Quantcast
Channel: 黒鉄重工
Viewing all 1657 articles
Browse latest View live

四国project 〜Conquest of Japan〜 その14

$
0
0

特急「南風」での移動にはもちろんグリーン車。座席が広くてなおかつ人も少ないので快適そのものです。



海沿いも走りますが基本的には山の中を走ります。



降りたのは、土佐久礼駅。



こんな感じの駅舎。無人駅ですが。



久礼周辺では鰹漁が盛んなので、なんかうまいものでも食べようという考えです。
途中で大量のホーロー看板を見かけました。別に懐かしいと感じるわけじゃありませんが、珍しいのでつい見てしまいます。



やってきたのは土佐大正市場。明治中期に開かれた市場で、大正時代の火事で焼失後、大正天皇から復興費を届けてくれたのを機に、この名前に改称したのだそうです。



小さな市場ですが、鰹をはじめとした色々な魚が並べられています。



鰹は丸々売られています。ここで鰹のたたきを買っていきました。



市場を抜けると海が見えますが、特に何もなかったです。



市場内の山本鮮魚店で刺身定食をいただくことにしました。
鰹は昨日も食べたので、鰹以外の魚を選びました(種類はもう忘れてしまいましたが・・・)



こんな感じのお店でした。



第29走者:土讃線特急「南風」3号(2000系) 土佐久礼12:32→窪川12:47
土佐久礼を観光し終えたら、再び「南風」に乗って移動します。来た車両はアンパンマン列車でした。
15分の乗車ですが、当然グリーン車に乗ります。だって追加料金なしだもん。



窪川駅に到着。土讃線の終着駅ですが、土讃線の多度津〜後免間は未乗なので全線走破ではないです。



駅舎はこんな感じの地方の主要駅によくあるタイプ。



留置線にはキハ54。



土佐くろしお鉄道中村・宿毛線のTKT-8000形。阿佐海岸鉄道の車両と似ていますね。



さらに、ラッピングされたキハ32。「海洋堂ホビートレイン」という列車で、フィギュアとかチョコエッグとかのあの海洋堂のラッピング車です。2011年から登場しています。なおこれは、2013年7月から運行開始した2代目のラッピングです。



片側は未来的な、もう片方は太古の昔的なデザインです。


その14へ→

欧州project〜2012年ヨーロッパの旅〜 パリ編 その9

$
0
0
欧州project、3か月ぶりの更新です。すっかりサボっちまった。もう山場は越えたからなんかもう(ry

一応、前回までのあらすじ。
2012年夏にドバイ、スイスと海外を転々とし、12日目には3か国目のおフランスはパリに入国。初日はエッフェル塔なんかを見た。そしてパリ2日目が始まるのだった。


9月3日(月) パリ2日目(通算13日目)



まずはノートルダム大聖堂へ、パリの街を歩きながら向かいます。
そんな中でこんなものを見つけました。これなんだかわかります?



正解は、罠にかかって首を絞められ窒息死したネズミの模型(剥製?)。
それが何十匹もショーウィンドウいっぱいに飾ってあるもんだから趣味が悪い。



害獣駆除的な店なんでしょうね。トムとジェリーで見るような古典的な道具も売っているらしい。



駐車禁止の棒を抱えている人間の標識。落書き・・・だよな?



パリ交通公団(RATP)のバス。便所臭そう。色遣いがトイレっぽいのとメトロが実際に便所臭かったのが悪い。



セーヌ川です。遊覧船には乗りませんでしたね。



偶然通りかかったサント・シャペル。シテ島にある「聖なる礼拝堂」という意味のゴシック建築です。
ルイ9世が1248年に造らせたものです。



軽食屋。うまそう。



観光用のオープンバス。最近は東京でも見かけるようになりましたね。



そして着きました、ノートルダム大聖堂です。サント・シャペルと同じくシテ島にあるゴシック建築の代表的建物で、「我らが貴婦人」、つまり聖母マリアを意味します。とにかくすごい建物だなぁ(こなみ)
司教モーリス・ド・シュリーによって1163年に着工し、最終的な竣工は1345年と、180年以上かけて建造されました。当時のフランス人には納期とか締切とかないのか。進捗気にしなくてもよさそうでいいなぁ。




壁面の彫刻が凄まじい。ここまで彫るかって感じ。
彫られているのはキリスト関連のことっぽいですねぇ。



ゴシック建築の石像は聖書の内容を表現しているだけに、面白いものも。



_人人人人人_
> ようこそ● <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄
なんで手書きやねん。しかも最初「ようこそう」って書いただろ。パリは日本語ネタに尽きない。



内部へ入っていきます。暗くて写真撮りづらい。



聖堂内もすごい。厳かという言葉がぴったりな雰囲気。



天井高けぇー・・・。ゴシックだな。



見どころのひとつであるバラ窓のステンドグラス。ノートルダムには東西と北にあります。
外側から見るとそっけない感じですがここからだととても美しい。



薄暗い聖堂の中でここだけ照明を浴び、神秘ささえ感じてしまいそうな奥の祭壇の雰囲気。



これは、ピエタといいます。ピエタとは、死んで十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアの像です。左右にあるのは、右がルイ13世、左が14世の像です。

続きます。


その10へ→

四国project 〜Conquest of Japan〜 その15

$
0
0

第30走者:予土線「海洋堂ホビートレイン」(キハ32形) 窪川13:28→打井川13:49
窪川からは、予土線に乗車します。予土線には特急が走っていないので普通列車に乗って移動します。
乗ったのは先ほどの「海洋堂ホビートレイン」で、外装のラッピングだけでなく車内も改装しています。



目を引くのがこのフィギュアの展示ケース。座席の一角を使って海洋堂のフィギュアを展示しています。この後たくさん見ます。



窪川駅の隣の若井駅の次にある川奥信号場。予土線と土佐くろしお鉄道中村線との分岐点です。予土線は左側です。列車は信号場で停車して、キハ54の「しまんとトロッコ」2号と交換しました。
ちなみに、若井〜窪川間は予土線ではなく土佐くろしお鉄道の線路です。さらに言うと若井〜川奥信号場は予土線と中村線の重複区間です。
つまり、この一駅区間(+信号場)があるためにJR四国の路線だけでは四国一周は出来ないわけですね。当然18きっぷでも通れません。バースデーきっぷだと余裕でパスです。



そして予土線に入り、窪川から3つ目の打井川駅で下車。



なお、断崖の上に立つ無人駅。脇には四万十川も流れるのんのんした駅です。このような何もない所で何をするのかというと・・・。



この「海洋堂ホビー館四万十」に行くためなのでした。
海洋堂の歴史とフィギュアのコレクションを展示している博物館的施設で、建物には廃校になった小学校の校舎や体育館を活用しているんだそうです。
元々あることは知っていたのですがどうせ駅から遠そうだと思って行こうとはしてなかったのですが、窪川駅のチラシに、打井川駅から送迎車が出ているというのを見て、行くことを決めました。元々窪川駅で長い待ち時間を潰すつもりだったので、ちょうどよかったです。


<iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="https://maps.google.com/maps?f=q&amp;source=s_q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E6%B5%B7%E6%B4%8B%E5%A0%82%E3%83%9B%E3%83%93%E3%83%BC%E9%A4%A8&amp;aq=&amp;sll=37.0625,-95.677068&amp;sspn=46.946584,68.818359&amp;ie=UTF8&amp;hq=%E6%B5%B7%E6%B4%8B%E5%A0%82%E3%83%9B%E3%83%93%E3%83%BC%E9%A4%A8&amp;hnear=&amp;radius=15000&amp;t=m&amp;z=13&amp;iwloc=A&amp;output=embed"></iframe>
大きな地図で見る
自ら「へんぴなミュージアム」と自称(自嘲)しているとおり、すげード田舎なところにあります。ホビー館が出来るまでは周辺にコンビニはもちろん自販機すらなかったというのんのんぶり。
車でだいたい10分くらい。駅から歩いていくには大変です。送迎車が無かったら行かなかった。



室内は本当に体育館だとわかる感じです。でかい恐竜の模型と写真には写ってないですが大きい海賊船が目を引きます。それと、海洋堂は元々模型屋だったんですね。



等身大(?)ケンシロウフィギュア。



海洋堂といえばチョコエッグとあとはリボルテックヤマグチですね。リボルテックといえばエヴァンゲリオン。



アイマスの歴史を感じる・・・(意訳:可愛くない)。



大量の食玩これくしょん。



外人に人気とかいう食品サンプル。この塗装技術を自分も持ちたいものですな。



ベイダー卿とゆかいな仲間たち。



ワンフェス関連の品々。ちなみに僕はまだ一度も行ったことありません。



なのはさんとフェイトちゃん。ワンフェスっぽい(適当)。



角川の付録これくしょん。艦これのフィギュアとかもそのうち来るのかしら。



あとは、特別展でこんなのもやってました。ホイホイされました。



フィギュアの歴史を感じる・・・。
今売られているフィギュアの造形やら塗装やらってすごい進歩しているんだなーと実感しますね。



ボカロ関連。ねんどろいども置いてあった。



まどか☆マギカ関連。



なのは関連。店で売られているのを見たときもデカいなーと思いました(何がデカいとは言ってない)。



たのしいフィギュアの作り方。原型を作ります。



型を作ってレジンを流し込みます。



塗装して組み立てて完成。

素組みモデラーの俺選手、全てにおいて歯が立たない。


こんなかんじで、1時間ちょっと程の時間をあっという間に潰せました。急ぎ足で見たので、またじっくり見てみたいです。
それと、海洋堂かっぱ館というのも近くにあったのですがこちらは見学できなかったので、いつになるかわかりませんがとりあえずまた行こうと思います。


その16へ→

【ギャラリー】 GW-9800 ガンダムエアマスター 【1/100】

$
0
0

ガンダムエアマスターは、第7次宇宙戦争において旧地球連邦軍が投入した決戦兵器ガンダムタイプMS。フラッシュシステムを搭載しており、大戦中は専用のGビットとともに、機動部隊を組んでいた。
高速飛行形態「ファイターモード」に変形できるトランスシステムを搭載しており、機動性に優れている。
主兵装は両腕に装備するバスターライフル2挺。格闘戦用の武装は無い。
大戦によって飛行可能な機動兵器はほぼ失われている事からその戦術的優位性は計り知れない。



ガンダムXから、ガンダムエアマスターです。
テレビ放映時に発売されたHG1/100キットを作りました。






1/100キットがどんなものなのか、とりあえず特に手を加えずに作ってみました。手がポリキャップだったのでこれは市販パーツに置き換えた以外は素組みです。作ってる時の消化試合感パなかったですが・・・。
肘関節がポリキャップ剥き出しなのとモールドがしつこいのが気になりましたね。1/100シリーズはまだ積んでるのがあるんで次回からは改善していきたいです、はい。



変形して戦闘機みたいなスタイルに。



ガウォークみたいな感じに・・・。



ビームサーベルが無いのは意外ですね。だいぶ割り切ったね。



以上、ガンダムエアマスターでした。

四国project 〜Conquest of Japan〜 その16

$
0
0

第31走者:予土線「清流しまんと号」(キハ54形+トラ45000形) 打井川15:22→宇和島17:44
海洋堂ホビー館から送迎車で打井川駅まで送ってもらい、予土線で再び移動。



乗ったのはトロッコ列車「清流しまんと号」。無蓋貨車トラ45000形を改造して、人も乗れるように仕立てたトロッコ列車です。
とはいえ、改造したと言ってもイスとテーブルと雨除けを付けた程度の軽度なもので、貨車の面影をよく残しています。
近年では電車改造だったり機関を積んで自走可能だったりするトロッコ列車が登場している中、本物のトロッコ列車だと言える数少ない車両でしょう。
乗り心地も、レールのジョイント振動がダイレクトに伝わってきますので、悪いです。まあ観光列車だし問題ない感じです。



蛇行する四万十川を橋とトンネルで串刺しにするように走るので、線路は割と高規格。四万十川も左右両方の車窓から見られます。
トンネルに入ると涼しい。



トロッコに乗れるのは土佐大正〜江川崎の間で、ちょうどその区間で四万十川を存分に味わうことが出来るようになっています。



この絶景。



四万十川名物の沈下橋です。低水路に橋を架け、普段は橋として使うものの洪水時には水位が上がってしまうため沈んでしまう橋のことです。
洪水時に流木などが引っ掛かって橋を破壊しないように欄干が無いのが特徴です。メリットとしては現在多用されている抜水橋と比べて建設費が安いことなどです。
これは新谷沈下橋で、JRのフルムーンポスターにも使用されたこともある橋です。






第一三島沈下橋。予土線の鉄橋のそばに建てられていて、この2つの橋を組み合わせはなかなか絵になるのだとか。



鉄橋はこんな感じ。



手作り感、そして貫禄あふれるポップ。
「清流しまんと号」は1984年から運行開始した、国鉄初のトロッコ列車です。もう30年ほど走り続けている歴史ある列車なわけですね。



記念乗車証。
なおこの「清流しまんと号」、現在はリニューアル工事を受けて「しまんトロッコ」として運行しています。
観光列車のデザインでおなじみ水戸岡鋭治氏により牽引する気動車ともども外観・内装が若干変わっています。
なので、お名残乗車みたいな感じになりましたが、リニューアルした「しまんトロッコ」にもまた乗ってみたいですね。



十川駅を過ぎたあたりから雨が降ってきました。通常だとトロッコと気動車は隔離されますが、この状況なので雨をしのげる気動車にも移動できる措置を取ることに。
ですが私はずっとトロッコにいましたw



中半家沈下橋。沈下橋、抜水橋、鉄橋が一挙に並ぶ珍しい場所です。



その名も半家駅。禿ですよ禿。難読駅名のひとつです。
由来は、ここに逃げ延びてきた平家の落人が源氏から逃れるために文字が変形させたからと言われています。



長生沈下橋。橋を渡った先にはキャンプ場があるためかガキンチョたちがダイビング大会をやっていました。
いい写真が撮れました。
半家を過ぎてからはまた雨が止んできました。



江川崎駅に到着しました。トロッコに乗車できるのはここまでです。
少し停車するので駅をぶらつきます。



改札には日本一暑い江川崎の看板が。2013年8月12日に国内最高気温41.0℃を観測して話題になったのがこの江川崎です。今日が8月15日ですので割とタイムリーに訪れたことになります。
この日は雨っぽかったのでそれを体感することは無かったのは幸か不幸か・・・。



駅舎はこんな感じ。普通。



ここまで乗ってきたトラ152462。ご覧のとおりほぼ貨車です。表記類が貨車時代と同じというのは地味にポイント高いです。
景色もよく、トロッコの臨場感も味わえたよい列車でした。


