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【拉致旅行シリーズ】 レンタカーで行く北陸周遊旅 最終回 【2014/01/11〜13】

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福井から岐阜県へと南下し、岐阜県最初の目的地へと到着しました。
たどり着いたのは旧名鉄美濃駅。かつての名鉄美濃町線の終点です。美濃町線は徹明町〜美濃および関を結んでいた路線で、2005年に廃止されました。ただし、美濃駅は1999年に廃止されています。
現在は、駅舎とプラットホーム、数両の電車が保存されています。駅舎とホームは国登録有形文化財にも指定されています。



路面電車の走る路線でしたが、駅舎は広々とした立派なもの。
昔はグッズがたくさん置いてあったようですが、ほとんど撤去されてさっぱりとした感じ。



プラットホーム。廃止時から目立った手を加えられた様子は見当たらず、線路に電車が保存されていることもあり、まさに現役時を彷彿とさせる情景です。



モ510形とモ600形。雨ざらしですが状態はとても良好ですね。素晴らしい。



モ510形512号。
1926(大正15)年に美濃電気軌道が投入した車両。晩年は予備車ながらも2005年の岐阜市内線系統廃止まで現役の古豪だった模様。
半流線型の前面と当時の流行だった丸窓の戸袋が特徴。



モ600形601号。
1965(昭和40)年製造。美濃町線の列車を各務原線に直通させるための車両で、異なる架線電圧(美濃町線600V/各務原線1500V)に対応した高性能な複電圧車。
すごく細い(こなみ



モ590形593号。
1957(昭和32)年製造。美濃町線系統用の車両で、廃止後は593号がここで保存。残りの2両は土佐電鉄に譲渡され、現在も活躍しています。名鉄の路面電車は今も結構しぶとく走っているんですね。
この593号は登場時の緑のツートンカラーに復刻されています。



モ870形。名鉄オリジナルではなく、中古の2車体連接車両である札幌市電A380形を購入したもの。言われてみれば札幌市電らしい丸っこい車体です。
2005年の廃車時にカットモデルとなって当地にて保存されています。



ズラッと並べて撮ります。これは壮観ですね。モ870はカットモデルでホームにちょこんと乗っている形ですが、高さが他の車両と同じなので違和感なく並べます。
これからもホームや駅舎共々大切に保存されていって欲しいです。



さらに車を走らせ、最後の目的地へ。旧名鉄谷汲駅です。2001年に廃止になった名鉄谷汲線の終点です。



ただまあ、あたりはもう真っ暗。明かりもないし撮影には厳しい。



モ750形755号。
1927(昭和2)年に現在の名鉄の前身である旧名古屋鉄道がデセホ700形として製造した電車。登場当初は名古屋周辺で活躍し、晩年は谷汲線や揖斐線で余生を送っていました。



モ510形514号。美濃駅で見た512号と同型です。
512号は座席が撤去されていましたが514号は座席も含めて保存されていました。クロスシート車だったとは驚きでした。

これにて、この日の予定は全て終了。神奈川へと帰還の途につきます。



帰りは中央自動車道経由で帰ります。やたら飛ばしていましたのでガソリンがマッハ。
途中のおなじみ諏訪子SAで飯休憩。ディスプレイにエラー表示が出ていたけれど大丈夫かしら。
諏訪子からもガソリンをマッハにして相模湖ICで降りて、海老名、藤沢で今回拉致った2人を降ろし、どういうわけかワイも大船へ。そのまま大船某所ネカフェにて一泊。


というわけなんでこのまま終わらずにEX編へと続く。

EXその1へ→

天竜浜名湖鉄道と豊橋鉄道に乗る 中編 【2014/06/01】

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天竜二俣駅から西へ向かいます。乗ったのはTH3500形。
NDCシリーズばかりの天浜線で唯一の富士重工のLE-DCです。塗装は昔運行していたトロッコ列車のものがそのまま引き継いでいます。最近更新工事したようなのでまだまだ使っていくようです。



天竜二俣を出て割りとすぐに天竜川を渡ります。フフフ怖いか?
このまま金指まで行きます。



金指から遠鉄バスに乗り換えます。エアロスターMPですかね。



のんのんしたところを歩きます。



やってきたのは竜ヶ岩洞。浜松市北区引佐町にある東海地方最大級の鍾乳洞です。
昔一度だけ行ったことがあったような気がします。とはいってもほぼ初めて来たような感じ。
なんかすごいB級感。竜からミストが出てくるし。



敷地内にしれっと置いてある謎の鉄橋。曰く、遠鉄の昔の軽便鉄道だった奥山線のもののようです。本物らしい。
というのも説明書きがなにも無いのですね。本当に隅にぽつんと置いてあるだけ。事前に知らなければ気が付かずに終わりそう。



洞窟内に突入します。涼しくてステキ。



猿ヶ石。



三体羅漢。石筍ですね。
そそり立っている(意味深)



考える人。なんかこうネーミングセンスがB級感醸し出しててアレ。



喜びの窓。
竜ヶ岩洞はこの地点で小さな穴が開いているだけで行き止まりだと思われていましたが、探検家2人が手掘りでこれを突破したことを記念して名付けられたとか。



ミニ百枚皿・・・。


ワニの岩・・・。
こんな調子の鍾乳石・奇岩が続きます。



斜めに切り立った壁。歩きづらい。



なんか卑猥チック。このあとめちゃくちゃ(ry



膜状鍾乳石。天井に貼っ付いているレア物らしい。



ものすごい鍾乳石。これだけの密度があると見応えがありますな。



黄金の富士。デカい。横に広い石筍ってあまり聞かないですよね。



だいたいこんな感じでした。小さい鍾乳洞でしたけどB級感が漂っていて楽しめました。



怪しげなローヤルトップの自販機を見つけました。いつの自販機だよ・・・。
どうせ死んでるんだろうと思ったら生きていて、飲んでみたら案の定オロナミンCみたいな味でした。オロナミンCをはちみつでもっと甘くしたような感じ。なお牛乳屋が製造している模様。

これで竜ヶ岩洞から撤退します。


後編へ→

天竜浜名湖鉄道と豊橋鉄道に乗る 後編 【2014/06/01】

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竜ヶ岩洞から遠鉄バスで金指駅に戻ります。とんでもないクソ接続で1時間ほど待たされますので、その間に駅周辺に残っている遺構を見に行きます。
まずは駅から西に300mほど歩いたところにある遠鉄奥山線の高架橋が残っています。おそらく1930年代のコンクリート橋でしょうか。この年代のコンクリート橋は珍しいと聞きます。



旧二俣線を跨いだ奥山線の線路は高架を降りて金指駅へと至り、二俣線と接続していました。高架橋前後の遺構は全く見当たりませんでした。完全に姿を消したと思います。
ちなみに金指駅はもともと奥山線の駅であり、その後に二俣線が乗り入れてきた形になります。ですので、この交差部分も慣例通りならば後から開業した二俣線が奥山線を跨ぐことになるのですが、二俣線が割り込む形で地上を走ることになり奥山線は高架橋に切り替えられることになりました。



さらに駅前には蒸気機関車用の高架給水水槽が残されています。これの他にプラットホーム、旅客上屋が有形文化財に指定されています。



ちょうど金指駅でTH2100形同士が交換。TH2100形はNDCシリーズの中でもかっこよくてお気に入りです。
このまま一気に終点の新所原駅へ。途中で見どころもありましたが寝てしまったので全て見逃して起きた時は新所原。
これで天浜線は完乗となります。これで県内の未乗路線は遠鉄線と井川線(奥泉〜井川)のみになります。



新所原から東海道線に乗り換え、2つ先の豊橋駅へ。そこから豊橋鉄道渥美線に乗り換えます。
渥美線の車両は東急7200系のお下がりである1800系が運用されているので、前から行ってみたいと思っていた路線でした。
2013年には「渥美線カラフルトレイン」として全10編成が異なる色を纏った姿に変わりました。10色となるとカラフルな電車で有名な井の頭線以上ですね。
とりあえずはホームに停まっている1803F「つつじ」を撮影。つつじは豊橋市の花になっています。よく道路に植わっていますね。花の蜜を吸ったりするアレ。



1805Fは「菖蒲」。賀茂しょうぶ園や初立池公園で菖蒲を楽しむことができるそうです。
1803FのL字アンテナは名鉄の移植のようでしたが1805Fのものは東急オリジナルのようですね。細かいところで差異がありますな。
あとは個人的好みですけど、フロントの骸骨顔(窓まわりの黒塗り)はやめて頂きたかったかなと。ダイヤモンドカットの魅力半減やでぇ・・・。



1803Fに乗って終点まで乗ります。ふたつめの小池駅で列車交換するので、ホームから撮影。
1801F「ばら」でした。沿線の田原市はばらの出荷額が全国トップクラスなのです。



