2016年3月6日14時52分
カリフォルニア州リバーサイド マーチフィールド航空博物館 屋内展示棟
屋外展示を見ていたんですが、「屋内展示等の別館は15時になったら閉めるで~」と館内放送で言われたので、一旦そっちへ行くことに。初めは無視してしまうつもりでしたが、やっぱり後ろ髪を引かれてしまいました・・・。
置いてあるのは戦間期の古い機体ばかりです。天井から吊るされているミサイル類は無視しました。
フェアチャイルドPT-19Bコーネル(1939年・227機目)
アメリカ陸軍の初等練習機です。B型は計器飛行用の練習機です。低翼単葉で鋼管羽布張りの近代的な外観です。
戦間期のこの青と黄の塗装は好きですね~。
機体の手前に置いてあるエンジンはPT-19に搭載されているレンジャー社のL-440です。液冷みたいな形をしていますが実は空冷エンジンです。なので空冷機ながら液冷機のような細い機首の機体が設計できるのです。
カーチスP-6Eホーク(1927年・228機目)
アメリカ陸軍最後の複葉戦闘機です。ホークって名前、これが初代なんですね。P-40はホークIIとでもすべきところだったんでしょうけど、この頃はまだそういう慣習がなかったのかもしれませぬ。
70機しか造られてませんが、この時期のアメリカの航空機はたくさんの機種を少量ずつ採用していたので、こんなところでしょう。というか戦間期はこういう100機未満の僅かな数しか造っていなかったのに、戦争に突入すると本気出して1万機以上の数を平気で生産してしまうんで、やっぱり国力の基礎がつえーな。
なおこれはレプリカです。
コンソリデーテッドPT-6A(1928年・229機目)
これも初等練習機です。元は民間用のスポーツ機ですが、PT-6として造られたのはたったの16機だけです。で、これは原型の機体なのでそのうちの1機なのか、それとも民間機からそれっぽく復元されたのか。
ニューポール モデル11(1915年・230機目)
WWI期のフランス製戦闘機の7/8縮尺のレプリカ。大戦後半に登場し、ドイツ製戦闘機の優位を覆した機体です。
塗装はフランス軍ですが、乗ったパイロットはアメリカから出兵してきた人なんだそうです。縮尺レプリカということは、たぶん元は飛べるように造られたんじゃないかなぁと思いますが、そこら辺は不明です。
これで屋内展示はおしまい。外へ戻ります。
ロッキードR5O-5ロードスター(1日ぶり3機目・231機目)
ロッキードの民間用旅客機モデル18を軍事転用した10~14人乗りの輸送機です。型式から見て海軍用でしょう。陸軍向けはC-56~C-60の型式があります(細かい違いにより型式が変わっているのだ・・・)
ここの機体はこの博物館まで自力で直接飛行してきたらしい。これもアメリカではよくあること。
ダグラスC-54Qスカイマスター(1942年・232機目)
元々は空軍向けのC-54Dが海軍に移籍してR5D-3に改名になったんですが、1962年の型式の命名規則統一に伴いC-54Qに再改名した模様。ややこしいな。
C-54自体はダグラスの民間旅客機DC-4の軍用版です。ただし開発時期が大戦中だったため初めに登場したのは軍用型のC-54のみで、民間型のDC-4は戦後に登場しています。民間型の方が後に出てくるというのはなんだかボーイング707みたいな関係ですね。
さらに民間型DC-4の大半はC-54の払下げであり、1,200機強の生産数の内始めから民間型として新造された機体はわずか80機しかありません。民間型より軍用型のほうが数が多い旅客機というのはなんだかDC-3みたいな関係ですね。
というか今まで戦後に開発・登場した旅客機だと思ってたんですが、大戦中に初飛行と運用を経験していたんですね。知らんかった。なので今の今までこれをロッキードのエレクトラだと思ってました。
後ろはまあ普通。当時で4発の旅客機相当の輸送機は結構デカかったはず。
