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第3回水上機大撮影大会 前編 【2015/06/11】

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ある晴れた日の午後、恒例の水上機の撮影へ。
この日は雲一つない快晴で風向きも強い西風、例のアクロバティック着水を見るのには今までで最高の条件です。どんどん撃ち落としていきますよ?



一番手はハーバー・エアDHC-3T (F-CODH)旧塗装。



右旋回。



着水姿勢に入ります。



着水後は反転して空港へ向かってタキシング。



ヘリジェットのシコルスキーS-76 (C-GHJW)。真上を飛んでいきました。



DHC-3T (C-GHAR)新塗装。



真横から。かっこいいな。
航空機にしてはけっこうでこぼこしているという印象を受けます。まあ巡航速度200km/h程度だそうなので多少はね。
窓も四角いし、もしかして与圧されてないんじゃないかなこれ。


DHC-3T (C-FHAA)ロイヤルローズ大学広告。ビクトリア近郊にある元兵学校だった大学です。古いお城があるらしい。



着水する時は機首を下に向けて突っ込みます。普通、他の飛行機だと機首を起こしながら着陸するのでこの体勢は見ていて少しヒヤヒヤします。



まあ普通に着水できてしまうんですけど。
水面まであと少しというところで機首を水平に起こし、そして着水という流れです。難しそうだなぁ。



ウェストコースト・エアDHC-6-100 (C-GQKN)。DHC-3よりは凹凸が少ないですね(ないとは言ってない)
ちなみに初飛行はDHC-6が1965年、DHC-3が1953年で息の長い機種なんですねぇ。DHC-3は既に生産中止しているようですけど、DHC-6は今も造っているらしいです。



DHC-3との離合。



滑走します。滑走に使える距離は数百m程度しかないのでDHCシリーズのSTOL性能の高さが伺えます。



静かに素早く。

長くなるんで今日はここまで。


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第3回水上機大撮影大会 中編 【2015/06/11】

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水上機撮影の続き。いよいよDHC-6がやって来ましたよ!



そこどけカモメお前じゃない!



というわけでウェストコースト・エアDHC-6-100 (C-FGQH)です。3回目にしてようやくうまく決まりました、やったぜ。



もう少し寄せてからも撮ります。



真横。



着水していきました。いやあ満足。



ハーバー・エアDHC-3T (C-GHAG)ロイヤルズ塗装。



なおこの日は風が強くて、普段はとても穏やかなインナーハーバーに白波が立つほど。風上に向かってタキシングする水上機も水しぶきを被ります。これは後でエンジンの整備が大変そうだ・・・。
海の上で離着水できるというのは水上機の利点であると同時に欠点でもあるのです。水のあるところならどこでも離着水できそうですが、波が高いとこれが出来ないので常時離着水できる場所というのは意外と限られてきます。このインナーハーバーも文字通り内湾で波が立たない地形ですしね。少なくとも外洋に接するところは厳しいんじゃないでしょうか。
あとは海水を被るので機体が腐食しやすく陸上機と比べて整備に手間がかかるとか車輪が付いてないから陸上の整備工場に運ぶのに手間がかかるとか(車輪付きのフロートもあるけど)、いい事ばかりじゃないです。
小回りの良さもヘリコプターには敵いませんし、今は大抵の場所には飛行場が整備されてますし、現代ではどうにも使いづらい機体になってしまったわけです。
そんな中でダウンタウンの隣が海(収益が見込める)、その海もいつも穏やか(高波で欠航する事態がない)、空港が街から離れている(競合性が高い)という水上機運用に必要な条件を満たしているビクトリアおよびバンクーバーは地形的に相当恵まれていると思います。よく目を付けたものです。



ちょっと場所を移してフィッシャーマンズ・ワーフで撮影します。いつも撮影しているところはローレルポイント・パークという湾内の幅が最も狭くなる地点です。
水上タクシーもすごく飛沫をあげていますね。



DHC-3T (C-FODH)旧塗装が滑走していきます。ここからだと離水も撮影できるという算段でしたがその通りになりました。



ビタッ!と離水します。離水後は湾に沿って左旋回していきます。



DHC-3T (C-FJHA)新塗装が飛来。



まあさすがにここからだと遠いですわな。



着水。



プロペラの推進方向を逆にして制動をかけます。これってプロペラを逆回転させてるのかと思いましたが、ペラのピッチを逆向きにしているだけなんですね。なるほどそりゃソッチのほうが楽だわな。



反転して空港へ。
水上での操舵にはフロートに付いている舵を使っていると思います。尾翼やエルロンでは無理でしょうきっと。
なおDHC-6ではフロートの舵は付いておらず、左右のエンジンの出力を調節して操舵しているんだと思います。

今日はここまで。


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第3回水上機大撮影大会 後編 【2015/06/11】

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水上機撮影の続き。ハーバー・エアDHC-3T (C-FHAA)が滑走。



離水する瞬間もかっこええですな。



ウェストコースト・エアDHC-6-100 (C-FGQH)も離水。






再びいつものポイントに戻って撮影。
DHC-3T (C-FRNO)旧塗装。



C-FHAJ新塗装。



C-GLCP旧塗装。この角度がやっぱり好きですね。

これで撮影終了。満足な結果が得られました。



おまけ。この日撮影したバス。
CVSツアーズAD Enviro500。屋根に木の枝が引っかかってますがな。まあ二階建てバスにはよくあること。路線バス乗ってる時もたまにおでこに枝をぶつけながら走るよ。



MCI J4500。ぬるっとした感じのフロントマスクをしたバスです。左側のバンパー取れちゃってるがな。
どこの事業車のバスなのかは調べそこねました。



ビッグバス・ビクトリア Big Bus VictoriaのBlue Bird All American。
春~秋に運行しているダウンタウンやオークベイなどを周る周遊型の観光バスです。バスは年式の古い中古のスクールバスを改造して使っていて、車体の後ろ半分の屋根を取り払ったオープントップバスになっています(密閉型も保有)。これもそうで、赤い塗装でなんとなくイギリスっぽく見えますがバリバリのアメリカ産スクールバスです。
なお、バスの値段は高いわ本数はあまり多くないわであまり使いたいとは思わないです。一部海沿いの経路を除けば路線バスでカバーできるので、そっちで十分じゃないかなぁ。周遊バスならではの観光サービスもあるでしょうけど、それを差し引いても高いと思うぞ?
というかビクトリアの観光バスってどこも強気の値段してるんだよな。客層がやっぱり金持ちなのかしら。



MCI MC-5C。事業社不明(車体に書かれている写真から見るにバンクーバーの会社っぽいが)。
一瞬MC-9の観光仕様(窓が天井にもある)かと思いましたが、ウィンカーの形状や屋根の厚みや窓の形が妙に違っていたので調べてみたところ、MC-5Cという別のバスでした。当然初見です。辿り着くまで時間がかかったぞ・・・。
MC-5は1964~1980年に製造されたバスで、製造期間が長いこともあって時期によって外観が異なっています。1964~1977年まで製造されていたMC-5A/Bは独自の外観をしているのですが、1978~80年に製造された最終生産型とも言えるC型は同時期に製造が始まったMC-9に酷似した外観をしています。これのせいで紛らわしいことになったわけです。
MC-9との識別点は、MC-5Cは運転席/乗降扉のすぐ後ろの窓が三角形であること、MC-5Cの方が屋根が厚いこと、でしょうか。古いバスなんであまり見かけることも無いでしょうけども。



ウィルソンのThomas Saf-T-Liner ER。スクールバスですがどうも観光バスとして使っている模様。スクールバスって乗ったこと無いんで詳しいところはわからないですけど、大人にはシートピッチが狭いのではないかと思いますがみんな大丈夫なのかな?



CVSツアーズのAD Enviro500 Go Anywhere。側面のロゴがちゃっかりEnviro500からCVS Toursに変わっていますね。
なお執筆時時点では塗装が大きく変化していました。通りすがり見かけただけでまだ未撮影なんですけどね。

おまけおしまいです。

鳥とかバスとか 前編 【2015/06/12】

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買い物ついでにとくに当てもなくバスだ鳥だを撮りに行きました。
ダウンタウンにAD Dat SLF+Pointer2の新塗装が現れたのでここぞとばかりに撮影。前も書きましたが、ビクトリア管内には1台しかいない希少車です。見かけたら積極的に撮影していきましょう。
LED行先表示器はたまたま切れてしまいましたが、こっちのLEDは1/800秒で撮影しても中々切れないので優秀(?)です。



野鳥探しにいつものビーコンヒル公園へ。
木の上から鳥の鳴き声がするので探してみたら何かいました。たぶんアオサギです。あんな高いところで寝泊まりしているか。



クジャクの番。



カモとアヒルも混じってきました。



メス単体でも。やっぱ地味ですね。



首がねじれているように見えなくもないオス。



カモの雛ですが少し見ない間に大きくなりましたね。



たまにはカラスも撮ってやります。
これで野鳥はおしまい。



バス撮影に移ります。
まずはおなじみパシフィック・コーチPrevost H3-45 (first generation)。



BCトランジットNova LFS。2015年に導入された新しいバス(社内番号9447~9486)です。リアデザインがマイナーチェンジされていますが、基本的には従来車と同じです。この日はリアの写真を撮っていなかったのでそれに関しては後日。
ところでBCトランジットの社内番号ですが、なぜか9000番台がかなりひしめいています。
9000番台は二階建てのTrident3とEnviro500、9050番台はDart SLF、9100番台はDE60LF、9200~9400番台はLFS、9500番台はEnviro500、9700~9800番台はD40LF、9900番台はDart SLF・・・といった具合で保有する殆どの車種がバラバラに登録されています。なんだかもうちょいすっきりとできんのかと思いますね。
LFSは旧型のD40LF更新のために今後も導入が続くと思いますが、9400番台はもうすぐ番号が埋めつくされてしまいます。たぶん唯一空いている9600番台に飛ぶと思いますが、それでもD40LFを全部置き換えるには番号100個では足りないので、その時どうするかってところですかね。



第62学区(スーク)Blue Bird TC/2000 (rear-engine)。
School Districtつまり「学区」です。日本だと生徒が通学する学校の区域程度の意味しか持ちませんが、カナダおよびアメリカでは管内の学校を運営する独立したひとつの組織となっています。
全国どこでも基本的に同じ教育内容の日本と違い、学区ごとに独自の運営方針を持ちその内容は千差万別です。学区の運営の良し悪しがその地域の興廃を左右するとまで言われるくらいですから、影響力はかなり強いものに見えます。これらはアメリカの学区のことですがカナダも同様のはずです。
学校運営の他にスクールバスも運行しているので、学区所有のスクールバスとなるわけですな。



NFI D40LF新塗装。



AD Enviro500旧塗装。最近は広告を貼らない車両が増えてきているような気がします。



Enviro500新塗装。



Chevrolet 4500+Arboc SOM28D。
ここで一時離脱。



フェアモントエンプレスホテル。快晴だしたまにはこういうのも撮る。



ふとインナーハーバーの方を見ると帆船が航行していました。なんだありゃ。
名前は太平洋の恵み号ことPacific Grace。さぞや歴史ある船なんだろうなぁと思いきや調べてみると1999年進水、2001年就航だとな。新しいのね。なお帆を張っていませんが普通に動いていて、エンジンとスクリューを使ってインチキしているか船底に白鳥を飼ってそれのバタ足で漕いで進んでいるんだと思います。たぶん安全のために港湾部では帆は畳むんでしょう。
外洋を長期間航行できるようで、2007年6月から1年間太平洋を数か所寄港しながら周遊していました。日本にも沖縄と大阪に瀬戸内海経由で寄港したんだそうな。よくやるなぁと思います。
これを所有しているのがSail and Life Training Society略して「塩たち(SALTS)」という組織で、青少年たちにこの帆船で5~10日間の航海をさせることで集団生活とかチームワークとかコミュ力とかを学んでもらうということをやっているんだそうな。日本にも似たような狙いの集団キャンプとかありますけどやっぱりスケールがでかいなこちらは。


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鳥とかバスとか 後編 【2015/06/12】

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引き続き撮影。いい天気なんですよ。
ビクトリアの夏場は、気温はまあまあ高いのですがほとんど雨が降らないのでカラッとした気候になり、日本の高温多湿と比べるととても過ごしやすい環境です。
逆に冬場は雨の日が多くなるんですけど殆どの場合小雨で済みますし朝降っていても昼には止んでしまうくらい変動が早いです。気温も氷点下を下回ることは皆無と言っていいくらいです。つまり雪が降らない。
気候は世界中見渡してもかなり住みやすいところに入っていると思います。実際住むのに文句無い。



フェアモントエンプレスの前に停まっているバスを撮影。
CVSツアーズAD Enviro500 Go Anywhere。フロント上部にある手すりって何が目的なんでしょうね?見かけ的には無いほうがすっきりするんですけど。



グレイライン・ウェストAEC Routemaster。ルートマスターといえば1960~1990年代のロンドンバスの代表的車種のひとつです。



イギリスは右ハンドルなので乗降口は左側に取り付けられているのですが、一方カナダは左ハンドルなので乗降口も逆。
なので乗降口の位置を変える改造がされているのですが、綺麗な具合に目立っていませんね。それでも側面方向幕が残置されていたり後部乗降口が完全に埋められていなかったり面影は残っています。



グレイライン・ウェストDaimler Fleetline。これもドアの移設改造を受けています。



ロンドンバスの後部乗降口は後輪より後ろ要は一番後ろ側にあるというイメージがあるんですが、これはリアエンジンなのでそれは無理ですね。じゃあどこにあったのかというと普通に中央に取り付けられてました。何てことないですね。



ビッグバス・ビクトリアBlue Bird All American



ユニバーサル・コーチラインMCI J4500。フェアモントエンプレスの南側の道路は観光バスの待機所になっているので休んでいるバスを時々見かけます。



パスウェイ・コーチライン Pathway Coach Line Chevrolet C4500+Graval Bus Titan。白無垢の小型バスですな。このタイプのコーチ(ボディ)は初見です。



ウィルソンPrevost H3-45 (1st generation)。



ウィルソン・YYJエアポートシャトルFord E-450+ElDorado National Aerotech。



ウィルソンPrevost H3-45 (2nd generation)。
ウィルソンのH3-45は塗装のバリエーションが多いので見ていて楽しいというかややこしいというか。中古車が多いんですよ。



グレイライン・ウェストElDorado National MST。



ダグラス通りでBCトランジット撮影。AD Trident3です。
前も書いたと思いますが、これの旧塗装は消滅済みです。



NFI D40LF旧塗装。D40LF特に赤・青帯の旧塗装車は近年のNova LFS導入により勢力を減らしています。
前半でも書いたように2015年もLFSが導入されたので主に1995年製のD40LFが廃車になりました。1995年以前の前期導入車両の殆どは廃車済みですので減価償却期間はおよそ20年間といったところでしょうか。
近代化工事が施された後期導入車つまり新塗装車はまだ廃車が出ていないようなのでこちらはもうしばらく使われ続けると思いますが、最後の導入が1998年なので保つのは長くてあと5年くらいだと思います(ちなみに新塗装車でも車内や行先表示器が未更新の車両は廃車が出ている)。
体感ですが旧塗装車は目に見えて遭遇率が減ったように思えるので、これらはあと数年で見られなくなるかもしれません。



BCトランジットNova LFS。今に大型平屋バスはこれだけになるやも知れませぬ。



ウィルソンPrevost LeMirage XL-II。これもどっかからの中古らしい。



BCトランジットAD Dart SLF+Pointer2。ビクトリア管内では少数派の中型車。新塗装への塗替えが一向に行われないところを見ると、あまり長く使うつもりはもう無いのかもしれません。
この3系統は以前はほぼ中型車の独壇場だったんですが最近では大型車で運用される便が多くなっていて、中型車の運用のほうが少なく感じるくらいです。
中型車は他に24系統・25系統に充当されるのですがこちらは本数があまり多くないですので、中型車を見られる機会は前より減ったとお思います。



カナダ郵便公社 Canada PostのGrumman Step Van。カナダの郵便配達の主力車両です。日本みたいにカブで配達はしません。
このバンのメーカー、グラマンはあの戦闘機メーカーのグラマンであり、こんなものも造っていたんだなと驚きました。

これで今日の撮影は終わりです。

そこはスチームパンクの世界だった その1 【2015/06/20】

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それは確か2014年12月、バンクーバーへ行くために乗った路線バスから車窓を眺めていた時のこと、私はそれらがひっそりとしかし確かに佇んでいるのを見た。鉄道車両の保存車である。
ビクトリア近郊に保存車両が残っていたのかと最初は目を疑った。後で調べてみるととある保存協会の敷地内にありそこが保有しているらしい。
意外な物件を見つけはしたが、訪問するのはかなり後の夏期まで待つことになる。路線バスの経路沿いにあるとはいえ近くにバス停が無いので歩いていくのがしんどく、また冬期は開館時間や公開物件が少ないためだ。
そして程なくして6月にサマーフェアが開催されることを知り、その日に突撃することを決めたのだった。



