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【ギャラリー】 海上自衛隊むらさめ型護衛艦 DD-108 あけぼの

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「あけぼの」は2002年3月19日に就役した汎用護衛艦。
就役後は第4護衛隊群第4護衛隊に編入され、呉に配備された。2011年には第1護衛隊群第5護衛隊に転属し、母港も佐世保へと移った。
インド洋やソマリア沖などへの海外派遣が多いほか、2010年6月にはカナダ海軍100週年記念観艦式に参列するためカナダ ブリティッシュコロンビア州のエスクイモルト基地に「あたご」と共に寄港した。



海上自衛隊の護衛艦「あけぼの」です。以前に作った「あたご」同様、カナダへの来訪歴がある艦ということで製作しました。「あたご」と並べられるよう1/700スケール、フルハル形態としています。
製作途中でダレてしまいましたが、どうにかどうにかという感じです。



横から。分類は駆逐艦ですが、大きさは太平洋戦争時の軽巡洋艦クラスですかね。
こんごう型での設計が取り入れられていて、レーダー波をあさっての方向へ飛ばすために傾斜しつつ角ばったステルス性を持った外板、アスロックやシースパローのランチャーを垂直発射装置(VLS)に収めている点は代表的です。



後ろから。



艦首。



中央部。
後部VLSは蓋が付いていないというのは意外で、知りませんでした。実物を上から見る機会なんてそうないですからね。そもそもむらさめ型は生で見たこと無いんですけどね・・・。
短魚雷は失くしました(



ヘリコプター甲板。



最後に「あけぼの」と「あたご」を並べます。我ながら様になってると思いますw艦船模型は数を揃えてなんぼなんだなと。
思ってたより時間がかかってしまいましたが、やってみたいことを実現できてひとまず満足です。



北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その8 【2015/06/24~26】

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2015年6月25日(木)11時03分
ワシントン州エバレット フライング・ヘリテージ・コレクション館内
FHC編3回目。今回はドイツの世界一の科学力の粋を集めたビックリドッキリメカを見ていきますよ。
今更ながら館内はこうなってるんです。格納庫を利用した展示館というのは、収蔵機体を詰めるだけ詰めてしまった結果機体全体が超見づらいということが間々あるんですが、ここは仕切りに遮られて機体に寄ることは出来ないもののゆとりを持って機体が配置されていて、いろいろな角度から観察できて好印象です。



9機目、ドイツ軍の秘密兵器シリーズその1、報復兵器2号ことV-2ロケット。ズゴゴゴと大気圏外まで上昇していってその後は自由落下してロンドンとベルギーを叩き潰しにいく、要は人類初の弾道ミサイルです。
人類史上初めて大気圏外へこんにちはした人工物でしょう。基礎研究は戦前から進んでいたとはいえ大戦中にこんなの開発するなんてドイツすごすぎ。そりゃあシュトロハイムも「我がナチスの科学力はァァァァァァァアアア世界一ィィィイイイイ」と言いたくなるわな。
ちなみにこれの開発者はヴェルナー・フォン・ブラウン、アポロ計画のサターンロケットを造った人だすな。あとはガンダム知ってる人なら月面都市に同じ名前が付けられています。私が最初にフォン・ブラウンを知ったのは後者からでした。
今の弾道ミサイルがそうであるように自由落下して地上に激突するとなると迎撃はもう無理ですから、撃ちだされたらオシマイということで連合軍は血眼になってこれの発射基地を潰しに行きました。ドイツもこりゃイカンとなって発射台を移動式にしてました。
ただ当時は精密誘導装置なんてないですから、3000発発射して命中率は4%程度しかありませんでした。命中したとしても炸薬量は980kgとこの後出てくるV-1より少し多いくらいですから図体の割には・・・とも取れます。ただ軍人や市民への心理的効果はV-1よりも大きかったと思います。こんなのが前触れ無く降ってくると思うと怖いものな。
報復兵器2号の運用もむなしくドイツの旗色がますます悪くなってくると、アメリカやソ連はこれらドイツの秘密兵器やその技術者たちの獲得競争に出ます。V-2を始めとしたビックリドッキリメカはその時に結構な数が鹵獲されているのです。フォン・ブラウンもその時に米軍に投降してそのままアメリカに連れてかれたのでした。
ただしFHCのV-2はアメリカが持ち帰ったものではなく、1990年代にノルトハウゼンの地下工場から見つけ出したもの。
このV-2は外板の一部が外されていて内部構造の見られるようになっていますが、「V-2?それなんてガンダム?」程度の認識だった当時の私には関心がなく、こんな写真しか撮ってないのよという有様。しくしく。



ハンガーからはみ出て建てられた空間にドイツ秘密兵器軍団が鎮座しています。まずは軍団の先鋒V-1飛行爆弾シリーズ。2つ置いてありますが、右と左で少し異なっています。
ちなみにこれら秘密兵器軍団、なにせ先端技術の固まりなんで、上でも書きましたが大戦末期から戦後にかけて連合国が研究のために片っ端からかっぱらっていったため、その後それらを譲り受けたものが今でも結構な数残存しています。V-1はその筆頭で欧米のあちこちの博物館で見ることが出来ます。
なんというか調べていくうちに、ドイツの科学力すごいしってなるし、工業力でそれに対抗する連合軍もすごいしってなるし、翻って我が日本は・・・・・・となると、段々情けなくなってきますな。チーン。



10機目、ドイツ軍の秘密兵器シリーズその2、報復兵器1号ことV-1飛行爆弾。V-1のVとは報復 Vergeltungswaffe(読めない・・・)のVです。V-2も同じ。V-2が弾道ミサイルの元祖だとしたらV-1は巡航ミサイルの元祖と言えます。
占領下のフランスにある発射台からシュゴーッと発射されてドーバー海峡を渡ってロンドンを火の海にしてやるぜという兵器。動力は当時最先端のパルスジェットエンジン(胴体後ろについている筒)を用い、ジャイロコンパスで方角を、気圧高度計で高度を、先端についているプロペラの回転数で飛行距離を割り出し、設定した距離に到達するとエンジンが停止し目標に向かって落下するという自動操縦装置を持っていました。
パルスジェットエンジンの出す音は数km先からも聞こえるやかましい特徴的な音で、イギリス軍からは「バズボム(ブンブン爆弾)」と呼ばれてました。その音が聞こえなくなった時はつまりV-1が落下する合図ということなので、市民へ恐怖心を与えました。ただし後期型はエンジンを切らずに落下していったそうな。
ただこれも精密誘導出来ないんでやはり命中率が良くなく、ロンドンへは約9000発発射されて命中したのは約2400発。大部分は外れたり敵機に撃墜されたそうな。なお全体では約2万2000発発射されたそうで、V-2に比べるとやはり生産性は高いですね。命中率も良くないとはいえV-2と比べると高いです。さらに炸薬量は850kgとV-2と大差ない数字です。100kgそこらの違いで威力にそう差がでるとも思えませんし、V-2って見た目は派手ですけどコストの割には微妙なのかも。
で、V-1も例に漏れず連合軍に鹵獲されまくり、アメリカなんかは戦後にこれのコピーを造りまくったりもしたんですが、このV-1は1990年代にノルトハウゼンの地下工場から発見されたもの。ノルトハウゼンには報復兵器軍団を製造するための地下工場があったんで、たぶん上のV-2と同じ場所でしょう。ていうか戦後半世紀にもなって見つかるというのはちょっと遅すぎない?という気がしないでもない・・・と思ったら、ノルトハウゼンは東ドイツだったので、なんとなく腑に落ちたような。東西統一までは調査されなかったんだろうなきっと。
地下工場だと保存性高そうだから意外と原型を保っている個体なのかも知れません。それを見分ける術は持ってないんですけど。



11機目、ドイツ軍の秘密兵器シリーズその3、人間爆弾ことFi103R。V-1の有人型ですがV-1とは呼ばれずに区別されています。Rとはチェコの都市リベレツのドイツ語読みライヒェンベルク ReichenbergのR。ちなみにV-1はドイツ宣伝省が付けた通称で、正式名称はFi103なんですけどV-1の方が有名すぎてみんな覚えてくれない。
大陸反攻を図る連合軍艦艇への対艦兵器として設計されたもの。無人機のV-1は目標が大きくかつ移動しない都市や基地を標的としていたものの、それに比べると点のように小さくかつ避けられてしまう艦艇では全く使えないじゃんチクショーメ!となってしまうので、現時点で揃えられる最強の誘導装置ゲルマン民族を載せることで対艦攻撃でも有効性を出しました。
人間はどこに乗るかというとエンジンの手前です。風防があるのが分かるでしょうか。これにより自動操縦装置は外されています。V-1には付けられていた機首のプロペラが無いのが風防の有無と並ぶ両者の識別点です。
こんなの特攻やんと思うんですが、敵艦に向けてのコースを決めた後は脱出するように一応言われていたとのこと。でも、あんな窮屈な操縦席から脱出するの見るからに難しいし、身体を乗り出せたとしてもコックピットの真後ろにはジェットエンジンの吸入口がありまして、頭か手か脚が吸い込まれてミンチにされるのは火を見るより明らかでして。脱出できるよなんてのはまあ建前で、本質的には日本の神風兵器と同じでしょう。軍隊、追い込まれるともう何でもありになってきますね・・・。
ただ、幸いにも実戦投入はされませんでした。パイロット養成にかかるガソリンの量が確保できなくなったから(1人養成するのにガソリン5トン)という身も蓋もない理由なんですが・・・。
このFi103RもV-1やV-2と同じ場所で発見されています。やたら残っているV-1と違ってFi103Rは6機しか現存しておらず、貴重な1機のひとつと言えましょうぞ。そもそも生産数150機くらいですしね。



12機目、ドイツ軍の秘密兵器シリーズその4、ロケット戦闘機ことメッサーシュミットMe163B「コメート Komet」。何だお前ナメてんのかといった格好をしてますが、今のところ唯一のロケットモーターを動力にした戦闘機なのです。次に現れるのはガミラス星人が地球を攻めてくる辺りか人類がスペースコロニーに移住する辺りでしょう。
彗星の名に違わぬ超速い上昇力と高速性を持ち30mm機関砲2門を装備し、こりゃ手の届かないところを飛んでるB-17もイチコロだぜ!となったのです。但しエンジン点火から8分まで。
エンジンの燃焼時間はたったの8分間なため航続距離は極めて短く、攻撃のチャンスは多くて2回程度。燃焼後はグライダーとなって滑空するだけで、敵戦闘機にとってはいいカモ。で、「あいつ足短すぎね?」ということに気づいた連合軍は、爆撃機の飛行経路をMe163がやって来れないようなルートに変更してしまい、たちまち無力化されてしまいましたとさ(悲
ちなみに機体についている車輪ですが、軽量化のために離陸後はなんと外してしまいます。着陸する時は胴体下面についているソリ(黒い部分)を使うという豪快な設計。こんな狭いソリで着陸できるわけないやん・・・。



横から。やっぱ戦闘機としてはふざけた形してるよなぁ。アニメかよ。
主翼は後退翼になっているのね。
ついでに機首のプロペラも何で付いているのかが長年の謎だったんですが、機内の発電機発電用なんですってね。



後ろから。
あれ、こいつ尾翼無いでやんの。
あのお尻の穴から燃焼させた燃料を飛ばすのじゃ。意外とあっさりしたものね。これに搭載していた燃料はえらく爆発しやすく、飛ばす時はもちろん普段地上においている時も危険で大変だったそうな。
この機体は完成前に工場間をグライダーとして使っていたそうな。連絡機だったのかな?その後1945年5月8日、つまりヨーロッパ終戦記念日にイギリス軍によりやはり珍しかったんでしょう、例によって鹵獲され評価試験のためファーンボロ王立航空機関へ移送。1961年にダックスフォードの帝国戦争博物館に寄贈されたんですが、どういうわけか2005年にFHCが取得。
帝国戦争博物館って今もバリバリやってる博物館なんですけど、よく手放したなぁって感じです。なんだか金の匂いがするぜ。ていうかここの収蔵品、ポール・アレンの資金に物を言わせてかき集めたって感じがしないでもない。マネー・イズ・パワーだね。



Me163のエンジンHWK 109-509。ちっせぇな。これで高度1万mまで飛ぶもんなんですね。
写真の殆どが潰れてるし、仕組みに関してはスルーで(手抜き

ドイツの超兵器軍団はこれでおしまい。Me262やHe162といったジェット戦闘機はありませんでしたが、一箇所にこれだけ集めたのは大したもんだと思います。



ロケットエンジン繋がりってことでここに展示されてるのかしらというXLR99ロケットエンジン。これも意外と小さいなという印象。ただ、エンジン自体は小さくても燃料の搭載スペースを食うんだろうな、ロケットエンジンは。
超超音速と超高高度での飛行、さらには宇宙空間に近いところまでの飛行性能を調査するための実験機X-15の搭載エンジンです。宇宙空間となるともう飛行機じゃなくて宇宙船だね・・・。
推力は2万6000kgで、最大出力で83秒間の燃焼が可能。地上から燃焼すると燃料が持たないからか、B-52に運ばれて高度4万5000フィート上空から射出され、燃料を使いきった後は滑空しながら地上へ着陸という方式でした。航空機の最高速度マッハ6.7、高度35万4200フィートという世界記録を未だ持っています。
このエンジンの出処は不明です。新しい物に交換されて用済みになったエンジンか、墜落した3号機のエンジンか、というところですかね。X-15は3機造られていて、1号機と2号機はそれぞれスミソニアンとアメリカ空軍博物館に収蔵されています。



んー、じゃあついでにこれも置いとくかという感じで吊り下げられてるベルX-1の模型。スケールは書いてなかったんで不明。
今は56種類くらいあるXプレーンズの最初の1機種目で、1947年10月14日に史上初の音速を突破した航空機として知られています。この時のパイロットはチャック・イェーガーで、X-1ともども某ストパン界隈では有名な・・・はずよね?
これも動力はロケットエンジンで、プロペラじゃあまず無理、ジェットエンジンもまだ怪しいってことでロケットエンジンになったそうな。
この模型は映画の撮影かなんかで使われたらしい。で、肝心の実機はスミソニアンが持ってます。いつか行きたいなぁ、スミソニアン。

今回はここまで。


その9へ→

北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その9 【2015/06/24~26】

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再びメインハンガーへ。13機目はアメリカ陸軍カーチスJN-4D「ジェニー Jenny」。
第一次世界大戦時のアメリカの航空機といえばコレ、という機体だそうです。私は全く知りませんでしたが。
1917年、アメリカは第一次世界大戦への参戦を決めたものの、当時アメリカにあった飛行機はスポーツ用ばかりで、「これじゃ戦争に行ってもすぐにやられちゃうよ」となったのかはよく分かりませんが、戦闘用の練習機としてJN-4は開発されました。当時のアメリカ人とカナダ人パイロットのほとんどはこれに乗って練習したと言われています。
生産数は約6000機とされ、当時としては結構造っていた方なんじゃないんでしょうか。ドイツのフォッカーD.VIIが約3300機、イギリスのRAF S.E.5が約5200機くらい。
大戦終結後は1000機のJN-4が民間に払い下げられました。曲芸飛行用に使われた機体もあるそうで、低速飛行できる特性からマジキチ曲芸飛行ことウィングウォーキングに適しているとかなんとか・・・。あれってそんな昔からやってたのか。



この機体は、1918年製でカリフォルニア州マーチフィールド基地(9ヶ月後行くところだ...)で250時間以上の飛行訓練を行ったとされています。
なんと1919年には製造元のカーチスに売り戻されてしまい、その後は個人に再売却され以降何人かの手を渡り歩きながら俳優としてテレビや映画に出演したとか。
1999年にFHCは入手したときはボロボロになっていて、入手後にフライアブルにまで復元されました。
ボロボロだったものを飛行可能にまで復元したってことはこれほとんどレプリカに近いようなものなんだろうかね。フライアブル機は飛行時の負荷や安全性に耐えなくてはいけないので、多かれ少なかれ機体の構造部に至るまで新品に取り替えているということがあります。安全性のため、これのエンジンはオリジナルの種類とは全く別物が積んでいるとのことです。まあ書くと長くなるんで突っ込むのはこのくらいにしておきます。



14機目、ソ連赤軍のポリカルポフU-2/Po-2。制式時はU-2だったけど航空機命名規則が変わった時にPo-2に名前が変わりました、という経緯があります。
1927年6月初飛行の練習機です。かなり安定性があり練習機としては最適という機体だったそう。農薬散布機としても使われたそうな。
第二次世界大戦にも参戦していて、さすがにドイツ空軍と正面切って張り合えはしませんでしたが、偵察・連絡・補給といった裏方で活躍。
私は知りませんでしたが(泣)中でもドイツ軍から「夜の魔女」と呼ばれた第46親衛夜間爆撃航空連隊の活躍は有名だそうで。その異名通り部隊のパイロットはなんと全員女性でした。ここら辺の男女同権はソビエトって感じします。で、彼女らの任務は夜間にこっそり超低空で侵入してイモ野郎どもに爆弾をプレゼントすること。部隊名は大層なものですがその狙うところは撹乱や士気の低下といった嫌がらせってところでしょうかね。
Po-2、最高速度は150km/hと第二次世界大戦時に爆撃任務に就く機体としては遅すぎって話じゃ済まないくらい遅いんですが、意外と相手にとっては撃墜しにくい機体だったようです。あんまり遅いんで、例えば高速バカのBf109だとPo-2に速度を合わせると失速寸前の速度になってしまいヘタすると墜落してしまうんだそうな。あとは、爆弾投下前にはエンジンを切って滑空しながら爆弾を落としていました。エンジン切るのは消音対策ですね。機体が木製でさらに低空飛行するので、レーダーにも映らなかったというのも成功の要因とされています。夜は寝れねぇわ、あんな旧型機相手に手玉に取られるわで、ドイツ兵相当「ぐぬぬ~」としていたそうで。
同様の嫌がらせは朝鮮戦争でも行われていて、アメリカ軍国連軍相手に実行されました。爆弾1発でF-86を9機破壊したなんて言う奇跡みたいな戦果も挙げたとか。



後ろから。暗いな・・・。
本機は1944年製で、たぶん第二次世界大戦時に再生産されたグループだと思います。ベラルーシで放棄され、その後ポーランドで復元、2000年にFHCが入手。塗装は件の第46(中略)連隊のものです。
ちなみに生産数は4万機で、複葉機としては世界最多。