杉山駅でも1802F「はまぼう」を撮影。聞いたことのない名前です。はまぼうの自生地北限である田原市は愛知県天然記念物に指定されています。



最後に神戸駅で1809F「桜」を撮影。沿線では向山緑地や滝頭公園が特に有名です。



終点の三河田原駅に到着。なんかとても近代的で大きな駅舎です。2013年10月に建て替えられたのだそうです。中には図書館やフリースペースを完備。



線路の脇から1800系が撮影できました。ホームも2面4線と過剰なのではないかと思うほどに多かったです。


豊鉄バスのレインボーRJ。すごく短い。
路線バスは他にも伊良湖本線などがあって、渥美半島の先っちょまで走っています。そこからはフェリーに乗り換えてさらに遠くへ行くことが出来ます。
どうでしょう軍団も原付きで渥美半島を横断してフェリーで鳥羽まで行っていましたね。そういうルートも悪く無いですな。



もっと渥美半島を満喫したいのは山々ですが、長居はできないので豊橋へ折り返します。
途中の大清水駅で1810F「菊」を撮影。電照菊ハウスの明かりが綺麗だとか。



残りの編成もできるだけ撮影しようと、車庫のある高師駅で下車。
車庫には1807F「菜の花」と1804F「ひまわり」が留置されていました。菜の花は田原市の花、ひまわりは沿線やサンテパルクたはらで楽しめます。
あとは、1808F「椿」が検査中でした。



ちょうどやってきた1802Fを撮影します。



「菜の花」と「ひまわり」と「菖蒲」を1枚に収めて豊橋へと戻ります。
今回の訪問で8編成撮影することが出来ました。意外と効率よく撮影ができて満足でした。
渥美半島周遊も含めてまた行きたいですね。



豊橋に戻ってきたら、少しの間豊橋市電を撮影。これも豊橋鉄道の路線になります。
旧型のモ3100形やT1000形を期待していましたが、来たのは全てモ780形でした。うーんこの。福井鉄道で似たような顔の車両を結構見ているのであまり有り難みが・・・。
また来ます。



あとは豊鉄バスも少し撮影していました。西工やエアロスターが多い印象ですね。特徴としてはフロントに小さめのLEDマーカーが付いていることでしょうか。



帰ります。フラッと飯田線ホームに行ってみたら313系1700番台がいたので撮影していきました。ダブルパンタええな。



天浜線のフリーきっぷを有効活用するために新所原から天浜線に乗り換えます。
一度来た道を暗闇で何も見えない車窓を眺めながらなにもしないで掛川まで2時間乗りっぱなしですから、相当やられました。おお、つらいつらい。


おわり

富士学校開設60周年記念行事を見学する ダイジェスト版 【2014/07/06】

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静岡県小山町にある陸上自衛隊富士学校で行われた「富士学校開設60周年記念行事」へ行ってきました。
地味に陸上自衛隊の施設公開に行くのは初めてです。海自と空自はあるのですが(舞鶴と入間)。
長くなりそうなので今回はダイジェスト版を掲載です。

朝から自動車を走らせて校内に。やや出遅れた感じでしたが駐車場は近めで撮影場所も割りと簡単に確保出来ました。
グラウンドには数多の装備品が並べられています。これを見ただけでもお腹いっぱいという感じですね。



隊員が部隊ごとに駆け足でグランドに集合して整列する様はまるで運動会。校長のお話や来賓の国会議員の祝辞も続き、本当に運動会のような感じ。おかげで眠かったですw

それらが終わるとグラウンドに並べられた装備品を端から端まで走行させる観閲行進の時間。
ずらずらと並ぶ車両群には気分も高揚します。



とりあえず適当に紹介しておきます。これは87式偵察警戒車。



補給用(?)のトラック。こういう後方支援の車両、大事ですよね。



203mm自走りゅう弾砲。榴弾の「榴」は平仮名が正式らしい。
今回の装備品の中で一番大きいです。戦車よりも大きい。やはり長物はよいな・・・。



最後は戦車部隊です。トップは最新鋭の10式戦車。



次に90式戦車。本州で見られるのはここだけになるのか?



最後はみんな大好き74式戦車。丸い砲塔が可愛い。



観閲行進が終わった後は、訓練展示です。敵軍をどのようにして排除していくかというのを見ることが出来ます。これもだいぶ端折って紹介。
多用途ヘリコプターUH-1Hから隊員が降下。映画みたいでかっこいい。



旧型の74式戦車は某国人民解放軍(嘘)敵軍役でやられてばっかでした。



203mm自走りゅう弾砲は空砲を発射。空砲と侮る無かれ、体中がビリビリするような轟音を立てて発射します。こんなにするとは思わなかった・・・。



戦車中隊も空砲を撃ちます。203mm自走りゅう弾砲みたいに発射の合図がなかったので、発射の瞬間を捉えることは出来ませんでした。
そんな感じで訓練展示は終わり。とても楽しめました。



最後に校内に保存されている過去の装備品を撮影。
一番見てみたかった米軍から供与されたM4シャーマンを拝めて満足。このM4A3E8は通称イージーエイトと呼ばれていて、ガンダムEz8の名前の元ネタになっています。



富士学校撤退後は富士宮にある若獅子神社に寄り道して、当地で保存されている帝国陸軍の97式中戦車を撮影。チハたんですよ、チハたん!
車体は錆つき部品も欠損しまくりですが、車体に多数付けられた弾痕も相まって却って戦争の生々しさが伝わってきます。
ていうか錆びた車体の上からクリア塗料塗ってると思うのコレ。


いつになるかわかりませんが、そのうちまた詳しく記事にしていきますのでお楽しみに!

【拉致旅行シリーズ】 レンタカーで行く北陸周遊旅 EXその1 【2014/01/11〜13】

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大船で一休みすること5時間。駅前のヤマダ電機の前を歩いていると、ZeBon運転の黒塗りヴィッツに詰め込まれ有無をいわさず長津田駅前へと連れて行かれたのだった。

ここで青いシエスタが来るまで張り込みます。
経緯を説明しますと、成田空港へ撮影に向かう御一行がいて、じゃあそのうちの一人を驚かせようということでドッキリを仕掛けることにしました。
ただの身内企画なのでこのブログを呼んでいる人のほとんどはつまらないですねぇ。なので今回はさっさと読み飛ばすといいです。もしくはブラウザの戻るボタンを押すかウィンドウを閉じちゃってください。
というわけなので、EXの行き先は成田空港です。

御一行のメンツは、パテ石(今回の標的、何も知らない)、京王宙(ニコン党のガチ撮り鉄)、ウィー(大学生)、T山(すごいカメラマン)、研畜(社畜の大学研究室版。死にかけ)。まあ記事上ではほとんど絡んでこないと思います。覚えなくて大丈夫です。
パテ石以外のメンツには既に根回しをしてあり、連絡を密に取れる体制を構築済み。長津田駅に寄ることも分かっていたのでそこでシエスタを補足して後は付いてくだけ。
準備は万全と思っていました。

ところが、張り込みの定番アンパンと牛乳を食べている間にシエスタは別ルートで長津田駅を出発。作戦を出鼻でくじかれることになります。「話と違うぞ」という愚痴もそこそこにヴィッツも急いで追いかけます。この時点で遅れは10分。



第三京浜→首都高→湾岸道を走るシエスタを追います。それはもう安全な範囲で猛追をします。
そして、ベイブリッジを渡る時点でだいたいシエスタの後方8kmまで差を縮めることが出来ました。



多摩川(多分)をくぐります。もうガソリンがマッハです。悲鳴を上げてしまいます。



大井PA通過。
さらに新木場も通過し、ココらへんで前方を走っているシエスタと連絡を取り位置を確認。
すると、大井PAで休憩しているというのです。今しがた全速力で通過した大井PAでシエスタを追い越してしまったのです。
停まるならそれ連絡しろや!と激怒するも時既にお寿司。



なので、シエスタがこちらを追い抜くまで我々ヴィッツは時速70kmのエコ運転を敢行。新木場までに無駄に消費したガソリン分を取り戻します。
写真はお台場ですね。ちょっと前後関係違ってますね。



そのまま北関東自動車道へ入ります。この時点で後方のシエスタとは10km差。着実に距離が詰まってきたところでさらにエコ運転を強化します。時速は65km。いくらなんでも遅すぎです。

そして運転間隔調整のため酒々井PAにピットイン。少しくつろごうと思った刹那、シエスタが後方1kmまで迫っているとの連絡が。ヴィッツは慌てて発進。
車を降りること無く酒々井PAを出ると直後、シエスタが時速120kmでヴィッツを追い抜かしていきました。そこから再びこちらが追いかける側となり、ついに成田IC数キロ手前で青いシエスタを補足。
運転手さん!あいつです、あの青いシエスタを追ってくれ!