というわけで、意外な物件ことサーニッチ歴史的道具協会 Saanich Historical Artifacts Society; SHASを訪れました。和訳するとかっこ悪いな。HictoricalだとかHeritageだとかはどうも上手い和訳が決まらない感じですわ。日本だとこういうのはどうしてるっけ・・・?
来る前は小道具なんかを保存している団体かなと思っていたんですが、かなりわくわくするものを所有しておりたまげました。
上記したとおりアクセスしやすいバス停はなく、最寄りのバス停(Mt Newton Cross at Patricia Bay)は約2km先ですがこれは本数の少ない81系統で利便性が低いです。本数の多い72系統・75系統利用だと更に遠い約3km先のバス停(Saanichton Exchange)になります。まあ歩けない距離ではないですが、私は72系統でサーニッチトンまで乗ってそこからは自転車で行きました。本当に楽ですね、自転車とバスの組み合わせ。

で、入場料を払って最初はここに来るきっかけとなった保存車両を見学します。おそらく保存してある耕作機械の実演なんかに使うんじゃないかと思われる空き地の奥に鎮座しています。看板代わりに置いてあるのかもしれませんが、道路から奥まった位置にあるので運転手は見えないんじゃないかなと思います・・・。
置いてある車両は手前から操重車、長物車(操重車の控車)、客車、車掌車となっています。操重車なんてのは珍しいんじゃないでしょうか。そして意外にも機関車は保存されていません。



一両ずつ見ていきましょう。まずは操重車。初めに言っておくとこれら保存車の素性は一切不明です。協会の公式サイトには解説が見つからないんです。見つけたら教えてほしいくらいです。
でまあこっちの鉄道の知識も少ないので、これも蒸気機関で動く操重車なんだなぁとしか言えません。クレーン操縦室の後部にボイラーが縦置きされているのが分かるかと思います。
スコーミッシュの鉄道博物館で見た操重車と酷似していて、同形式なんだと思います。なので製造は1910年代ごろでしょうか。この頃造られた蒸気式操重車は物持ちがよく使い勝手が良かったので中々ディーゼル式に置き換えられることなく(積極的に置き換えるような車両でもないですし)、実に1980年代まで使われ続けたといいます。これもその頃に廃車になったものを引き取ったのでしょう。
バンクーバー島内で使われていたのか?とも思いますが他の車両を見るにそうとも言い切れないむしろ島外からやって来た可能性のほうが高いんじゃないかとも思えてきます。さすがに塗装だけでは分からん。



操縦室も覗いてみますが下からしか見れないのでよう分からんでやんす。



操縦室を前から。
動力をどのようにクレーンワイヤーに伝達しているのかはやっぱりよう分からんでやんす。クレーンブームと本体との接続は案外華奢というか頼りないですね。
このタイプの操重車は一応ながら自走も可能なようです。台車は普通の貨車用の台車に見えるんですけどねぇ。



クレーンブームと控車。
ブームは、模型化するときに面倒そうな形してるなぁという印象くらいしか気付くところがなかったです。
控車は長物車を転用したもので小屋は建っていません。上にはレールやらガラクタやらが載っています。
控車は、操重車を他の機関車や車両と連結するときにクレーンブームが連結する車両に接触しないようにするために連結される貨車です。クレーンブームを収納する役割もあるので長物車が使われます。



3両目は客車。例によって解説無しなのですが車体表記を信じるならばグランド・トランク・ウェスタン鉄道 Grand Trunk Western Railroadの4863号車Southworthです。
GTWは五大湖のアメリカ側などを走る鉄道で、現在もカナディアンナショナル鉄道の子会社として運営しています。なんでカナダの反対側から客車がやってきたのかさっぱり分からないわけですが・・・。
客車は1910年台から製造された重鋼製客車 Heavyweight carと呼ばれるグループ・・・だと思いますよ。二重屋根と3軸ボギー台車と鋼製外板だったらおおかた間違いない・・・と思いますよ。これ以前に製造されていた木造3軸ボギー客車の外板を鋼製に変えたくらいで内装は木製のまま、つまり半鋼製客車だった・・・と思いますよ。まだ自信ないわ。
二重屋根の目的は屋根の間の段差に採光用の窓を設けることなのですが、他に車内の換気もありました(あとは車内の天井が高く見えて開放感が出るというのもあるのかも)。ところがトンネル内では蒸気機関車の煤煙を取り込んでしまってこりゃイカンとなってしまい、早々に使われることはなくなったそうな。その代わり、その構造的余裕は20世紀初頭にエアコンが客車に装備された際に、エアコンの空調ダクトとして機能したんだそうです。そんな時期からエアコンが・・・と驚くしかありませんな。これもエアコンを装備していたかもしれませんが確証はないです。二重屋根の窓が潰されている=冷房車と言えるのかどうかというところですね。実例が少ない。



台車はこの時期ではお馴染みの3軸台車。板バネ、コイルバネ、イコライザー、リベット留め(一部ネジ止め)と、なんとも重そうな台車だこと。
ちなみに日本にも3軸台車がかつてあったのですが、そのうちTR70型台車(と他数型式)はなんだかこの台車と部品構成や配置がそっくりでして、もしかしたらTR70はこれをパク・・・もとい真似たのかもしれません。



デッキに上れたのでそこから車内を拝見。う~んこの・・・。車内に見るべきところはないですかねぇ。ここまで原型ないと元が何の用途車だったのか分からんですな。たぶん座席車だったと思うんですけど・・・。
ところで車内中央部の二重屋根の部分が出っ張っていますが、あれが冷房装置でしょうかね?空調ダクトって、日本の電車みたいに車両全体に通してあって二重屋根の空間は埋められているのかとおもいきや、意外にも剥き出しのようですね。まあこの客車だけじゃ確証に欠けるので断言はできません。あれが冷房だと決まったわけでもないし。
あとは埋められた二重屋根の採光窓の位置も分かりますね。ドーム状になっていて意外と凝った仕上げですな。



最後は車掌車ことカブース。塗装からBC鉄道のカブースであったと分かります。本当、寄せ集めの保存車たちですね。
これだけはなぜか詳細な経歴がネット上にありまして、それによると元々は1914年製の36’有蓋車で、1972年にカブースへ改造、1983年にここへ寄贈されたそうな。まあ話半分程度に。
かなり後年に改造されたようなのですっきりとした外観に仕上がっていますが、これよく見ると外板は合板です。マジかよっていう。なおキューポラ(屋根に出っ張っている監視窓)は鉄板。
カブースって日本の車掌車と較べても大型で人が住むには良さそうだし、これを改造して造った家とか離れとか詰所みたいな建物が転がってそうですけどね。



これも車内を外から覗くことが出来ました。客車同様内装は弄られているようで集会所か談話室かのような使われ方をしている模様。
ただし間取りは改造されてないようです。キューポラへもよじ登れそう。



保存車を反対側からも見てみようと移動すると、あらま。これは7.5インチ鉄道の線路じゃないですか。まあ園内に入る時点で7.5インチ鉄道の大きな扇形車庫の横を通るんで、そこで気づいてたんですけどね。
こういうのもやってるんだなぁと思いきやこれはSHASではなくVancouver Island Model Engineersという鉄道模型クラブの管轄でした。和訳するならバンクーバー島鉄道模型機関士クラブとでもすればいいんですかね。多少意訳を入れないと意味が通らない。



程なくして列車がやって来ました。先頭はスイッチャーですがなんだかゲージに対してオーバースケールなような。



蒸気機関車も来ました。これはファインスケールのようですね。
金持ちの趣味だなぁって思います。機関車1機で1万ドルくらいするんだろうか。こんな金の使い方をしてみたいもんだぜ。
なお基本的にはクラブ会員のための施設ですが、年に十数日は一般人に開放していて(公式サイトに開放日が記載)、後ろの貨車に試乗することが可能。その時に寄付金という乗車賃を払うんですが、寄付金に頼らずとも運営できるようなお金持ちでないとこの趣味やってられないと思うんですけどね(僻み



バイム記念橋。2007年竣工。
クラブのサイトにある配線図を見てもらうと分かるんですが、設立当初のレイアウトプランは8の字だったと思われます。それが2007年あたりに線路をドンと延伸したようです。その時に架けられた橋ということですな。鉄橋はここ以外にもう一箇所あって、長い総延長と合わせていったい建設費いくら掛かったんだこれ。
この本線の総延長は約1230mという笑ってしまうような長さで、これだけでもう日本のどの7.5インチ鉄道よりも長いと思います。他に側線だ連絡線だもうひとつある小ゲージレイアウトも合わせた総延長は約3000mだそうです(配線図に書かれている数字が計算が合わないのが気になるけどまあいいや)。なんちゅう長さや・・・。これも公式サイトにあるんで見てみるといいです。
なおこの後実際に乗ってみるんですが、楽しかったです、ええw一周するのに10分くらいかかりました。ほんとうに長いのね。みんなも開放日に行ってみるといいかも。



これがもうひとつの鉄橋。上のバイム記念橋が足場に線路を載せたくらいの安っぽい橋だったのに対してこちらは本物の鉄橋に似せた造りをしています。この鉄橋は延伸前からあったものです。
左に見切れている高架は小ゲージのレイアウトです。ちなみに本線も三条軌になっていて、ここでも小ゲージの運転もできるのが分かります。


木造トレッスル橋。これも橋ですが地形的には全く不必要で、わざわざ地面を掘り返して建設したというのが見え見えです。開業当初はこれがささやかなレイアウトのハイライトだったのかもしれません。他にも踏切もあります。



ライブスチームは後回しにして園内を進んでいくと昔のバスが。これは相当古いぞ。
調べたところ、1959~1986年に製造されていたゼネラルモーターズのNew Lookというバス。6枚の曲面ガラスを組み合わせた路線バスにしては無駄に凝ったフロントガラスが特徴で、その形状からフィッシュボウル Fishbowlつまり金魚鉢というあだ名が付いていて、こっちのほうがマニアの間では通りがよいみたいです。
44,000台(!)が造られたとかいう金魚鉢の中でもこれはTDH-4519型という型式で、Tは路線バス(2ドア)ボディTransit、Dはディーゼルエンジン車Diesel、Hはオートマ車Hydraulic transmission、45は最大座席45席(車体長は35ft)、19はモデル名を意味します。分かりやすい。それに比べて日本のバス見てみろよ。さっぱりだぜ。
他の区分としては近郊形用(1ドア)ボディのS、ガソリンエンジン車のG、マニュアル車のM、33席(30ft)、53席(40ft)と言った具合。
今の北米のバスって恐らくほぼ全車オートマ車なんですが、こんな昔からバスのオートマ車化が進んでいたんですね。さすがAT帝国アメリカだ・・・。それと昔はオートマチックトランスミッションと言わずにハイドラリック、油圧変速機と呼んでいたんですなぁ。というかAT車はもともとGMが最初に開発・実装したんですね、知らんかった。

あとはまああれだ、全体的な形状が日本の当時のモノコックバスと似ていてですね、ああやっぱりアメリカのバスをパクt・・・もとい参考にしたんだなぁというのが分かりました。



側面。窓は引き違い窓いわゆるメトロ窓と呼ばれるもの。進行方向へ向かって傾斜しているのでスピード感がでています。このスタイルの窓も確か当時日本にパクr・・・取り入れられていたと思います。昔のバス写真でこういうのを見た記憶が。
ところでバスヲタ以外では通じないらしいメトロ窓という用語の由来が分からないんですが、なんなんですかね?

車内は日本で言うところのツーステップ車で、座席は2+2列のクロスシート。
構体はアルミニウム外板にモノコック構造で、軽量化とそれに伴う燃費改善に重点を置いているなというのが伺えます。バスにアルミを使うとは珍しいですな。
構体といえば、このバスの保存状態ってすごく良いといっても過言でないくらいめちゃくちゃ綺麗です。外板はツヤツヤに磨かれていて、目立った部品の欠損も無し、内装も綺麗、ナンバープレートもついてるんでおそらく自走も出来るでしょう(なんかのイベントで他の金魚鉢と一緒に敷地外で展示されてた写真がネットに転がっている)。
これだけ状態良いのはそうそういないんじゃないでしょうか。



後面。やっぱりどこか見覚えのあるデザインだ。
当時のバスにはまだ大きなリアウィンドウが付けられていたんですね。今のバスだと小さい窓かあるいは最早窓が付いてないという場合もありにけり。まあ運転上必要ない装備ですしぃ・・・。

この個体767号車は1967年製で、BCハイドロ交通 BC Hydro Transit所属だったもの。BCハイドロはBC州の電力・水道公社なんですが、昔は公共交通もやっていたのですよ。東京電力が東電バスを走らせるようなもので、訳わからんですな。

ついでなんでさらに遡るとビクトリアの公共交通の起源は1890年に設立された国営電気軌道・照明社 National Electric Tramway and Light Co.(和訳自信なし)で、1897年には運営がBC電気鉄道 BC Electric Railway (BCER)になりました。BC電鉄は路面電車やトロリーバスや都市間旅客鉄道を運営する今で言うライトレール鉄道で貨物を運ぶ本線級の鉄道とは違います。親会社はBC電力だったので電気はそこから供給してもらっていたんでしょう。電力公社の運営する電鉄会社はこの頃から始まっていたわけです。
1961年にBC電力はBC電鉄ともども州に買収されて公営企業のBCハイドロとなり、そして最後に1983年にBCハイドロ交通はBC州各地の公共交通機関と共にBCトランジットに再編されて今に至っているわけです。ああややこしい。

閑話休題。
というわけなんで、年式的にはBCトランジット移管後も現役だったと思うので一旦はBCトランジットの赤と青の塗装に塗り替えられていたと推測されますが、保存時にBCハイドロ色に復元されたんでしょう。
白いボディに青と緑の帯というのはBCトランジットの新塗装と似たようなパターンで、もしかして新塗装はこれを元ネタにした先祖返りなんじゃないかとも思えます。なんだか素っ気ないと思ってた新塗装もそうだとすればちょっといいなと思えますが、ネタが古すぎて伝わらないんじゃとも。私もこのバスに出会わなければ一生分からなかったでしょうw


今日はここまで。次回からSHASの真の実力が明らかに。


その2へ→

そこはスチームパンクの世界だった その2 【2015/06/20】

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園内の奥に進んでいくんですよ、するとなんだか煙いなぁって感じるんですよ、途中で大量のトラクターを見かけるんですよ、なんだかこの施設ヤバそうって察知するんですよ、最後に広場につくんですよ。



これだもんなぁ。本物だもの、動いているもの。すげぇ(呆れ
ちょっと意味合い違うけどこりゃまさにスチームパンクだ。



というわけで、まずはこいつから。ケース社の蒸気トラクター。
1915年製で出力は65馬力です。今年でちょうど100歳。ケース社はアメリカの農業機械メーカーで、今も世界有数の農機メーカーとして存在しています。
ボイラーを水平配置にしているため、蒸気機関車の車輪を換えただけのような見慣れた形状です。



シリンダー。右側に一箇所だけ取り付けられています。
蒸気圧から機械エネルギーへの変換の仕方は蒸気機関車と・・・というかレシプロ式の蒸気機関はどれも似たようなもので、高圧蒸気をシリンダーに導いてピストンを往復運動に変換させ、その次にクランクを介してはずみ車を動かして回転運動に変換します。最後にギヤとか何とかを介して車輪を動かしトラクターが動くというものです。間違ってたらすまんな。



反対側。蒸気ドームやら汽笛やら、やはり蒸気機関車に似ています。
蒸気ドームは、ボイラーで温めた蒸気を溜める部品で、そこから管を通して各所に蒸気を配分します。このトラクターだと右側に延びているシリンダー、左側の汽笛です。手前中央の管はよく分からんけど減圧用の弁かな?そんなものあるのかしらんけど。
左奥には滑車が取り付けられています。これは上の写真にあるはずみ車と同じシャフトで繋がっていて、ベルトを介して脱穀機など他の機械を動かすのに使っていたんだそうな。トラクター以外に可搬式のエンジンとしても利用できたというわけです。



動輪とか。
動輪はトラクター特有の大直径のものですね。畑のような柔らかい地面の上でも駆動力を伝えるために大きい動輪を採用しています。
あとは、ステアリングのシャフトが見えますね。



運転台。原則立ち乗りっぽいです。
目の前に機械の駆動部があって巻き込まれそうで怖いですな。右側にステアリングホイールは分かります。が、左側にあるのは加減弁ハンドルかな(見きれていてアレですが)?逆転機もあるはずですが分からないです。真ん中のレバーがそうかな?
火室はまあ、普通?気になるのが燃料を溜めておくスペースがないことでして。蒸気機関車よろしく後ろに炭水車でも繋いでいたのかしら?燃えるものだったら何でも燃料になるのが蒸気機関の利点ですから、畑に落ちていた何かを燃やしていたのかも・・・?
水はどっから供給しているのかはよく見てなかったです。ボイラーに水を満たせるだけで追加のタンクなんかは無かったのかも。当時は蒸気機関が稼働しているという衝撃が強すぎて、今みたいに冷静な見聞は出来てませんでした、ええ。日本じゃ稼働する蒸気機関といえば蒸気機関車くらいしか無いんですもの。



次はこいつ。イギリスMann's Patent Steam Cart and Wagon Company(1894~1930)のNo. 881 5トンワゴン。名前こそワゴンですが実態はトラックです。昔はトラックをワゴンと呼んでいたかもしれない。解説ゼロだったんですが、1910年代の車だと思われ。
日本語だとマン・特許蒸気自動車・ワゴン社?「特許」ってなんやねんとなるわけですが、この会社の発明した「単偏心逆転機 single-eccentric reversing gear」という逆転機(ワゴン車の動く向きを切り替える装置)が従来技術よりもコンパクトで画期的だったんだそうな。社名に特許なんて付けるくらいですからよほど凄かったんでしょう(よく理解していない



先ほどのトラクターと比べると外板と屋根が付いていて赤く塗装もされていて全体的におしゃれ。
トラクターと違って燃料入れがあり、燃料は豆炭。豆炭といえばおばあちゃんの家のこたつが前は豆炭を使っていましたね。
蒸気機関を動かすのにもうひとつ大切なのが水なんですが、これも特にタンクらしきものが無かったんでボイラーに入る分だけが積載量だったのかも。蒸気機関の燃費は極悪と言いますが、この大きさのボイラーだと航続距離はどのくらいだったんざんしょか?