C-54と言えば特殊な機体として大統領専用機VC-54というのがありにけり。WWII中ルーズベルト大統領が搭乗していたやつで、なんと現存していてデイトンの博物館にあります。気になる人は行ってみよう。
ダグラスVC-47スカイトレイン(1日ぶり3機目・233機目)
御存知ベストセラー旅客機/輸送機です。VC-47は型式にVが付いていますので、要人や将校用の輸送機です。普通の旅客機と変わらない内装だったそうで。
1944年製ですが戦場へは送られずに一生を本土で過ごしました。戦後はカリフォルニア州空軍に転属して、カリフォルニア州知事の移動などに使われていたようです。塗装も州空軍のものです。
フェアチャイルドC-119Gフライングボックスカー(1947年・234機目)
アメリカ空軍の中型輸送機で、同社の輸送機C-82パケットの発展型です。貨物搭載量10tあるいは完全武装兵62名を輸送可能です。
空飛ぶ有蓋貨車というもうそのまんまだという名前です。ただし貨物扉は横ではなく後ろから開くんですけどね。
C-119というかその前身のC-82では、大型貨物や車両を地上から直接機内へ搬出入できるように要求されていました。C-46やC-47のような地上にいる時胴体が斜めになっているような尾輪式の輸送機では搬出入に手間がかかるのは想像に難くないと思います。
そこで車輪を前輪式にして地面と胴体が水平になるようにして、貨物扉は胴体後方に配置しました。この配置の仕方が独特で、胴体後部を双胴式のツインブームにすることで胴体後部に空間を確保、その空間から貨物を出し入れするという方法を採りました。
後ろから。まあこんな感じなんですわ。双胴の胴体後部はエンジンポッドから伸びているのにも注目。
貨物扉は貨物室後方に付いていて、扉の部分は左右から絞り込まれているのが分かります。その部分が観音扉のように開く素敵ギミックを内蔵しているのです。
ただ、この双胴構造に観音扉はなんだかムリがある構造なのか流行らず、現在運用している輸送機では採用されてない絶滅してしまった方式です。他にもこの観音扉は飛行中は開閉ができない構造なので空中投下が出来ない欠点がありました。どうしても空中投下したい時は初めに観音扉を取っ払ってから飛行するというマッチョな方法を採っていたようです。
フェアチャイルドC-123Kプロバイダー(1949年・235機目)
C-119の次に採用されたアメリカ空軍の中型輸送機です。搭載量はC-119とほとんど同じ。
前線の整備が届いていない滑走路でも離着陸できるような頑丈さを求められたので、悪路でも壊れない短くで頑丈な脚と短距離離着陸性能を持ちます。
K型はJ85ジェットエンジンを追加搭載して補助推力としています。レシプロエンジンと燃料タンクの間にあるやつです。
さらに進化したのは貨物扉で、C-119の双胴と観音扉をやめて、ひとつの大きな胴体とカーゴスロープも兼ねた上下に開く大型扉を採用。これが完成度が高く、以降に開発された輸送機はどれもこれと似たような扉構造を持っています。
以降の輸送機の基本設計であるこれら太い胴体、高翼配置、短い脚、スロープを兼ねた後部大型貨物扉を初めて採用したのはC-123なんですが、これより後に登場したC-130が最初だという人がよくいます。まあ確かにこの方式を確立して普及させたのはC-130かも知れないけどね。
なおこれとほぼ同じスタイルは実は第二次世界大戦時に眩しいステンレスの輝きとともに姿を現していたんですが、それは翌日実機を見た時に話しましょうか(伏線)
ビーチSNB-5(1937年・236機目)
ビーチクラフトの民間用小型旅客機、モデル18を軍事転用したもの。モデル18ってギリギリ戦前製の機体だし地味だしでほとんど残ってないと思ってたんですが、意外とよく見かけるので割とありふれた親しまれた機体だったんでしょうか?
