.カラー 焼鉄色
関節:忘れた(涙)



ちょっとミスもしましたが、念願のランドマン・ロディが手に入って満足です。

完成写真はギャラリーにて。

【ギャラリー】UGY-R41 ランドマン・ロディ【1/144】

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■使用キット:バンダイ HGマン・ロディ+MSオプションセット9
■仕   様:ランドマン・ロディ

機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズより、鉄華団の脇役が乗るMSです。脇役ながら2期目ではシリーズほぼ全てを通して活躍が見られましたし、2期目の地上編ではほぼ主役機みたいな扱いでしたしで、地味に人気のある機体です。
キット化の要望も高かったらしく、後に純正改造パーツが発売されまして同系統機のキットとニコイチすることで再現可能となっています。
そんな機体を今回は作りました。
製作記はこちら。



前。

劇中の機体と同じ白とオレンジの塗装ですが、それとは色味や配色を変えています。
初めてこれを見た時、地球支部で現地軍を育成するための訓練機なんだろうなというイメージが合ったのでそれを基にしました。まあ、劇中ではその後バリバリに実戦で酷使されていったんですが。
軍事用の訓練用飛行機・・・練習機というのは翼端が蛍光オレンジで塗られていることがあります。航空自衛隊のT-2とかアメリカ海軍のT-2とか(ややこしい)。これは視認性向上が目的だとか。
というわけなので、肩や腕や脚の先など機体の端の部分を蛍光オレンジで塗りました。



横。
とにかく丸っこいやつですね。



後。



鉄華団マークのデカールは自作してでも作ってよかったです。引き締まります。



作画的に動かしやすかったのか知りませんが、劇中ではよく動いていたなぁという印象です。
ブルワーズ時代はガンダムにボコボコにされるだけされて退場していったというのに。



どーでもいいことですが、格闘用兵装のハンマーチョッパーのハンマー部分にはスラスターノズルっぽい部品を付けています。
チョッパーで斬りつける時にスラスターの推進力で打撃力を上げるんやで、という我ながら中二臭い設定・・・。本当は合わせ目消し上手く行かなかったのでそこを隠したかっただけ。



























以上、ランドマン・ロディでした。

久しぶりの静浜基地航空祭へ その6【2016/09/25】

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午後の飛行展示の目玉、静浜基地のT-7 7機による編隊飛行です。今年はブルーインパルスが飛来しないのでこれが一番派手な展示となります。
既に機付き整備士が待機していて、パイロットも機体に乗り込んでいます。



エンジンを回し始めます。T-7は練習機なので訓練生と教官の2人が乗る複座機なのですが、飛行展示でもパイロットは2人搭乗しています。
飛行展示の前には操縦するパイロットの紹介がなされるのですが、こういう状態なので7機合わせて14人もの紹介がされることになってしまい、その時間は結構長くなってしまいます。



徐々にエンジンの回転数を上げていくとタキシングを始めて、会場右側の滑走路端へ向かいます。
練習機と言えども編隊の発進シーンはロマンがあって熱くなるものがあります。アニメのBGMも脳内再生されてしまうもの。



後ろ姿。かっこいいな。



3-2-2編隊で滑走路にスタンバイ。といっても編隊離陸はしないで1機ずつ離陸していきます(自衛隊では編隊離陸は原則行わないらしい



66-5940が離陸。



66-5938も離陸。離陸の撮影はあまり上手くいきませんでしたねぇ。



やや傾きながら離陸する66-5903。



全機離陸すると基地から離れたところで編隊を組んでから会場へと戻ってきます。



まずは6機のデルタ編隊で上空を航過。



次はダイヤモンド編隊。7機で2つのダイヤモンドを作っているのがミソ。
操縦しているのは教官のようですので腕がいいんでしょう、きれいな編隊で飛びます。ブルーインパルスの編隊に比べれば機体同士の間隔は広いですが、これでも結構狭い方の距離だとなんかで聞いたことがあります(ブルーインパルスが攻め過ぎなだけなのだ



アローヘッド編隊。



最後に静浜基地オリジナルの富士山編隊で終了です。



着陸時にはエシュロン編隊で進入。



前を飛ぶ機体から順番に右方向にブレイクして着陸していきます。



残りの機体も続きます。



右旋回しながら滑走路に着陸します。だいたいどういう機動をしたか分かるでしょうかね?



