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北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その48 【2015/07/08~18】

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ヘリテージパークことカルガリーにある遺産公園歴史村の2回目です。
第1目標のSL列車を見た後は第2目標の鉄道関連施設にカチコミます。扇形車庫、転車台、工場、小さなヤードなど一通りの施設が揃っています。

写真の建物は扇形車庫 Railway roundhouseです。蒸気機関車を置いておくための車庫です。転車台と合わせて運用される車庫で、転車台から延びる線路に合わせて車庫を建てたので建物が扇状になったから扇形車庫と呼ばれているわけです。
この扇形車庫は1981年に新築されたものですが、1915年に建てられたカナディアンパシフィック鉄道(CP)の扇形車庫を再現しているとのことで、実際に機関車の整備をこの中で行っているようです。SL列車は季節運行なのでオフシーズン時に整備しているんでしょう。
ちなみに当時の整備士は週6日、12時間/日労働だったらしく、SLや石炭のごとくなかなか真っ黒な職場だったようです。



ちょっとしたヤード。
台車や貨車が転がっていて、それっぽい雰囲気。



タンク貨車CGTX6010。貨車のリース会社カナディアン・ゼネラル・トランジットが1935年に製造しました。
容積は5180英ガロンあるいは6100米ガロンもしくは23㎥。ガロンは英国式と米国式で単位が異なるので気をつけないととんでもないことになるかもしれませんぞ。何を運んでいたのかは分かりませんが、石油系じゃないかなぁ?
それと日本ではほぼほぼ見かけない業種なんですけど、鉄道車両のリースで経営しているって会社がこっちにはそこそこあります。リースはアメリカで発展してきたということもあり、カナダでもこんなところにまで浸透しているようです。



カナディアンパシフィックラッセル除雪車CP400884。1911年CPアンガス工場製。アンガス工場はモントリオールにあるカナダ東部の一大整備工場でしたが1992年に閉鎖されて現在は住宅地になって跡形も残っていないとか。
日本でもおなじみの雪かき車です。日本のものと較べて返しが大きいので厳つい印象です。雪かきの先端は「トング」と呼ばれていて、実は可動するようになっています。車体側面には翼が収納されていて、広範囲の雪かきが出来ます。
2人で運用され、1人は空気圧の監視員、もう1人はトングと側面ウィングの操作員です。



モリッシー,ファーニー&マイケル鉄道長物車MF&M53。車歴に関しては不明です。製造年も不明。
荷台に色々乗っているのがらしくていいです。



扇形車庫の中に入っていきましょう。
扉が開いているところから機関車が見えます。その姿からあれ、コレって電気機関車?と一瞬と思い不思議に感じましたが・・・。



奥に行ってみると普通の蒸気機関車でしたとさ。そらそうよな。
これはカナディアンパシフィックU3c形CP2018号機です。軸配置は0-6-0、お察しの通りこれも入換機です。大きさとしては日本のC56形に近いと思います。
1905年にアンガス工場で製造され、当初の番号は2144号機、1912年に6144号機に改番されました。U3系のロードナンバーは一般的にはこの6000番台で呼ばれることが多いようです。
U3系はa~e番台が存在し、195機が製造されました。中でもU3c形は6143~6208号機の66機が製造されました。これはU3系の中でも最多グループになります。
U3c形は1950年代頃まで使われていたようです(確証なし)。CP6144は1943年に廃車となり、その後アルバータ州キャンモアにあるキャンモア炭鉱株式会社へ売却されました。
キャンモアはついこの間まで観光していたバンフの隣町です。今はバンフに収まりきらない観光客を収容する町のようになっていますが、元々は炭鉱で発展してきた町だったんですね。

で、そこの4号機として炭鉱から専用線を経てCPの本線まで石炭を運ぶのに使われていました。
周りの人たちは愛情を込めて「オールドゴート」と呼んでいました。これ、直訳すると「老ヤギ」ですが、本当は「クソジジイ」という意味です。クソジジイ・・・。扱いにくかったのかな?
動力はもちろん石炭・・・と言いたいところですが、なぜか1964年にディーゼルエンジンに換装されたそうです。お前もうSLじゃないよ・・・。ここらへんの時期はあいまいなのですが、1963年に炭鉱鉄道を引退してヘリテージパークに寄贈後の1964年にエンジンを改造されたっぽいです。なんでそんなことを、と言うところまで突っ込んだ記述は見つからなかったので理由は不明。
1992年に部分的な復元をされたようですが、これが動いている動画を観る限り、エンジンは相変わらずディーゼルのままな感じです。なんなんだ一体。
それと、2018号機というのはCPでは未使用の番号ということで、こいつも架空機みたいなものです。普通に6144号機じゃイカンのか?



まさかこいつがディーゼル駆動だとは思いもしなかったので、細部観察はしていないです。動かない分には完全に騙せていると言えます。
ディーゼル機関車だからなのか他の動態機と違って予備機扱いになっているため、動くことは滅多に無いんだそうです。



キャブ内も普通の蒸気機関車っていう感じでした。



カナディアンパシフィック有蓋車CP197529。1913年製の木造の貨車ですな。なんかもう平気で100歳超えの車ばかりでてきて頭がクラクラするぞ・・・。
何せ狭いので車両全体が入らないです。
このように貨車もそこそこ所有しているので、貨物列車を編成して園内の線路を走ってくれそうな気もします。貨物列車を走らせる保存鉄道というのは何箇所か見たことがあるんで、たぶんその気になれば出来そうです。当然チャーター代かかるんでしょうけどね。



カナディアンパシフィック控車CP40482。1923年製。
長物車と有蓋車を半分ずつ合わせたような格好ですが、これは後に出てくる操重車とペアになって運用される控車です。操重車のクレーンブームが他の車両と当たらないようにするためにこれで長さを稼いでいるのです。



車体の部分は作業用の道具が収められています。保線に必要な道具でしょうね。他にも事務机もあります。



ディスパッチボード。
今日は2023号機を18時まで使うぜってことでいいのかな?1400の意味がわからなかったけど。



カナディアンパシフィックCP6209カブース。1912年アンガス工場製です。
カブースというのは日本だと車掌車とか緩急車とかいうやつで、まだ貨物列車の運転台から貨車に一斉にブレーキを掛けることができなかった時代に、ここからブレーキを掛けていました。全車にブレーキを掛けられないのはカブースも同じなので、機関車とカブースだけがブレーキをかけるという感じでした。
他には、カブースに乗務している制動手が貨車の屋根を渡りながら1台ずつブレーキを掛けていく、なんて方法も採られていたようです。この時代の貨車の屋根には人が歩けるようなランボードがあって、そこから手ブレーキを掛けられるような構造になっていたのですな。
カブースの特徴は、屋根にキューポラという監視窓が付いていたこと。乗務員はあのキューポラによじ登り、前方に連結されている貨物列車を監視していたのです。
制動手の他に車掌も同乗していて、彼は通常デスクワークを行っています。

乗務は長時間に渡るため、車内には信号炎管、予備の道具、机、ベンチ、戸棚、ベッドといった業務に必要なものに加え、氷箱、鉄ストーブといった快適装置もあります。また業務が数日に渡ることもあるため、食事、休憩、睡眠が取れるような構造にもなっています。
たまに鉄道車両に住むなんて話を聞きますが、カブースなら1人暮らし程度は出来そうな設備を備えています。



車内に入ることが出来ます。車内に入れるカブースというのは意外と多くないものでして、実は貴重というふうになります。
車内を見てみると、家の部屋みたいな内装になっているのがわかります。車掌車というと寒々しいものを思い浮かべますが、これは床や内張りもしっかりとされていて鉄道車両離れした車内になっています。
なんだか居心地が良さそうな感じです。これは意外でした。



奥にはキューポラがあって、そこへ登るためのはしごがあります。登ったところにある椅子に座って列車監視を行います。
現在は機関車に乗務して貨車を見ずとも貨車にあるセンサーで全て読み取れるのですから、便利な時代になったものです。
カブースも1980年代頃までに姿を消してしまい、基本的に本線上で連結されている姿を見ることは出来ません。ごくごく稀に工事列車などに連結されているという場合もあるらしいですが・・・。



トロッコ。2人でレバーを上げ下げして走らせるおなじみのアレです。ぼっちには扱えない車。



カナディアンパシフィック操重車CP414328。1920年ビューサイラス製。
蒸気式のクレーン車です。重さは50トンとも75トンとも100トンとも言われていて、正直分からん。
それ以外の他のこともよく分からなかったです。



後ろ姿。

はい今日はここまで。


その49へ→

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その49 【2015/07/08~18】

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ヘリテージパーク3回目。引き続き車庫を見ていきます。
扇形車庫は前回見終えたのですが、実は車庫はもう1棟あったのです・・・。
その名も車両工場 Railway car shopで、1992年に新築されたもの。従来屋外保存されていた車両を天候による劣化から守るために建築されました。19世紀後半~20世紀初頭のカナディアンパシフィック鉄道(CP)の車両工場を再現しているとのことです。
屋外に野ざらしで保存というのは劣化が早いものでして、割りと頻繁な整備が必要です。屋根を付けるだけでもだいぶ違うと言われています。この中に保存されている車両は木造車なので屋内に保存する必要があったのでしょう。



ちょうどCP2023号機がやってきたので撮影。こちらもなかなかええ感じに。
前照灯がシールドビームっぽかったり煙室扉がやけに小さかったり、他にも色々気づくところがありますね。



カナディアンパシフィックジョルダン式除雪車CP402829。1912年製。
ジョルダン除雪車というのは幅の広い翼を持ち、展開することで複数の線路の雪かきが出来る除雪車です。主にヤードなど線路が密集しているところで使われます。一度に吸う本文の除雪が出来るので効率が良いですが、翼に掛かる雪の抵抗が大きいので積雪量の多い雪かきは苦手です。



屋内に侵入してみます。めちゃくちゃ古そうな客車ばかりが置かれています。本当なんなんだ。



復元中と思われる謎客車。恐らくCP2658植民客車。
移民客車、英語で書くとコロニストカー Colonist carです。西部開拓時代に使用された北米独自の客車で、名前通りヨーロッパからの移民用に19世紀中頃より造られた客車です。
数千kmを旅するため車内は583系のようなプルマン寝台になっています。移民客車の設計の特徴は、寝台車としては質素な設計であることです。どこらへんが質素なの?と聞かれてもちと分からんのですが、1両にできるだけ多くの乗客(72人乗り説、50人乗りを100人まで乗せた説など)を乗せられるように設計されているのだと思われます。
なぜ詰め込みが効くようにしているかと思ったかというと、移民列車の運賃は格安で採算を取るにはとにかく詰め込む必要があるから・・・と考えた次第です。どのくらい格安かというと、ひと家族全員乗って7ドルで大陸横断できるくらい格安でした。モノウ・ルッテレ・ベルジャネーゾ。
なんでこんなに安いかというと、まずはそもそも移民はだいたい身一つでやって来たような貧乏人ばかりだったので、そんな彼らでも乗れるような運賃設定にしたことというのが考えられます。さらに、鉄道会社としては自分ちの沿線に根を下ろしてもらって、ゆくゆくは乗客になってもらったり生産物を輸送するようになってもらったりして自社に利益をもたらして欲しいと考えるわけで、将来の金の成る木をみすみす競合他社に取られるわけにはイカンと価格競争に陥った、という可能性も無きにしろあらず。例によって確証なしですが。
なお、格安運賃7ドルの中には食事や寝具は入っていません。本当に人を運ぶだけの料金です。なので食事と寝具は乗客が用意する必要があります。
寝具はともかく食料を用意するのが大変だったと思います。日持ちする食料がどれだけあるか分かりませんし途中駅で調達するのは難しそうだし・・・。ちなみに簡単なキッチンが車内にあるのでそこで調理して食べていたそうです。なんていうか衛生的にヤバそうな列車ですね。人権が無い。移民するのも命懸けだ・・・。
移民客車の需要は第一次世界大戦の直前あたりでピークに達します。しかし1920年代には移民制限が始まり世界恐慌も起こるわで減少しました。余剰車は他の車両へと改造されていきました。
第二次世界大戦では詰め込みが効くのを利用して兵員輸送に使われ、大戦後も再び始まった移民ブームによりにわかに需要を取り戻します。しかし、1960年代には移動手段が陸から空へと移り変わり、これをもって移民客車は完全に表舞台から消え去ります。
残存車は他車種へ改造されたため、現存する植民客車は数えられるほどしか残っておらず貴重な存在になっています。これもその1台です。くたびれていますが、今後復元されていくかもしれません。