運転席。イギリス製なので右ハンドル。
ステアリングホイール(構造上仕方ないとしてなんだかすごい方向に刺さってる)は今の自動車と同じですが、ペダルはないです。
これもステアリングホイールが付いている以外は蒸気機関車と似たようなもので、真ん中から延びているL字状のハンドル、これが逆転機のハンドルでしょう。これでワゴンの進行方向とおそらく自動車でいう変速機のような役割を行っていたはずです。
もうひとつ、超見づらいですが逆転機ハンドルとステアリングホイールの間に電気機関車のノッチのようなレバーがあります。これは加減弁(アクセルのようなもの)だと思います。
直接聞いたわけでも裏を取ったわけでもないんで話半分に聞いといてください。
座席がハンドル類から離れていてなんだか快適性悪そうではある。この後実際に走行しているところに出くわしたんですが、少し前屈みになって運転していたんで、まあそうなるなって感じでした。
ところでブレーキがないな。本当に無いのかただ見落としているだけなのか・・・。



ボイラーの火室です。
位置が悪いし火室扉もすごく小さいです。蒸気機関車のように休む間もなく大量に石炭を投げ込むということはしなくてもよさそうですな。
火室の右上にあるガラスの箱状の部品はボイラーの水面計でしょうね。蒸気機関車でも同じものを見たことあります。



駆動輪への動力の伝達は・・・知らん。チェーンで後輪のシャフトを回していたんだろうな。
なお蒸気トラクターや蒸気運搬車といった車両のことをまとめてトラクションエンジン Traction Engineと呼びます。蒸気自動車(乗用車)は別にスチームビークル Steam Vehicleと呼ぶので、トラクションエンジンは事業車用の名称と考えて問題は無さそうです。



今度は据え置き式の蒸気機関がいくつか。なんだこの充実ぶりwもうほんとに、ボイラーとシリンダーが何台もガショガショ動いていて、ここは蒸気機関の天国かと思ってきます。すごいところです。完全に舐めてましたね。
蒸気機関って場所を取るイメージだったんですけど、ここにあるのは結構小型で一家に一台置けそうですよ。



ハンドサイズのボイラーと垂直置きの蒸気機関2種。蒸気機関はボイラーと機関部がセットになったものを指すのかと思ってたのですが、狭義では機関部だけを指してボイラーは別物なんですね。この蒸気機関&ボイラーセットはExpo 86ことバンクーバー国際交通博覧会で展示されたそうな。
この垂直式ボイラーは「ウッド&コール」という名前が付いていて、これ単に木と石炭という燃料になるものを名前にしただけじゃんっていう。左にある2つの機関に蒸気を供給しています。

中央の機関は、給油用桟橋にいる海軍軍艦に給油するための重油を燃やすためのボイラーに燃焼用空気を送り込むための機関だそうです。これほぼ直訳なんですが、ちょっとよくわからん。給油機のボイラーを動かすための始動機ということかしらん?エンジンの詳細はよく見てなかったのでどういうのかは分からず。
なおこの機関はカナダ海軍エスクイモルト基地内のコルウッド桟橋で使われていたもの。地元で使われていたエンジンというわけです。

右の機関は、ジェームズ島(ここから北東方向に近いところにある島)で撹拌機(ミキシングパドル)の動力として使っていたそうな。
なにを撹拌していたのか明言されていないのですが、この機関および当時のジェームズ島の所有者がカナダ工業社 Canadian Industries Ltd. (C.I.L.)という化学工業系メーカーでその企業は島で1913年からダイナマイト工場を運営していたということですから、ダイナマイトの爆薬を撹拌するのに使っていたんじゃねーの?というのが素人なりの推測です。たしかダイナマイト製造の際にはニトログリセリンを安定化させるためにケイ藻土なんかと混ぜるはずなんで。まあ例によって確証はないです。
1977年まで工場は操業していて、第二次世界大戦中は月産900トンのダイナマイトを生産していたとかなんとか。これが多いのか少ないのかは分からないですが、島の広さから工場の規模を逆算すると、特筆して多いってわけでもないんだと思います。上には上がいるでしょう、きっと。
島にある工場なんで周りからは隔絶されているわけで、最盛期で800人いたという工員たちは島内に建てられた村で生活していたんだそうです。村には学校、食料雑貨店、ホール、屋内プール、ボウリング場、男性用独身寮なんかが備えられていたそうな。外界と接触しにくいためなのか工員とその家族ごと生活していて、福利厚生も中々充実しているんじゃないの?と思えます。
ちなみに現在の航空写真を見ると島の南側半分が植生のないハゲ島になってたんでどうもそこに工場と村があったようですね。今は更地とゴルフ場と数本の道路があるだけです。

蒸気機関ひとつから色々なことが分かるなぁw



2枚上の写真に写っている別のボイラーから蒸気を得ている機関。可搬式というよりもはや卓上蒸気機関と言える小ささですね。
これは解説なしだったので詳細不明。



カナダのぞいやソイヤー&マッシー社製蒸気機関。トラクションエンジンのように見えますが、コレ自体は自走できず何かに牽引されなくてはいけません。前輪から牽引用アームが延びているのが分かると思います。なので可搬式エンジンといったところでしょう。
1907年7月26日にBC州シドニー(ここから10kmほど北にある町)のブラックブラザーズ社が購入。サーニッチ半島にある農場の脱穀サービス事業に使われていました、ということなんで脱穀機のエンジンとして利用されていたんですな。
ですがわずか2年後、1909年にメイン島(ビクトリア~バンクーバーの間にあるガルフ諸島の島のひとつ、有人島)のウィリアム・デキンに売却されます。そこではやはり脱穀のために年に2日程度使われていて、1935年に引退したんだそうな。
最後に1970年にSHASに寄贈、現在に至ります。



機関部。右側の脱穀機用滑車にしか動力を伝達していないのが分かるかと。



後ろ。運転するための座席や立ちスペースがないのでやはり自走は出来ないというのが分かります。



蒸気ベンチ。蒸気パワーでベンチが前後に揺れるぞ!平和的だなぁ。

今日はここまで。
今回もやけに長い文章を書いてしまった・・・。


その3へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? ダイジェスト版

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前回の投稿から日が空きましたが、サボってたわけじゃないです。何を隠そう3月4日~10日の間にアメリカへ行っていたのです!2014年12月のシアトルから数えて4回目の北米Pです。2と3をまだ読んでない?これから書くんだよ!

内容としては博物館、博物館、アンド博物館という感じで、ほぼ博物館を回るのに費やしました。しかも軍用機やら軍艦やら軍事系博物館ばかり。もう飛行機は見たくねぇ~、B-25とP-38なんてもう思い出すだけで嫌になるぜ~ってくらいになりました。
今日は恒例のダイジェスト版をお送りします。

初日3月4日の未明、ビクトリア空港始発の飛行機でバンクーバー空港へ行き、そこから飛行機を乗り継いでロサンゼルス空港へ。そう、今回の行先はカリフォルニア州(ともうひとつ)なのです。
ビクトリアからはおなじみエアカナダのDHC-8ですが、バンクーバーからはエアカナダ・ルージュのB767。いつかも説明しましたがエアカナダ・ルージュはエアカナダグループのレジャー系LCCです。就航先は観光地が多いだとか。LCCなので座席が詰められていたり飲食物が有料だったり背面モニターが無かったりします。機材は親会社のお古。
まあ飛行時間は3時間だったのと思ってたよりシートピッチがあったので、不快にはならなかったです。

ロサンゼルス空港に着いたらレンタカーを借りていざ出撃。



最初の訪問地、Western Museum of Flight。日本でもあまり知られていないような小さい航空博物館だったのですが、調べてみるとなんとここ、ノースロップ・グラマンYF-23が展示されているんですね。こりゃ行かねぇととなるわけです。
YF-23はアメリカ空軍の試作ステルス戦闘機です。ロッキードYF-22との競作となり、結果YF-22が採用されF-22として量産されたことからYF-23は試作機止まりになっています。
F-22が多少独特な形状をしていながらも戦闘機だなって感じの外観をしているのに対してYF-23は未来を行っている感じがします。異形です。さすがB-2を造ったところは違うぜ。
他にもYF-17、F-14、元航空自衛隊のF-86など、小さいながら粒ぞろいの収蔵物を所有しています。



次はBattleship USS Iowa Museum。名前通り、アメリカ海軍の戦艦USSアイオワが保存されています。ほぼ戦艦の形をした資料館こと某ミカなんとかと違ってこっちは本物の戦艦でございます。
写真でしか見たことのない戦艦をこの目で見られたんですから痺れますなこりゃ。と同時に「あや?思ってたより大きくないな」とも思いました。艦橋構造物が小さいからなんでしょうな。

これで初日は終了。車で2時間くらいかけてチノという町のホテルへ。真っすぐ行けば90分くらいで着けたはずなんですが、ロサンゼルスのハイウェイで迷っていました。分岐と合流が延々と続く、首都高をだらだらと大きくしたような感じです。右車線走ってると分岐に吸い込まれるぞ・・・。



3月5日 2日目。
上記の通り今回は博物館を回るだけの旅行なわけですが、向かう先に鉄道があればそれも抑えていくスタイルなので、博物館が開く前に朝練をば。
ロサンゼルスでは通勤列車「メトロリンク」を撮影。ライトレールではないいわゆるヘビーレールです。先頭はヒュンダイロテム製の制御客車。アメリカの制御客車にしてはイカしたデザインとアメリカでは珍しいコルゲートレスのステンレス車体が目立ちます。2両目より後ろはボンバルディア製の八角形客車で、これじゃ編成美もクソもないですな。



2日目最初の襲撃地は、チノ空港にあるYanks Air Museum。
事前情報だと小さな博物館だと認識していましたが受付のおばちゃんに「うちには200機おるんやで」と説明され鳩が豆鉄砲を食ったような顔になり、入館すると本当にそのくらいいそうな収蔵量になっていておったまげました。
随時収蔵品を増やしているんですね。ここら辺は日本の機械系博物館(主に鉄道と航空関係しか訪れていませんが)では出てこない発想だと思います。一度箱を造ったらおしまいで、完成後の拡張性はないですものねぇ(今、大宮の鉄道博物館の拡張計画がグダグダになってますが、あんなの最初から大きい箱を建てておきゃ良かったのに)。あとここは、飛行機の復元工房も持っていて、そこで復元したものをどんどん展示品に加えているそうな。工房も日本のその手の博物館には無いよなぁ。

写真はグラマンG-21グース飛行艇。映画「コマンドー」で「羽の付いたカヌー」とひどい言われ方をされていたことで一部では有名。いつの日かスミソニアンを訪れるまでこいつにはお目にかかれないと思っていただけに意外でした。



次の襲撃地はPlanes of Fame。軍用機マニアなら大抵の人は知ってるんじゃないかというくらい日本でも有名な博物館です。これもチノ空港にあってヤンクスとは隣同士です。合わせて訪問してみよう。きっと時間が足りないと思うけど。
なんで日本でも知られているかというと、飛行可能な、しかも原型のエンジンを搭載した零戦がここには保存されているのです。その零戦、2013年に所沢航空博物館に一時帰国していた時期があって、かくいう私もそれを見に行った口なのでした。この博物館を知ったのはその時で、「いつか行ってみたいものですなぁ」とかのんきなことを思っていたんですが、本当に来ちゃったよ。しかも想定よりもだいぶ早い。
なおその零戦は整備に入っていて、バラされた姿を見ることになりました。再会を楽しみにしていたのに・・・。

写真はリパブリックP-47サンダーボルト戦闘機。ちょうどこの日これが飛行していたのでした。ただし博物館上空をフライパスするだけで私の貧弱機材ではあまりいい画は撮れなかったです。



3月6日 3日目。最初の襲撃先はOrange Empire Railway Museum。今回唯一の鉄道博物館です。
ここも大きい博物館でして、様々な車両を引き取って復元・動態保存を行っています。アメリカってこういうのばっかりだな。本当に頭がさがるというか羨ましいというか。
所有車両は蒸気機関車、ディーゼル機関車、客車といった定番ものをおさえていますが、ここのウリは多分PCCカーやストリートカーでしょう。もちろん動態保存だし乗車も可能。びっくりしたのが京都市電N19号を所有していることで、なんでこんなところにと思ったものです。当然のごとく動態保存です。
まだシーズンオフだったので一部の施設しか公開されていなかったのが心残りでした。シーズン中に再訪したいところです。きっとここは一日中居られます。

写真はユニオンパシフィックのEMD E8-Aディーゼル機関車。これ見たさに来たようなものでしたが、運良く当日の牽引機になっていました。大勝利です。



次の襲撃先、March Field Air Museum。
ここは動態保存はやっていませんが、代わりにえらい数の軍用機を保存しています。それこそ戦闘機のような小型機から輸送機・爆撃機のような大型機まで様々で、ひと通り見て回るだけでも一苦労です。

この後は、ひとつ列車を撮影してからロサンゼルス空港に戻ってレンタカーを返却し、そこから飛行機に乗ってアリゾナ州トゥーソンへ。なんと州を越えました。ついでにタイムゾーンも越えました。90分しか飛んでいないのに時計を見ると60分余計に進んでいる・・・。1時間でも睡眠時間の欲しかった私にとってはキツかったです。この日はトゥーソンで一泊。



3月7日 4日目。この日は襲撃先をPima Air & Space Museum一本に絞ります。
周辺にこの手の博物館が他に無いってのもあるんですが、何よりここはマーチフィールド以上に膨大な機体を保存しており、量でいえば今旅行最強の博物館でした(質でならヤンクスかな?)。滞在時間は多めに取りましたが結果を言えばそれでも足りませんでした。抑えるものは抑えましたが何機かは見逃したはずです、とほほ。



ここの博物館のウリはその物量の他に、「飛行機の墓場」ことデイビス・モンタン空軍基地内にある軍用機の保管所を見学するツアーがあることです。もちろんこれにも行ってきましたよん。
そりゃまあB-52、C-130、F-16、P-3その他諸々がそれぞれえらい数置かれているわけで、これ全部アメリカ人の税金だと思うとゾッとしますね。冷戦とはかくも恐ろしや。写真はF-16です。たぶんA型。
ここも開館から閉館まで一日中居られますな(今回は閉館数時間前に切り上げましたが足りませんでした)。

で、その切り上げた理由である次の街フェニックスへの移動には高速バス「グレイハウンド」を利用。2時間半の乗車で10ドルという値段設定低くてなんだか事故死しそうなバスでしたが終始安全運転で、杞憂に終わりました。Wi-Fiと電源もあって快適でしたよ。

で、フェニックスで一泊。



3月8日 5日目。
もう飛行機を見るのは懲り懲りなので、この日は気分を変えて野球観戦それもメジャー観戦としゃれこみます。
まだメジャーリーグは開幕前ですが、プロ野球がこの時期春キャンプをやっているのと同様にメジャーでもスプリングトレーニングというのをやっております。午前中は(たぶん)個人練習みたいのをやって、午後は他球団と練習試合をします。
今回観戦したのはシカゴ・カブス対ロサンゼルス・ドジャース。どちらも日本人選手の所属している球団ですが、出てきませんでした。がっくし。
ていうか私、野球は「球を場外へ打てばホームランで得点が入るよ」程度の知識の持ち主でアレなので、今回は大船のやきうのお兄ちゃんを引きずり出してきたんですが、どういうわけか来ませんでしたねこの野郎。

話逸れますがこの日から唇が荒れ始めてきて「あ、いよいよ野菜不足で栄養失調か。それか水分不足か」と思いましたね。アメリカは食事に気を遣わないと炭水化物だけをやたら摂取しねないので、注意が要ります。基本的に朝食は野菜が無い。これがなかなか辛いのだ。
行く前から気をつけていましたがダメでしたね。ていうか初日から4日間ずっと昼飯抜きだったんで(博物館を見る時間が足りなくて昼飯の時間が惜しい、あとはそもそも周りに食堂がない)、それも影響していたんだろうなぁ。