FHCでは最大の展示物15機目、アメリカ陸軍ノースアメリカンB-25J「ミッチェル」。初飛行は1940年8月。生産機数はギリギリ1万機に届かず、9816機とも9984機とも。実に惜しいので、お情けで1万機軍団に入れてもいいと思いますよ。
大型の戦略爆撃機B-29やB-17ほど有名ではないにしろ、ドゥーリットル空襲というキラリと光るエピソードがあるのでB-18やB-26みたいな聞いたことも見たこともない爆撃機ほど埋没しているわけでもない中型爆撃機です。

ドゥーリットル空襲は、負け続けだったアメリカが「日本本土を爆撃してクソジャップに一泡吹かせちゃるウシシ」という作戦で、それに使われたのがこのB-25なのです。ただ、アメリカ領から日本へB-25を飛ばすとトランスフォームしたって航続距離が足りないので、近くまで航空母艦USSホーネット(CV-8)に運んでもらいその甲板から発艦したのです。ちなみにB-25は艦載爆撃機としては設計されてない陸軍の爆撃機なので、かなりアレしてます。この作戦が無茶とか無謀とか言われるのはだいたいここです。
少しでも軽くして短い空母の甲板から発艦できるようにするために機銃から爆撃照準器まで余分なものは何から何まで下ろして出撃したとされています。照準器まで外したらマズいと思うんですが、嫌がらせが目的で精密爆撃は重要でなかったのと、照準器が結構な軍事機密だったんで万が一鹵獲されたら堪らんとあえて外したらしいです。そもそも、たかが16機のB-25が爆撃したところでその直接的な戦果は殆ど無いのです。
で、着艦はどうしたかというと、結論から言うとUSSホーネットへは戻ってきませんでした。発艦はともかく着艦は無理だったようで、着陸先は当時同盟を結んでいた中華民国の飛行場、つまり爆撃後は日本列島を横切って中国大陸へと向かっていったのでした。本当に無謀だと思いますよ、これ。
爆撃は東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸に対して行われました。アメリカ側は80名の搭乗員に対して戦死者は3名、捕虜8名とその無謀さからすると軽微な損害で済みました。大成功と言っていいでしょう。
この戦果はアメリカで大きく宣伝され国民の士気を上げることに成功し、日本は泡吹いて倒れてミッドウェイ海戦にマジで取り組み始めることになったのです。Po-2の夜間嫌がらせ爆撃といい、戦争において心理戦は大事よのう。

余談ですが、この作戦の立案者ジミー・ドゥーリットル、どうも結構人気者らしい。北米P4で訪れた航空博物館では彼の胸像をやけに見かけたのです。そ、そんなに大好きなのかしら?
もっと他にも誰かいるだろう怪しいぞってことで彼の経歴を少し調べてみると、元はパイロットで、MITの博士、初のアメリカ横断飛行を達成、シュナイダー・トロフィー・レースなど3つのエアレースで優勝となっておりました。おおう、これ結構な有名人じゃないか。
となると、この作戦の宣伝するところは「トーキョーを空襲してやったぜ」ではなく「あのみんな知ってる超有名人ドゥーリットル中佐が率いて成功させた作戦」だったのかもしれません。作戦名が東京空襲大作戦とかじゃなくてドゥーリットル空襲っていう人名から取ったというのが前から引っかかってたんですが、そういうことなのかな?



後ろから。
デカイんで展示スペースから主翼や尾翼がはみ出ます。
当時はこんなに大きい機体を持っているなんてすごいなと思ったもんですが、後で調べると割りと手頃なサイズなせいかB-25は大きい博物館にならどこにでもある機体と思うくらい保存されているんですね・・・。フライアブル機も多いですよ、ええ。アメリカすげー。
ちなみにこの機体は最終生産型のJ型ですが、これが保存機のほとんどを占めるサブタイプです。逆にJ型以外だったらB-25でも珍しいB-25よ、ということに。



胴体後部側面の機銃。こんなところにも付けるかい?



主翼の付け根にも機銃。というかこの機銃は防御用ではなく攻撃用だよね。
というのもJ型はH型の仕様変更型で、変更点は機首の75mm砲を撤去したこと。な、75mm砲!?
戦車砲か対空砲クラスの75mm砲を敵戦闘機からの防御に使うわけもなく、これは対地対艦攻撃用に使われました。他にも攻撃用の12.7mm機銃が8門・・・。爆撃機を攻撃機に使ったわけか。たまげたなぁ。まああまり効果なかったようです。
ちなみに日本陸軍にも四式重爆撃機に75mm高射砲を取り付けたトンデモ飛行機キ109がいました。

この機体の経緯ですが、1944年製で、戦後は世界初の射撃管制装置(FCS)ヒューズ社E-1の訓練用を積むために改造されました。
どういうわけかカナダ空軍で運用され、1961年に余剰機になり売却。その後カナダ・カルガリーの民間企業が購入し、今度は消防爆撃機に改造されます。
1990年にFHCが取得し、カリフォルニア州チノで大戦時に復元されました。
めちゃくちゃ改造されてんやん、おまえさん。傍目にはそう見えないというのはすごいですな。
B-25は戦後も練習機、輸送機、レーダープラットフォーム機として使うために残存しています(となると、原型のB-25って意外と少ないのかもしれないですね)。B-25がやたら、しかもJ型ばかり残っているのと関連性がありそうです。J型以前はほとんど潰してしまったんだろうね。



機首。機銃、多いなぁ。全部合わせて12門あるんですって。



16機目、イギリス空軍スーパーマリン「スピットファイア Mk.Vc」。初飛行1936年3月。総生産数約23,000機。イギリス戦闘機といえばこれですな。
エアレース「シュナイダー・トロフィー・レース」用に設計したレース機が設計の元になっていて、主翼が楕円翼という独特な形状なのが特徴。まあ地上から実機を見てもあんまり分かんないんですけど・・・。そんな基本設計の良い機体に、過給器が改良されるごとにパワーアップしていくイギリスの至宝マーリンエンジン(後期型はグリフォンエンジンに替えられたそうよ)が合わさったことで、Mk.IXが出てきた辺りにはドイツ軍機をけちょんけちょんにしてやったとかしなかったとか。
バトル・オブ・ブリテンで最強のルフトバッフェ相手にブリテン島を守りぬいたってことで、イギリス人はこれが超好きらしい。

スピットファイアはマークナンバーがとてもややこしいことで有名で、1938年量産開始のMk.Iから始まりMk.24まで派生型をこさえやがりました。これ、欠番無いからな。さらに海軍型のシーファイアや偵察型なんかも入れると30種類は余裕で越すと思うしもしかすると40いくかも(もう数えるのをやめてる
スピットファイアさんのめんどっちいところは同じマークナンバーでも主翼の形と武装が異なるということで、A~Eの各タイプがあります。ややこしいな。さらにさらに高高度型と低高度型もあって、それぞれHF型、LF型と分けられているのだ(通常型はF型)。翼端の形状が異なっていて、通常型と比べてHFは翼端が伸びていてLFは翼端がカットされているのだ。あとはエンジンもチューンされているらしい。ああもうややこしいな(ただし、翼端形状は前線でも簡単に交換できるせいか、高度の分類まではマークナンバーに書かれないからこれは無視してもいいと思う、ていうか無視したほうがいろいろ楽だ)。
なんて底の深い沼だ、スピットファイア!にわかの僕では手に負えん。スピットファイアのバリエーションを完璧に空で言えるのはイギリス人だけだろう。



この機体はMk.Vc(5c)で、Mk.Vは最初期の量産型であるMk.Iの改良型となっています。生産数が最も多いタイプなので保存機は多い・・・はず(大戦前半の機体だからあまり残存してないかもしれない)。ちなみにMk.IIは失敗で、Mk.IIとMk.IVは試作機止まりになっています。
大戦前半はスピットファイアといえどもドイツ機に圧倒されていて、「Mk.Iだと性能足りないし、かといってMk.IIは失敗したしIIIとIVも上手くいかねーし、これじゃやべーよ」とヤケクソ気味になって新しく改良されたマーリン45エンジンをはめ込んだ結果、なんかうまくいったらしい。
なので改良型と言ってもMk.Iの機体のエンジンを換えただけ。まあ戦況は逼迫してたし仕方ないね。性能もドイツ相手に打開できるほどでもなかったらしい。それをするには後に出てくるMk.IXを待たなければならなかったのでした。

その次、Mk.VcのCはC翼(C wing)のCで、主翼によって主翼内に収まっている武装が異なるというのは今書きました。で、C翼というのは20mmイスパノスイザ機関砲4門あるいは20mmイスパノスイザ機関砲2門、7.7mmブローニング機関銃4門の選択式。同じC翼でも武装が異なるというアレさです。プラモデルじゃないんだから・・・。ただこの拡張性や翼端の換装はロボット物みたいでロマンありますね。
ここの機体はどうかというと後者です・・・んー、上の写真見ると銃口片側4つあるなぁこれ・・・(汗)。主翼前縁から飛び出ているのが20mmで、その脇のはガンカメラだろう、きっと。その外側に7.7mmが2門あります。赤いシールが貼られているところです。当時の飛行場は舗装されていない滑走路が一般的でしたので、地上駐機中や離陸時にホコリを巻き込まないようにシールを貼るのです。離陸後に機銃を撃ってシールを外します(そうなるとさっきガンカメラと言った部分の説明がつかなくなるけどもう考えるのをやめた

この機体は1942年9月11日にイギリス空軍第312飛行隊に配備された機体。第312飛行隊はチェコ人で構成された舞台です。あくまでイギリス空軍なのですが、コックピットの辺りにチェコの国籍マークがあるのが分かると思います。他にもカナダ人部隊や亡命ポーランド人部隊で編成された部隊もあり、同様に胴体の何処かにそれぞれの国籍マークが小さく書かれています。
この機体は同部隊隊長トーマス・バイビラルの機体(だと思う)で、英仏海峡のガーンジー島で戦闘で被弾し撃墜、パイロットは脱出しましたが機体は大規模修復が必要でした。
戦列復帰後は別部隊で運用されていたそうで、終戦後は教材、展示用に使われました。1964年に用途廃止となりカナダの博物館へ売却、1999年にFHCが入手しました。



後ろから。やっぱり上から見ないと楕円翼って分からないなぁ。
20mm機関砲の根元から出ている主翼上面のコブは、内側に機関砲が収まっています。スピットファイアの主翼は薄いので大口径機関砲は収まらず、コブを付けることで無理やりねじ込んでいます。
他にもキャノピーとかオイルクーラーとか見るところあるんですけど、ちょうどいい写真がないのともう書くの疲れたんで、今日はこのくらいにしてやります。調べるほどドツボにはまっていく。



17機目、アメリカ陸軍のノースアメリカンP-51D「ムスタング Mustang」。初飛行1940年10月。生産機数約16,000機。
強い、安い、カッコいいと、ムカつくくらい非の打ち所が無いと言われる第二次世界大戦最優秀戦闘機。真打ち登場って感じ。

1939年、ドイツがハッスルして戦争が始まると、イギリスが「P-40ライセンス生産してちょ」とノースアメリカンに頼むんですが、「あんなアゴ戦闘機なんて言わずに俺たちが超イケイケの戦闘機を新しく開発してやんよ」と今日にでも戦闘機がほしいというくらいのイギリスの要求を拒否し、後にイギリスで「ムスタング」と呼ばれるようになる(アメリカではP-51A)原型機を102日で完成させます(初号機ロールアウトまでは117日とも)。元々はイギリス用戦闘機だったんですよ、これ。
ところがこれに積まれていたエンジンは、あんまり大したことないエンジン(除くP-38)ことアリソンV-1710エンジンだったのだ。これによりなんだか平凡な機体に仕上がってしまい、世界線が違えば戦場の影で対地攻撃や写真偵察を行っていた地味地味な機体に終わっていたのかもしれません。
が、今我々がいる世界線にはマーリンエンジンがあったのでした。イギリスの技術士がエンジンをマーリンに換装させて飛ばせてみるとあら不思議、性能が段違いに良くなったのです。魔法かいな。このマーリンを積んだムスタングは、アメリカではP-51B/C、イギリスではムスタングMk.IIIと呼ばれるようになりました。
そして、みんなも知ってるキャノピーを全周が見えるようにしたバブルキャノピーと6門に増やした12.7mm機銃を装備したP-51D/ムスタングMk.IVが完成したのです。あとP-51Hってのがあるけど無視します。



横から。胴体は意外と短いんだなぁって思います。これで爆撃機並みの航続距離を持つんだからどこに燃料載せてんだっていうアレ。
最初はパッとしない奴だったけどその後超絶パワーアップして敵国をボコボコにしてやったという、なんだかアメリカ人が好きそうな機体なのか知らないですけど結構な数が現存していて、いるところにはいる機種です。速いところに目をつけられてエアレース機に魔改造された機体もいるそうですよ。贅沢なことするなぁ。

この機体はアメリカ陸軍第8空軍第353戦闘航空団所属だった機体。第8空軍はドイツへの戦略爆撃を行っていた部隊で、第353戦闘航空団はその爆撃機の護衛隊ですな。
ハリソン・ブド・ルドルフ大尉の搭乗機で、Me262ジェット戦闘機も撃墜したんだそうな。戦後はスウェーデン空軍とドミニカ共和国空軍を渡り歩きます。ドミニカ共和国はP-51を最後まで運用していた国で、1984年に退役するまでその状態は良好であったと思います。その後1998年にFHCが入手し、1945年の状態に復元。2003年にはルドルフと再会しました。



後ろから。いやぁ、これはカッコいいでしょ。



スピットファイアの横に置いてあった、イギリスの至宝ロールスロイス マーリンMk.25 V型12気筒エンジン。
スピットファイアを常に一線級の戦闘機にパワーアップさせ続け、P-51を超優秀戦闘機の押し上げた傑作エンジンというのはさっきも書きました。実は戦闘機以外にも使われていて、ランカスターやモスキートのような爆撃機、果てはコメットやセンチュリオンといった戦車に加えてモーターボートにも搭載されてしまい、その枠は航空機用エンジンを超えています。なんだこいつ。
生産数も16万台となんじゃそりゃという数で、これは本家ロールスロイス製の他にも、大量生産の権化アメリカでもバカスカとライセンス生産されていたからです。
アメリカではパッカードという自動車メーカーが造っていました。パッカード製エンジンはパッカード・マーリンとかV-1650とかと呼ばれています。なおP-51に載せられていたのはパッカード・マーリンの方です。他にイギリス用にも輸出されとりました。

このMk.25はロールスロイス製で、モスキートに搭載されました。戦闘機用と爆撃機用ではチューンが異なるのかしら。
高度2000ftで1640馬力、高度9500ftで1500馬力となっております。
カットモデルになっていて中身が見えますが、まあ、よく分かんねぇです。写真手前側が前です。



後ろ側。エンジンの後ろに出っ張ってゴチャゴチャと付いている部品は、機械式過給器(スーパーチャージャー)です。
マーリンはエンジン本体も優れていましたが(どう優れてたかと聞かれると分からないけど)、過給器も優れていました(どう優れてたかとry)。過給器の改良によりマーリンはパワーアップを続けてきました。過給器が良いとエンジンの出力は上がるし高高度でも性能を発揮できるんで結構大事な部品。
このMk.25は1段2速。まあ、よく分かんねぇわな(手抜き
最終的にMk.61以降の2段2速の発展していきました。

今回はここまで。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その10 【2015/06/24~26】

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書く前は4回くらいで終わると思ってたFHC編だけどようやく半分過ぎたくらいですよ。今回は箸休めに陸戦兵器を見ていきましょう。
17台目はサンダース大学付属高校アメリカ陸軍の偉大なる凡作ことM4A1シャーマン中戦車。アメリカ戦車といえばこれ。
他国の後塵を拝していたアメリカ戦車の水準を一気に第一線にまで持ち上げた戦車です。量産開始は1942年からで、意外と遅い。第二次世界大戦序盤まではウサギさんチームのアレことM3リー中戦車で凌いでいました。
アメリカの工業力を端的に表した兵器のひとつと言え、様々な工場で同時に生産されました。なお生産数は約5万両。比較にドイツのティーガーが1300両、ソ連のT-34が8万両でごわす。ついでに日本の九七式中戦車(チハたん)が2100両(悲
また、各工場の長所を活かすため車体の製造法(鋳造/溶接)やエンジンの種類(星型エンジン/ディーゼルエンジン/ガソリンエンジンなど)がそれぞれ異なっているのが特徴。こうなると部品があべこべで現場での運用に支障が出そうですが、機体構成は同一とし部品にも互換性を持たせることで、信頼性を高めています。たぶん前線ではニコイチとか普通にやっていたと思います。
このように生産性と信頼性はピカイチだったんですが、性能はそこそこといったところで、1対1ではパンターやティーガーなんかにはまるで歯が立ちませんでした。ただ、戦車道ならともかくこれは戦争なので、ティーガー1両に対しシャーマン5両で食い破るというアメリカらしいマッチョな物量作戦で押し切りました。戦いは数だよ兄貴。
アメリカはやっぱり飛行機が強い国なんだなとか思ったり。



これはM4A1という最も早く量産・実戦投入されたタイプ。なのですが、1945年まで生産は続けられています。
M4のサブタイプは色々あるんですが、その付け方は他の戦車と異なっています。普通なら、例えばドイツのIV号戦車なら最初の量産型のA型、それを改良したB型、それをまた改良したC型・・・という風に仕様変更ごとに1つずつ増えていきます。
ところがM4は多数のサブタイプが並行して造られていました。各工場での製造法や搭載エンジンの違いごとに細かくサブタイプが付けられてたんですね、はい。さすがアメリカ。
で、M4A1はどういう奴なのかというと、車体は鋳造、エンジンは航空機用星型エンジンというもの。鋳造車体のM4はこのM4A1だけなのですよ。あとは現存するM4の大半がイージーエイトことM4A3E8なのも相まって、なかなかレアだと思いますよ。なので、これ見たさにここに来たってのはあります。
丸っこい鋳造車体が可愛くて、私の中で行われた「好きなM4ランキング」堂々の1位を獲得しています。ちなみに2位がファイアフライ、3位がイージーエイトで、以下同率。