成田ICを降りる頃には真後ろへとぴったりとくっつきます。ここら辺からシエスタ側とは無線封鎖。パテ石さんはもちろんのこと他の乗員もいつ気づくか監視します。なお気づかない模様。なにせ妙高さん(中破)のお面をつけているので。



全く気づきません。



シエスタは国道295号線を走ります。我々もそれを追います。
まっすぐ成田空港へ向かわずに成田山へ寄り道をしていくそうです。



だんだん道が狭くなってきます。気付いてくれる様子がありません。



成田山へ向かう道、かなり混んでおりなかなか動いてくれません。車間距離もどんどん詰まっていき、シエスタとの距離30cmに迫るもなお気付かず。



そして、ヴィッツとシエスタは別々の駐車場に駐車。我々のほうが幾分か距離が近い方の駐車場に停めました。
さらに、山へのショートカットも駐車場からあったため、これを使い先回りし待ち伏せすることに。



成田山の山頂で待機します。実は、我々は昨日までの北陸周遊にて各地で甘いもの(ゆべし、饅頭、ういろう)を入手しており、それをパテ石さんと京王宙くんにおみまいしてやるんですね。このことは我々だけしか知りません。
それにしても大きくて立派な建物ですね。平和大塔といい、1984年築で見た目は二重塔ですが内部は五重塔になっているのだとか。
あんまり連中が来ないので中の収蔵物を見学していました。

・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・

見学し終わっても来ないので連絡してみたら、すでに成田山を撤退したとか言う信じられない言葉が。
いやいや、普通一通り見学していくものでしょう。少なくとも山頂まで登ってくるでしょう。
ありえない行動に2人呆れる。祟られてしまえ。



今から追いかけても追いつかないので、切り替えて成田山をゆっくり見て回ることに。
釈迦堂。1858年建立。先代の本堂でした。



大本堂。1968年建立の鉄筋コンクリート造り。現在の本堂ですね。まだ正月明けなのですごい人出です。



一切経堂。1722年建立。小さいけど大昔の建物。



聖徳太子堂。1992年建立。聖徳太子を奉安しています。神霊廟かな?
こんなところに神子の聖地があったなんて・・・(違

一通り見学を終えたので、成田山を後にして成田空港へ移動します。

新カメラの試し撮りをする 【2014/07/04】

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カメラを買い替えました!
今まで愛用してきたソニーα350からα6000へとカメラを更新しました。ミラー付き一眼レフからミラーレス一眼レフへの更新です。
最近は旅行している時に一眼レフカメラの大きさや重さが鬱陶しく感じることが多くなってきて、ならば思い切って小さくて軽いミラーレス機にしてしまおうということです。あとは単純にα350の性能が低く見えるようになってきたことですかね。
今まで使ってきたAマウントレンズが基本的に使えなくなってしまうのは痛いですが、それを補って余りある性能と使いやすさだと思います、はい。

というわけで今回は新しいカメラの慣熟運転をしに近所で電車とバスを撮影してきました。



最初は東海道線。373系特急「ふじかわ」です。ピン甘ですねこの野郎。
まだロックオンAFをイマイチ理解していないご様子。



EF210-169の貨物列車。パンタが切れているダメ写真ですね。性能以前に腕がダメ。



ちなみに後ろはコキ200でした。初めて撮った。



次に静鉄電車。1000系ですね。やはりピン甘。置きピンのほうが良いのではないか。
ちなみに置きピンはだいぶやりやすくなってました。



線路沿いに花が咲いていたのでこんなことも。あ、でも上が切れてるな。



アウトカーブだったら上手くいくやろ思ってたらこれもダメ。このくらいまで縮小すればあまりわからないですけれど。



1007Fの走行シーンを撮影できるもピン甘。うーんこの。
結局原因はフォーカス設定にあったんですけどね。取説はよく読みませう。



最後は新静岡セノバのバスターミナルへ。しずてつジャストラインを撮影します。今日のメイン。



唐瀬営業所の富士重工7E。正面行先表示器左右はガラスになっていて、これは静鉄の独自仕様だとか。
なおツーステ車は未だにクリームとマゼンタの旧塗装を堅持しています。まだそこそこの勢力を保っている感じです。



山梨交通のいすゞガーラ。静岡〜甲府・竜王を結ぶ高速バスです。



鳥坂営業所のいすゞエルガ。縦2つ目のバスはだいたいエルガでOK。たまにブルーリボンだったということも。
ノーステ・ワンステ車はクリーム色にブロックパターンの新塗装。ドアをマゼンタで塗るというのは継承しています(中ドアのみ)。



丸子営業所の西工96MC+日デ。西工96MCは大きいバンパーが目印。というか西工の闇は深そうなのでこれくらいしか言えません。



三菱ふそうローザのボンネットタイプ。
「駿府浪漫バス」という静岡市から委託されている市内循環バスです。この赤いのは「葵小町」。青いのに赤い?



岡部営業所の三菱ふそうエアロスターK。丸ライトの古そうな車。
正面右側にセーフティウィンドウのあるバスはだいたいエアロスター。



浜岡営業所の三菱ふそうエアロエース。
新静岡〜相良営業所を結ぶ特急静岡相良線に使われています。路線バス用なのでドアがスイング式ではなく折戸式。
平日朝の上りは5分ヘッドでバスが出る時間帯があるそうで、結構ドル箱っぽい路線ですね。いつか乗ってみたい。



小鹿営業所のエアロスター。
ちなみにゲテノンは導入していない模様。塗装パターン的にあのアンバランスなドア配置が露呈してしまうからかしら?



唐瀬営業所の日野ポンチョ。安東循環線専用。これはすぐに分かる。



唐瀬営業所の日野レインボーII。ブルーリボンIIの短い版。顔も細い。



丸子営業所のエルガ。初期に導入されたエルガは行き先表示器周りが赤いそうで。



浜岡営業所の日野セレガ。特急静岡相良線です。



相良営業所のセレガ。やはりこのボディはかっこいい。



鳥坂営業所のエアロスターK。ツーステの中扉仕様でしずてつではかなり珍しいらしい。
中扉でも塗装は後扉に合わせているのね。



唐瀬営業所の日野ブルーリボンシティ。これもすぐ分かる。イケメンですね。



JRバス関東の日デ+西工C型。



ローザの駿府浪漫バス。青いのは「家康公」です。



最後に静岡駅で京王バスのエアロエースを撮影しておしまいです。
車種はだいたいわかってきたような気がしますがまだまだバス初心者ですね。上級者になることもないのでしょうが。

カメラもおおよそ使いこなせるようになってきました。今後の写真に乞うご期待。

【1/700】 フジミ 駆逐艦浜風 製作

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ここ最近精力的に作っている艦船プラモですが、とりあえずは駆逐艦4隻を作って駆逐隊を結成することに。というわけで、陽炎型駆逐艦の浜風を作ります。
数カ月前に艦これで浜風が実装されたのですがちっとも出ないので、作れば出るとの法則を使います。もっとも、最近艦これやってないのでこれでは完成させてもあまり意味が無いです。
キットはフジミ製のものを選びました。フジミのキットはディテールがとても細かく、1/350スケールのディテールを1/700に凝縮したなんて表現がよくされます。
いずれはフジミの金剛型を組んでみたいと思っているので、どんなものか試してみることに。



ああ〜、細かいんじゃぁ・・・。
駆逐艦だからたいしたことないだろ〜って思っていたらWLシリーズなら省略されているところもきっちりとパーツ化されていてとんでもなかった・・・。
吹雪の倍以上かかりました。



あらかた艤装を終えたところ。タミヤの吹雪がおもちゃに見えてくる・・・。
まあ初期のWLはシルエットがそれっぽければいいというコンセプトなのでしゃあない。



艤装を全て終えたところ。駆逐艦と侮れない密度です。



それと、今回の浜風からアンテナ線を張り巡らせてみました。メタルリギングの0.1号を使用しました。金属線を切ってマストに接着剤で付けるだけの簡単な作業。ただ張るだけなら。
自然なたわみやテンション、正確な位置決めを盛り込んでいくと難しいですね。接着剤もたくさん使ってしまったので船体もやや汚らしく・・・。




