プレーンズ・オブ・フェームも終盤戦です。
最後の格納庫である「ジェット機とレース機の格納庫」へ。
その他大勢を全部詰め込んだような格納庫でして、内部はとても密度が高い・・・つまり画角が限定されて見にくいわけであります。
ロッキードT-33Aシューティングスター(40分ぶり3機目・通算171機目)
博物館の常連。胴体が前後二分割されています。
機体の経歴はよく分かりませんが、動態保存機ということでエアショーの時は飛行できるようです。
マイルス&アトウッド スペシャル(172機目)
1933~1937年の間に飛行していたレース機の原寸大レプリカです。1934年のグリーブ杯優勝などの記録を持つ機体でした。
1937年にエアレースの予選で墜落してしまい、パイロットのリー・マイルズ共々機体は失われていまいました。
カーチスR3C-2(173機目)
レース機の中でも有名な機体のひとつでしょう。
1913~1931年に開催されていたエアレース、シュナイダー杯レースに参加した機体です。
フランス人発案のレースですが、優勝争いはもっぱらイギリス、イタリア、アメリカの3カ国でした。過去5年間に3回優勝した国が優勝杯を永久所有できるというルールでして、1931年にイギリスが3連覇してその権利を獲得、レースは終了となりました。優勝杯はロンドンの科学博物館に置いてあるそうな。
レース機なのに重い下駄を履いた水上機なのは、この時代には短距離離陸のためのフラップがまだ普及しておらず、さらに翼面荷重の大きいレース機なので、滑走距離は長大になってしまいます。そうなると陸上の滑走路では支障が出てしまうので、いくらでも滑走できる水上の方が高速機には都合が良いのでした。
空力的には不利な下駄を履いていましたが、それでも航空機最速を決める大会として認知されていて、実際チョッパヤだったようで。
アメリカは今でこそ航空機産業の先進国ですが、当時はまだ後進国でした。そんなアメリカに1925年大会の優勝をもたらした機体です。なお優勝は2度めで最初の優勝は1923年大会でカーチスCR-3によるものでした。
この時のR3C-2のパイロットはあのジミー・ドゥーリットルでして、後に空母からB-25を発艦させて東京に嫌がらせ爆撃することになるアイツなのです。あの東京空襲は「あの有名なドゥーリットルが成功させた作戦」としてアメリカ国内で宣伝して戦意高揚させる側面もあったわけですよ。それにしたって無茶な作戦やらせて戦死したらどーすんねん・・・。
この機体は原寸大レプリカですが本物も現存していて、こちらは例によってスミソニアンが抑えています。ワシントンDC行かなくちゃな・・・。
余談ですが映画「紅の豚」に出てくるカーチスの操る青い水上戦闘機はこれがモデルでしょう。
ジービーR-1(174機目)
小さい身体に大きなエンジンという方針で造られた、極端に寸詰りな形状が目に焼き付くジービーのレース機のひとつです。個人的には結構好き。
R-1はその前身であるZ形が事故で失ったことを受け改良したものです。Zは緩んで外れた燃料キャップが風防を貫通してパイロットに直撃して墜落したとされているので、キャップを内蔵式にして風防も強化したとか(なんでそんなこと分かるのと言うと記録映画の撮影をしていたフィルムを解析したそうな)
あとはZよりもやたら胴体が太くなっています。Zは以前に見たことがありますが、ずいぶんとデブになったもんだ。比較対象物がないのがアレですが、風防の大きさはそうは変わらんだろと思うので、そこで比較してもらうと大きさが実感できるかと。
エンジンはP&W R-1340でして、P-26ピーシューターなんかに使われていたやつです。
ステータスを素早さに全振りした機体なのでよく墜落する機体です。だいたい全部墜落してしまったために現存機がないとまで言われるほどで、これもレプリカです。
トンプソン杯の1934年大会で優勝した時の塗装だそうで。ちなみにその時のパイロットはジミー・ドゥーリットル。ドゥーリットルさん、この機体でも優勝していているんですよ。エアレースで名を売っていたというのが分かるかと。