後部。この車高の高さは戦車としては不利なのですが(ただシャーマンだけ特別背が高いわけでもないのだが)、私個人としては好きな形状。正面から見た時のスタイルは美しいです。
戦車といえばスコップ、ロープ、予備履帯などといった付属品を車体に取り付けていることが多いのですが、この個体にはそれを再現してあってそれっぽいです。屋外展示とかだと付属品がついてない場合が多いんでこれは嬉しい。

この個体はプレスドスチール製で1943年アメリカ陸軍に配備、米本土での訓練用に使われますが、1945年初頭にオランダ陸軍へリース、退役後はマニアに取得されました。
2011~2012年にアメリカ陸軍第7機甲師団第31戦車隊の塗装に復元されました。リアの7△31△はそういうことなのね。



18台目、カメさんチームドイツ陸軍のヘッツァー駆逐戦車。通称へったん。超重戦車マウスを持ち上げたことは一部ではあまりに有名。
1943年11月にIII号突撃砲の生産工場が連合軍に爆撃されたため急遽開発された駆逐戦車。本当はIII突を生産させるつもりだったものの生産を打診されたBMM社にIII突を造る能力はなかったため、BMM社が製造していた38(t)軽戦車をベースにしたもの。1944年3月に試作車が完成し、以降約2800両が量産されました。
戦車砲は75mm砲で、車体は傾斜装甲を採用、おかげで車内は超狭かったらしい。シャーシや足回りは75mm砲搭載のために再設計しているので、38(t)とは似て非なる者。ガルパン劇中で38(t)からヘッツァーに改造していたけどあれは本当にムリヤリなのだ。まあツッコむだけ野暮なんだけど。
生産性と稼働率は良かったものの性能と運用性はどうもいまいちだったらしい。熟練搭乗員なら距離1000mから初撃命中出来たというけど、この頃それだけの射撃手はどれだけ残ってたんだかという感じであります。



後ろから。お尻もかわいい。へったん∩(・ω・)∩ばんじゃーい。
駆逐戦車なので旋回砲塔は付いていません。砲塔を無くした分軽くなった重量を大型の戦車砲に回して火力を上げるという方法を採っています。
この個体は戦後にチェコスロバキアで造られたもの(いわゆるST-Iか?)で、バラバラだったパーツを組み合わせて造り上げたらしい。



19台目、イギリス陸軍の17ポンド対戦車砲Mk.I (Aust.)。文字通り戦車をぶっ潰すための大砲。初速・貫徹力に重きを置いた設計になっている、対戦車道の主力兵装のひとつです。
2ポンド砲と6ポンド砲で戦争を始めたイギリスでしたが、ドイツ戦車の硬さに歯が立たず、イギリスの兵器選定委員会は800ヤード(約730m)先から120~150mm厚の正面装甲を破壊できる初速2700ft(約820m)/秒の17ポンド弾を発射するための対戦車砲の取得を決定、1942年から製造が始まりました。
イギリス最強の対戦車砲で、上記のM4戦車の派生型のひとつシャーマン・ファイアフライにも搭載されたのは有名ですな。



後ろから。射撃時には後ろ脚を展開するんですね。
対戦車砲は射角をほぼ水平にして射撃するので仰角を取るための余裕は無いです。これは高さを抑えることで敵戦車からの低視認性にも繋がります。
この個体はイギリスではなくオーストラリア製。オーストラリアでは128門製造され、一部は朝鮮戦争で実戦投入されました。これがそれのひとつなのかは分かりませぬ。



20台目、ドイツ軍88mm Flak37対空砲。あ、アハトアハトだぁ!
日本ではたぶんあまり知られてないと思うけど、欧米じゃ有名らしいよ。連合軍の爆撃機を撃墜するための対空砲です。他にも、写真では水平状態で展示されていますが、これ水平射撃も可能で対戦車砲としても使われていました。とあるオーストリア兵は「88は対空砲だとか対戦車砲だとかそんなチャチなもんじゃねぇ、対全兵器(原文はanti-everythingなんだけど上手い訳が・・・)だぜ」と証言しており、連合国は相当ビビッてたそうな。
発射間隔は15発/分で、これを大量に配置してバカスカ撃って爆撃機を落としていました。高高度を飛ぶ爆撃機相手に狙って当てられるようなものではないので、数撃ちゃ当たる戦法ですね。それでも射撃管制レーダーを駆使したことで、命中率はイギリスよりもかなり高かったそうです。確か対空砲4~6門合わせた1ユニットで3000発くらい撃ってようやく1機。イギリスはこれの数倍以上弾を消費するんですから、どちらも途方も無い数字よの。



21台目、ドイツ軍150cmサーチライト&24kW発電機。日本語だと探照灯(海軍)とか照空灯(陸軍)とかいうやつです。150cmというと戦艦「大和」に搭載してあったのと同じ大きさです。
上記の88mm対空砲の支援装備のひとつで、サーチライト、可搬式発電機、聴音機、運搬用トラック3台、要員13名から成る「サーチライト部隊」により運用されていました。さらに1ユニット対空砲4基の部隊に対してサーチライト9基を運用していたとのこと。
夜間爆撃してくるイギリス空軍を見つけるために聴音機と光学照準器で目標の位置を見つけ追跡しサーチライトで照らして対空砲で叩き落とすという算段のようです。
光度は9.7億カンデラで、これは高度1.3万~1.5万ftで7300m先を照らせるというもの。消費電力は77ボルトで200アンペアなので15kW/h。多いのか少ないのか分からないですけど。
ドイツ軍は昼夜問わずレーダーを使って対空砲を運用していたはずなんですが、レーダーのカバーできない地域はこういうのを使っていたのかもしれませんね。



こっちが発電機。8気筒51馬力エンジンで、1500rpmで直流200A150Vを発電していました。



22台目、プラウダ高校ソ連軍のT-34/85。第二次世界大戦時の傑作戦車のひとつです。これも有名どころですね。
接地圧の少ない幅広の履帯(見きれいているシャーマンと較べてみよう)、強力な76mm戦車砲(後に85mm砲搭載車も出現)、車体の装甲を斜めに取り付けることで見かけ上の装甲厚を増す傾斜装甲と、走攻守に優れたバランスの良い戦車です。生産性もずば抜けて高く、1945年までに約5.7万両、最終的には約8.4万両が造られました。戦車としては史上最多です。今でも軍で現役の車両があるとかないとか。
ただ、それを動かす人間に対しては配慮が疎かだったり、生産性を上げるために質を妥協するなど、工業製品としては今ひとつといったところだったらしい。その点はシャーマンには及びませんな。
あとは正面に設けられたハッチが特徴的ですかね。他の戦車ではあまり見ない構造だと思います確か。こんなん弱点になるに決まってんやんって思うんですがどうなんですかこれ。ちなみにハッチが開いているのはT-34の展示ではおなじみの方法らしい。



横から。これはT-34/85なので85mm砲を搭載したタイプ。ケレン味があって好きです。
ティーガーやパンターといった例のドイツ戦車への対抗策として造られましたが、それでも敵わなかった模様。なので物量で押し切りました。
この個体は第二次世界大戦末期に生産されたもの。復元に際し足回りの走行ギアはチェコスロバキア製のVT-34戦車回収車に置き換えられています。アメリカでT-34が見られるところは少ないのでなかなか貴重。私があとアメリカで知っているところは今営業しているのかしてないのかよく分からないアバディーンくらいです。逆に欧州ではそこら中にあるとか。
白一色の冬季迷彩に塗られています。ガルパンでも出てきた塗装ですな。ロシア語はさっぱりなので砲塔になんて書いてあるのかは知りません。



後ろから。
目を引くのが燃料タンクと思しきタンクですが、これ本当に燃料タンクです。なんて危ないことを、と思うんですが、実はT-34のエンジンはディーゼルエンジンなのです。これの燃料は軽油なので被弾しても燃えにくいのです。まあそれでも機外燃料なんて怖いと思いますけど。
T-34は航続距離が長いのが特徴ですが、それはこの燃料搭載量の多さとディーゼルエンジンの燃費の良さから来ています。
それから、同世代の戦車は極一部を除いて揃い揃ってガソリンエンジンを採用していて、T-34のディーゼルエンジンはかなり先進的と言っていいです。その後の戦車設計の手本になったとかいうT-34ショックというのは伊達ではないのだなぁ。ちなみに、私の知る限りディーゼルエンジンを搭載したその極一部の戦車はあのチハたんとはっきゅんです。目の付け所は良かったんだねぇ。なお工業力。

以上です。ガルパンに出てきた戦車ばかりで行った当時は盛り上がりましたね。
はい、今日はここまで。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その11 【2015/06/24~26】

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前回までにメインハンガーの展示機は全て見終わったのですが、FHCには小さいハンガーがもうひとつあって、そこにもまだ機体が展示してあります。
メインハンガーが欧州戦線の機体を置いてあったのに対して、こちらは太平洋戦線で活躍した機体がメインとなっています。あとは置き場所に困ったと思われるものも一部。



23機目、日本海軍の三菱 零式艦上戦闘機五二型。ついに日本機の登場。まあ機体に関しては説明不要ですよね。
やけにボロボロで、これはまたジャングルの奥地で見つかった機体なのかなと思ったんですが違っていて、1944年サイパン島で鹵獲されて性能評価のために護衛空母USSコパピーでアメリカへ送られました。
戦後、海軍基地で事故って廃棄されてしまい、その後は骨董品としていろいろな所有者の元を渡り歩いたんですが、最終的に2000年にFHCが取得するまでの間に風雨に曝されて朽ちていました。今後はレストアするらしいです。
アメリカにいてもダメになる機体ってのはいるもんなんですね。アメリカでは零戦ってあまり関心がないのかもしれないぞ。
ちなみに博物館の説明書きには、五二型はアメリカの新型戦闘機に対抗するために開発された機体だけど、ヘルキャット、コルセア、ムスタングには敵わなかったぜ、それからもう少し改良をしたけどそれでも頑丈なフレームと高い火力と硬い装甲を持つ俺たちには勝てなかったぜ、と結構けちょんけちょんに言われてました。でも事実だから仕方ないね。
もうひとつ脱線すると、これのテールコードは61-121となんだか聞き覚えのある番号だったんですが、これはプレーンズ・オブ・フェームが持ってる零戦のテールコードが61-120のひとつ後の番号なのでした。あんたら出身地同じだったのね。



というわけなんで、まだレストアされてない故に実は意外と原型度の高い機体・・・なのかもしれません、これ。
ただし、塗装はオリジナルでないと思います。アメリカ軍が鹵獲機の性能評価をするときには必ず塗装を塗り替えると言われているので、この緑はその後塗られた可能性が高いです。
緑塗装の下に黄色い塗装が見え隠れしているんですが、これがアメリカ軍が塗った塗料なのかもしれません。カラー写真がないんだよなぁ・・・。ただ、評価試験をした航空技術情報部(TAIC)は無塗装でやったらしいんで、これに関しては不明としておきます。ただのプライマーの可能性もあるし・・・。

主翼なんですが、右側だけ残っていて左側は全損しています。事故った時に左側を損傷したんだと思います。無くなった左主翼の部分には機体観察のための台が設けられていて、こんなふうに上から見ることが出来ます。
あとは、エルロンが骨組みだけになっていますね。これは、零戦のエルロンが羽布張りだったことから年月が経つにつれて消えていったんだと思います。
余談ですがエルロンが羽布張りだと高速時に舵の効きが悪くなってしまい戦闘において致命的な弱点になってしまいます。エルロンだとロール性能ですね。これは大戦後半に出てきたアメリカ戦闘機に大きく水を開けられていて、他の速度や高高度性能といったものも含めて零戦は相当不利だったと思います。



変な方向に刺さってるなぁということで知られる零戦のアンテナ線支柱。
なんと木製でして、これ誰かが適当なレストアしたんじゃないのと思ったんですがマジでオリジナルも木製だったゾ。無駄に凝った断面形状してるし、職人芸だったのかなこれ?



コックピット。これは鹵獲機なので誰かが憑いてるとかはないはずよ。
フレームと操縦桿とぐちゃぐちゃの配管くらいしか残ってないですな。計器類は盗難防止のために予め取り外したのかもしれないですけど。



五二型のエンジン、中島 栄二一型。事故った時に損傷したかと思いきや状態いいですねこれ。
エンジン排気を推力に利用しようとした単排気管が特徴。アメリカ機の前じゃ焼け石に水だったんですけどね。
出力は、離陸時1130馬力、高度6000m時980馬力。えぇウソでしょ、1000馬力切っちゃうの・・・。
ヘルキャットなんかに積まれてたアメリカのR-2800ダブルワスプエンジンだと離陸時2000馬力、高度6700m時1550馬力。うーんこの。
日本機の場合過給器がダメだったんで、うんまぁ、そうね(悲



続いて日本の至宝()中島 栄一二型。上の二一型よりも先に開発されたエンジンで、零戦二一型や隼なんかに積まれていました。栄シリーズでは一番多く生産されたタイプだったはず。
プラット&ホイットニーのR-1830「ツインワスプ」エンジンを改良したものだというのはなんとなく知っていましたが、ここの解説にはノームエノール14K「ミストラルメジャー」の特徴も盛り込んでいると書かれていました。これは知らなかったです。



24機目、日本海軍の三菱 零式艦上戦闘機五二型。初飛行1939年4月。総生産数約10,400機。
零戦は陸海軍通じて日本勢唯一の1万機軍団のメンバーで、残りは総じて1万機未満。連合軍が戦闘機や爆撃機を軒並み1万機以上作ってる状況でよく戦争4年間も持ったな。
五二型もおなじみ。零戦の現存機の大半がこれなのでよく見かけますね。
1943年製で1944年就役。終戦時はトラック島に配備されていました。同年9月時点でトラック島で作戦可能状態だった6機の航空機のうちの1機だったそうです。6機だけなのかい。残りの内訳は不明です。
その後1947年に戦利品としてアメリカがかっぱらっていき、ロサンゼルスの博物館で展示。1950年代にプレーンズ・オブ・フェームに移された後、いつだか知らないですけどFHCにやってきました。

この機体、塗装が厚ぼったかったり、20mm機銃が無かったり(ヘタすると7mmも無いかも)、アンテナ線が張られてなかったり、やけにいい加減な状態で展示されていました。あと、エンジンの下にパンが置かれてなかったのでたぶん静態保存機だと思います。




25機目、日本陸軍の中島 一式戦闘機一型丙「隼」。初飛行1938年12月。総生産数約5700機。これが日本陸軍最多の戦闘機だから泣けてくる。
キ43-I丙とも。英語だとKi43-Ibって書くようだ。これも説明不要だよね(手抜き
一型はハ25エンジン(栄一二型)搭載でプロペラが2枚羽根だったのが外観上の特徴です(つーか2枚羽根の隼なんていたんだ)。あとはプロペラスピナーの周りについているオイルクーラーもこれ独特の配置ですね。Fw190Dと同じような感じ。で、エンジンの下にある穴がラジエーターです。
このエンジンはオリジナルというのがウリで、他の機体の部品も原型度が高いらしいです。というか現存唯一の一型です。



横から。
日本機はパッと見がどれも似ているのがややこしい点で、「これがあの零戦なんやで」と言っても信じこむ人は絶対にいるでしょう。
あと、アンテナ線の支柱、なんであんなところに付けたんだろうな・・・。邪魔じゃねぇのかな。

この機体は戦後にラバウルのジャングルで見つかったもの。現存する日本機は大抵アメリカに鹵獲された機体かジャングルの奥地で見つかった機体かのどちらかなんですが、今回は後者でした。
不時着機だったようですが日本の整備兵により修理されていたらしいです。ということはほぼ完品で発見されたのね。その後オーストラリアで復元されて1999年にFHCが入手しました。唯一の一型なので、フライアブルですが飛行することはないようです。



後ろから。意外とスマート。



B-17爆撃機のお尻の機銃。



中身はこうなっています。任務中はずっとここに座ってるんだから、ぼっち向きの任務ですね。



さらにB-17のボールターレット。これもぼっち向き。
機体の腹に装備される機銃座で、ボール状になっているので旋回することが可能。このボールの中に人が入って操作します。人を無理な体勢で押し込むんで、任務は過酷です。これはキツいですよ。
戦闘時までは機体胴体で過ごしたという記述もあれば任務中5~10時間はずっとこの球状の棺桶で過ごしたという記述もありますが、どっちにしろここは嫌だなぁ。
まあ詳しくはロサンゼルスで書くと思うんでここは一旦終了。



26機目、アメリカ陸軍のアゴことカーチスP-40C「トマホーク」。初飛行1938年。総生産数約13,700機。
実は空冷エンジンを積んだ戦闘機P-36ホークを液冷エンジンに載せ替えただけの機体。例のFw190Dと同じなんですがデザインは破綻していないどころか上手くまとまっています、アゴ以外は。ちなみにエンジンは過給器に恵まれないアイツことアリソンV-1710です。
陸の偉大なる凡作がM4シャーマンだとしたら空はP-40だと思います。性能はそこそこながら頑丈性と信頼性が高かったことから大戦を通じて運用されていました。特に他国への供与がよく行われていました。この機体もアメリカが製造し、イギリスが購入し、ソ連が運用したというややこしい経歴を持っています。
P-40はサブタイプにより名前が変わるという珍しい命名がされていて、無印~C型はトマホーク、D~E型はキティホーク、F型以降はウォーホークとなってます。
これはC型なのでトマホークとなるわけです。C型は主翼に7.7mm機銃4門と機首に12.7mm機銃2門を装備したタイプ。アメリカ機にしては珍しく機首に機銃を付けた機体です。



横から。うーん、なんか無難。
先に書いたように、これはソ連で運用された機体で、ルンマスク防衛のためのカレリア戦線で運用されていて、1942年9月に燃料タンクをやられて胴体着陸、そのまま放棄されました。その後1990年代に発見されて、カリフォルニア州チノで修復され1999年にFHCが取得しました。
というわけでソ連機だったわけですが、写真ではこのように中華民国をこっそり支援したアメリカ義勇軍「フライングタイガース」塗装になっています。よほど好きなんですねぇ。



胴体後部。
羽根の生えた虎、フライングタイガーが描かれています。以前見たP-40には無かったのでこれは収穫でした。
コックピットの後ろのハイバックの胴体に、後方視界用のスキマがあるのにも注目です。さらに、スキマで気流を乱さないようにカバーがしてあるのも特徴です。



P-40と言えばシャークマウス、シャークマウスと言えばP-40というくらい、P-40にはシャークマウスが付き物です。
口の描かれてないP-40はアゴがすごいという感じの戦闘機なのですが、シャークマウスがあると途端にかっこ良く見えるので不思議なものですな。シャークマウスが一番似合う戦闘機でしょう。