張り線完了、そして完成。とても実感的になりました。随分と雰囲気が変わるものですね。
以降に作る艦にも採用したいと思います。

【ギャラリー】 大日本帝国海軍 陽炎型駆逐艦 浜風(1944年) 【1/700】

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浜風は、浦賀船渠にて1941(昭和16)年6月30日に陽炎型駆逐艦13番艦として竣工、呉鎮守府の第17駆逐隊に編入された。同駆逐隊には他に同じ陽炎型の浦風、磯風、谷風が所属している。
太平洋戦争開戦時に第17駆逐隊は第一水雷戦隊に所属。南雲機動部隊の護衛として真珠湾攻撃に参加し、その後もラバウル攻略、ミッドウェー海戦、ガ島撤退作戦、などの作戦に参加した。
1944年10月、レイテ沖海戦に従事、シブヤン海海戦に参加する。被弾するも大破した戦艦武蔵の護衛に付き、その後武蔵の沈没を目撃した。
同年11月に本土へ帰っていったが、その途中で戦艦金剛(と駆逐艦浦風)を米潜水艦により失い、呉に回航していた空母信濃の護衛中にもやはり米潜水艦により喪失するなど、多くの主力艦の沈没を見届けている。
最期は1945年に発動された天一号作戦に参加。その後同年4月7日、水上特攻する戦艦大和の護衛として雪風ら数少ない駆逐艦とともに坊ノ岬沖海戦に参加。第一次空襲で船体後部に爆弾が命中し航行不能。次に魚雷が右舷船体中央に命中し船体が前後に分断。航行不能になってからわずか3分後の12時48分に轟沈した。



というわけで、駆逐艦浜風です。
ウォーターラインシリーズは数を揃えてなんぼなので、最近は結構重点的に作っています。まずは簡単なところから、駆逐艦で構成された駆逐隊を結成しようとしています。
色々な艦種を作りたいので史実無視で好きな艦を作っています。前回は吹雪でしたね。で、今回は陽炎型の浜風です。
選定理由としては艦これで擬人化されている同艦をドロップしたいがため。プラモを作ると出るんですよこれが。
キットはフジミの特シリーズを選びました。同型艦の磯風も一緒にパッケージされていて、1隻あたりの調達コストが安いです。磯風もそのうち実装されるやも知れないし、そうでなくても初風なり浦風なり他の艦にしてしまえばいいのです。



フジミのキットなので、ディテールは他社のそれよりも上です。特にリニューアル前のWLシリーズと並べた日には目も当てられません。
駆逐艦と舐めてかかっていたら痛い目を見ました。



浜風は大戦末期まで在りましたが、今回のキットでは1944年時の最終時を再現したもの。
対空性能を上げるために2番主砲を撤去して25mm三連装機銃を増設しているのが特徴です。他にも22号水上電探に13号対空電探も増設しています。
艦これの浜風も最終時っぽいのでぴったりですね。



今回からアンテナ線を張りました。かなり実感的になりました。ちょっとしたことですが、するとしないでは存在感がまるで違います。
ただ、線のたるみの不自然さや接着剤の量の多さは反省点。今後に活かしていきます。
それと軽くウェザリングもかけました。錆垂れと軽いウォッシングです。ウォッシングはほとんどわからないですけど・・・。



特徴的な2番主砲跡にある25mm三連装機銃。戦艦のように余裕が無いので装備を増やすことはできないんですねー。



魚雷発射管は4連装*2基で8門と吹雪型の3連装*3基の9門よりも減少していますが、陽炎型には次発装填装置があるので実質16発分撃てることに。吹雪型の2倍弱の雷撃能力を持ちます。



フジミの浜風は、主砲と魚雷発射管が回転可能です。他社製だと軸の接続が緩いので接着剤で固定しないといけません。
なので、少し表情を付けることが可能。面白いです。



砲雷撃戦、開始します!

以上、浜風でした。

【拉致旅行シリーズ】 レンタカーで行く北陸周遊旅 EXその2 【2014/01/11〜13】

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成田山から撤退して車を走らせます。パテ石さん一同は航空科学博物館にいるそうなので、そこへ向かいます。
途中で芝山鉄道の芝山千代田駅の横を通りました。こんなところにあるんですねー。周りなにもないけどどうして造った?



何の脈略もなく大きい土偶や馬が見えてきたらもうすぐです。



着きました。航空科学博物館は、その名の通り成田空港に隣接する国内初の航空機を中心に据えた博物館です。昔一度来たことがあります。

しかし我々はここに遊びに来たのではありません。パテ石氏を驚かすために来たのです。
とりあえず駐車場に停まっているシエンタを探して、ちょうど横が開いていたので真横に付けました。



あ、いました。左側に3人いますねぇ。真ん中がパテ石さんですな。
屋上でカメラを構えながら飛行機を撮っています。周りの人たちがただ見るだけかコンデジで撮っているのに対して、一番いい場所で一眼レフに望遠レンズとガチ機材を使って応戦しています。
大人げないです。周りの人たちドン引きで彼らとは距離をおいています。

所在を確認したところで、博物館の入り口で待ち伏せします。館内に入ってうっかり鉢合わせするのもアレですしね。別に入館料が惜しかったわけではない。



でもすぐに飽きたので屋外展示されている実機を観察します。
まずは三菱重工MU-2B/F。1963年から生産した7人乗りのビジネス用飛行機。総生産数は762機。
この機体は三菱重工社有機として各種試験に用いられました。



富士重工FA-300。1975年から生産した6人乗りのビジネス用飛行機。総生産数は46機。この機体は試作1号機です。



日本航空機製造YS-11。かの有名な戦後唯一の国産旅客機で、1962年から182機が生産。定員は66人。この機体は試作1号機です。
結局、国産旅客機の夢はYS-11のみで終わってしまいましたが、自衛隊では持ち前の頑丈さが幸いしているのか現役で活躍しています。
試作機ばかりがおいてあるんですね。



シコルスキー(米)S-62A。1958年から生産した12人乗りヘリコプター。
この機体は三菱重工がライセンス生産したもので海上保安庁で使われていました。



エアロスパシアル(仏)SA330Fピューマ。1965年から生産した21人乗りヘリコプター。
東京消防庁で消防活動や急患輸送に使用されていました。



カモフ(ソ連)Ka-26。1965年から生産した9人乗りヘリコプター。
個人機として使われていたそうです。というかソ連製のヘリなんて輸入できたんですねぇ。



セスナ(米)411A。1962年から生産した8人乗りビジネス用飛行機。
「おおたか号」として中日新聞の取材用に使われていました。



ムーニー(米)M20M。1955年から1万機以上生産した4人乗り軽飛行機。
高速性能に優れていて、この機体は個人所有でレジャーや訓練に用いられました。展示のために成田空港まで最終フライトを行いました。



リアジェット(米)25B。1963年から2000機近く生産したビジネスジェット機のベストセラー。
この機体はアメリカ企業の社有機で、展示のために成田空港まで最終フライトを行いました。



ビーチクラフト(米)C35/E33ボナンザ。1959年から生産した5人乗りの軽飛行機。
この機体は、宮城県の航空大学校で訓練用に使われていました。



セスナ421。1965年から生産した10人乗り飛行機。この機体は「金星II号」として毎日新聞の取材用に使われていました。



ビーチ(米)ターボバロン。1967年から生産した6人乗りビジネス飛行機。
この機体は「明星号」として毎日新聞で使用されていました。

どれも静態保存ばかりで実際に飛べる機体はいないんですねぇ。そこら辺はアメリカには全く敵いませんな。


以上です。
なお、観察中にパテ石さんが退館しシエンタに乗車。一瞬焦るもただの場所移動。おうビビらせるなよ。
こちらも呼応してヴィッツを今度はシエンタの正面に移動。当然気づかず。

つづきます。次回で最終回です。


EX最終回へ→

三島のバスを撮影する 【2014/07/10】

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この日は三島に行く用事があったので、その途中でバスでも撮影していくことに。
ミラーレス機だと携帯が楽なのでちょっとした用事でも持って行けて便利です。
最初は静岡駅でしずてつジャストラインの撮影。
相良営業所のエアロエース。富士山静岡空港静岡線は系統番号がないんですね。



唐瀬営業所のポンチョ。旧型の方です。初めて見たかもしれないですね。



岡部営業所のエアロスターK。偶然にも教習車が来ました。



小鹿営業所のブルーリボンシティ。



鳥坂営業所のエアロスターK。またも教習車でした。中扉のエアロスターKを立て続けにみたというのもあれですが。



ジェイアール東海バスのエアロエース(774-12953)。渋谷・新宿ライナー静岡号です。



唐瀬営業所のエアロミディ。しずてつ車の撮影は初めてですね。



東海道線のホームに上ったら、下り列車に用宗行き表示が!
定期列車には設定されておらず、ダイヤ乱れにでもならないと出てこない行き先です。実際、当日は線路への自動車侵入でダイヤが乱れていたそうです。
これは撮らねばなるまいて。



先頭は211系LL9。正面方向幕に用宗はないので普通表示です。



側面はちゃんと用宗を表示しています。これがSS編成だったら細幕と太幕の両方が見られてよかったんですけどね。ちと残念。



後ろ3両は313系。211系の用宗表示は幕回しの時にひょんなことで見られるかもしれませんが(それでも終着駅到着前に行き先を次の列車に設定している場合がほとんどなので難しいですが)313系はLED表示なので実際に設定されないとまず見られないと思います。