写真はカブスの投手フィル・コーク。なおカブスは負けた。



フェニックスにはライトレールが走っているので、試合後にそれの撮影。なんだか顎が・・・って感じで両手を挙げてカッコいいとはいえんかなぁ。
ちなみにシアトルのLRVとレイアウトが似ているなと思ったら同じ近畿車輛製なのでした。

その後はフェニックス空港へ移動してそこから飛行機に搭乗、サンディエゴへ向かいます。そのままサンディエゴで一泊。



3月9日 6日目。実質最終日です。
まずは朝練。「コースター」というサンディエゴの通勤列車とアムトラックの「パシフィック・サーフライナー」という快速(?)列車がここでは走っているのでそれを撮ります。あとはついでにライトレールも撮影します。
コースターはボンバルディアの八角形客車で、パシフィック~はスーパーライナーの近郊型仕様です。



サンディエゴにもSan Diego Air & Space Museumというでかい博物館があるのですが、飛行機はもうお腹いっぱいだろうと事前に予想していたので(そしてそれは大当たりしたのだった)、今日は船を見に行きます。
最初はMaritime Museum of San Diego。帆船を中心に保存している博物館です。帆船はほとんど目に触れる機会がないので色々勉強になりました。他にもソ連の潜水艦B-39も見たかったのですが運悪く整備中で非公開。これは再履修だ・・・。
写真は印度之星ことStar of India。



次はUSS Midway Museum。そのまんまアメリカ海軍空母USSミッドウェイの記念艦ですね。よくこんなの浮いてられるなぁって形してます。
「もう飛行機はいいっちゅうねん」と言っても無駄、これは空母なので嫌でも戦闘機が視界に入ります。トム猫とかもう何匹目だよぅ~。
空母あるいはそういう系の軍艦(ひゅうがとかいずもとか)に乗艦するのは初めてだったので、これもいろいろためになりました。デカさや迫力ではUSSアイオワよりも上でしたね。
余談ですが、今までの僻地にあるような博物館と違いUSSミッドウェイは街中にあるのでやたらと見学者が多く、身勝手ながら鬱陶しいと思いましたw機体を写そうとすると人が写り込んでくるなんて今まで無かったのです・・・。

写真は当然USSミッドウェイなのですが、これはフェリー上から撮影したもの。というのもUSSミッドウェイはお尻を岸壁に向けて係留されているので、岸側からだとお尻の写真しか撮れないわけです。そこでフェリーから撮影すりゃいいじゃんとなったわけですな。これのために乗船賃10ドル出したんだぞ・・・。まあ他の現役の原子力空母も撮影出来たし出しただけの価値はあったと思います。

この後はサンタフェ・ディーポ駅からアムトラックのパシフィック・サーフライナーに乗ってロサンゼルスのユニオン駅へ、そこからシャトルバスFlyawayに乗り換えて空港へ行き、空港近くのホテルで一泊。



3月10日 最終日。
この日はもう帰るだけです。昨日までの慌ただしさから解放され、ゆったりとした朝を堪能した後に空港へ。
搭乗口で待っていると意外にも飛行機撮影にうってつけだったので(ただし窓ガラス2枚越し)、アメリカでしか見られないキャリアの機材を撮影しながら帰りの飛行機を待っていました。
帰りは行きと逆のルートで、バンクーバーまではエアカナダ・ルージュB767、ビクトリアまではエアカナダ・エクスプレスDHC-8でした。

以上となります。


7日間(実質6日間)で9箇所の博物館を周りました。航空機はきっちり数えてはいませんが200~300機くらいは見たんじゃないんでしょうかw米軍の戦後の機体はだいたい網羅してしまったのかも知れません・・・。
で、どこも見学時間が足りなかったです。慌てずゆっくり見学できたのは西部航空博物館とサンディエゴ海洋博物館くらいでした。どこもヘビー級なのです。ピマは完全にペース配分を間違えました。こんな辺境の地きっと二度と来ねぇから隅々まで見てやると意気込んだんですが、ここも可能なら要再履修だ。
カリフォルニア州にはこの手の博物館があちこちにあって、今旅行で訪れたロサンゼルスやサンディエゴにも今回行けなかった博物館がいくつかあります。サンフランシスコ周辺も面白そうなんで、しばらく経ったらもう一回行ってみたいですな。

さて肝心の本掲載ですが(笑)、執筆開始が下手すりゃ1年後というシャレにならない事態になりかねんです。
今執筆中のスチームパンクの記事が書き終わる頃には遅れ9ヶ月という遅延新記録を更新することと思います(悲
その次が北米P2(シアトル)、少し間を置いて北米P3(カナディアンロッキー)、更にその背後にコモックスエアショーが待ち構えているんですが、いずれもヘビー級なので遅延が増大する可能性が高いです。で、北米P4も密度の濃い博物館を9箇所も周ったので連載の長期化は必至なんですよ。もう泣きそう。
ただし秋以降はカメラを持って出かけることがほぼなくなってしまったので、そこでどれだけ追いつけるかが勝負になります。1ヶ月でカタを付けたいな。
私としても周回遅れだけはイヤなので、ここはなんとしても阻止したいところ。・・・頑張ります。

今後の黒鉄重工にご期待ください。

そこはスチームパンクの世界だった その3 【2015/06/20】

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たぶんもう蒸気関連は出てこないと思いますが続けていきますよ・・・。
人間の使う道具ならなんでも置くってスタンスなのでガソリン車だって保存します。
ガレージの中にあるのは1929年式シボレー1トン半トラックS0085。S0085は型式ではなくBC州政府が購入した85番目のトラックということなので、組織内番号ですな。
キャブより後ろは黒幕で隠されていて見えませんでしたが荷台と油圧式クレーンを搭載していて、バンクーバー島南部とガルフ諸島(現サーニッチ地区)の道路保守用に使われていました。お値段$1,392。
1948年にガルフ諸島サターナ島の農場主に売却され、1979年に廃車。その後引き取り1986年に復元が完了したとのこと。エンジンは1930年代製のものに換装されていますが、ブレーキ、トランスミッション、差動装置は原型を維持しています。



運転室。最低限の装備しかないという感じです。



トラクター軍団。
馬や牛を必要としない移動手段・運搬手段として確立された蒸気自動車およびトラクションエンジンでしたが、程なくしてガソリンエンジン技術が発展していき、重いわ遅いわボイラーが場所を取るわで1920年代辺りには蒸気自動車はガソリン自動車に取って代わられてしまいます。速度を必要としないトラクションエンジンは以後も生き残りましたがそれも1940年代頃まででした。



Averyというトラクター。1916~1919年製ですから、ガソリントラクターの中でもかなり黎明期のモデルだと思います。ほぼフレームだけ・・・。



ここにもトラクター軍団。
トラクターというと畑を耕していて公道を走られるとノロマなので邪魔に思えるアレを思い浮かべますが、トラクター tractorを直訳すると牽引機という風になります。
ここに保存されているトラクターは牽引車としてのトラクターで、耕耘機能は無かったです。



フレーザー農業機器社 Frazer Farm Equipment CorporationモデルT。1948~1950年製。エンジンルームの妙な空洞が気になりますが、エンジンを換装されているようです。原型のエンジンはこの空洞にすっぽり収まっていたんでしょう。



2台の1946年製ボレンズ社ライドマスター Bolens Ridemaster。前輪駆動車は珍しいのかも?



トラクター三種。
真ん中はドーザー付きで、その両脇は耕運機でしょうかね。



崩壊しそうなトラック。全部原型なんだろうな、これ。エンジンスターター用のハンドルが残っているのがいいね。



この園内ではえらく未来的な(ただし1962~1979年製)消防車はInternational Loadstar 1700。車名の「ロードスター」は2人乗りオープンカー(roadster)とは綴りが異なり、これは北極星、転じて道しるべとなる星という意味です。

塗装から見るに所属はノースペンダー島 NOrth Pender Islandだった模様。これもガルフ諸島の島のひとつで、ソルトスプリング島の東にあります。
度々名前が出てくるガルフ諸島ですが、このガルフというのはそのまんま湾=gulfという意味なんですが、この辺りに湾らしい湾は無いのです。ありうるとすればまだバンクーバー島が未開の地だった時代(バンクーバー"島"かすら分かっていなかった時代)に大陸とバンクーバー島に挟まれているジョージア海峡が、当時はジョージア湾と後の時代からすれば誤った呼ばれ方をされていて、ガルフ諸島はその時の名残なんじゃないかなと思います。



これはポンプ車ですね。いざって時には使えるのかしら・・・?



ケース社の自動車。前々回くらいにケース社の蒸気トラクターが出てきましたがあのケース社です。1910年にピアス自動車を買収して1927年まで乗用車事業にも手を出していました。生産台数は2万7千台ということで、あまり造っていなかったようですね。フォード・モデルTが1908~1927年の間に1500万台造っていたことを考えると、3万台弱、それは造ったといえるのか?とも思える数ですなwフォードお前ってやつは・・・。
これは1912年式のツーリングカー(値段$2,500)で、オプションで電気式スターターとライトを装備しています。電気式スターターはたしか1910年代に普及し始めたはずだったので、この頃は最新装備だったんでしょう。まだ信頼性が高くなかったためかハンドル式スターターも一緒に装備されています。
オプションのライトっていうのは、エンジンの後ろについているウィンカーみたいなライトですかねぇ?

余談ですが、現代のツーリングカーと20世紀初頭当時のツーリングカーでは多少意味合いが異なっていて、4人以上の定員のオープンカー(幌屋根付き)を持ったボディを指す実用的な自動車の形式のひとつです。これが普及していったので、一般に使用されている乗用車全般のことをツーリングカーと指す現代での意味合いに変化していくわけです。
オープンカーなんて現代では思い切り趣味的な車ですが、当時はまだ鉄が高価だったので屋根は折りたたみ式の幌にすることで値段を抑えていました。1920年代頃になると屋根も金属になったクローズドカーが手頃な値段になってきて次第に普及し始めたので、幌付き自動車は姿を消していったのです。



1930年式フォード モデルAA 1トン半トラック。モデルTに対するモデルTTのようなもので、これもモデルAからの派生型です。
バリエーションが多く、トラック、タクシー、救急車、果ては霊柩車まで。この個体はダンプ機能付きトラックで、ダンプ機能もオプションのひとつ。
が、肝心の後ろ側は入りにくかったので写真はないです。



インターナショナルのトラック。型式不明ですが1930年代製のKB11じゃないかな?
このトラックについているナンバープレートは普通のものとは違っていて、ビンテージプレートと言います。車齢30年以上、極力原型を維持していること、などの審査基準を通ると装着することが出来ます。なのでこのプレートを付けている車両は資料的価値があると見て問題無いでしょう。
ただし、これを付けると商業目的での運転、日常運転、(条件によるが)夜間運転が出来なくなるという制限を受けます。運転できるのは展示会、パレード、結婚式など特別なイベントのみになってしまい、実用車としては使い物にならなくなってしまいます。メリットがないように見えるんですが、保険料が安くなるとかあるんでしょうかね?(そこら辺は書いてなかった
なので動態保存目的で博物館入りしているような車両にこのプレートが付けられる場合が多く、まだまだ隠居させる気なんて無いよという時は(恐らくビンテージプレートの下位互換であろう)コレクタープレートを付けるそうです。
これは車齢25歳以上(あるいは車齢15歳以上で生産台数1500台未満)、原型の維持などビンテージよりは多少ハードルが低そう。当然保険料は安くなるし、日常運転も可能です。
あの車古そうやな!ってのを見かけたらプレートを見てみよう。・・・まあ案外普通のプレート付けてる車も多いんだけど。



馬車三種。右は乗用馬車、中は給水馬車?、左は人力車かもしれない。
ここは道具しか置いていないので肝心の馬はいませんでしたな。ビクトリアには馬車観光ツアーがあるので調達は簡単そうですが。



ガレージの中には復元用の工房もあって復元中の馬車も置いてありました。

今日はここまで。


その4へ→

そこはスチームパンクの世界だった その4 【2015/06/20】

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続きです。
なんかゲテモノ牽引車が。



申し訳程度の蒸気機関要素。



ラルフ・バートレイ鍛冶屋工房 Ralph Bartley Blacksmith Shop。blacksmith=鍛冶屋ってどういう由来なんだろうね。
名前の通り鍛冶屋の工房です。



屋内には生きている鍛冶屋が。こういうのはわくわくします。鉄器の他に馬の蹄鉄を作っているんだそう。blacksmithには蹄鉄工という意味も含まれていますので、こっちが本業か?



鍛冶屋の命、コークス炉です。鍛造に使う燃料は色いろあるようですがここではコークスを使っています。



ただコークスを燃やしているだけでは全く鍛造できないので、秘密兵器送風機を使います。これでコークスの下から大量の空気を送り込んでコークスを燃焼させまくるのだ。
昔ながらの鍛冶屋というのがここのウリ(?)なので、送風機は手動ハンドル式。後ろに写っている鍛冶屋おばちゃんがたくさん回します。



ファイヤー!!
余裕の炎だ、火力が違いますよ。



工房を去ると、蒸気トラックが走っていました。荷台と機関部+キャブの長さが同じっていうのはやっぱりでかくて不利だよなぁって思いましたが、現代のピックアップトラックも似たようなもんでした。アメリカじゃ大きさに関してはあまり気にならないのか。



庭師のガレージ。持ち主だった庭師が寄贈したそうな。



いいガレージだな(よく分かってない



別の建物。色々なものが転がっていますな。



資料館的な建物に入ります。外観は撮り忘れました・・・。
このでかい機械はライノタイプ Linotypeという鋳植機。活字が書かれた版型を鋳造する機械です。かなり大きい機械で、機構も複雑。オットマール・メルゲンターラー Ottmar Mergenthalerというドイツ系アメリカ人が1886年に発明しました。
キーボードを打つと、機械の上部(額が置いてあるところ)から活字が彫られた母型が飲料自販機の如く落ちてきて任意の文字列を形成します。形成できるのは一行ごとです。行の組成が終わったらその次は、鉛などで出来た活字合金を母型に流し込んで一行分の版型を鋳造します。この版型を並べていって一頁分の版型を作っていくわけです。使い終わった母型は自動的に元のストックに戻されていきます。母型にはそれぞれ異なる形状の刻印がされているので、それに合わせて機械が判別して文字ごとに仕分けられて戻されます。
似たような機械に一文字ずつ鋳造していくモノタイプというものもありましたが、ライノタイプの方が版型を速く組成できたそうです。



これが出来上がった版型。



確かに行ごとに鋳造されてますわ。
ちなみに版型には、

サーニッチ歴史道具協会提供

秋の大脱穀祭

蒸気エンジン、荷馬車、校舎、
教会、丸太小屋、博物館、鉄道模型、
砂山川印刷社、
鍛冶屋工房、蒸しトウモロコシ、軽食

9月16~17日
9:30~16:00

大人 $6
16歳以下の子供 無料

住所~~(略)

みたいなことが書かれてました。



この建物、他にも小道具が所狭しと置かれています。
これはパソコンじゃないですか。しかもよく見るとこれApple IIcですよ!
今や意識高い系御用達アップル社の最初期、1977年に発売されたApple IIは世界初の完成品パソコン(先代のApple Iはキット品)で、技術者やパソコンオタク以外にもバカ受けし最終的に約500万台が生産されたとか。
IIcはそれのコンパクト型として販売されたもの。フロッピーディスクドライブも内蔵されていて、重量はおよそ3kg。当時としては小さかったんだそうな。時代だねぇ。

なお隣にあるのはアタリのAtari 410とAtari 800。もっとちゃんと観察してくるべきだったなぁ。



アマチュア無線機器とかそんなのかな?(クソ適当



タイプライター。これも全く分からん代物なのですが、いわゆる手動式でアンダーウッド製の器械かもしれない。
文字の種類が少ないとこういう時便利だよね(極東の方を見ながら



これもタイプライター?なんだかでかいなぁ。

資料館はこんな感じでした。ていうか当時の自分、関心なさすぎだ。ここはもう一回行きたいな。


その5へ→

そこはスチームパンクの世界だった その5 【2015/06/20】

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資料館を出ます。またトラクターです。やはり農業機械の収蔵が多いんですね。



Fordson Major "E27N"。1946~1953年製。名前から推測できる通りフォードの子会社です。今はもうトラクターやってないそうですけどね。



Cleveland Tractor (Cletrac) "Genaral"。1939~1940年製。同社はアメリカ・オハイオ州のトラクターメーカー。やはり現在は消滅。



John Deere "Model D"。1935~1953年製。このメーカーは現存していて世界中に展開しています。



移動に疲れたんで園内移動用のトラクターに乗ります。



エキスポ86の看板。右に描かれているのは現在もバンクーバー・イェールタウンに保存されている374号蒸気機関車ですね。目玉のひとつだったんですな。
対して左のは現代の列車なんですが、カナダを走る列車でこれに思い当たるものが無いです(まあこっちの列車あまり知らないんですけど)。国外に目をやってみればフランスのTGVに見えますね。というかひと目でこれはTGVだと感じたんですが・・・。近くのおっちゃんも正体についてよく知らんらしい。



ポンプこれくしょん ーポンこれー。井戸水を汲み上げるポンプを片っ端から置いてあります。



珍しいところではこれですかね。回転ポンプじゃないかな?少なくとも私は初めて見た。
中身がどうなっているのか知りませんが、遠心ポンプなのかしら。



おなじみ手押しポンプ。ピストン運動により水を吸い上げ押し出します。
ちなみにこれ、配管内を真空にするための呼び水を入れる用の穴が無いんですけど、呼び水いらないポンプなのか?