その17へ→

欧州project〜2012年ヨーロッパの旅〜 パリ編 その10

$
0
0

祭壇を囲むように広がっている歩廊には、キリスト復活後の様子の彫刻が表現されています。左から右へと時系列順に描かれています。
外壁の彫刻もそうですが、聖書やキリストの内容を彫刻で表現するのは、文盲の人でもそれを理解できるように配慮したもの。



左は、復活後にマグダラのマリアの前に現れたキリスト、右が3人の聖女の前に現れたキリストを表しています。
他にも色々ありますが割愛。聖書読んでね。



歩廊の様子です。当然ながら、聖堂内は観光客でごった返しています。



棺のような何か。



聖堂の最奥部。ここにも祭壇があります。



反対側にも彫刻がありました。






外に出ました。聖堂の上に昇ることもできるのですが、長蛇の列が出来上がっていてこりゃ時間がかかるだろうということでやめました。
聖堂の脇を歩いているとまた面白そうな石像を見つけました。



壁から叫びながら飛び出してくる男の石像。疾走感がある。
これも聖書にあることを表現しているのか。



犬のような何かも飛び出してきます。



バラ窓を外側から見るとこんな感じです。



再びパリの街を歩きます。



川を渡ります。そしてここでスリ集団に遭遇。
連中、なんかの署名かアンケートをしてくれと数人で観光客に迫ってきて、書いている間に他の人が鞄やらポケットやらから貴重品を盗み出すという手口。「書いている間荷物預かりますよー」→陰で堂々と貴重品を盗む、だったかもしれないです。
前もってそういうのがいるのは知っていたので「来たか(ガタッ」となる程度で、ガン無視を決め込んで被害を出さずに済みました。
つうわけで、スリには気を付けてね。



パリ名物縦列駐車。こいつらの駐車テクニックはすごいですわ・・・。絶対出られないような間隔で駐車してる。



なんかのお店。



とある建物の中庭。パリの建物は庭を表には見せないのが特徴なんだっけ?



お昼ご飯とします。キッシュがおいしいお店らしいです。



前菜のサラダ。 



ベーシックなほうれん草入りとかサーモン入りとかいろいろ食べられました。美味しかったです。


その11へ→

四国project 〜Conquest of Japan〜 その17

$
0
0

窪川行きのキハ32形と列車交換したら発車です。



江川崎からはキハ54形に乗ります。江川崎までの高規格路線とは打って変わってカーブや踏切が多くなってきたのが印象的でしたね。



終点、宇和島駅に到着しました。都会っぽい駅でデカい。



駅前には、宇和島鉄道のケ220(コッペル社製)のレプリカが置かれています。
宇和島鉄道は1914年10月に宇和島〜近永17.3kmで開業した南予地方初の軽便鉄道で、1923年には近永〜吉野が開通。その後、1933年に政府により買収され、現在は予土線として残っています。
予土線の宇和島口の線路の企画が低いのは出自が軽便鉄道だったからだったんですね。



第32走者:予讃線特急「宇和海」24号(2000系TSE) 宇和島18:07→松山19:29
さて、宇和島からはひたすら移動です。
まずは特急「宇和海」に乗ります。車両は2000系気動車の試作車「TSE」です。運用が固定されているので、狙って乗ることが可能です。
2000系量産車とはカラーリングやヘッドマークの有無など微妙な差異があります。



こちらは貫通側の先頭車。といっても貫通扉は普段使うことは無いようです。こちらも量産車とは微妙にデザインが異なります。
特急「いしづち」「しおかぜ」用の新型車両8600系が今後導入されるということで、2000系に廃車が出るのではとのうわさです。となると、経年の高いTSEはその可能性が高いわけで・・・。今回乗れてよかったです。

なお、TSEにはグリーン車が無いので普通車に乗りました。
振り子全開でスピードも早かったのですが、遅延が発生してしまいました。



第33走者:予讃線特急「いしづち」32号(8000系) 松山19:36→高松21:57
5分延で松山駅に到着。「宇和海」と「いしづち」が縦列停車で、乗り換える車両も端から端だったので急いで乗り換えます。
なお、ここで夕食を調達する予定だったのですが、乗り換え時間の短さとそもそも食料が売り切れだったこともあり、空腹のまま高松まで向かうことに。



ヒャッハーグリーン車だぜー!
1+2列の幅広座席なうえに8000系はリニューアルされているので車内は新しめ。充電も出来たし快適でした。
これが最後のグリーン車となりました。



高松に到着。8000系の非貫通車と貫通車が並んでいたので撮影
というわけで色々な所に寄りながら四国を一周してきました。バースデーきっぷだからできるワザですね。18きっぷだとこうはいかない。



2本しかいない6000系も撮影できました。やったね。JR四国版211系と思いきやVVVF制御だったり転換クロスシートだったり実は高性能。



第34走者:高徳線特急「うずしお」31号(N2000系) 高松22:21→徳島23:32
四国でのラストランナー、N2000系の特急「うずしお」に乗って、再び徳島へと向かいます。今度は高徳線経由です。
隣にはキハ185系の特急「しまんと」8号が停車していました。繁忙期にのみ多度津〜高松間で運転される列車で、岡山方面へ向かう「南風」28号のリレー列車です。「南風」は通常、2000系が使用されるので、キハ185系が充当されるのは珍しいという訳なのです。
それにしても、キハ185系とN2000系では腰の高さが全然違いますね。



2日ぶりの徳島駅。これにてJR四国とはお別れです。バースデーきっぷはすごく使い勝手が良くてそれでいて安かったので、またこの切符を使って出かけたいなと思います。

なお、この3日間で全線乗った路線は、徳島線、鳴門線、牟岐線、予土線、内子線、高徳線で、全線乗っていない予讃線、土讃線も未乗区間はわずかですので、次回四国に来たときに十分乗車可能です(問題は、未乗区間の距離が離れている事ですが)。



徳島駅からタクシーに乗ってやってきたのは南海フェリー徳島港。そう、今晩の宿は南海フェリーです!
といっても、フェリーが出港するのは午前3時。まだ2時間以上ありますので、待合室のベンチで仮眠して時間を潰しました。こんなことができる辺りまだまだ若いのかななんて思います。出来ればしたくないんですけどね。



待合室には萌えキャラのポップ。左が阿波野まいさんで右が高野きららさん。南海フェリーといえばこれよね。
あとはちょっとおつむが心配な馴れ馴れしいおっさんがうざかったのでとっとと仮眠しました。


その18へ→

欧州project〜2012年ヨーロッパの旅〜 パリ編 その11

$
0
0

ノートルダム大聖堂の次にやってきたのは、ルーブル美術館。有名な美術館ですね。

ルーブル美術館はもともと12世紀にフィリップ2世が要塞として建造したもの。その後、増改築が繰り返され現在のルーブル宮殿の建物になっています。
本来はフランス王家の王宮として使われていましたが、17世紀にルイ14世が王宮にベルサイユ宮殿に移し、ルーブル宮殿は王家が収集した美術品の収蔵・展示場所になり、1793年に美術館として正式に開通しました。



ルーブル美術館の建物自体が巨大な史跡になっています。12世紀の建物だからね。



中庭にあるルーブルピラミッド。1989年のリニューアルの際にできたそう。



おなじみ、日本語ネタ。言おうとしてることはわかる。
なお、3DSを使った日本語ガイドで美術品の解説や館内での位置なんかが分かるようになっています。解説板には日本語の案内はないので使った方がいいと思います。



