終点の西鹿島駅に着きました。思っていたほど車窓に変化はなかったですかねぇ。
遠州鉄道の車庫があると同時に、天竜浜名湖鉄道との乗換駅になっています。
ちなみにこれで、静岡県下の未乗鉄道路線は大井川鉄道井川線の奥泉〜井川間のみとなりました。
どうにか夏中にケリをつけたいですね。
乗ってきた遠鉄の電車がちょうど天浜線と接続するやつだったので、時間を置かずに天浜線のTH2100形を撮影出来ました。逆光ですがコレはコレで。
後追いはどアップでちょっとそれっぽく。
10分ほどで下り列車も来るのでそれも撮影。今度は順光で撮れましたぞ。
天浜線ホームから遠鉄30形を見ます。
奥にいる編成は先ほど撮影したものですが、手前の編成は既に廃車か休車になっているのかだいぶ色褪せていて錆も浮いていました。
さぎの宮での撮影ではド逆光だった30形のラストナンバーも順光で撮影出来ました。
湘南顔と1000形の過渡期のようなデザインをしていますが、見たものに与える衝撃では3者の中で一番だと思います。
なかなか見たら忘れられなさそうな顔していますぜ。
西鹿島駅の駅舎。結構デカい。
なんとなく遠鉄バスのブルーリボンを撮影。
ひと通り見終わったところで西鹿島から撤退、新浜松駅に戻りますが途中の遠州西ヶ崎駅で下車します。
少し待って1000形を撮影した後・・・。
留置線に停められているED28形電気機関車を見学します。
このED28-2は、豊川鉄道が1925(大正14)年に英国イングリッシュ・エレクトリック社から輸入した電気機関車で、1959(昭和34)年に遠州鉄道に譲渡されました。現在では夜間の工事列車の牽引機を務めています。
英国電気機関車、こんなに簡単に見られるとは思わなかった。いわゆる凸型電機ですが、ずいぶんと細い印象ですね。
工事列車で牽引されるホキ。国鉄浜松工場製です。ED28よりも大きな貨車というこのアンバランスさ、ですね。
この箱型の保線モーターカーも気になりましたね。
かわいらしい。
西ヶ崎駅から撤退して、今度は遠州病院駅で下車。そこから歩いて浜松城へと向かいます。
地元の城、駿府城と違って小高い山の上にあるのでちと迷いましたね。
浜松城の天守へとやってきました。あちぃ(気温が)。
浜松城は今川氏によって築城されたものですが、今川氏が衰退すると徳川家康により攻略され、以降家康の拠点となります。
ちなみにこの頃起こったのが、家康と武田信玄がぶつかった1573(元亀3)年の三方ヶ原の戦いです。敗走している時に家康がクソ味噌を漏らしたり逃げ帰った浜松城で空城の計をしたりしたアレですね。
その後1586(天正14)年に家康は本拠地を浜松から駿府へ移し、ここを去りました。
その後、様々な城主がここを治めていきましたが、その多くが後に老中を始めとした幕府の重役になっていったことから「出世城」の別名があります。
2014年の4月に、天守門が復元されました。
浜松城の天守門は天守を囲む石垣の一角に造られた木造平屋建て。上部に櫓があり、内部は復元の模様を映像で紹介する展示室になっています。
後述する天守閣と違ってちゃんと当時の工法で復元されているようです。
櫓内。まだ木材のいい香りがします。
なぞの祠。鳥居が3つもあるということは結構な神様なんでしょう(小並感
天守閣と天守門と。天守門が石垣沿いに建てられているのでどうしても真横に来てしまうのはしゃーない。
続いて天守閣に入りますが・・・あっ(察し)。
浜松城の天守閣は江戸時代初期には取り壊されていたそうで、現在はこの模擬天守が建てられています。
しかしまあ、ここまでコテコテに模擬模擬しているとは思いませんでした。ていうか模擬天守に入ったことってほとんど無いか初めてなので、かなり衝撃強かったです。これじゃあB級観光地じゃあないか。
最後に天守門を表から。正面から撮るのは無理です。
その3へ→