313系はT16。いいものが見れました。



そんなこんなで三島に着きました。適当にバスを撮ります。
伊豆箱根バスの7E。西武グループなのでライオンズカラーですね。



西伊豆東海バスのセレガ。小田急グループの標準塗装ですね。羽の色がオレンジなのが特徴かな。
西伊豆特急に充当。



沼津登山東海バスのエアロミディ。
よく見たら神奈中の中古ですねこれ。神奈中の車は正面に運賃窓、ドアにそれぞれ出入口窓があるのが特徴なので、簡単に見分けることが出来ますよ。
塗装も帯と裾の赤色を橙色に変えただけで塗装パターンも酷似しています(雨樋は神奈中と同じ赤ですね)。
ちなみに乗り降りも前乗り前降りで神奈中と同じ。



沼津登山東海バスのエルガ。小田急バスのお古とのこと。
塗装は現在の東海バスの標準色。神奈中古よりも黄色が明るい感じ。



沼津登山東海バスのエアロミディ。前述のとおり前乗り前降り方式なのでトップドア車で事足りるんですね。
この塗装は箱根登山バス色です。塗替えが進んでいるとか。



富士急シティバスのレインボー。



沼津登山東海バスのジャーニー。



伊豆箱根バスのスペースランナー(日産ディーゼル)。

こんな感じでした。

【1/700】 ピットロード 駆逐艦望月 製作 

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駆逐艦3隻目は睦月型の望月です。パッケージは長月ですが、望月のデカールが付いているので望月作ります。望月(艦娘)かわいいよね。
キットはピットロードのものを選びました。艦船モデルを出してる主要メーカー(タミヤ、ハセガワ、アオシマ、フジミ、ピットロード)をひと通り作ろうということです。



12cm単装砲。他の砲には大抵付いている波除けのキャンバスはいらないぽいですね。



仮の艤装。最終時で作っているので機銃が増えています。機銃は増えているけど3番砲塔は撤去しないで22号電探も付けていない状態です。
少し写真とか資料とか調べて特定したりとか。こうやって沼にはまっていくんだろうな。



キットの大きさやパーツ量の割に塗料の減りが早かったので、今回から牛乳パックにパーツをまとめて貼り付けて一度に塗装しました。
今までの竹串にパーツをひとつずつ貼り付けて塗装していたのに比べたら格段に燃費が良くなりました。今後も採用。



アンテナ線も張っていきます。結構楽しい。



というわけで完成。
船体に書かれている艦名と駆逐隊番号は開戦前に消されてしまっているのですが、見分けがつきやすいのであえて付けています。
所属駆逐隊は開戦前から沈没まで所属していた第30駆逐隊に。
あと煙突格子のパーツを無くしたので煙突の上を黒く塗っただけ。みっともないのでどうにかしますが、とりあえずは応急処置で・・・。

【ギャラリー】 大日本帝国海軍 睦月型駆逐艦 望月(1943年) 【1/700】

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「望月」は、浦賀船渠にて1927(昭和2)年10月31日に竣工した睦月型駆逐艦の11番艦である。当初は「第三十三号駆逐艦」という艦名で佐世保鎮守府に配置された。望月に改名されたのは翌年8月1日である。なお、望月とは満月を意味する。
第4艦隊第5水雷戦隊第23駆逐隊に所属し、1937(昭和12)年支那事変に参加。
1941(昭和16)年に第30駆逐隊に転属、太平洋戦争開戦後にはウェーク島、ラバウル、モレスビーなどの各攻略作戦に参加。
翌年ソロモン方面に進出しガ島への輸送作戦に従事、損傷し一旦佐世保へ帰港するも1943(昭和18)年3月より再びラバウル方面への輸送任務に従事。7月6日のクラ湾夜戦で損傷し、佐世保で修復。修理完了後佐世保を出港し10月1日のコロンバンガラ島撤退作戦に参加した。
ジャキノット輸送作戦中、ニューブリテン島東にて米海兵隊の空襲を食らい1943(昭和18)年10月24日に沈没した。



ピットロードのキットを作りました。モールドが細かくて表現もキッチリとしている印象です。
ピットロードのキットはウェイトが付いてこないので喫水線が反れてしまったのが残念でした。



機銃を増設した1943年時の仕様を作りました。
見分けが付くように開戦前に消されてしまった艦名と所属駆逐隊番号をあえて付けています。



煙突の格子を無くしたので黒く塗りつぶすだけで応急処置。そのうち直すようにします。






以上、望月でした。

【拉致旅行シリーズ】 レンタカーで行く北陸周遊旅 EX最終回 【2014/01/11〜13】

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ヴィッツを正面に移動した後、密偵の京王厨からお電話が。さくら山公園に拉致して欲しいそうです。
パテ石さんはシエンタで寝てしまってしばらく気づくことはなさそうだし、T山さんも一緒に拉致ってさくら山公園へ。飛行機を撮影します。以前も来たことのある場所ですね。

最初に飛んでいったのはエアロフロート・ロシア航空のA330-300(VQ-BPJ)。いきなり未撮影の航空会社を撮影出来ました。



なお公園の前を走っている道路では時々バスが往来します。バス撮り放題なんですね。なんで今まで気づかなかったのだろう。
これは成田空港交通のエアロスター天然ガス車(503)。那覇空港にいそうな南国チックな色です。



珍しいことに護送車が通過していきました。全く遊びのない角ばった車体です。



東武バスのセレガ。



スリランカ航空A340-300(4R-ADF)。



チャイナエアラインB737-800(B-18607)
2発機は早々に離陸してしまうのでほぼ真下から撮るような格好に。辛い。



成田空港交通エアロミディ。



エールフランス航空A380(F-HPJH)。今回もエミレーツ航空のA380は見れず。



全日空B787-8(JA814A)。
ここらへんからもう飽きてきました。



千葉交通エアロエース(短尺車)。



成田空港交通ブルーリボンシティ。こいつってまさか非冷房?



ピーチのA320-200(JA810P)。ピーチ航空も初撮影と相成りました。



関東バスのセレガ。



エバー航空A330-200(B-16309)。ハローキティジェットなのですが、下から見てるのでよくわかりませんね・・・。



関東鉄道ガーラ。塗装パターンは京成グループ共通です。



成田空港交通エアロエース。これも京成グループの標準塗装。路線バス用かとおもいきや貸切用。
それと側面に「かなC」って書いてあるけどなんJ民かな?



デルタ航空B747-400(N675NW)。やっぱり4発機は正義。

これくらいでさくら山公園を撤退。航空科学博物館に戻ります。
未だにパテ石さんは気付いていなかったのでそろそろネタばらし。シエンタにハイビームを浴びせて気付いてもらいました。
これにてドッキリ終わり。お疲れ様でした。さあ帰りますよ。



帰り道の途中で羽田空港に寄っていくことになりました。第2ターミナルに行きます。外は寒いです。おかげですぐに飽きました。

適当に満喫したところで羽田空港を後にして帰ります。
実はレンタカーの返却時刻が迫ってきていてヤバイことにここらへんで気づきます。
レインボーブリッジあたりでシエスタを抜き去り、湾岸道、横横道路を走り、日野ICを降りた時点で残り30分。レンタカーを借りた店舗は大船駅前です。何もなければ間に合うそうです。
でもレンタカーは最後にガソリンを満タンにして返さなければなりません。そして給油はまだです。なので駅からほど近いGSで給油。この時点で残り10分。
そして19時58分にトヨレン到着。2分前にレンタカー返却に成功します。総走行距離は約1500km。よくもまあ・・・。

返却後は伝説のすた丼屋で反省会。次回の拉致旅行シリーズに反省点を活かすことで合意。今後の拉致旅行シリーズの継続に意欲(やるとは言っていない)。

というわけで、北陸旅行これにて終了です。
書き終わってみれば、行ってから半年以上経っていました。さすがに半年経つと色々忘れてきますね。特にEX編前後は本当におぼろげでした。ZeBonさんのメモがなかったら今頃打ち切りだった・・・。
公開備忘録的なブログなのにこれでは本末転倒です。気をつけます。

では次は4ヶ月前に行った旅行でお会いしましょう。

東海project 〜Time Travel of 100 years. その1 【2014/03/07〜08】

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1泊2日で東海地方へと行ってきました。部活の合宿旅行です。先行して掲載したサイコロの旅を除けば大学生活最後の旅行となります。

というわけで、まずは3月7日0時丁度に町田駅へ。ここで18きっぷを使います。
町田駅の中線にはE233系が停泊していました。3月時点ではまだ2〜3編成ほどしかおらず物珍しかったE233系ですけど、記事執筆時点の7月では205系が2〜3編成しか残存していないという逆転状態になっていまして、いやはやJR東日本の置き換えスピードの早さにはいつも驚かされます。



