引き続きオレンジエンパイア鉄道博物館を見学します。
園内には区画分けされた道路があって、やけに立派というか広い。アメリカ的だな。
Source of map: Orange Empire Railway Museum (http://www.oerm.org/grounds-map/)
今いる場所を説明しづらいので園内の地図を引用しました。屋外式の博物館で、敷地がやたら広いのが分かるかと。
今立っているのがBroadwayという南北に走る道路です。
広場みたいなところに置かれているカブース。1980年代まで使われていた貨物列車の最後尾に連結して車掌が乗務する緩急車です。
多くのカブースが一斉に放出されたという事情もあるのか、どこの博物館でも見かけることが出来る他に町や駅のシンボルとして置いたり店舗に改装されたりする例もあり、アメリカでは身近な保存車であると言えます。
これも施設用に改造された口で、周りの広場も含めて屋外パーティなんかで使えるようになっているようです。
地図でいうと8番の位置です。
サザンパシフィック鉄道#374カブース(1947年アメリカン・カー&ファウンドリー製)
こっちもカブースですが、通常とは異なる形態の車両です。
カブースにはキューポラという覗き窓があって、そこから前方に連結されている貨物列車の貨車を監視します。このキューポラは上記のカブースのように天井に飛び出すように付けるのが一般的です。
一方このカブースは車体側面から出窓のように張り出ているのが特徴です。これはベイウィンドウ式と呼ばれています。ベイウィンドウ式は少数派なので、私も初めて見ました。
カブースも形種類がいくつもあって、覗き窓の形態、車体材質、車体長、さらに合造車もありますから、これだけで薄い本が一冊書けます。
アメリカ陸軍有蓋車(番号不明)
表記類がほぼ剥がれきっていますがUnited States Armyと読むことが出来、つまりアメリカ陸軍所有の貨車ということです。
実際にアメリカ軍は自前で蒸気機関車、貨車、客車などを持っていた時期がありました。
ところで手前に置いてあるピストンはなんでしょうかね・・・。
アメリカ海軍#61-02480有蓋車(1942年GATC製)
こっちはアメリカ海軍の有蓋車です。陸軍はオリーブドラブですが海軍は銀色の塗装だったんですね。
GATC; General American Tank Car Companyは、前回出てきたタンク車の所有者GATXの子会社でGATXの車両製造部門です。
ちょっとした貨物側線ですね。架線が張られているので路面電車も通行できるのでしょう。
分岐器がダブルスリップスイッチなのが地味にすごいなと。
以上の貨車は2番の東側の留置線にあります。
そこからさらに南下して地図上18番の留置線へ。その北側に沿う道路を歩きます。
この博物館、留置線を合計3個ばかし持っていて、使える土地面積がとにかく広いという日本のそれでは到底叶えられない要素があるのがアメリカの保存鉄道のいいところのひとつですよね。
一見有蓋車ですが、その実は冷蔵機能を持ったパシフィックフルーツエクスプレス(PFE)#453606冷蔵有蓋車(製造年不明)
日本で言うところに「レ」であり、英語ではリーファー Reefer と呼びます。車体左側に冷蔵装置のためのスリットがあるのが分かるかと。
密閉のため扉が物々しかったり冷蔵装置用の燃料タンクが床下にあったりと独特の装備もあります。
PFEは1907年創立の冷蔵車の運用とリースをする会社で、ユニオンパシフィック(UP)とサザンパシフィック(SP)の合弁会社でした。
初っ端から6,600台の冷蔵車の運用を開始しています。さすがアメリカ、桁が多い・・・。最盛期には4万台の貨車を持っていたと言いますから、アメリカ人の胃袋はすごいもんだ。
貨物は名前通り果物や野菜であり、西部で生産した青果類を東部へ輸送するのが主な役割だったとかで。
1978年にPFEはUPとSPに分割され、その時に報告記号がPFEからUP所属はUPFEに、SP所属はSPFEにそれぞれ変更されました。SPも今はUPに吸収されていますので、SPFEもUP所属ということに。
どこの馬の骨とも知れない貨車移動機。貨車移動機と言っても日本のそれよりは図体がでかい。
部品取り車なのか、エンジン部が抜かれています。
ユニオンパシフィック鉄道#25129カブース(1944年PC&M製)
標準的な形態の鋼製カブース。CA-4形という型式だそうな。しかしおもちゃみたいな色だ。
元の車番は#3829で、1959年4月に現番へ改番された模様。1980年4月廃車。その前月に脱線したそうなので、となるとこれ事故廃車ですね・・・。その割に見た目は良好なのが気になりますが。