今日はここまで。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その12 【2015/06/24~26】

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FHC編も今日でオシマイですよ!長かったですね、本当に!
というわけで、27機目はアメリカ陸軍のデブことリパブリックP-47D「サンダーボルト」。初飛行1941年5月。総生産数約15,600機。
見た目はトロそうですが第二次世界大戦時最強の戦闘機のひとつに挙げられるほど性能は良いです。零戦じゃ相手にならないでしょうなぁ。
その秘密は、アメリカの至宝R-2800ダブルワスプエンジンを搭載し、単発単座戦闘機のくせに排気タービン(ターボチャージャー)を搭載していたことでエンジンの高出力化と高高度性能を確保していたこと。
当時ターボチャージャーを実用化し大量投入していたのはアメリカだけで、他の国はスーパーチャージャー(機械式過給器)を装備していました。エンジン出力の一部を拝借して過給器を動かすスーパーチャージャーと異なり、ターボチャージャーはエンジン排気を利用してタービンを動かし過給器を動かすのでメカニカルロスが少なく、より効率的です。
このターボチャージャー、現在の自動車エンジンに積まれているのと比べると巨大なサイズでした。単発戦闘機に積もうとは思わない大きさなので普通はB-17のような爆撃機か双発戦闘機P-38のような大型機に装備されていました。ところがこれを単発戦闘機に載せちゃおうと思いつくのはアメリカらしいマッチョな考えだと思います。
放熱のためにB-17やP-38ではターボチャージャーは機外にむき出しに配置されていたんですが、P-47の場合は機内に埋め込んでしまいました。なので放熱のためのエアダクト、さらにエンジン排気を伝えるためのダクトも機内に流れています。これがP-47デブ化の原因です。



反対側から。威圧感がすごいですね、こいつは。プロペラもデカイし。零戦が小魚に見えるよ。
ただし厚みがあるのは縦方向なのでデブなのは横から見た時で、上から見ると意外に細い体つきをしています。人間を限られた一面からしか見ないのは良くない、ということですかね。
固定武装は12.7mm機銃8門というマッチョなもの。米軍機は12.7mmの多連装装備が好きですが、これは弾をばら撒いて命中率を上げる、それと機銃が一部ジャムっても大丈夫なような冗長性確保が目的・・・だったはず。20~30mmを好んでいた枢軸国側とは対照的ですが、少なくとも紙装甲の日本機相手なら12.7mmでも余裕だったでしょうね。ドイツ機は知らん。
あとは爆弾やロケット弾もたくさん搭載でき、対地攻撃にも使ってました。主翼下にハードポイントがたくさんついてますでしょう?リパブリックの戦闘爆撃機の伝統はここから始まっていたのですな。



このP-47は1945年6月にアメリカ陸軍に納入され、1950年代にブラジル空軍へ売却。1980年代にアメリカへ返還されて1998年にFHCが取得。
第9空軍第150戦闘飛行隊指揮官だったシアトル出身のパイロット、ラルフ・C・ジェンキンス大佐搭乗機の塗装に塗られています。
ちなみに彼が乗ったP-47には「タラハシー・ラッシー」という固有の愛称が付けられていました。タラハシーの少女という意味です、犬の名前じゃないよ。タラハシーはフロリダ州の都市で、彼の妻シエロの出身地だそうな。
どうもアメリカ人はこの手の妻か母親にちなんだ名前をつけることが間々ありますな。



28機目、三菱 零式艦上戦闘機二二型。P-47を見た後だと本当に小魚・・・。
ところで、二二型は初めて見ましたなぁ。というか残骸含めて日本機を4機も持ってるってFHCすごい。日本顔負け・・・。
サブタイプから見て二一型の派生型に見えますが、実は三二型の系列。ややこしい・・・。
そも三二型は、エンジンを五二型でもお馴染みの栄二一型に換装して、主翼長さを短縮したタイプ。アメリカ機よろしく主翼形状が角ばっているアレです。速度やロール性能向上を狙ったとか。
ところが主翼設計変更に伴う燃料タンク容積減少により(エンジン出力増加による燃費悪化とも)航続距離が短縮されてしまいました。そこで二一型と同様の主翼に再設計することでこれを解消したというのが二二型です。
この再設計、たぶん場当たり的に行われたと思われ、三二型も二二型も型式番号は同じA6M3になってます。外観も性能も全然違うのに・・・。FHCでの表記ではA6M3-22と書かれとりました。
あとこれ、二一型との違いが分からないんで、「これ実は二一型なんやで」って言われても信じてしまいますな。エンジンは異なりますが、んなところ見ても分からないし、推力式単排気管は五二型以降に付けられるし。



正面から。何やら整備中だったので撮影する気がなかったのかろくな写真撮ってなかったですね。うーん・・・再履修。
この零戦はニューギニアで撃墜されたものを普段はどんな仕事をしているのか知りたいアイツらことウォーバードハンターが1990年代に発見しました。
撃墜機でその後も長期間放置されてたということで損傷が激しかったらしく新造部品が多いらしいです。エンジンも別物。それでもロシア人の手により無事フライアブルにまで復元されました。
ちなみに復元時に複座型に改造されています。複座改造機は確かにいましたけど(上野で展示されてる)、なんでそんなことしたんだ?



29機目、アメリカ海軍のデブことグラマンF6F-5「ヘルキャット」。初飛行1942年6月。総生産数約12,200機。
直訳すると地獄ネコですが、本当のところは性悪女とかあばずれとかです。ネコ縛りとはいえ変な名前つけるよなぁ。三菱チンピラ艦上戦闘機みたいなもんですよ。嫌でしょう、そんなの。
F4F直径の後継機で、F4Fをそのままでかくしたような感じです。
エンジンはP-47も装備しているR-2800。ただしF6Fにはターボチャージャーではなくスーパーチャージャーを装備しています。なので過給器のサイズや配管周りにはそんなに困らないと思うんで、そんなにデブになること無いはずですけど・・・。
そもそもR-2800がでかいからと思いましたが、F4Uコルセアも同じエンジンを積んでいて、なおかつコルセアは胴体を限界まで絞っているのであのくらいの細さにまでいけるはずなんですよ。なんでこんなにデブになったのかはよく知らんです。ただしこれもP-47と同じで縦にデブなので上から見ると、いやん意外とスリムだわとなるのです。



コックピット辺り。硬そうなんだよなぁ。
撃墜マーク5個が書かれていて、エースパイロットということに。零戦のライバルと言われることもありますが、基本的に零戦が一方的にやられてたのでライバルと呼ぶには恐れ多い気がします、はい。



脚周り。
海軍機の特徴として主脚は前後方向に収納する形を採っています。これは、空母に格納する際に主翼は折り畳んで省スペース化を図れるように、少しでも多くの面積を折りたたむためです。機構としては複雑になってしまうので、主翼にそういった制限のない空軍/陸軍機はより単純な左右方向に収納する形を採用しています。ただしP-40はなぜか前後方向に収納してるんだよなぁ・・・。
余談ですが前任者のF4Fの主脚は、胴体に直接主脚を収納するという他では見られない方法でした。個人的にあの脚はかなりかわいいと思います。



後ろから。
この機体の出自はよくわからないです。F6F、アメリカだと人気無いんであまり調べてないのかも。あとは、アイスランド経由で大西洋横断をしたことがあるようです。



30機目、スケールド・コンポジッツ スペースシップワン。ただしレプリカ。実物大模型だったかなぁ、確か。
2004年6月に民間機として史上初めて宇宙空間に到達した機体です。大気圏外とされている高度100kmまで到達しただけで、あとは落ちただけ、地球周回をしたわけではないです。それでも航空宇宙史にその名を残しました。宇宙開発が国家主導で行われてきた中で、初めて民間機が宇宙へ飛んだというのがミソなのですな。
元々は、「一番最初に宇宙飛行をした民間団体に1000万ドルあげちゃうよ」という懸賞をその名もX懸賞財団という団体が設けたのが始まりでした。変わった財団もあるもんだ。
無人ロケットを打ち上げればいいわけではなく、乗員1名+2名(もしくはそれ相当の死重)を乗せて高度100kmまで到達、その後2週間以内に同一の機体でもう1回高度100kmを突破するというものでした。
スペースシップワンはその懸賞を獲得するために造られた機体で、初めは母機「ホワイトナイト」に吊り下げられて離陸し、空中で母機から切り離されロケットモーターで上昇、上昇後はグライダーのように滑空していくという方法を採っています。
で、2004年6月21日に高度100kmに到達。その後少し間を置いて、9月29日と10月4日にそれぞれ高度100kmを突破、X懸賞を手に入れたのでした。10月の飛行では高度112kmまで到達したんだそうです。
とにかく変わったデザインなのが特徴で、主翼端からブームが伸びてそこから水平尾翼と垂直尾翼が目立ちます。SFの世界な感じです。

この機体は前述のとおり6機造られたレプリカのうちの1機です。X懸賞財団が子供への教育目的のために造らせたとか。なお本物はスミソニアンが抑えています。
ちなみに垂直尾翼に書かれている文字、スペースシップワンの下に書かれているのはポール・アレンの文字で、なるほどこの計画に出資してた経緯でこのレプリカを取得したのか。それでもさすがに天下のスミソニアンには敵わず(?)本物は無理だったらしい。
現在は宇宙旅行向けのスペースシップツーを開発運用しているようですが、どうもなかなか実用化できていないようです。
ていうか、ネーミングセンスが壊滅的に安直なんだよなぁ。前任機がスペースシップワンだったんだから、その次はスペースシップニャンにするくらいのジョークを見せて欲しい。
あとそれと、正面からの写真一枚も撮ってなかったのでこれしかないです。いい加減スギぃ!(一応、ハンガーを見渡した写真に前から写った宇宙船犬がいるけど



31機目、スケールド・コンポジッツ ホワイトナイト。スペースシップワンの母機だった機体です。
これもスペースシップワン同様双ブーム双垂直尾翼で、これの設計者はこういうデザインが好きなのかしらん。
スペースシップワンはレプリカでしたが、ホワイトナイトは本物です。ポール・アレン繋がりということなんでしょうな。思ったよりデカくないなという印象ですね。



32台目、Flak37。ここにもあったか。
特にさっき見たのと同タイプなようなので解説省略(手抜き



33台目、アメリカ陸軍M1A1エイブラムズ訓練用砲塔。名前通りアメリカの主力戦車M1A1の訓練用砲塔です。
戦車の砲塔というのはよく知りませんが、車体に埋め込む部分も含めて高さはこんなもんなのか。この中に車長、装填手、砲手の3人が乗り込むんだそうな。



34台目、Flak37。またお前か!ポールおじさんはFlakマニアか何かか?
この個体は何やら防盾っぽいのが付いてます。それ以外は今までと同じっぽいのでやはり省略(手抜き

以降、見たことも聞いたこともないシリーズが続きます。



35台目、ドイツ陸軍Sd. Kfz.7 8トンハーフトラック。
ドイツ機甲部隊の電撃戦を影で支えていた車両の一つ。見ての通り兵員輸送車(乗員11名+運転手)でもありますが、本来のところで言えば牽引車なんだそうな。これの隣においてある88mm砲だとか100mm砲、150mm砲も運んでいました。対空砲を積んだ自走砲だとかV-2ロケットの発射制御車だとか派生型も色々生み出されたようです。
駆動輪は無限軌道とすることで不整地走破能力を高めています。戦車が走れるところはほとんど走れたようです。後部には折りたたみ式の幌が装備されていて、悪天候時に威力を発揮します。
ふ~ん、よう知らんわ、としか・・・。



36台目、ドイツ陸軍Sd. kfz.2 ケッテンクラート。
バイクと履帯車両を組み合わせた感じの小型車両。「ケッテン Ketten」は無限軌道、「クラート Krad」はクラフトラート Kraftradの省略形で二輪車と言う意味で、2つ合わせると無限軌道バイクとでもいうところかしら。
兵員、軽野砲、通信ケーブルなど軽量物の牽引に使われていました。履帯なのでやはり走破性は高いです。変わったところではトーイングカーのように地上にいる飛行機の移動にも利用されました。
8300両以上が生産されたらしく、結構な数がいたようです。トラクターとして使うのに適していたので戦後も約500両が新規生産されたり他にも既存車から改造されました。



これがラスト、37台目はアメリカ陸軍M55 203mm自走榴弾砲。
1950年代前半に開発された自走榴弾砲。最大射程は約17km。
パットン中戦車の車体をベースに設計されていますが、エンジンを後部から前部へ配置変更していたりしているのであまり面影は感じません。
装甲厚は最大25mmで、小火器程度なら防御可能なほか、放射性物質にもある程度耐えられた模様。
陸軍の他に海兵隊でも運用され、ベトナム戦争で実戦投入されたようです。
出自に関しては不明。まだレストアしてないようで、くたびれてますね。


はい、これで全て見終わりました。あとはMiG-29があるんですけど、デカイんでいつもは公開してないみたいです。残念。
ええ、書くのに時間かかりましたねぇ・・・。滞在時間はものの90分間だったんですけどねぇ。
ここも夏にエアショーを開催して珠玉のコレクションを飛行させているので、また行ってみたいです。

はい、今日はここまで。次の襲撃先に向かいますよ。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その13 【2015/06/24~26】

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2015年6月25日(木)12時27分
ワシントン州エバレット フューチャー・オブ・フライト
強敵フライング・ヘリテージ・コレクションを倒した私は、次の目標であるフューチャーオブフライト Future of Flightへ向かったのでした。
ここは例のボーイング大帝国の旅客機製造工場の隣りにあって、秘密の工場見学ができちゃうよという施設です。
FHCからエバレット空港を挟んでおおよそ反対側にありますので、2つ合わせて攻略することも出来ます。ただし路線バスだとクソ不便なのでレンタカーで行くのをおすすめします。

予定が30分押しているんで、とっとと入館して工場見学のチケットを購入します。
事前購入も出来るんですが、予定が押すことが考えられたのと(実際押した)平日やし大したことないやろと高をくくってたのがあって当日購入にしたんですが、一番早い時刻で14時から。13時のツアーで行くつもりだったんで、おっとこれは遅いぞ。
まあしゃあないんでそれにします。ちなみに値段は$20と結構いいお値段します。



暇が出来てしまいましたがせっかくなんで館内を見ていきます。ついでに昼飯も食べます。今日は飯食えないと思ってたからね。なお館内のカフェにはろくなものが残ってなかった模様。悲しい。
FHCがミリオタ向けの博物館だとするならこっちは飛行機とはなんぞや旅客機とはなんぞやという飛行機初心者でも楽しめる内容という感じでした。かくいう私も飛行機初心者なので色々参考になりました。



飛行機の首。ボーイング707か727か737のノーズだと思いますよ。少なくともエアバスではないでしょう(
・・・いやぁ、707~737はノーズの形がどれも同じなので首だけ置かれても判断がつきにくいです。とはいえボーイングのノーズといえばこの角ばったやつですね。
奥の首はイースタン航空の機材で、同社は737を運航してなかったようなのでたぶん727。でも適当に塗り替えた可能性もあるし、やっぱ知らん。手前のシャチみたいなのが描かれた奴はそもそもキャリアが分からないです。



謎飛行機。しまったことに説明板を撮り忘れていたので、後から見たらこいつ誰やねんと困ってしまいました。
やべぇ、この角度じゃ調べようがないぞ、特徴がない・・・特徴・・・特徴・・・あ、こいつカナード付いてんぞ。
ボーイングって前翼機なんて造ってたっけ・・・そもそもこんな小型機扱ってたっけ・・・と思いながら前翼機から切り込んでみたらあっさり見つかりました。
ビーチクラフトのスターシップというビジネス機でした。なんでビーチの機体がボーイングの中枢に・・・。特に宇宙に行けるとかそういう機能は持ってないらしい。

機首に前翼(カナード翼)が付いているのが特徴でこの手の機体は前翼機と呼ばれます。日本だと戦闘機の震電あたりが知られてるんじゃないかな?
カナード翼は、抵抗の低減とかエンジンを後方に配置できるので騒音が低下できるとか、メリットはあるんですが、現代の飛行機がどれもこれもカナード翼付けてるかというと全然そうじゃないんで、設計者の趣味なんだろうなぁと。
設計者誰やねんと調べてみたら、バート・ルータンでした。あっ(察し)ってなりました。こいつ、前回出てきたスペースシップワン(とその母機のホワイトナイト)のデザイナーでもあります。
この写真の角度からだと見えないので気が付かなかったんですが、この星船には胴体に垂直尾翼が無く、代わりに主翼端にあります。あれウィングチップじゃなくて垂直尾翼だったのかっていう。おそらくウィングチップの役目も狙っているんだと思いますが。
この垂直尾翼を翼端に付けるという設計はスペースシップワンと同様で(スペースシップワンはブームを介しているが)、ああこれはルータンの趣味なのか、となんとなくそう思いました。
これには水平尾翼もついてないですが、カナード翼とデルタ翼の主翼で代替しているんだと思います。ちなみにカナード翼は可変翼らしい。またよう分からん機構を付けたな・・・。
なお10年間で53機しか製造されず商業的には大失敗だったということで、ここに置いてあるのは中々貴重なことなのだな。

脱線が過ぎたんで話を戻します。



787の胴体の輪切り。ちょうどいい具合におっちゃんが解説を読んでいるので比較しやすいです。
3-3-3列なので当然ですが、意外とデカイもんですね。
胴体の下半分は貨物スペース、我々がいつも乗る客室は上半分という風になっています。さらに客室の天井裏には客室乗務員の隠し休憩室があります。



ゼネラルエレクトリックGE90-115Bエンジン。115B型は現行のエンジンかな?
ボーイング777用に開発された史上最大のエンジンで、実質777専用エンジンになっています。エンジンナセルを含めた直径は737の胴体より少し小さいくらいの大きさになっていて、エンジンの前に6人横に並べられるということに。
ただしデカイのはエンジン前方のファンで、その後ろの本体は意外とそんなにデカくないんだなと。