ハワードDGA-5アイク(175機目)
全く知らん機体で、1932年初飛行らしい。ベンディクス杯、トンプソン杯、グリーブ杯で優勝経験もあるということで性能が良かった他、並み居る殺人機の中でも安全なレース機だったようでこれに乗って死んだパイロットは居ないとか何とか。
この機体は本物なんだそうな。
マッキM.39(176機目)
シュナイダー杯1926年大会優勝機です。弊ブログでは珍しいイタリアの機体です。
なんだか上記のR3C-2とよく似ているなぁ・・・パクリの匂いがしますが実際に前大会優勝のR3C-2を真似たそうで。これより前は飛行艇で参戦していたので、大きな方針転換です。ただし、R3C-2と異なり単葉なのですね。これは前大会参加機のM.33からのこだわりっぽいです。
何せここまでアメリカが2連覇していて優勝杯の永久所有に王手が掛かっているわけですから、イタリアもよほどマジになってたと思われ。シュナイダー杯は第一次世界大戦で中断していた時期があったんですが、再開後は国家の威信をかけたエアレースとして盛り上がりを見せます。ちょっとみんな暴走してやないか?という具合に3カ国とも傾倒していきました。
M.39もその熱気に推されて造り出されたんだろなと。
これはレプリカで、本物はちゃんとイタリアに保存されています。
余談ですがこれがモデルになった水上戦闘機も「紅の豚」に出ているそうな。
ウィリアムズW-17スティンガー(177機目)
何も知らない機体・・・。
名前も分からない機体でした(178機目)
ミコヤン・グレビッチMiG-21R(1955年・179機目)
ソ連の有名な超音速ジェット戦闘機です。チェコで使われていた機体だそうな。R型なんてあったかな?と調べてみると偵察型なんですね。
周りがごちゃごちゃしていて、ジープにスペースシャトルの模型に飛行機模型のショーケースにと、とっ散らかっています。見にくい・・・。
これも知らない機体(180機目)
W-17と似たような形していますが調べる気が起きないのでパスってことで(手抜き
知らない機体(181機目)
バブルキャノピーにドーサルフィン無しって直進安定性大丈夫なのかな?とか思うんですけど、案外いけたのかな?
ドゥペルデュサン モノコック(182機目)
ドゥペルデュサンはフランスのメーカーです。シュナイダー杯の1913年大会、つまり第1回大会の優勝機です。負ける気せぇへん地元やし。なお次回以降は一度も勝てんかった模様。
名前通りモノコック構造の木造機です。そう言えばモノコックはフランス語だったね。これがモノコック構造の最初の採用例なのかも。
これはシュナイダー杯用の水上機ですが先行して陸上機も造られていて、こちらは世界初の200km/h突破機だったそうな。
この約15年後にはイギリスのスーパーマリンS.6が最高速度450km/hを出すわけで、進歩の早さがスゴいと。シュナイダー杯が与えた航空技術の発展はすごいものがあるのだ。
機体は例によってレプリカです。おフランスの博物館では陸上機が展示されているんでザマスの。
ミコヤン・グレビッチMiG-15(15分ぶり3機目・通算183機目)
北朝鮮塗装のMiG-15です。サブタイプは分からず。
風防の辺りに書かれているパイロットのサインはロシア人の名前であり、あーなるほどね、と。
ノースアメリカンF-86Eセイバー(15分ぶり3機目・通算184機目)
E型は水平尾翼が全遊動式になったやつです。水平尾翼全体が可動するやつです。
A型で使われていた従来の舵面のある尾翼だと、超音速に近い速度で飛行すると水平尾翼の前縁で発生した衝撃波により舵面ではほとんど空気がない空回り状態になってしまい操縦が効かなくなってしまうので、その対策です。
黄帯が機体に巻かれているので、朝鮮戦争の時代を想定した塗装と思われ。
POFには飛行可能なF-86もいますが、これは静態保存機です。
今日はここまで。次回でようやくPOFおよび2日目が終了です。
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