205系に乗って八王子駅へ。H28編成に乗るとかそううまくは行きませんね。



そして八王子から乗るのがこの快速「ムーンライト信州」。この日充当されたのは183・189系N101編成です。国鉄色の編成がきてびっくり。スタートからラッキーですね。
「ムーンライト信州」には4年前に走破した飯田線へ向かうのに使ったことがありますが、ちょうどその時と同じ編成でした。



車内では甲府を過ぎる辺りまで寝られず。前日は昼に二郎を食べ、夜に研究室の飲み会に出てだいぶやられてたはずなんですけど寝られず。
シートがおぞいのが悪いんだきっと。
結局深い眠りに付けぬまま塩尻のバカ停で起きてしまったので、停車している間に189系の編成写真をば。
新宿側の先頭車は飾り棒(いわゆる眉毛)が他車よりも低い位置にあるのが特徴ですな。間抜けに見える。



松本駅に着きました。時刻は午前4時。次に乗る列車は午前6時半。
クソ寒い松本駅(氷点下)で2時間半もどうしろと・・・。
そこで、先人たちの知恵(松本ガスト事件:身内ネタ)を借りて24時間営業の飲食店でやり過ごすことに。朝飯も摂取できて一石二鳥ですね。
ガストではなくて松屋とマックのはしごですけどね。


別のホームにはクモヤ143形が停まっていました。霜取り列車かな?
立て続けにネタ車がきていいですねぇ。

で、2時間半の潰し方ですが、



どうにか時間を潰して松本駅へ戻ります。115系に乗って中央西線を進みます。
JR東海の路線なのに313系じゃなく115系が入るとかマジ勘弁といったところですが、ダイヤ改正でJR東海に乗り入れる115系の列車は全て211系に置き換えられたとか。JR東の路線でも続々と運用が増えているそうですね。
中央本線系統までロングシート化されてしまうのはさすがに勘弁ですねぇ。東海道線だけで十分です。



途中の上松駅で383系特急「しなの」を撮影。ちょっと左スカだけどいいんじゃない?
この「しなの」にZeBonさんが乗っているらしいです。そういえば木曽福島で115系を降りてから姿を見ていない。



さらに大桑駅でも「しなの」を撮影。ちょっと露出低すぎたな。構図ももっと寄れたはず。



???「南木曽に降りるバカはどこのどいつだ!?」
キソーはこの後もちょくちょく出てくる模様。



そんなこんなで中津川駅に到着。313系に乗り換えます。



多治見駅で乗り換えます。なんとなく313系8500番台を撮影。



太多線に乗り換えます。乗るのはキハ11形。
太多線って多治見が起点なのに路線名称は美濃太田の「太」が先に来るのが不思議ですね。



途中でZeBon氏が乗り込んできて合流し鵜沼駅で下車します。ZeBonさんが特急で先行してなにをしていたのかはこちらから。
そのまま歩いて名鉄の新鵜沼駅までやってきました。


その2へ→

【HG】 M1アストレイ 製作

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最近は一周回ってSEEDの機体がかっこよく見えてきてるので、そのプラモを作りたい欲が出ています。
というわけなんでM1作ります。テレビ放映から10年経ってリマスター版発売を機にHG立体化されました。



何箇所か後ハメが必要なので後ハメ加工をば。
膝装甲部はいまどきのキットには珍しく漢らしいモナカ割・・・。
スネの赤いパーツを後ハメ化します。



アンクルアーマーに穴を開けて、後ハメできるように。



足裏の一部とバックパック、腰の肉抜き穴にパテを埋めました。



スラスターウィングのダボ穴を取り除いて後ハメ化。



膝関節の下側を切り取って後ハメできるように。



はめるとこんな感じ。返しをつけているのではめたら取れないです。



アンテナはシャープ化しました。



頭部のフェイスは奥まっていると思ったので、1mmプラ板を挟んでフェイスを前に押し出しました。



いい感じになったと思います。



スラスターのハードポイントはモールドパーツを付けました。
プレイバリューを上げるために付けられたプラモ独自のものではなく設定画にも描かれている公式なものですが、かっこ悪いので埋めました。



腰の装甲のハードポイントもダサい上に設定画にもないので埋めます。こちらは適当なランナーから取ってきたプラ棒とモールドパーツを使って着脱できるように。

やっぱりこんな感じの工作をしていると楽しいですね。完成はギャラリーにて。

【拉致旅行シリーズ】 「トーマスとミニキャブ」というおはなし その1 【2014/07/20】

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朝の8時過ぎ。ゆっくりと朝食を食べていると、家の前に今にも壊れそうなミニキャブが停まっていた。
何事かと近づいてみるとそのまま助手席に連れ込まれ、気がついたら国道1号線のバイパスを島田方面へと走っていたのだった・・・。

そう、拉致られたのである!!(デデーン)

というわけで、今回の拉致旅行は地元静岡が舞台。大井川鉄道に青い人面蒸気機関車が現れたというのでそれを見に行きました。
運転手にZBSのZeBon氏、ミニキャブの後ろの荷物室に詰め込まれているのが風呼んだの将軍氏という構成になっています。
国道1号のバイパスを走って大代ICで降ります。



バイパスを降りて、大井川鉄道と並走する県道473号線を北上していきます。
走り始めてすぐに、近鉄16000系と並走します。抜きつ抜かれつといい勝負でしたが、16000系が五和駅に停車している間に追い抜かします。



途中の家山駅で寄り道。ここには今年に引退した京阪3000系が疎開されています。
本当は帰りに寄るつもりだったのですが、16000系がそろそろ来るはずだから並びが狙えるはず、ということで予定を変更して行きで寄ることに。
引退直前のリバイバル形態のままで留置されています。鳩マークも掲出されたままです。



「テレビカー」の表記もだいぶ退色しましたが残っています。



そして、現役時には掲出していなかった金谷側の鳩マークもサプライズのつもりなのか掲出されています。
噂通り鳩マークにシミかヒビが入っていてみすぼらしい格好に。これは表に出せないわけだ。
ただE31、お前邪魔だ。



西武E31形の2機が一緒に疎開されていました。もう譲渡されて4年くらい経つんじゃないかって感じですけど何なんでしょうね。



そして目論見通り16000系が後から到着。3000系と並びました。いいですねぇ。
なお、16000系の停車位置は3000系よりもだいぶ前なので停車状態できれいな並びを抑えるのは難しそう。



家山での用事を済ませたら道の駅川根温泉の近くの第一橋梁へ。超がつくほどの定番撮影ポイントですね。
ここなら広くてなおかつ上を向いて撮る格好になるのでキャパが広いと思って、激パ対策としてここにしたのですが、蓋を開けてみればそんなことは全くなく。
人数の少なさもそうでしたが、撮り鉄よりも家族連れの方が圧倒的に多かったです。当日は雨予報が出ていたので遠征勢はほとんどいなかったということなんでしょう。それか、そもそも撮り鉄に対してトーマスのウケが悪いのか。

着いてしばらくすると金谷行きの16000系が通過。トーマスの広告を出している編成でした。
自路線に自分ちの広告出しても・・・って気はしますがやらないよりはやったほうがいいですよね。



続いて千頭行きの電車急行。途中の停車駅は新金谷と家山のみで、実質観光用のSL補完列車です。
車両は16000系ということでがっくし。3本全部運用入ってるんか。南海の急行が見たかったぞ。



ヘッドマークはもちろん急行。
せっかくだからもっと本家近鉄16000系に似た書体を使えばいいのにとは思います。



この日は3本のSLが走っていて、その1本目のSL急行「川根路11号」。牽引機はC11-190号機です。
客車はトラスト編成の3両だけ。補機も無しで実にそれっぽい雰囲気が出ています。客車3両の編成を撮影する機会には恵まれていないのでこれは嬉しかったですね。



カーブを曲がり始めると車体を隠していた煙が上ってきれいな写真に。バッチリですな。



後追い。まあこんなもん。
この後、道の駅で少し涼んで時間を潰してから再度同じポイントへ。次のSLを待ちます。



!?
なんやあいつ・・・。



たまげたなぁ・・・。
今日のメイン、「きかんしゃトーマス号」です。
去年と一昨年には自社オリジナルのキャラクター「SLくん」を実際にC11に扮させて走らせていた大井川鉄道が満を持して(?)投入した観光列車です。
C11-227号機を種車にトーマスに仕立てあげています。トーマスのその雰囲気もさることながら牽引している客車も作中に登場するアニーとクララベルと同じ色に塗り替えるあたりはさすがです。
千頭駅のヒロを見た時の期待に見事応えてくれたと言えます。これはすごい。