なおポンプの下は水タンクになっているので実際にポンプを動かして水を汲み上げることが出来ます。これが楽しいのだ。



最後に7.5インチ鉄道に乗車します。
蒸気機関車が止まっています。2C1、4-6-2、パシフィック、お好きな名前でどうぞ。重厚感がやはりこのゲージの魅力ですね。



BC鉄道のGMD GF6C形"電気”機関車。いつだかパンタグラフの付いたカブース(架線検測車)を博物館で見た時から気になっていましたが、本当に電気機関車がいたのか。
非電化大陸北米において電化路線は(ライトレールを除けば)特異点といって言いほど珍しいもので、アメリカ東海岸の北東回廊に数百kmがあるくらいです。
それがなんでカナダの片田舎に?となるんですが、1980年代にBC鉄道がタンブラー・リッジ(プリンス・ジョージの北東数百kmにある村)周辺に建設した石炭輸送路線用に造ったんだそうな。その路線は長大トンネル、急曲線、急勾配だったので電気機関車が適しているということになったようで。
1983~1984年に7機(BCOL6001~6007)が製造されたもののその活躍は短く、2000年に架線が撤去されたためそのまま引退。どうも設備投資に見合わない収益しか得られなかったようです。線路がどうなったかは分かりませぬ。電化設備撤去後も存続している可能性はある。
で、トップナンバーのBCOL6001号機がプリンス・ジョージの鉄道博物館に収蔵された以外は解体されてしまったそうです。

という、悲運な機関車なのです。これのオーナーも模型ではいつまでも走らせるぜ、っていうやつなのかも知れません。なお6000号機は実在していません。



牽引機もそうですが貨車も本物志向で素晴らしいですね。これは無蓋車ですがかなり実車に近いと思います。人を乗せる時はどっかから持ってきた椅子を取り付ければOK。



バルクヘッド・フラットカー。材木を運ぶための長物車です。荷崩れ防止のために妻面に壁(隔壁=bulkhead)を設けているのが特徴。この手の長物車は今日ではセンタービーム・フラットカーに発展して現在も使われています。
この模型は人が乗るように最適化されていて多少デフォルメが入っています。腰掛けが積み荷である材木になっています。ただこれは、貨車としてのリアリティと人が乗ることの考慮を両立した秀逸な模型だと思います。



で、乗りました。乗車中は終始動画撮影していたんで写真はないですが、とても楽しかったです。
景色の移り変わりが多く、序盤終盤のヤードや引き込み線のある線路を走るところは実際の鉄道に乗る時同様の楽しさがあります。線路のジョイント音が心地よい。
乗車時間はおよそ10分間なので存分に7.5インチを堪能できます。こりゃおっさんたちも夢中になるよなぁ。

乗ったのが写真のこの列車です。機関車のモデルは知りませんが初期のロード・スイッチャーなのかな?



汽車の整備場。
これ、線路の高さを腰くらいにまで上げて、整備がやりやすいようになっています。整備線は平行して並んでいて、移動にはトラバーサーを使用。
なんともシステマチックな・・・。



転車台。
転車台の左から延びている地面に着いている方の線路が本線からの引き込み線です。ここから転車台に載せますが、これだと高さが合わない。
でも心配ご無用、この転車台は油圧で上下に高さを調節できるのだ。これで上の整備線の高さにまで持っていくのです。
7.5インチやり慣れてるところは違うなぁ。



最後に線路沿いで少し撮り鉄した後、ここを撤退しました。

このようにかなり楽しめました。古い機械が好きな人、7.5インチ鉄道に乗りたい人にはおすすめです。
トラクションエンジンなんかは普段はたぶん動いていないと思うので(車庫にしまわれている可能性も)、イベント時に訪れるのが確実だと思います。7.5インチも特定日にしか乗車できないのでホームページをチェックだ。

これで終わりだと思うだろ、もうちょっとだけ続くんじゃ。

そこはスチームパンクの世界だった 最終回 【2015/06/20】

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SHAS撤退後、私はビクトリア空港にいた!近くまで来たんでついでに寄っていこうということになりました。もう蒸気なんてかけらもないぜ、時代はジェットだ。
ここまで飲まず食わずだったので、まずは空港で軽食。展望室で飛行機を見ながら食べるドーナツはいいぞ。
写真はおなじみいつものエアカナダ・エクスプレスDHC-8-300 (C-GEWQ)。



ささっと休憩を終えて出撃。飛行機を待っていると上空にDHC-3Tが通過していきました。空港真上の空域を飛んで行くんですものなんですな。
水上機が海のないところで上空を飛んでいるところを見ると「下駄付き」とか「足付き」とかみたいな名前で呼びたくなります。



まずはRWY14エンドに向かってパシフィック・コースタルのBeech 1900C (C-FPCO)を迎撃。



エアカナダ・エクスプレスDHC-8-Q300 (C-FACV)。ようやく満足いく飛行中のDHC-8を撮影出来ました。
DHC-8-Q300もそろそろ更新時期が迫っていると思うんですけど、後継機は何になるんでしょうか?ボンバルディアは既にQ400以外の生産ラインを閉じてますし、現状この大きさの機材はATR42くらいしか無いですよね、確か。



RWY09から着陸してきたパシフィック・スカイ・アビエーションのBeech Super King Air 350 (C-FHSP)。ターボプロップ双発のビジネス機です。エンジンカウルにシャークマウスが描かれてるのが特徴。



チャリにてんとう虫が。それだけです。



RWY09で737を待ち構えていたら、何やら小型機が。・・・おやおや~?
ひと目で、尋常でないひこうきだと見抜いたよ。
おおう、これ相当古いぞこれ(慌ててる



一度フライパスしたと思ったらまた戻ってきた。脚を広げているのでこれは着陸ですね。



腹を見せながら着陸していきました。
で、この機体は南昌CJ-6初教六型 (C-GYMK)。1958年に初飛行した中国の練習機です。中国の国籍マークが眩しいね!
Yak-18のライセンス生産機初教五型の改良型で生産数は2000機とも1万機とも。数ブレすぎだろうこれ。こんだけ多いとなると中国だけに留まらず、カンボジア、バングラディシュなどにも輸出されました。
で、およそ200機が民間の手に渡ったと言われていて、そのうちの1機がこうして飛んでいるというわけです。カナダの他にもアメリカやオーストラリアでもマニアが飛ばしているそうです。やる人はやるんだなぁっていう感じです。
ビクトリア周辺には少なくとも5機程度のCJ-6がいると見られ、編隊飛行しているのを何回か見たことがあります。もう次元が違う。



そして思わぬ機体の登場にすっかり霞んでしまった本命のウェストジェットのB737-700 (C-FWSF)。ちょっとギラリとしたのを狙ってみたぞ。



当然、引きでも撮ります。



RWY27に移動する途中、鹿と遭遇しました。山奥に行かないと出てこないと思ってたのでちょっとびっくりしたぞ。その後もまれに見かけます。意外と人里にも現れるのですな。
なお日本の鹿同様にカナダの鹿も畑を荒らす害獣扱いされている模様。それで動物愛護の本場アメリカの隣なので鹿の愛護団体もありにけり。まあ簡単じゃないよね。



今週の野鳥。ハゴロモガラス。



離陸するウェストジェットB737-800 (C-GDMP)。738を撮るのは初めてだ。というかさっきのと違う機材だったのか(今迄気づいてなかった



後追いも撮影。
これで終了です。着陸したCJ-6も探してみましたが見える範囲にはいませんでした。

北米project 2 ~Major Leaguers und Jagdflugzeug.  その1 【2015/06/24~26】

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2014年10月、黒鉄重工は初となる北米大陸カナダへの上陸を果たし、その2ヶ月後には大国アメリカ合衆国へ足を踏み入れることに成功した。
それから半年後、私は再びアメリカ合衆国ワシントン州シアトルへと赴くこととなったのだ。
これはその時の記録である。

というわけで、2014年12月以来のシアトル再訪問となりました。目的は前回回れなかったスポットの攻略・・・ではありますがこれは副次的なもの。真の目的は「ビザの書き換え」にあります。
今まで私はノンビザでカナダに滞在していたのですが、ワーキングホリデービザという海外での生活・勉強・就労が期間限定で出来るビザがこの度認可されたので、そのビザへの書き換えをします。書き換えるには一度カナダを出国して再入国する必要があります。一旦出る国はどこでもいいのですが、近いということからアメリカがよく利用されます。

余談ですが、初めの予定では4月の時の再入国時にワーホリビザへ書き換えるつもりでいたのですが、2015年の日本人向けカナダ用ワーホリビザの申請の開始は例年(1月くらいだったか?)よりかなり遅く、始まったのは4月の終わりくらい。申請から認可までだいたい2ヶ月かかるといわれていて実際そうなり、認可が降りたのが6月中旬くらいでした。2016年はよく見ていませんが、例年通りだったようですね。なにやってたんだ2015年の時は・・・。

話を戻して、要はカナダに再入国すればいいだけの話なので、アメリカに一瞬だけ脚を踏んですぐさまとんぼ返りしてカナダの入国管理局でビザを受け取れば済むわけです。ぶっちゃけアメリカ自体に用はないです。
ビクトリアからはワシントン州ポートエンジェルスへ向かうフェリーが出ていて、往復$36程度で済みます。これが手軽で最安ですね。実際にこの選択を取る人もいます。

だがしかし、せっかくアメリカへ行く用事が舞い込んできたというのにただカナダ~アメリカを往復するだけというのは私には到底出来ることではなく、せっかく行くアメリカ、数日は楽しまなきゃとなるのは自明でした。ていうかただの往復なんてそんな話聞くまで思いつきもしませんでした。
ではアメリカのどこに行こうかとなるんですが、シアトルはもう行ったし、じゃあ次はロサンゼルスかサンフランシスコかシカゴかそれともニューヨークか・・・色々思案しましたが、結局すでに行ったことのあるシアトルにしました。理由はそんな遠くまで行く金が無いっていうシンプルなものです(後の北米P4はこれの雪辱戦をやたら肥大化させたものでもあるのです)。
とはいえ北米P1では行けなかったところ、旅行後で見つけた新スポットもあったので行き先としてダメということはありませんでした。むしろ行く気満々になり日数は2泊3日となりました。

では前書きはこのくらいにして本編を始めましょう(読み返してみたらクッソ長い前書きだな



2015年6月24日(金) 午前10時09分 ビクトリア インナーハーバー
旅の始まりはビクトリアのインナーハーバーのフェリーターミナルから。
バスには乗りませんよ。停まっているのを見ただけ。
バンクーバー・トロリーのPrevost H3-45 (1st generation)。シアトルからフェリーに乗って来た観光客を乗せるんでしょうな。



こっちも同社のH3-45 (2nd generation)。



主役登場。ビクトリア・クリッパー・フェリーのVictoria Clipper I。これに乗ります。北米P1の最後でも乗りました。

ビクトリアからシアトルへ行く手段はいくつかありますが、今回のビクトリア・クリッパー・フェリーはそこそこの値段、そこそこの早さです。利便性は実はイマイチ。
一番早いのはやはり水上機でしょう。飛行時間自体は1時間もかからない。ただし値段が高い。
一番安いのはフェリーでポートエンジェルスへ行ってバスに乗り換えるというもの。ただしこれは移動に一日費やすと見ていいでしょう。
ビクトリア空港から飛行機、というのは空港へ行くのがだるいですな。ビクトリア空港、シータック空港共にダウンタウンからは離れていて、トータルでの移動時間は水上機には及ばないでしょう。ビクトリア以遠からの乗り継ぎ時に使う時はベターかと。ただし、朝出発して最も早い時刻にシアトルへ到着できるのはこれだと思います。

で、クリッパーフェリーですが、乗船時間は約2時間半、運賃は時期により変動しますがこの季節だと往復$180くらい。飛行機/水上機よりは遅いけど値段は安く、飛行機とうまく住み分け出来ています。問題は運行ダイヤでして、このフェリーはシアトルからビクトリアへ向かう観光客に最適化された運行になっているのです。つまり観光客がビクトリアでの滞在時間を多く取れるように朝シアトルを出発して夕方ビクトリアから戻ると言う具合です。
シーズン中は便数が増えて2~3往復体制になるのですがそれでもビクトリア発の時刻が遅いことには変わらず、この時期の出発時刻は11:30という遅さ。それでも今回は時間よりも値段の安さを取ったわけですが。ビクトリア朝発の便も作って欲しいもんです。



北米P1の時にも書いたと思いますが、クリッパーフェリーは人だけを運ぶ客船です。日本でフェリーというと自動車と人間を積める船というイメージですが、本来の英語にはそういう意味は無いので、まあそうなるなという感じです。自動車でシアトルに行くときはポートエンジェルス行きフェリーに乗ってそっから陸路で行きます。
双胴の高速船で実際速い。前乗った時はゲロりそうになりましたが今回は波が穏やかで快適に過ごせました。窓際の席の一部には電源プラグが付いているので狙ってみましょう。



14時過ぎにシアトルへ到着。2度目のアメリカ、2度目のシアトルだ。船内預け荷物はコンテナに入れて積み下ろしはクレーンでやるんですな。
入国手続はビクトリアの時点で済ませてあるのでスムーズに外へ。さあ、3日間"ついで"の旅行の始まりだぜ。



フェリーターミナルの向かいは線路になっていて、ちょうどタイミングよく機関車が単機で通過していきました。
BNSF鉄道のEMD GP38-2形BNSF2094号機です。中量貨物列車牽引から操車場での入換まで出来るB-B軸ロード・スイッチャーです。
なおこれの機関士、運転台のデスクに足を乗っけて運転するという素晴らしい勤務態度を見せてくれました。おったまげたなぁ・・・。いやたぶんアレはアメリカでも悪いほうだと思うけど。
ロード・スイッチャーって、スイッチャーとしても使いやすいようマスコンやブレーキがデスクじゃなくて運転席左横側に付いてるし(と書くとDE10形を思い浮かべると思うがアレとも少し違う配置で、あくまで幹線用機関車に適した構成となっている。詳しくは画像検索されよ。)、足乗せてもあまり支障がないのか。




背中側。日本みたいに2エンド側って言い方はしないらしい。
BNSFの塗装はいくつかあって、これはヘリテージ1と呼ばれるもの。通称かぼちゃ。前身のサンタフェ鉄道のものを引き継いだボンネットにある円に十文字のロゴが特徴。
他の塗装はこの旅行記の終盤に出てきますぞ。



この後フェリーターミナルから最寄りのバス停を探したものの見つからず、歩いているうちに気がついたらダウンタウンの近くまで行ってしまい、もうこの際だからとトランジットトンネルまで歩いてしまうことに。
今旅行、スマートフォンの電波が無い状態で周るため色々不便です。まず今みたいにバス停が探せません。事前に調べはしたんですけどねぇ・・・。
ネットが使えないとこうも立ち回りが鈍くなるとは。すっかりグーグルさんに依存してしまってますね。なお今後も不便が襲うぞ☆

道中通りがかったバス撮影。サウンドトランジットのGilling Phantom 40'。おお、ツーステだ。



コミュニティトランジットのNFI D60LF。シアトル北部に路線網を展開するバスで、ダウンタウンには中長距離系統しか乗り入れてこないのであまり目にしません。前回訪問時には見なかったですし、今回も写真はこれっきりでした(目にした事自体はこの後何回かある)。
これの自転車ラック、3台積めるんですね。つよい。



トランジットトンネルのウェストレイク駅にたどり着きました。ここへ来る前に観光案内所で改めて情報収集してたんですが、そこで思いがけないネタを見つけてきました。急遽翌日の行程にぶち込みました。こういうのがあるから観光案内所は侮れないのだよな。

さて前回も来ましたこのトランジットトンネル。名前通り公共交通機関のためにダウンタウン地下に掘られたトンネルで、路線バスとなんと電車が同じトンネルを共用しています。
ただ観光客にはちとわかりづらい部分もあり(特にバス)、とりあえずダウンタウン内の移動なら電車にだけ乗っていたほうが無難だと思います。



電車が来ました。リンク・ライトレールです。電車に正式な形式名はないんですがとりあえずここでは100形とでも呼んでおきます。ちなみに近畿車輛製。
このライトレールの終点はここウェストレイク駅だったんですが、2016年3月19日にワシントン大学まで延伸しました。そこから更に伸ばす計画もあるらしいです。アメリカのライトレールは延伸に積極的で羨ましいな。



