8月16日(金) 4日目(最終日)
第35走者:南海フェリー第3便 徳島港3:00→和歌山港5:10
いよいよ南海フェリーに乗船です。南海フェリーは初めて乗ります。
スピード乗船しコンセントを確保、いろいろ充電します。乗船時間は2時間ちょっとと短いですが、少しでも寝ておきます。カーペットで寝るのには慣れています。
早朝5時に和歌山港へ到着。本土へと戻ってきました。
船体にも阿波野さんと高野さんが描かれていたとは。
和歌山港のフェリーターミナル。ここからは南海電車が発着していてフェリーとの接続が図られていますが、第3便はそれが無く1時間ほど待たされます。
待っていても時間の無駄なので、ひと駅先の和歌山市駅まで歩いて移動します。
50分くらい歩いて和歌山市駅に到着。遠い・・・。
和歌山市駅は南海本線の終着駅とあって規模が大きいです。ここから和歌山港駅まで伸びているのは和歌山港線という支線。
ちなみに南海電車の他にJR紀勢本線も乗り入れています。ただし影が薄いので乗りつぶしでも疎かにされがちらしいです。
第36走者:南海本線特急「サザン」2号(7000系+10000系) 和歌山市6:06→泉佐野6:33
和歌山市駅からは南海電車の特急「サザン」に乗って大阪方面を目指します。
「サザン」はクロスシートの座席指定車とロングシートの自由座席車を連結している珍しい列車です。他には名鉄の特急が該当しますね。
乗ったのは自由席車両の7000系です。古いもので1963年製と50年現役を続けている塩害魔王古参車両です。関東ではここまで使い込みませんねぇ。
第37走者:南海本線普通(1000系) 泉佐野6:35→貝塚6:42
泉佐野駅で普通電車に乗り換え。
貝塚駅でまた乗り換えます。
第38走者:水間鉄道(1000形) 貝塚6:50→水間観音7:04
乗り換えたのは水間鉄道です。貝塚〜水間観音5.5kmを運営する小さな鉄道です。一時は水間観音への参詣鉄道としてにぎわいましたが、色々あって会社更生法を適用、新生水間鉄道として再出発しました。
乗ったのは1000形で、元東急7000系の改造車です。当初は東急時代と同じ7000系を名乗っていましたが、更新工事を行い今の形式に改められました。今乗った編成は先頭車化改造車です。他社の譲渡車でもおなじみですね。
車内はほぼ原型っぽいですね。
終点の水間観音駅に到着しました。距離は短いですが、駅が多いのでそこそこ時間はかかりました。
車両基地も併設されていて、原型顔の1000形もいました。更新工事でスカートがついたり窓ガラスが金属支持になったりで結構異端。
水間観音駅の駅舎はこのような感じ。駅名の由来になった水間観音をイメージしたものになっています。
駅名標が「水間駅」になっていますが、以前はそのような名前だったのです。
駅の横には1000形の一世代前の車両である501形が保存されています。
元南海1201系で、赤とクリームの塗装のまま保存されています(以前はクリームに三色帯の末期の姿だったようです)。
501形の奥にある車両基地をのぞいてみると、1000形に改造されなかった休車状態の7000系がいました。
貫通扉のロゴマークを除けばほぼオリジナルに近い印象。
せっかくなので歩いて10分くらいのところにある水間観音まで足を運んでみました。ちょうど縁日があったらしく、ごちゃごちゃしていました。水間観音は正しくは水間寺と言うそうです。
聖武天皇(当時42歳)が病気になったとき、「この奈良の都より西南の方角にあたって観世音菩薩がご出現なされる。よってこの観世音の尊像を都にお供をしてご信仰申せ」という夢のお告げをたよりに仏像を探すことにしました。
その時勅命が下ったのが生き仏として庶民から信頼されていた行基菩薩でした。奈良を出発して水間に着いた行基菩薩は、約6cmの閻浮陀金の聖観世音菩薩を見つけて天皇に捧げたところ、病は全快したといいます。
そして、この仏様を現地で祀るよう行基菩薩に勅命をだし、堂宇を建立し厄除け観音として信仰されるようになり現在の水間寺に至ります。
こちらは本堂。天正13年(1585年)に建立されるもその後全焼し、現在の本堂は文政10年(1827年)に再建されたもの。聖観世音菩薩が祀られていますが、通常は非公開です。
三重塔は、天保5年(1834年)に再建されたもので、明治以前に建てられた大阪府内唯一の三重の塔である。釈迦仏像が祀られているとのこと。
まだ朝だったので中は見ないで境内をふらふらするに留めておきました。
第39走者:水間鉄道(1000形) 水間観音7:32→貝塚7:47
貝塚駅へと戻ります。行きで乗ったのとは別の編成です。
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