青葉は、大日本帝国海軍の青葉型重巡洋艦のネームシップ。
青葉型重巡洋艦は、初の重巡洋艦である古鷹型の改良型であり、改古鷹型呼ばれたり姉妹艦衣笠ともども古鷹型に括られることもある。
半人力式の20cm単装砲6基に代わり機力装填の20cm連装砲3基が装備され、次弾装填の時間短縮につながった。
また、帝国海軍の艦としては初めて水上機用のカタパルトを装備している。
青葉は、三菱造船長崎造船所にて1927年9月20日に竣工。
従軍作家が乗り込んだ時期があり、作家曰く船員の勤務態度に感銘を受けたと同時に艦の居住性は劣悪だったとか。
日中戦争から戦闘に参加しており、太平洋戦争ではトラック諸島攻略戦、グアム島攻略作戦に参加。
しかし、1942年10月のサボ島沖夜戦では、米艦隊を味方の輸送船団と誤認する大失態を犯す。これにより青葉は大破、青葉と共に第六戦隊を組んでいた重巡古鷹は青葉を庇う形で撃沈、駆逐艦吹雪も米艦隊に1500メートルまで接近しておりその集中砲火を浴び轟沈、救援に向かった叢雲も米軍の空襲により撃沈した。
青葉は呉に帰投し修理を受け、ソロモン方面に再度進出したが、米軍機の爆撃により大打撃を被るが浅瀬に擱座しどうにか沈没を免れる。現地でサルベージし、トラックを経由して呉に帰投した。
二度目の修理後はシンガポールへの輸送任務に従事したもののまたもや大破し、1944年12月12日に呉に帰投。
三度目の修理を受ける予定だったが、損傷が大きく、修理してやるだけの資材も無かったため繋留される。
戦争末期には浮き砲台として米軍の空襲に対し奮闘したが、1945年7月24日に爆撃を受け、船尾を損傷し、大破着底したまま終戦を迎えた。その後、1947年7月1日に解体された。
というわけで、重巡青葉です。重巡洋艦を作るのは初めてで緊張しましたが、駆逐艦や軽巡が大きくなったみたいな感じで、パーツが大きい分むしろ作りやすかったと言えます。
しかし、駆逐艦などより密度が濃く、細かいパーツも多用されていたのでそこらへんはやはり大変・・・。
20cm連装砲大きい!駆逐や軽巡の大砲しか触ったことなかったので大きいと感じますね。
このゴテゴテ感がいいですね。作るの大変だったけど。
艦橋や煙突周りのこの密度の濃さが重巡の魅力なのではないかと思います。
零式水偵?知らない子ですね←
か、艦これでは艦載機装備してないし!
締切とかあったんで作る時間がありませんでした。すみませんでした。
次に作る赤城ではちゃんと航空機作りますので勘弁してください。
以上、青葉でした。
艦船モデルにもだいぶ慣れてきたので、そろそろ素組みからレベルアップして張り線を付けたいですね。手すりはちょっと・・・エッチングパーツが高いんで・・・遠慮しとこっかなぁ・・・ね?