着陸。



着陸に合わせて整備士が機体へ向かいます。



これでT-7の飛行展示は終了です。
地味な機体ですが、それの飛行は戦闘機にも引けを取らないきれいなものでした。地元の機体なのでちょっとは愛着もありますしね。

今日はここまで。


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久しぶりの静浜基地航空祭へ その7【2016/09/25】

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次のF-2の飛行展示で今日のプログラムは全て終了です。
終了後は見物を終えた来場客が帰りのシャトルバスになだれ込んでくるので、F-2の飛行は予めバスのりばの近くで見ることにします。
バスのりばの方を見てみると、たくさんのバスが溜められていました。



丸子のいすゞエルガ。
時刻は14時前で、行きのシャトルバス運行が終了したあたりの時間でした。なのでまだバスがやってきてはプールされます。



岡部のふそうエアロスターK。



浜岡の富士7E。
そんなことをしているうちにF-2が飛来してきました。



三菱F-2戦闘機。岐阜基地の機体だったはず。



今の戦闘機はどれも灰色ばかりなので、青い戦闘機というのはいいですね。



結構アクロバティックな機動をします。今までの戦闘機とは別ものです。なので写真はともかく中々楽しんで見ることが出来ました。







機体から発生する霧。主翼前縁の付け根にあるLERXを持っている機体だと高機動を取った時に気圧差から渦が発生してこのような霧が発生するそうな。







帰投していきました。これにて閉会です。写真は残念でしたがそれでも楽しかったです。



この後はソッコーでバスのりばに向かってシャトルバスに乗ります。並ばずにバスにのることが出来ました。
ちなみにしずてつジャストラインのシャトルバスは座席分の客だけ乗せて立ち客までは乗せないので、バスに乗ってしまえばあとは座りながら移動できます。その分1台あたりの詰め込みが効かないので列に並ぶ時間が長くなってしまう欠点がありますが・・・。

閉会からものの30分で焼津駅に戻ってくることが出来ました。
あとは帰るだけですが、少し寄り道していきます。


最終回へ→

久しぶりの静浜基地航空祭へ 最終回【2016/09/25】

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静浜基地航空祭を満喫して焼津駅に戻ってきたわけですが、もう一箇所寄り道していきます。ただしその前に続々と駅へやってくるしずてつジャストラインの航空祭シャトルバスを見物します。
写真はふそうエアロスターK。



日野レインボーRJ(岡部)。ライトリムも車体色に塗られたやつ。



いすゞエルガLV234(丸子)。ホイールが無塗装ですね。



日野ブルーリボンシティ(小鹿)。



エルガ(西久保)。マゼンタの退色が著しい・・・。



エルガミオ(岡部)。これはシャトルバスじゃなくて普通の路線バス運用です。



日野ブルーリボンII(唐瀬)。緑の復刻塗装です!この色をまともに撮影できたのはこれが始めてじゃないかな?



更に赤い復刻塗装のブルーリボンII(唐瀬)も続けて来ました!もう満足ですね~。
ところでしずてつのフルカラーLED表示機はシャッター速度速めでもLEDが切れませんね。これは1/500秒なんですが、従来のオレンジLEDでは切れてもフルカラーだと大丈夫なようです。
ただLED表示器も供給メーカーが複数あるようで、フルカラーならどれも大丈夫なのかはちょっと分からないです。



日野ポンチョ。しずてつが受託運行する焼津市自主運行バスです。これは「ゆりかもめ」系統。

これでバス撮影はおしまい。寄り道を再開します。
余談ですが、道中焼津黒潮温泉の看板を見かけました。なんだか観光チックな名前だなぁ、最近出てきた温泉かもねぇ、と。実際、1983年に初めて湧出した温泉だそうです。



はい着きました。焼津駅から歩いて5分くらいのところの小石川公園に置かれているC50形96号機蒸気機関車です。ここにこれがあるのはつい数年前まで知らなかったのですが、焼津駅に用事もないので今まで行っていなかったところ今回用事ができたので寄ることが出来ました。
C50形は1929年から154機が生産された蒸気機関車です。8620形の改良型として設計されましたが、あんまりうまく行かなかったようで評判もイマイチだった模様。

この96号機は1929年12月4日に熱田の日本車輌製造で製造され、最初は米原に配属されました。その後は稲沢、名古屋、美濃太田と東海地区を転々として最後は豊橋で1971年12月に廃車になりました。
米原時代は急行列車の牽引機として走っていましたが、豊橋での晩年は構内の入換機として使われていたのではないかと思います。
ここへは廃車直後に置かれるようになったと思います。特段焼津に縁のある機関車ではないですが、それでも比較的近所で働いていた機関車ですね。