モデル18はWWIIによる需要拡大に伴って陸軍・海軍ともに採用したものです。モデル18の総生産数は9,000機以上なのですが、そのうちの大半である5,000機は1940年から生産された軍用型です。終戦までの5~6年でこれだけの数を造ったんですから、ビーチの生産能力は大したものです。フォードやGMなどに一部の生産を委託した可能性もありますがそういう記述は見かけないので不明としておきます。
SNBは海軍向け呼称です。S:偵察、N:練習、B:ビーチクラフトなのでビーチの偵察機兼練習機といったところでしょう。
ただしその中身は航法士用の練習機だったようです。これは陸軍のAT-7に相当するものです。航法士が使う天窓が付いているんですが、確認できず。つーか現役時の写真見てもどこにあんのか分からんのでなんとも言えぬ。
バルティーBT-13バリアント(1日ぶり2機目・237機目)
T-6テキサンっぽく見えるけどもじつは違うバリアントさん。型番がBTなので中等練習機です。
前も書きましたがアメリカ陸軍の練習機は習熟度により操縦する機体とその型番を区別していました。初等練習機(Primary Trainer: PT)、中等練習機(Basic Trainer: BT)、高等練習機(Advanced Trainer: AT)の3段階です。思い出しましたか?
PTの代表格が上記のPT-19コーネルで、BT担当がBT-13バリアント、AT担当がAT-6テキサンです。今はT-6で親しまれているテキサンですが、AT-6と呼ばれていた時代もあったのでした。
飛行操縦中よく振動するクセがあった模様で、このことから「バイブレーター (Vibrator)」というあだ名を付けられています。単にクセをそのまま付けただけでなく、バルティー(Vultee)とバリアント(Valiant)の頭文字と掛けて付けられた可能性が高そうです。
この振動は失速寸前になると起きたと言われています。一見振動が起きるなんて欠陥に思えますが、これは失速警報の役割があったのではないかなと。なにせ操縦の未熟な訓練生ですので失速寸前に入ってもそれを気づかせるにはいい手だと思います。同時期の航空機にも方法は違いますが振動による失速警報があったといいますから、やはりそんなところじゃないかなぁと。
エアロデザインYU-9Aエアロコマンダー(1948年・238機目)
エアロデザインとは聞いたことのない会社ですが、ロックウェルの子会社だそうな。
日本でも新聞社や測量会社が一時期よく使っていて、引退後は各地の航空博物館に寄贈されたこともあり、実は日本でもおなじみの軽飛行機です。
これはアメリカ陸軍が使っていた機体で、Yナンバーが付いていることから試作機というか採用するかどうかの評価用の機体でしょうね。
なお空軍も同型機を採用していますがこちらはU-4と別型式。元は同じ釜の飯を食べてたのに仲良くない(?)ね。
コンベアC-131Dサマリタン(1947年・239機目)
コンベアの旅客機、CV240の改良型であるCV340の軍用型です。人員輸送、特に傷痍軍人の輸送に使われました。
サマリタン(Samaritan)というのはサマリア人のことですが、サマリアはパレスチナにある地名ですね。これだけだとわっけわからないですが、A good Samaritanという言葉があり、これが「情け深い人」や「慈悲深い人」という意味があるんだそうな。これが輸送する人間を考えるとこういう意味が含まれてると見ていいでしょうね。
CV240は機体規模はダグラスDC-3と同程度ですが予圧キャビンを装備しているのが特徴でした(DC-3は予圧なし)
日本でも旅客型が国内線で運用されていた時期がありました。それで、調べているとそのうちの1機が日本で現存しているというのでびっくりです。私有地っぽいのでここでは場所は伏せときます...。
ノースアメリカンSNJ-4テキサン(1日ぶり4機目・240機目)
どこにでもいるアイツことテキサンです。アメリカ海軍の機体なのでAT-6ではなくSNJと呼びます。偵察(S)兼練習(N)機でしたのね。Jはノースアメリカンの記号です。Jってノースアメリカンに掠りもしてないですけど、掠るような記号は既に埋まってたんでしょうね。
あとはもう特に書くことがないです。4機目ですし・・・(手抜き)
というところで今日はここまで。
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