カナディアンパシフィックCP76号客車。1882年製。ここにある車両の中では一番古いのでは?
クリームの塗装や窓の意匠がおしゃれな客車ですが、これは要人輸送用の客車なのです。故に豪華。



車内のベッド。枕こんなにいらへんやろ。



座席もあり。
それにしても内装の造りが客車とは思えないほど凝っていて、走る家と呼びたくなります。



ウィニペグ軌道 馬車鉄道客車8号。1880年代の時代を再現したレプリカです。
蒸気機関車ではなく馬に客車を牽かせて走っていた鉄道です。形態的には路面電車の先駆けみたいな感じです。馬の世話が大変なので電車や機関車が登場するとあっという間に姿を消しましたが。
ウィニペグの馬車鉄道は、夏期は街に敷かれた軌道の上を走り、雪の積もる冬期には車輪ではなくソリを履かせて運行していました。
現在は廃止されているようですが、園内で実際に馬車鉄道を運行していた時期もあったようです。



CP141号客車。1907年アンガス工場製。分類としては行楽用座席車とでも言うべきでしょうか。
1900年頃の昔より都会の人々は都会特有の忙しい日々に辟易としており、休日くらいはそこから逃避したいと思うようになっていました。
そこでCPは夏季に行楽列車を運行することを決め、141号はそれ用に製造された車両の一つです。
外装はマホガニー材のニス塗りで、現存するニス塗りマホガニー材客車はほぼこれだけみたいな書かれ方をしています。ちなみに一等車です。



車内。ニス塗りの外装もそうでしたが、いかにも夏向けに作られたような爽やかな趣を感じます。



座席はなんと転換クロスシート。こんな時代から存在していたとは。
生地はバスケットのようなアレになっています。



カナディアンパシフィックCP100号「ヨーク」。
英国コーンウォール州の公爵ヨーク公とその公爵夫人(後のキングジョージ5世とメアリー)がカナダを周遊する際にCPが1901年に製造した9両の特別車両の1台。日本の御料車と似たような客車かと。
CP100「ヨーク号」は王室寝台車として製造され、電気、電話、スイートバス、召使い部屋が備えられています。自分の名前の付いた客車に乗るのってどうなんだろうな。やんごとなき人には特に感じることはないのかな?
1906年に御料車として運用され、その後実施年は不明ですがウィリアム・リヨン・マッケンジー総督が自身の公用車に使えるように改造しました。


個室寝台。元御料車なわけですから、そら豪華よ。



厨房。



ダイニング。

こんなところで今日はここまで。


その50へ→

【1/60】風物詩シリーズ 居酒屋 製作【マイクロエース】

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今回はマイクロエースの風物詩シリーズ「居酒屋」を作りました。
元々は河合商会というメーカーが発売していた製品でしたが、同社は2012年に倒産。倒産後、製品が絶版にならないか心配されていましたが、プラモデルについてはマイクロエースが製品を引き継いで現在も発売しています。
風物詩シリーズは主体となる建物と数点の小物から成るジオラマのキットで、色々な製品を出しています。作るのが楽しそうなキットでかなり前から挑戦してみたかったもののひとつです。
この度ZBS絡みで作る機会を得られたので作ってみることとしました。書くのがだるいのでそこんところについては割愛で・・・。



とりあえず箱組みしてみます。意外と奥行きが薄いんだな・・・っていう。



キットにはジオラマの台もついているのですが、私はダイソーで売っている展示ケースを購入して使うことにしました。フタが付いているのでホコリから保護できるのがいいですね。
大きさも問題なしでした。



塗ります。
あえて塗りムラを残すことでそれっぽい質感を表現。
さらにこげ茶色に塗って年月が経って風化した状態としました。



屋根は灰色に。スレと苔の生えた感じにしました。



店舗の後ろに立てる塀も風化した表現にしました。



仮置き。ええんやないの?
あれこれ考えながら作るのが楽しいです。



この後壁の一部は土壁風に塗り替えました。木目の入ったモールドは木工用ボンドで埋めて平らにしました。



小物を作っていきます。
井戸は何だか物足りなく感じたので、プラ棒で井桁を組んで力強くしました。



出来上がるとこう。木目表現は適当にやった割にはまあまあかな?



ここからはネタ。
田舎によくあるキリストの標語が書かれた看板。この標語は自分で考えたやつで実際には無い・・・はず。



狸の置物。なんか生えてるけど狸なのでモザイクは無しで(面倒くさい



ひと通り置くとこう。なかなか賑やかになってきたじゃん。



ここで軒下が寂しいと思い、軒桁を組むことに。
構造的には間違ってるような気がしますが、賑やかになればいいのでそこは深く考えず。



その後軒下を塗って建物と合わせてみると・・・ええやん!苦労したかいがあった。



内壁も塗って、そしたら居酒屋なのでお品書きを貼ります。これも自作ですけど、完成するとほとんど見えない・・・。



店先にも屋号と障子に装飾。
みすてぃあで八目鰻とくれば東方のミスティア・ローレライですね。そうです、東方絡みの作品です。だからなんだって言う程度のささやかな主張ですが。



これで店舗は完成!ええやん!



もうひと仕掛けというわけで、電飾に挑戦してみます。
現代は便利なもので、電飾セットが発売されています。トミーテックから発売されている電飾セットA2(電球色)。元々は同社の展開するジオラマコレクション用の製品ですが、これを転用します。



まず天井裏をメッキシールで目張りして光の漏れを塞ぎます。そしたらLEDとそのコードを配線していきます。電飾というと面倒なイメージがありますがこのセットだと配線するだけでいいので楽ちんです。LEDは天井と軒先に配置。
目張りや配線は正面から見えるように気を使います。コードはマスキングテープで仮止めしながらボンドでちまちまと固定していきます。



配線をまとめるのにプラ棒を使いましたが、無理やりな感じになりました。



配線完了。ええやん!



LEDは2つ使いましたがセットには6つあって、なんだか勿体無いので井戸の中にもう1つ配置しました。
井戸の中で皿を数えやすいようにね。溶鉱炉に見えるという意見もちらほら・・・。井戸から親指を立てた腕でも置くか?(置かない



最後に地面を作ります。キットに付属しているカラーパウダーを使います。
まずベースを霧吹きで湿らせてその後粉を撒きます。そしたらボンドを水で溶かしたボンド水をスポイトから垂らします。ボンド水が乾くと粉が固着するという仕組みなのですが、スポイトから垂らした時にクレーターが出来てしまうので、それはまたクレーターに粉を撒いて誤魔化していきます。
この手の地面は鉄道模型レイアウトを作った時に散々やったのでお手の物です。



出来上がるとこう!
これも付属している緑の粉を使って地面に変化をつけるのも大事。店舗内に入り込んだ粉は払っておきます。



建物と小物をベースに接着させたら完成!
いい感じに風情が出てるんじゃないでしょうか?いいぞこれ(自画自賛



電飾もいいな。
あれこれどう弄るのかを考えながら作るのが楽しいキットでした。こういう風に楽しんで作ったキットも久々だったので良かったです。また別の建物を作ってみたいと思います。

【ギャラリー】居酒屋ジオラマ【1/60】

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■使用キット:1/60 マイクロエース(旧河合商会) 風物詩シリーズ「居酒屋」

風情あるジオラマということでこんなものを作りました。



現在はマイクロエースから発売されている河合商会の風物詩シリーズ。
東方Projectのミスティア・ローレライというキャラクターにちなんで、八目鰻屋のような居酒屋を作りました。
古ぼけた感じの建物をイメージしました。なかなかうまく行ったんじゃないかなと思います。







基本的にキットを組み立てただけですが、屋号や軒桁など一部は自分なりの工作を加えています。



田舎によくあるキリスト看板なんかはまあまあ受けてもらえましたね。



井戸。










電飾を施していて、店内と軒先、ついでに井戸を点灯化させることが出来ます。
電飾はトミーテックの電飾セットを転用したお気軽工作ですが、私にしてはがんばった。



以上、居酒屋でした。

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その50 【2015/07/08~1】

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2015年7月18日(土)12時22分
アルバータ州カルガリー 遺産公園歴史村レイルウェイストリート
引き続きヘリテージパーク編。今回からは鉄道以外の展示物も見ていきます。
滞在時間が残り1時間ほどなので全部を見ることはもちろん、建物の中身を見ることもほとんど不可能です。本当に惜しいことで、カルガリーのもう一泊してここを一日中満喫すればよかったと思っています。既に蒸気船に乗るのは諦めていますからね・・・。
鉄道の工場から建物が並ぶ村の中心地へとやってきたのですが、いい感じの西部劇みたいな町並みが広がっていてとても良いです。19世紀のカルガリーの町並みということですかね?



よさげの建物がゴロゴロしています。が、私は建築系については何も知らないので、あまり突っ込んだ説明はできないです。
この交差点の角に立っているベージュと緑の建物はフリーメーソンのロッジホール Masonic Lodge Hallです。
フリーメーソンというのはなんだか良く分からない秘密結社のような組織で、世界を裏から操ってるとかそういう迷信じみた噂も流れているよく分からない組織です。
表の姿はトレーダーズ銀行の支店なのですが、2階がどうも件の組織のホールなんだそうな。中を見ていないのでよく分かりませんが・・・。本当に惜しいことで。



ちなみにその奥に続くて建物は法律事務所とか歯医者とかそういうのがあります。意外と文明的。



バルカンアイスクリーム店 Vulcan Ice Cream Parlour。
1930年代までにはカナダではアイスクリームが普及していて若者を中心に絶大な人気はあったとか。夏のアイスクリーム屋はそりゃもう儲かって仕方がなくてウハハって状態だったそうな。
そんな1910年代のアイスクリーム屋を移築してきました・・・と思いきや、本当は雑貨屋、後に電話交換所兼郵便局だった建物でアイスクリーム屋ではなかったそうです。カナダって保存には熱心ですけれど、経歴と関係ない仕様にすり替えて保存しているというのが珍しくないような気が最近してきましたので、そこは用心して見ていったほうがいいかもしれません。
一応この建物はちゃんと1910年代に建てられたもので、カルガリー近郊のバルカンというところに実際にあったものです。



右の緑の建物はクレアズホーム雑貨店 Claresholm General Store。
「クレアズホーム」というのは英語にしては変な綴りだなと思ったんですが、ノルウェー移民によって形成された村だそうです。なのでノルウェー語なんですかね。
1905年築で、1964年にここへ移築されてきたそうな。
左の茶色い建物はグレッドヒル薬局 Gledhill's Drug Store。
開拓時代だと医者も獣医もいない原っぱだけの町というのもあったわけでして、そんな中で彼らの役割を果たしたのが薬剤師でした。人間だけでなく動物相手の処方もする必要があったとか。
サスカチュワン州サスカトゥーンの南にあるダンダンという町で1908年築。1972年に寄贈されました。



ウェインライトホテル Wainwright Hotel。
ダウンタウンの中でも目立つ建物。アルバータ州ウェインライトに1908年建てられたホテル。中々上等なホテルだったそうです。
1909年には増築して全室に電話を設置しましたが、1929年8月の火事で周辺のビジネス街共々焼失。なのでこの建物は1968年に建てられたレプリカです。
これの内部については後でやります。



アルバータベーカリー Alberta Bakery。
デンマークからの移民ハンセンが1912年に建築。1階は店舗、2階は住居というスタイルです。
たぶん中ではパンを売っているんだと思います。さっきのアイスクリーム屋もそうでしょう。



蒸気機関車がやって来たのでついでに撮影。



後追い。乗ってみたかったなぁ。



クラブカフェ Club Cafe。
一見普通のカフェですが、実は中国系のカフェというやつ。カナダ西部、特にバンクーバーあたりなんかは現在も公共の案内に中国語が書かれているくらい今も昔も中国系カナダ人が生活しているんですが、そうなると中華料理屋も多いんですね。
大衆的な中華料理屋はビュッフェスタイルで保温大皿に盛られた料理を好きに取っていく方式です。日本の中華料理とはかなり毛色が違っていて、ジンジャービーフのようにカナダ人向けの味付けにローカライズされていますが、日本人が食べてもいけるものも多いです。一度試してみるのもいいですよ。
そんな20世紀前半の中華料理屋を伝聞を元に復元した店ということだそうです。