正面から。ヘッドライトのレンズが欠損しています。ただそれでも全体的にはきれいな状態を維持していると思います。この日見聞した時もボランティアと思しきおばちゃんがキャブの中を清掃していたので、習慣的に清掃などが行われているのでしょう。ありがたいことです。
96号機はデフが無い状態で保存されています。やはり最後は入換機として使われていたんだと思います。



上記の通り8620形の改良型として開発されたので、大まかには8620形と似た形状をしています。曲面を描いた前部ランボードはこの時代の機関車らしくて良いですね。



シリンダー部とか。
8620形から大きく設計が変えられた部分は先輪だそうですが、そんなこと当時は知らなかったんであまり詳しくは撮影していないです。



テンダー側。リベット留めなのが良い。
焼津市がどういった理由で保存蒸機としてC50形を選んだのか知りませんが、C50形は全国でも6機しか残っていない上に梅小路にも収蔵されていない貴重な型式ですので、いい選択をしてくれたなと思います。



非公式側から。こちらからの方が柱が入り込まずスッキリと撮れます。片持ち式の屋根だと撮影しやすいのでうれしいですよね。



キャブ内。部品欠損はありますが、まあまあ良好だと思います。火室には例に漏れず石が放り込まれていました・・・。
天井が水色に塗られていますけど、これは何だか嘘っぽいな・・・。

見聞は以上です。ここに保存されるようになって長いですが、きれいな状態を維持してもらっているようでなによりでした。



駅に戻りました。駅前にはこんな記念碑もありました。鉄道開通100周年を記念したものですが、これは新橋~横浜の開通から数えて100年を記念したものですね。
右側の動輪のオブジェはC57形146号機の第2動輪です。東海道の宿場町でもなく海路中心の漁村だった焼津が東海道線の開通で輸送形態が一変したんですから、当時の鉄道の与えた影響は大きかったでしょうね。

この後は電車に乗って帰りました。
なんだかんだ航空祭が面白かったのでこの年はその後、浜松基地と岐阜基地の航空祭にも足を運びましたが、それはまた別の機会に。

これでおしまいです。

北米project 4 ~Is the order a warbird? その20【2016/03/04~10】

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ヤンクス航空博物館の続き。古典機を軽く見終えたら今度は見覚えのある第二次世界大戦期の機体たちが見えてきます。
こちらは欧米の航空博物館ではおなじみのV-1飛行爆弾。大戦後半のドイツのビックリドッキリメカ軍団の一角です。
爆弾に翼とパルスジェットエンジンと自動航法装置を載っけてロンドンへ向かってバカスカ撃ち込まれた巡航ミサイルのご先祖様のようなやつです。
この後巡る博物館でも何度か再登場することになるんですが、V-1を始めとしたドイツのビックリドッキリメカは物珍しい兵器だったので、連合軍がやたら本国に持ち帰っていて、その生き残りがこのような形で今も見られるわけです。なので当時ありふれていた兵器のほうが逆に今では貴重になっていたりするのです・・・。



V-1の後ろ。
大気圏外から超高速でほぼ真下に突っ込んでくる弾道ミサイルのご先祖様V-2と違って、V-1は600km/hを水平飛行して爆撃していたので一応戦闘機でも撃墜可能でした。
戦闘機の機銃で撃墜するのが定石のように思えますが、これだと撃墜時の爆風を自分も食らってしまい道連れにされる・・・なんてこともあり得ます。
なのでこれを避けるために採られた方法が、自機の主翼の端とV-1の主翼を接触させて安定性を崩し、自動航法装置のジャイロを制御不能にして墜落させるというものでした。ただこれも墜落させる以上、地上の何処かが被害を被る可能性もあるわけですが。
V-1の速度に追いつく高速性が必要なので、これの迎撃にはイギリスのテンペスト、モスキート、スピットファイアMk XIV、アメリカからはP-51、P-47といった高速機が当たりました。P-47に至ってはV-1やジェット戦闘機Me-262に対抗するため高速性能を高めたM型を新しく設計しています(この後出てくる