後ろから。いやぁ構造については全く分からんね。



ロールスロイス トレント1000エンジン。787のエンジンです。

今のジェットエンジンの主流はターボファンエンジンなので、前方にデカいファンが付いております。ターボジェットエンジンにプロペラを付けたような感じです。
旅客機のエンジンとして、ターボジェットじゃ速すぎるしターボプロップじゃ遅すぎるし、ということでその中間として開発されました。ジェット噴流の他にもプロペラで掻き回した空気流も推力に利用しています。
旅客機のターボファンエンジンは全推力のうちプロペラの空気流の割合が多い「高バイパス比ターボファンエンジン」というものが主流です。これもうほとんどプロペラ機だろ、とか言われてるそうです。



後ろから。配管がうじゃうじゃしていて気持ち悪い。
エンジン本体とプロペラのスキマが結構空いているんですねぇ。ここから空気流を流します。



館内の見学はそこそこに、屋上へ出てみました。FOFはペインフィールド空港の滑走路の横に建てられていて、屋上から空港の様子を見ることが出来ます。
滑走路の奥のエプロンにはできたてホヤホヤの機材が並べられています。ボーイングの旅客機工場は737以外はエバレットに集中しているので、ここにいれば世界中の機材を一度に拝めるわけなんですなぁ。737の工場もシアトル南部にあるそうなんで試験がてらここにやってくるらしいです。



サウディア。たぶん777。



ジェットスターの787。
787なんて発注してたんだ。A320のイメージしか無いよ、あそこ。


塗装前で保護シートが貼られたままの747。747-8Fかな?今や747は貨物型でしか生き残る道ないような気がしないでもないですね。
その奥にいるのは777。サブタイプはわからない。垂直尾翼を見ると納入先は大韓航空のようです。この緑の保護シート貼るのだって大変だろうな・・・。
さらにその奥にはビジネスジェットと、727がいました。727、汎用性が高いのか未だにいますね。



あとは、ボーイングのデブことB747-400LCF「ドリームリフター」(N780BA)がいました。ただし頭は隠れていました。頭隠して尻隠さず。
世界各地で製造された787の部品をここまで運ぶためだけの機体です。日本でもセントレアに飛来するのでよく知られた機体です。なお新造機ではなく中古の747からの改造だそうで、ようやるわという感じ。
これが見られるとは思わなかったので良い収穫でした。頭が見えなかったけど・・・。これはセントレアで再履修。



遠くの山もうっすらと見えます。何て山なのか分かりませんが、結構標高高そうですね。



ビーチクラフト95「トラベルエア」。なんかの会社の所有機らしいです。1956年に初飛行して1967年には生産終了したんで、結構古い飛行機です。



セスナ152。個人所有機です。ボーイング専用の飛行場ってわけじゃないんですな。
その奥には塗装前の787が。



その後急にデカいのが!大韓航空貨物のB747-8F(HL7629)です。
当然大韓航空がここにやってきたというわけではなく、工場で完成した機体を納入する前に試運転しているというわけですね。果たして試運転機が来るかも分かりませんでしたが、大物を見ることが出来て満足です。やっぱり4発機はロマンだね。ゴミがついてるけどそこは目をつむるんじゃ。
大韓航空、貨物輸送に力を入れていて、輸送量は世界2位とかなんとか。なんだか意外ですね。



横から。おお、でけぇぇ!
747-8は787の技術を一部転用して開発された747シリーズの現行モデルです。GEnxエンジンを積んでいて、787同様にエンジンナセルにギザギザが付いているので既存の747-400との見分けはつけやすいです。747-8Fはそれの貨物型というわけです。



フェデックスのB767-300F(N124FE)。。今日の試運転はもうおしまいのようです。

今日はここまで。


その14へ→

北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その14 【2015/06/24~26】

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2015年6月25日(木)13時43分
ワシントン州エバレット フューチャー・オブ・フライト
工場見学の集合時刻の13時45分に近づいてきたので、集合場所へ向かいます。
飛行機の模型が置いてありますね。ボーイング以外の飛行機もやたら置いてありました・・・。

さて、肝心の工場見学ですが、見学時はあらゆる所持品を持ち込むことは出来ません。カメラはもちろん、携帯電話、財布に至るまで全て。荷物はコインロッカーに預けることになります。
というわけなんで、写真ありません。これはどうしようもない。まあ、映像や写真はネットの海にいくらでも転がっているんで、探してみてください(丸投げ



集合場所で受付を済ますと整理券を渡されると映写室に案内されます。そこで軽くボーイングとその工場のことについての映像を見ます。内容はもう忘れた。
その後いよいよ工場見学です。FOFの建物から工場までは離れているので、バスに乗ります。写真は前回屋上に行った時に撮っていました。
バスは写真のPrevost LeMirage XL-40でした。おお、ステンレスだ・・・。観光仕様のバスで側窓が僅かに天井まで伸びているんですが、意外とこれが眺めが良いんですね。



見学後に撮影した工場外観。ゴミが・・・。
5分にも満たない時間でボーイングの工場へ。ここは最終組立工場で、各地の工場から集めた部品や部材を合わせて1機の飛行機に組み上げるという行程の工場です。部品の製造自体は行っていないはず。部品は前回書いたとおり世界中から集まってきていて、日本からも主翼だとか胴体だとか大きい部品が来ています。
工場の床面積は39万8千m²、容積は1330万m³とピンと来ないくらい巨大。曰く世界最大の建造物。カリフォルニアのディズニーランドが完全にすっぽり入る大きさだそうな。東京のだと少しはみ出ます。ここまでデカいともう町みたいなもんなので、工員はチャリンコやカートで移動しています。

ここでは大型機の747と777、中型機の767と787の4機種を製造しています。ベストセラー小型機の737だけはシアトル南部のレントン工場で製造しています。余談ですが組立て前の737の胴体は貨物列車に乗って運ばれて来ます。やることが違うもの。
機体は奥から手前に向けて(外に787がいる方が手前)流れ作業で組立てられていきます。なのでひとつのラインに何機も飛行機がいるという格好になり、よくもこんなに造るもんだなと呆れます。昔の飛行機の組立は確か流れ作業じゃなかった記憶なので、その頃と比べてだいぶ効率化してるんだと思います。
見学時はテンションの高いおばちゃんに案内されます。アメリカのガイドはこういう人が多いですね。見学していて楽しいです。
1回の見学で2つの班に分かれて見学します。1班につき十数人だったかな?バスを降りると地下通路に連れて行かれて、そこから業務用の貨物エレベーターに乗せられて上層階に上ります。見学はここから見下ろす形ですることになります。いい眺めでしたよ。ちゃんと見学コースになっていて、あちらこちらに模型やら画面やら解説板やらが設けられていました。
逆に工員と同じ階には降りませんでした。まあ邪魔だしね。
個人的にショックだったのは工員がシャツ一枚メット無しで働いていたことでしたね。さすがに直接機体に携わる人達はメットしている人もいましたが(してない奴もいたぞ)、作業着着てる奴は一人も見かけなかったぞ。イカンでしょ!とはならないのかなアメリカでは・・・。天下のボーイングでこれだもんな。
チャラい格好の工員はいなかったんでさすがに服装規定はありそうでしたが、うーんこの。

見学時間は全部合わせて90分。楽しかったですな。今度は旅客機マニアも拉致って行こうな。



チケットはこんなんでした。



最後に駐車場から機体を見ていきます。
一番手前は空中給油機のKC-767。軍用機もここで造るのか、まあ当然か。
その後ろにはアメリカン航空とエアカナダの787が並びます。



お、JALの787もいますよ。



ラン航空の787-9。聞いたことねぇ。
チリのフラッグキャリアで、ランとはLatin American Networkの頭文字だそうな。日本には就航していないんでそりゃ知らんわな。
ちなみに787-9は今まで見たことなかったんで、これが初787-9に。



さっき見たサウディアのB777-300ER(HZ-AK27)が動いていました。これから試運転かな?
パッと見が767と見分けがつかないことで私の中で有名な777でしたが、最近はおでこの広さで見分けがつくようになりました。おでこが広いほうが777で覚えよう。



まあ正面から見るとまた分からなくなるんですけどね。

これにてボーイング撤退。また来ます。



また車を走らせて、今度はエバレットから南下してエドモンズというところへ。ここからフェリーに乗ってキングストンというところへ渡ります。
シアトルとオリンピック半島の間には氷河の侵食によって形成されたピュージェット湾が横たわっていて、アメリカのイメージからはかけ離れた複雑な海岸線を持っています。シアトルから外海に出ようとすると、ピュージェット湾の海峡をすり抜け、オリンピック半島とカナダ領バンクーバー島との間を通ってようやく太平洋という感じです。
この湾を陸路で迂回するとなるとタコマのさらに南のオリンピアまで南下しなければならず、えらく時間がかかるので湾内にはアメリカ最大のフェリー公営会社「ワシントン州フェリー」が湾内にある20の港を10個の経路で短絡しています。



フェリー乗り場の手前に着いたんですけどかなり後ろまで車列が出来ていて、あらかじめ用意されたレーンをはみ出ていました。あっこれヤバい。
この写真は料金所の手前で待っているところなんですがこれの500m以上先までは列が伸びていて、いやこれはまずいなぁ(滝汗)と。
結局当初乗る予定だった16:45発の便には乗船できず、その次の17:25発の便に乗ることになりました。この時点でもう次の侵略先はほぼ攻略できないと悟ったんですが、まあせっかくなんで見えるところだけでも見ようと思って強行しました。



エドモンズのフェリー乗り場のすぐそばには線路があって、近郊列車サウンダーのエドモンズ駅もあります。
そこに偶然アムトラックの列車が通り過ぎて行きました。「普通のP42にスーパーライナーか、たぶんエンパイア・ビルダーかな?」とこの写真だけ撮ってカメラをしまったら、次の瞬間すんごい古い鋼製客車が現れて目が点になりました、はい。カメラを再び取り出した時には通り過ぎてしまったんで写真はないです。何だったんだアレ・・・。



はい乗船。車でフェリー乗ったのは初めてですわ。



今回乗ったのはジャンボ級フェリーのMVスポケーン MV Spokane。ジャンボ級ってまた安直な・・・。スポケーンというのは町の名前です。他のフェリーもワシントン州内の都市名から名前を採っています。
ただし名前に違わぬ搭載能力を持っていて、乗用車206台(!)、乗客2000名(!!)を載せることが出来ます。車両甲板の左右の端2列は2階建てになっていて詰め込みを追求しているのが分かります。
この2階部分は地上のランプから2階へ上がるわけではなくて甲板内にあるスロープで上ります。スロープにも車を停めます。こんな構造は今まで見たことなかったです。なんかもう無理やりだね。
ていうかこんだけ積めるのに1便逃したのか、ワイ。



乗船時間は30分間と短いですが客室もきちんとあります。供食設備もあります。1973年就役だそうなんでちょっと古さが見受けられますが。
ただこれ2000人も客室に入らんだろう・・・。たぶん車内で過ごす人も計算に入れているんでしょう。



外に出ます。いい天気ですね。もうすぐ18時ですが太陽がまだあんなに高いところにあって沈む気配がありません。
この時期は日没が20時~21時と本当に遅いもんですから、サマータイムとの合わせ技で活動時間が長くなって大変よろしいです。日本もサマータイムやりゃいいのに。



お馴染み、航跡の写真。



エドモンズ行きのフェリーとすれ違い。MVワラワラ MV Walla Wallaでした。変な名前だ。たぶんネイティブアメリカン由来の地名でしょうね。
MVスポケーンとは同型ですので、MVスポケーンの外観はあんな感じです。両端にブリッジが付いた両頭船です。

今回はここまで。


その15へ→

北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その15 【2015/06/24~26】

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2015年6月25日(木)18時51分
ワシントン州キーポート 海軍海底博物館

気がついたらなんだか変なところに迷い込んだ。
18時にキングストン港に着いてフェリーを降りたんですが、途中で何回か道を外しているうちに方向を見失いました(今回はカーナビ無しなのだ)。
ワシントン州道3号線に乗ることは出来たものの、今度は降りるところを間違えてしまったようです。Naval museumって標識が立ってたから合ってると思ったんだけどな()
アメリカとカナダって日本で言うところの青看板が無いので、土地勘がない土地で車を走らせると割と簡単に方向を見失ってしまうんですが・・・。かといってカーナビ載せてる車も見かけないし、みんなよく平気ですね。

で、なんだか辿り着いたのが「海軍海底博物館 Naval Undersea Museum」。いや、ここは来たかったところとは違うぞ。もうとっくに博物館は閉まってるし、なにも分からない。なんだここ。

・・・と言う感じに頭に?マークが飛んでたんですが後で調べてみた結果、ここはアメリカ海軍の敷地内にある博物館なのでした。軍施設にフラッと入っちゃったけどいいのかこれ。
海底博物館という名前ですが海洋学系の展示はどうも無さそうで、やはり海軍の博物館なので海底を移動する潜水艇/潜水艦およびそれの装備なんかを展示をしているようです。ちょっと魅力かも。



既に閉館してたので館内には入れませんでしたが、幸い屋外展示もあります。せっかくなんで見ていきましょう。たぶんまた来ることなんて無いだろうし・・・。ただしだいぶ時間をロスしていて急いでいたのでとてもいい加減な写真しかないです。

まずは、潜水艇トリエステII(DSV-1; Deep Submergence Vehicle)。主に海洋学調査に使われた潜水艇です。製造はアメリカ海軍メアアイランド造船所。1964年竣工、1984年退役。運用者はアメリカ海軍。
トリエステIIは潜水艇の中でもバチスカーフ Bathyscaphというタイプの潜水艇です。バチスフィア Pathysphereという耐圧球から発展したものです。チスフィアが動力を持たずに海面からロープで吊り下げられて潜水するのに対して、バチスカーフはそれに推進力と浮力をくっつけた潜水艇と思っていただければいいんじゃないかなと。
なので、船体の殆どはフロートだとか動力だとかで占められていて、本体である耐圧球は前脚の間に隠れているあれです。前からは撮ってないので肝心の耐圧球の写真はないです。う~ん、いい加減。
フロートには航空用ガソリンが充填されていて、水よりも軽いこれで浮力を得ていました。ガソリンは圧力をかけても体積がほとんど変化しないからフロートとして最適なんだそうな。
このガソリンのフロートと耐圧球の組み合わせがバチスカーフだと、これを発明したスイスの物理学者オーギュスト・ピカールは申しております。スイスって海がないのに深海に興味を持つというのも変わったものですな。なおバチスカーフの由来はギリシャ語のBathys(深い)とScaphos(船)を組み合わせた造語。
ガソリンは6.6万ガロン充填されていて、また潜行用に数トンのBB弾サイズの鉄球を抱えていました。浮上時には鉄球を切り離します。推進方式は電気モーター動力のスクリューです。
自身の最深記録は1977年南キューバのケイマン海溝での水深20,236ft(約6100m)。任務は前述のとおり海洋学調査や深海探査などの学術系が主ですが、事故で沈没した原子力潜水艦USSスレッシャーとUSSスコーピオンの調査も行いました。

余談ですが、トリエステというと先代の方のトリエステIの方が恐らく有名で、こちらは史上初めてマリアナ海溝の最深部(水深10,911m)に到達した潜水艇となっています。マリアナ海溝というと世界で一番深い海底なので、自ずと世界で一番深い海底に到達した乗り物およびその乗員となります。現在はその記録も塗り替えられているかもしれませんけど。
それなのに耐圧球以外は解体されてしまったそうで、もったいないことをしたなぁと。耐圧球も、このトリエステIIに流用されるから残ったのであって、そうでなかったら一緒に解体されてたとおもいます。
なおトリエステIIの耐圧球は途中で交換されているので、今展示してあるのは2代目の耐圧球です。現在トリエステIの耐圧球はワシントンD.C.の海軍博物館に収蔵されてるらしい。



次はディープクエスト号。製造はロッキード・ミサイル&スペース社。ロッキードって潜水艇も造ってたのかいな。就役期間は1967~1980年。
これも海底調査用に使われた他、深海救難艇(DSRV; Deep Submergence Rescure Vehicle)のプロトタイプにもなったそうな。最深記録は1968年2月の水深8130ft(2400mちょい)。
先のトリエステ号よりも幾分か小型で、胴体内には耐圧球が2つあります。この中に乗員2名と観測者3名を収容できます。耐圧球はそれぞれ連結されているので行き来が可能だとか。



DSRV-1ミスティック。上のディープクエストの成果を形にした深海救難艇・・・だと思いますよ、きっと。就役期間は1977~2008年。割と最近まで現役でした。
即応救難潜水艇として世界中どこにでも展開できる体勢が整っていました。現場近くまではC-5輸送機で急行して、そこから母艦になる潜水艦に搭載されて現場に向かっていたようです。
もう面倒くさくて解説板に近寄りもしなかったんで書くことはこれくらいしかないです。



USSスタージョン原子力潜水艦(SSN-637)のセイル。進水1966年、就役はその翌年、退役は1994年。スタージョン Sturgeonはチョウザメの意味。潜水艦チョウザメ、うーんこの。
冷戦期のアメリカ潜水艦艦隊の主力で、同クラスは37隻も建造されました。げ、原潜やぞ・・・?やっぱこの時期のアメリカはちと狂ってるな。
特に何かあったということもなく、1994年にシアトルで解体されてセイルだけここに寄贈されました。セイルだけでも結構大きさがあって、本体はかなりでかかったんだろうなぁと。

屋外展示は全て見たんでこれで撤退。さすがに日暮れが迫ってきてるんで急ぎますよ。



はい、着きました。
19時半頃にブレマートンに着きました。最初、海底博物館までに50分もかかってたのにそこからは意外と早かった。
着いたのはUSSターナージョイ博物館。名前のまんま、退役したアメリカ海軍駆逐艦USSターナージョイ USS Turner Joy(DD-951)を展示しています。本来来たかったのは海底博物館でなくてここ。
前日、シアトルの観光案内所で情報収集していたらたまたま目に飛び込んでしまい、あまり遠くないので急遽予定を組み込んだ次第です(ってのを随分前に書いたんだけどたぶんもう誰も覚えてない)。ただ開館時間が10~17時だったので、ようやく辿り着いた現在は余裕でアウト。というかフェリーの列を待ってる時点でアウトでした。予定がロスタイム無しでトントン拍子に運ばなければ、無理だったでしょうね。
それでも昔の駆逐艦は今まで見たことなかったので外からでも眺めようと強行した次第。



ただ、まあ、これ、見づれぇ・・・。岸壁におしりを向けて停泊しているのでこれはどうしようも・・・。



引きで撮ろうとしてもヨットが邪魔でいかんともしがたい。
悩んでいたところに、艦の北側に橋が架かっていて対岸へ渡れるのが目に入りました。あ、向こうからなら見れるな。