ションツ穀物エレベーター Shonts Grain Elevator。
20世紀カナダの情景的な建物といえばコレという感じに捉えられているのが穀物エレベーターです。アメリカ型鉄道模型のレイアウトにも欠かせないストラクチャーのひとつですね。
1900年までの当時のカナダ西部には450棟ものエレベーターがあったと言われていて、これにより労働者の肉体的負担は劇的に軽減されました。
このエレベーターはカルガリーから北東に400km行ったところにあるションツにてウィニペグのセキュリティエレベーター社が1909年に建てたものです。



これの横にある動力室にまずは潜入です。なんだかゴウンゴウン動いています(手抜き



穀物エレベーターにも潜入します。
例によって動態保存されている建物でして、実際に穀物を上げたり下げたりする実演が行われています。しゅごい・・・。



貯蔵庫から落とされてきた穀物がトレーラーに積まれていきます。



逆にトレーラーから下ろす時は地下に向けて下ろします。ここからベルトコンベアのエレベーターで上っていって貯蔵庫へと仕舞われるのです。
この一連の動きは中々感動しますぞ。



ガン乳製品納屋 Gunn's Dairy Barn。
1911年にスコットランドから移民してきたジョン・ガンが1929年に現在のカルガリー空港の東に建てた納屋。
1978年に彼の娘がこの納屋と移築のための5万ドルを寄付しています。太っ腹や。今は乳製品系の体験に使われているとか。



また蒸気機関車が走ってきたので撮影。いい感じに撮ってみました。

今日はここまで。


その51へ→

【ギャラリー】軽巡洋艦「五十鈴」【1/700】

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■キット:1/700ウォーターライン(タミヤ) 軽巡洋艦五十鈴
■仕様:1944年時(防空巡洋艦)



何かの時に買ったと思われる(覚えていない)五十鈴を作ってみました。製作中の写真はろくすっぽ忘れていたので製作記は無しです。
軽巡洋艦は昔に作った「天龍」「龍田」以来だったと思います。
小さくて数の揃え甲斐がある駆逐艦や迫力のある重巡と較べて軽巡はその中間といった感じで中途半端だったりどれも似たような姿だったりなイメージがあって中々手が出ない艦種であります。
そんな中でも五十鈴は防空艦に改装された経歴を持っているのでいいかなって思ったんですが、ううむ・・・。微妙な違いだな。



横から。いつも通り張り線をしています。それ以外は特に工作せずに素組みといういつもの組み方です。











3基の12.7cm連装高角砲が特徴ですね。電探も付いています。



他にも対空装備マシマシ。



以上、軽巡洋艦「五十鈴」でした。

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その51 【2015/07/08~18】

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ヘリテージパーク編5回目です。
牧場のようなところへ来ました。なんだかあらゆる設備が整っていて、園内だけで自給自足出来るんじゃないかって思いますね。



豚。食べられる奴や。
西洋人は家畜を隅から隅まで食べるという習慣はないイメージですが、カナダだと中国系あたりに耳とか足とか頭とかの需要がありそうで、無駄なく食べていそうです。



牛。これも食べられる奴。
園内で屠殺とかするんでしょうかね・・・?気持ちよさそうに昼寝している横で考えるもんじゃないですが。



アヒル。もちろん食べられる奴。
家畜ばっかだな。そら牧場だからな。



ラガン駅 Laggan station。
線路が分岐していますが、右に分岐するのは本線で、左に分岐するのはデルタ線への側線です。デルタ線の先は行き止まりになっているので方向転換に使われるわけですね。
デルタ線の終端は機関車はもちろん客車2両分くらいまでなら入りそうな長さを持っています。列車の編成ごと方向転換できるというわけです。
カナダ・アメリカではデルタ線が今でもバリバリ使われていて、長距離列車の方向転換に使われます。もちろん客車ごと方向転換をします。なのでどっちの方向の列車でも荷物車が一番前に、展望車が一番後ろに連結されるわけです。さすがに便数の多い短距離の通勤列車だと煩雑になるのか制御客車を連結して方向転換を省いている場合が多いです。
ちなみにデルタ線というのは日本限定で通じる言葉で、英語圏だとWye(ワイ)と言います。気をつけような。



デルタ線の脇の道を歩いていたらインディアンの居留地みたいなところにたどり着いたぞ。残念ながらインディアンには会えませんでしたが。
北米大陸開拓とインディアンは切っても切れない関係なのでいない方がおかしいくらいですね。何かと対立していた野蛮なアメリカ人とそこのインディアンと違って、カナダのインディアンは仲良く共存していました。まあビジネスライクな共存だったと思うんですが。



絶対物騒だゾ、っていう砦が見えてきました。ゲリラのアジトみたいでかなりヤバそう。



こういうところには必ず警備兵がいるもんですが、何故かいなかったのですんなり入れました。ガバガバすぎんよ。
営門にはハドソン湾会社 Hudson's Bay Companyの文字が。Hudson's Bayといえば、ショッピングモールによくあるオサレな衣料品店じゃないですか。ブラックマンデーの時に1回行ったことあるよ。ずいぶんと怪しげな事業をやっていたんだな。



塀の中はこんな感じで、マジで映画に出てくるゲリラのアジトって雰囲気がしてヤバイ。絶対まっとうな商売してないよこれ。



室内は簡素ながらもどことなくおしゃれな感じがしなくもなく。ここは談話室なのかな?



別の建物に入るぞ。



あっヤバい(察し)
毛皮が並べられています。これってアレか、毛皮商か。となるとここは毛皮貿易の拠点か。なるほどね。

欧州人の北米大陸開拓と毛皮貿易もまた切っても切れない関係でして、経済面ではもちろん社会的政治的にも重要なものでした。かなり大きな力を持っていました。なにせ戦争の火種になるくらいです。
カナダ(当時はイギリスの植民地でしたが)、そこで毛皮交易をしていたのがさっき出てきたハドソン湾会社でして、先住民から買ったビーバーの毛皮を本国イギリスへえっさほっさ運んで利益を出していました。1670年にチャールズ2世、ルパーツ皇子ほか十数名の投資家により設立されたクッソ歴史のある株式会社でして、いわゆる勅許会社というもの。王室から特別な許可状をもらってその地域での貿易や生産を独占できるというやつです。ご存知東インド会社も勅許会社のひとつです。利権とか王室との癒着とかヤバそうだなあ(小並感)って感じです。
その目的は当時フランスがはびこっていたカナダ地域の毛皮交易の市場を奪い取ってフランスをけちょんけちょんにするため。当初の目的通り1763年のパリ条約でシオシオのパーにされたフランスはカナダから撤退し、その交易範囲は留まる所を知らず。最初の交易地域はハドソン湾周辺だったのがカナダ西部にまで広がっていきました。





ハドソン湾会社が先住民と取引していた毛皮の中で特に重宝されていたのがビーバーでした。
当時のヨーロッパではビーバーの毛皮から作ったフェルト帽が大流行。貴族のステータスになっていた高級品でした。ヨーロッパのビーバーは既に乱獲されまくっていて種の存亡の危機で「ビーバー獲りすぎて絶滅しそうンゴ」でしたが、その時カナダを探検していたヨーロッパ人が「こっちにはビーバーたくさんおるやんけ!」と北米原産のビーバーを見つけてしまい、以降カナダのビーバーは乱獲されまくってしまいましたとさ。完全にとばっちりなんだよなぁ・・・。

ちなみにこの建物、カナダではこれを砦と呼んでいますが、この砦は1835年に建てられたロッキーマウンテン・ハウスを復元したものとなっています。この砦の中に所長、貿易商長、それと合わせて30人の貿易商、労働者、事務員、通訳者、見習いが働いていました。



ビーバーの哀れなお姿・・・。
これはまだ下処理前の状態で、この後裁断して保護毛という上側の毛皮を抜き取ります。そうすると下毛が見えてきて、これがフェルト帽などの生地に使われます。
1930年代にカナダのビーバーは絶滅寸前にまで追い込まれましたが、今では保護活動のかいあってだいぶ数が回復してきたみたいです。昔はひどい目に合わせましたが、現在はカナダの歴史上重要な動物として大切に扱われているみたいです。



ビーバーの開き。
ちなみにその後のハドソン湾会社ですが、1870年にハドソン湾周辺のルパートランドをカナダ政府に返還、毛皮交易事業から撤退し、以降は小売業に移行して現在に至っています。現在まで存続している会社としては世界最古とも言われているようで。



外に出ると畑が。大麻とかそういうのじゃなかろうな・・・?

ハドソン湾会社については所々書き忘れているところがありそうですが、中々書くのが大変なのでとりあえずここまでで。あとは自分で調べてくれ・・・。


その52へ→

【ギャラリー】日本海軍 愛知 九九式艦上爆撃機二二型【1/72】

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■使用キット:フジミ1/72Fシリーズ 愛知九九式艦上爆撃機22型
■仕様:横須賀海軍航空隊

前に作った特攻仕様の零戦を作る際に必要だった爆弾の提供元になったフジミの九九艦爆。爆弾だけ引剥がしてあとはほったらかし温泉だったのですが、たまたま目についたので作ってみました。
ただの消化試合みたいな感じになったので特に製作過程の見せ場もなく、今回も製作記は無しです。



キットの出来としては、古い設計ということを加味しても可もなく不可もなしって感じでした。胴体の分割の仕方がなんだか特殊でしたが、11型との兼ね合いですかね?



で、完成品の出来としては、やる気の無さを感じるものに・・・。
チョロハゲを少ししましたが、横須賀海軍航空隊といえば内地の部隊だったんだし、きれいな機体でも良かったじゃん・・・とか思いました。



特徴的な楕円翼。
楕円翼と言えばスピットファイア君ですが、ちょうど前に組んだMk Iがあったので比べてみました。九九艦爆の方が面積が大きくて翼も厚いです。まあ爆撃機と戦闘機なんだし当然。












以上、九九式艦上爆撃機二二型でした。

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その52 【2015/07/08~18】

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ヘリテージパーク編6回目。
ハドソン湾会社の砦を出てまた園内を歩いていくと、建物が数軒並ぶ所に来ました。
ここら辺はどうでもいい建物群と見ていたのでさらっと流し見しただけです・・・。



ドリュー・サルーン Drew's saloon。
じゃがいもくらいしか連想するもののない土地で有名なアイダホ州に住んでいた退役軍人ヘンリー・ドリューがアルバータ州に移住した1886年にこの建物を建てました。



I.G.ベーカー商店 I.G. Baker & Co. Store。
正面は立派ですけど、横を見てみるとなんだかボロっちいという看板建築みたいな建物です。こっちにもこういうものがあったんだな。
段々解説も雑になってきてますね。



線路なう。
前回出てきたワイことデルタ線の終端ですね。長さ的には機関車と客車2両が入る長さなんですが、実用的には機関車の方向転換くらいが限界なのかも。



デルタ線の”辺”の部分から本線へ合流して少し先の部分にまたがって側線があります。本来は機回し線なのかもしれませんが、当時は貨車が留置されていました。
長物車が3両。身元は不明。
荷台には枕木や台車が載っていました。



蒸気機関車の炭水車と家畜車というナゾい組み合わせ。



ノーザンアルバータ鉄道NAR20006家畜車。1912年アメリカン・カー&ファウンドリー製。
NARは1929~1981年まで存在していた会社で、現在はカナディアンナショナルとカナディアンパシフィックの両方が所有しています。
家畜車というのは読んで字の如く、牛や豚など家畜を輸送するための貨車です。家畜以外にも色々運んでいたらしいです。
まだ冷蔵庫や冷凍庫がない時代、生産地と消費地は距離が離れている場合が多く、牧場で家畜を屠殺してから消費地へ出荷していては鮮度を保てませんでした。そのため消費地の近くで屠殺しなければならず、生産地から消費地まで家畜を運ぶ必要があることからこの貨車が造られてきたわけです。
とはいえ生きた家畜を乗り降りさせるのは手間でありますから、冷凍・冷蔵技術が普及して精肉に加工してから出荷しても鮮度を保てるようになるとソッコーで姿を消してきました。当然現代では使われていない種類の貨車と思います。馬運車も今は自動車ばかりでしょうし。
見た目は有蓋車で、実際に設計は有蓋車の流用であることが多いそうですが、通気のため外板がすのこ張りになっているのが特徴です。
日本では1台も残っていない種類の貨車なので興味深いですね。まあ家畜同然の扱いを受けている乗客を運んでいる通勤電車は東京に行けばゴマンと走ってますが・・・。

