加悦SL広場の続きです。
遠州鉄道ト400形無蓋車ト404。
1923(大正12)年大阪梅鉢鉄工所製。2000(平成12)年に廃車になり、加悦鉄道保存会に譲渡。
加悦鉄道でニッケル輸送をしていたト1形に酷似していることから譲り受けたのだとか。
ハ20形客車ハ21。
1893(明治26)年逓信省鉄道庁新橋工場製のハ4975形ハ4995の台車台枠を流用し、1935(昭和10)年に北丹鉄道にて車体を新製した。
よくある機器流用車ですが、車体は昭和、台枠は明治製とスケールが違います。松葉スポーク車輪を履いているのもポイント。
ハ21の車内。
座席の横幅は狭いし背もたれも低いし、現代人の体格ではとても乗れたものではなさそうです。昔の日本人の体格の小ささが窺えます。
ワブ形有蓋荷物緩急車ワブ3。
1916(大正5)年大阪梅鉢鉄工所製。新製時はト1形ト2だったが、1943(昭和18)年に有蓋貨車に改造。形式名を現在のものに改番。1968(昭和43)年には輪軸をワブ2のものと取替。
ただの貨車だと思ったら奥に車掌室?っぽいのがありますね。
ヨ2000形車掌車ヨ2047。
1937(昭和12)年汽車製造製。国鉄の標準的車掌車。福知山・西舞鶴に配属され、1980(昭和55)年廃車。以後、展示用として借用している。
急に思い立ってお昼ごはんを食べることに。広場横の電車改造の蒸気屋という食堂に入ることにしました。
電車っぽ~い内装ですが、おそらく建て直しているかと・・・。
ペスカトーレ(だったかな?)を注文しました。美味しかった。
またここに来たら寄ろうかな?
南海電鉄1201形モハ1202。
1934(昭和9)年天下茶屋工場製。17m級木造車に代わる高性能18m級鋼製車として登場。1995(平成7)年まで貴志川線で活躍した。
南海電鉄の古い車。こっちも食堂の一部になっていますが(外板は)あまりイジられてないです。
東急電鉄3000形サハ3104。
1925(大正14)年藤永田造船所製。新製時は電動車だった。加悦SL広場譲渡後は、キハ083稼働までの繋ぎとして3年間稼働。
休車後は休憩車・食堂化に合わせて車体を大改造した。
東急3000形グループの一員なわけですが、車体はどこがオリジナルなのか分からないくらいに手を入れられています。残っているのは台枠と屋根くらいじゃないでしょうか?
出来ることなら車体そのままにしておいて欲しかったんですけどね。まあ仕方ないことです。
キハ08形気動車キハ083。
1955(昭和30)年国鉄苗穂工場にてオハ62-130を鋼体化改造。1962(昭和37)年同所にて気動車化改造。当初の型式はキハ40だった。配属は釧路。
1971(昭和46)年に国鉄から加悦鉄道に譲渡され、加悦鉄道廃線時のさよなら列車に充当された。
今日はこれを見に来た!と言ってもいいくらい見てみたかった車です。自走できない客車にエンジンと運転台を積んで走らせようというゲテモノ客車改造気動車です。おおキモイキモイ。
結局この試みは成功しなかったわけですが、運良く加悦鉄道に譲渡された車両が現在も保存されているという大変貴重なものです。
模型で作ってみたいですね。
再び園内へ。取りこぼした車両を回収します。
ハ10形客車が車庫内で修繕中でした。
転車台。
昔からここにあったものなのか、どこからか移築したものなのか?
40900形気動車キハユニ51。
1936(昭和11)年日本車輌製。芸備鉄道が発注したものだが国有化により国鉄キハニ40921に改番。
その後舟木鉄道を経て1962(昭和37)年に加悦鉄道へ譲渡、キハ51へ改番し、加悦鉄道廃線まで活躍した。
かご付き客車その2。キハユニってことで荷物室と郵便室も付いています。
恐ろしく簡便な運転台。ブレーキはブレーキハンドルもあるけど手ブレーキって・・・。
客室はロングシート。
荷物室と郵便室。
DC350形ディーゼル機関車DC351。
1956(昭和31)年汽車製造製。南部鉄道が発注。1967(昭和42)年に加悦鉄道が貨物機として導入。
この中では大きめのDLです。
キハ10形気動車キハ10-18。
1956(昭和31)年帝国車輌製。国鉄の大量輸送気動車の草分け。後年加悦鉄道に譲渡され、廃線まで活躍。
貴重なキハ10系です。キハ20系よりもやや角が角ばった車体が見分けるポイント。なんと抽象的な・・・。
バス窓の車両も随分とご無沙汰かほぼ初めて見たのかもしれないですね。
試乗車の入換が済んでいて、キハ101が走行線に入っていました。機関も回っていていい感じでした。
こっちにも乗りたかったのですが、帰りのバスの時刻と重なってしまうため、泣く泣く断念。それにもうバスの時刻が迫ってきていたので、ここから撤退することに。
メジャーな鉄道博物館と比べるとディープな世界でしたが、ここだけにしかない保存車がたくさん置かれていてとても楽しい施設でした。
地方私鉄でこれだけの量を収蔵している施設もめったに無いですから、これからの活動も楽しみにしています。また来てみたいと思います。
田野口駅に戻ります。
帰りのバスはエルガミオでした。
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遠州鉄道ト400形無蓋車ト404。