狙い通り。歩くと15分くらいかかりそうだったんで車で移動しました。
USSターナージョイは1958年5月5日進水、1959年8月3日就役、1982年11月22日退役したフォレスト・シャーマン級駆逐艦の18番艦で同級最後の艦です。建造は海軍ピュージェット湾造船所ということで地元です。ターナー・ジョイとは第一次世界大戦~朝鮮戦争あたりの軍人の名前です。3つの戦争生き延びるのってすごいなぁ。

実はアメリカがベトナム戦争に直接介入するきっかけとなった、例のトンキン湾事件にも一枚噛んでいた艦なのでした。
1964年8月2日に北ベトナムの情報収集を行っていた駆逐艦USSマドックス(DD-731)が北ベトナムの魚雷艇3隻から攻撃を受けます。USSマドックスの攻撃と空母USSタイコンデロガ(CV-14)の艦載機の支援攻撃により撃退します。この時ターナージョイも現場に向かいましたが、マドックスと接触した時には事態は収束していました。
続く8月4日、USSマドックスとその僚艦USSターナージョイは再び北ベトナムの魚雷艇による雷撃を受けました。これを受けてアメリカは報復措置として空母艦載機による北ベトナム軍の軍事施設を攻撃した、というのが一連の流れです。
8月2日の攻撃は間違いなく発生しているのですが、4日の方はアメリカとベトナムで食い違いが発生していて、これがアメリカの(・∀・)ジサクジエーンと言われています。

アメリカにとって正直いいイメージでは無いベトナム戦争、そのきっかけとなったトンキン湾事件に立ち会った艦を保存しているというのはちょっとびっくりでした。勇気ある決断だったんじゃないかと思います。



寄せて見てみます。
艦首には主砲のMk.42 5インチ単装砲が1基。丸っこいカバーはなじみの形であり、アメリカ以外の西側諸国にも輸出された砲です。日本でも導入されていて、今も現役の艦だと「くらま」やはたかぜ型なんかに装備されています。
その後ろに艦橋構造物があります。背は低いです、というか日本の護衛艦が背が高いんだよな。あれは何だかそういう伝統でもあるんですかね?
艦橋の上にはレーダーマストが前部煙突に被さるように建っています。余裕が無さそうな配置。
前に突き出している大きいのがAN/SPS-29対空レーダー、その後方の小さいのがAN/SPS-10対水上レーダー、だと思います。



続いて艦後部。
後部煙突からもマストが伸びていますが、これはたぶん電子戦装備。
煙突は2本建っていて、細くて弱そう。煙突の間には小さくて見えないですが3連装魚雷発射管があります。
後部甲板には艦首と同じ主砲が2基。この艦首と艦尾に主砲を装備する配置は第二次世界大戦時の艦隊型駆逐艦と同じもので、実際フォレスト・シャーマン級はこれの流れを汲んでいます。ちなみに以降の駆逐艦はミサイルが主兵装になったので、本級が最後の艦隊型駆逐艦と言われています。
USSターナージョイは対潜強化あるいはミサイル駆逐艦化の改装を受けていないので、比較的原型を留めている保存例だと思いますが、詳しいところはよく知りません、はい。対潜迫撃砲と対空機銃が見えないけど、角度の問題かな?



引きで見るとこんな感じ。周辺の地形は入り組んでいます。

USSターナージョイ、大まかには第二次世界大戦時の駆逐艦を想起させるスタイルで、資料的には結構いい艦だなと思います。駆逐艦を保存するというのも珍しいです。
アメリカは博物館船の保存に関しては太陽系最強の量と質を持っていると言ってよく、戦艦・空母から駆逐艦・潜水艦に至るまでそこら中で保存されています。反面、巡洋艦は中途半端なせいか軽視されてしまったようで、あまり保存例は少ないです。
特に海洋国家ってわけでもないだろうによくもあんなに持ってるよな、と不思議に感じます。なお日本。だいたい戦争に負けたのと建築基準法のせい。

USSターナージョイが保存されているブレマートンは、シアトルのダウンタウンからフェリーが出ていて、ブレマートンのフェリー乗り場からも歩いていける距離なのでまたシアトルに来ることがあれば再履修。次は艦内も見よう。



ブレマートンで夕飯にメキシコ料理を食べたらそろそろホステルに帰りますが、その前にもう一箇所寄り道をします。
先ほどちらっと書きましたが、ここにはアメリカ海軍のピュージェット湾造船所があり、それに隣接して海軍キトサップ基地もあります。どちらも空母も停泊できるデカい基地です。航空写真を見たら空母がゴロゴロいたんで、何かしら見れるだろうと思い適当に基地周りの道路を走ってみることに。
見えるところまで来たんで車を停めてみると、鉄道の転車台が。基地の専用線の一部でしょうね。今も現役なのかしら?



はいそしてドーン!
いましたいました、空母USSインディペンデンス USS Independence(CV-62)です。でけぇ!「よくこんなの浮かんでられるな」というお決まりの言葉も出てくるわけです。
フォレスタル級空母の4番艦で、同級は当時世界最大級の軍艦だったとか(基準排水量6万t、全長325m)。余裕の大きさだ、排水量が違いますよ。
USSインディペンデンスは1958年6月6日進水、1959年1月10日就役、1998年9月30日退役しました。
空母ってことで海外派遣は何回も経験してきたそうです。1991年からは横須賀を母港にしていたということで日本とも縁のある艦です。
退役後はモスボール保存されてましたが、再就役することはなくいずれ解体されるようです。15年以上放置されているんで外観はすっかりくたびれています。飛行甲板も航空写真を見る限り大半が錆び付いていました。
2015年に解体される予定だったのが2016年後半までずれ込んだらしく、今の執筆時点でも見ることが出来るのかもしれません。

ちなみにその奥にはUSSキティホーク(CV-63)がいます。他にもUSSコンステレーション、USSレンジャーと空母だけで4隻(現役艦も入れればそれ以上)もいるヤバいスポットです。まあ、まともに見えたのはUSSインディペンデンスだけなんですが。



もう1隻、一応程度ですが見られました。補給艦USNSブリッジ USNS Bridge(T-AOE-10)です。サプライ級高速戦闘支援艦4番艦です。ストレートなネーミングだこと。
艦名接頭辞のUSNSはUnited States Naval Shipの意味で、民間人が乗り込む艦艇に割り当てられる接頭辞だそうな。艦の管轄も海軍の軍事海上輸送司令部という部署です。
これは今も現役で、キトサップ基地が母港です。

以上で、今日の予定は全て消化。あとは帰るだけです。シアトルまではフェリーが結んでいてこれが楽で早いんですが、フェリー賃が惜しいのと、ドライブがしたかったんで、ピュージェット湾を迂回して陸路で帰ることに。
まずブレマートンから州道3号線、同16号線を走行します。ピュージェット湾の最奥オリンピアまで走るのはだるいので、途中タコマ海峡橋を渡ってショートカットします。なんと有料橋でした、ここ。上下線で2本の橋が架かっていて、2本目は2007年に開通したばかりでまだ償還が完了してないみたいです。とほほ、想定外の出費だ。
タコマからはインターステート5号線に乗って北上、途中で給油してシアトルへと帰り着きました。着いたのは22時過ぎで、さすがに着く頃には暗くなっていました。思ってたより時間かかったな・・・。
明日も早いんでとっとと寝ることにしました。
翌日に続きます。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その16 【2015/06/24~26】

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2015年6月26日(金)6時41分
ワシントン州ショアライン リッチモンド・ビーチパーク
3日目最終日です。
この日はまずレンタカーを9時までに返却しなくちゃならんのですが、早起きすればもう一箇所どっか行けるなと思い、朝の5時に起床して半にはレンタカーを停めた駐車場へ。
シアトルから25kmほど北上してリッチモンド・ビーチパークという公園へ車を走らせて、そこで列車を撮影します。いわゆる朝練。
この公園は海沿いにあって、さらに海岸沿いに線路が走っているので、列車の撮影にはいいのかもと思った次第。撮影地ガイドみたいなのはネットでは見つからんかったので、航空写真からそれっぽいところを探しました。たぶんもっといい場所はあると思うぞ。

そいで、ちょうどいい感じに貨物列車が来ましたな。



望遠で。
2階建て海上コンテナのダブルスタックと長物車にトレーラーを載せたピギーバックで編成された貨物列車で、牽引機はEMD SD70ACe形BNSF9004号機+GE Dash9-44CW形BNSF5274号機。
ここはBNSF鉄道の線路のようです。地図を見てもここはなんとか線だよとは書いてくれてないのです。必要ない情報ですしね・・・。



引きで。うーんでかい。
速度は結構出してます。加速は遅いけどスピードに乗ればこっちのもんよって感じなんでしょうね。



先頭が通過してもまだ尻尾が見えないんですけど・・・。数は数えてませんが100両は超えてるんだろうな。
この物量は、ある意味鉄道の極地のひとつですね。鉄道の利点を最大限利用しています。



貨物列車が通りすぎないうちに、サウンダートレイン1703レシアトル行きが南下していきました。
ていうか、海を背景に列車を撮れると思ってきたんですが、イマイチ・・・。少なくとも午前中は影がかかってダメだ。あと電線が超邪魔。思い通りには行きませんな。



牽引機はEMD F59PHI形SDRX901号機でバイレベルカーは3両。短けぇ・・・田舎かよ。
バイレベルカーもダブルスタックの前だと小さく見えますねぇ・・・。これ2階建て新幹線と同じくらいの高さあるんですけどね。



ようやく通り過ぎたかと思ったら、ケツには後補機Dash9-44CW形BNSF5114号機が着いてました。尾灯はないから前照灯を点けてんのか。
この後この列車はしばし停車します。



海岸線沿いに走るサウンダー。動画撮影だと面白い区間かもしれませんね、ここ。



南行の貨物列車。SD70ACe形BNSF9182号機+Dash9-44CW形BNSF4891号機。
これもダブルスタックトレインでしたが、なんだかやけにゴミ臭いコンテナが載っていました。産廃かな?



うねうねいいですね。



サウンダー1705レ、F59PHI形SDRX905号機。うーん、客車2両・・・。
側線に置いてある無蓋車はなんなんでしょうね。正直邪魔。



撮影地点を変えるべく移動していたら南行貨物列車が通過していきました。意外と列車が多いですな、ここ。何本かの路線系統が集中する区間なのかもしれません。
牽引機はES44DC形BNSF7403号機+ES44DC形BNSF7388号機+ES44C4形BNSF7090号機+ES44DC形BNSF7594号機。堂々の4重連。まあこっちじゃ4重連くらい普通らしい。



列車のケツ。
日本の現在の貨物列車と同じで、アメリカのそれも車掌車(こっちではカブースと呼ぶ)は連結していません。
代わりにフラッシング・リア・エンド・デバイス(FRED)という四角い筒のような外付けの標識灯を付けます。これの機能は尾灯の点灯だけでなく、列車のブレーキ圧などのステータスチェックを行うことが主。かつてカブース要員がやっていた列車監視業務を無人化させることが目的なのです。
FREDの監視状況は無線で機関車に送信されます。これを利用して、アメリカの鉄道マニアはFREDの無線を傍受して列車の位置を特定するのに役立てています。なので無線機はこっちのマニアの間じゃ割りと大事なアイテムのひとつらしい。



サウンダー1707レ、F59PHI形SDRX902号機。ICカード「オルカ」の特別塗装機ですね。

時刻は8時前でそろそろレンタカーの返却時刻が迫ってきたのでこれで撮影終了。
レンタカー屋へ車を返却しに戻ったのでした。


その17へ→

北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その17 【2015/06/24~26】

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2015年6月26日(金)10時19分
ワシントン州シアトル 3rdアベニュー&ユニオンストリート
時間通りに9時までにレンタカーを返却し、その後ホステルで朝食を食べ(既にろくなものは残ってなかった(悲))、ダウンタウンへ繰り出します。
フェリーの出港時刻まであと4時間半ほどですがまだもう一箇所くらいはどこかにいけるので、昨日行こうと思って行けなかったところへ行きましょう。
そこへはバスで行くので、乗るバスが来るまでバス撮影。まずはキング郡メトロNFI D60LF(緑)。連接車かっこいいよね。



トロリーバスのGilling Phantom(緑)。執筆時点では新型車のNFI XT40が投入されていて、初期導入車はほとんど廃車になったらしい。たぶん数年後には全廃になってるかも。



NFI D60LF(青緑)。ツーステップ車ですな。今時ステップ付きなんて古いんでこれも廃車が進行中。



NFI DE60LFR。急行バス「ラピッドライド」専用車で、路線バスのくせにWi-Fi飛ばしてるすごい奴。黄色と赤の組み合わせはカッコいいよね。



アメリカンキュービックことBreda ADPB350(緑)。これも置き換え対象。
ていうかバス来ねぇな。



Breda ADPB350(青)。アメリカにもフルカラーLED表示器のバスがいるんですね。



ようやくバスが来たんで乗ります。乗ったのは(たぶん)33系統。



(たぶん)22nd Ave & Gilman Aveバス停で下車。歩いてすぐのところにあるのはBNSF鉄道の機関区バルマーヤード Balmer Yard。アメリカの機関区を覗いてみたかったんだよね。
本当は昨日、FHCに行く前に寄るつもりだったんですが迷ってるうちに通り越してしまったんで今日に持ち越し。今回はこのバルマーヤードを丸裸にしてやります。



とりあえず機関車を片っ端から。
GE Dash9-44CW形BNSF5458号機。
BNSFの塗装は何種類かあると遠い昔に書いたんですが、これはヘリテージ2というパターンです。オレンジと黒の基本塗装に黄色の帯、BNSFの文字とロゴが書かれたやつです。現行塗装のひとつ前の塗装ですが、まだまだたくさん見られます。



Dash9-44CW形BNSF4713号機。おおぅ、これはリバイバル塗装じゃないか!
BNSF鉄道は何社かの鉄道が合併して出来た鉄道なんですが、そのうちのひとつがアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道ことサンタフェ鉄道(ATSF)でした。日本でも名前が知られている方の鉄道だと思います。
そのサンタフェ鉄道の旅客用機関車の塗装が「ウォーボンネット」と呼ばれるものでした。ボンネット部は赤、それ以外はシルバーの塗装で、ボンネットには丸と十字で囲まれたSanta Feのロゴが特徴でした。このロゴはBNSFの旧塗装にも引き継がれてます。
これが有名な塗装になったためか、BNSFに合併後も一部がウォーボンネットにリバイバル塗装的に塗られたようです。まさかこれを見られるとは。
塗られた機体は極一部だろうし運用範囲もバカみたいに広いし、これっきりだろうなと思ったんですが、意外とこれ以降も見かける機会は何回かあって、見かける時は見かけるんだなぁと。ただ、まともに写真を撮れたのはこの時だけでした。



もう1機珍しい物が。バーリントン・ノーザン鉄道塗装のEMD SD60M形BNSF1403号機。
BNSF鉄道の前身のひとつがサンタフェ鉄道(BNSFのSF)なのは今書きましたが、もうひとつがバーリントン・ノーザン鉄道なのでした(BNSFのBN)。BN鉄道は緑と黒の塗装が特徴ですぞ。
これはリバイバルではなく、BN鉄道時代に製造されてそのままBNSFに継承されて以降塗装はそのまま、って感じらしいです。キャブのロゴのBNSFへの書き換えとロードナンバー変更(BN9212→BNSF1403)以外は原型を留めているっぽいです。この角度だと見えないですがボンネットのBNロゴも残っているようですね。
あんまし塗装の塗替えに積極的ではないようですね、アメリカさんは。こっちとしては好都合なんですが。



整備工場っぽい区画。
手前の物置に掛けられているのは大量の連結器です。他には貨車の車輪だとかスイッチャーだとか色々。逆光なのがつらい。



ここは貨車の整備工場かな?
貨車の運用や検査周期は前から謎に思ってるんですが、本当にどう回してんだろう?会社間の貨車の貸し借りなんて当たり前だし、あの貨車はいまどこにいて次の検査まであと何日かなんて果たして把握しているのかしら?



