【川崎銀行本店】
川崎銀行本店は、当時の銀行・会社の本店建築の中でも本格的銀行建築です。
鉄筋コンクリート造、外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38メートル、高さ約20メートルでした。
移築の際には、正面左側角の外壁部分が明治村へ移築されました。
巨大な川崎銀行本店のほんの一部が保存されています。無いよりはマシとはいえね。
あと、裏に回ってみるとハリボテでした。
【内閣文庫】
内閣文庫は、赤坂離宮内に1873(明治6)年に開設された明治政府の中央図書館です。
1971(昭和46)年に国立公文書館が設立されるまで、内外の古文書研究家に広く利用されました。
その蔵書は、和漢書籍、旧徳川幕府ゆかりの書籍を中心とし、さらに明治政府が集めた古文書・洋書を加えた貴重な内容です。
建物は本格的なルネッサンス様式のデザインです。特にその姿は古代ギリシャ・ローマの新殿建築を連想させます。
館内は書物があるわけではなく、紙で作った近代建築物のミニチュアが展示されていました。とても緻密でした。
【鉄道寮新橋工場】
機関車修復所として建てられた建物で、鋳鉄柱をはじめ外壁の鉄板、サッシ等、全ての材料をイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建設されました。
工場内には鉄道とは関係ない別の機械が保存されています。
【リング精紡機】
リング精紡機は、アメリカのジョン・ソープにより考案された綿紡績の最終工程に使用される機械です。
特にプラット社製のリング精紡機は、当時の紡績機械の中で最も優秀なものといわれました。この機械は三重紡績会社で使用され、日本の近代化に大きく寄与しました。
他にもいくつかの機械がありましたが省略。
【尾西鉄道蒸気機関車1号】
尾西鉄道開業時に、アメリカのブルックス社から輸入した機関車です。形式は2B1のタンク式です。尾西鉄道は名古屋鉄道の前身で、名古屋鉄道に所属していた時もありました。その後、新潟県の信越本線二本木駅に隣接する日本曹達株式会社内の工場専用機として稼働していました。
煙室扉がアメリカっぽいですよね(小並感
【ハワイ移民集会所】
日本人牧師岡部次郎氏によって日本人のために建てられた教会で、その後教会の役目を終えると現地の日本人の集会所となり、さらに現地の英字新聞社の倉庫として使われていていました。
その頃は姿がかなり変わっていたが、その後の調べで古写真が発見されたため、屋根を創建時の姿にもどし、建物周囲の柵や入口の橋などを補いました。
明治村では珍しい海外の建築物です。
【ブラジル移民住宅】
日米紳士協約によりアメリカへの新規移民に制約を受けるようになると、代わって南米への移民が開始されるようになりました。笠戸丸ではじめてブラジルへと渡航し、サンパウロ周辺でコーヒー栽培に従事しました。その後もブラジルへの移民は年々増加し、昭和初年の最盛期にはその数は年間二万数千人にも及んだといいます。
この建物はある日本人移民が、密林を拓いて造った家の一つです。小屋組、継手、仕口等には和風の工法が使われている一方、二階に設けたベランダや、片開き板戸を付けた窓、スペイン瓦を葺いた屋根等、土地の風土も取り入れています。
おおまかなレイアウトは一昔前のアパート住宅とよく似た感じです。
京都市電の終電を撮影します。そう、もうなんだかんだで閉園時間です。
全部は回れなかったですね。また来たいと思います。
明治村から離脱。門前に停まっていたのは近代的なエアロスター。現代に戻ってきたのです。
というわけで、名鉄バスのエアロスタートップドア仕様で名鉄バスセンターと向かいます。
見た目は路線バスですが座席は高速バス仕様です。
到着。通りすがらバスを撮影していきます。
基幹バスのエアロスター(ゲテノン)。やっぱりドアの上を黒く塗りつぶせばゲテモノ感は薄まるもんですね。
三重交通のガーラ。伊賀上野行きの高速バスです。
名古屋でラーメン食べようということになったんで、じゃあ台湾ラーメンだよねということに。
やたら辛かった。
この後は岐阜に移動してそこにあるホテルで一泊。
駅からバスに乗り換えるほど遠いのですが、そのせいか結構豪華でした。これで並みのビジネスホテルくらいのお値段だったかな?
深夜アニメ見ながらだらだらしてました。ニセコイだったかな?
こんな調子で初日終了です。
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