鉄道が絡んでくると急に書く量が増えますね・・・。



カナディアンパシフィックCP415722炭水車、テンダーですね。1907年リッチモンド・ロコモーティブ&マシン・ワークス(ペンシルバニア州)製。
元々はCPのD10d形蒸気機関車(4-6-0)613号機の炭水車として製造。以降の経歴はよく分かりませんが、炭水車だけ残された模様。恐らくはウォーターテンダーとして使われていたのだと思われます。水だけを積んだ蒸気機関車用の給水車ですな。
停車駅の少ない特急列車なんかだと駅と駅の間で給水のためだけに停車しなければならないなんてことも出てきます。速さが売りの特急でんなことちんたらとやってられないので、給水停車しなくて済むように水槽車を連結して航続距離を伸ばしているのです。
日本の特急「燕」でも所要時間短縮のための東京~名古屋ノンストップ運転のために専用の水槽車を製造した(そしてソッコーで用途廃止された)事例がありますが、それと全く同じ思想です。
ちなみに石炭車というのは存在しないようです。石炭は水よりも容積に対して減りが少ないんでしょうな。例えば大井川鐵道のSLだと、石炭は補給無しで往復できますが、水は片道で半分以上消費してしまうので終点で給水する必要がある・・・といった話もあります。
ウォーターテンダーは専用の車両が製造された例もありますが、蒸気機関車で使われていた炭水車を流用した例もこの車両のようにあります。
ちなみに車番の下に書かれているService、これは保線・保守業務を行う部門です。操重車や除雪車を持っているのも確かここの部門です。



給水塔(左) Railway water towerと給砂塔(右) Railway sand house。
給水塔は1902~1972年までCPがアルバータ州ドラムヘラーで使用していたもの。現役の給水塔で、毎朝蒸気機関車に給水しています。あのCP2023号機は水を3,000gal (=11,356L)搭載できるのですが、一日中走ると1,700gal (=6,435L)消費するんだそうな。
給砂塔は1920年代~1960年代ごろまでCPがカルガリーのヤードで使用していたものです。砂は何に使うかというと、レールの踏面に撒いて車輪の粘着力を上げるのに使います。急勾配とか雨や氷で滑りやすい時とかは摩擦が低くなって機関車の牽引力が落ちてしまいます。そういった時に砂を撒いて摩擦を上げて牽引力を取り戻すのです。
園内の線路は平坦線かつ客車も短いので砂を使う場面はまず無いはず。なのでこの建物も現役かというと微妙。動かそうと思えば動かせるんでしょうけど、きっと。



何がとは言わないがすげぇデカい!!!



牧歌的背景のお陰でクッソ画になっているフォード・モデルTT。
バカどころかアホとボケを付けてもいいくらいの量を造ったモデルTのトラック版。こういうのも平気で走っているということで。
モデルTは今でも30万台が残っているらしくて、新品の部品が今でも供給されているっていう環境の良さもあって、ビンテージカー入門にはちょうどいいのかもしれません。



馬車小屋。
よく分からない(やる気ない

今日はここまで。長かったヘリテージパークも次回で最後です。


その53へ→

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その53 【2015/07/08~18】

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ヘリテージパーク編7回目ですが、今日が最後です。5回くらいで終わるつもりだったのにね。早く終わらせたいのでサクッと行きますよ。



ソープ家住宅 Thorpe house。
カルガリーの製材所の労働者、ソープさんが建てたお家。フォークビクトリア朝の設計だとか。子供は8人も作ったということで家は何度か増築しています。



だいたい園内を見回ってみてまだ少し時間があるのと、建物の内部にどこも入らないというのはまずいだろうと思ったので、ここに討ち入りすることに。
めちゃくちゃいい感じの家やん。



部屋も沢山あるぞ。
うーん、書くことがない。



前々々回くらいに見たウェインライトホテルの中にも入ります。明治村で言えば帝国ホテルに位置する建物。
ちょうどいいしお昼でもと思ったんですが、しっかりと腰を据えて食べる店だった上に混んでいたのでヤメに。バッファローやシカの首が立派ですね。



2階の広間。



2階は客室になっています。廊下が狭いような気がします。



部屋はこんな感じで、いい感じの部屋ですね。高そう。



他の部屋はこう。格好からして金持ちだもんね。



外に出るとまた蒸気機関車が停まっていたので撮影。



砂岩の家 Sandstone house。
カルガリーで1886年に起きた大火事の後、木造家屋は燃えやすくてアカンということで、そこら辺から調達できる耐火素材として砂岩が選ばれて家の素材に使われました。主に銀行、住宅、学校、裁判所などが砂岩に置き換えられました。
これはレプリカで、ジェームズ・マクラウド大佐の家を再現したとのこと。
カナダのことだからどーせレプリカと言わず当時から残っているオリジナルの建物が10軒くらいありそう。



もう時間なので、まだ見ていない建物を見ながら退園します。
さっきのモデルTTに再会。特に目的もなくぶらぶら走っているんでしょうか。



王子住宅 Prince house。
ピーター・アンソニー王子のお家。
アンソニー王子は1890年にカナディアンロッキーからカルガリーへ流れるボウ川にダムと水力発電所を建設、それで発電した電力で製粉工場、食肉工場、穀物エレベーター、醸造所と手広くやっていたようです。
家は1894年築で、1967年に移築されてきました。3階建ってだけでヤバいもの、やんごとなき家だったんだろうなぁ。見ておくべきだったか。



退園しました。
そして出口の横にはカルガリー市営鉄道 Calgary municipal railwayの路面電車14号が停まっています。いわゆる市電です。
カルガリー市の人工増大に伴いダウンタウンと郊外を結ぶ交通機関が必要となったことから1909年に開業しました。最盛期には80台の車両が在籍していましたが、1950年に廃止になりました。ちなみにその30年後の1981年にLRTのCトレインが開業しています。
14号はカルガリー市電の最末期に運行されていた車両で、オリジナルですが復元車といっていい感じだそうです。



発車するまでの間に順光で撮影できる所に移動して撮影。
いいっすねぇ。



後追い。



なぜかある交換設備。
なんだかレプリカがもう1台あるんだそうで。
線路の距離は1km弱程度あるらしくて、体験乗車するには十分な距離だと思います。乗ってみたかった・・・。



はいこれで最後です。ヘリテージパークに面する道路14th Streetにあるカナディアンパシフィック鉄道(CP)のT1c形5931号機です。
車軸配置は2-10-4(1E2)セルカーク。セルカーク機はカナダでの呼び方で、アメリカだとテキサス機って呼びます。また、セルカークはこのT1形のみだったので、セルカーク=CPのT1形と認識されているようです。
T1a形、T1b形、T1c形の3形式が存在し、それぞれ1929年(20機)、1938年(10機)、1949年(6機)に5900~5935号機が製造されました。製造期間がだいぶ離れているので、T1aとT1cでは外観が全く異なります。気になったら調べてみてちょ。
以前見たロイヤルハドソンと似た流線型の外観をしていますが、こちらは動輪が5軸あることから分かるように、牽引力に重きを置いた設計がされています。どうもこの時期に製造された機関車は同じような流線型の外観に設計されているようで。
主にカナディアンロッキーを通るカルガリー~レベルストーク間の山岳路線での重貨物列車や重旅客列車の先頭に立って活躍していました。山男なのです。もちろんスパイラルトンネルも通りました。
しかしながら、T1c形が製造された1949年は既にディーゼル機関車が台頭し始めてきた時期でした。実際、このT1c形がCP最後の新製蒸気機関車になったのでした。
強力な牽引力を持つディーゼル機関車は1950年代初頭には山岳路線に投入され、置き換えられたセルカークはカルガリー東部のプレーリーが広がる平坦線へ転属して過ごしました。当初の区間での活躍は意外なほど短かったのです。
そして1959年までには全車引退しました。36両の内この5931号機と5935号機が保存されて現在も残っています。5935号機はモントリオールの鉄道博物館に保存されています。



そんな一生をカルガリーで過ごした縁のある機体なのですが、状態は全体的には良好ながらも細かく見ていくとところどころ劣化している部分もあり。ご覧の通り柵に囲まれているので取り付くことは出来ないです。
道路沿いに置かれてはいますが、すぐ横に駐車場はなくちょっと立ち寄りづらい感じではあります。もっとヘリテージパークの近くにおいてやればと思いますが・・・。前は観光案内所の隣にあったそうですが、そっちのほうが人目についていたよかったのかも。
見捨てられているわけでも無いと思いますので、今後もその雄姿を見続けられることを願っています。


これで今日最大のイベントは終了です。
ヘリテージパークを軽く見ましたが、この年代の建築物、鉄道や文化に興味のある人にはたまらない施設であると思います。そういう人たちは滞在時間を丸1日取ることをおすすめします。

そして次回で最終回です。


最終回へ→

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. 最終回 【2015/07/08~18】

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2015年7月18日(土)14時12分
アルバータ州カルガリー・ダウンタウン 9Ave SW and 1 St SW
最終日のメインイベント、ヘリテージパークを退園して、カルガリーのダウンタウンへとやってきました。
昨日は車で通り過ぎただけなので、降り立つのは初めて。ちなみにレンタカーは近くのコインパーキングに駐めてきています。
滞在時間は1時間も無いので、もう見たいものだけ見ていきます。最初に来たのはここ、カナディアンパシフィックの看板が立っている所です。ここはカナディアンパシフィックのカルガリー駅の駅前です。
もっとも定期列車はゼロで、夏季にロッキーマウンテニア鉄道がたまに来るのと、事前予約しないと運行しないロイヤルカナディアンパシフィック号くらいなもので、大変寂しい駅です。
カルガリーの北約300km先にはエドモントンというアルバータ州の首都があるわけですし、その2点間を結ぶ中距離列車でも走らせればと思うんですが、まあ新幹線でも敷かないと他の交通に勝てないんでしょうねぇ・・・。かなし。



で、そこに鎮座しているのがカナディアンパシフィックA1e形29号機関車なのです。1887年にモントリオールにあるCPの自社工場その名も「新工場 New shop」で当初は390号機として造られたそうな。
軸配置は4-4-0の典型的なアメリカン機。その割にはなんだか垢抜けた見た目です。その原因は恐らくこれのクソ長い寿命で、なんと1960年11月まで現役を張っていたそうです。70歳超えです。70年の間に外装はかなり変化しているはずです・・・。
なお1960年というのは、もはや現役の蒸気機関車の時代はおしまいという時期ですから、CPの蒸気機関車時代の大半を過ごしてきたわけです。
引退後はカナダ鉄道歴史協会に引き取られてなんやかんやあってここに静態保存されています。



私含めみなさんには縁のない話ですが超豪華クルーズ列車「ロイヤルカナディアンパシフィック号」のロビーがあるのがここです。
小じんまりとしていますが、外から覗いた分にはヤバい空気を出していたゾ。



カルガリータワー。なんで人類はこう塔を建てたがるのかを論じているとキリがないのでしませんが。
カナディアンパシフィックの領地(?)にカルガリータワーならばカナディアンナショナルの領地(?)にも塔が建っていて、こっちはそのまんまCNタワーと呼んでいます。スカイツリーを東武ツリーって言うようなもんですから、もうちょっとひねってもよかったんじゃねえのとは思います。
登る時間なんて無かったので遠くから見るだけにしておしまいです。



辺り一面高層ビル・・・。これは都会だな。東京とはまた違う整然としたものを感じます。
ただ一通がやけに多くて、車で周るのには不便しそうな街です。



カルガリートランジットのバス。Chevrolet 4500 + Arboc SOF (Spirit of Freedom)です。小型のコミュニティバスですね。
BCトランジットでもおなじみのシボレー4500シャーシで、カタウェイボディもArboc SOM (Spirit of Mobility)とよく似た姉妹車です。SOFはSOMの廉価版という位置づけだそうですが、あまり違いは分からんです。