トーマス単体で撮影。見た目の派手さとは裏腹に改造ポイントは意外にも少なめです。
目に見えてわかるのは顔面パーツ取り付け、デフの取り外し、ライト移設、半円の動輪カバー設置、それと塗装変更くらいのもので、トーマス列車が終わったらちゃんと復元ができるようなっています。
細かいところをよくみると作中のトーマスとは結構相違点があるんですね。水槽の形状とか蒸気ドームの数とか車輪の数とか。
それでもちゃんとトーマスに見えるってのは、トーマスと分かる記号化されたところを的確に再現してるからなんでしょうね。



後追い。補機はE10-2号機でした。


その2へ→

【ギャラリー】 MBF-01 M1アストレイ 【1/144HG】

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M1アストレイは、地球連合とプラントの戦争に対して中立を貫いてきたオーブ連合首長国初の国産量産型モビルスーツである。開発はモルゲンレーテ社。地球連合のG兵器の開発データやそれを基に開発したP0シリーズ「アストレイ」をベースとしている。
ヘリオポリス崩壊以後のC.E.71年1月末以後には量産が開始されていたが、入手していた連合採用のOSは不完全なものであり、ナチュラルが操縦することは難しかった。そこでオーブは、MBF-P03アストレイレッドフレームのパイロット、ロウ・ギュールに接触し技術回収を行った。最終的には同年3月末のアークエンジェルのキラ・ヤマトの協力によりナチュラル用OSを完成させた。
機体特性は、P0シリーズの「高い機動性により、攻撃に耐えるのではなく回避する」を踏襲しているため、構造材および装甲材には軽量な発泡金属を使用している。これには、連合のフェイズシフト(PS)装甲技術を入手できなかったことも関係している。
機体軽量化のため、機体の一部はあえて装甲せずにフレームがむき出しになっている。フレームの色は赤色であり、これはナチュラル用の機体であることを意味している。
武装は連合から入手したビーム兵器技術を採用したことで、非常に高い破壊力を有する。
バックパックにはストライクのエールストライカーをベースにしたフライトユニットを採用している。これにより中距離の移動に際し輸送機を用いずとも、国土内の展開を短時間で行うことが可能である。開発から2年後にはフライトローター「シュライク」を装備した機体も存在する。
C.E.6月15日のオーブ解放作戦にて初陣を飾り、連合のストライクダガーを迎え撃った。その後、一部のM1は宇宙へ脱出し三隻同盟の戦力として第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦まで戦った。



というわけでM1アストレイです。SEED本編放映から10年経ってのHG化です。
ストライクダガーやゲイツなんかも量産型機もHG化されるかとおもいきや結局音沙汰なし。ガンダムフェイスの機体とあってかやはり優遇されているのかしら。



機体番号212はマユラ・ラバッツの搭乗機です。いわゆるオーブ三人娘の一人です。
オーブ三人娘は脇役ながら結構好きだったんですけどね。最終決戦時にあっけなく全員死んじゃいましたね。カガリが種割れするきっかけにしかならなかったけど(しかもその割に弱っちい)、殺す必要あったか?



SEEDの機体らしい大型のバックパック。



重心が背中よりにあるんでやや倒れやすいです。
色はインスト指定だと鮮やかすぎるように感じたので、指定色からさらにオレンジと茶色に振って劇中と同じ色に。



71式ビームライフル。P0シリーズとほぼ同型。






対ビームシールド。連合やオーブのプロトタイプと同型。



やっぱり筆塗りで白塗装は白サフ吹いても厚ぼったくなりますね。やはりエアブラシでないと・・・。



70式ビームサーベル。






対艦刀。統合兵装ストライカーパックI.W.S.P.の装備のひとつ。
ということになってますが事実上のプラモオリジナル装備。P0シリーズもリニューアルされてるし、アストレイ系は優遇されてんなー。
専用マウントラッチも付属していますが、パーツ同士の摩擦で固定するタイプで、塗装後のクリアランスが十分でなかったので固定すると塗膜が剥げてしまうことに。なのでマウントラッチは使っていません。






二刀流にも。












以上、M1アストレイでした。
あとは連合のモビルスーツも作りたいのですが、これが一番プラモの展開が少ないので困ったものです。
105ダガーベースでストライクダガーでも作りますかね。

東海project 〜Time Travel of 100 years. その2 【2014/03/07〜08】

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高山本線の鵜沼駅で列車を降り、歩いて名鉄の新鵜沼駅までやってきました。
なんとなく岐阜バスコミュニティのエアロスターを撮影。



名鉄には乗らずにそのまま歩いて木曽川を渡ります。途中で犬山橋を渡る5700系を撮影。
犬山橋といえば昔は道路との併用橋でしたね。実際に見たことはなかったのですが。



なんかヤバそうな喫茶店がありました。なんかのテレビに出てたような気がしたので撮影しておきました。



私達の目的は、あの犬山城です。



鴨が泳いでいました。野鳥を撮るには機材が乏しいですなぁ。



というわけで来ました、国宝犬山城です。来るのは初めて。
犬山城は、1469(文明元)年に室町幕府管領の斯波義郷(しば よしさと)の家臣である織田信広が築城した城です。
その後織田信長により城は落城し、1594(文禄4)年に信長の次男、信雄の家臣である石川光吉が城主となり城と城下町が大改修されました。今に残る天守閣はこの時のものです。
江戸時代に入ってからは尾張徳川家が城主を務めました。
明治維新後は廃城となりますが、現在も現存天守閣の最古級として保存されています。
どうでもいいですけど、国宝〇〇城と呼ばれる中でも犬山城は一番語感がいいですよね。



天守閣から町並みを眺めます。手前の川は木曽川だキソー。日本ライン川とか地理の授業で習いましたっけね。



城下町の方向を見ます。



行きはとっとと最上層まで上らされたので帰りはゆっくりと見ていきます。
城はバリアフリーもへったくれもないので(大阪城除く)足腰が悪くならないうちに回れるだけまわっておかないとですね。



犬山城見学後は城下町を歩きながら昼飯を食べるところを探します。
たまたま目についた味噌カツ丼の店に入ります。蔵を再利用した店舗ですかね?



味噌カツ丼でございます。
この地方らしい甘い味噌が濃厚でおいしかったです。アタリでした。



お昼の後は歩いて犬山駅まで。再び岐阜バスコミュニティのエアロスターを撮影。



そして岐阜バスのレインボーに乗って博物館明治村にやってきました。


その3へ→

【拉致旅行シリーズ】 「トーマスとミニキャブ」というおはなし その2 【2014/07/20】

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トーマスを撮影し終えた後は、そのまま道の駅川根温泉でお昼ごはんを食べます。
ジュレつゆ茶そばとかいうのを食べました。そばつゆがジュレ状になってるんですね。涼しげでうまうまでした。

そしてこの後は、千頭駅へとミニキャブを走らせました。3本めのSL「川根路1号」を待っていると、千頭駅でのトーマスとヒロが並んでいる時間に間に合わない可能性があるのです。
ミニキャブで坂道を走るのはえらくきつそうな感じでした。ガソリンがマッハ。

で、千頭駅に着いてみると、駅の外にまで伸びている構内への入場待ちと思われる行列に唖然。
なにそれ、千頭駅激パとか見たことないで。
とりあえず車を停めに駐車場を探しますが、当然ながら近場の駐車場は軒並み満車。
ずるずると駅から遠ざかっていき、最終的にJAの支店の近くの河原の臨時駐車場に停車。千頭よりも井川線の川根両国駅の方が近いという有り様です。まさかここまでとは・・・さすがに計算違い。

ここで、千頭駅に突入して2機の並びを見るか否かという決断を迫られます。
時刻は午後1時。千頭駅までは歩いて10〜15分程度と見越して、行列に並ぶのにやはり10〜15分と想定。ささっと構内を見学したとして10分。往復で40〜60分はかかるわけで。
道路事情もわかりません。トーマスの見学を終えた車が一斉に駐車場を出れば混雑は確実ですし、県道の途中では交通規制も行っています。
そうなると帰りのトーマスが撮影できるか怪しくなってきます。

以上のことを鑑みて、千頭駅への突入を断念。ていうか復路のSL撮影も断念。大幅に予定を変えていきます。
なあに、また来ればよいのさ。夏休みの終わった9月くらいにでもまた行こう。



で、ここにきました。
井川線アプトいちしろ〜長島ダム間です。国内唯一のアプト式ラックレールを使用した鉄道の区間です。遠目からでも鉄道が走るような勾配でないのがわかります。ちなみに90‰です。
ちょうど井川線の列車が通過する時刻だったので、やってきました。



謎のエアロエースっぽいものが通過。写真は撃沈。
大井川鉄道バスですが、しずてつジャストラインの旧塗装のような塗装をしているのが気になります。中古車かな?
団体や臨時運用でなければ千頭〜閑蔵間の閑蔵線路線バスでしょうね。
井川線と競合していますが、同区間を井川線が90分かかるのに対してバスだと30分!圧倒的に早い!井川線って・・・。
まあバスは本数が少ないというのがネックですね。基本的に昼間に3本しか走っていないです。これもほぼ観光用路線といえるでしょう。