車輪を利用したベンチ。2人座るにはきつそうですが(デブだと1人専用か...)これは面白いですね。大井川鉄道でも似たようなものを見た気が。
ここはインターベイ車両工場と呼ぶんですね。インターベイというのは地名です。



機関区の他に操車場も兼ねてるみたいで、編成済みの貨物列車が何本かありました。
これはタンク車GATX9588。GATXは貨車のリース会社らしく、車両の報告記号(GATX)がそのまま社名になってるというやつ。

報告記号(Reporting mark)について、まだ書いてなかったような気がするんでこの機会に簡単に説明しておくと、鉄道会社を識別するための記号です。
2~4文字で構成されていて、これでどの会社の車両なのかが分かるようになってます。BNSF鉄道ならばBNSF、バーリントン・ノーザン鉄道だったらBN、カナダ太平洋鉄道だったらCPといった具合です。
機関車など車両のロードナンバーを書くときには報告記号+数字と書くのがこっちのスタイルらしいんで、そう書くとそれっぽくなるぞい。

ちなみにXで終わる報告記号は、列車の運行は行わずに車両だけ持っている会社です。運行は他の会社に委託するか、リースしているか、あとは個人や博物館が持っているっていうパターンだそうな。
運行を委託している会社のひとつがシアトルの通勤列車「サウンダートレイン」です。これの報告記号はSDRXで、ちゃんとXが入っていますね。リースの方は今書いたGATXみたいなやつですな。
他にZで終わる記号、Uで終わる記号にも意味がありますが省略。



ホッパ車の群れ。これは風雨に曝されないクローズド・ホッパ車です。個人的にはホッパ車といえばこの形です。
何運んでるのか分かりませんが、どうも薬品系らしいです。



ここのヤードには転車台と扇形車庫が現役で使われているんですが、貨車が邪魔で全く見えないですな。
アメリカのディーゼル機関車は両運転台ですが、実質片運転台車です。後ろに進むのは入換するときか支線での短距離運転くらいです、確かそうです。
なので場合によっては向きを変えてやる必要があるわけで、そういった場合に備えて転車台が今も現役なんだと思います。まあアメリカの場合土地が広いんで、デルタ線で済ませることも多いようです。お値段もデルタ線のほうが安いでしょうし。



DWC627484。これは一体何を運んでいるのか、初見では恐らく見当が付かないだろう貨車のひとつ。私は教えてもらうまで全く分からなかったです。
これはセンタービーム・フラットカーという貨車です。長物車の一種ですが名前を出してもよく分からないな?
正解を言うとこれの積荷は、材木です。材木はかつてただの長物車に載せて運ばれていたんですが、もっとガン積みしようぜってことになってまず長物車に妻板をくっつけたバルクヘッド・フラットカーというのが現れます。
フラットカーって床が歪まないように台枠を丈夫に造ってあるので見た目の割に重いんですが、このバルクヘッド・フラットカーを軽量化させようぜ、という経緯で誕生したのがこのセンタービーム・フラットカーです。
積荷は2x4か4x8の材木なんだから床の真ん中に桁を通しても問題ないよね?って感じに床の真ん中から妻板の高さまで仕切壁が、それが車両全体にわたって伸びています。
これにより強度を向上させながら貨車の軽量化が出来、結果積み荷の積載量が増えたのでした。とてもめでたし。



積荷状態の貨車(DWC626649+WC37643)も連結されてたんで比べてみましょう。
材木は風雨に曝されると困るんで殆どの場合ビニールで梱包されています。なので積荷状態のセンタービーム・フラットカーを見ても中身が分からず、貨車の正体が掴めませんでした。この状態で積荷が材木だって初見で分かる人はいないと思いますよ・・・。教えてもらった時は目からウロコだったもんなぁ。ちなみにこの梱包シートは製材メーカーによりけりなんで、趣味的には奥が深いのです。
固定する時は桁から延びているワイヤーを使います。これは車体に予め用意されているようです。さらに床は仕切り壁に向かってわずかに内側に傾いていて、荷崩れ防止に役立っています。
なんというか合理化の極みみたいな貨車なんですね。姿が特異なんで模型でも集めてみたい貨車です。

こんなところで今日はここまで。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その18 【2015/06/24~26】

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2015年6月26日(金)11時37分
ワシントン州シアトル BNSF鉄道バルマーヤード
引き続きBNSF鉄道の機関区兼操車場のバルマーヤードを覗いていきます。
手前には雑多な貨車を連結した貨物列車、奥には機関区、とても良い眺めです。貨物列車を趣味にするとしたらアメリカが世界最強の環境でしょうね。



GE Dash9-44CW形BNSF4809号機+GE ES44C4形BNSF6859号機。重連のユニットを組成する時は大抵の場合互いに背中合わせに連結してユニットの両端に運転台を確保し、どちらの進行方向にも対応できるようにしています。日本の2車体連結機関車(EH500形、EH200形)みたいなものですかね。
これを基本に、貨車の量によって3~6重連あたりまでに増結、あるいは列車の中間か後ろに補機を付けて対応しています。中補機というのが独特ですよね。
実質片運転台のアメリカンディーゼル機関車ですが、ローカル線での軽量貨物列車の運転などでもない限り、原則として重連から貨物列車を牽引します。であるならユニット組成時に両運転台になるように連結すれば片運転台でもあんま問題ないんじゃない?って感じなんだと思います。



BNSF4782+BNSF4567+BNSF6677(Dash9-44CW+Dash9-44CW+ES44C4)。
まあ何事にも例外はつきものなんで、こういう組成も・・・。機関車3両のユニットですがどれも同じ向きに連結されています。
向きが揃っていてカッコいいんでこっちの方が好きなんですけどね。



機関車の群れ。本当にいい眺めだ。
ちなみに北米のディーゼル機関車は伝統的に電気式ディーゼル機関車です。ディーゼルエンジンで発電機を回し、それで得た電気でモーターを動かす方式です。なので自力で電気を得ることの出来る電気機関車とも言えます。
日本のディーゼル機関車は液体式が主力。エンジンの出力を液体変速機を介して車輪に伝える方式です。



EMD GP38-2形BNSF2269(ex-BN2269)号機。これもバーリントン・ノーザン塗装のまま。



GP38-2形BNSF2340号機。GP38形は4軸機関車の決定版なのか知りませんが、割とよく見かけるイメージですね。ちなみに本線用ロードスイッチャーは6軸機です。
これの塗装はアメリカン湘南色ことヘリテージ1。この色はバーリントン・ノーザンの前身のひとつグレートノーザン鉄道のものを継承したんじゃないかなぁと思います。



Dash9-44CW形BNSF4163号機。
これはヘリテージ2塗装。



ES44C4形BNSF8333号機。
これはヘリテージ3塗装。これが現行塗装なんでヘリテージ(遺産)もクソもないんですが、たぶんここでは伝統って訳したほうがいいのかもしれないです。伝統的塗装3号みたいな感じか?伝統的塗装2号ことヘリテージ2からロゴを現在使用しているものに変えただけっぽいですね。



BNSF8333の後ろ側。
屋根から出っ張ってるのはラジエーターです。これが車体幅いっぱいにはみ出てるのが最近の機関車の特徴です。これ絶対運転室から後ろ見えないと思うんだよな。



BN塗装のGP38-2形BNSF2334号機。ボンネットにロゴでなく警戒ストライプが描かれた機体。



で、BNSF2334の後ろにいるコレ。な、なんじゃこりゃ!?客車じゃん・・・。
鉄道会社が独自に旅客車を保存してたまにイベントで走らせてるなんていうのは話には聞いてましたが、なんとまあ。
電源車ですかねぇこれは。ロードナンバーは不明ですが固有愛称は"Stampede Pass"だそうな。



BNSF67 "Trinchera Pass"。
座席車にしては窓の間隔が一定じゃないし、寝台車なのかしら?



うわぁなんだこいつキモい・・・。
最後尾のBNSF32 "William B. Strong"。客車愛称はATSFの元社長から来ています。
オブザベーションカー、いわゆる展望車です。後ろに向かって段々高さの下がってる小窓とかシャッターが閉じた展望窓とか、なかなかゲテモノくさい外観をしておられます。シャッターはちょっとアレでしょう・・・。



編成全体。イベント列車か、役員用列車オフィサートレインの客車だと思いますけど詳しいことは不明。意外とそういう情報は転がってない・・・。
なんにしても、こういう旧型客車を残しているとはアメリカの鉄道も底が知れませんな。



EMD SD39-2形BNSF1655号機。GP38形かと思ったら6軸のSD系でした。しかもSD39形は50機しか製造されなかったそうなんで、これはまたレアなものを。



うわぁ、奥にも展望車が、しかもドーム付きじゃん。客車何両持ってんだろうな、BNSF・・・。



DTTX27705。
現代のアメリカの鉄道の主役とも言える2段積みコンテナ車ダブルスタックトレイン。米帝パワーの象徴とも言えます。
アメリカ国内で完結する輸送はもちろんですが、太平洋や大西洋航路からやってきた国際貨物船のコンテナをアメリカ各地へ輸送したり、さらには太平洋~大西洋航路を連絡する動脈としても利用されています。スエズ運河は何かと情勢に左右されやすいしパナマ運河は貨物船の大きさに制限があるし運河の輸送量は飽和状態だしで安定した大量輸送には少し不利で、そこに目を付けたのがアメリカの大陸横断鉄道だったのでした、というわけです。実際パナマ運河経由よりも鉄道経由のほうが速いらしい。



CRLE11955。
一方で有蓋車を始めとした雑多な貨車も現役なのがアメリカの鉄道の魅力的なところですな。
大容積のハイキューブ有蓋車 Hicube boxcarが現在の主力です。車体のアスペクト比は何やら日本のワム80000とだいたい同じに見えますが、寸法は段違いです。
この貨車だとたぶん車体長は50ft級なので、車体の長さ約15mX幅約3mX高さ約4m。容積は6339立方フィート≒180立方メートル。
ワム80000の車体が長さ約9.6mX幅約2.9mX高さ約2.6m、容積が52.8立方メートルなんで、まあ当然ですが圧倒的ですね。



操車場もそろそろ終わりですね。行きのバスに乗る時渡ってきたマグノリア橋が見えてきました。
最初は昨日レンタカーでやってくるつもりでしたけど、結局操車場の端から端まで歩いてしまいましたので結果的に今日歩きで来て正解でした。
歩きならここから最寄りのバス停まで行けばいいですけど車だとまた同じ道戻らなきゃいけませんからね。これがダルい。



橋をくぐるとクルーズ客船が停泊していました。あらこんなものが。
ダウンタウンからはちと離れてるんですが、そこはまあ送迎バスとかあるんでしょう。




最後に、経路はこんな感じに操車場西側の道路を歩いて南下してきました。
私の土地勘が正しければこのまま南下していけばマグノリア橋に突き当たり、路線バスの走る道路にたどり着けるはずでして、結果はドンピシャでした。無事にElliott Ave W & W Galer Stバス停に着けたのでした。
この後19系統のバスに乗ってダウンタウンへ戻ったのでした。


最終回へ→

北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  最終回 【2015/06/24~26】

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2015年6月26日(金)12時43分
ワシントン州シアトル ダウンタウン
バルマーヤードからバスに乗ってダウンタウンに戻ってきました。
帰りのフェリーの出港時刻までおよそ2時間といったところ。



パイクプレイスマーケットに行くのもアリかと思いましたが、結局乗り物を撮影して暇をつぶすことに。
とりあえずシアトルセンターモノレール。青編成をまともに撮影したのはこれが初めてだったかな?



シアトルストリートカー。車両はチェコのInekon Trams社(イネコン?...読めない)製12-Trio形。ただこれはメーカーのブランド名なので(A-Trainやsustinaみたいなもん)、この車両固有の形式名はというと・・・たぶん無い。
固有の番号であるロードナンバーはつけるんですけど、日本のように○○系だとか✕✕形みたいなグループとしての形式名は付けないのがアメリカの慣例みたいです、どうも。これって調べるときに結構面倒なのでやめて欲しいんですけどね・・・。
この路面電車の編成番号は303なので便宜上300形とでもしときます。



301編成も抑えておきます。
ちなみにこれはサウスレイクユニオン線なんですが、2016年1月にファーストヒル線が開業したそうな。チャイナタウンの辺りに敷かれてたあの線路らしい・・・って書いても私以外ピンと来ないか。



地下のトランジットトンネルに潜ってここでも撮影。一昨日撮れなかった電車とバスの離合のリベンジです。
まあ、あっさりと撮れました。何度見返してもすごい光景ですな。



なおバスは4台が団子になってた模様。



サウンドトランジットのNFI DE60LF。サウンドトランジット重点。



勾配を駆け下りるキング郡メトロDE60LF。



ひっきりなしにバスと電車がやってきます。
たまたま撮ったこのバスの広告が面白かったです。マリナーズの広告なんですが、これスコアボードになっていて、ちょうど系統番号の表示器のところがマリナーズの得点になってるんですね。
相手のスコアは信じられないことにゼロで、一方マリナーズは255点というこれまたもっとマシな嘘をつけと思うくらいの大量点を入れてます。圧勝ってレベルじゃないがな。
バスの系統番号も、0系統のバスなんて無くて一番若い番号でも1系統から始まる性質上、どうやってもマリナーズは勝つあたりも上手い広告だなと思います。



リンクライトレール100形。100形ってのも便宜上勝手に付けた名前。
被られそうになったんで構図がグチャグチャ。



今日はサウンドトランジット重点なので再び地上に戻りサウンドトランジットの撮影。NFI D60LFR。



同じくD60LFR。こっちは屋根カバー無し。やっぱりカバー付きのほうがカッコいい思いますん。



停車中のキング郡メトロGilling Phantom。坂道の角度がすごいですな。



反対側からも。



ボルトバスのPrevost H3-45 (2nd generation)。
ボルトバスといえば最低運賃$1~というアレな運賃設定が有名(有名だと思う)。まあこれは客寄せであって、この運賃で乗るにはかなり前からの予約が必要で、設定されてる便も少ないらしい。大抵の場合は相場と同程度のようです。
運賃もあんまり安いと却って不安になってしまうんですけどね・・・。



そろそろフェリー乗り場に向かわねばならないので撤退。道中で見かけたサウンドトランジットNFI DE60LF。



中型車のOrion Orion VII 07.501 EPA10 HEV。これは割と好きなバス。



NFI D60LFの99系統でフェリー乗り場へ。休止中の路面電車の代行バスです。これで終点まで乗っていきます。



バス停を降りてから船着場までの間には踏切があるんですが、運悪く引っかかってしまいました。とっとと通り過ぎるだけでも時間がかかるのに、なんと超徐行運転をし始めておっとマズいぞこれは乗り遅れるぞとなりました。
周りを見たら幸いにも跨線橋があったのでこれで線路をまたぎました。その時ついでに写真を撮っておきました。手前に写ってるのが私を足止めした列車ですが、側線に入ろうとしてますねこれ。そりゃ速度落とすわな・・・。
奥の列車は対向が側線に入るのを待ってるんですかね。ていうかあの機関車、ウォーボンネットのリバイバル塗装機なんだけど・・・。さっき見たのと同じ機体かとも思いましたが違ってました。複数台が塗装されてるんですね。



無事線路を突破。跨線橋がなければ死んでた。ちっとも踏切が開かず、道路は大渋滞でした。こりゃ厄介扱いされるわ。



乗船手続きを済ませて乗り場へ。行きと同じビクトリアクリッパーフェリーです。
乗った船はVictoria Clipper IV。一番新しい船です。



いつもの航跡。今日は虹が架かりましたよ。
乗船時間は3時間弱なんですが、さすがに3回目になると暇ですねぇ。



下船して入国審査を受けます。その時にビザの書き換えを申請します。このためのアメリカ渡航だったのです。この3日間はその前段階に過ぎなかったのです。
30分ほどで申請が降りて無事入国。ただいまビクトリア。既に実家のような安心感すらありますね。

というわけで北米project2はこれで終了です。連載長引いちゃったなぁ・・・。
少し間を挟んでまたすぐに北米P3があるんでお楽しみに。


おしまい

カナダデイにバスを撮影する 【2015/07/01】

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毎年7月1日はカナダデイという祝日になっています。イギリスの植民地だったカナダが1867年7月1日に自治権を得たことが由来で、建国記念日に相当します。
この日はカナダ各地でイベントが催されるのですが、ビクトリアはビクトリアデイのパレードに全力を出してしまったのか、州議事堂前での野外イベントと夜に花火を打ち上げるくらいの大人しいものでした。
なんですが、この日バスは行き先表示器に特別な表示を出すんじゃないかと思ったのです。いつかのクリスマス前にはHappy Christmasの表示を出していましたし、あり得るんじゃないかな。
なのでBCトランジットを撮影しにダウンタウンへ出撃です。手始めにAD Dart SLF+Pointer2。これは表示なし。



すぐに来ました。NFI D40LFです。
目論見通りHappy Canada Dayの表示を出していました。やったぜ。国旗付きというのがまた良いですね。



D40LFとNova LFS。運転手の気分なのか全車が表示しているわけじゃないようです。



AD Enviro500の特別表示。



通りがかったFord E-450+ElDorado Aerotechエアポートシャトル。



NFI DE40LF特別表示。国旗が両側に掲示されているタイプ。



LFSの特別表示。
だいたい回収できたのでこれにて撤退としました。

今日もクルーズ船を見に 【2015/07/03】

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この日はなんとなくクルーズ船を見にオグデンポイントへ行きました。
今日のクルーズ船はノルウェージャンクルーズのノルウェージャン・ジュエルです。ほんと、よく転覆しないよな。



入港するまでの間バス撮影。ウィルソンのNFI C40LFがいました。天然ガス車で、このタイプは初見でした、ラッキー。



ズラッと6台並んだMCI MC-9軍団。壮観ですよこれは。



AD Enviro500シャトル車。



そしてノルウェージャン・ジュエル入港。

今日はこれだけで終わりです。

エスクイモルト海軍博物館オープンハウスへ出撃 【2015/07/04】

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ビクトリアにはエスクイモルト基地海軍軍事博物館 CFB Esquimalt Naval and Military Museumがあるというのは遠い昔に書いたんですが、オープンハウスが開かれるということを聞きつけたので行ってみました。
まず基地のゲートに行って入れてもらいます。



ゲートを入って左側には何だか大砲が置いてありました。あれ、こんなの前には見なかったな・・・。最近置かれたってわけでもなさそうですし、単に見落としてただけですな。
これは7インチ70口径Mk.6連装砲。イギリスのヴィッカーズが開発した対空・対水上用主砲で、カナダ海軍のレスティゴーシュ級護衛駆逐艦とマッケンジー級護衛駆逐艦に搭載されました。
Mk.69射撃指揮装置と連携して運用され、連射速度は90発/分、射程は約17km(10.5mile)でした。砲身の摩耗や整備性を無視すれば120発/分まで連射速度を上げられたようです。



対潜ロケット「アスロック」ランチャー。お馴染みのアレですので詳細は省略(手抜き
護衛艦のランチャーとは微妙にランチャー開口部が違うんだな~とか思ってたんですがよく考えたらこれ後ろ側だ。なんでケツ見せて置いたんだ・・・?
これは改レスティゴーシュ級護衛駆逐艦に搭載されていたランチャーのうちのひとつだそうな。



最後に3インチ50口径Mk.33連装砲。
アメリカが開発した大型艦用の対空砲ですが、駆逐艦の主砲にも用いられました。カナダ海軍でも駆逐艦の主砲として採用、対水上用にも使われました。駆逐艦とはいえ主砲としては弱っちい感が否めないです。



ゲートをくぐる時に守衛に基地内の船を撮影していいか訊いたら「ええんやで」と返されたので堂々と撮影。特に撮影制限されてるわけではないようですが、一言断っておいたほうがいいですね。
広大な領海を持つカナダですがその大半は草も生えない北極圏なので、カナダ海軍の艦艇は意外とショボいです。海軍基地も太平洋側のエスクイモルトと大西洋側のハリファックス、あとはケベックシティの海軍本部だけ。艦艇も主力はフリゲート約10隻と潜水艦数隻で、海上自衛隊と比べると隔絶の感が。昔は空母まで持ってたのにね。

で、写真の艦はHMCSイエローナイフ(MM-706)。キングストン級沿岸警備艇7番艦です。警備艇ですが掃海能力も備えているため艦種記号はMM (mechanical minesweepers)となっています。他にも演習や救難救助も行うマルチロール艦といえます。



もう1隻、HMCSホワイトホース(MM-705)。ちっちゃい船なんですね。可愛らしいですよ。
カナダ海軍艦艇の塗装は青っぽい灰色で特徴的です。やはり日本とは海の色が違うんですかね?