ダウンタウンでのメインイベント、C-トレイン撮影です。
カルガリーのダウンタウンと郊外を結ぶLRTです。開業は1981年で、エドモントンのLRTと共に北米LRTの草分け的存在です。利用は好調で、LRTの優等生と認識されているそうな。
現在は2路線が運行中で、ダウンタウン内ではこの2路線が同じ線路を走るので、効率よく撮影できます。



電車がやってきました。2001~2007年に導入されたSD160形電車の前期型です。1編成2両で構成され、利用状況に応じて増結していきます。日中は3編成6両で運行するのが通例のようです。いわゆるLRVではないですが、プラットホームを造ってバリアフリーにしています。
ちなみにこれの広告はマツダでした。トヨタ、日産の次に見かける日本車がマツダかホンダって感じですね。上位2社と比べるとその頻度はグッと下がりますが。



こちらは2010~2012年に導入されたSD160形の後期型です。フロントデザインが変更されてよりヨーロッパ風の電車になっています。
SD160形とその前身であるSD100形はシーメンスが北米向けに開発したLRT車両なので、投入されているのはアメリカとカナダのみです。カルガリーの他にエドモントンやサンディエゴなどで見かけることが出来ます。



NFI D40LF。銀と赤の塗装なのでそこはかとなく東急バス感を感じます。



SD160前期型。C-トレインにはもう一形式、U2形という開業時からの古い電車が走っているのですが、結局見られませんでした。レールバスみたいな見た目が可愛いんですけどね。
C-トレインは基本的に専用軌道を走りますが、ダウンタウン内では併用軌道です。ただ、併用軌道と言っても一般車両の乗り入れは禁止されているようで、実質的には道路を一本LRT(と路線バス)専用に再整備したというところでしょう。
一般車両乗り入れ禁止は思い切ったことをしたなと思います。



D40LFの旧塗装。まあ、あまりかっこいい塗装ではないですな。
ちなみにこの通りはバスはあまり通らなかったです。路線バスのダウンタウン内での運行経路は1本の大きな幹線道路に多くの系統を集中させる方式(日本だとこの場合が多い)と複数の道路に系統を分散させる方式があるんですが、カルガリーは後者だったようで。
また、郊外の路線バスの系統はC-トレインの郊外駅を起終点にしていてダウンタウンへ直通しないものが少なからずあるようなので、ダウンタウンにはあまり現れない・・・と言う事情もあるようです。おかげで効率的な撮影とは行きませんでした。



時間切れになったので駐車場に戻ります。
駐車場はCPの線路の上にある立駐でした。貨物列車でも通らないものかと少し期待しましたが、ダメでした。ダウンタウンを徘徊している時に遠くから列車の通る音は聞こえてるな~ってのが何回かあったんですが(この時は撮影するポジションにいないので未撮影)、つくづく旅行後半は列車に嫌われましたね。



15時頃にダウンタウンを離れて、16時前にはレンタカーを返却してカルガリー空港のチェックインカウンターへ。とうとうビクトリアへ変える時が来たのです。るるー(悲)
乗る飛行機はウェストジェットというところ。カルガリー~ビクトリアを直通しているのでラクです。エアカナダはバンクーバー乗り継ぎになるので・・・。
機内預けの手荷物が1つあったので預けようとしたんですが、預け料金25ドル取られました・・・。な、なんでや!?と思ったんですが、そういう決まりなので仕方ないです。

ウェストジェットはLCC系の会社なので、最初はLCCでよく見かけるチケット自体は低価格だけど預け料金なんかで利益を出すビジネスモデルか・・・と思ったんですが、どうもそうでないようで。
カナダとアメリカの国内線および両国間の国際線のエコノミークラスではだいたいどこの航空会社でも預け荷物が1個目から有料となっているようです。LCCは当然、エアカナダやアメリカン航空のような大手のレガシーキャリアもそうなっています。リージョナル航空会社までは把握してないです。
まあなんともセコいことするなぁと思います。とはいえ他の交通機関もないですし、足元見られた格好になってます。うーんセコい。
みんなも預け荷物の数は減らしていくように気をつけような。



搭乗ゲートに向かいます。
カルガリー空港はウェストジェットのハブ空港ということもあって、ターミナルの一角は完全にウェストジェットのものになっています。他のキャリアが全く見えないぞ。
ウェストジェットの機材はほとんどがボーイング737で構成されています。創業にあたってはサウスウェストを手本にしたそうですから、機材の統一はそこに倣ったのだと思います。接客サービスもそこに似ているらしい。



ウィングレットが上下についたシミタールウィングレット装備の737。新し目の機材ですね。
そういえばまだ昼飯を食べていなかったので、ここで軽く済ませておきました。もう16時回ってるんだけどね・・・。



搭乗時刻になりやした。WS227便ビクトリア行きです。機材はB737-800(C-FAWJ)。もしかしたら初の737搭乗かもしれないです。



機内。まあこんなもんよ。
LCCですが背面モニターが付いていて有能。ただしイヤホンは有料なので買うか持参しよう。ドリンクも有料。そこら辺はLCCです。



はい離陸。シミタールウィングレットの機材なのね。
珍しく窓側・・・というか通路側がもう埋まってたのだ。チェックイン時まで座席は決まっていないので、ウェブチェックインが始まる24時間前から椅子取りゲームなのです。ちょうどその頃はホテルに向かって運転していたはずなんで、まあムリだわな。



せっかくなので景色を楽しみます。ちょうど雲のない所を飛んでいるので地上の景色がよく見えます。
ここはカナディアンロッキーかな?氷河が見えますね。すでに少し懐かしくなっております。



一気に飛んでバンクーバーの郊外。



バンクーバーとビクトリアの間のガルフ諸島。ここの景色は本当に美しくてうっとりします。ここからの景色はとても好きです。



はい着陸。帰ってきたぞー。
1時間位乗っていましたが、時差があるので時計の上では30分しか時間が経っていないことになります。時差マジックすごいな。というかそれ以上に、飛行機で1時間で行ける距離をのんびり11日間かけて巡ってきたというのに、ある種の壮大さを感じます。



降りました。
LCCですが特に不便もなく良いフライトでした。ただ以降使う機会がなかったので搭乗はこれっきりになっていますが・・・。マイル貯められないからね・・・。
この後はBCトランジットのバスに乗り換えてお家へ帰りました。


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はい、これで11日間に渡って旅してきた北米P3もようやくおしまいです。
本当に色々な場所を回りましたが、どこもカナダの広大で懐の深い自然と歴史を味わえました。ここでしか出来ない体験も幾つもしました。いつかまた行ってみたいと思いました。生涯忘れられない旅行になったのは違いありません。
北米P3を連載し始めたのが5月24日ですから、実に7ヶ月間、1年の半分以上をこれの執筆に費やしたということで、ええー、長引いたなぁと。途中何度かやめちまいたくなりましたが、そうなると後の連載にも進めないのでそこは頑張りました。褒めてくれ。
いくつかの場所は弊ブログが初めて日本語で書いたと言っていい箇所がいくつかあるので、そこはちょっと胸を張ってもいいと思いますぞ。特に鉄道とか軍事とか。もっと褒めろ。

カナダの出来事はまだ1年分のストックがあって(実に17ヶ月遅れ!)まだ当面の間は書き続けることになりますが(白目)、ひとまずこれはここでおしまいです。次の連載開始は年明けになるだろうから、なんだかちょうどいいな。


おしまい

【2016年】今年一年を振り返る【模型編】

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2016年も残りわずか。
今年作ってきた模型がどんなだったのか振り返りましょう。

【2015年】



1作目:1/144 バンダイ HGティエレン宇宙指揮官型(地球連邦軍機)
去年に引き続きカナダでの生活中に作っていました。
マイナーな機体にマイナーな塗装。劇場版の劇中にカメオ出演的に一瞬だけ映っていた旧型機が印象に残っていたので作りました。



2作目:1/700 ピットロード 海上自衛隊護衛艦「あけぼの」
「あたご」と共にカナダへ訪問歴のある護衛艦ということで作りました。日本への輸送中に破損してしまったので、人前に出せる状態ではないのが悲しい・・・。



3作目:1/72 エアフィックス イギリス空軍スーパーマリン スピットファイアMk I
船とガンプラばかりの製作で飽きが出てきていたので、飛行機でも作るかとスピットファイアに手を出す。
やたらと派生型が多いので全種類作りたくなってきますが、まあムリだろうなぁと思います。Mk I, II, V, IX, XIV, 24ぐらいは揃えたいもの。



4作目:1/700 ヤマシタホビー 日本海軍駆逐艦「吹雪」
カナダで作った最後のプラモデルです。
ZBSからのテロ攻撃で着弾した模型でした。出来の良さに満足。今では綾波と響が積んであります。



5作目:1/144 バンダイ HGガンダムアストレイブルーフレーム・セカンドL
日本帰国後最初の作品。
アストレイは部分塗装が多いので塗るのが大変ですな。まだレッドとゴールド天もありますがまたいずれ。



6作目:1/60 マイクロエース 居酒屋みすてぃあ
建物とその情景モデルとして製作。
色々と電飾やネタなんかを入れたりして好きなように作ることが出来ました。



7作目:1/700 タミヤWL 日本海軍軽巡洋艦「五十鈴」
積みプラ消化月間その1。
ふっつーに作りました。



8作目:1/72 フジミ 日本海軍 愛知九九式艦上爆撃機二二型
部品取りにされていたキットを製作。取っていった部品は爆弾だけだったので、機体を作る分には問題なかったのです。
これもふつーにやりました。



9作目:1/300 ピットロード(F-TOYS) 海上自衛隊 新明和PS-1 & US-2
まだ撮影していないので製作終わった時の完成写真ですが・・・。
11月についにエアブラシを導入しましたので、その慣らし運転にと積まれていたこれが目についたのでこの機会に作ることに。
エアブラシは全く初めてというわけでは無かったので、以前の感覚を取り戻すには十分でした。手入れが面倒ですけどやはり塗装が楽ですね。
いずれこちらも記事にします。

以上、9作品です。

製作数は前年比+4作です。
まあまあなペースだと思います。やっぱりこのくらいの数をこなすのが限界ですかね・・・。溜まってるブログの執筆もあるしね。

この1年で飛行機のキットをしこたま買ってしまったので、来年は飛行機をたくさん作りたいと思います。
エアブラシの技能も上げていきたいですね。
では今年はこんなところで。
明日は旅行編です。

【2016年】今年一年を振り返る【旅行編】

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2016年も今日で終わり。
なんだか今年はあまり年の瀬感を感じられなかったんですけどね。


【2015年】

ところで去年の年末ではその年の5月のことまでしか書いていなかったのですが、今年はろくすっぽ書いておらず日本帰国以降の6~7月をちょろっと書いた以外は基本的に2015年のことしか書いていません。
なにやっとんねんという感じですが、だいたい北米P3が長引いたせいですね。11日間の旅行を7ヶ月間もかけて書いている時点でお察し。それだけ中身の濃い旅行だったわけですが、うんまあ、反省しています。
振り返るものがほとんど無いのでなのでコレ書く必要ないんじゃないかと迷いましたが、てきとーに書いておきます。



1月
カナダで迎えた2回目の1月。
公園で野鳥の写真を撮影した以外は特に動きなし。寒いと動きも鈍る。



2月
1月に続き近所をうろうろしていただけの月。
写真は、バンクーバー島の一番東はどんな感じだろうと思ってチャリで行ってみました・・・というもの。なんだか金持ちが住んでそうな地区でした。



3月
ロサンゼルス郊外(とアリゾナ)でひたすら航空機を見ただけの旅行こと北米project 4を敢行。1月2月で動きがなかったのは旅行資金を溜め込むためという側面もあったのです。
米軍機を中心に様々な機体、例のあの機体、一度は見てみたかった機体などを一度に見ることが出来てとても満足でした。ただしまあそれでも、米空軍博物館とスミソニアンは行ってみたいと思うので、またそのうちアメリカへは訪問したいものです。