3DSで館内マップが見れるとはいえ美術館の中は迷路のようになっていて、初見ではどこに行けばいいのかわかりません。
最初に迷い込んだのは古代エジプト美術部門。割とどうでもいい部門・・・。



うーん・・・。
ちなみに館内は撮影し放題。うれしい。



Gudea, prince de Lagash Statue assise dédiée au dien Ningishzida。王子の石像ですね。



Stèle de victoire du roi Naram-Sin。
紀元前2254-2213年くらいにNaram-Sin王が勝利した際に建てられた石碑です。



バビロンの王のハンムラビ法典。紀元前1792-1750年。
紀元前18世紀にバビロン王によって建てられた玄武岩製の石碑。ハンムラビ法典は、聖書以前に作られた古代の歴史的著作と法令集で、メソポタミア文明の象徴です。
死んだ言語をよく読めるよなぁ・・・すごいわ。


Mésopotamie Assyria Khorsabad。メソポタミアの壁画(適当)。



有翼人面牡牛。紀元前721-705年。アッシリアのサルゴン2世によってコルサバードに
建設された宮殿の門とのこと。



脚が5本あるようにみえるのですが、これは横から見たときに4本、正面から見たときに2本見えるように設計されているためです。



実際の使用例がこちら。



おっかない。



鎮守するための石像(のはず)なんだから歩かせる必要はあったのかと。



壁画。



タイル画。



獅子の石像。やっぱ5本ある。



だるま落としみたいな石像。


その12へ→

四国project 〜Conquest of Japan〜 その18

$
0
0
8月16日(金) 4日目(最終日)


第35走者:南海フェリー第3便 徳島港3:00→和歌山港5:10
いよいよ南海フェリーに乗船です。南海フェリーは初めて乗ります。
スピード乗船しコンセントを確保、いろいろ充電します。乗船時間は2時間ちょっとと短いですが、少しでも寝ておきます。カーペットで寝るのには慣れています。



早朝5時に和歌山港へ到着。本土へと戻ってきました。
船体にも阿波野さんと高野さんが描かれていたとは。



和歌山港のフェリーターミナル。ここからは南海電車が発着していてフェリーとの接続が図られていますが、第3便はそれが無く1時間ほど待たされます。
待っていても時間の無駄なので、ひと駅先の和歌山市駅まで歩いて移動します。



50分くらい歩いて和歌山市駅に到着。遠い・・・。
和歌山市駅は南海本線の終着駅とあって規模が大きいです。ここから和歌山港駅まで伸びているのは和歌山港線という支線。
ちなみに南海電車の他にJR紀勢本線も乗り入れています。ただし影が薄いので乗りつぶしでも疎かにされがちらしいです。



第36走者:南海本線特急「サザン」2号(7000系+10000系) 和歌山市6:06→泉佐野6:33
和歌山市駅からは南海電車の特急「サザン」に乗って大阪方面を目指します。
「サザン」はクロスシートの座席指定車とロングシートの自由座席車を連結している珍しい列車です。他には名鉄の特急が該当しますね。
乗ったのは自由席車両の7000系です。古いもので1963年製と50年現役を続けている塩害魔王古参車両です。関東ではここまで使い込みませんねぇ。



第37走者:南海本線普通(1000系) 泉佐野6:35→貝塚6:42
泉佐野駅で普通電車に乗り換え。



貝塚駅でまた乗り換えます。



第38走者:水間鉄道(1000形) 貝塚6:50→水間観音7:04
乗り換えたのは水間鉄道です。貝塚〜水間観音5.5kmを運営する小さな鉄道です。一時は水間観音への参詣鉄道としてにぎわいましたが、色々あって会社更生法を適用、新生水間鉄道として再出発しました。



乗ったのは1000形で、元東急7000系の改造車です。当初は東急時代と同じ7000系を名乗っていましたが、更新工事を行い今の形式に改められました。今乗った編成は先頭車化改造車です。他社の譲渡車でもおなじみですね。
車内はほぼ原型っぽいですね。



終点の水間観音駅に到着しました。距離は短いですが、駅が多いのでそこそこ時間はかかりました。
車両基地も併設されていて、原型顔の1000形もいました。更新工事でスカートがついたり窓ガラスが金属支持になったりで結構異端。



水間観音駅の駅舎はこのような感じ。駅名の由来になった水間観音をイメージしたものになっています。
駅名標が「水間駅」になっていますが、以前はそのような名前だったのです。



駅の横には1000形の一世代前の車両である501形が保存されています。
元南海1201系で、赤とクリームの塗装のまま保存されています(以前はクリームに三色帯の末期の姿だったようです)。



501形の奥にある車両基地をのぞいてみると、1000形に改造されなかった休車状態の7000系がいました。
貫通扉のロゴマークを除けばほぼオリジナルに近い印象。



せっかくなので歩いて10分くらいのところにある水間観音まで足を運んでみました。ちょうど縁日があったらしく、ごちゃごちゃしていました。水間観音は正しくは水間寺と言うそうです。

聖武天皇(当時42歳)が病気になったとき、「この奈良の都より西南の方角にあたって観世音菩薩がご出現なされる。よってこの観世音の尊像を都にお供をしてご信仰申せ」という夢のお告げをたよりに仏像を探すことにしました。
その時勅命が下ったのが生き仏として庶民から信頼されていた行基菩薩でした。奈良を出発して水間に着いた行基菩薩は、約6cmの閻浮陀金の聖観世音菩薩を見つけて天皇に捧げたところ、病は全快したといいます。
そして、この仏様を現地で祀るよう行基菩薩に勅命をだし、堂宇を建立し厄除け観音として信仰されるようになり現在の水間寺に至ります。



こちらは本堂。天正13年(1585年)に建立されるもその後全焼し、現在の本堂は文政10年(1827年)に再建されたもの。聖観世音菩薩が祀られていますが、通常は非公開です。



三重塔は、天保5年(1834年)に再建されたもので、明治以前に建てられた大阪府内唯一の三重の塔である。釈迦仏像が祀られているとのこと。
まだ朝だったので中は見ないで境内をふらふらするに留めておきました。



第39走者:水間鉄道(1000形) 水間観音7:32→貝塚7:47
貝塚駅へと戻ります。行きで乗ったのとは別の編成です。


その19へ→

欧州project〜2012年ヨーロッパの旅〜 パリ編 その12

$
0
0

ルーブル美術館編その2。
これはChapiteau d'une colonne de la salleで、柱です。部屋の中に同じものがたくさん立てられていたんだそうです。



牡牛ですね。



古代メソポタミアの割とどうでもいい収蔵品に結構時間をかけてみてしまったので、ここからは駆け足で見ていきます。ていうかこれ、全部回るの無理じゃない?



次に見たのは古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術部門。
彫刻とかのあれが見れそう。



ローマの宮殿みたいな神聖な感じのする内装。






「刑罰に処せられたマルシュアス」。紀元前3-1世紀ごろ、ヘレニズム時代のギリシア美術作品です。
このセイレノスは、アポロンよりも優れた演奏家であると自負していましたが、音楽コンクールで敗れたため、スキタイ人の奴隷により生皮をはがされる刑を宣告されてしまいました。彼は木の幹に吊るされ、恐ろしい刑罰を受けるのを待っています。

最初見たときは「縛りプレイ?ドMかな?」とか思ってたんですが、皮をひん剥かれるとかヤバい(小並感)。



「アルテミスと雌鹿」。紀元前1世紀〜2世紀ごろ、ローマ皇帝時代の作品。
アルテミスとは、アポロンの双子の兄弟、気の強い処女、疲れを知らない狩人であり、その特徴は、男性の陵辱を罰する事にあるとか。ローマ人にはディアナを呼ばれたそう。ターンAかな?
教皇パウロ4世よりアンリ2世に贈られたこの作品は、フランスに渡った初の古代彫像のうちの一つです。



で、言わずと知れた「ミロのヴィーナス」。紀元前2世紀ごろの作品です。
モデルはギリシア神話のアフロディーテとされています。プリキュアかな?初代主神であるウラノスの切り落とされた男根が吹いた泡から生まれた絶世の美女です。なんの泡なんでしょうね? 愛と性を司り、奔放で浮気性な性格で、どんな神であろうと彼女の愛を一身に受けることはないとされています。ビッチか?