あれまこれは珍しい、オートジャイロですね。ケレットKD-1A (YG-1B)(1934年)です。初めて見ました。
オートジャイロはヘリコプターにも見えますが、直接回転翼を駆動させて飛行するそれと違って、回転翼に動力は付いておりませぬ。機体の正面についているエンジンを回してプロペラを駆動させて前進させるとその風を受けて回転翼が回りだして揚力を生み、浮き上がるというわけです。
そういうわけなのでヘリコプターと違い無風状態からの垂直離陸や空中でのホバリングは出来ないのです。
ただしこのKD.1はエンジン動力で回転翼を回す機構が備わっていたので、対気速度ゼロでも垂直離陸が出来たそうな。よく見るとエンジンと回転翼の間にドカンと棒が通っているのに注目です。あれが回転翼に動力を伝えるドライブシャフトなのでしょう。
ただ、テールローターを持っていないKD-1は回転翼を回すと作用反作用の法則で機体側も回ってしまうと思われます。操作性は非常に敏感との評だった辺り、これは解決できていなかったような気もします。

ここのKD-1Aは、A型で唯一の現存機だそうです。後はスミソニアンに軍用観測機のXO-60が残っているくらいじゃないでしょうか?オートジャイロ自体ニッチなジャンルですし、結構貴重じゃないかと。



真っ黄色のアメリカ海軍の水上機、海軍航空工場N3N-3イエローペリル(1935年)。これも知らんです・・・。
海軍航空工場 Naval Aircraft Factoryというのはフィラデルフィアにあったアメリカ海軍直属の航空機製造工場です。独自の航空機製造の他に民間メーカーの機体の評価なども行っていた模様。
N3N-3とNと3が連続する型式ですが、N3Nまでが型式名、-3が派生型(サブタイプ)です。Nナンバーなのでこれは練習機ということになります。練習機ならTrainerでTでガショ。でもこれは雷撃機Torpedoで使われていました・・・。
愛称のイエローペリル Yellow Perilは黄色い危険という意味。・・・ちょっと意味不明。
展示されているフロート付きの水上機型と車輪の付いた陸上機型の2種類がありました。軍用の複葉機としては最後発の部類であり、実際これがアメリカ軍最後の複葉機だったそうな。それでもその後第二次世界大戦もあったりしたんで1942年までに1,000機弱も造られたんだそうよ。



水上機はゲタが付いている分背が高くなるなぁと。
それと、エンジンが丸裸になっていますが、水上機にこれでは海水を被って劣化してしまうと思うんですが、案外大丈夫だったんですかね?

N3Nは1961年までアメリカ海軍で使われましたが、第二次世界大戦後は余った機体が500ドルで民間に放出されまして農薬を噴霧する農業機に改造されて余生を送りました。低速性能の良い複葉機で頑丈な練習機であるN3Nは最適だったのかもしれません。



次。これも知らない機体だなぁ・・・でも見覚えのある形状だし、ムスタングっぽいかも・・・?と思ったところで、急に閃いてこれカーキ色だしバブルキャノピーじゃないし、もしやウワサのムスタングのB/C型ってやつですかい!?ヒャーすごい!と勝手に喜んでいました。
しかし直後に、あれ、でもプロペラって3枚だっけ・・・?と再び違和感を持ったまま解説板を読んでみると・・・え、エ、えA型だぁ!!うひゃー、まさかこんなところにいるとは!
このノースアメリカンP-51Aムスタング(1940年)こそ、ムスタングの初期量産型なのだ(残念ながら最初の量産型ではないのだがややこしいので割愛

よく第二次世界大戦の最優秀戦闘機と言われるP-51ですが、それはB/C型やD型のことでして、A型や無印P-51、その派生型のA-36なんかはそれには当てはまりませぬ。というのも搭載しているエンジンが違う故に性能がだいぶ異なっていたからです。
B/C型以降がイギリスの至宝マーリンエンジンを搭載していたのに対して、A型まではアリソンV-1710エンジンを積んでいました。俗に前者をマーリンムスタング、後者をアリソンムスタングと呼ぶ場合も有りにけり。
でまあこのアリソンエンジンがダメでして(涙)、高高度性能がカラッキシでした。戦闘機としては平凡で使い物にならんので、低空で運用するだけで済む攻撃機のA-36や写真偵察型のF-6、あとは高高度性能が低くても相手になる日本軍相手に戦闘機型のP-51が細々と使われていたに過ぎませんでした。