4月
ビクトリアの観光シーズン再開となり、クルーズ船も頻繁に寄港するようになりました。去年よりも多くの船を見られました。本当にほぼ毎日来るんですよね、これ。



5月
前から目をつけていたバンクーバーの南にあるフレーザーバレー保存鉄道を訪問。
電車を数台保存していて、うち1台は動態保存されています。乗車できる日もあります。小さな団体でしたが、保存維持に掛ける熱意は大きかったです。どこ行っても熱心にやっていますよね。



6月
カナダ滞在最後の月、ということで総決算的な旅行、北米project 5を観光。初のカナダ東部への進出になりました。
博物館見学と観光地周遊をバランス良く混ぜ込めた旅行だったと思います。3都市を巡ったのですが、各都市もう1日ずつ滞在したかったなと思いました。
そしてこの月の末に日本へ強制送還されてしまいました。カナダ本当にいいところだった・・・。絶対にまた行きますぞ。



7月
着々と計画が進行していた翌月敢行のサイコロの旅4の打ち合わせも兼ねて大井川鐵道でジェームズを撮っていました。ジェームズを撮ったのはこれが初めてだったのでした。



8月
ZBSの共同でサイコロの旅4を敢行。今回はいぶき君を巻き込むためにまんまと騙してやりました。彼は人がいいのでコロッと騙されてくれました。
そのうち連載始めます。



9月
近所をうろうろしていただけの月。
バスとか飛行機とか見ていました。この復刻銀バスは清水に配置されているだけあってコレ以降まだ撮れていません。



10月
静浜、浜松、岐阜の航空祭に行った月でした。
カメラのレンズが飛行展示を撮るには性能不足なのは明らかだったので、そっちはついでにして地上展示機をメインに据えました。
今まで収集した自衛隊機写真のアップデートが目的だったんですが、X-2をはじめ初めて見た機体も多かったので上々な結果でした。望遠レンズを手に入れれば別ですが、来年も行くかは微妙ですかね。行くなら米軍基地ですかね。



11月
蒸気機関車に乗りたくなったので、大井川鐵道のSL急行に乗車。帰りは撮影に興じました。
紅葉はまだ早かった・・・。



12月
箱根登山鉄道の電車が復刻塗装になっている電車を撮影に。来年2月までの運行なので人が混む前に今のうちに済ませておきました。ついでに大雄山線の復刻塗装も撮りました。
撮影をひと通り終えたら箱根観光もしようと思ってましたが、時間配分をミスって全く出来ませんでした・・・とほほ。

以上です。



恒例、今年の経県値。16都府県となりました。前年比+3でした。
まあこんなもんよ。

帰国してからというもの遠征らしい遠征をしていないですから(サイコロはさておき)、来年はどこかドカンと行きたいですな。
海外はまあどうでしょうねぇ・・・と言う感じです。行く機会は虎視眈々と狙っていますけどね。


それでは良いお年を。
そして来年の黒鉄重工にもご期待下さい。

2017年あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます。

とりあえずブログの更新頻度を上げて、18ヶ月の遅れを取り戻せるように努めます、はい。
なんでこんなに増えたんだよ。



富士山も綺麗に拝むことが出来ました。新幹線は串っていて撮影に関してはなんだか幸先悪い・・・。
口コミが広がってきているのか、ここも年々人が増えてきている・・・ような気がします。

というわけで本年も黒鉄重工をよろしくお願いいたします。

静岡空港で飛行機撮影【2016/07/29】

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2016年7月29日。
静岡空港の近くへ行く用事があったので、ついでに飛行機を撮影してみることにしました。
静岡空港には石雲院展望台というのがあります。2013年に竣工したものです。目の前が滑走路なので機材の撮影には申し分なし。その上、屋内休憩所が建てられていて室内は冷房を完備!雑誌も置いてあるので機材が来る合間の暇つぶしも有り。大変過ごしやすいのです。日本屈指の快適撮影ポイントかもしれません。



1機目、全日空B737-800 (JA62AN) NH1262 静岡(from札幌)。



続いてFDA。タッチダウンを捉えるには遠いな・・・。



2機目、FDA ERJ-170STD (JA01FJ) JH144 静岡(from福岡)。
赤は初撮影。



既に到着していた中国東方航空のA320が滑走路へ。
中国東方航空のこの塗装、正規の塗装なのか?って思うくらい素っ気ないんですけどずっとこのままなのかしら。



3機目、中国東方航空A320-200 (B-1635) MU2872 南京。



JA01FJも離陸準備。



4機目、JA01FJ JH133 鹿児島。



5機目、中国東方航空A320-200 (B-6870) MU2089 静岡(from寧波)。
いい具合に旧塗装機が来てくれました。やはりこっちの方がいいですよね。鼻先が黒いのも今時珍しいですが。



ANAと東方航空。



6機目、JA62AN NH1263 那覇。



7機目、天津航空A320-200 (B-1851) GS7947 静岡(from大連)。
これは初めて見ました。定期便でなくてチャーター便か何かだったと思います。塗装もなかなかおしゃれです。
意外と中国機を多く見られるんですね。

ここら辺で撤収としました。また来ます。

北米project 4 ~Is the order a warbird? その1 【2016/03/04~10】

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2016年3月、3度目のアメリカ旅行へと行ってきました。
前回、前々回の行き先は共にワシントン州シアトルでしたが、今回はそこからおよそ950マイル南にある都市、カリフォルニア州ロサンゼルス(の郊外)、そしてちょこっとアリゾナ州なんかを旅してきました。

その目的はズバリ軍用機と軍艦(とやきう)。アメリカには数知れないその手の博物館が点在しています。航空機・軍艦の他にも鉄道、自動車の保存例も多く、乗り物保存に関して言えばこの世の楽園だと思います。
ロサンゼルス周辺にはその博物館がある程度密集していて(アメリカ国土的にであるが)、ここをある程度回ればアメリカ航空機に関してはだいたいは網羅できてしまうのでは・・・と企み実行に移したのです。実際、私の軍用機フォルダはかなり潤いました、ウシシ。

今回私が対決を挑んだ博物館軍団の数は全部で9館、そのどれもが充実の展示で訪れるたびに圧倒される内容でした。ゆっくりと見ていては時間が足らず、どうしても駆け足になってしまったこともしばしば。そのくらい濃い内容でした。
その膨大な中身を、今回は半ばヤケクソになりながら紹介していきます。記事は何回になるのか想像もできず、連載期間は1年以内に収まるかの自身も無く・・・かな~りの長いお付き合いになりますので、皆様もご覚悟くださいまし。



2016年3月4日(金)4時39分
カナダ ブリティッシュコロンビア州シドニー ビクトリア国際空港
旅行初日!時刻はまだ未明!
まあまずはロサンゼルスへ向かうわけですが、少しでも早く現着したかったのと成田から来る日本便と到着を合わせる必要があったため(ここら辺の事情はちょっと面倒なのだが、いずれ説明しておきます)、始発の飛行機に搭乗します。出発は5時25分。電車かよ。

ビクトリアのダウンタウン近郊に住んでいる私の家からビクトリア空港(YYJ)までは約20km離れているため、いつもバスを使っています。ですが、こんなさすがに未明にバスは走っていません。
自転車で行けない距離ではないですが、まあろくに街頭のない暗い夜道とかアップダウン激しい道路を走るなんて普通にイヤなので「空港バス」というのを初めて利用しました。
弊ブログでも度々ダウンタウンを走っているところの写真を何回か撮影して掲載している、あの空港バス「YYJ Airport Shuttle」です。
運賃が片道20ドル近くするため片道2.5ドルで済んでしまう路線バスのBCトランジットの前には歯が立たなかったので今まで利用したことがなかったのですが、路線バスが使えない時間帯では威力を発揮します。飛行機の始発便に間に合う時間から運行を始め、終バスは飛行機の最終便に接続するというここぞという時に使いやすいバスなのです。

空港バスはダウンタウンのあちこち(だいたいホテル)を回って乗客を回収してそこから空港までノンストップで向かうというスケジュール。というわけなので自宅から最寄りのバス停まで歩いていく必要があったのですが、まだ夜中の3時台から動き始めたため中々怖いものがありましたね。あんまりするもんじゃないですね。

バスが満席だったらどうしようと不安だったのですが、半分以上席が埋まっていながらも乗ることができ、無事空港へたどり着くことが出来ました。とりあえず第一難関は突破。



薄暗いチェックインカウンター。持込荷物だけだったので発券機でEチケットを発行したら保安検査を抜けます。
今回アメリカの国内線に2回乗るので、受託荷物があるとあわせて50ドル余計に払わねばならなくなるため荷物の圧縮は必須でした。



搭乗ロビーで待ちます。改めて眺めてみるとなかなかオサレなロビーです。
そして出発15分前に搭乗案内開始です。



田舎空港なので地上を歩いて乗りに行きます。
この時間は機材が夜間停泊しているので各社の飛行機が一同に会しているというなかなか胸熱な光景が見られました。



エアカナダのA320-200 (C-FGYL)。
YYJに飛来する唯一のA320なのですが、真夜中に着陸して夜間停泊して早朝離陸という運用をされているため、こんな機会でしか拝むことが出来ないです。
この角度からA320クラスの大きさの機材を見るというのもまあ中々無いんじゃないかと思います。地上から見ると随分と大きく感じるもんです。



ホライゾン航空のDHC-8-400。



ウェストジェット・アンコールのDHC-8-400。



パシフィックコースタル航空のSaab340 (C-FPCZ)。
あれ、こんな塗装だったかな・・・?と疑問に思いましたが、あとで調べてみるとオレンジの帯を追加した新塗装ということでした。いいものが見られました。



はいそして、おまたせいつもの親の顔より見た見た機材。
エアカナダ・エクスプレスDHC-8-300 (C-GTAG)の5時25分発 AC8050便バンクーバー行きです。
前から感じていましたが、今時-300を使う大手キャリアも珍しいような気がしなくもない。



座席はまたエンジンの横・・・。



バンクーバー空港に着きました。真っ暗だから景色なんて無いよ。
ここで乗り継ぎします。



よりどりみどりの時刻表。
大韓航空のロサンゼルス行とカンタス航空のホノルル行ってなんだこれ?間合い運用なのかな?

カナダからアメリカへ渡航する場合、飛行機の登場する前に入国審査を済ませますのでバンクーバー空港で手続きをします。なので乗り継ぎ時間は余裕を見ておいたほうが良いです。
手続きの半分くらいは自動チェックイン機のような筐体をした自動入国審査マシーンがやってくれます。APCというらしい。こちらでの操作が必要ですが、日本語対応しているので英語ができなくても安心です。便利な世の中ですね。
それでも最後は人間のチェックもありますから、変な受け答えをして目をつけられないように一応気をつけておこう。

審査を抜けて搭乗ロビーに向かいます。ずいぶんと奥の方のゲートに向かわされました。LCCだからかな?
途中にあったティムズで朝飯を食べます。手頃な値段で済ませられるだけあってほかが閑古鳥なのに行列ができてましたね。



次に乗るのはエアカナダ・ルージュB767-300ER (C-FMWY)の8時50分発 AC1878便ロサンゼルス行き。
エアカナダ・ルージュというのはエアカナダ系のLCCで、観光地へ向けて就航しています。LCCなので一部のサービスが有料だったり座席が詰められていたり背面モニターが無かったりしています。
ただしエアカナダの系列で便名もエアカナダ本体と同じACなので、LCCながら同じスターアライアンスのANAのマイレージを貯められます。これは魅力。



LCCなんだから機内にコンセントがあるはずなかろうという触れ込みでしたがふつうにありました。767だけ?
ただし窓側席だと座席2列に対しコンセント1個なので争奪戦になります。



はい離陸。
機内エンターテイメントは、機内Wi-Fiを介して自分の持っているスマホやタブレット端末に表示させて楽しむというもの。でもなんだか微妙な使い心地だったのですぐに止めてしまい、昼寝をしました。



もうちょいで着きそうだなというところで起きる。
眼下は山地でした。西海岸はやっぱりこういう景色が目立ちますな。



段々高度を落としておきます。主翼をパタパタさせていたのが見ていて面白かったです。これは何の部品だったかな・・・?