両腕が紛失しているため全体像はつかめませんが、却ってそれが見る人の想像を刺激するともいえます。
あと、結構がたいがいいよね。お腹周りとか。






ウホッ!いい男。
右側の男の石像は「マルケルスの全身像」で、紀元前20年ごろのローマでの作品です。
オクタウィアヌス・アウグストゥスの甥で、娘婿でもある、前23年に若くして死去したマルケルスの死後の肖像です。



天井画。美しいです。



天井の下はこう。



「アモルの接吻で蘇るプシュケ」。イタリアのアントニオ・カノーヴァの作品。
プシュケという乙女は、ヴィーナスから冥界から瓶を持ち帰るように言われましたが、「瓶のふた絶対に開けるんじゃないぞ!絶対だぞ!!」と注意されます。しかし、好奇心旺盛()なプシュケは瓶を開けてしまい、瓶の中身のものすごい臭い臭気を吸って瀕死になってしまいます。だから開けるなって言ったのに・・・。
それを見たかの有名な愛の神エロスという青年は、プシュケに接吻をして蘇らせましたとさ。
以上、ケツのかゆくなるような話。



さらに上へと続きます。


その13へ→

四国project 〜Conquest of Japan〜 その19

$
0
0

第40走者:南海本線急行(7100系) 貝塚8:17→羽衣8:32
第41走者:南海本線普通(7100系) 羽衣8:37→浜寺公園8:39
貝塚から再び難波方面を目指します。



ですが、再び途中下車します。降りたのは浜寺公園駅。
辰野金吾が1907(明治40)年に設計した駅舎です。辰野金吾といえば、東京駅や日本銀行などの近代建築を設計した人物です。
1998年には国の登録有形文化財に指定されました。

これを一度見ておきたかったんですねぇ。



ちなみに駅前からほんの少し歩いたところには、阪堺電車の終点である浜寺駅前駅があります。
路面電車タイプの路線には珍しく駅舎がありますが、これもまたぼろいというか趣のあるというか。



古い電車が来ないかと少し撮影していきましたが、来たのはこのモ701形だけでした。
非冷房なので夏は稼働率が低いらしいですね。



第42走者:南海本線普通(8000系) 浜寺公園→堺
E231系8000番台8000系の普通に乗ります。
外観はそれほどE231系っぽくないじゃないかと思うんですが、車内に入るとあっ・・・(察し)となりました。
座席端の大きな袖仕切りは関西の人には不評みたいですが、個人的には座っているときにはもたれかかることができますし、ドアの前で立っている人が袖仕切りに寄りかかってきてもお尻に触れずに済みますし、結構役立っているんですけどねぇ。



第43走者:南海本線急行(9000系) 堺→新今宮
堺駅で急行に乗り換えて新今宮まで。



新今宮で、南海電車の撮影をすることにしました。ここだと本線と高野線の2路線の電車を同時に撮影できるので効率が良いです。
まずは、6200系。6000系の製造コスト削減版です。東急8000系かな?という感じ。



30000系。高野線の特急「こうや」用の特急車両。「高野線のクイーン」と呼ばれているそう。高野山も行ってみたいんですよね。
直後に高野線の上り列車と被ったのでこんなお写真に・・・。



6300系。6000系のマイナーチェンジ版である6100系を更新したもの。



そして、6000系。東急7000系や京王井の頭線3000系と同時期に登場したオールステンレス車両の草分けで、20m級車としては初。
従来の南海電車の車両をそのままステンレス化したという印象の電車です。メタルマリオ的な。
この丸い前面をよく成形できたものです。結局それが高くついたのか、前面デザインを簡略化した6200系が登場しているわけですが。
なお側扉は片開き。登場からすでに50年が経過していながらも1両も廃車が出ていないというとても稀有な電車です。置き換えの話も出てないらしいです。なんなんやこいつ。



9000系。南海本線初のステンレス車両です。いわゆる額縁骸骨スタイル。



1000系。本線用、高野線用で分けられていた在来車と異なり、そのどちらも走行できる汎用性の高い車両です。



泉北高速鉄道5000系。高野線から分岐する第3セクター鉄道の電車です。



7000系+10000系の特急「サザン」。実は6000系より7000系のほうが登場が遅いです。ステンレス車は高野線、鋼製車は本線というお約束が以前はあったようです。



座席指定の特急仕様の10000系。窓がでこぼこ。これも最新鋭の12000系に置き換えられる見込みです。でも12000系は撮影できませんでした。



2000系。高野線の山岳区間を走れる「ズームカー」です。でも、余剰が発生して最近では本線でも運用しているようです。



6000系と31000系。31000系は「こうや」の増結と冬季の運休解消を目的に1編成だけ造られたレア車。



50000系。おなじみの関空特急「ラピート」ですね。



高野線の1000系。



第44走者:南海高野線(泉北高速3000系) 新今宮→なんば
泉北高速鉄道3000系。南海6200系をベースにしたセミステンレス車です。
これに乗ってそのまま難波へ向かいます。


その20へ→

欧州project〜2012年ヨーロッパの旅〜 パリ編 その13

$
0
0

いよいよ、本命の絵画部門に入ります。ここまでに来るのに滞在時間の半分以上を使ってしまったので、手早く見ていきます。最低でもモナリザは見ておかなければ。



こんな感じで絵が展示されています。



1848年、ポール・ドラローシュ作、「アルプス越えのナポレオン」。
ナポレオンの肖像画で思い浮かぶのは前脚を上げた馬にまたがって右手をかざしているアクロバティックなアレですが、こっちはおとなしめで構図というかポーズに現実味があります。



1719年、テオドール・ジェリコー作「メデューズ号の筏」。
19世紀フランスを代表する作品で、1816年に150人を乗せた軍艦が難破したという実際の事件をもとに描かれたものです。
この写真だと見えないかもしれませんが、黒人男性が手を振っている先の水平線には救助に来た船の船影があります。
その黒人の下には死体があります。最終的に助かったのは10名ほどだったといいます。



天井画もすごいです。



扉の上にも絵画。



そしてたどり着いた超人気サークル。絵の前には長蛇の列が(・・・列にはなってないな)。
壁とかシャッターなんてものじゃない、完全にほかの絵が展示されている部屋とは隔離された専用の部屋で展示されています。



1503-1506年、レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ作「フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像」。正式名だとなんのこっちゃですが、レオナルド・ダ・ヴィンチ作の「モナ・リザ」です。
世界で最も有名な絵と言われていて、いろいろな謎や構図や雰囲気が人々を魅了し続けています。

この目でモナ・リザを見れるなんて・・・という感じです。



キリスト的な絵(適当)



1748年、ジャック=ルイ・ダヴィッド作「サビニの女たち」。
隣国のローマ人によってサビニの女たちが掠奪された後、サビニの男たちは女たちを奪回しようとしたというエピソードを描いたもの。
サビニの女たちが戦う男達の間に割って入り、仲介しようとしている姿が描かれています。



きらびやかな廊下。



整備や修復が大変そう(こなみ)



ルーブル美術館退館。とても3時間程度じゃ見れる量じゃなかったので、またパリに来た時も訪問したいと思います。



表で見たルーブルピラミッドは地下にも伸びています。



なんか電流が流れてそうなアレ。



地上に出てきました。
美術館の向かいにあるのは、カルーゼル凱旋門。凱旋門というと前日に見たエトワール凱旋門が有名ですが、それのパチモンというわけではなく、1806年から1808年にかけてナポレオンの勝利を祝するために建設されたれっきとした凱旋門です。
着工年もエトワール凱旋門と同じですが、いかんせん大きさが小さいので知名度は劣ります。



ナポレオンかな?