チーム10,000機軍団の一員であるP-51ですがその数の殆どは後期型のD型でして、このA型はたったの310機しか造られておりませぬ。しかも大戦初期の機体で現存数も低いので、掃いて捨てるほど残存しているD型と比べるとその数は貴重といえるほど少ないのです。
この機体もオハイオ州で民間で使われていたのを購入したようで。ファストバックの形状を復元したとのことですから、民間機時代は大改造を受けてたっぽいですね・・・。他にも色々と部品を探すのに手間取って(恐らくオリジナルの部品を手に入れたかったのだろう)、復元し切るまでに12年を費やしたとか。ちなみにこれの型式は細かいところまで言うとP-51A-10-NAだそうで。だから何だとしか私は思わないですが、なにかすごい意味かもしれない。



胴体後部。ファストバック(風防後部と胴体上面が一体化してツライチになっている形状、元々は自動車用語)のコックピットが特徴ですかね。
バブルキャノピーは凹凸が出るので、ファストバックの方が空力的には有利です。後のD型でバブルキャノピーになったのは、エンジン出力の増大で不利を帳消しに出来たからですね。パワーは大事ですよ。

あとは、胴体下部にあるラジエーターグリルの形状も後のD型とは大きく異なっているのですが、フラップが下げられているせいでよく写せませんでした。南無。



コックピットのアップ。
ファストバックだとバブルキャノピーと較べて後方視界が利きにくいのが欠点なのですが、それでも少しはどうにかしようとして座席の後ろにも風防を貼って後方視界が利くようになっています。
その風防の一番後部のところに注目。カメラが覗いているのが分かるでしょうか?これは35機のP-51Aを改造した写真偵察機F-6Bに装備されていた偵察カメラです。地面に対して水平に据えられていますので、撮影する時は機体を左にロールさせて傾けて地上を写します。



主翼には12.7mm機銃が2門ずつ。そのさらに付け根にある穴はガンカメラだと思います。戦果確認なんかで使うやつですね。



機首部。B/C型との識別点は大体ここに集中しています。まずプロペラの枚数が違います。A型:3枚、B/C型:4枚です。
でもプロペラが回っている時は数えられないので、その時はエアインテークの位置を見ましょう。A型は機首上面に出っ張るように配置されています。一方B/C型以降は機首下面に機種の形状と一体化するように配置されています。一見インテークが無いようにも見える形状で、同時期の液冷機には無いセンスの良さを感じます。
あとは、エンジン排気管の形状で、A型は三角形のような形状に対してB/C型以降はただの管です。
以上こんな感じです。これであなたもムスタングキング。
いやはや、いいもの見させてもらった。



隣にもう1機ムスタングがいました。こっちは掃いて捨てるほどいるD型のP-51D。
こっちの説明の方は・・・まあ無くてもいいでしょ(手抜き



やっぱりかっこいいですよ、P-51。



あれ、何だか機銃が塞がれてますやん・・・。もしやと思い解説板を読んでみると、やはりレース機でした。
このミス・ジュディ号はベンディックス杯というエアレースでの優勝経験も持つ機体だそうな(いつ優勝したのかまでは調べられませんでした

P-51はなまじ100機以上も飛行可能な機体が残っていてそのうえ速いだけあってエアレース用に改造された機体が多く、そのほぼ全てはレースで優勝するために手を加えられているため原型を失っていると来ています。なので原型を留めていて資料的価値の高いP-51というのは実は意外と少ないのだ・・・というのがアメリカのP-51の保存状態なのです。
というかエアレースに限らず、いわゆる飛行可能な機体というのは外板から桁に至るまで弄り倒されているという場合が多いです。飛ばすからには現在の法令や安全性に配慮する必要はありましょう。なので飛行可能な機体にも資料性を求めるのは難しいと言えます。雰囲気を楽しむに留めておいたほうが良いかと。私の場合意識低いので、それで足りてしまうんですが・・・。
とにかく原型を留めることを第一にするか(静態保存)、それとも今もこれからも機械として稼働し続けることが一番なのか(動態保存)・・・というのはその先に求めるものが違うのでどっちが良い悪いという問題ではないです。最善なのはそれぞれ別々に残して両立させることなんでしょうけど。
ただ戦後レース機として余生を送るというのもP-51の歴史の1ページであることには違いなく、このミス・ジュディもヤンクスがレース機としての経歴に敬意を表してこの状態で展示されているのだと思います。
例え部品が全て新品に交換され尽くしたとしてもその機体が積み重ねてきた歴史はその機体だけのもので、替えはできないのです。

言いたいことを全部言えたか分かりませんが(たぶん言えてない)今回はここまでとしときます。


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