サウンドトランジットのNFI DE60LF。ハイブリッドバスです。ここを通るバスは例外なくハイブリッド車です。



キング郡メトロのNFI DE60LFR。
ウェストレイク駅のワシントン大学駅寄りは勾配になっていて構図的に面白いので少しの間撮影していくことにします。



キング郡メトロNFI DE60LF。暗いところでも中々綺麗に撮れていて満足してます。カメラ替えてよかったです。



DE60LFRとDE60LFの離合。よきかな。



サウンドトランジットDE60LF。
中々電車来ないな・・・。



キング郡メトロDE60LFR。



100形が来ました。地下トンネルにLRVというのはミスマッチです。そこがいいんですが。



寄せてからも撮影。



バスと電車の離合を撮影したかったのですが、時間が押していたので電車に乗ってインターナショナル・ディストリクト/チャイナタウン駅(長い・・・)へ。そこから近いところにあるホステルへチェックインします。

今回は宿泊費を抑えるために初めてユースホステル(Hostelling International)を使いました。格安の代わりに相部屋だったりシャワートイレが共用だったりでプライバシーや快適性が低いんですな。
案外清潔だったりスタッフの対応もよかったりして結果的に思っていたよりよかったのですが、やっぱり相部屋だけはキツイなぁとなりました。盗難が怖いです。
部屋に鍵のかかるロッカー(ただし鍵は持参)がついているので盗難の心配からはある程度解放されるのですが、寝ている間にスマートフォンとカメラの充電をしなければならずその時はロッカーから出してベッドの横で一緒に寝ることに。寝ている間に盗まれちゃたまらんわけで、カメラを抱えて寝てましたw
また使う機会があるかというと微妙かも・・・といったところです。面白い宿ではあるんですけどね。

今回はここまで。


その2へ→

北米project 2 ~Major Leaguers und Jagdflugzeug.  その2 【2015/06/24~26】

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2015年6月24日(金) 17時07分 シアトル セーフコフィールド周辺
ホステルにチェックインして余計な荷物をおいてきて、初日のメインイベント・・・の前に列車撮影します。時刻は17時ということで通勤列車「サウンダー」が運行される時間帯に既に突入しているのです。ちょっと出遅れた。



セーフコフィールド横の跨線橋から列車を撮影します。前回も同じところで撮影しましたな。
MPI MP40-3C形SDRX922号機+Bombardier BiLevel Car 7両による1515レレイクウッド行き。サウンダーのMP40形は珍しいのでラッキーなのです。
うーむビルの影が・・・。



反対から1516レシアトル行きがやって来ました。
サウンダーは機関車の牽引により走る客車列車ですが編成の反対側は制御客車、プッシュプルと呼ばれる運転方式です。客車列車に付き物の折り返し運転時の機関車の付け替え・機回し作業を省略できます。電車(気動車)と同じような感じです。



後追い。機関車はMP40-3C形SDRX923号機。おや、2連続で見られるとは。
広角で撮って影に入らないようにしましたが全部は無理ですね。



場所移動。さっきのところより歩いて5分くらいのやや南側の踏切で撮影。
アムトラックの検修場があるんですねここ。なんだかえらく編成の短いタルゴが・・・。左から荷物車、食堂車、電源車と全部非営業車です。まあ他の客車は検査中なんでしょうが。
タルゴも本当短いですよね。もしBトレ化するとしてもこれの場合デフォルメする必要ないと思いますw



5人に3人は「機関車だ」と答えそうな外見をしていますが実はエンジンを取り外されてしまったもはやただの制御車ことNon-Powered Control Unit車AMTK90253号車。
日本語にするなら「無動力制御車」というのがこれの正式な名前です。元は正真正銘の機関車EMD F40PH形、かつてのアムトラックの主力機関車でした。
タルゴには他の客車と違って制御客車が無いので別に制御車を用意する必要があったのです(ただしカナダ乗り入れ列車はそういう協定でもあるのか、制御車を連結しないのだが・・・)。ジェネシスの投入で余剰となったF40PH形を転用したというところでしょう。なおスッカラカンになったエンジンルームは乗客の荷物置き場になっているので実は荷物車の側面もあるのです。日本語にするとクニ90253。そういう旧型国電いそうだな。



スイッチャーのEMD MP15DC形。スイッチャーったってデカイもんな。
余談ですが、このスイッチャーはどちらが前なのかというと、この写真の向きつまりエンジンのある方が前側のようです。他のロード・スイッチャーだとエンジンのある方が後側にくるのにスイッチャーは逆なんですねぇ。さすがに見た目がアレだと思ったのかも。なお根拠は鉄道模型の見本写真なのであまり当てにせずに・・・。



留置車両に目を奪われていると後ろからアムトラック「カスケーズ」が通過していきました。あれ、こんな時間に走るとは聞いてなかったので不意打ちでした。回送かな?
先頭はEMD F59PHI形AMTK470号機、タルゴはオリンポス山編成、後尾のNPCUはAMTK90251でした。



後追い。これだけ見ればF40PH形が機関車に見えなくもない。
まあF40PH形もアムトラックから引退したくらいで、探せばまだまだ現役のところが多いです。



次の列車が来るまでアムトラックの検修場を見てみます。これは機関車の整備場ですね。ここは日常点検程度でもっとちゃんとした整備は屋内の車庫でやるんでしょうけど。
営業列車では中々見れない機関車の背中側がおっぴろげです。これら旅客用機関車ってロード・スイッチャーと違って運転席から後ろが見えないんでどうやってバックするんだか気になってましたが「一応後ろにも運転できるよ、一応ね」程度の装備はあるんですね。扉の内側に簡単な制御装置があるんでしょう、きっと(未確認)。扉の窓が後方視界の全てとなると構内移動だって満足に出来ないですな。本当に申し訳程度の装備だ。
流線型片運転台機関車は客車と編成を組んだ時にスピード感と一体感が出るのが魅力ですが、一方の客車側は妻面に運転台付けただけでどうもこの・・・。まあ客車側は編成組成の自由度を上げるために貫通型にしなければならないという制約があるにせよ、エクステリアの引き出しが少ないように感じます。その点日本の貫通型車両のデザインはいいですよね。



道の反対側には客車が留置されていました。これはAMTK1759荷物車。1961年バッド製で新製配置はユニオンパシフィック鉄道UP5520。
アムトラック発足時に他鉄道から引き継いだ客車いわゆるヘリテージ客車はもはや荷物車程度しか残っていませんが、各社からの寄せ集めだけあって個体差が大きく、見るのが楽しい客車でもあります。
ただ近年、ビューライナー客車の車体で荷物車の新製が行われたらしく、ヘリテージ客車も先が見えてきた・・・のかも知れません。まあいつかは廃車になるからね。



別の線にはスーパーライナーと荷物車。このスーパーライナーは食堂車です。1階に窓がないのがポイント。



さっき見た1516レの折り返し1517レレイクウッド行き。MP40-3C形923号機が先頭です。
引き気味に撮って周りの景色も入れてみましたぞ。背景の屋根はセーフコフィールドです、言わないとわかりづらいけど。架線柱型の信号機もアメリカっぽくていいですね。
あとはあれですね、警笛がやかましいです。踏切を通過する時には必ず警笛を鳴らさないといけないそうなんですが、ただでさえうるさいのに何回も鳴らすもんですから・・・。



後追い。まあ普通の客レだよな感ある。



でもまあ制御客車が先頭になると、ねぇ・・・。ただ最近はだいぶマシな方に見えてきました。
1518レシアトル行き。



引き寄せてからも撮影。やはり車体が大きいのと意外と速度を出すんですね、これ。迫力は中々あります。



後追い。機関車はMP40-3C形SDRX921号機。おや、1時間足らずでサウンダーのMP40形3機全部見れましたねぇ。珍しいとは一体。
これにて撮影は終了です。



行きとは違うルートでセーフコに戻ります。サウンダーの通る線路の西側にはBNSFの操車場があります。
コンテナ積み下ろし用の設備のようで、操車場には巨大コンテナクレーンが見えました。ガントリークレーンではなくトランスファークレーンと呼ぶそうです。1列車当たり100両超えが当たり前のダブルスタックトレインの海上コンテナをフォークリフト(トップリフター)で運んでたら日が暮れちまうもんなぁ・・・。



セーフコに戻ってきました。
スクールバスが停まってました。Thomas Bus Saf-T-Liner C2が2台です。学生がセーフコに来ているかと思いきや、これおでこにチャーターの文字が。なんかのツアーなのかしら。



振り返ればセーフコの入場口。私の手にはこの日のチケット。そう、今からメジャーリーグ観戦なのです!
初日のメインイベントの始まりだ!


その3へ→

北米project 2 ~Major Leaguers und Jagdflugzeug.  その3 【2015/06/24~26】

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2015年6月24日(水) 18時04分 シアトル セーフコフィールド・ライトスタンド
セーフコフィールドに入ります。
憧れの・・・というほどではないですが、これがメジャーリーグの球場かと思うと胸が高鳴ります。北米P1ではシーズンオフだったので外から見ただけでした。
先刻ご承知の通り、セーフコフィールドはシアトル・マリナーズのホーム球場です。今日だけマリナーズ男子ですよ。



既に練習始めていますな。



腹が減ってはなんとやらなので球場飯を購入。
トルティーヤチップスの上にサルサソースみたいなものをかけてトドメにクリームチーズを乗せたメキシカンな食べ物。あとビール。ビールはミラー・ライトです。特に選んだ理由はなし。
トルティーヤのソースが濃厚で美味いんですなぁ、うはは。量も中々あって、最初は足りないかもと思ってたのに結局は満腹になりやした。



セーフコといえば可動式のドームですな。今日は使うことは無さそうだ。
席は一塁側の内野席にしました。安めの席にしたんで後ろ側です。
それとセーフコってフリーWi-Fi飛んでるんですね~、ぐう聖。



体を慣らす選手。ローガン・モリソンの背中。深い意味は無いです。
というか野球はごくごく基本のルールを知っているくらいで全く詳しくないのでアレです。
最後に球場に行ったのは2012年のマリンフィールドで、これ野球観に行ったんじゃなくて水樹奈々のライブを観に行ったんです。なので、最後に野球観戦したのは・・・うーん、高校生の時に母校の甲子園県大会の応援に無理矢理動員されたときなんじゃないかな?テレビ中継も通してみたことはないですね。そういうことです。
マリナーズも試合当日の少し前までは弱いチームだとは知りもしませんでした。イチローおったんやしさぞや強かったんやろなー思ってました。
大船のやきうのお兄ちゃんことZeBonくんによれば、マリナーズは守備はそこそこ打撃はクソとのこと。そ、そうなのかー・・・。



デデンとセーフコの看板。あれ時計になってたんか。
なお今日の対戦相手はカンザスシティ・ロイヤルズ。やきうのお兄ちゃんによれば強いとのこと。それもそのはず、この年2015年のワールドチャンピオンは他ならぬロイヤルズになったのだから・・・。
ま、負ける気せえへん地元やし(震え声



そんなこんなでそろそろ試合開始時刻。
なにやら儀仗兵のような人たちがマウンドに上がってきました。
2つ掲げられた旗は片方はアメリカ国旗、もう片方は・・・って、あれはアメリカ空軍旗なのでは?ということはこの人達本当に軍の儀仗兵なのか?
・・・制服を見較べたところどうやらそうらしい。たまげたなぁ。



試合前に国歌独唱。観客も起立と脱帽をして歌います。ワイカナダ人完全にアウェー。



歌ってますね。身が引き締まるというか静かに盛り上がってきますな。
某極東の国歌じゃこうはいかんだろうなぁ。やっぱ場を盛り上げるには不向きだよねアレ。



儀仗兵撤収。



やきうの時間だあああぁぁぁ!!!
プレイボールです。



先攻はロイヤルズ。マリナーズの先発はキューバの至宝ロエニス・エリアス。防御率とか勝率とか知らんのでこれ以上深入りはしないゾ。



スタメンはこうなっているザマス。読めるかな?
さて現在マリナーズには岩隈久志という日本人選手が所属していて、この試合は彼目当てでもあったんですがなんと4月に故障してしまっていたのです。ちょうどそろそろ復帰するかな~ってところだったんですが、結局復帰は7月になったのでした。
メジャーでの日本人選手との遭遇は今のところ全く運が無いという状態になっています。



ロイヤルズの4番エリック・ホズマー。2015年は好成績だったようだ。



1回表は得点なしのまま1回裏へ。ロイヤルズの先発はダニー・ダフィー。ちな一塁がホズマー。



後攻マリナーズの1番打者はオースティン・ジャクソン。



ダフィー投げる。
この後ジャクソン安打を打つもその後繋がらず得点なしのまま1回終了。

今日はここまで。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jagdflugzeug.  その4 【2015/06/24~26】

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2015年6月24日(水)19時51分 シアトル セーフコフィールド
3回裏 KS 0-0 SEA
シアトル・マリナーズ対カンザスシティ・ロイヤルズの続き。2回はスルーして3回裏からスタートです。



打者はベネズエラの至宝2番フランクリン・グティエレス。英語だとGutierrezと書き、初見だと読めない選手筆頭。これ英語じゃないなと思ったら案の定でスペイン語でした。
彼がヒットを打つもこの回も無得点。序盤は投手戦が続き試合がなかなか動きません。



3回が終わるとグランドスタッフが踊りだしました。



どんちき♪└(^ω^ )┐ ┌( ^ω^)┘どんちき♪
これ以外にも(中身は忘れた)あの手この手で球場を盛り上げていくって感じでした。プロ野球だとどうか知りませんが。ドアラはよくダンスしてる印象だよね。
前回、最後に野球観戦したのは甲子園の母校の応援に動員された時と書きましたが、プロ野球に限ると野村時代のヤクルトにまで遡り、当時はなんとまだ未就学児でした・・・。
その割には風船飛ばしたり直径小さくて実用性ゼロのビニール傘ぶん回したり野村克也を間近で見たり今でもやけに記憶に残っている試合です。それ以外覚えていないけど。



4回表ロイヤルズの攻撃。ここで試合が動きます。
番マイク・ムスターカスがライトセンターへ向けてホームランを打ちました。
マリナーズ、先制されます。



ムスターカスがホームランを飛ばす前にはアルシデス・エスコバーがヒットを打っていたので、計2点入れられました。いけませんねぇ~。



セーフコ上空には飛行機が飛んでいきます。さすがボーイングのお膝元だ。機材はこの角度だと分かりんせん。エンジンが2発だから少なくとも747ではないはずだ。
ちなみに球場の隣は線路になっていて、あの可動式ドームが貨物列車の音を拾って場内へ向けて反響させてきます。意外とうるさいんだなここ。



その後は啖呵を切ったかのように打線が爆発。
8番オマー・インファンテが2塁打を打ち、それにより満塁だった走者が一斉にホームイン。追加点3点を決めます。それからも写真のデイソンが7点目を決めるまで追加点が続きました。
マリナーズは一挙に7失点を喰らいます。これはまずいですねぇ。マリナーズは投高低打なのでこれほどの失地回復は厳しいのは私でも想像がつきます。



やべぇよやべぇよ・・・。
7-0のマリナーズ、堪らず作戦会議を開きます。
これで前後の戦術の変化が見えるようになったら面白いんだろうけどなぁ。



4回表はとりあえず7点で抑えました。続いて4回裏。
カメラのシャッタースピードが速すぎるのか、スクリーンがえらいことに・・・。



カイル・シーガー、センターヒットを出すものの後続が続かず・・・。うーんこの。



5回裏。ドミニカの至宝ロビンソン・カノが打つ。
マリナーズもようやく調子を出してきたようで、この回で2点を取り戻します。いいぞその調子だ。



やべぇよやべぇよ・・・。
ロイヤルズもタイムを取ります。別にそのまま続けても勝てそうなんだけどな。



試合再開。なおこの回は2点で終わった模様。

次回で決着です。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jagdflugzeug.  その5 【2015/06/24~26】

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2015年6月24日(金)20時58分 シアトル セーフコフィールド
7回表 KC 7-2 SEA
試合も終盤戦です。時刻はもう21時ですが、高緯度にあるのでこの時間でも明るいですねぇ。日照時間が長いと夕方以降も動きやすくていいですな。



7回から飛んで8回表。マリナーズの投手はトム・ウィルヘルムセン。
なお7回表にロイヤルズが追加点を入れて8-2になってた模様。



8回は無失点に抑えます。



カノ打席へ。



ロイヤルズのピッチャーもいつの間に変わっていてジョー・ベイメル。見事に一人も出さずに抑えましたね。
もう負けムードなんで書く方も勢いが落ちますね。



最終回、ロイヤルズは無得点のまま終了。さあマリナーズ、あと7点入れれば勝ちだぞ(棒
まあそんなうまいこといくこともなく、三振、センターフライ、安打、最後はゲッツーで21時55分頃に試合終了となりました。