ところでさっきから第二次世界大戦中に製造された車両が出てきています。戦争中にも貨車をドカドカと造れていたのかしら。
サンタフェ鉄道(ATSF)#2602座席荷物合造車(1923年プルマン製)
1台の客車に2種類以上の機能を持つ客車のことを合造車と言いますが、アメリカ英語ではコンバイン Combine と言います。組み合わせは何種類もありますが、一般的なのはこのような座席/荷物の組み合わせです。日本で言うところの「ハニ」です。
これは座席より荷物室の比率が大きいやつです。合造車の客室は乗客を乗せる目的で設けたものもあれば、乗務員の休憩所として使われた例もあります。これは運用側によって異なるので、各自研究してみてください(丸投げ
トーマスペイン#800通勤座席車(1953年CC&F製) ※CC&F; Canadian Car &Foundry
謎客車。都市近郊の通勤客車っぽい見た目をしています。
報告記号にはTPHXと書かれていて、これはThomas Payne Holdings Inc.の所有だったようで、カナダ モントリオールの通勤列車に使われていたとの記述がネットで散見されます。
モントリオールの列車でなおかつ水色と青の塗装というとモントリオールの公営交通AMTしかないわけですが、AMTは1995年設立ですからどうもちぐはぐだ。
仮説としては、#800客車はTPH所有で、通勤列車の運行はカナディアンパシフィック鉄道に委託していたのではないかと。その後1995年にカナディアンパシフィックとカナディアンナショナルから同社が運行していたモントリオール都市圏の通勤列車を分離・統合してAMTが発足したわけですが、その際に#800も継承されてAMT塗装をまとって近年まで使われてたんじゃないかなと。
#800以外にも#821等数台がここに保存されている模様。
サザンパシフィック鉄道U25B形ディーゼル機関車#3100(1963年GE製) ※GE; General Electric
アルコの機関車には見えないからGM-EMD製かなと思ったらGEでした。
GEは1953年までアルコと提携して機関車製造していましたが同年に独立、そして1959年のまだ機関車製造の駆け出しだった頃のGEが独立後初めて造り出したディーゼル機関車がU25B形です。あだ名はUボート、Uちゃん。
競合他社の同世代機よりも強力な馬力と保守作業の省力性の高さが売りで、これの販売によりGEは業界2位のアルコを抜き去ったのです。
生産数は7年間で476機で、やや少なめな感じ。U25B形の売れ行きに泡食った業界1位のGM-EMDは対抗馬のGP30形を開発してこれがバカ売れしたので(2年間で948機)思うように伸ばせなかったかと。
GEにとっては記念的な機関車なわけですが保存車には恵まれず、片手で数えられる数しか残っていないようです。
SP3100号機は全米でも唯一のU25Bの動態保存機で貴重な存在です。イベントの時には客車を引っ張って博物館の来場者を楽しませます。
UPの客車。黄色い客車というとUPくらいしか思い浮かばないので一発で連想できます。上下の細い赤帯が黄色を引き締めますね。
客車の奥にある車庫(地図上の4番)には動態保存車両が眠っているはずですが、見せてくれるような感じではなかったです。SPの蒸気機関車等が入っていると思われ。
ユニオンパシフィック鉄道#1530ドミトリー寝台/クラブ車(1924年PC&M製)
1924年製にしてはずいぶんと近代的で、1950年代製みたいだ・・・と思ったら1954年に更新工事を受けて延命化されたそうな。たぶん車体更新したんじゃないかな。
ドミトリー寝台というのは、名前通りでしてドミトリー形態の区画を持つ寝台のことです。手持ちの資料では該当するものが無かったので正確さは欠けますが、ホステルのドミトリー同様比較的広い区画に寝台が3つ以上(たぶん4つ?)あるのではないかと?2個寝台だとダブルベッドルームになるはずなので(ツインルームとは呼ばないそうだ)
クラブカーというのはバーカー(bar car)の別名で、アルコールや軽食を提供するカウンターのあるところです。かつての長距離列車では必須でした。
ちなみにコンテナに隠れて見えないその右に連結されているのは、UPの#542座席車(1926年PC&M製)です。座席車ってCoachの他にChair carとも書くんですね・・・。最初戸惑いました。
この奥にも線路と保存車が広がっているんですが、これより先は立ち入れない感じだったので近寄るのはやめました。
というところで今日はここまで。