工業地帯らしき上空を通過。あちこちに線路が敷かれているようで、工場への専用線だらけでした。未だにこういう専用線でのやりとりがされているんですねぇ。
ちなみに右下には鉄道の転車台がみえるのが分かるでしょうか。



ぐるりと旋回して着陸態勢に入ります。結構ガスってるけど天気は大丈夫かな・・・?
あとは隣になった中国系のおっちゃんと色々喋っていました。



はい着陸。到着は12時前。時差はないのでだいたい3時間程度の飛行でした。このくらいの時間ならLCCでもどうにか・・・という感じです。

機材を降りたらそこはもうアメリカ合衆国。既に入国は済ませているのであとは空港の出口へ行くだけです。

今日はここまで。


その2へ→

BC航空博物館オープンハウスへ向かう 前編【2015/07/25】

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2015年7月25日。

この日はBC航空博物館 BC Aviation Museum でオープンハウスがあるという話を聞いて行くことにしました。
どんな催しなのかよく分からなかったのですが恐らくそんなに大規模なものではないと思っていたので、まずはビクトリア空港(YYJ)で飛行機の撮影をすることに。



お昼頃に空港に向かって、とりあえずRWY27へ。
エアカナダ・エクスプレスDHC-8-300 (C-GETA)のAC8066 バンクーバー行き。
その手前に駐機しているのは個人所有のMooney M20J (N201JF)。こっちの方が珍しい。
ムーニーはアメリカの軽飛行機メーカーです。スピード厨だったらしく、軽量で高速な機体を製造していました。リーマンショックでちょっと前に破産しましたが、最近中国資本により再建したようで。

M20は同社の稼ぎ頭といえる軽飛行機で、軽飛行機界最速の異名もあるとかで。原型機の初飛行は1955年で、息の長い機種でもあります。生産機数は11,000機以上。
スピードは全てだ、速ければ速いほどいい、という感じの機体で、前を向いた異形の垂直尾翼が何よりも特徴的です。一部の派生型のみですがポルシェのエンジンを積んだものもいるそうです。おかげでピーキーな操縦特性に仕上がっているのだそう(≒墜落しやすい)。
M20Jは1977年登場のモデルです。



Cassna 172S (C-GWLY)。おなじみのやつ。
ムーニーと違って安定性抜群。



ビジネスジェットが着陸してきました。コーポレートイーグルという航空ビジネスをやっている会社所有のDassault Falcon 2000 (N313AV)です。
本当に色々な機材が来て楽しい。



ウェストジェットB737-800 (C-GWBL)のWS196 カルガリー行き。



ユナイテッド・エクスプレスCRJ-200ER (N908SW)のUA5509 ビクトリア(from サンフランシスコ)。
いつの間にかユナイテッド航空が就航するようになっていたのでこれが今日の目当てだったのですが、まあ失敗しましたね。



ホライゾン航空DHC-8-Q400 (N402QX)のAS2384 ビクトリア(from シアトル)。
モンタナ大学グリズリーズの特別塗装機でござんす。グリズリーズはバスケとかラグビーとかクロスカントリーとかを手広くやってるクラブです。



RWY09に移動。
自動車販売店Don Wheaton所有のCessna 206 (C-GDJS)。
ゲタを履いている水上機型です。その上車輪もついているので本当は水陸両用機なのだ。実際、滑走路から離陸していきましたし。



Beech 95 (C-GBSR)。



さっきのホライゾンのN402QX AS2385 シアトル行き。



ウェストジェットB737-700 (C-GWBL) WS150 エドモントン行き。
ちょっと撮影ポジションが真下すぎるなぁ・・・とこの頃から感じ始めました。



空港(?)の敷地内になんか廃車が置いてありました。
どういうわけかBCトランジットのNFI D40LF(8060号車)がいました。2015年導入のNova LFSに置き換えられたんだと思います。

飛行機撮影はここら辺で終えて、博物館へと向かいます。


中編へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その2【2016/03/04~10】

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2016年3月4日(土)11時58分
カリフォルニア州ロサンゼルス ロサンゼルス国際空港(LAX)
カナダから飛行機を乗り継いでアメリカはロサンゼルスへとやって来ました。

実は、当初の予定だとZBSのZeBonクンが既にLAXに到着していて、ここで合流するはずでした。今回はZBSを強制召喚して連れ回してアメリカのヤンキー魂を擦り込むつもりでいました。ところがZeBonクンが直前に大チョンボやらかしたので今回も1人で行くことになりましたとさ・・・。
ZeBonクンがいるつもりで旅程を組んでいた・・・というのを知っておかないと何だか変だな?というのがこの先何回か出てきますが、特に覚えておく必要もないです。

さてこの後はレンタカーを調達せにゃならんので、とりあえず外へ出ます。



アメリカでも指折りのデカい空港なので、外に出るにも一苦労。
玄関を出たと思ったら、道路を車やバスがひっきりなしに走っていてばかりでどうも出口らしい出口がない。
どこにレンタカー屋あるんだ・・・?



初めて見るキャリアがちらほらいますねぇ。



Van Hool CX45の空港連絡バス「フライアウェイ」。空港~ユニオン駅を中心に市内各地へ向かう系統を運行しています。公共交通機関での空港アクセスはこれが主力です。
LAXはドチャクソでかくて利用者も多いのに鉄道でのアクセスが無く、不便な面があります。



で、レンタカー屋のことですが途方にくれていると、レンタカー屋の屋号をでかでか描いたバスが走ってくるではないですか。ああなるほど、これに乗って連れてってもらうのかと合点がいく。
ハーツのマークが書かれたバスを待つこと10分、来たので乗り込みました。ちなみに私のいた所は出発ゲートだったようで、ホントはここの1つ下の階層で待つべきだったと乗った後に気づきましたが、まあ。

バスは随分と空港から離れたところへと走っていき、10~15分くらいでハーツの支店へ到着。受付をします。やはり日本人がしょっつう借りに来るのか、受付のおっちゃんは日本語が少し話せました。
レンタカーを借りる際に必要なのが免許証の提示ですが、カリフォルニア州では日本の免許証だけを提示すればオッケーでした。カナダでは国際免許証も合わせて提示する必要があるので、これは意外でした。
とはいえ、万が一事故を起こして警察のご厄介になった時に免許証は提示しないといけなくなるでしょうから、その時警官が免許証を読めないなんてことにならないように国際免許証も所持しておく必要はあると思います。
レンタカーを借りるのも5回目くらいになるとここらへんも手慣れたものになってきますね・・・。



はい、借りました。もう今回は一番安い価格帯のということでトヨタ「ヤリス」です。またアメリカまで来て日本車か・・・。
ヤリス?ヤリスってなんでやりす?って感じですが、日本ではヴィッツと呼ばれとる車です。世界的にはヤリスと呼ばれる場合のほうが多く、ヴィッツを採用しているのは日本くらいです。日本でヤリスだと語感がよろしくないとのこと。うーん確かに。
ガバチョと空いたグリルがちょっとださいけど(このグリルは欧米仕様限定らしい)、最近こういうの多いよね。流行ってんのかしら?ちなみに内装は簡素アンド簡素で走れりゃええって感じでした。残当。



早速最初の討ち入り先へと向かいます。
前回のシアトル旅行(北米P2)ではカーナビをケチったがために大変な目に遭いました。それを踏まえ、今回もカーナビは非搭載!・・・本当はスマホに常駐しているグーグル先生に道案内を頼みました。これ最強。
ただしカナダのスマホではアメリカの電波を受信できないので、予めバンクーバー空港でWi-Fiルーターを借りていたのでした。これでかつる。
前も書きましたが、アメリカのレンタカーではカーナビはオプションで追加料金になります。私の場合、既に低年齢チャージ($25/日)が重しになっていたのでオプションはできるだけ排除したかったのです(保険は付けました)。グーグルのナビは十分使えるものなので、これで大丈夫だと思います。

討ち入り先は西部航空博物館 Western Museum of Flightという小さな博物館。ロサンゼルスから20~30km南に行ったところにあるトーランス空港の中にあります。
小さいと侮るなかれ、とんでもない逸品が置いてあるのだ・・・。



着いた!
そして「!!!」
おお(*^○^*)
おおおお(*^○^*)



わわわわわYF-23さんじゃないですか!!本当にいるんだ!



とととトムキャット閣下まで!!キャーステキ!

・・・とひと通り興奮したところで我に返る。あれ、柵の中に入れなくない?
こいつr・・・いえこの方達は博物館の本館からは離れた所に展示されています。別館扱いなのかなと思ったので恐らく自由に入れる場所があるのだろう・・・と思っていたのですが、どうもそうではないらしい。
まずい。通常非公開で普段は外からしか見れましぇーんとなるととても悲しい。

とりあえずここからだとこれが限界と分かったので、じゃあ本丸にカチコミに行くことにします。



着いた!いや、違う!!
間違えて1つ隣りの空港そのものの建物に来てしまった・・・。
なんだ引き返すか・・・と思ったら串刺しにされたT-33がいたので見ていきました。この後もしょっちゅう出てくるのであまり突っ込んだ説明はしませんが、アメリカを始め世界中で使われたジェット練習機です。保存例も多く、T-6テキサンと並ぶ航空博物館の常連です。

今日はここまで。


その3へ→

BC航空博物館オープンハウスへ向かう 中編【2015/07/25】

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BC航空博物館に着きました。
オープンハウスへ討ち入りするのです。



博物館には2つの格納庫があって、そのうち1つが開放されて一部の機体が屋外で展示されていました。
他にもスピーチ台とかが格納庫内にあって、催しの始めに何かスピーチがあったんだと思います。



手始めにまずは空港の特殊車両展示から。
これは除雪車ですな。ビクトリアではめったに雪が降らないので活躍の機会はそう無さそうです。



ローゼンバウアー社のパンター化学消防車 Rosenbauer Panther。
たいていの空港にはこんな感じの消防車が配置されていると思います。



会場のすぐ横がビクトリア空港(YYJ)のエプロンなのでタキシングする機材を間近に見られます。
しかし旅客機というのは人が乗れる容積の割に主翼が場所を取る乗り物ですな・・・というのが正面から見るとよくわかります。



なんやこいつ!?・・・となったのがこの飛行機。
全くの初見だったので知らなかったのですが、こいつはコンソリデーテッドPBY-5A「カタリナ(カンソー)」。第二次世界大戦中、哨戒から救難まで広く活躍したアメリカ海軍の傑作飛行艇です。
型式名がややこしいのでアレですが、PBYというのが型式名で、5Aはサブタイプです。MS-06FザクIIだったらMS-06がPBY、Fが5Aです。分からねぇか。
PBYというのも、PBはその航空機の種別(カタリナだと哨戒(P)爆撃(B)機)、Yは開発メーカーのコンソリデーテッドを表しています。さらにBとYの間には開発ナンバーが入るんですが、1番目の場合は数字が省略されるので無し。昔の米海軍機はここらへんがちと複雑なのだ。

生産数は約3,300機であり、製造はコンソリデーテッドの他にボーイング、そしてカナディアン・ビッカーズでもライセンス生産されました。ボーイング製はPB2B、カナディアン・ビッカーズ製はPBVと型式名が異なります。製造メーカーが1社だけだと割りと理解しやすいのですが、それが複数となると同じ機体でもメーカーが変わると型式名が別物に変わる・・・というのが米海軍の命名基準のややこしいところでして。さらにPBV・・・というかこれを運用していたカナダ空軍は愛称も簡素・・・もといカンソー(キャンソー) Cansoと違ってくるので、まったくもう・・・という感じです。

さてここにいるカンソー(C-FUAW)は1943年製、製造番号は11024番。カンソーという名前ですが製造は本家コンソリデーテッドだったらしく型式はPBY-5Aとなっています。納品先はカナダ空軍(RCAF)で、カンソーと呼ばれるのはカナダで運用されたからでしょう。
配属はパットベイ基地つまり現在のYYJがあるまさにここであります。以来終戦までここで過ごします。戦後は救難飛行隊に配属され、1966年に退役しました。退役後は民間に売却され、山火事の際の消防機として活躍しました。
その後、2010年に買い戻され、古巣であるビクトリア空港で復元がなされて現在に至る・・・といった感じです。イイハナシダナー。