KC 8-2 SEA
な お マ



選手退場。



観客も一斉に帰っていきます。私も帰ります。22時回ると流石に日没です。

観てみた感想ですが、よう分からんかったというのが正直なところです。分かったことといえばマリナーズが4回にけちょんけちょんに点を入れられてそのまま負けたってこととあとは球場飯が美味いってことくらいです。
ルールは知っていても試合に勝つための戦略・戦術は基本すら知らないわけですから見るべきところが分からないのです。そらそうよってなります。面白さ7割くらいは損していたと思います。
スポーツ観戦は相応の知識を持って臨まないとダメですね。ただ一朝一夕でどうにかなるものでもなく、かつそこまで熱中できるかというと微妙なんで、どうなんでしょうねぇ続く気しませんw
まあちょっとずつでも勉強しようとは思いました。ただその量は鉄道やミリタリーものの比ではないように見えるんですが、大丈夫なんかこれ。



最後に正面からグラウンドを見て球場を去りました。何だかんだ言ってもまた観たいですね。



セーフコからホステルまではライトレールでひと駅、余裕で歩いて行ける距離なので試合の余韻に浸りつつ歩いて帰ります。
セーフコの隣にはもうひとつセンチュリーリンク・フィールドという球技場があります。
ここはアメフトとサッカー用の球技場で、それぞれシアトル・シーホークスとシアトル・サウンダーズのホームになっています。マリナーズの旧本拠地キングドームの跡地なんだとか。



きれいなもんですね。なかなかいいじゃないか。ただタワークレーンが邪魔だ・・・。



キングストリート駅の跨線橋を通って線路の上を渡ります。
サウンダーのバイレベル客車SDRX109が1両だけ留置されていました。どうすんだよこんなところに置いて。

そのまま寄り道せずにホステルへと帰って(何せチャイナタウン内にあるんで治安が・・・)充電中のカメラの盗難にビクビクしながら就寝しました。
つうか冷房ないんですよ、このホステル。これにはびっくり仰天でしてね。気休めにちっちゃい扇風機が各ベッドに1台ずつ付いていますが、うんまあ・・・。ただ湿度は低いように感じたので同時期の日本よりは快適といったところでしょうか。
そんな感じで初日はこれで終了。2日目に続きます。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jagdflugzeug.  その6 【2015/06/24~26】

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2015年6月25日(木) 10時29分 ワシントン州エバレット ペインフィールド空港
2日目です!
朝、ホステルで朝飯を食べて、それから9時にホステルから歩いて5分くらいのところにあるレンタカー屋へ。自動車整備工場が連なる通りの建物のひとつの中にあって、本当にこんなところにレンタカー屋があるのか中に入るまで疑いが晴れませんでしたが、一応あるようでひと安心。
少し待たされた後に車両を受領。写真にも写っている日産セントラでした。レンタカーはもう何回も借りていますが、日本車ばっかですね・・・。
アメリカまで来て日産を運転することもないんで「アメ車はないの?」と訊いたら「これしか持ってきてない」と返されました。さらに、「ガソリンは満タンじゃなくてメーターの針のところ(だいたい8割くらい)で返してくれればいいよ」と妙に面倒なことも言われました。あー、この建物を間借りしている支店には車両が配置されていなくて別のどこか大きい支店から回送してきてるってことなのね。

で、北へ向けて針路をとったのですが、運転開始5分でハイウェイの分岐を間違えてそのまま迷う。
今回のレンタカー、ケチってカーナビを付けてません(北米ではカーナビはオプションなのだ)。で、その1で書いたようにスマートフォンに電波は入りません。つまり事前に紙に印刷してきた地図だけが頼りです。これは失策と言ってよく、結構時間を無駄にしました。
結局、10時には着くだろうと思っていた最初の目的地には30分も遅れて到着するハメになりました。とほほ。というか、紙に印刷してきたグーグルマップの経路案内地図だけでよく無事に辿りつけたと今でもちょっと信じられないくらいです。



というわけでどうにか辿り着いたペインフィールド飛行場。
ここはシアトルの北約30kmのところにある飛行場です。民間の飛行場ですが旅客航空会社は乗り入れてこないので普通は利用しないところです。じゃあ何があるのかってのは追々・・・。

とりあえず駐車場から見える範囲にいる飛行機を撮影。いきなりアントノフ航空のAn-124ルスラーン(UR-82008)という文字通り大物がいるじゃないですか!
ソ連が開発した輸送機でその搭載量150tは世界最大です。軍用機以外にもその搭載量を活かして規格外の貨物を輸送する民間貨物機としても使われています。広島電鉄の外国製路面電車を空輸したのがこれです。あとは名古屋からボーイング787の部品も運びます。
ケツしか撮れないのが惜しい。



他にはボーイング737が数機置かれています。



Jet Timeの737。デンマークの会社だそうな。



中国聯合航空の737。一度も聞いたことのない名前ですね。今は違うそうですが元は人民解放軍が運営していた会社だったそうな。軍が航空会社を運営するのか・・・。



ハンガー内にいる悪い病気にでも罹ったかのようなハデハデの737はアメリカのサウスウェスト航空。沖縄を飛んでそうな名前だな。9ヶ月後乗ります。



他には全日空のボーイング787が。なんだかまだ造りかけって感じだ。
・・・ここの飛行場の正体は後までとっておくつもりだったんですが、なんか書いていくうちに隠すのが苦しくなってきたんでもうバラしてしまいましょうw
ペインフィールドにはボーイング大帝国の旅客機製造工場が隣接していて、出来たてホヤホヤの機体の試運転をするところがこのペインフィールドなのです。上のAn-124もちょろっと書いたように名古屋から787の部材を積んで運んできたんでしょう。
まあボーイングについては追々。



まずはここを攻略します!フライング・ヘリテージ・コレクション(FHC)。空飛ぶ遺産収集館。やっぱりheritageは日本語訳しにくいなぁ。
航空博物館でして、第二次世界大戦時の戦闘機を中心とした収蔵品を展示しています。アメリカ、イギリス、ソ連、ドイツそして日本(イタリア・・・はて?)と主要参戦国の有名どころの戦闘機を完璧でないにしろおおよそ網羅していて、第二次世界大戦の戦闘機見るならここに来れば大体オッケーだと思います。
ちなみにここのオーナーはポール・アレンという人物。マイクロソフト大帝国の共同創業者でございやす。最近だと海底に沈没した戦艦「武蔵」を自前のヨットと探査チームを率いて見つけ出したという出来事で話題になりましたな。武蔵といいこの私設博物館といい、金を持ったオタクはやることがすげーや・・・。



受付で入館料を支払い館内へ。あっ暗い・・・。展示室は格納庫を改造したものになってますね。北米の航空博物館ではよく見られるものです。



時代も国のバラバラに見ていきますよw
最初はドイツ空軍フィゼラーFi156 C-2「シュトルヒ Storch」。原型機は1936年に初飛行。
なんだか弱そうですがこれは戦闘機ではなく、連絡機・偵察機として開発されたものです。
50mもあれば離着陸できてしまう短距離離着陸性能が特徴で、現代のSTOL機の草分けとも言えます。
脚が特徴的で、機体胴体に繋がっているわけではなくて支柱から伸びているんですね。折れそうだなぁと心配になるんですが、これの空虚重量は860kgと1tを切っている驚きの数字。その上この脚にはショックアブソーバーが入っているので問題なかったらしい。むしろこの脚や軽量さ、加えてエンジン馬力の高さもSTOL性能に寄与したとかなんとか。

まあこれ見るまで今まで知りませんでしたね、うん。当時ドイツ機は何も知らなかったんでふ~ん程度にしか見てなかったです。今もあまり詳しいとはいえんです。



偵察機なので下方視界が良いよう主翼は高翼配置、コックピットからの視界もよくて下を見やすいようにキャノピー(というのかこれ?)が膨らんだ形になっています。さらに屋根もガラス窓になっています。
これのサブタイプであるC-2型は自衛用機関銃MG15を1門搭載したタイプです。後ろ側に向かって取り付けられていますな。あれで追ってくる戦闘機を蹴散らすのです。
この機体は1939年製で1980年代東ドイツで発見されたもの。90年代にミシガン州で復元されて2000年にFHCに収蔵となりました。



次はソ連軍イリューシンIl-2。アイアイ-2ではない、アイエル-2だ。
戦闘機というよりかは対地対戦車用の攻撃機で、シュトルモヴィク штурмовикというあだ名も有名。
その異名の由来にもなった23mm機関銃*2門、7.6mm機関銃*2門の重武装は強力で、ドイツ戦車にポンポン風穴を開けていったのだ。いくら無敵のドイツ戦車でも上面装甲は薄いのです。
こいつの場合防御力も高く、エンジンに4mm、コックピット周りには8mmと12mmの装甲を装備していたので、打たれても中々墜ちないとか空飛ぶ戦車とかと言われてたそうな。



ティーガー絶対殺すマンこと23mm機銃と7.6mm機銃。太いほうが23mmだゾ。あんまり目立たないのね・・・。
降着装置は空気抵抗なんざ知るか!と言わんばかりの収納の仕方ですな。普通は主翼内に収めるもんなんですが・・・。速度が遅いからあまり問題にはならなかったのだろうというのと、この方がたぶん構造が楽で軽量化に繋がるんじゃないかなと。想像ですが。

Il-2は、同志スターリンが「我々は空気やパンのようにIl-2が必要である」とお手紙を書いたおかげでバカスカと造られてしまい、気がつけば世界最多の生産機数を持つ軍用機と言われるくらいに、具体的には約3.6万機も造られました。おかしいんやないか。
ところがアホみたいに造られたIl-2も現存機は10機くらい。残存率およそ0.02%と戦勝国のくせにその現存機はえらく少ないのです。というのもヨシフおじさんが飛行機嫌いだったせいか、ソ連は戦後に航空機をみんな潰してしまったのです。なので現存機もソ連以外の他国で運用されていた機体か残骸からレストアされた機体というところでしょう。
ここの機体も元はソ連領内に残っていた残骸だったもの、それも4機分の残骸を組み合わせて復元した機体です。ニコイチならぬヨンコイチ・・・。



後ろから。
後部銃座が見えます。初期型は銃座なしの単座機だったんですが、ノロマな機体が対地攻撃なんてしてたら敵戦闘機から見ればカモですから、いくら装甲が厚くてもよく撃墜されたそうで、後に追っかけてくる戦闘機を追っ払うために付けられました。銃座要員は装甲されてなかったのでよく死んだらしい・・・。



前から。
胴体下面にはエンジン冷却用オイルを冷やすためのオイルクーラーがあります。Il-2の弱点といえる部分で、ここをやられるとエンジンがたちまち焼き付いてしまいます。なのでエンジン同様ここにも装甲がされてるとか。本当に戦車だなぁ。
ちなみに液体でエンジンを冷却するのを液冷エンジン、空気で冷却するのを空冷エンジンと言います。液冷エンジンは概ね箱みたいな形をしているのに対し空冷エンジンは輪っかのような形をしています。搭載する機体にも形状差が現れていて、液冷エンジン機は機首が細長く先が尖っていて、空冷エンジン機は断面が円形で先端が丸っこくなっています。色々例外はありますがだいたいこの見分け方で大丈夫なはずだぞ。Il-2は先が細いから液冷エンジン機ですな。
あとは、右主翼前縁の付け根からなにか飛び出していますが、あれはエンジンへの空気吸入口だそうで。フィルターがあるのは雪対策かな?



3つめ、ドイツ空軍フォッケウルフFw190A-5。
Bf109と並んでドイツ代表の戦闘機のひとつ。ドイツ空軍さん、Bf109を開発したはいいもののあれの液冷エンジンって生産性悪いし操縦も難しいし主脚の間隔短くて着陸時に事故りそうだし・・・意外とヤバくね?ってことで補助戦闘機を開発することにしました。それがFw190です。
初飛行は1939年で、あれ、意外と早いのね。ていうか零戦と同世代やん。クルト・タンク技師が開発したんですが、性能だけじゃダメよダメダメ、大量生産性や前線での整備性も考えなくちゃって感じに造り上げて、現場でも好評だったそうな。最終的には主力戦闘機の座をBf109から奪うまでになりました。保険として造られた戦闘機が主力にのし上がるって、結構ありますよねー。



前から。
機首が丸っこいのでこれは空冷エンジン機ですね、うん。
Fw190といえば内股に開いた主脚で「オカマのフォッケウルフ」というあだ名は私の中では有名です。とはいえこれの収納展開は電動式で、当時でも先進的だったんじゃないかとの噂。あとFw190といえばプロペラスピナーのぐるぐる目ですが、ついてねぇなこれ。イカンでしょ。
機銃はエンジン上に7.92mm機関銃2門、主翼に20mm機関砲4門を装備していました。主翼の機関砲のうち2門はプロペラの半径内にあるのが特徴ですかね。
機関銃を撃つ時というのは普通はプロペラを回して空を飛んでいる時ですから、それだと下手すりゃ弾がプロペラを折ってしまって敵を墜とすはずが自分が墜ちてしまいます。それを避けるために機関銃とプロペラの同調機能が付いています、どういう仕組なのか想像もつかんけど。それでも当たる時は当たるらしい。日本機も同じようなものを持っていました。
なんでそんな面倒くさいことするのかというと、機銃はなるべく機首と同一線上もしくはなるべく近い位置に置いたほうがそのぶん命中しやすいんです。だったらプロペラ軸の先っちょに機銃置いたら最強じゃね?という発想のもと生まれたのがBf109のモーターカノンだとかアメリカのP-39の37mm機関砲だったりするんですがこれはまた別のお話。
ちなみに主翼に配置された機銃はわずかに内側に角度が付いていて、一定距離で交差するようになってます。これまた難しそうだなってなるわけです。ドイツや日本と異なり、アメリカやイギリスの戦闘機は一部を除けば基本的にプロペラ半径内には機銃を装備してなかったはずです。ここら辺にも運用思想の違いが出ますね。



後ろから。
Fw190って調べてみたら細かいサブタイプがバカみたいに多くて、よく混乱しなかったもんだと・・・。このA-5型、というかまずA型というのはドーバー海峡でブイブイいわせたるで~という感じの純粋な戦闘機型です。
で、A-5型というのはエンジンを15cm前に移動させたタイプのようで、これで機体バランスを保ったみたい。なんで今さら、設計段階で調節しとけよ!となりますが、これのひとつ前の型式A-4型でエンジンを出力強化型のBMW801D-2に換装しているようなんでそれに対応したのかな?例によって知りませんが。
なんですが、この機体(1943年製)はどうも対地攻撃に使われてたらしいぞ?で、同年7月9日にソ連の貨物列車を攻撃中に撃墜されたらしい。あらら・・・。
よく分かりませんが前線で戦闘爆撃機に改造されたのかも知れないですね。1943年7月となると戦闘爆撃型であるF/G型が制式化された時期と重なるんで。

その後、パイロットはソ連の捕虜になったものの機体は放置され、そのまま大地の養分となり野となり森となり・・・と行くはずだったんですが、1980年代後半にウォーバードハンターとかいう行動派ミリオタみたいな奴に発見されます。
機体発見時の状態は良かったみたいで、損傷は低かったようです。墜落したくせに。その後復元されて、今では世界で唯一原型エンジンであるBMW801を搭載して飛行可能なFw190となっています。

今日はここまでとします。このペースだと長引くな・・・。


その7へ→

北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その7 【2015/06/24~26】

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2015年6月25日(木) 10時55分
ワシントン州エバレット フライング・ヘリテージ・コレクション館内
FHC編の2回目。4機目はイギリス空軍のホーカー・ハリケーンMk. XIIA。
スピットファイアと並ぶ第二次世界大戦時のイギリスの主力戦闘機のひとつなんですが、スピットファイアと比べるといまいち影が薄い。というのも性能が平凡だったらしい。スピットと同じマーリンエンジン積んでるくせに。バトル・オブ・ブリテンの時もスピットファイアは戦闘機の、ハリケーンは爆撃機の迎撃を担当していたとのことですが、要はドイツ戦闘機じゃ性能低くて相手にならないからノロマの爆撃機を相手にしてたってことじゃんね。

この機体Mk.XIIA、つまりMk.12Aはカナダ自動車鋳造社製でエンジンはアメリカでライセンス生産されたパッカード・マーリンXXIX(29)を搭載。Mk. X以降の機体はカナダ製と見て問題無いです。ただしMk. Iにはカナダ製もいるのでそこだけ注意。
製造日は不明ながらおそらく1941年製、元々は艦上戦闘機型のシーハリケーンとして製造され1942年1月22日にカナダ空軍に配備されるも実戦は経験せず。
空軍が艦上戦闘機?怪しいと思ったんですが、シーハリケーンは元々商船にカタパルトを付けただけの船CAMシップで運用するための機体だったようで。ドイツの通商破壊対策に急遽改造されたCAMシップですが、これ空母じゃないので、シーハリケーンは一度発艦すると着艦ができなくなってしまい、機体は近くの陸地の基地に着陸するかそれかもう海上に不時着して機体を放棄、乗員は救助(必ず救助されるとは言ってない)という使い方をしていたそうな。なんじゃそりゃ。
これじゃイカンでしょ、ってことになって今度は商船に飛行甲板を乗っけた軽空母というべきMACシップを改造していったそうな。ただし日本の商船改造空母「飛鷹」などのように改造後は軍に徴用されるということはなく、あくまで商船として運用されていた模様。