デパートでお土産やら何やらを購入。



メトロでホテルに戻ります。きれいに流し撮りできた。



ホテルの近くのカフェレストランで夕ご飯。トマトソースベースの海鮮スパゲティです。うまいですなぁ。

これでパリ2日目終了。明日はパリ滞在実質最終日です〜。


その14へ→

四国project 〜Conquest of Japan〜 その20

$
0
0

第45走者:関西本線快速(201系) JR難波10:27→王寺10:56
南海電車のなんば駅からJR西日本のJR難波駅へ乗り換え。同じ難波駅ですが、位置は正反対にあり、乗換に手間取りました。
南海電車から関西本線(大和路線)に乗り換えるならば先ほど南海を撮影していた新今宮で乗り換えるのが楽ちんなのですが、関西本線の未乗区間を乗りつぶすためにわざわざ難波まで来た次第。
乗ったのは201系です。



終点の王寺駅に到着。じつはこれで関西本線は全線走破。4年前の北陸旅行で王寺〜名古屋は乗っていたんですねぇ。
221系が更新工事されて外観が変化しているようなので、未更新の姿を今のうちに記録。



第46走者:関西本線大和路快速(221系) 王寺11:03→加茂11:34
後続の221系「大和路快速」に乗り換えます。



第47走者:関西本線(キハ120形) 加茂11:42→伊賀上野12:17
終点の加茂で乗り換え。ここからは非電化区間なのでキハ120になります。



第48走者:伊賀鉄道(200系) 伊賀上野12:21→上野市12:28
途中の伊賀上野で伊賀鉄道に乗り換えます。
伊賀鉄道は、近鉄伊賀線を引き継いだ鉄道で、伊賀上野〜伊賀神戸16.6kmの伊賀線を運営しています。
車両は、発足当初は近鉄時代のものを使用していましたが現在は東急1000系の中古車である200系を主力としています。全編成がフルラッピングされていて、ラッピングも編成ごとに異なっています。これは「ふくにん列車」ラッピングです。



終点の上野市に到着。反対側の先頭車は、中間車から先頭車か改造されたものでした。
東急8000系を彷彿とさせるデザインで、非貫通ながら貫通扉があるかのようなデザインもされています(ラッピングでほとんど隠れてしまっていますが・・・)。



車両基地も併設されていて、覗いてみると緑の忍者ラッピングがされた200系がいました。これも先頭車化改造車ですね。



第49走者:伊賀鉄道(200系) 上野市12:36→伊賀神戸13:06
上野市で接続しているピンクの忍者の200系で伊賀神戸を目指します。



200系の車内は一部がクロスシートに改造されています。これは京阪電車の廃棄された座席を転用したものだとか。



のんのんした景色が広がります。



終点の伊賀神戸に到着。
200系の先頭部にはパンタグラフが増設されていたんですね。東急車で下枠交差型パンタグラフを搭載しているのは珍しいです。



駅舎。



伊賀神戸は近鉄との接続駅です。元々は近鉄の路線だったので、ホームも隣同士。
特に見るべきものもなかったので、同じ電車で引き返します。


最終回へ→

欧州project〜2012年ヨーロッパの旅〜 パリ編 その14

$
0
0
9月4日(月) パリ3日目(通算14日目)


海外旅行もついに丸2週間。明日には帰国になるので、実質最終日となります。



昨日に引き続き、今日もベタなところを回ります。
最初に来たのは、パリ・リヨン駅。



趣がある・・・(小並)。



時計塔。



日本人が思い浮かべる典型的頭端式ホーム。やはり壮観。



ズラッと並ぶ列車。



BB36000型電気機関車。1996年から製造された1500Vと3000V直流、25kV交流(50Hz)に対応した電気機関車で、フランスの他にベルギーやイタリアにも直通できます。
この36007号機はフランスとイタリアを結ぶ夜行列車「テロ(Thello)」の塗装がされていることから専用の牽引機のようです。それとも単なる広告塗装なのか。



TGV-Duplex。2階建てのTGVです。肝心の客車は白飛びしてますが。



で、私の行く駅はリヨン駅ではないことが判明。正しくはオステルリッツ駅。フランス南西部方面の列車が発着します。
リヨン駅に比べると小さな駅ですが、やはり芸術的な印象を感じさせる駅舎です。



X72500型。2両編成の気動車です。複数編成をつなげることは可能なようですが、それでも非貫通型の流線型にするのですねぇ。



別のホームにはBB7200型電気機関車。直流電化区間用の機関車で、日本では「ゲンコツ機関車」としてある程度は知られている模様。兄弟系列として交流用のBB15000型、交直流用のBB22200型が存在し、大量に製造されました。
少し張り出したボンネットが特徴で、まさにゲンコツ。格好いいスタイルをしています。
ちなみに形式の「BB」は軸数を表しています(2-2軸)。



BB26000型。先ほどのゲンコツ機関車の直系の後継機です。電源方式を3つに分けていたゲンコツと違って交直流のみに絞っています。
車体は前面を傾斜させた箱型で、車体側面の上部を内側に絞っておりそのラインが先頭にまで伸びているそのスタイルは、ドイツ製電気機関車を彷彿とさせます。



BB26000が牽引してきた客車。

なお、このホームから出る列車でもなかったので、さらに移動します。


その15へ→

那珂川清流鉄道を訪問する その1 【2014/02/16】

$
0
0
鉄道の保存車両に明るい蒼風くんに栃木県にある那珂川清流鉄道に行かないかと誘われました。前々から気になっていた場所だったので、他にもぞろぞろと引き連れて行ってみることにしました。



ちなみに当日は大雪の影響で交通機関に乱れが。本来ならば在来線で行くつもりが大宮から宇都宮まで新幹線を使うことになりました。
ダイヤ乱れは新幹線にも影響していて、E6系+E5系による「はやて」103号盛岡行が。E6系による盛岡はやてがミソですね。でも探せばあるかも。
ちなみに所定では「はやて(盛岡)+こまち(秋田)」で、仙台で列車を切り離してこまちが先行し、はやては仙台以北は各駅停車というなんだかアクロバティックなダイヤ。



さらに、「つばさ」用のE3系2000番台による「やまびこ」127号仙台行。所定だと当然E3系は「つばさ」に充当されるのですが、山形新幹線が不通だったため仙台行になっていました。これはレアでしょう。
この仙台つばさに乗って宇都宮まで。