この機体、博物館には収蔵されておらず、別の保存団体が所有していて、ここの空港のどこかの格納庫を拠点としているようです。
どうせ静態保存やし飛ばへんやろ~と思っていたんですが、翌月別の空港で行われたエアショーでこいつと再会することになり「あ、こいつフライアブルだ・・・」と絶句しました。やはりこの国の持つ情熱はたいしたもんだ。



正面から。なるほどお船だという形状をした胴体下部です。
主翼は胴体の上に柱を介してその上に主翼を乗っけるというパラソル配置。水上に着水するという運用上、エンジンに水が被らないように出来るだけエンジンの位置を高くする必要があったわけですな。つっかえ棒があるとは言えよく折れないなと思いますが。



エンジンはP&W R-1830ツインワスプが2発。DC-3とかF4Fとかに搭載されていたエンジンです。



主脚。
飛行艇ですが主脚も持っているので水陸両用機として運用できる汎用性もカンソーのウリです。
その横では機内が見られるようになっていましたが、どういうわけか見ませんでしたね・・・。混んでたんだと思う。
消防機として使われていたということは胴体をまるまる水タンクに改造されたと思われます。それがどの程度復元されたのか・・・というのは見てみたかったですね。まあ見てもわかんねーんですけど。



垂直/水平尾翼。十字配置になっています。垂直尾翼は結構小さいのね。
胴体後部はかなり絞られていて、蛇の目もなんだか苦しそう。



主翼に付いているフロート。
フロートは飛行時は主翼に格納されるという素敵なギミックが付いています。空力性能を上げる効果があり、当時先進的な構造でした。
カンソーはこんな感じでした。



会場ではセスナが頻繁に行き来していました。遊覧飛行をやっているっぽかったです。今思えば乗ればよかったなと・・・。
客が行き来する所を通るので、大らかなもので。



未舗装のエプロンを進む様は昔の野戦基地のように見えなくもなく、なかなか情緒的でした。



カナダ空軍のシコルスキーCH-124「シーキング」(12634)。
CH-124はアメリカのシコルスキーSH-3のカナダ版。初飛行は1959年で、カナダへの導入は1963年。最初は海軍の駆逐艦の対潜哨戒機として配備されました。
その後カナダ三軍は統合されてまた分離となりましたがその時辺りに空飛ぶ物は全部空軍に移管されたみたいです。CH-124の他にCP-140(ロッキードP-3)といった海軍との連携が密になる機体も空軍のものになっています。そこら辺の連携は上手く行っているのかな?
このCH-124は第443海洋ヘリコプター飛行隊(通称シジミ飛行隊)の所属で、ここビクトリア空港に基地があります。地元枠参戦です。

元々艦載機として設計されているのでローターやテールブームが折りたためるようになっています。ここでもそのように展示されていますね。



エンジンのハッチが開けられていますが、まあよく分からん・・・。
塗装が今時のロービジ塗装なので若く見えますが、上に書いたとおり古いもので50歳超えという長老級の機体。
古くは1980年台から計画はあったんですが、政治的ゴタゴタでのびのびに伸びてしまった末、最近ようやく置き換えが決まったようです。たぶん何機かは博物館入りだろうな。


バイキングエアDHC-6-400ツインオッター (C-GVZQ)。
この博物館の近所にある航空機メーカー、バイキングエアが造る期待の新人がこのDHC-6-400です。元々はデ・ハビランド・カナダが開発したものですが、同社がボンバルディアに吸収された後、バイキングエアはDHC-8以外のDHCシリーズ製造権をボンバルディアより取得。DHC時代より人気のあったDHC-6を改良の上で再生産することになったのです。
なので新人と言っても元は1965年初飛行の昔の機体なのです。



400型の改良点はエンジンをP&WカナダのPT6A-34に換装、グラスコックピット化など。400型の受注数は100機ほどで、結構成功している機体だと思います。
私もこの可愛らしいフォルムが好きなので、さらに生産数を伸ばして世界中で飛んでくれるといいですね。

今日はこんなところで。


後編へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その3【2016/03/04~10】

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2016年3月4日(土)13時52分
カリフォルニア州トーランス 西部航空博物館
最初の討ち入り先、西部航空博物館 Western Museum of Flightへとやって来ました。
小さい博物館でして、トーランス空港内にある格納庫のひとつを使って展示をしています。空港の格納庫を博物館にするというのはアメリカだとよく見かけます。特に動態保存をしている博物館はだいたいこの方式です。
ここは別段動態保存機は持っていないんですが、空港のエプロンには個人所有のT-6などが駐機されていてなんというかまあ国の違いを見せつけられました。

さて、とりあえずはYF-23を見ないことには仕方がありませんので、学芸員のおじいちゃんに「YF-23見たいんだべさ、見してくれるだす?」と聞いてみます。すると「ええんやで、連れてってやるからあの車に乗るんやで」と快諾されます。やったぜ。



おじいちゃんの車で素敵エリアに到着。
おおお(*^○^*) これはいいですよ、盛り上がってきたぜ。

この別館には、YF-23、F-14、T-38それとYF-17が展示されています。やばいよね。



まずYF-23ドーン!!モノホンだぞ!息を呑みますね、これ。てか、思ってたよりずっとでかいです。

ノースロップYF-23ブラックウィドゥIIは1980年代の次期戦闘機開発計画「先進戦術戦闘機計画(ATF計画)」でYF-22(後のF-22ラプター)との競作で2機が試作された試作戦闘機です。
いわゆるステルス戦闘機であり、機体にはそのための機構が組み込まれています。これを今から見ていくぞ。
ATF計画の勝者は結局はYF-22となりYF-23は試作機止まりとなってしまいましたが(ノースロップさんチームはいつも決勝戦で負ける)、1号機PAV-1「スパイダー」はデイトンの米空軍博物館に、2号機PAV-2「グレイゴースト」はここ西部航空博物館に保存されています。スパイダーの保存場所はまあ妥当として(世界最強クラスの航空博物館なのだ)、グレイゴーストはよくこんな小さな博物館に保存されたなぁ・・・と。



正面から。
ノースロップのステルス機で特徴的なのが、横から張り出しているツバのような形状の機首。見ようによってはカエルのような印象を与えます。
なんだかめちゃくちゃ話が長くなりそうだし私には理解不能な話なんで超簡単に済ませてしまいますが、つまりは照射されてきたレーダー波をレーダーアンテナに反射させて探知されるのを防ぐため、明後日の方向に反射させるための工夫です。
とにかくレーダー波を垂直に反射させないように、形状を曲面とすることと鋭角を作らないことを追求した結果がこの形状です。飛行中の戦闘機に対してレーダーサイトからのレーダー波はだいたい横から来るということなので、この機体に横からレーダーを当ててみると、見事に上へ下へあらぬ方向へと弾き飛ばされるというのが分かるかと。まあ、そんな感じなのです。



機首を別角度から。
機首を円錐状にしないで上下で分割できそうな形状は以降どこの国のステルス機でもおなじみの形態になりましたね。
あとは、試作機と言えば鼻っ先から長く伸びたピトー管ですが、YF-23にはこれが無いです。そこにステルスへのこだわりがあるかは知りませんがそれが感じられます。一方ロッキードさんチームのYF-22はステルスなんて知るかバーカという感じでピトー管がにょきっと生えているんで、うーん・・・。

コックピットの辺りは一段盛り上がったような形状になっていて、後方視界にも配慮した形になっているのかな?



機首を後ろから。首が異様に長い。蛇みたいだ。
ちなみにブラックウィドゥというのは「クロゴケグモ」の意味です。直訳すると「黒い未亡人」と戸田奈津子バリのスカポンタン誤訳になってしまうんで注意。
ブラックウィドゥという名前の戦闘機は昔にP-61(これもノースロップ製)が採用していたのでYF-23はそれの2代目、なのでブラックウィドゥIIなのです。



降着装置とそのフタ。単純な六角形でなんだかいい加減だなーと思わなくもないですが、こんなもんなんですかね。



裏側。これはPAV-2グレイゴースト号のはずなんですが、なぜかスパイダーの文字が。ナゾい。
機体にはノースロップの文字が大きく書かれていますが、その横にはマクドネル・ダグラスもいます。戦闘機の試作を1社だけでなく複数社に分担させることでメーカーが潰れないように保護するための策とされています。ロッキードさんチームの方もロッキードの他にボーイングと手を組んでいます。




ジェット機の空気取り入れ口は、空気の境界層を取り込まないように機体表面からはわずかに浮かして境界層隔壁(ダイバータ)配置されています。境界層っていうのは機体表面を流れる空気の層のことで、機体との摩擦により周りよりも空気の流れが遅いのです。空気をガンガン取り込みたいジェット機にとってはこの流れの遅さから来る流入量の減少はエンジン効率を下げるんで、基本的に境界層対策として上記のような配置をします。境界層はこの後も何回か出てくるかもしれないので覚えておくように。
で、YF-23はそうでなく機体に直に取り付けられているので、どうなっておられるのやら・・・と思ったのですが、取り入れ口の手前に境界層を取り除くための細かい穴がたくさん空いていました。なるほどね。理論はよく分からないけどさ・・・。
ダイバータを設けるとレーダー波の乱反射を起こしてしまいやすくなるので、ステルス機では避けられる傾向があります。YF-23もそのためのこの配置だと思います。こんなに穴開けて大丈夫だったのかなとは思いますが。
ただし、ダイバータレスにするのは結構難しかったようでして、F-22ではこれを諦めて通常の取入口の形にしています。アメリカのF-35や中国のJ-10でようやく実用化されてきたって感じです。




垂直/水平尾翼。YF-23の大きな特徴のひとつです。通常垂直尾翼と水平尾翼をそれぞれ用意するところを、1枚に統合したのがこれです。これもステルスのため。
斜めに傾けて配置されているのもレーダー波を飛ばすため。これはもうどこでもやってるおなじみの手法ですね。
主翼も左右合わせると四角形に見えるというこれまた奇怪な形状をしています。



エンジンの排気口。これもまた特徴的で、下側が覆われていて黒い耐熱タイルで囲まれています。排気口から出る赤外線を下方へ出さないための対策、いわゆる赤外線シグネチャ対策です。これは先に開発されていたB-2爆撃機からのアイデアでしょうね。ただしこれによりF-22には実装されている推力偏向ノズルは無いです。
ステルスとは何もレーダー対策だけでなく赤外線、音、振動なんかも含まれます。そもそもATF計画で要求されたステルス性能というのは、地上から発射されるレーダー誘導の地対空ミサイル(SAM)対策だったのでした。
莫大なコストを掛けて戦闘機を買ってパイロットを育てたのに、それよりも圧倒的にコストの安いSAMにボコスカ撃ち落とされたんじゃもうタマランわけです。だからレーダー/赤外線に探知されないならミサイルも無効化されるよね?という考えだったんだと思います。

ちなみに、既に撤去されて中はガランドウになっていると思いますが、これに搭載されていたエンジンは超音速巡航が出来る代物でした。超音速巡航というのはアフターバーナー無しで音速を突破できてなおかつその状態で長距離飛行出来るということでし。
これも確か敵(ソ連さん)のSAMが飛んでくる前にミサイルを超音速で振り切ってしまえばよかろうという考えだったはずです。
これだけ読むとATFというのは当初はいかにSAMを避けるかというのを念頭に置いているように見えて、まあアレですね。
なんだかややこしくなってきたのでこの話はおしまい(逃



後ろから。こうしてみると曲線美がグラマラスな形状です。ここら辺もB-2を開発したノースロップらしいものですね。



お腹にも潜れます・・・がウェポンベイはよく分からず。ここまで舐めるように見回して、連れてきてくれたおじいちゃんも少し引き気味・・・。
胴体が横に広い・・・つまりデブというのもステルス機の特徴でして、ミサイルや爆弾を胴体内に収めるためですね。従来機のように武装を機外へぶら下げていてはせっかくのステルスも台無しなのです・・・。



最後に全体を。
幻の戦闘機としてその存在は前から知っていたんですが、こんな所に保存されているとは知らずしかも実際に見られるとは。
YF-22がステルス機ながらも戦闘機としてまともな形状をしているのに対して、YF-23は未来的でSF的な機体なのがえらくかっこいいのです。F-22とタメを張れるのはこいつだけだろうなぁと思います。

まだ他にいますが、今日はここまで。
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