1923(大正12)年大阪梅鉢鉄工所製。2000(平成12)年に廃車になり、加悦鉄道保存会に譲渡。
加悦鉄道でニッケル輸送をしていたト1形に酷似していることから譲り受けたのだとか。
ハ20形客車ハ21。
1893(明治26)年逓信省鉄道庁新橋工場製のハ4975形ハ4995の台車台枠を流用し、1935(昭和10)年に北丹鉄道にて車体を新製した。
よくある機器流用車ですが、車体は昭和、台枠は明治製とスケールが違います。松葉スポーク車輪を履いているのもポイント。
ハ21の車内。
座席の横幅は狭いし背もたれも低いし、現代人の体格ではとても乗れたものではなさそうです。昔の日本人の体格の小ささが窺えます。
ワブ形有蓋荷物緩急車ワブ3。
1916(大正5)年大阪梅鉢鉄工所製。新製時はト1形ト2だったが、1943(昭和18)年に有蓋貨車に改造。形式名を現在のものに改番。1968(昭和43)年には輪軸をワブ2のものと取替。
ただの貨車だと思ったら奥に車掌室?っぽいのがありますね。
ヨ2000形車掌車ヨ2047。
1937(昭和12)年汽車製造製。国鉄の標準的車掌車。福知山・西舞鶴に配属され、1980(昭和55)年廃車。以後、展示用として借用している。
急に思い立ってお昼ごはんを食べることに。広場横の電車改造の蒸気屋という食堂に入ることにしました。
電車っぽ~い内装ですが、おそらく建て直しているかと・・・。
ペスカトーレ(だったかな?)を注文しました。美味しかった。
またここに来たら寄ろうかな?
南海電鉄1201形モハ1202。
1934(昭和9)年天下茶屋工場製。17m級木造車に代わる高性能18m級鋼製車として登場。1995(平成7)年まで貴志川線で活躍した。
南海電鉄の古い車。こっちも食堂の一部になっていますが(外板は)あまりイジられてないです。
東急電鉄3000形サハ3104。
1925(大正14)年藤永田造船所製。新製時は電動車だった。加悦SL広場譲渡後は、キハ083稼働までの繋ぎとして3年間稼働。
休車後は休憩車・食堂化に合わせて車体を大改造した。
東急3000形グループの一員なわけですが、車体はどこがオリジナルなのか分からないくらいに手を入れられています。残っているのは台枠と屋根くらいじゃないでしょうか?
出来ることなら車体そのままにしておいて欲しかったんですけどね。まあ仕方ないことです。
キハ08形気動車キハ083。
1955(昭和30)年国鉄苗穂工場にてオハ62-130を鋼体化改造。1962(昭和37)年同所にて気動車化改造。当初の型式はキハ40だった。配属は釧路。
1971(昭和46)年に国鉄から加悦鉄道に譲渡され、加悦鉄道廃線時のさよなら列車に充当された。
今日はこれを見に来た!と言ってもいいくらい見てみたかった車です。自走できない客車にエンジンと運転台を積んで走らせようというゲテモノ客車改造気動車です。おおキモイキモイ。
結局この試みは成功しなかったわけですが、運良く加悦鉄道に譲渡された車両が現在も保存されているという大変貴重なものです。
模型で作ってみたいですね。
再び園内へ。取りこぼした車両を回収します。
ハ10形客車が車庫内で修繕中でした。
転車台。
昔からここにあったものなのか、どこからか移築したものなのか?
40900形気動車キハユニ51。
1936(昭和11)年日本車輌製。芸備鉄道が発注したものだが国有化により国鉄キハニ40921に改番。
その後舟木鉄道を経て1962(昭和37)年に加悦鉄道へ譲渡、キハ51へ改番し、加悦鉄道廃線まで活躍した。
かご付き客車その2。キハユニってことで荷物室と郵便室も付いています。
恐ろしく簡便な運転台。ブレーキはブレーキハンドルもあるけど手ブレーキって・・・。
客室はロングシート。
荷物室と郵便室。
DC350形ディーゼル機関車DC351。
1956(昭和31)年汽車製造製。南部鉄道が発注。1967(昭和42)年に加悦鉄道が貨物機として導入。
この中では大きめのDLです。
キハ10形気動車キハ10-18。
1956(昭和31)年帝国車輌製。国鉄の大量輸送気動車の草分け。後年加悦鉄道に譲渡され、廃線まで活躍。
貴重なキハ10系です。キハ20系よりもやや角が角ばった車体が見分けるポイント。なんと抽象的な・・・。
バス窓の車両も随分とご無沙汰かほぼ初めて見たのかもしれないですね。
試乗車の入換が済んでいて、キハ101が走行線に入っていました。機関も回っていていい感じでした。
こっちにも乗りたかったのですが、帰りのバスの時刻と重なってしまうため、泣く泣く断念。それにもうバスの時刻が迫ってきていたので、ここから撤退することに。
メジャーな鉄道博物館と比べるとディープな世界でしたが、ここだけにしかない保存車がたくさん置かれていてとても楽しい施設でした。
地方私鉄でこれだけの量を収蔵している施設もめったに無いですから、これからの活動も楽しみにしています。また来てみたいと思います。
田野口駅に戻ります。
帰りのバスはエルガミオでした。
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