奥にも何かいますが一部しか見えません。
ハリファックス級フリゲートと、一番奥の煙突2本のがプロテクチュール級補給艦かな?
補給艦の方は退役済みだそうな。



前回も見た「リンボー」対潜迫撃砲。



ドックがありますね。エスクイモルト基地には大小1基ずつのドックがあって、こちらは大きい方のドックです。
微妙に見づらい角度なんですが、今まで間近で見ることはなかったので興味深い設備です。
地図で測ってみたら長さ300m、幅30mくらいはあったので歴代カナダ海軍の艦は全て収容できる広さですね。



ちょうどハリファックス級が入渠中です。艦は建物だと言われるのがよく分かる作業現場ですね。



そんなこんなで博物館に着きました。今のドックはここの横から見えます。
ところでこの建物、初めて来た時は何かの建物を転用したんだろうと思いつつも元が何かわからなかったんですが、元は海軍病院とのことでした。基地にある4つの国定史跡のうちの1つです。



屋外展示品にフォードM37ジープ(1946年製)がいました。
LT. ゼネラル・アッシュトン・アーモリー博物館所蔵の車両で、ここの物ではありませんが、軍事博物館のイベントなので出張してきたんでしょう。戦後型であるデメキンのM38よりもやっぱりこっちの方が好きですね。

大戦期型のジープはウィリスとフォードが生産していたんですが、元々はバンタムという聞いたこと無いような会社が開発したものでした。聞いたことがないのも納得の規模の小さな会社で、これじゃ生産能力足りないよと考えたアメリカ陸軍は設計図を勝手にウィリスとフォードに公開してしまい、バンタム含めた3社に改良案の提出を命じたのでした。バンタム怒っただろうなぁ。その後3社はそれぞれ1500台の発注を受けることになりました。
でもよく考えたら3種類もジープいらないよ1種類に絞ろう、となった結果ウィリスMBが選ばれたのでした。バンタム悔しかっただろうなぁ。
そしてアメリカも第二次世界大戦に参戦するようになると、ウィリスだけでは需要を捌けないことから大量生産ならお任せのフォードでも生産が始まりました。その27万台のうちの1台がこれというわけです。ウィリス製とフォード製は同一仕様車となっていて、見分けるポイントは皆無です。あったら教えてほしい。この個体も左に見切れている解説板が無ければどっち製だか分かりませんでした。
ちなみに冷や飯を食わされたバンタムは、他の車両の生産を任されていました。さすがに陸軍も不憫に思ったのかも知れません。




シボレーカナダCMPトラックC-15A(1943~44年製)。カナダ生まれの多目的トラックです。製造年が跨っているのは特定が出来なかったからかな?
派生型がいくつもあるトラックなんですが、これはシボレーカナダのC-15Aシャーシ(4x4輪駆動、ホイールベース2.57m、搭載量15CWT≒762kg)を搭載したタイプです。キャブはNo.13タイプ。
CMPトラックもシボレーとフォードの2社で生産されましたが、ジープと違い判別が可能です。シボレーはグリルが菱形に交差していて、シボレーの十字ロゴマークが入っています。対してフォードはグリルが十字に交差していて、ロゴは無しとなっています。



非牽引式の給水車もありました。



本当に水が出る!
普通の飲料水で実際に飲んだんですが、なんだか飲んだ気がしませんでした。綺麗なんでしょうけど容器と蛇口がなぁ・・・。見てくれってのは大事。



式典の時間になったんで集合します。お話の後にテープカットをしました。めでたいめでたい。
この後ケーキが振る舞われました。コストコで売ってるような超でかいシートケーキだったんですが、申し訳ないけどアメリカらしいクソマズケーキでした。砂糖が飽和してんじゃないのかってくらい甘かったです。二度と食うか。



博物館の奥の窓から船が見えますね。前は気付かなかった。



それでも微妙に見通しが悪い・・・。
HMCSカルガリー(FFH-35)です。カナダ海軍の主力艦です。趣味的にはちょっと寂しいなぁ駆逐艦クラスは持ってほしいなぁと思うんですが、これもまあ予算の都合もあるんでしょう。



ただビクトリア級潜水艦を撮影出来たのは収穫でした。英海軍アップホルダー級のお古で、カナダでは2000年から4隻が再就役しています。
4隻のうちのどれかは艦番号が無いので分かりませんです。HMCSシクーティミ、HMCSビクトリア、HMCSコーナーブルックのうちのどれかです。



オルカ級巡視艇。1番艦のオルカ(PCT-55)と2番艦のレイヴン(PCT-56)です。動物が艦名の由来になっているんですね。
この巡視艇、もはや軍艦ではないのか艦船接頭辞のHMCSを付けないようです。



館内は前回見たのと一緒なので省略しますが、別室が公開されていたんでこちらを見ていくことに。



女性軍人の活躍の間。
女性用軍服だとか通信士として働く女性だとか。???「カービィ将軍、テレックスに緊急メッセージが!」



傷痍軍人の間。
片腕でポーカーやってるマネキンがいました。器用なことしますなぁ。



寝床の間。
艦内をイメージしたセットでしょうかね?そりゃまあ狭っ苦しいのだ。



100ポンド電気触発機雷。1900~1906年に使用(or製造)されたものだそうな。

この後ものんびりと過ごして頃合いを見て撤退しました。
おしまいです。

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その1 【2015/07/08~08】

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2015年7月8日(水)7時29分
ブリティッシュコロンビア州ノースサーニッチ スワーツベイ・フェリーターミナル
遥か昔にダイジェスト版を書いた北米P3が、ようやく&ようやく連載開始!
私の両親がカナディアンロッキーへ旅行に行くと言うので、これ幸いとついて行きました。旅行期間は11日間と、2012年の欧州Projectの17日間に次ぐ長さです。
両親とはバンクーバー空港で合流する手はずなので、まずはそこへと向かいます。とりあえずはビクトリアからバスに乗ってBCフェリーのターミナルへ。飛行機は高いんで相変わらず乗りません。



8時発のツワッセン(バンクーバー)行きに乗船します。ついでに船内で朝食とします。
トーストとソーセージと目玉焼き、あとコーヒー。欧米人というのは本当に朝食に野菜を食べないですね。サラダは別売りであるんですけどクソ高いし・・・。



食べ終えたらちょうどフェリーが離合する頃合いなのでデッキに出て撮影。
MVクイーン・オブ・ニューウェストミンスターでした。1964年進水の古参船です。搭載量も多くないですし、たぶん波動用なんだと思います。
なお私が乗っているのはMVコースタル・セレブレーションでした。



航路のビクトリア側半分はガルフ諸島の島嶼の間をすり抜けながら航行するので、見ていて楽しいです。ビクトリアへ旅行にいく時は片道はフェリーに乗ると面白いと思いますよ。
前も書いたかも分かりませんが、フェリーが離合するのは出港してからおよそ45分後、行程のちょうど半分の時です。これも覚えておこう。



もうすぐ港に着くぞというところ。各航路からフェリーが集結してきます。
こちらはMVクイーン・オブ・ナナイモ。



MVスピリット・オブ・バンクーバーアイランド。



MVクイーン・オブ・アルバーニ。
クイーンシリーズが多いですけど、いくつかのクラスにまたがって名付けられているためクイーンシリーズが全部同型船というわけではありません。今日見た3隻のクイーンシリーズも、それぞれ設計が異なる別物です。



メンゴメンゴと謝るトランスリンクのNFI XDE60の620系統に乗り換え。



終点のブリッジポート駅に着きました。
Chevrolet 4500+ElDorado Aerotechを撮影。ここで見たのは初めてですね。BCトランジットの小型バスとは使っているシャーシが同じなのでパッと見はそっくりです。



スカイトレイン・カナダ線の列車も撮影。カナダラインとは大仰な名前を付けたと思いますw
電車は例によって形式名は無いです。100形とでもしておきます。



ブリッジポート駅はちょうどバンクーバー空港の北側滑走路の延長上に建っていて、風向き次第でこんな風に駅のホームから飛行機を撮影できます。空港内には展望デッキがないので、ここは結構穴場だと思います。
これはエアカナダのERJ-190(C-FHJJ)です。ただこれはちょっと真下過ぎるな・・・。



というわけで場所移動。
バンクーバーからやってきた電車はブリッジポート駅で空港方面とリッチモンド方面のふた手に別れるのですが、リッチモンド方面の電車に乗って1駅のアバディーン駅で降ります。
ここは南側滑走路の延長上にある駅で、やはりホームに居ながら飛行機の撮影ができるというところ。便利ですな。
電車の撮影にもいい所で、アウトカーブからの撮影が可能。電車の半分は空港に行ってしまうので本数は半減ですが。



この日の南側滑走路からは離陸機を撮影出来ました。
エアカナダ・エクスプレス(ジャズ航空)のDHC-8-300(C-GMON)です。書くまで気づきませんでしたが、カモメが被ってますねぇ。差し替えるのも面倒だしこのままでいいや・・・。



エアノースのB737-500(C-GANJ)。ユーコンのホワイトホース空港を拠点にしている会社です。うーん、聞いたこと無い。今時ウィングレットの無い737も珍しいですね。
ちなみにオーストラリアにも同名の会社があります。カナダのエアノースは"Air North"とブランクがあるんですがオーストラリアの方はブランク無しという、(特に日本語で書いた時に)違いとはいえない違いがあります。まあ就航先は被ってないし大丈夫。



エールフランスのB777-200ER(F-GSPI)。
あんまり長居もしていられないので、ぼちぼち空港へ。



電車の中で見かけたアイスランド航空のB757-200(TF-FIR)。おおぅ、会社も機材も初めて見ましたよ。
757はボーイングらしからぬエアバスっぽい出で立ちをしていて却ってそこが好きですね。

この後空港駅に着いて、無事に両親と合流したのでした。今回はここまで。


その2へ→

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その2 【2015/07/08~08】

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2015年7月8日(水)13時35分
ブリティッシュコロンビア州ノースバンクーバー カピラノ吊橋
バンクーバー空港で両親と合流した後はレンタカーを借りて北上、ノースバンクーバーにあるカピラノ吊橋へとやってきました。
バンクーバーの観光名所のひとつで、カピラノ川が形成した渓谷に架かった吊橋が名物なのです。
余談ですがここは入場料を取るのですがお値段約$40と、カピラノ吊橋最大の特徴とも言えるくらい高いです。高いのは吊橋だけで十分なんだよなぁ。名所なんで観光客はたくさんいますし、さぞやウハウハでしょう。



とりあえず昼飯。入場料で痛手を負ったので(?)質素なものです。



ハイ吊橋ドーン!すごい眺めだ、森の上を歩いているみたい。
橋の長さは137m(450ft)、川からの高さは70m(230ft)、耐重量は90t(20万lb)となっています。橋に人間を隙間なく詰めても大丈夫そう。



別の角度から。



渡りますよ。



ヒエッ!
70m以上あるんじゃないのこれ・・・?



遠景。
川の流れは緩やかで河口からも直線距離で3km程度と、下流のような穏やかさなんですが地形はこのように急峻。相当な年月を経て侵食された地形なんでしょうな。



渡り切りました。



たぶんベイマツ。ここはベイマツの森なのかな?和名こそ松ですが日本人の想像する松とは違います。モミの木に近いですな。



コマツグミ American Robin。クチバシに咥えているのはハチか何かの虫です。人に慣れているのか警戒心は比較的薄かったです。
今旅行では動物が色々出てくるのでお楽しみに。



ツリートップ・アドベンチャーに乗り込みます。文字通り木の上を練り歩くのだ。



木と木の間は吊橋で繋がってるぞ。吊橋好きねぇ。



いい眺めですよ。涼しいですしね。











降りてきました。適当に歩きながらまた吊橋のところまで戻ります。



アメリカフクロウ Barred Owl。これは飼われている鳥ですな。



モモアカノスリもしくはハリスホーク Harris Hawk。うーんピント。



枝の上で佇んでいるのを見つけてビビったオオアオサギ先輩 Great Blue Heron。今までも何回かお会いしましたね。
こいつは置物なんじゃないのと思うくらいピクリとも動かないんだよな。気配も薄いですしね。



反対側から。
北米固有種を撮影出来て満足です。

今回はここまで。


その3へ→

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その3 【2015/07/08~08】

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2015年7月8日(水)14時42分
ブリティッシュコロンビア州ノースバンクーバー カピラノ吊橋
また吊橋を渡って戻ります。
ダウンタウンは目と鼻の先とは思えない森の深さですね。



次は最近オープンしたと話題の「クリフウォーク」へと行きます。そのまんま、崖歩きです。



崖をよじ登るわけではなく、断崖に取り付けられた歩廊を歩くというアトラクションなのです。
片持ち式の弧状の空中歩廊が目玉です。頼りなさそうですが安全性には十分配慮されています。意外と揺れないですよ。



これは落ちたら死にますね。



遠目から。歩廊はこんな狭さなので一方通行になっています。
ちなみに5日後にこれをもっとデカくした奴の上を歩くので、今見返してみたら大したことねぇなって感じですね。



途中にある一箇所だけ突き出たところ。記念撮影スポットになってます。正面からより横から撮ったほうが危ねぇ感は出てくると思います。



床はご丁寧に格子状ですからね。恐怖を煽っていくスタイル。



水滴の侵食の展示。右から15年間、25年間、50年間水滴を岩に垂らし続けたとなっています。
水滴50年でこれだけ岩を抉るのかと思いますね。なるほどこれは1000年単位になれば地形をも変えるわけだなと。



入口に戻ってきて、そのまま撤退。
うーん、値段高いししばらくはいいや。経営側もそれを見越した値段設定なのかも。



いきなり時間が飛びます。時刻は20時を過ぎたくらい。我々はバンクーバーから約120km北にあるウィスラーにいます。
今回の主攻略目標はカナディアンロッキーですがウィスラーにも行きたいとのことだったので、ロッキーに行く前にウィスラーへと立ち寄りました。
バンクーバーからは99号線を走っていきます。Sea to Sky Highwayの異名を持つ高速道路で、道中約2時間の間に景色が目まぐるしく変わります。実際良い眺めだった。私運転手だったんで写真はないんですけども。




拠点となるB&Bにチェックインしてウィスラーの町へ。まだまだ明るいです。活動時間が長くなるので本当に良い。
町並みはとても綺麗。2010年のバンクーバーオリンピックの会場のひとつだったので、それに合わせて整備されたんだと思います。



夕飯にします。サーモンのサラダ。



バッファローチキンウィング。こっちでは定番の料理で、酸っぱくて辛くて美味しいんですよねぇ。



プルドポークサンドウィッチ。プルドポークはバーベキューソースに漬けて長時間加熱した豚肉の塊をほぐしたもの。これも定番メニュー。美味い。



すっかり満足。
店の隣りにあったオリンピックシンボルのモニュメントを見てこの日は終了です。翌日へ続く。


その4へ→

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その4 【2015/07/08~08】

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2015年7月9日(木)10時15分
ブリティッシュコロンビア州ウィスラー 大型駐車場
2日目はウィスラーからスタート!B&Bで朝食を食べたらぼちぼちと出撃。ウィスラーの町の中にある広い駐車場に車を駐めます。
駐車場には観光バスも停まっていたので一応程度に撮影。Prevost H3-45 (3rd generation)です。



フィッツシモンズ川を渡ります。白く濁った川というのはスイスのツェルマット以来ですな。



アッパービレッジを歩きます。



おなじみフェアモントホテル閣下。高級ホテルですので私には縁のない場所です。



リフト乗り場へと到着。ここでリフトのデイパスを買います。



お、マリオゴルフだw
こんなところでNintendo®を見るとは思わなかった。



こっちにはマリカーが。これはベビィパークだね。



地図があったんでついでに説明。
ウィスラーにはブラッコム山(標高2436m)とウィスラー山(標高2181m)の2つの山があります。ウィスラーはスキーリゾートなのでこれらの山はスキー山として使われているんですが、雪の降らない夏場はハイキングやマウンテンバイクなんかを楽しめます。今回はハイキングをしますよ。まあ移動の殆どはリフトに乗ってるだけなんですけどね。
緑の線が今日動いているリフトです。ほとんど休止中ですね。
私達が今いるのがブラッコム山の麓のウィザードというリフト乗り場です。そこからリフトに乗ってジャージークリームまで上り、「ピーク2ピーク」というゴンドラでウィスラー山へ移ります。そしたらウィスラー山頂上へ行くリフトに乗り頂上へ。その後はウィスラーゴンドラというところまで降りておしまい、という流れです。



はい乗りますよ。



上ります。スキーコースって感じの景色ですな。
リフトの柱に巻きついてる黄色いのはスキーの時激突した時の衝撃緩和ゴムでしょうから、冬はこのゴムより下は雪に埋もれるんですなぁ。



途中のソーラーコースターでリフトを乗り換えます。



また上ります。ここで5分間くらいリフトが停止して宙ぶらりんにされましたね、確か・・・(うろ覚え



着きました。
少し周りを歩きます。



森林限界なのか知りませんが、樹木の背が低いです。



ちょっとしたトレイルになっています。やっぱり背の高さが低いですな。



氷の地面が。これは氷河の一部でしょうね。
これでついに氷河の上を歩くという体験を経験しましたね。まあ全く実感が湧かないですし数日後もっと大きい氷河の上に行くんで。



向こうの尾根にも氷河がありますけどだいぶ小さい。地形を見るにここの窪地は全部氷河だったんでしょうけどかなり後退が進んでいますね。



100年前はここまであったんだよという説明。青線の部分が100年前の氷河の大きさです。100年でこれだとあと50年も経てばここの氷河は完全に消滅してしまいそうな勢いですね。
この写真もいつ撮られたか知りませんが、その時よりも現在のほうがやや後退していますし、これは確実に消滅するなと思います。



あんまり深入りすることもないんでゴンドラ乗り場へ戻ります。
で、ここでリスか何かを見つけて撮影しようとカメラのレンズを変えたんですがその時なんと広角ズームを落としてしまいました。岩に直撃で、手にとって見ると中からカラカラと音がして、案の定逝ってしまいました。
俺が何をしたんだという感じになりましたが、父が持ってきていたレンズと互換性があったのでそれを借りて凌ぐことでどうにかなりました。助かりましたが、しばらくはショックでしたとさ。

こんなところで今日はここまで。


その5へ→
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