宇都宮からは烏山線に乗り換え。車両はキハ40系ですが、運良く国鉄色をした車両に当たりました。撮影出来てよかったです。なかなか似合っていますよね。



終点の烏山駅に到着。反対側の車両は首都圏色でした。たらこですね。
足回りまで含めた編成写真が撮れなかったのが残念でしたが・・・。



線路の上には、3月から烏山線に投入される新型の蓄電池車両EV-301系「ACCUM」用の充電設備が建造されていました。架線柱の間隔が狭くてゴツイぞ。



東北本線内の強風の影響で烏山着が遅れたため、駅から接続するバスに乗り遅れてしまいました・・・。なので、タクシーに乗って移動します。
駅前には使われなくなったバス停留所のポールが。こういうの欲しがる人もいるんだろうなぁ。



そして那珂川清流鉄道保存会に到着。斎場の裏の敷地を使っているようです。
那珂川清流鉄道保存会は、栃木県那須烏山市にある鉄道車両の保存施設です。大小50両もの車両を保存しており、しかもそのほとんどは自走することが可能とのこと。
車両も有名所から超カルト級のものまで様々。並みの鉄オタでは知らないものがほとんどだと思います。

で、我々を出迎えてくれたのが千葉都市モノレールの1000形(1002+1015)。千葉県のポッポの丘にも保存されていますが、こちらは現役と同じように上から吊るして保存してあり、来た人の度肝を抜かせてくれます。これにはビックリ・・・!



とりあえず、載せられるだけ載せていこうと思います。
これは関電4トン。加藤製作所製の関西電力向けのスイッチャーです。軌間は762mmということで、黒部ダム関連で使われていたのではないかと。



C4酒井(DBT10tDL)。酒井工作所製の長野営林局植松運輸営材所向けスイッチャー。軌間762mm。
第2エンド(?)の窓が湘南顔風になっているのが可愛らしい。



14系客車。寝台特急「北陸」に使用されていた寝台客車です。スハネフ14-35、オロネ14-703、スハネ14-703の3両が保存されています。
保存車がひしめき合っているので1両ずつの撮影は不可能。



アルナ工機製連接式ディーゼルカーSLタイプ。
川越聖地霊園向けのSLの皮を被ったDL。霊園の遊具か何かだったのか?



25トンB型液体式ディーゼル機関車。
どっかで見たことある形だなぁと思って調べたら一昨年の伏木ヤード祭りで見たやつでした。思わぬ再開。



金沢市内線2302号。
1961年に製造されるも1967年に市内線の廃止に伴い豊橋鉄道へ譲渡。2000年に廃車となりますが、鉄道総研に譲渡され、架線・バッテリーのハイブリッド路面電車の実験車として使用されました。



D15-1。日本車輛製の15トンスイッチャー。関西フレートサービス→昭和産業を経ています。自走可能だそうです。



加藤5トン。その名の通り加藤製作所製の5トンスイッチャー。軌間は610mm。金子組に所属していたようです。



土井酒井。酒井工作所製の4トンガソリン機関車。軌間は610mm。修復中のようですね。



ライブスチーム用とみられるC56-160のような何か。すんごいゲテモノ感がする・・・。



海軍加藤3トン。加藤製作所の3トンスイッチャー。軌間610mm。旧帝国海軍の霞ヶ浦航空隊で使用されていたとのこと。従軍スイッチャーもいたのか・・・。


続きます。

その2へ→

四国project 〜Conquest of Japan〜 最終回

$
0
0

第50走者:伊賀鉄道(200系) 伊賀神戸13:35→上野市14:00
上野市に戻ってきました。ここで降ります。忍者がお出迎え。



駅の裏側にある上野城へとやってきました。これは松尾芭蕉を祀る俳聖殿。



上野城は、1608(慶長13)年に藤堂和泉守高虎が大阪城の豊臣秀吉に対する拠点として築城しました。
慶長17年には台風により天守閣が倒壊、その後再建されることはありませんでしたが、城自体は存続しました。現在の天守閣は1935(昭和10)年に地元の名士により復興しました。



例によって天守閣の内部はスルー。見ると意外と時間がかかるのよね。



上野城の特徴は日本一高いとされる石垣。打込はぎ工法で、高さは29.7m、延長は368mです。



第51走者:伊賀鉄道(200系) 上野市14:46→伊賀上野14:53
上野城をささっと見学したら、伊賀上野まで乗って関西本線に復帰します。



伊賀上野の駅舎はこんな感じ。



それっぽく撮ってみたけどうーん微妙。



第52走者:関西本線(キハ120形) 伊賀上野15:21→亀山16:05
キハ120に乗って亀山方面へ。



亀山に着いたら211系0番台が留置されていました。初めて見ました。



キハ120も撮影。



第53走者:関西本線快速(313系) 亀山16:23→名古屋17:34
亀山からはJR東海エリア。313系の天下です。
四日市からは快速運転になって駅を飛ばすのですが、列車交換でよく止まるのであまり快速感を感じませんでした・・・。



第54走者:東海道本線特別快速(313系) 名古屋17:45→豊橋18:38
名古屋駅できしめんを食べて東海道線にの乗り換え。5000番台じゃなかった・・・。
あとはもう帰るだけです。



第55走者:東海道本線(313系) 豊橋18:48→浜松19:23
豊橋からはJR静岡エリアへ。



第56走者:東海道本線「ホームライナー静岡」6号(373系) 浜松19:29→静岡20:28
ラストランナーはホームライナーに乗って快適に。



これで無事に47都道府県を回りきったわけですが、広島や岡山、大分などほぼ足をつけただけという県がいくつかあるので、今後はこれらを重点的に回っていこうと思います。

というわけでこれにて四国project完結!!

次回からは東北projectをお送りします。

作ったものまとめ

$
0
0

那珂川清流鉄道を訪問する その2 【2014/02/16】

$
0
0
引き続き保存車両を掲載。



10トン半キャブ-2。協三工業製。



加藤3トン。これは軌間610mmのガソリン機関車です。
前の所属は鳶屋建設となっていますが、台車に彫られている帝国海軍のマークから、元々は帝国海軍の従軍機関車であったことが察せます。元霞ヶ浦航空隊の機体だったと言われています。



加藤6トン。軌間610mmで建設省所属だったもの。



100号蒸気機関車。協三工業が製造した蒸気機関車で、むさしの村鉄道に所属していました。
むさしの村は埼玉県加須市にある遊園地で、農協が経営しているためか園内に体験用の農地もある珍しい遊園地です。
その中に「むさしの村鉄道」という園内鉄道があり、そこで実際に走っていた本物の蒸気機関車です。ちなみに100号引退後の現在は、蒸気機関車風のバッテリーカーが走っているようです。



TD-2。日立製作所製の25トンディーゼル機関車。ここに保存してある機関車の中では大きめの機体です。ナンバープレートにはDD102と書かれているのですが、どちらが正しいかはわからないです。
前所属は高崎製紙ですが、塗装が国鉄ディーゼル機関車風なので、DE10を小型化したかのような可愛らしい印象です。



協三工業5t半キャブロッド式。前所属は秋田県北通運。



TD-3。先ほどのTD-2の同型機・・・だと思う。これを解説しているページがないの。



10トン半キャブ-1。協三工業製。



ヨ8000形8099。川崎重工製。国鉄の緩急車です。



こんなかんじでぎっしりところ狭しと保存されています。



こっちにも。



見学していると、10トン半キャブ-1とTD-3が始動して屋根の外へと出てきました。この後体験運転に使うのだそうです。
ただ詰めんこでるだけかと思いきや、自走できるというのがここのすごいところですね・・・。



資料館もあるのでそちらも見学。昔のメーカー銘板が展示されていました。
珍しいところで言うと富士車輌、輸送機工業あたりでしょうか。どちらも知らないメーカーです。



東急横浜というのもレア。今の総合車両製作所ですね。この時はまだ関西に工場があった頃のものか?