話を戻して、それでもMACシップなどを運用していたのは海軍のはずですから、海軍型として造ったけどいらないらしいから空軍に回しとくわって感じだったのかも知れません。艦上戦闘機を陸上戦闘機として使う分には問題無いですからね。でもやっぱり不都合があったのか後に艦上戦闘機の機能を削いで普通のハリケーンMk. XIIAに改造されました。
その後着陸に失敗して損傷し、そのまま廃棄。それからイギリスで復元されて2006年3月15日にフライアブルになるまでになりました。



横から。なんだか無難、無難、アンド無難といった印象を受けるのは気のせいかしら。
ハリケーンの特徴としては胴体後部が羽布張り、つまり外板が鋼管の骨組みと布で出来ているのです。胴体前半の外板はなめらかな表面なのに対して後半部分は横にスジが通っていてカクカクしているというのが分かるでしょうか。これが羽布張りの部分です。こんなナリしてずいぶんと古い技術を使っているのね・・・。後期型のこのMk. XIIAはまだいい方で、初期型は主翼一部も羽布張りでした。なお初飛行は1935年11月。これの半年前にドイツのBf109が初飛行しているんですから、古いと言われても仕方ないよね。
あと、主翼が厚いのね。主翼が厚いというのは揚力を稼ぐのには都合がいいんですが、その分抵抗が大きいんで高速性は犠牲になります。主翼を薄くすればその逆です。ここら辺は設計者のさじ加減ですね。でもこれ、同時期の戦闘機の中でも厚い方でしょう。他の戦闘機はなんとも思いませんでしたがこれだけは「厚いよなぁ」って感じさせますし・・・。
それでも必要なときに必要な数を揃えられるという面では優秀でした。何せ造るのが簡単。イギリス最多戦闘機はこれですし、大戦序盤では中々数の揃わないスピットファイアに代わりイギリスを守っていたのです。



尾翼の付け根辺りのアップ。
布と言っても布目は塗料の厚塗りで埋めているので一見すると布だと分からないですが、まあ布です。他の博物館で羽布張りの資料を触ったんですが、障子の紙を丈夫にしたくらいの感じで、割と簡単に穴を開けれそうな感じでした。
機体には、フライアブル機の証とでも言うべきレジ番号が書かれています。このハリケーンはNX54FHです。ただ、歴史考証的には邪魔なものに他ならないので、普通はこれのようにとても小さい文字でしかも水平尾翼の下という目立たない位置に書かれます。
あとは、Fw190では埋められていた整備器具の差し込み穴がハリケーンには残っていて、注意書きも書かれています。この考証の差というのはレストア業者によりけりということでしょうかね。



5機目、再びドイツ空軍でフォッケウルフFw190D-13ドーラ。前回見たFw190A-5とは別の機体ですよ。
Fw190はおおまかに3つのサブタイプがあります。ひとつは空冷エンジン搭載の戦闘機型であるA型、もうひとつはA型から派生した戦闘爆撃機型のF/G型、で最後が空冷エンジンを液冷エンジンに換装して(!)高高度性能を確保した後期戦闘機型であるD型です。
Fw190は第一級の性能を持つ戦闘機でした。ですがそれは「高度6000m以下でなら」という但し書きが付きます。高高度性能の優れる連合軍の戦闘機が出てくると対抗するのが難しくなってきます。
「じゃあ高高度に対応したエンジンに載せ換えればええやん」って感じに改造されて1944年8月からD-9型が量産されることになります。それでも高高度性能は満足行くものではなく、結局はジェット戦闘機Me262の実用化を待たねばなりませんでした。ドーラという名前はサブタイプのDから取られています。なおサブタイプの数字は9から始まります。試作機は1と2で、3~8は何故かすっ飛ばされたようです。このD-13型はエンジンにユモ213Fを、武装に20mm機関砲4門を搭載したものです。D-13型としては唯一の現存機だそうな。
で、そのエンジン換装なんですが、A型のBMW801空冷エンジンからユモ213液冷エンジンに換装したんです。空冷エンジンの形状は前面投影面積が大きいけど奥行きが薄い、液冷エンジンの形状はその逆と対照的なわけです。空冷エンジンを載せるように設計されたFw190に液冷エンジンを載せてしまったので、機首部の形状が別物みたいに変わってしまいました。特に長さが120cmくらい伸びてしまい、なんかもうえらく不格好に・・・。
こんなに鼻の長い戦闘機もそういないでしょうし、あんまりにアレなんで長鼻とかデブとか豚とか言われてたらしい。ツラいンゴね。



前から。
お前のような液冷エンジン機がいるか!ってスタイルしてますね。普通は上のハリケーンみたいな形を想像するんですが・・・。エンジンカウルが付いている戦闘機は空冷エンジンだよって前に説明しましたが、これは例外ですw
このエンジンカウルのようなものの内側には実はラジエーターとオイルクーラーが収まっています。豚みたいな見た目の割には、胴体下面に装着していた他の液冷エンジン機と比べて空気抵抗を抑えることが出来て効率的だったそうな。
D-13のプロペラスピナーにはちゃんとグルグル目玉の塗装がされていますね。敵パイロットの目を回して墜落させちゃるというものではなく、敵味方識別用のマーカーです。日本軍機の主翼前縁の黄帯、連合軍機の主翼の白黒の縞模様と同様です。あとプロペラ太いなぁこれ。
機関砲は主翼と胴体に2門ずつ・・・って思ったら博物館の資料には3門と書いてありにけり、おや・・・?胴体の機関砲は1門だけなのかな?
主翼の機関砲の外側についている穴はガンカメラらしい。この時代にガンカメラなんてあったのね。よく分からないのでスルー。

製造時期は不明ですが1945年3月に第26戦闘航空団に配属、その2ヶ月後に連合軍に鹵獲されアメリカのインディアナ州で性能評価試験に供されます。試験後は大学や個人の手を渡り歩いて2001年に復元、2007年にFHCが購入とのこと。唯一のD-13型の現存機なので、万一の損失を考慮して飛行させるつもりはないとのこと。
というかD-9型を入れてもD型の現存機は4機しかなく、大戦後期に登場した機体でありながらその数は少ないです。D型の総生産数は700~800機らしいんでそう考えると妥当なのかな。あとはまあ敗戦国の宿命かしらん。



後ろから。
機首の長さが前に伸びたFw190Dですが、実は胴体も後ろ側に伸びています。
飛行機は揚力さえあれば飛べるというものでもなく、主翼を重心にやじろべえのようにバランスを取る必要があります。左右はともかく前後、つまり胴体の重量バランスを取ってやらんといかんのです。なのでエンジンという重量物が胴体の先っちょにあるレシプロ戦闘機は主翼が胴体の前側にあります。対してジェット戦闘機はエンジンが胴体の中央辺りにあるので主翼がレシプロ機よりも後ろ側にあります。
以上を踏まえて、Fw190Aよりも機首の長さが伸びたD型はバランスが崩れてしまうのです。A型のサイズで最適化するよう設計されているので当たり前です。じゃあどうしようかなとなると「後ろにも伸ばしてバランス取りゃええやん」となるわけです。でまあFw190の場合、延長の仕方が雑というかなんというかって感じで・・・。



比較用に前回のFw190A-5の写真を載せておきましょう。改めて見ると、なんかもう別物やん・・・。
どこを延長したかというと、またひとつ上に戻ってもらって、胴体後部と垂直尾翼の付け根あたりの間。なんか伸びてるなぁっていうのが分かるでしょうか。この伸ばした部分、再設計したのではなく延長用のパーツをはめ込んでくっつけただけで元の機体の構造や外観はいじっていないという簡単さというか豪快さ。
A-5型の胴体上面から垂直尾翼までのラインがなだらかな曲線を描いているのに対し、D-13型の方は間にストンと直線のラインがあるのが分かるでしょうか。もっと言うと胴体の白い部分、ここが延長用パーツをくっつけたところです。
プラモデルじゃないんだから・・・というくらいの雑さです、はい。当時はもう連合軍に押され気味だったのでもはや設計に時間をかけること出来なかったんでしょうかね?
それと、胴体の他に垂直尾翼も拡大されているんですってよ。確かに気持ち大きくなっている気がします。



続いて6機目、赤軍(ソ連)のポリカルポフI-16 Type 24「ラタ Rata」。ひと目でわかる、こいつはイロモノだ!
存在はなんかプラモデルで見たような覚えがあって知っていましたが、まさかこんなところで見られるとは。いやぁかわいいですな。
初飛行は1933年12月。引込脚、単葉機、モノコック構造と当時としては意欲的で、特に引込脚はI-16が初めて採用した機構です。
んなことが霞んでしまうくらいにインパクトの大きいのが何と言っても胴体の短さでしょう。I-16以前にも死に急いでいるレース機ことジービーというよく似た飛行機がいますが、ポリカルポフがこれを参考にしたって話は聞きませんね。どちらも速さを求めるならどうしようってことで「胴体を短くして重量を軽くしたほうがいいんじゃね?」という同じ結論に達したのかも。
スペイン戦争や冬戦争、日本で有名なところで言うとノモンハン事件など戦間期から第二次世界大戦序盤まで活躍。性能は悪くなく、特に高速性はその寸詰まりの胴体のおかげで他国の戦闘機に優っていたんですが、この時期の航空機の進化の早さは目覚ましくあっという間に陳腐化してしまいまいました。ノモンハン事件なんかだと日本軍のやられ役ですし・・・。
この機体は1940年製でフィンランドとの冬戦争に投入されてフィンランドの砲撃(対空砲なのか駐機中にゲリラにやられたのかは分かりませぬ)にやられたそうな。1991年に残骸が発見され、当時と同じ製造所で復元。最初はニュージーランドのアルパイン戦闘機コレクションが保有ていたのを1998年にFHCが購入したそうな。このアルパイン、6機のI-16と3機のI-153(I-16の兄弟機)を初め他にも色々復元したそうで、なるほど金持ちかという。



もうちょい横から見ます。うわぁ短っ。
コックピットのキャノピー、ちょっと小さ過ぎなんじゃ・・・。首回せるかいこれ?コックピットも狭いし脱出しづらそうね。なお胴体は木製だそうで、あと垂直尾翼はたぶん羽布張りなのかな?というふうに先進技術の固まりとはイマイチいかなかった模様。
胴体こそ短いですが主翼や尾翼は割りと常識的な大きさになっていますかね。
エンジンカウルの横から出ている穴はエンジンの排気管で、どうも排気を推力として利用していたみたい。零戦五二型と同じですな。



正面から。
エンジンカウルが特徴的な形をしています。正面のエンジン冷却口は普通なら開口部が全周に空いているんですが、I-16は半分が塞がれている格好に。これは寒冷地でのエンジンの過冷却を防止するためのものです。さらにシャッターが付いていて空気の流入量を調整できたとか。こいつカウルフラップが無いなぁと思ってたんですが、これがカウルフラップの役割を持っていたんだなぁと。
カウル下側の四角い穴はオイルクーラーかしら?上の三角の穴かもしれない。
世界初という引込脚にも面白いところがあって、車輪からワイヤーが伸びてるんですね。あー、ワイヤーを引っ張って脚をしまうのか、これ・・・。え、油圧は?



7機目、ドイツ空軍Bf109E-3。ドイツ空軍戦闘機の本命の方。戦闘機としては史上最多の3万機超えが生産されました。開発はバイエルン社だけど生産は途中からメッサーシュミット社に変わったのでMe109と呼ばれる場合もありにけり。
ところで、こいつ・・・。



げっ、首なしだ!ドイツの至宝DB601エンジンが外されとるやんけ。そういえば工房で何かいじってたっけな・・・DB601だったのかな?
これもフライアブルなわけでだから何か整備していたんでしょうけど、配管類は現用品に置き換えられてるんでしょうねこれ。まあ動態保存だし多少はね?



特徴的な主脚。脚自体は普通なんですが、取り付け位置がだいぶ異なります。他の機体は通常主翼側に取り付けるもんなんですが、Bf109は胴体側に取り付けていて、脚の展開する方向が左右逆になっているというのが分かると思います。
どうも機体を一撃離脱バカに仕上げるために主翼を薄く設計してしまい、結果主脚を持ち上げる油圧装置を胴体にしか配置できなかったからとか。あとは胴体に降着装置を付けるとその分主翼の構造を簡略化、つまり軽量化できるようになるので、これも速度向上に繋がるのです。ただ代償として離着陸時の操縦がえらく難しくなってしまい、よく事故ってたそうな。
ちなみにスピットファイアの主脚も同様の原因で同様の配置になっています。



8機目、イギリス空軍アブロ・ランカスターB.I (FE)のノーズ。
アメリカ爆撃機の印象が強すぎてなんだか影の薄い他国の爆撃機ですが、ランカスターはイギリス重爆の傑作機です。
性能は悪くないけどなんかイマイチだったアブロ・マンチェスターから発展した機体で、イギリスの至宝マーリンエンジンを贅沢に4発搭載しているのです。
この時代の爆撃機といえばやたら窓が多いことですが、一番手前は航法士か爆撃手の窓、その上に自衛用の機銃、その後ろに操縦室と3段構えになっています。
このB.I型通称FE型は1945年にビルマから日本本土を爆撃するための機体。FEとは極東 Far Eastの意味なのです。まあ実戦には間に合わなかったようです。
使い道がなくなった後は新型エンジンのテストベッドになって、それも終わった後は首だけ残されたそうな。首はイギリスの博物館で保存されていたものの閉鎖されてしまい、売りにかけられていたものをFHCが購入したとのこと。



後ろ側から中に見られるようになってます。が、覗けるだけで機内には入れなかった・・・はず。よう分からんです。

今日はここまで。


その8へ→

【1/700】 護衛艦「あけぼの」製作 【ピットロード】

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前回の作品からちょっと間が空いてしまいましたけどね、また作りました。
なんだか極東の島国では戦車プラモがまた流行っているようですがカナダでは相変わらず自動車プラモが人気ですよ。次は航空機でその次が戦車かな。船はやっぱり人気無いらしいぞ・・・(涙
私の興味ももっぱら航空機なので戦車プラモはまだ作る気はないですねぇ。

今回はカナダ訪問艦シリーズ第2弾、海上自衛隊の護衛艦「あけぼの」です。2010年6月に「あたご」と共にビクトリアのエスクイモルト基地に訪問しています。
カナダ訪問艦はこの2隻だけだと思ってたんですが、帝国海軍時代に戦艦「霧島」が1918(大正7)年に、装甲巡洋艦「出雲」が1914(大正3)年にそれぞれエスクイモルト基地を訪問しています。「霧島」は御召艦運用の代打、「出雲」は第一次世界大戦時の北米西海岸防衛のための航海でした。調べたり訊いてみるもんですね。この2隻もいずれ作らねば。あ、でも霧島はたぶん近代化改装前だろうな。



スケールは1/700、キットはピットロード製で、フルハル形態を選択。キット名は「さみだれ」ですが「あけぼの」と同じむらさめ型で、「あけぼの」を含めた他の艦のデカールも付属しているのでこれで「あけぼの」が作れます。
先に作った「あたご」とは船体の分割の仕方が異なっていて少し戸惑う。
船体の一部は盛大にヒケていますが・・・・・・無視します。



船体と上部構造物を組み立てた進水状態。



ミサイルのVLS化と船体のステルス化はむらさめ型が最初だったのかな?中央のVLSは露天むき出しなんですねぇ。



マストは組立ててから塗装すると楽ですね。



護衛艦には喫水線辺りに黒い帯があってこれを塗らなきゃならないんですが、まあマスキングして塗るじゃないですか。で、テープ剥がすじゃないですか。この有様ですよ。
「あたご」でも同じ目にあったんで今回は慎重を期したんですけどダメでしたね。ていうか前より重症だぞこれ。やっぱりサーフェイサー吹かないと食い付きが極端に悪くなるんだなー。何度も言いますけど、カナダだとサーフェイサーは値段が2倍以上するのでケチっています。
結構ショックだったので、1ヶ月間ほど作業が停滞する。



1ヶ月後どうにか立ち直って制作再開。で、完成しました。うむ、いいんじゃないか?
ピットロードのキットは重りが入っていないので自力調達する必要があります。ジェット戦闘機プラモの重りのように絶対必要な部品ではないですが、あった方が特にフルハルで作る場合は安定性が上がるんで仕込んでおいたほうがいいです。私はホームセンターで売っているバラ売りのナットを入れました。



レーダー類は超適当に処理してるんであらが目立つゾ。あんま近くで見ないでくれよな。
ヘリコプターは作りこむ気が起きないのでグレーで塗っただけ。どうせ作るなら1/72くらいの大きさで作りたい。



艦首。
護衛艦の艦橋って他国と比べて背が高いよね。



カナダ訪問組同士で。あー、いいですね。やっぱり「あたご」の方が一回り大きいですな。

というわけでサクサクと作りました。続きはギャラリーで。
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