さて、井川行きの列車がラックレール区間を登っていきます。とてもゆっくりとした走りです。



井川線は非電化路線ですが、ラックレール区間だけはラック式のED90形電気機関車によって牽引・推進されるので、電化されています。車体が縦に長いのが特徴です。
この列車、よく見ると旧塗装の客車とディーゼル機関車が1両ずつ連結されていてなかなかアレです。
色がスイスっぽくていいですよね。乗ってみたい。



長島ダム駅到着後は電気機関車を切り離します。ED90は少し移動して上り列車到着を待ちます。



千頭行きの列車が到着。ED90を連結してラックレール区間を下ります。



すると、近江鉄道のバスが。滋賀からよくも来たものです。
車種はガーラっぽい?と思いましたが、調べたらシャーシ日デ+ボディ富士重という組み合わせのようです。そりゃわからん。



山の地形に合わせてジグザグに進む井川線ですが、ここだけは高規格な高架で地形をぶちぬいているので、不思議とも取れる光景です。



で、ED90をよく見たらアヘ顔目玉が付いていたんですね。アレです、「アプトくん」です。
2年前に本線の青い蒸気機関車「SLくん」と同時に投入された大鉄のキャラクターです。SLくんが塗装を変えたりリボンをつけたりと頑張っていたのに対して、アプトくんはただ目玉を付けただけと影の薄さが否めない存在でした。
SLくんがトーマスに取って代わられるという発展的リストラ(?)になったので、アプトくんも消えたんだろうとばかり思っていましたが、意外や意外、今年も登板していました。
SLくんの分まで頑張れアプトくん!

ちなみにこのアプトくんは2号機。ドイツ製のホイッスルを搭載している機体です。個人的にはやはりスイス製ホイッスルを搭載している1号機を見てみたいですね。



急勾配をやはりゆっくりと下って行きました。


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【拉致旅行シリーズ】 「トーマスとミニキャブ」というおはなし その3 【2014/07/20】

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井川線の列車を撮り終えた一行。
いまさらトーマスを撮る気はなく、静岡市内へ戻ってさわやか行こうぜみたいなノリになっているのですが、もうひとつなんかないかということで知恵を巡らせます。
そして思い出したのが、寸又峡温泉にある千頭森林鉄道の保存車両。これを見に行くことにしましょう。午前は列車撮影、午後は保存車巡りといつぞやの北陸Pを連想させる行程です。

というわけで、今いる長島ダムから県道388号線を少し戻って県道77号線に合流、そのまま道なりに県道の終点である寸又峡温泉へと向かいます。
直線距離だとたいした距離ではないんですけど、N字形に蛇行していて25分ほどかかります。
まあ、ここは路線バスも運行されています(千頭〜寸又峡温泉)から、そんなひどい道ではないでしょう。HAHAHA!



いやあ、ぜんぜんそんなことなかったね!
77号線に合流してすぐは2車線の規格の高い道路だったのですが、最初のヘアピンカーブを過ぎた辺りからこんな調子の道幅の道路が続きます。まあミニキャブ程度ならすいすい行けちゃうし、すれ違いもできるんですけど。
こんなところをバスが走ってるのか?バカか!?
短尺車が走るのがやっとでしょう、これ。エアロミディかレインボーか、はたまたジャーニーか・・・。ポンチョはいないはずだから。
そんなことよりも恐いのは、そのバスとすれ違うのではないかということ。バスが寸又峡を出発する時刻に近いのです。
もしもエアロスターだったらと思うととても正気ではいられません。バスが来る前に早く着かなきゃとミニキャブのスピードも自然と早くなっていきます。



はい絶景!
こういう道ではカーブを曲がる時にカーブの先ではなくてひたすら車の正面の方向を見るんだ。そうするとあっという間に酔うから。
つか普通に乗ってても軽く酔う。



トンネル、橋梁と2車線道路が続くからもうハイライトは終わりかなと思わせてまだ1車線が続くから困る。



着きました。寸又峡温泉です。バスとはすれ違わずに済みました。危なかった・・・。
山の中にある秘境の温泉郷といった感じですね。一度はこういうところに泊まりに行きたいもの。
そして奥の方にいますね。



千頭森林鉄道で使われていた列車の静態保存車たち。手前に自動車が停められていたので編成写真は撮れず。
機関車+客車+貨車という編成単位での保存です。意外とこういうスタイルでの保存は少ないです。たいていは機関車単体。当時の活躍を偲ぶには機関車だけでは足りず、やはり貨車や客車が欠かせませんね。
機関車は協三工業製のDB12(4.8t機)。機関部の構造が覗けるようになっていますが、いかんせん状態が悪いので荒廃感を助長しているように見えます。



千頭森林鉄道は、千頭山国有林の木材を運ぶために建設された森林鉄道と呼ばれる鉄道です。元々は寸又川を筏を使って木材を輸送していたそうですがダム建設により不可能となったため、その補償として建設されたそうです。廃止は1968(昭和43)年です。
総延長はなんと52km。すごく長い鉄道だったんですねぇ。一級線の森林鉄道だったようで、客車も魔改造や流用ではなくちゃんとしたメーカー品を使用していたとのこと。
とてもかわいらしい客車です。



車内も見学することができます。床が抜けるんじゃないかってくらいに荒廃していますが・・・。それでも屋根はあるので最悪の事態までには行っていません。
しっかり整備すればちゃんと光るものだと思うんですけど、まあお金が捻出できないのかなぁ・・・。



一番後ろにあるのは、富士重工製のモノコック式運材台車。2台で1セットです。



ちなみに、保存車の見学中にバスのエンジン音が聞こえてきたので振り返ってみれば、エアロスター(標準尺車)が平然と通り過ぎて行きましたね。しかも続行便出てたし。
いやいやおかしいでしょう。どうやって走るのさ。あんな狭い道のカーブどうやって曲がってるのさ。
逆に乗ってみたいですね・・・。今度来るときはバスで行ってみよう。

というわけで見聞を終えたところで帰ります。来た道を戻ります。途中にはこんな交通規制を促す閉塞区間もありますよ。



さらに進むと土砂降りに遭いました。台風かゲリラ豪雨かよってくらいの雨量です。ツーリング組が道の途中で雨宿りするぐらいの雨量です。山の天気恐い。



さて、我々は静岡市内へと戻るわけですが、行程はこの通り。
県道388号線を北上し、大井川鉄道井川線の終点井川駅まで進みます。
井川駅からは県道60号線に移り、南下。途中で60号線を逸れ、県道189号線経由で県道27号線(安倍街道)に合流。玉川地区、賎機地区を通って静岡市街へと至り最寄りのさわやかへと向かいます。
寸又峡温泉からの走行時間は約3時間。走行距離はだいたい80km強。ほとんどが山道の走行となります。



とりあえず今回は井川線井川駅までを掲載しますね。
ほぼ井川線と並走しています。



先ほどまでいた井川線長島ダム付近。大雨で視界が悪いです。
これはきっと本線の方も大雨だろうな・・・。結果的にトーマスを撮影していたら土砂降りに遭ってそれどころじゃなかったかも知れません。



長島ダムは見て行きたかったのだけれど、この大雨では無理!また今度!無情にも通り過ぎます。
いずぞやの九頭竜ダムは雪だったからよかったんだけど、さすがに雨はね。無理だよね。
他にも奥大井湖上駅とかそこにある旧線跡とか魅力的なところは色々あったけれど全部通過。こんなところめったに来れないというのにおのれ大雨め。

ちなみに県道388号線の道路自体は2車線のちゃんとした道。すいすい進みます。



ひらんだ〜接阻峡温泉では井川線の列車と並走。遠目から見るととてもかわいらしいですな。気がつけば雨も止んできています。
接岨峡温泉駅まではいい勝負を展開していたのですが、井川線はそこから閑蔵駅までの間、県道388号線と一旦離れ、尾盛駅を経由しながら大きく遠回りをします。
県道388号線は井川線に比べれば直線と言っていいほどの距離で閑蔵へ到達。この区間で井川線列車を大きく放します。



閑蔵からは井川線の線路がすぐ隣に!



そしてここからは狭隘な道路が続きます。暗いですね。もうライトはずっと点灯しっぱなしです。



カーブをショートカットする新道を建設中。落ちたら死ぬ。
そしてまたもや土砂降り。



わかりますかこの雨。こんな雨めったにふらないですよ(少なくとも市街地では。山では普通なのかもしれない



チェックポイントである井川駅に着くも、急に現れたので気づくのが遅れて華麗にスルー。この土砂降りなので降りる気にもならず、そのまま引き返さずにスルー。また来ます。
そして井川ダムへ到達。あとは南下するだけです。


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