101号蒸気機関車。2013年1月に新造された日本で一番新しい蒸気機関車です。ニュースにもなりましたね。SLの新造は22年ぶりなのだそうです。
当然ながら自走できるのだそうです。見れば見るほどすごい施設ですねぇ。



クラウス17号。明治22年にドイツのクラウスマッファイで製造された古典蒸気機関車。
最初に九州鉄道(後に国有化)→東京横浜電鉄(東急の前身の一つ)の建設用→留萌鉄道→明治工業→(略)→大井川鉄道→遠野・万世の里、という風に幾つもの鉄道を渡り歩いてきた経歴を持ちます。



謎のスイッチャー。



松山 保線用機関車。昭和54年12月、松山重車両工業製。近鉄の保線モーターカーとして使用されていた。
体験運転用の車両が外に出たので隠れていた別の車両を撮影することが出来ました。



前回も紹介したC4酒井。1エンド側はこんな感じ。これも始動していました。



関電4トン。こちらも自走していました。


まだ続きます。

その3へ→

欧州project〜2012年ヨーロッパの旅〜 パリ編 その15

$
0
0

オステルリッツ駅の地上ホームから移動して地下に降ります。
乗るのはRERのC線に乗ります。RERはパリとその郊外を結ぶ鉄道網のことで、大都市では地下区間を走り郊外では地上に出て走るという、東京の地下鉄とその直通先の私鉄路線と似たような感じです。
この電車はZ22500型。2階建ての電車です。



乗るのはこのZ5600型。同じく2階建ての電車です。ボロいというか汚い・・・。



電車の中は天井絵をイメージたかのような画が描かれています。薄暗い車内のせいか不気味に見えます。



日本語でもなんか書かれています。
そう、これから行くのはヴェルサイユ宮殿です。

あとは、アコーディオンを演奏しながら歩いてくるおっさんが現れました。
演奏しながら車内を歩いて行き乗客からチップをもらっていきます。SNCFがそんなサービスするとは思えず(別に馬鹿にしてるわけじゃないです)、いわゆるアレなんだろうなと思いながらガン無視。



ヴェルサイユ・リブ・ゴーシュ駅(Versailles Rive Gauche)に到着。2つの電車が並びます。
ここから少し歩いたところにヴェルサイユ宮殿があります。



ルイ14世の銅像。ヴェルサイユ宮殿を建造させた人物です。



宮殿の外観。広い。



沢山の人。



チケット購入には長蛇の列が・・・。



やっとこさ入場。
ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世が建造を命じ、1682年に竣工。政府機能と宮廷をパリのルーブルからこちらへ移しました。



最初に見たのは大きな礼拝堂。
1710年に完成したこの礼拝堂は、ゴシック建築とバロック様式が共存しているものです。



神聖な場所だという雰囲気を感じさせます。



宮殿外観の模型。



回廊に鎮座している石像群。一体一体がフランスの歴史に関係している人物なんでしょうね。



規程の礼拝堂の2階部分。王は基本的にこの2階からミサに出席していました。


その16へ→

那珂川清流鉄道を訪問する その3 【2014/02/16】

$
0
0

まだまだ続きます。前回で始動していたスイッチャーは、体験運転に供されていました。
私は今回は運転しなかったのですが、30分間の運転で4000円というのはすごく魅力だと思います。



関電10トン。松岡産業製の762mmスイッチャー。



謎のモーターカー。おそらく富士重工製。



トキ15000形トラ20073。日立製作所製の35トン積み無蓋車。戦後の木造無蓋車の代表的形式です。
ちなみにここに保存してある貨車の殆どは、宇都宮貨物ターミナルに保存されていたものです。



ホキ2500形ホキ2610。石炭石専用の35トン積みホッパ車で、これは高麗川〜武甲間専用で使われていたとのこと。



C12。那珂川清流鉄道が新造した蒸気機関車風ディーゼル機関車。
他にも客車も新造されていて、施設内に敷設された周回線路を走るために用意されたものではないかと。
ちなみに、車体には特急「つばめ」を牽引したC62形に付けられていた「スワローエンゼル」があります。他のいくつかの機関車にも付けられていて、ちょっとした遊び心を感じます。



トラ55000形トラ57523。18トン積みの無蓋車。



タキ2600形タキ42642。30トン積みの苛性ソーダ液専用タンク車。企業所有の貨車で、酒田港駅に常備されていました。これは元宇都宮貨物の車両ではないようです。



ヨ3500形ヨ4779。車掌車です。この車両は一段リンク車と呼ばれる、信越本線横川〜軽井沢間の碓氷峠の通過に対応したもので、現存するのはこれだけと言われています。



名鉄キハ8500系。8501と8504が保存されています。これはここの車両の中でも知名度が高いのではないかと。
名鉄のJR高山本線直通用の特急型気動車で、直通廃止後は会津鉄道に譲渡され「AIZUマウントエクスプレス」として2010年まで活躍していました。これは元会津鉄道車だったものです。



TD-1。汽車会社が昭和45年に製造した高崎製紙向けのディーゼル機関車。
ちなみに兄弟車のTD-2、TD-3共々、ここに来る前は塗装が剥げサビも浮きひどい状態だったようです。よくここまで修復できたなと思います。



ヨ6000形ヨ6786。車掌車。



ラッセル車。これも一昨年の伏木ヤードにいたやつだな・・・。



このあとは一旦離脱して、グループ会社のマイクロバスに揺られて定食屋でお昼ごはん。予めお昼を手配してもらっていたのでした。
鮎の炊き込みご飯をメインに据えたセットです。美味しくいただけました。特に炊き込みご飯で余った鮎を使ったの唐揚げは美味でした^^(でも、ご飯に肝が入ってたのは苦くてたまらなかった・・・



お昼を食べ終えたあとはバスで別の場所に移動。八溝スーパーに保存されている黄金の協三15トン蒸気機関車を見に来ました。
三菱工業古河工場の専用線で使われていたものを陸上自衛隊が譲り受け、「第101建設隊」での教材用として使用された蒸気機関車です。部隊解散後は陸上自衛隊朝霞駐屯地の自衛隊輸送学校にて保存されていましたが、老朽化によりスクラップ業者に払い下げられていたものを救出したのだそうです。
たぶんこの黄金色は現役時のとは違うと思います。ガールズ&パンツァーの38(t)戦車を連想させますねぇ・・・。



さらに移動し、今度は馬頭運送のガレージへ。ここで保存車両の整備を行っています。ちなみに那珂川清流鉄道保存会と馬頭運送の代表は同じ人です。そういうことです。
運送会社だからこそ、保存車両を自前で運ぶことができ、自前で整備ができるということですね。最強じゃないか。

で、見学してみると、まだ見ぬ車両がずらりと。これらも近いうちに那珂川清流鉄道入りするのでしょう。



塗装を終えてピカピカの車両。もうエンジンの整備も終えている感じでしょうか。



鉄道車両以外にオート三輪も整備されていました。これは思わぬ収穫でした。
これはたぶん、マツダのK360。



もう一台ありました。車種は不明。角形ライト一灯がポイントか。



こんなモーターカーも。これ可愛いから乗ってみたいなぁ。

ガレージは事前に連絡をすれば見学できるとのことです。


最終回へ→
Viewing all 1657 articles
Browse latest View live